あゆちゃんの冒険

第10話
バック・トゥ・ザ・太正時代

作:モーグリさん



「ドライブ、ですか」
 あのアイス大食い大会があった翌日、祐一は突然秋子さんから思いもかけない誘いを受けた。なんと秋子さんが今度の祝日に祐一たちを連れて山にドライブに行こうと言い出したのだ。
「はい、今度の祝日にここにいるみなさんと車でドライブに出かけようかと思っているんです」
 秋子さんはそう言うと自分のポケットから運転免許証を取り出した。
「普段はペーパードライバーですが、こう見えても運転は結構自信があるんですよ」
「でも秋子さん、家に車がないですけど」
 祐一が心配して聞いた。というのも、祐一はこの家に来てから今まで一度も秋子さんが車を運転するのを見たことがなかったからだ。
「大丈夫です。ちゃんとレンタカーを予約してありますから。こう見えても祐一さんが来る前は時々名雪をつれてドライブに行っていたんですよ」
「わたしもお母さんとドライブなんて久しぶりだよ。楽しみだよ」
 名雪もドライブと聞いて顔に満面の笑みを浮かべた。名雪は前に何度も秋子さんとドライブに行っていたので、ドライブと聞いてうれしくなったのだ。
「うんっ、ボクも行きたいよっ」
「わーい、ドライブ、ドライブ」
 それを聞いたあゆと真琴が大はしゃぎで喜びだした。二人とも、今までドライブに行ったことが一度もなかったので今回のドライブがすごく楽しみだったからだ。
「もしよろしかったら、祐一さんのお友達を連れてきてもいいですよ。お昼のお弁当は全部わたしが作りますから、みなさんは手ぶらでもOKですよ。ドライブは大勢のほうがにぎやかで楽しいですからね」

 翌日、祐一は学校で友人にドライブの誘いをかけてみた。
「水瀬家の皆さんといっしょにドライブって面白そうですね、私も参加していいんですね」
「あははーっ、佐祐理も行きたいです」
「・・・私も行く」
 こうして、祐一の誘いを聞いた栞と佐祐理と舞が一緒にドライブに行くことになった。ただし、美汐は家の用事が忙しくてあいにくドライブには参加できなかった。

 数日後、ドライブに参加する人たちが水瀬家に集まってきた。水瀬家の門の前には秋子さんが予約したレンタカーが停車していた。
「うわあ、秋子さん。こんなすごいヤツをレンタルしてきたんですか」
 レンタカーを見てビックリする祐一。何と秋子さんがレンタルしてきたのは、大人数でも楽々乗れるワゴン車タイプの車だったのだ。
「皆さんが乗れるように大型の車を借りてきました」
「それにしても、本当に大きいですね」
 栞が関心したようにワゴン車をさわった。
「ところで栞、香里はどうした?」
 祐一が香里のことを気にして栞にたずねた。
「お姉ちゃんはこのあいだから家で『月宮さーん、月宮さーん』ってうなって寝ています」
「よっぽどあの事件がこたえたんだな。香里の奴これにこりて反省するといいけど」
 祐一が香里のことを心配してそう言った。

 水瀬家に集まったみんなはガヤガヤ言いながら楽しそうに車に乗り込んでいった。名雪が助手席に座ると、祐一と真琴と栞が真ん中の席に、舞と佐祐理が後ろの席に次々と座っていった。あゆは名雪がポケットに入れて車の中に持ち込んだ。
 みんなが車に乗り込んだのを確認すると、秋子さんはキーを入れハンドブレーキをはずして運転の準備を始めた。
「じゃあ皆さん、これから行きますよ」
 秋子さんはそう言うと静かにアクセルを踏んで車を動かし始めた。車はゆっくりと水瀬家を出発すると、一路山に向かって動き始めた。
「あうー、ドライブ、ドライブ」
 真琴が座席の上ではしゃぎだした。
「こら、真琴。秋子さんの迷惑になるから静かに座ってなきゃダメだろ」
 それを見ていた祐一が注意した。
「ごめんなさい」
「祐一さん、そんなに神経質にならなくてもいいんですよ。わたしもみなさんが楽しそうにしている方がうれしいですから」
 秋子さんは笑顔でそう答えた。

