あゆちゃんの冒険

第14話
アゼリア登場

作:モーグリさん


 あゆたちが太正時代にタイムスリップしてから早くも一週間がすぎた。しかし、依然としてあゆたちが元の時代に戻る方法は見つかっていなかった。
 その日の夜、あゆと名雪と秋子さんは帝劇のベランダに出て帝都の夜景を見ていた。この世界は平成時代と違って大気汚染がひどくないのできれいな夜景だった。彼女たちの目の前で街の明かりがイルミネーションのようにとてもきれいに瞬いていた。
「お母さん、わたしたちまだ元の時代に戻れないね」
「本当ですね、困りましたね」
「これからどうしたらいいのかな」
「そうですね。とりあえず行くあてもありませんし、しばらくは帝劇の皆さんのお世話になってここに置かせていただくしかないですね」
 秋子さんと名雪の2人はそんな会話を交わしていた。

 一方、2人の横ではあゆがベランダの手すりに腰掛けて星空を見ていた。
「ねえ、秋子さん」
 あゆが話しかけてきた。
「何ですか?あゆちゃん」
「秋子さんは以前『一週間たったら元に戻る』って言ったよね。でもあれから一週間たってもボクの体は全然元には戻らないよっ。一体どうしてなのっ?」
「それが、どうもタイムスリップしている時間はジャムの効き目の期限には入らないらしいの。だからタイムスリップした先で一週間たっても元に戻らないらしいのよ。実は自分でも信じられないんですけど」
 秋子さんが手を頬に当てて「困ったわ」というポーズで話し始めた。秋子さんにとってもジャムの効き目が元に戻らないのは予想外のようだった。
「そんな・・・それじゃ元の時代に戻れなかったらボクは一生小さいままなのっ!?」
「わたしも、あゆちゃんを元に戻すためにできるだけの努力をするつもりですよ」
「それでも一生このままなんてひどいよっ!」
 あゆが必死になって叫んだ。このままでは自分が元に戻れないと知ってショックを受けたからだ。
「お母さん、あゆちゃんを元に戻すジャムとかは作れないの?お母さんなら作れるでしょ」
 名雪が質問した。秋子さんならいつも自家製のジャムを作っているし、あゆを元に戻すことも出来るのではないかと期待したのだ。
「名雪、ごめんなさい・・・元に戻すジャムの作り方は知っているんだけど、この時代の材料では作ることが出来ないの」
「え、なんで?」
 名雪が驚いた。自分の母親である秋子さんならいつものように「了承」の一言で何でも出来ると思っていたからだ。
「名雪もあのジャムを見て分かると思うけど、わたしの自家製ジャムはあのオレンジの色を出すために材料の中にけっこう合成添加物を入れているの。その合成添加物がこの時代には存在しないのよ。だから作ることが出来ないの」
「そうなんだ・・・」
 名雪ががっかりした表情を浮かべた。
「それじゃ、ボクはずっとこのままなんだ・・・」
 あゆが涙目で二人のほうを向いた。このまま元に戻らなかったらどうなるのだろう?そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「あゆちゃん。あなたが小さいままでもわたしがずっと大切にしてあげますよ」
「そうだよ。あゆちゃんはわたしやみんながいつもやさしくしてあげるんだよ。だからあゆちゃんは心配しなくていいんだよ」
 秋子さんと名雪はそう言いながらやさしい手であゆの頭をていねいにさすってあげた。
「うん、ありがとう」
 あゆはそう言うと2人に向かって必死に笑みを浮かべた。

