唐突だが、遠野志貴は女性になった。それはもう完璧なほどに・・・・

「いやそそりますね。」
 原因その1の悪魔の薬使いは喜色満面におっしゃる。
「志貴様、とてもお似合いです。」
 原因その2の殺人料理人は頬を染めて見つめる。
「う、わ、私より大きい・・・」
 我が妹(遠野家当主)は先ほどから一点を見つめてぶつぶつ言っている。
「あの皆さんそういう問題ではないと思うのですが。」
 それこそ下着から服(それもメイド服だ)まで完璧に着せられて3人の前に立たされている志貴。
 遠野家の一室は奇妙な空気に支配されていた。志貴は出来ればこれが夢であって欲しいと思うのだが。
 肩まで伸びた髪、服の上からでも分かる二つの盛上がり、華奢になった手足。
 (どう見ても女性の身体だよな。はあ、何でこんなことに。)
 自分の身に起きた出来事を改めて思い起こす志貴だった。

 
月姫−ある少女?の悲劇−


 その日の朝。
 志貴は何時もどおり殺人料理人・・翡翠に起こされ、朝食を取る為に食堂に向かった。
 休日なのに普段どおりの時間に起こされるのは、我が妹であり遠野家当主である秋葉の方針だからだ。
 志貴としては、休みの日くらい惰眠を貪りたいとこなのだが。
「休日の朝くらい私とゆっくり過ごしてはくれないのですか兄さんは。」
 と髪を赤く染めて脅迫・・懇願されては断りきれない。
 まあ普段の朝は志貴の寝起きの悪さから一緒に過ごせないのだから強くは言えない。
「お早うございます兄さん。」
 食堂に入るともう既にテーブルに着いている秋葉が片手にティーカップを持ちながら挨拶してくる。
 その姿は優雅でさすがにお嬢様だ。育ちが良いとは言えない不肖の兄とは大違いだ。
「ああ、お早う秋葉。何時もながら早いな。」
「それは皮肉ですか?兄さん。」
 どうやら挨拶が気に入らなかったようだ。眉を吊り上げ睨んでくる。迫力満点だ。
「いやそういうつもりはないよ。純粋にそう思っただけだよ。」
 そう弁解しつつテーブルに着く。秋葉はまだ何か言いたそうだったが、悪魔の薬使・・琥珀さんに止められる。
「まあまあ秋葉様、志貴さんだってお分かりになっていますよ。」
 にこやかな笑顔を浮かべながら琥珀さんが志貴の前に朝食を置いてくれる。
 ご飯に焼き魚、味噌汁とまさに日本の朝食というべきものだった。
「ありがとう琥珀さん。じゃあ頂きます。」
 志貴はそう言って朝食に手を付ける。秋葉も食事中に説教する気は無いようで不服ながら黙る。

 そう、そこまでは何時もどおりだった。
 だが今日の朝は違っていたのだ。が、魔眼の持ち主とはいえ普通の人間である志貴には分からなかった。
 もっと注意をすれば、後ろに立っていた翡翠が何故か期待に満ちた目で自分を見ていたことに気付いただろう。
 だが全ては遅すぎたのだ。志貴がそれに気付いたのは食事を半ば食べ終わった頃だった。