 車はさっそうと市街地を抜けて、山の中へと入っていった。山あいの道に来ると、さすがの休日でも対向車はまばらだった。しかも今日はとても天気がいいドライブ日和だったので、みんなも座席の上でガヤガヤ楽しそうに話をしていた。
 特にあゆは人気の的だった。みんなは小さくなったあゆを触ったりなでたりして楽しそうに遊んでいた。あゆもそれにつられて栞の手のひらの上ででんぐり返しをした。
「うふふ、かわいいですね、あゆさんは」
 あゆのでんぐり返しを見た栞は楽しそうにあゆの頭をなでなでしていた。

 ところが車がしばらく山道を走っていると、天気がだんだんと悪くなりはじめた。空にどんどん雨雲のような雲がかかり、それが空一面にだんだんと広がっていった。
「あらあら、雨かしら」
 その様子を見ていた秋子さんが心配そうにつぶやいた。
「それってにわか雨じゃないんですか。けさ家を出る前にテレビの天気予報で山間部に降るって言ってましたよ」
 後ろの座席から祐一がそう答えた。

 ポツ、ポツ・・・

 そうこうしているうちに空から雨が降ってきた。ぽつぽつと音を立てながら、雨がフロントガラスに当たってはじけた。秋子さんはさっそくワイパーを動かすと、フロントガラスに付いた雨を落として走り続けた。
「あらあら、降りはじめました。これでは一雨ありそうです」
 秋子さんが困った顔つきで運転していた。
「多分にわか雨だから気にしなくていいですよ」
 祐一はそう言って秋子さんを安心させようとした。

 しかし雨はおさまるどころが、どんどん強くなってきた。上から叩きつけるように降ってきた雨が音をたてて車のガラスにぶち当たった。しかも上空では雷の音までしてきた。ピカピカと稲妻が光り、閃光が空をおおった。

 ザザー・・・
 ビカッ
 ゴロゴロゴロ・・・

「うわっ、雷だよ、怖いよっ」
 突然の雷にあゆが怖がっていた。
「雷なら大丈夫です。以前テレビで『落雷があるときは車の中にいれば安全だ』って言っていましたよ」
 秋子さんが落ち着かせようとしてそう言った。確かに昔そういう話を聞いたことがあったと祐一は思った。
「これって本当ににわか雨でしょうか」
 栞が心配そうな顔つきで話しかけてきた。
「大丈夫ですよ、天気予報ではすぐに降り止むって言ってました」
「だといいですね」
 栞はそう言うと車の中から窓の外を眺めていた。サイドガラス越しに見える空は一面黒雲一色になって、盛んに雷鳴が轟いている。

 ガッシャーン!!

 ついに稲妻が秋子さんたちの乗っていた車に命中した。盛大な音を立てて雷が落ちる音があたりにこだました。その轟音と衝撃で車はすさまじい勢いで上下に震えた。
「うわあああああっ!!!」
 そのショックで乗っていたみんなも一斉に気絶してしまった。
 
 どれくらい時間がたったのだろうか。一瞬とも永遠とも思える時間がすぎてから、秋子さんは正気に戻った。
「・・・ん?」
 落雷のショックでハンドルに顔をうずめていた秋子さんが顔を上げると、車は今までの出来事が何もなかったかのような快調なペースで山道を走っていた。しかも、空は今までの雷雨がうそのように晴れ渡っていた。どうやらにわか雨は峠を越したようだった。
(一体なんだったのかしら、さっきの落雷)
 秋子さんは一瞬疑問に思ったものの、すぐに気を取り直して運転を続けた。
「秋子さん、これって一体?」
 後ろで倒れていた祐一が気付いて目を開けた。そしてすぐに秋子さんが無事かどうかを確認するとゆっくりと起き上がった。
「落雷があった、らしいですね。でも車は無事なようです」
 秋子さんが祐一にそう話した。
「みなさん、大丈夫でしたか?」
 秋子さんはそう言うと、他の人たちが無事かどうかを確かめていた。
「うんっ、大丈夫だよ」
「こっちは大丈夫だよ、お母さん」
「真琴も大丈夫」
「ちょっとビックリしちゃいましたけど、私も平気です」
「佐祐理も大丈夫です」
「・・・私も」
 みんなが次々に声を出した。どうやら、落雷でも全員無事なようだった。