 翌朝、祐一たちは帝劇の一室で朝食を取っていた。みんなは椅子に座って、小さいあゆだけは一人ちょこんとテーブルの上に座っていた。あゆの食事だけ特別に小さいお皿に盛り付けてあり、横に箸代わりのつまようじが2本置いてあった。
 今日の朝食は銚子で取れたアジの開きとお漬物だった。みんなはさっそくテーブルにつくとおいしそうに朝食を取りだした。しかしなぜかあゆと名雪と秋子さんは暗い顔つきで食事をしていた。
(何だかあゆたちの態度が妙に白々しい朝食だな。何か隠し事でもあるのかな)
 名雪たちの変な様子に気付いた祐一が不審に思った。
「名雪、どうした?具合でも悪いのか?」
 気になった祐一がアジを食べながら名雪に聞いた。
「ううん、別になんでもないよ」
 名雪が返答した。
「秋子さんも、なんか隠し事でもあるんですか?」
「い、いえ、何もないですよ」
 秋子さんもぼかして答えた。
「おい、あゆ、今日は妙に元気ないな。お前らしくないぞ。何かあったのか?」
 祐一が今度はあゆに聞いた。
「ねえ祐一君、祐一君はボクのこと好き?」
 あゆは祐一の方を向くといきなり質問した。
「何だよ、いきなりやぶから棒に」
 祐一がビックリして答えた。唐突にあゆが話しかけてきたので面食らったのだ。
「ボクの事、本当に好き?」
「もちろん好きだぞ」
「ありがとう」
 あゆはそう言うと口元に笑みを浮かべた。
「心配しなくても、あゆさんはみんなのアイドルなんですよ」
「はちみつくまさん」
 それを横で聞いていた佐祐理と舞があゆの様子を見て話しかけてきた。
「あゆさんはみんな大好きですよ。嫌っている人なんていませんよ」
「そうだよ。かわいくて、明るくて、元気だし」
 栞と真琴もそれに加わった。
「みんな・・・ありがとう・・・」
 みんなの言葉を聞いたあゆは思わずうれしさのあまり涙を流した。みんなが小さいままのあゆを大事にしてくれると聞いて心の底からうれしかったのだ。
「さあさあ皆さん、食事を続けましょうね」
 それを横から見ていた秋子さんがあゆの表情を見てほっと一安心してそう言った。それを聞いたみんなは再び朝食を取り始めた。

 それからしばらくしてあゆが話し始めた。
「ねえ祐一君。このままボクたちが元の時代に戻れなかったら、これからこの世界はどうなっちゃうの?」
「うん、そうだな。このあいださくらさんに聞いたんだけど、この世界の年号は今まで『明冶』、『太正』となってるそうだ。だから、今度は多分『照和』とかになるんじゃないかな」
「そうなんだ」
「ねえ、それってひょっとして『紺碧の艦隊』?」
 祐一の発言に思い当たる節があった名雪が横から質問してきた。名雪は女の子なので『紺碧の艦隊』を読んだことはない。しかし、陸上部の部長をやっている関係上部員のうわさ話からどんな内容の本なのかはうすうす知っていたのだ。それに、名雪もこれからこの世界がどうなるのか気になっていた。
「ああ、多分そうだ。年号がそれっぽいし」
 祐一は年号がそれっぽいであっさり片付けてしまった。ちょっとひどいかもしれない。
「え〜っ!?これからこの世界はあんな風になっちゃうんだ、何か怖いよ」
 名雪が困惑した表情を浮かべた。
「ねえ、2人とも何でそんなに怖がってるの?」
「あゆちゃん、世の中にはね、何も知らない方が幸せなこともあるんだよ」
 名雪が笑いながら諭すように答えた。しかし、その顔は恐怖におびえているように見えた。
「そんな歴史嫌いです!」
 それを聞いていた栞が嫌がった。当然といえば当然だが。