 カタン!
 志貴の手から箸が落ちる。
「う・・・・こ、琥珀さん一つ聞いていいかな?」
 真っ青になり震えている志貴が琥珀さんを見て聞く。
「これ作ったのもしかして翡翠・・さん?」
 これに対し琥珀さんは手を叩き嬉しそうに答える。
「はい、翡翠ちゃんですよ。」
「そ、そうだったんだ。どおりで・・・ははは前より威力が増しているね。・・・」
 そこまでだった。志貴は急速に意識が遠のいていった。
 バタン!
「琥珀!?これは一体どういうことなの!」
 机に突っ伏してしまった志貴を見て、秋葉が真っ青になって叫ぶ。
「いやこんなに効くとは・・・さすがですね翡翠ちゃん。」
「姉さん酷いです。私は言われたとおり作っただけなのに・・・」
 そんな暢気な会話の間に志貴は泡を噴き、痙攣を始める。
「それどころじゃないわ、琥珀早く何とかしなさい。」
 志貴の姿に秋葉が慌てて姉妹の間に割って入る。
「お任せ下さい。こんな事があろうかと用意していました。」
 こんな事って、貴女は分かっていたんですか琥珀さん。
「そんな突っ込みはしていけませんよ。」
 何とも言えない笑みを浮かべて言う琥珀さん。怖いです。
「本当に大丈夫でしょうね?」
 琥珀の薬で散々な目に遭ったことのある秋葉は顔を引きつらせながら聞く。
「心配ありません、この琥珀にお任せ下さい。」
「と言う言葉に何度騙されたことか・・・・・」
 自信満々に言う琥珀に突っ込む秋葉お嬢様。何時も被害を被っているだけに果てしなく不安だった。
「それでは、ぽちっ、とな。」
 そのセリフは何か違うという突っ込みは誰もしなかった。秋葉も翡翠も知らなかったからだが。
 兎も角何処からか取り出した注射器を志貴に突き刺す琥珀さんだったが・・・・
「あれ?」
「どうしたの?琥珀。」
 刺した注射器のラベルを見た琥珀さんが声を上げるのを見て秋葉が聞く。
「あはは間違えてしまいました、秋葉様。」
 一同の上に落ちる何ともいえない沈黙。やがて・・・・・
「結局それかい!!」
 お嬢様の怒り爆発。真っ赤になった髪を沸き立たせ琥珀の首を絞める。
「秋葉様そんなに激しくされると壊れてしまいますよ。」 
「一度壊れてしまいなさい。そうしなさい。」
 微笑ましい(?)そんな主従関係を見ていた翡翠が言う。
「あの・・・そんなことしている場合ではないと思うのですが。」
 はたと気付く秋葉。慌てて志貴を見る。
「ああ!!!兄さん?」
「先ほどより良い顔色になりましたね。」
「真っ青を通り越して紫色になったのがですか?姉さん。」
 まったく緊迫感のない連中である。