 秋子さんがふたたびハンドルを握って少したってから、あゆが突然声をあげた。
「あれっ秋子さん、そこのカーナビの画面が消えてるよっ」
 あゆが秋子さんの横に設置されていたカーナビが作動していないことに気が付いた。見ると確かにあゆの言うようにカーナビの画面がしま模様になって動かなくなっていた。
「あ、本当だ。さっきまではちゃんと動いていたのに、どうしたんだろう?」
 祐一もカーナビを見つめた。確かに祐一の言う通り、さっきまでカーナビはしっかり動いていたのだ。
「あらあら、おかしいですね、カーナビがいきなり故障するなんて」
 秋子さんはカーナビのスイッチをあっちこっちグリグリと押してみた。ところがカーナビにはいつまでたっても画面がつかなかった。
「あれあれ、直りませんね・・・さっきの雷のせいでしょうか?レンタカーなのにカーナビを壊してしまったらどうしましょう・・・」
 秋子さんが「これは困ったわ」という顔つきになった。
「でも故障じゃないみたいだよっ。だって、画面は正常に動いてるもんっ」
「あら、本当ですね」
 秋子さんがハンドル片手にカーナビをいじりながら確認した。確かに、あゆの言う通りカーナビはどこも故障していなかった。
「おいおい、ってことはここまで電波が届いてないのか?それとも人工衛星が故障したのか?」
 祐一が突っ込んだ。確かにそうでも言わなければ壊れていないカーナビが作動しない理由が分からなかったからだ。
「うふふ、まさか、祐一の取り越し苦労だよ」
 それを横で聞いていた名雪が笑い出した。

「あれ、おかしいよ」
 少したってから今度は名雪がおろおろし始めた。ポケットから携帯電話を取り出すと、何度もボタンをプッシュしている。
「おい、どうした名雪?」
「わたしの携帯もさっきから全然通じないよ〜」
 名雪が困った様子で携帯電話をいじっていた。どうやら、さっきの雷のせいで携帯電話も不通になったようだ
「名雪、その携帯電池切れなんじゃないの?」
「ううん。わたしのは「カメラ付携帯」でカメラの方はバッチリ写るんだよ。ほら」
 名雪がカメラ付携帯で祐一の顔を写してそう言った。確かに画面上には祐一の顔がしっかりと写っていた。名雪にもなぜ携帯がつながらないのかよくわけが分からない様子だった。
「圏外なのかしら?」
 名雪が不思議そうな顔つきで携帯電話をながめていた。
「おそらくさっきの落雷の影響でこの辺一帯の電波状況が悪くなってるじゃないのか?そう考えればカーナビの一件も説明がつくしな」
 祐一がそう言い出した。祐一にとって、今のところこれらの怪現象を説明するのにはそれが一番納得がいくと思ったからだ。
「ふぇーっ、そんなハプニングなんて珍しいですねーっ」
 佐祐理が笑いながら答えた。
「祐一さん、今日はえらくミノフスキー粒子が濃いですね」
「おいおい、いきなり何てこと言い出すんだよ」
「えへへ、冗談です。驚きましたか?」
 栞はそう言うとニコニコ笑い出した。

「あれ、お母さん。さっきまで舗装道路だったのに今は土の上を走ってるよ」
 ふと道に目をやった助手席の名雪が不思議そうな顔つきでそう言った。確かに、今までのアスファルトで舗装された道がなくなっていた。その代わり横に電信柱が立っている踏み固められた土の道がずーっと向こうまで通じていた。それは、まるで昔の時代劇に出てくるような街道を見ている雰囲気だった。
「あ、本当だっ」
 あゆもビックリした顔つきになった
「本当ですね、どうしたんでしょうか」
 秋子さんも不思議そうな顔つきになった。