「あの・・・」
 みんながそんな話でガヤガヤ話している最中に佐祐理が何か話しかけようとしてきた。しかし、その途中で今まで横で話を聞いていた真琴が話し出した。
「あうー、でもマンガ版はパンチラや萌えキャラが多かったよ」
 突然、いつもマンガばっかり読んでいる真琴が珍しく発言した。もちろんここで真琴が言っているのが飯島版『新旭日の艦隊』であることは言うまでもない。
「あらあら、それは困りましたね。この年でパンチラとか言われても」
 秋子さんが困惑した表情を浮かべた。さすがの秋子さんもそこまでは勇気がないようだ。
「そんな歴史もっと嫌いです!」
 栞がさらに不愉快そうな表情を浮かべた。

「あの・・・みなさん・・・」
「どうしたのかしら、佐祐理ちゃん?」
 佐祐理の態度にようやく気が付いた秋子さんが佐祐理の方を向いてたずねた。
「みなさん、そう言えば、変なことがあるんです。佐祐理たちがタイムスリップしたこの時代は太正15年です。西暦に直すと1926年です。それはいいですよね?」
 佐祐理が話し始めた。
「うんうん、それで」
「それで舞がここで友達になったレニって子がいるんです。ドイツ人なんですけど、舞と気が合うらしいんですよ」
「彼女は、かなり嫌いじゃない」
 レニは、舞がここに来て知り合った女の子である。女の子だが普段は男の子のような服装をしていて男言葉でしゃべっている。舞と同じように無表情で無口な性格で、そのせいか舞とはかなり気が合うようだった。それにしても、今まで舞が「嫌いじゃない」と思った人は祐一と佐祐理だけだったのだから凄いことである。
「そこで、舞がレニに『ドイツのミュンヘンで1923年ごろ何か事件はなかった?』って聞いてみたんです。
「ミュンヘンで1923年って、何かあったっけ?」
 祐一が疑問に思った瞬間・・・

 ズポッ

 舞の突っ込みチョップが祐一の脳天に炸裂した。
「・・・1923年は、ミュンヘン蜂起があった年」
 舞がぼそっとつぶやいた。
 ちなみにミュンヘン蜂起(「ミュンヘン一揆」とも言う)とは、1923年にナチス党党首のアドルフ・ヒトラーがミュンヘンで武装蜂起した事件のことである。この蜂起自体は短期間で鎮圧されるが、この事件以降ドイツでヒトラーとナチス党が台頭するきっかけとなる歴史的なターニングポイントである。
「ちょっと待て、どうして舞がそんな知識をもってるんだ?」
 祐一が驚いた。祐一は高校3年生になったので世界史をやっているがまだそんな時代まで授業の内容が進んでいなかった。しかも高校の授業時間では学年末までに到底20世紀までやることは不可能だったので、いつも世界史は尻切れトンボで終わるのが普通だった。だからなぜ舞がそんなことを知っているのか不思議だったのだ。
「実はですねーっ、一月ほど前に、佐祐理は舞と一緒に映画『鋼の錬金術師―シャンバラを征く者―』を見に行ったんです。前売り券で見て面白かったよね、舞」
「はちみつくまさん」
「あー、舞と佐祐理さんと2人だけで。うらやましいなー」
「祐一だってわたしやあゆちゃんと一緒に『スター・ウォーズ・エピソード3』見たじゃない。だから気にしないの」
 名雪がムスッとすねながら言った。名雪は祐一が自分よりも舞と佐祐理のことばっかり気にしたのでちょっと自分のことを見て欲しいとすねたのだった。
「あらあら、それで舞ちゃんがそんなこと知ってたんですね」
 それを聞いていた秋子さんが納得した表情を浮かべた。
「それで舞がレニに聞いてみたんです。そうしたら『何も事件はなかった』って言われたそうです」
「え?それ、本当?」
「・・・本当。『ミュンヘン蜂起なんて事件なかった』って言われた」
「ヒトラーは!?」
「・・・レニに『ヒトラーなんて人知らない』って言われた」
「「「「「えっ!?ええっ!?」」」」」
 それを聞いたみんなは一斉に驚いた。
「そうなんです。佐祐理も驚いたんですけど、この世界にはヒトラーは存在しないらしいんです。そういう佐祐理にも信じられないですけど」
「そ、そんな話が・・・どうなってるんだこの世界は!?」
 祐一が心底仰天した。そもそもタイムスリップだけでもとんでもないのに、さらにヒトラーが存在しないというとんでもない世界に来てしまったからだ。自分でもすさまじい世界に来てしまったと思った。
「わあ、本当にこの世界は祐一が言ったようなパラレルワールドなんだね。ヒトラーがいないなんて信じられないんだよ」
 名雪が感心した表情になった。名雪は単純にヒトラーがいないと知って喜んでいるみたいだった。