「う〜ん、知らない天井だ・・・って俺は何言ってるんだ?」
 こういう時のお約束を言う志貴、というかこのネタまだ分かる人いるんだろうか?
「はっきり言って使い古されているよな。」
 余計なお世話である。というかナレーションに突っ込まないで欲しい。
「それにしても翡翠の作った料理だったとは、外見に騙されたな。」
 以前に翡翠の作った料理─思い出すだけで嫌になる─の時は、いかにも”危険物”だと見ただけで分かったのだが。
 今日のは少なくても料理の形にはなっていたのだ。まあその辺は琥珀さんが工作したのだろうけど。
「まったく油断がないな琥珀さん、は・・・・」
 志貴そこまで言って黙り込む。先ほどまで出していた声に思いっきり違和感を感じたのだ。
 (何だろう?声が変な気がする。)
 その声、何時も聞いている自分のとは全然違う、強いて言えば秋葉達に似ている気が志貴はするのだ。
 (う〜ん。)
 何気に後頭部に手をやる志貴。だがそこで再び違和感を感じ、それを掴む。
「え?」
 志貴は自分の手が掴んだ物がサラサラしていることに驚く。慌ててそれを引っ張ると・・・・
「痛い!・・これって?」
 自分の手に握られた物を見て志貴は絶句する。それは髪の毛だったのだ、しかも肩にかかるくらい長くなった。
「髪の毛が伸びたのか・・・ってあれ?」
 身体に感じる違和感はそれだけではなかった。意識が覚醒してゆくにつれ志貴は自分の身体の変化に気付き始めていた。
 声に髪の毛と続いて違和感を感じたのは、胸だった。先ほどから妙に揺れているのだ。気になって覗き込む志貴。
「な、な、な、な、な、何だこれ!?」
 そこに有る筈のない物を見つけ志貴は絶叫する。何しろ彼が見つけたもの、それは盛り上がった二つの山。
 女性にしか存在しない筈のものだったからだ。志貴ならずとも叫びたくもなるだろう。
 ドタドタドタ・・バタン!
 志貴が混乱状態になっていると、数人の足音がこちらに向かって来たかと思うと部屋の扉が乱暴に開かれる。
「兄さん!!」
 まず最初に飛び込んで来たのは秋葉だった。しかも髪が真っ赤にしながらである。思わず逃げ腰になる志貴。
「志貴様!」
「はははー志貴さん。」
 続いて使用人姉妹。妹の方は心配そうな声だが、姉の方は何か嬉しそうだった。
「大丈夫ですか・・・って何でそんなに怯えた顔をするんですか。」
「いや何と言うか・・・兎に角落ち着いてくれ秋葉。」
 今にも取り殺されそうな妹殿の迫力に志貴の方が逆に冷静になってしまっている。
「志貴様・・・良かったです。」
 こぼれる涙を押さえながら翡翠がベットの脇に立つ。取り合えず志貴が無事なようなので安心したらしい。
「いやーこれで生きているんだから流石は志貴さんですね。」
 誉めているんだかけなしているんだか分からないことを言う琥珀。
「それってどういう・・・いやそんなことよりこれって一体どうなってるんですか?」
 志貴は自分の身体の異変を訴える。その彼を三人の女性陣は複雑な表情で見つめる。ややあって琥珀が口を開く。
「それがですね、最初は翡翠ちゃんの食事だけだったんですけど、その後に私が解毒剤と間違えて別の薬を打ってしまいまして。」
 深刻な話のはずだが当の本人は実に嬉しそうに話している。第一、解毒剤って?翡翠はそれを聞いて落ち込んでいるし。
「どうやらその二つが志貴さんの身体の中で妙な反応を起こした結果、このようになったと。」
「それで戻るんですか俺は?」
 志貴の質問に部屋の中に沈黙が落ちる。皆の視線が琥珀に集中する。当の本人は眉をしかめて考え込んでいたが。
「まったくわかりません。どうしようもありませんね。」