 しばらく走っていると、車は山間部を抜けて町の中に入っていった。
「・・・みんな、なんか風景がおかしい」
 それまで無口だった舞が外の様子をみてそう言った。
「はえーっ、そういえば町並みが戦前みたいに急に古くなってますねーっ」
 舞の横にいた佐祐理が笑顔でそう答えた。
「きっと昔の町並みを保存してる所とか、ドラマのロケをやってる所とかに迷い込んだんですよ」
 栞が横からそう言った。
「そうですね」
 秋子さんも納得した。
「でも変だな。それにしては町で歩いている人の格好がヘンだ。妙に古臭い和服姿の人たちが多いぞ。しかも止めてある車がみんな昔の車ばっかりだ」
 祐一がいぶかしげにそうつぶやいた。
「祐一、それはドラマの撮影のエキストラさんよ」
 真琴はそう答えるとはしゃぎながら夢中になって外の風景を見ていた。
「そうですね。ドラマの撮影中なんて珍しいですね」
 それを聞いて後ろで座っていた佐祐理が納得した顔つきになった。
「そうなのかな・・・」
 突然祐一は何か不審な物にでも気付いたような顔つきになった。そして目線をそらすと、一人で静かに考え始めた。

 ボーッ!!
 シュシュシュシュシュ・・・

 さらに車が道路を走っていると、突然けたたましい汽笛の音を立てながら、機関車が道路の左横の線路から現れた。機関車は車と平行に走りながら、そのまま勢いよく車を走り抜いていった。そして後ろに乗客を大勢乗せた列車を何両も牽引していた。力強い響きと主に、大量の白煙を巻き上げながら、機関車が力強い叫びを上げて疾走していく。
「わあ、みんな見て、機関車だよっ」
 機関車を見たあゆが有頂天になって叫んだ。
「あら本当ね、珍しいわ」
 秋子さんも機関車を見て物珍しげにそう言った。
「うん、カメラで撮っておこうよ」
 名雪が車の窓を開けてカメラ付携帯を機関車に向ける。
「わーい、機関車、機関車」
 真琴がはしゃぎながら機関車にピントを合わせてカメラのシャッターを切った。
「あははーっ、汽車って本当にかっこいいですねーっ」
 佐祐理が楽しそうにそう言った。
「うわあ、立ち上る煙に石炭のにおいがただよっていて『本物の機関車』って感じです」
 窓をあけて煙のにおいをかいだ栞がそう感想をもらした。
「やっぱりおかしいな。最近このへんでSLを運行してる路線なんてなかったはずなのに」
 祐一は一人納得のいかないような顔をしていた。そして機関車を見て大喜びするヒロインたちを尻目に、一人シートに座って考え込んでいた。
「・・・祐一、どうしたの?」
 そんな祐一の態度を見ていた舞が話しかけてきた。
「舞か、実はさっきから気になっていることがあるんだ・・・」
 祐一がそう口にもらした。祐一はさっきからまわりの様子が変だと感じて内心不安に襲われていたのだ。
「・・・やっぱり・・・私も気になってた」
 舞も同意した。舞もさっきから何だか様子が変だと自分の直感でうすうす感づいていたのだ。
「そうか、舞も感じてたのか・・・」
 祐一は納得したような表情を浮かべると、ふたたび下を向いて考え事を始めた。

 機関車を見てから少したつと、車は市街地へと入っていった。車がしばらく市街地を走っていると、外の風景を見ていた真琴が変な顔つきになった。さかんに首をひねっている。
「あうー、さっき通った家、なんか変だった」
「真琴ったら、どこが変だったのかしら?この辺の町並みは最近ではあまり見かけない古い町並みみたいですけど」
 秋子さんがおっとりとした表情でハンドルを操作しながらたずねた。
「じつは店の看板が普通とは逆に右から左に文字が書いてあった」
「えっ!?真琴、本当かそれ!?」
 横から祐一が驚いた表情で口出ししてきた。
「祐一、真琴はウソはつかないよ」
 真琴は自身満々の顔つきになった。
「やっぱりだ、恐れていたことが現実となった・・・」
 祐一はそう言うと、一言も言わずに頭を抱えてその場にうずくまった。
「祐一、何なの?恐れていたことって?」
 助手席でそれを見ていた名雪が不思議そうな顔つきで祐一の方を向いた。名雪はなぜ祐一があたふたしているのかぜんぜん見当もつかなかったからだ。
「ああ、間違いない、タイムスリップだ」
 祐一はそう断言した。