「佐祐理、この世界にもエドやアルがいる?」
「ふえ〜。さすがにいないんじゃないかな?舞」
「・・・ちょっと残念」

 こうして祐一たちがようやく朝食を食べ終わった頃、遠くから階段をドタドタと下りてくる音が聞こえた。その音の正体はさくらとアイリスだった。2人はそのままみんなが朝食をとっている部屋にやって来た。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます」
 さっそく2人はみんなにあいさつをした。
「あっ、さくらさんにアイリスちゃんだ!おはよう」
 それを見たあゆがにこにこ顔であいさつをした。
「おはようございます」
 テーブルに座っていたみんなも一斉にあいさつした。

 2人はそのままテーブルの近くまでやって来た。そこであゆの姿を見つけたアイリスが、さっそくテーブルの前までやって来た。そして、テーブルの真ん中に座っていたあゆのほっぺたを右手の指先でつんつん触りだした。
「わーい、あゆちゃんのほっぺた、ふわふわして柔らかーい」
 あゆのほっぺたをくりくりと触ったアイリスが大喜びしてはしゃぎ出した。あゆの頬がふわふわして気持ちよかったからだ。
「うぐぅ、やめてよっ」
 あゆが照れ笑いを浮かべながらそう言った。

「ねえねえ、あゆちゃん」
 アイリスがにこにこしながら話しかけてきた。
「なーに?」
「何であゆちゃんは自分のことを『ボク』って言うのかな?」
「えー、ボクはボクだよ」
 あゆが恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「うふふ、ほらまた『ボク』って言った。女の子なのにヘンだよ」
「そうかな?」
 あゆはどうして自分の一人称を「ボク」と言うのか聞かれて困惑した。あゆは昔からいつも「ボク」で通してきたので、自分では疑問に感じていなかったからだ。それにそのことを突っ込んできたのは今まで祐一だけだった。それで、何でアイリスが祐一と同じ事を聞くのか不思議に思った。
「それに何であゆちゃんは半ズボンをはいてるの?スカートじゃないの?」
「ボクのいた未来では女の子でも普通にズボンをはいてるよ。それにボクも小さい時はスカートをはいてたよ」
 あゆが説明した。
「それでも寒い春先なのに半ズボンなんておかしいよ」
「そうかな?ボクってそんなにおかしいかな?」
 あゆは首をひねった。自分がそんな風に思われているのかと思ったからだ。
「うふふ、あゆちゃんって面白いね。だからアイリスも大好きだよ」
 アイリスが笑いながらあゆを眺めた。アイリスは幼かった頃霊力があったせいでいつも一人ぼっちで友達がいなかった。だから自分と同じ年頃に見える(実際はあゆの方が年上だがあゆが童顔なので)あゆが好きになったのだ。
「あゆちゃん大好き。ずっと、ずっと一緒にいてね」
 アイリスはそう言うと楽しそうにあゆの頭をなでなでしていた。
(「ずっと一緒」って・・・それって、ボクが二度と元の時代に戻れないってこと?)
 その一方で、あゆの心にそんな不安がよぎった。でも、別にアイリスが悪意をもって言ったのではないと知って心の隅にしまって置くことにした。