 と実ににこやかな笑みと口調で答えてくれた。
「琥珀!!!」
 再びお嬢様大爆発。琥珀の首を絞めながら前後に激しく振り回す。
「さっさと兄さんを戻しなさい。元はと言えば貴方達が原因でしょうが。」
「ああ秋葉様、そんなに振られると逝ってしまいますよ。」
「あ、秋葉落ち着け、琥珀さんを殺す気か!?」
「姉さんが死んだら志貴様を戻せなくなってしまいます秋葉様!」
 志貴と翡翠の必死の説得にようやく秋葉は手を離す。
「まったく秋葉様ったら激しいんですから。」
 首に秋葉の手形を付けたまま琥珀はにこやかに言う。その姿ははっきり言って不気味だった。
「・・・それでどうすればいいと言うの?」
 何とか呼吸を落ち着かせて秋葉が聞く。
「一応調べて見ますけど、時間が掛かります。その間は今のままでということになりますね。」
「ようは現状維持ということですか琥珀さん。」
 自分の身体を見ながら志貴が聞く。
「ええそうなりますね・・・それにしても志貴さんって女性になると美人になりますね。」
「ははは何言ってるんですか?琥珀さん。なあ皆・・・・・・」
 だがそれ以上言葉が続かなかった。秋葉と翡翠の妙に熱のこもった視線のせいで。
「はいとても素晴らしいです。」
「そ、そうね琥珀の言うとおりね。」
 二人とも顔を赤らめて潤んだ目でこちらを見ている。その姿に強い寒気を感じる志貴。
 確かに今の志貴は肩に掛かるくらい伸びた艶やかな黒髪と整った顔立ちに眼鏡という知的な美少女になっている。
「ふ、二人ともしっかりしてくれ頼むから。」
 志貴の必死な呼び掛けに我に返る秋葉と翡翠。
「と、兎に角琥珀、出来るだけ早く兄さんを戻す方法を見つけなさい。」
「分かりました〜。あ、忘れるところでした志貴さんを着替えさせないと。」
 何とか体裁を繕って指示をする秋葉に琥珀はそう答える。
「え、着替えるって?」
「だってそのままじゃ女性がサイズ合わない男性の服を着ているようで変ですよ。・・・まあ萌えますが。」
 聞き返す志貴に琥珀は人差し指をびしっと立てると自信満々に言う。
「も、萌えるって・・琥珀さん何言ってるんですか。」
 引きつった笑いを浮べる志貴だったが。
「そうですね、それはそれで良いのですが、やはりそれなりの格好をなさった方が宜しいかと思います。」
「そうね、今の兄さんの姿もそそるけど、その方が良いわ。」
 残念ながらそんな志貴の気持ちを理解してくれる者はここには居らず、彼の着替えが決定した。
「それじゃ翡翠ちゃん、申し訳ないけど下着と服を貸してちょうだい。」
 琥珀はそう言って翡翠の方を見る。
「し、志貴様が私の・・・・そんな恥ずかしいです。」
 と言いつつまんざらでもない様子の翡翠。それに対しブラコン(今はシスコンか)お嬢様が異議を唱える。
「待ちなさい、兄さんに使用人の服を着せるわけにはいきません。私のを使いなさい。」
「えー?でも秋葉様じゃサイズが合いませんよ、特に胸が。」
 びしっと固まる秋葉。確かに志貴の胸のサイズは、元々女性の彼女より大きかった(笑)。
「私のでも良いんですけど、女性初心者にいきなり和装は大変でしょうし。」
 と言いつつそのうち着せてやろうと考えている琥珀だったりする。
 結局、志貴は翡翠の下着と服を着ることになったのだった。
「さあ志貴様、お手伝いいたします。」
「もちろん私もお手伝いさせて頂きますよ。」
「兄さんの着替えを手伝うのは妹の義務です。」
「って君達何をするつもりなんだ?!わ、わ何処触って・・・・」
「「「さあ、さあ、さあ。」」」
「助けてくれ!!!」
 男物の服をひん剥かれ、女物の下着と服を着せられてゆく志貴。その日遠野家に悲痛な少女の叫びが響いたという。