「「「「「タイムスリップ〜!?」」」」」
 祐一のその一言を聞いたヒロインたちが一斉にビックリしてそう叫んだ。いきなり、祐一からタイムスリップなどというSFじみた話を言われたからだ。
「そうだ、さっき雷があっただろう。あのとき、落雷のショックで俺たちは過去へとタイムスリップしてしまったんだ」
「祐一さん、タイムスリップなんてこのあいだヒットした映画『戦国葉鍵隊』みたいな話ですね。そんなことって本当にありえるんですか?」
 栞が目を白黒させながら祐一のもとに詰め寄った。
「そうだよ、祐一。タイムスリップなんて真琴が読んでるマンガみたいな事あるわけないじゃないの!?」
 真琴がそう反論した。いくらなんでも突然タイムスリップなどと言われたのだから当然の反応である。
「ところで真琴が読んでるマンガって何なのかしら?」
 秋子さんが不思議そうに質問した。秋子さんは真琴がマンガ大好きなのは知っていたが、一体どんなマンガからタイムスリップなんて知識を得たのか不思議だったからだ。
「あうー、かわぐちかいじの『ジパング』」
 真琴が恥ずかしそうに答えた。
「でも、そう考えればさっき落雷があってから俺たちが見てきた出来事にすべて納得がいくんですよ」
 祐一はそう断言した。
「そんな・・・」
 みんなは祐一の発言にあ然となった。
「でも確かにさっきのカーナビの一件もタイムスリップと考えれば納得がいきますね。タイムスリップなんてわたし自身半信半疑なんですが」
 秋子さんがおっとりした顔つきでハンドルを操作しながら答えた。さすがにタイプスリップと聞いても全然動揺しないのが秋子さんらしい。
「秋子さん、俺だって半信半疑なんですよ。でもこの風景を見ていたら他に説明がつかないじゃないですか。俺もそれ以外の可能性を考えたんですが、どう考えてもこうとしか説明つかなんですよ」
 祐一が険しい表情になった。タイムスリップなんてハナから荒唐無稽な話を本気で自分で言っているのだから仕方がないともいえるが。
「祐一、それでどこにタイムスリップしたの。まさか『ジパング』みたいに戦争中?」
 真琴が不安そうな顔つきで質問した。もし戦争中だったら、すぐさまこっちの命にもかかわる重大事態になりかねないからだ。
「うぐぅ、戦争は怖いよっ!」
 あゆが怖がった。
「いや、それはない。町並みを見ていても戦時色が全然感じられない。時代はともかく戦争中じゃないことは確かだ」
 祐一は怖がる二人を安心させようとしてそう言った。確かに祐一が言うとおり、街には戦争中の雰囲気は微塵もないようだった。
「じゃあ祐一、今はいつ頃なの?」
 今度は名雪が質問した。
「俺もはっきりとは断定できないけど、歩いている人々の服装から見て明治末か大正時代ってところじゃないかと思う。あくまで俺の推理だけど」
「それじゃ、どうしたらいいのかしら?祐一さん」
 秋子さんが困った顔つきでそう答えた。正直なところ、さすがの秋子さんもこの事態を前にしてどうしたらいいのかさっぱり見当がつかないようだった。
「とにかくこの車で人通りが多い市街地か公園かどこかに出ましょう。そこに駐車して、降りてから出会った人に今日が何年何月何日か聞いてみるんです。そうすれば迷い込んだここがいつだかはっきりすると思います。あと、みなさんはみだりに変なことはしないほうがいいと思います。この時代の人たちがタイムスリップについて理解があるとは思えないですし、下手に事件を起こしてタイムパラドックスが発生したら大変なことになるはずです」
 祐一が提案した。それは、祐一が即席で考えた無難な考えだった。実のことを言うと、さしもの祐一にもはっきり言ってどうしたらいいのかよく分からなかったからだ。
「分かりました、とりあえず公園を探してみます」
 秋子さんはハンドルを握りしめると軽くアクセルを吹かせた。