 そうこうしているうちに朝食が終わった。そこでみんなはそれぞれ立ち上がり始め、自分達の泊まっている部屋へ戻る準備を始めた。
「さあさあ皆さん、食事もすんだことですし、わたしたちの泊まっている部屋を掃除しませんか?わざわざ帝劇の皆さんの部屋を貸してもらってるんですから、ご迷惑をおかけするのいけませんしね」
「はーい!」
「賛成」
 祐一たちは自分達の泊まっている部屋を掃除しようという秋子さんの提案を受け入れた。そしてみんなはそれぞれ自分達の部屋へと戻っていった。そしてテーブルの上には1人あゆだけが残された。
「ねえ、ボクはどうすればいいの?」
 あゆが質問した。
「あゆちゃんはアイリスと遊ぶんだよ」
 アイリスはそう言うと両手でそっとあゆをすくい上げた。そして大切そうにあゆを抱きしめると、そのまま楽しそうに大広間へと歩いていった。
「そうですね、アイリスちゃんならあゆちゃんとも仲良く遊んでいられますものね」
 それを横から見ていた秋子さんが納得した表情を浮かべた。そして安心した顔つきで部屋へと戻っていった。

「ねえねえ、何して遊ぶ?」
「ボクでも遊べるのがいいよ」
「じゃあ、すごろくをやる?」
「うんっ」
 そんなことを話しながら2人は楽しそうに歩いていった。

 そのころ祐一たちはみんなで自分達が泊まっている部屋の大掃除をしていた。以前祐一たちが帝劇から寝泊りのために借りた部屋である。部屋はかなり広かったが、さすがに大人数で一週間も部屋にいたので、部屋の中はかなり散らかっており掃除をしないとどうしようもない状態に陥っていた。
 みんなは部屋の掃除で忙しそうだった。あまり掃除とは縁のなさそうな佐祐理や舞もみんなと一緒になって掃除をしていた。普段なら絶対に掃除なんかやらない真琴まで雑巾がけをしていた。
 しかし、なぜか栞だけが窓の外に頭を出してぼんやりと外の景色を眺めていた。どうもじっと帝劇の下の道を見ているようだ。それに気付いた祐一が気になって声をかけた。
「おい?どうしたんだ、栞」
「今、下の道をお姉ちゃんが歩いていました」
「お姉ちゃんって、香里はタイムスリップしてないはずだぞ」
 栞の一言に祐一が変な顔をした。香里は今回のタイムスリップに無関係のはずだからだ。
「きっと栞ちゃんはホームシックにかかったんだよ。だから香里が見えたんだよ」
 名雪が得意げに説明した。
「もう、たとえお姉ちゃんの友達でもそういうこと言う人嫌いです」
 それを聞いた栞はむすっとした表情を浮かべた。そして再び掃除に取りかかった。

 一方1階では、さくらが祐一たちが着替えるための服を探して集めていた。というのも、祐一たちはタイムスリップしてきた時に誰も代えの服を持って来ていなかったので、着たきりすずめだったのだ。今までは祐一たちの持っている服を夜に洗濯・乾燥させたりして何とか持たせてきたが、さすがに一週間もたったので祐一たちの服では間に合わなくなっていた。そこでさくらは、この時代の服でもいいから何か代わりの服を祐一たちに渡そうと考え、帝劇から使っていない服を集めていたのだ。幸い女性物の服はかなりあったので当面は何とかなりそうだった。
 さくらは集めてきた服を整理して積み上げていた。そうして、ようやく整理がついた頃・・・

 コンコン・・・

 帝劇の正面玄関の硬いドアをノックする音が聞こえた。
(こんな時間に誰かしら?)
 さくらは突然の来訪者に驚きながらドアに近づいた。
「ハロー」
 ドアの外から英語で声が聞こえた。そして、ドアノブを手で引いて背の高い白人の少女が入ってきた。利発そうな目鼻。髪は長髪の栗色で、肩のあたりまでウェーブがかかっている。髪の色を除くとどことなく香里に似ている容姿だ。年齢はさくらと同じくらいのようだ。黒いマントを着て、右手にはなにやら荷物の張ったトランクを持っていた。
 彼女はどことなく気取って、秀才らしい感じを受けた。ただその秀才らしさは聡明さを感じさせて、昔の織姫みたいに人を小馬鹿にしたようなおごった感じは受けなかった。