「う、ううう何でこんなことに。」
 そこに立っているのは翡翠と同じメイド服を着た、眼鏡の似合うメイドさんだった。ご丁寧にもカチューシャも付けている。
「うわー似合いますよ志貴さん。まるでゲームのメイド物に必ず一人はいる眼鏡っ子メイドさんみたいですよ。」
 妙な例えをする琥珀さん。っていうかゲームのメイド物?まあ彼女ならやったことがあるのだろうけど。
「ええ本当にそうね。眼鏡をしたしっかり者のメイドって感じだわ。」
 このお嬢様は何でそんなことを知っているのだろうか。でもそんなことを言ったら夜道で赤い髪の悪魔に会いそうなので止めておこう。
「・・・・・・・・」
 翡翠は嬉しさのあまり声が出ないらしい。遠野家女性陣の本当の姿を垣間見た瞬間だった。

 着替えというイベント(?)を終えた一同は、リビングに移動しちょっと遅いティータイムを過ごしていた。
 優雅な一場面だと思うのだが、ソファに座ったメイドにメイドが給仕しているというのは違和感ありすぎである。
「問題は兄さんが戻るまでどうするかね。」
 お茶を飲み一息ついた秋葉が話を切り出す。琥珀の予想では戻れるにしても数ヶ月は掛かるかもしれないというのだ。
「一番の問題は学校ですね。かなりの長期の欠席になってしまいますね。」
 お茶を淹れ終わり秋葉の後ろに控えていた琥珀が答える。
「と言ってもこんな姿では学校なんか行けませんよ。」
 ソファに座りお茶を飲みながら言うメイド姿の志貴。そして後ろに同じ格好をして控えている翡翠。
 何だかそこだけ妙な空間が出来上がっているのだが、誰も突っ込もうとはしなかった。
「しかし学業をサボらせるわけにはいきません。かと言って家庭教師を付けるというのも問題があります。」
 遠野家当主としては兄にそんな真似をさせられないが、この屋敷に部外者を入れるわけにはいかない。
 なにしろこの屋敷には人様には見せられないものが数多くある。住んでいる人間だっていわくが有り過ぎるのだ。
 魔眼に禁忌の血統、感応者・・・・時には吸血鬼の姫様に教会関係者まで加わるのだから。
「それなら方法は一つしかありませんね、志貴さんを別の人間に仕立てて学校に行かせるしか。」
 琥珀はさも名案とばかりに言ってくる。
「別の人間って・・・あのもしかして?」
「はい、女子高生としてですよ志貴さん。」
 志貴の思考が、自分が女子の制服(自分の学校のやつ)を着ているところを想像して固まる。だが現実はもっと残酷だった。
「それはいい方法ね。ただし通うなら兄さんの学校ではないわ。」
「ちょっと待て、まさか?」
 秋葉の考えていることが分かった志貴が慌てる。
「そうです、兄さんには私と同じ浅上女学院に通って頂きます。」
 浅上女学院、良家の子女が通うそのものすばり女の園である。
「いくらなんでもそれは・・・」 
 志貴にすれば男なのに女子高に通わされるなんて、できれば避けたいところだが。
「今の兄さんは女性なのですから問題ありません。」
 志貴の抗議を遮って秋葉は断言する。まあ確かに今の志貴ならどこぞの令嬢でも通るだろう。
「それに志貴さん、一人で女子高生としてやっていけますか?」
 琥珀が秋葉の言葉を引き取って言う。
「う・・・それは確かにそうですが。」
 生まれて今まで男として過ごしてきた志貴に、女性のスキルなど備わっているわけはない。
「学院での生活は私がフォローいたしますから、兄さんは心配なさらなくて大丈夫です。」
「フォロー?でも俺と秋葉じゃ学年が・・・・」
「兄さんは私と同じクラスになって頂きます。つまり同学年に転入するということです。」
 女になったうえ妹と同じ学年に、しかも女子高に入らなきゃならないのか。志貴は気が遠くなりそうだった。
「手続きの方は私が行っておきます。兄さんにはその準備をしてもらいます。」
 お茶を飲み終ると秋葉は立ち上がりながら志貴に言う。そして琥珀と翡翠の方を向くと、
「二人は兄さんに必要な物を揃えるのをお願いするわ。お金はいくらかかってもかまわないから。」
「「はいわかりました、お任せ下さい。」」
 使用人姉妹は声を揃えて返事をする。それに満足したように頷き秋葉退場。その足取りが嬉し気なのは気のせいではないだろう。
「ではさっそく始めましょうか翡翠ちゃん。」 
「そうですね姉さん。」
 ギラリ!
 顔を見合わせていた二人がそんな擬音を上げて志貴を見る。それはまさに獲物を見つけた肉食獣のごとき目。
「う・・・・」
 その目に射ぬかれ身動き出来ない志貴。少しづつ迫り来る二人に涙目になるが、それが余計に事態を悪化させた。
「その表情たまりませんね。」
「本当です姉さん。」
「ふ、二人とも止めて・・・」
 ガシッ!
 両腕をしっかり掴まれる哀れな獲物。もはや逃れる術はなかった。
「「さあ行きましょうか志貴(様、さん)」」
「助けててくれ!!!」
 館に再び少女の悲痛な叫びが響いたが、それを聞く者は誰も居なかった。
 
 数日後、志貴の部屋のクローゼットには下着から普段着、外出着、そして浅上女学院の制服であるセーラー服が収められていた。
 それらの購入時に何が有ったのかについて志貴は多くを語ろうとはしなかった。
 