「ところで祐一君、さっき言った“タイムパラドックス”って何なの?」
 祐一の膝元にやって来たあゆが不思議そうにたずねた。というのも、あゆはさっき祐一が言ったタイムパラドックスという言葉が何なのか分からなかったのだ。
「タイムパラドックスというのはだな、過去にタイムスリップした人間が歴史を変えてしまってせいで、自分たちがいた時代の歴史が変わってしまうことだ。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかでネタにされてたやつだな」
「もうちょっと分かりやすく説明してよ」
「そうだな、分かりやすいたとえ話をしよう。まずあゆがタイムマシンを開発したと想像するんだ。タイムマシンを作ったあゆは『過去の事故から自分を助けよう』と思ってさっそく7年前に戻る。そして昔のあゆが大木から落ちるのを止めたとする」
「うんうん」
「そうすると、歴史を変えたせいであゆはそのまま高校生になる。当然あゆは奇跡を起こせないから、あゆが元の時代に戻ってみると、秋子さんや栞や舞といったあゆの奇跡で助かった人たちがみんな助からずに死んでしまっているんだ。あゆが歴史をいじったせいでまったく違う歴史が作られてしまったというわけだ。分かるか?」
「うん」
「だから不用意に過去をいじったらダメなんだ。まわりまわってどんな被害が自分たちに来るか分かったもんじゃないからな」
「うん、よく分かったよ、祐一君」
 祐一の言葉を聞いてあゆは納得した。

 しばらくたつと車は大都会の真ん中を走っていた。周りの建物はどれも戦前の雰囲気をしのばせる古い町並みばかりで、ビルは一軒もなかった。しかも街中を走っているのは古めかしい車やボンネットバスばっかりで、普通の車はどこにもなかった。さすがにここまで来ると、それまでは祐一の唱えるタイムスリップ仮説に疑いを抱いていた人たちも、本当にタイムスリップが起きたんだと納得せざるを得ない状況となった。
「本当に私たちタイムスリップしてきたんですね。まるでドラマみたいです」
 外の町並みを見ていた栞がつぶやいた。栞はこの戦前の風景を見ていると、なんだか懐かしいような気持ちになってくるのだった。
「ボクたちこれからどうなるんだろう?」
 あゆがボソッとつぶやいた。
「それは・・・」
 栞は言葉を詰まらせた。さすがの栞にも、これから自分たちがどうなるのかさっぱり分からなかったからだ。もっともそれは、この場にいる人たち全員の意見でもあった。

 さらに街の中をしばらく通っていると、今度は正面から大勢の人を乗せた古めかしい路面電車にすれ違った。みんなを乗せた車は路面電車と交差すると、一路公園のありそうな小高い山のようなところを目指して進んでいった。
「ここにしましょうね」
 さらに10分ほど運転したところで、秋子さんは車を止めた。秋子さんは公園の横に車をつけると、そこで車を止めてハンドブレーキを引いた。
 それから、みんなが次々に車から降りてきた。あゆは祐一が自分のポケットに入れて連れ出した。みんなが車から降りてしばらく歩くと、ほどなく
≪園公野上≫
 の看板が立っている一角に出た。公園はちょうど桜が満開で、人々が花見に集まっていた。

 上野公園は桜の名所だけあって大変な賑わいだった。秋子さんたちがいる所にも洋服や着物姿の男女が何人も歩いていた。さらに、桜の木の下に新聞紙を敷いて宴会をしている人たちもいた。やはり普段着姿の秋子さんたちは浮いて見えた。
「すみません、おじさん。今日は何年何月何日ですか?」
 名雪がそばを歩いていたパナマ帽に半纏と腹巻をした下町のオヤジ風の男性に声をかけた。オヤジは足を止めると
「お姉ちゃんたち、ここいらでは見かけない格好の人たちだな。今日はタイショウ15年4月12日だけど何かね?」
 と答えた。
「祐一、やっぱりここは大正時代だったんだよ」
 それを聞いた名雪がビックリした顔つきで祐一に話しかけた。
「そうか、ふむふむ。やっぱり俺のカンは当たってたんだ」
 祐一が納得したような顔つきでそう言った。本当のことを言えば、祐一も自分が言い始めたタイムスリップを目の当たりにして正直に言って驚いているのが実態だった。