「あの、どなた様ですか?外人のようですけど?」
 さくらがあたふたしながら応対した。さくらは日本語しかしゃべれないのでどう応対していいのか皆目見当もつかなかったからだ。
「はい、私は日本語もわかりますよ」
 その彼女は口元にいたずらっぽい笑みを浮かべて日本語でそう答えた。
「ひょっとして、あなたはイギリスから帝国華撃団の活躍を調べにきた方ですか?」
「あら、どうしてそんなことを知ってるのかしら?」
「先日、大神さんからの手紙で知りました。『英国からここに調査に来る予定の人がいる』って」
「ふーん、もう情報が伝わってたのね。さすがは帝劇だわ」
 彼女は感心したようにうなずいた。
「ところで、まだお聞きしてなかったのですが、お名前は何というんですか?」
 さくらが質問した。
「イギリスから来ました。アゼリア・グレンジャーといいます、どうぞよろしく」
「アゼリア?グレンジャー?」
 さくらが聞き返した。
「ええと、スペルはAzalea Granger。アゼリアは英語で『つつじ』という意味よ」
 アゼリアは自慢げにすらすらと自分の名前について説明した。それにしても花の名前で「つつじ」というのはずいぶん上品な名前である。
「つつじさんなんですね。私は真宮寺さくらといいます」
「さくらさんね。チェリーブロッサム、いい名前だわ」
 アゼリアはにっこりと微笑んだ。

「ところでアゼリアさんは何で遠路はるばるわざわざこの帝劇にいらっしゃったんですか?調査だとは聞いていたんですが、内容を詳しく聞きたいです」
「実は英国政府からの要請で、帝国華撃団の活躍を調査するためにやって来ました。この東京はこれまで何度も帝国華撃団の活躍によって霊的な危機を克服してきました。そのことは英国政府でもよく知られています。そこで皆さんの活躍ぶりを是非ともわが国でも参考にしたいと、はるばる日本までやってきたわけです」
 アゼリアは得意げな態度でスラスラと自分が帝劇に来た理由を述べた。その態度から見てもかなり頭のいい秀才タイプの少女のようだった。
「でも、確かヨーロッパにはすでに巴里華撃団が?確か巴里華撃団を中心とした欧州防衛構想があると聞いていますが・・・」
「英国政府はフランスなどには頼らない独自の防衛機構を計画していますので」
 アゼリアが語気を強めて答えた。どうやらアゼリアの話し振りから見てイギリスは巴里華撃団と仲がよくないようだ、さくらは直感的にそう感じた。
「そうですか。ではどうぞ中にお入り下さい」
「ありがとう、さくらさん」
 アゼリアはそう言うと荷物の入ったトランクを持って帝劇へと入っていった。

「アゼリアさん、そんなマントを着ていて大丈夫ですか?」
 さくらが心配そうに話しかけた。というのも、アゼリアはさっきからずっと体がすっぽりはまる大きな黒いマントを体に羽織っていたからだ。そんな格好のアゼリアは何となく魔法使いか魔女みたいに見えた。
「あら、これは正装よ」
「そうですか」
 アゼリアの台詞にさくらは納得した。

 そのころ、あゆとアイリスは1階の大広間のテーブルの上ですごろくを楽しんでいた。ゲームもだいぶ進んだところで2人とも白熱していた。
「えいっ」
 アイリスがサイコロを転がした。
「アイリスちゃん、4が出たよ」
「4つ進むと、あれ『一回休め』だね」
 アイリスはそう言うと自分のコマを手にとって4つ先のすごろくのマスに進めた。