 
 二週間後・浅上女学院。
 生徒達は教壇の横に立ち、担任教師に紹介されている転入生を物珍しそうに見ていた。
「本日より転入された遠野志紀さんです。名前から分かる通りこのクラスの遠野秋葉さんの従姉妹だそうです。」
「遠野志紀です。よろしくお願いします。」
 クラスにざわめきが広がり、視線が席に座って転入生を見つめる秋葉に集まる。まあそれは無理もないだろう。
 浅上女学院最大の有名人である秋葉の関係者となれば否応無く注目を集めることになる。
「それじゃ遠野志紀さん席に座りなさい。」
 志紀(志貴)は軽く会釈すると空いている席、秋葉の隣に向かう。そんな彼女に注がれる好奇心のこもった視線。
 はっきり言ってここから今すぐにでも逃げ出したい気分の志紀(志貴)だった。
 そんな気持ちを抑えつつ席に到着し座る志紀(志貴)。スカートが皺にならないよう手で押さえて座る様は完璧な女の子だ。
 この辺は2週間に及ぶ遠野家女性陣による特訓の成果の一つだが、志紀(志貴)としては嬉しくもなかった。
 やがて転入生の紹介を終えた担任教師は、他の連絡事項を伝達し朝のホームルームを終えて教室を出てゆく。
 ここで普通なら生徒達が転入生に群がって質問攻めとなるのだが、誰も動かなかった。
 まあこの場合はしょうがないかもしれない。何しろその転入生が彼の人物の肉親というのだから。
 だが何処にも怖い物知らずはいるもので、さっそくその件の人物に近寄っていった生徒達がいた。
 志紀(志貴)は近寄ってきたその二人に見覚えがあった。確か秋葉の寄宿舎時代のルームメイト達だ。
「ようこそ浅上へ、歓迎するぜ遠野の従姉妹殿。私は月姫蒼香、あ苗字でなく蒼香と呼んで構わないぜ。」
「歓迎するね志紀ちゃん、あ、私は三澤羽居、よろしくね。」
 屋敷に何度か来た時に会ったことがある、まあその時は男だったが。おかげで志紀(志貴)は緊張する。
 風貌も変わっているし、まして女性になっているので簡単には分からないとは思うのだが。
「ありがとうございます。よろしくおねがいしますね。」
 精一杯の笑顔を浮かべ挨拶を返す志紀(志貴)。そのとたん周りの生徒達がため息を付く。
「・・・・・・・?」
「ほえ〜。」
「ふーん、これはこれは。」
「・・・・・・・!!」
 その光景に首を捻る志紀(志貴)、思わず気の抜けた声を出す羽居、関心している蒼香、顔が引きつる秋葉。
「こりゃとてもあっちの遠野の従姉妹とはとても思えないな。」
「どういう意味かしら蒼香?」
 秋葉が睨みつけてくる。しかし蒼香はそんな秋葉を見て意地の悪い笑みを浮かべ答える。
「そういうとこがさ遠野。」
 憮然とする秋葉。志紀(志貴)はそれを見てどう反応すれば良いか迷っていると、手を突然握られる。
「志紀ちゃん、私と仲良くなってね、あ、羽居って呼んでくれると嬉しいな。」
 と顔を赤らめ、目を潤ませ、迫ってくる三澤羽居。どうやら新しい世界に目覚めたようだった。
「ちょっと羽居、貴女何言って・・・・」
 秋葉が血相を変えて羽居に詰め寄ろうとしたが、それは叶わなかった。
 あっという間に志紀(志貴)の周りに生徒達が群がってきたのだ。
「志紀さんとお呼びしていいかしら?」
「前の学校はどんな所でしたの?」
「部活はどうなさるのですか?」
 ・・・・・・・・・・
 たちまち始まる質問の嵐に志紀(志貴)は目を白黒させる。あまりの状況の変化に付いてゆけない。
 実は皆、最初は志紀(志貴)が秋葉の従姉妹ということで、彼女もまた気難しいお嬢様だと思っていたのだが。
 先ほどの蒼香達との会話から話しやすい気さくな相手だと分かり、しかもあのとびっきりの笑顔を見せられてしまったのだ。
「ど、ど、ど、どうなってるのよ!」
 その光景に秋葉がキレかかる。彼女も本来なら志紀(志貴)が受け入れられたことを喜ぶべきなのだが。
 (どいつもこいつもその目はなによ、私の兄さん(笑)に!)
 どの生徒も目を輝かせて志紀(志貴)を見ているのだ。そうまるで恋する乙女のように・・・・
 (これじゃ浅上へ入れた意味がないじゃない。)
 愛しの兄を狙う数多のお邪魔虫達から引き離す、そうそれこそが秋葉の狙いだったのだ。
 男性の頃の志貴は非常にモテた。その優しげな風貌と穏やかな物腰、そして何よりもその何者も包み込む笑顔で。
 それこそアーパー吸血鬼からその使い魔、埋葬機関の腕利きから使用人達と節操がないほどに。
 しかし志紀(志貴)にはその自覚がまったく無い。お陰で犠牲者(?)は増えるばかりだった。
 それで付いた二つ名が、生まれながらのプレーボーイ、歩く女性篭絡器、笑顔の女たらし。
 本人は心外だと思っているが、彼を知る女性達は一致してそう認識している。そして日々繰り広げられる争奪戦。
 だが今回の事で志貴が女性になり秋葉はチャンスだと考えたのだ。同性であれば女性達は兄を諦めるだろう。
 同性愛者ならば話は別だが、大半の女性達は『男』である志貴が狙いのはずだからだと秋葉は考えたのだ。
 もちろん秋葉だって同性愛者ではないが、相手が愛しの志貴なら性別など些細なことだと思っている。
 だが、秋葉は『性別など些細なこと』と考える女性達が他にも出てくるという事を考えてもいなかった。
 そう今の志貴は女性になったことで更にその魅力を倍増させている。それこそ同性さえも虜にするほどに。
 何よりここは全寮制の女子校、女の園。身近に異性が居ない分、同性に魅力的な存在があれば惹かれるのも当然だった。
 志貴はまさにそんな女の子達のツボにはまった存在だったのだ。ここに秋葉の思惑は完全に崩れた。
 これ以後、志紀(志貴)は同級生はもちろん、上級生や下級生達からも熱いアプローチを受けることになる。
「何でこうなるのよ!!!!」
 秋葉は絶叫した。しかし、事はこれだけでは終わらなかった。彼女の以前からのライバル達。 
 吸血鬼姫、シスター、使用人。彼女達もまた秋葉同様に性別などこだわらなかったのだ。
 結局以前と変わらぬ状況だった。いや、むしろ悪化していた。