「ちょっと祐一君。この新聞ヘンだよ」
 下の方からあゆの声がした。祐一は自分のポケットの中に入っていたあゆが中でごそごそやっているのに気がついた。祐一がポケットを覗き込むと、ポケットの中にいたあゆの手には、新聞の切れ端が握られていた。どうやら、宴会で桜の木の下に敷いた新聞の端が破れて風に吹かれて飛んできたのを、偶然あゆが見つけてきたようだった。
「どうしたんだあゆ?」
 祐一が自分のポケットをのぞき込んだ。
「ほら、新聞のここに書いてあるタイショウという年号が「大正」じゃなくて“太い”「太正」になってるよっ」
 あゆが新聞の切れ端を名雪や祐一に見せながらそう言った。
「それはただの誤植じゃないかしら」
 名雪がそう答えた。
「違うもんっ。ほらっ、新聞の別の欄でも「太正」になってるよ。これっていったいどういうことなの?」
 あゆが不思議そうな顔つきでつぶやいた。
「うにゅ、わたしにもわけが分からないよ〜」
 それを見ていた名雪も困惑した顔つきになった。名雪もさっきまでは祐一の言っていたタイムスリップ仮説で納得していたのに、タイムスリップでは説明が付かないものを見せつけられて混乱しているのだった。
「秋子さん。どうやら、単純なタイムスリップではなさそうです」
 祐一は秋子さんのもとに来るとさかんに首をひねった。
「本当に、歴史はわたしたちに何をさせようとしているのでしょうか?」
 秋子さんは考え込みながらそうつぶやいた。


 つづく


あとがき

 モーグリです。今回は自分が大好きなタイムリップ物を書いてみました。Kanonのヒロインたちが「サクラ大戦」の世界にタイムスリップ(厳密には違うんですが)してしまうというストーリーです。
 ちなみに秋子さんたちがタイムスリップした先の時代設定は太正15年春、「サクラ大戦3」のオープニングと同じ時系列になります。主人公の大神一郎は巴里華撃団の隊長としてちょうどパリに赴任したあたりです。したがってこの物語には大神一郎は登場しない予定です。(今のところは)
 ただし「サクラ大戦」についてはゲームをプレイしただけの初心者ですので、設定や世界考証などで間違っている部分があるかもしれません。もしまちがえていたらすみません。
 今のところ今後の展開についてはまだ考えていません。もしいいアイデアがありましたら教えてください。


管理人のコメント
香里の暴走も収まり、平穏な日々が訪れた…と思いきや?

>「お姉ちゃんはこのあいだから家で『月宮さーん、月宮さーん』ってうなって寝ています」

一緒にドライブにくればあゆに会えるのに…(笑)


>「祐一さん、今日はえらくミノフスキー粒子が濃いですね」

い、意外なマニアがここに…


>「でも変だな。それにしては町で歩いている人の格好がヘンだ。妙に古臭い和服姿の人たちが多いぞ。しかも止めてある車がみんな昔の車ばっかりだ」
> 突然祐一は何か不審な物にでも気付いたような顔つきになった。そして目線をそらすと、一人で静かに考え始めた。

この作品の祐一君は主人公らしく冷静沈着なのが良いですね。


「そうだよ、祐一。タイムスリップなんて真琴が読んでるマンガみたいな事あるわけないじゃないの!?」
「ところで真琴が読んでるマンガって何なのかしら?」
「あうー、かわぐちかいじの『ジパング』」


い、意外なマニアがまた一人…


>「ほら、新聞のここに書いてあるタイショウという年号が「大正」じゃなくて"太い"「太正」になってるよっ」

どうやら、一行は「サクラ大戦」の世界に迷い込んだようですが…はたしてサクラ大戦のキャラはどういう形で関わってくるんでしょうか?
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