「はい、じゃあ今度はあゆちゃんの番ね。サイコロをふってね」
「よしっ、えいっ」
 あゆはそばに転がっていたサイコロを両手でつかむと、それを頭上に振り上げて思いっきり放り投げた。サイコロはあゆの目の前をころころ転がっていった。
「わあ、3が出た。ここから3つ進むと『2つ進む』だね」
 あゆは今度はすごろく上にあった自分のコマを両手でつかむと、それをすごろくのマスの文章で示されている位置まで持っていった。

 そのとき、玄関から誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。それに気付いたアイリスはあゆに目立たないように机の上で動かないでね、とささやいた。
「うん」
 あゆは納得した。

 そうこうしているうちにさくらとアゼリアが大広間に入ってきた。アゼリアはすぐにアイリスが机のそばに座っているのに気がついた。
「あら、こんにちは、お嬢ちゃん」
 アゼリアが大広間にいたアイリスに軽くあいさつをした。
「こんにちは」
「こちらは、同じ花組のアイリスという子です。フランス人なんですよ」
 さくらがアゼリアに紹介した。
「お嬢ちゃん、あたしはアゼリア・グレンジャーと言います。ここから遠いイギリスからはるばる来たのよ」
 アゼリアが自己紹介した。

「あら」
 アゼリアが机の上にいたあゆに気付いた。さっそく近寄ると興味深そうに眺めていた。
「へえ、これはずいぶんと可愛らしいお人形さんね」
「うぐぅ」
「わあ、このお人形さんしゃべるのね。ところでゼンマイはどこかしら?」
 アゼリアは左手であゆの体をつかまえて持ち上げると、後ろにゼンマイが付いていないか興味津々といった表情で背中を見回した。そしてゼンマイがついていないのに気付くと、今度はあゆのセーターの中に指をねじ込んでゼンマイを探し始めた。アゼリアには、どうやってこの人形が動いているのか不思議だったからだ。
「ひどいよ、ボクお人形さんじゃないもんっ!」
 アゼリアに体中をいじられたあゆがかんかんになって怒り出した。
「わー、答えた!」
 それを聞いたアゼリアが驚いた。自分の声に答える人形なんて今まで見たことがなかったからだ。
「それじゃあなたは妖精さんね、かわいいわ」
 アゼリアはそう言うと、あゆの体を手でつかんで自分の頬に持っていった。あゆを妖精だと完全に誤解しているようだ。どうやら頬ずりをするつもりらしい。
「あたし、かわいいの大好き」
 そう言うとアゼリアは楽しそうな表情であゆの頬ずりを始めた。とっても気持ちがいいらしく、夢中で何度も何度も頬ずりを繰り返していた。

 すりすり、すりすり

「息が詰まるよっ!」
 あゆが苦しそうに叫んだ。アゼリアがあまりに強引に頬ずりをするのであゆは窒息しそうになったからだ。それに頬ずりの摩擦でだんだん押しつぶされていくような気分になっていった。
「羽毛みたいにふわふわして、気持ちいい」
 一方、アゼリアは楽しそうだった。あゆのほっぺたがふわふわしていて、頬ずりをするととても気持ちいいからだ。
「うぐぅ、やめてよ。これじゃ頬ずり地獄だよ・・・」