 
「何時になったら男に戻れるんだろう・・・・・」
 騒ぎの中心にいる志貴の疑問に答えてくれそうな人間など居なかった。そして今日もまた起こる争奪戦。

 月だけがそれを見ていた。


管理人のコメント


 初めて「月姫」のSSを戴きました。しかもTSですよ。早速中身を見ていきましょう。

>唐突だが、遠野志貴は女性になった。それはもう完璧なほどに・・・・

 唐突な出だしです(笑)。事情はこの後語られますが、インパクトは十分ですね。


>「う、わ、私より大きい・・・」

 女の子志貴が秋葉より胸が大きいのもお約束。もっとも、秋葉より小さいキャラというのもそうはいませんが。
 
 
>志貴がそれに気付いたのは食事を半ば食べ終わった頃だった。

 世間ではそれを「手遅れ」と言います。
 
 
>「秋葉様そんなに激しくされると壊れてしまいますよ。」 
>「ああ秋葉様、そんなに振られると逝ってしまいますよ。」


 なんか妙に余裕な琥珀が笑えます。
 
 
>「な、な、な、な、な、何だこれ!?」

 キタ――――――――(゚∀゚)――――――――ッ!!!!
 

>優雅な一場面だと思うのだが、ソファに座ったメイドにメイドが給仕しているというのは違和感ありすぎである。

 なんか想像するとおかしいです(笑)。
 
 
>数日後、志貴の部屋のクローゼットには下着から普段着、外出着、そして浅上女学院の制服であるセーラー服が収められていた。
>それらの購入時に何が有ったのかについて志貴は多くを語ろうとはしなかった。

 え、私としては大いに語って欲しいところなのですが?(笑)
 
 
>この辺は2週間に及ぶ遠野家女性陣による特訓の成果の一つだが、志紀(志貴)としては嬉しくもなかった。
 
 女性陣、実に良い仕事をしています。
 
 
>「ようこそ浅上へ、歓迎するぜ遠野の従姉妹殿。私は月姫蒼香、あ苗字でなく蒼香と呼んで構わないぜ。」
>「歓迎するね志紀ちゃん、あ、私は三澤羽居、よろしくね。」

 私はこの二人がお気に入りキャラです。これからどんどん志紀に絡んで貰いたいところです。
 
 
>だが、秋葉は『性別など些細なこと』と考える女性達が他にも出てくるという事を考えてもいなかった。
>志貴はまさにそんな女の子達のツボにはまった存在だったのだ。ここに秋葉の思惑は完全に崩れた。

 いやぁ、百合の良い香りが漂ってきますね(殴)。
 
 
 お嬢様学校に転入した志紀、今後どれだけの女の子を奈落に墜とすか楽しみです。また、真祖の姫君やカレー先輩、錬金術の娘たちの逆襲にも期待です。
 しかし、この設定だとさっちんは出てこないんだろうなぁ……一番好きなキャラなんですが。