「アゼリアさん、やめて下さい」
「お姉ちゃん、やめてよ。あゆちゃん嫌がってるよ」
 それを見ていたさくらとアイリスが止めに入った。このままだとあゆがケガしてしまうと心配になったからだ。
「アゼリアさん、あゆさんは妖精さんなんかではないんです、だからやめて下さい」
「え、そうなの?」
 アゼリアはそう言うと頬ずりを止めた。そしてあゆを机の上に戻した。
「本当だよっ!ボクは妖精じゃないもんっ!」
 あゆがかんかんになって怒った。自分が妖精だと間違えられた上に頬ずりまでさせられたからだ。
「そうだったの、ごめんなさい」
 アゼリアは前かがみになってあゆを見下ろすと頭を下げて心から謝罪した。あゆを妖精だと思っていきなり頬ずりしてしまったからだ。
「アイリスちゃん、このお姉ちゃん嫌いだよっ、早く行こう」
 あゆはそう言うと机の上にあったすごろくやサイコロを片付け始めた。それを見ていたアイリスも一緒になってすごろくをしまい始めた。そしてすごろくをしまうと、それとあゆを大事そうに両手に抱えて立ち上がった。そして、2人を無視してさっさと大広間を出ていってしまった。
「アイリス、アゼリアさんは決して悪気があってこんなことをしたんじゃないんです。だから機嫌を直して」
「お嬢ちゃん、大切なお友達を傷つけちゃってごめんなさい。全部あたしが悪かったの」
 それを見ていたさくらとアゼリアが必死なってアイリスの機嫌を直そうとした。しかし、
「アイリス、あゆちゃんをいじめるお姉ちゃんなんか大っ嫌い!」
 アイリスはそう言うとむくれたまま自分の部屋へ入っていった。
(ごめんなさい、これからどうしたらいいのかしら・・・)
 アゼリアは心の底から反省していたが、後の祭りだった。


 つづく


あとがき

 病気のせいで一年以上間があいてしまいました。第14話です。

 ファミリーネーム(苗字)で分かった人もいると思いますが、アゼリアは『ハリー・ポッター』シリーズに登場する魔法使いのハーマイオニー・グレンジャーの先祖という設定です。花組と関連付ける目的で花の名前にしました。ハーマイオニーは普通の人間の家族から生まれた魔法使いなので、恐らくアゼリアの能力が隔世遺伝したのでしょう。
 他の名前の候補には花の名前でローズ(ばら)、リリー(ゆり)、デイジー(ひなぎく)、ダリアなどがあったのですが、ローズはよくある名前ですし、イギリスらしい気品ある名前ということでアゼリアにしました。以前泊まったホテルのレストランの名前が「アゼリア」だったこともありますが。
 ハーマイオニーは香里のイメージですね。髪形も似ていて秀才で勉強家ですし。でも友達がいないから美汐なのかな?

 今後の問題はアゼリアがあゆやアイリスと仲直りできるかどうかですね。


管理人のコメント

長いブランクを経て、「あゆちゃんの冒険」が帰ってきました。まずはモーグリさん、復帰おめでとうございます。

さて、本編ではまだまだ続く太正時代編。あゆたち一行は元の時代に戻れるんでしょうか?


>タイムスリップしている時間はジャムの効き目の期限には入らないらしいの

すると、生物学的な時間ではなく、物理学的な時間をカウンターにしている? 謎な……流石は謎ジャム。


>「ねえ、それってひょっとして『紺碧の艦隊』?」

言われてみれば、確かに紺碧世界とサクラ大戦の世界は年号が同じです。もちろん直接の繋がりはないんでしょうが、なんかいやな符号ですね(苦笑)。栞の気持ちも良くわかります。


>「イギリスから来ました。アゼリア・グレンジャーといいます、どうぞよろしく」

新キャラ・アゼリア登場。13話に出てきた「グレンジャー少尉」は彼女だったんですね。


>イギリスは巴里華撃団と仲がよくないようだ

まぁ、英仏は歴史的に宿敵ですからね(笑)。


>「アイリスちゃん、このお姉ちゃん嫌いだよっ、早く行こう」

命の危険に晒されたにしても、アゼリアも素直に謝っているんですから、あゆは少し怒りすぎのような。まぁ、なんにせよ仲直りはして欲しいものです。

アゼリア登場で今後の波乱が予測される展開。果たしてあゆ一行は元の世界に戻れるんでしょうか?


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