オジロワシ血風録

第五章  学友会執行部隊



2.課長の仕事



 様々なことがあった夏期休業も終わった。
 4限の講義終了後、榊原治は法学部棟の隣にある小さな建物へと入った。ここは、学友会棟と呼ばれる建物で、文字通り学友会会員が仕事を行う場所である。その一階の奥に、会議室がある。榊原はそこへ向かっていた。
 廊下でふと立ち止まった榊原は、振り返って背後の景色を見つめた。あたりに人の気配は、無い。軽く息を吐くと、榊原は会議室へと歩いた。
(監視役も最近は見ないな。やっと自由の身って訳か)
 榊原は歩きながらふと思った。
 彼には知るよしもなかったが、探索隊別班による監視は更迭から半月もかからずに解かれていた。別班も忙しくなり監視の人員を割けなくなったということもあるが、榊原が何の不満も見せずに生活していたからだ。彼は更迭に不満などなかった。更迭を求めたのは彼自身なのだから、不満など抱いているはずがない。かえって、これまでおざなりにつとめてきた学友会総務課長としての仕事に費やせる時間が増えたので、ある意味で満足してさえもいた。そういった報告を受けて、これ以上監視する必要はないと、別班班長の堀内なり探索隊総隊長の石川なりが判断したのだろう。
(とはいえ、完全に自由というわけでもないけどな)
 榊原は思う。
 監視の目が無くなったとはいえ、在籍していた時のことを大っぴらに吹聴することは出来ない。書面をもって秘密を守るように強制されていたし、そもそも話すべき事ではないことも理解している。彼も司令職を勤めた身だ。立場はわきまえている。
 また、秘密部屋はおろか、旧校舎群への立ち入りも禁止されている。そもそも一般学生が旧校舎群へ近づくことは学内規則でも禁止されていた。講師クラスでも、許可がなければ立ち入ることが許されないのだから、一般学生と同じ身分になった榊原が近づけるはずもなかった。
(まぁ、いいけどね)
 あと半年で卒業だ。今の自分に出来ることは、つつがなく日々を過ごしてさっさと卒業すること。厄介事に巻き込まれて行動隊の面々の手を煩わせるわけにはいかない。
 人生八〇年とも言われる現代、その四分の一程度を消化したに過ぎないが、榊原は隠居したような気分になっていた。そう思わせるほど、三年にわたる〈オジロワシ〉隊員としての日々は濃密だったのだ。

「うーっす」
「あ、榊原さん。お疲れ様です」
 会議室にやってきた榊原は、入口で談笑していた二年生に唸り声ともつかない挨拶をした。相手も慣れたもので、律儀に会釈を返してくる。
「始まったか?」
「いえ、まだです。会長がまだ来ていないので」
「そうか。ありがとう」
 榊原は軽く礼を言うと、会議室に入った。そして、会議室の中でも上座のほう――役員席に着いた。担いできたバッグの中から書類を取り出して、メモを取る準備をする。
 榊原は学友会総務課長だ。彼の所属する学友会には会長はいても、副会長や書記といった役職はない。その代わり、総務課・会計課・外交課の三つの課といくつかの委員会に分かれている。
 三つの課のうち、総務課がもっとも職域が大きく、人員も多い。つまり、総務課長は学友会内での事実上のナンバー2であった。本当ならば彼の肩書きには、『湘洋学園大学治安維持組織司令』という非公式のものが付け加わるのだが、そちらの方は七月に更迭されて以来、名乗っていない。

 会議が始まるまでの間、榊原は集まっている学生達を見回した。部やサークルからの参加者は、それほど多くはない。特に、体育系の部からの参加者は一人もいない。インカレなどの大会が近い為、人を割くわけにはいかないのだろう。学友会の会合への参加は強制ではない為、参加を強いるわけにもいかない。
(まぁ、こっちの決定に文句さえ言わなければいいわけだが……)
 榊原は軽く口元を歪めた。
(決まって文句をつけてくるのは運動系なんだよな。交付金が足りないって言ってくるなら、誰か代表を送り込んでネゴれよな。努力無しに成果は上がらないってのは、奴らはよく分かってるはずだが……)
 榊原が席についてしばらく待っていると、会長の四年生、福原栄三郎が入ってきた。福原が会長席に着くと、榊原はざっと室内を見渡した。出席者の数を確認すると、
「会長、準備OK」
 と榊原が福原に報告した。福原はそれに対して軽く頷き、
「では、始めようか」
 と言って腰を下ろした。それを合図として、会議が始まった。
「今日の議題は、サークル同士の対立問題についてだ。アメフト部とラグビー部、骨法同好会とファイティングスピリット湘洋。この対立をどうするのか、討議していきたいと思う」
 会議の口火を切ったのは榊原だった。この二つの対立は、最近になって発生したものではない。ラグビー部とアメフト部の対立など、この二つの部が創設されて以来のものだった。過去に〈オジロワシ〉も介入を試みようとしたが、互いを憎悪する念が強すぎたため、一朝一夕での関係改善など不可能と判断され、暴徒化したときにそれなりの対応をするという方針に替えられている。
(でも、そろそろ何かしら手を打っておかないとな)
 榊原は思った。表だった功績を挙げたいといった生臭い理由もあるが、後の世代に重荷を残していくのは気が引けるという理由の方が大きい。
 とはいえ、どこから手をつけていいものか考え込んでしまうのも事実であった。あらゆる要素が複雑に絡まり合い、解きほぐすのにきっかけさえ見つからない。双方の部について今までの歴史を振り返って糸口を探していくしかないだろう。
(どこまでできるかな……正直、あと半年で進展が見込めるとも思えないな)
 榊原は憂鬱そうに顔を歪め、こめかみを人差し指でかく。
 そして、自分の置かれている状況に気づくと、あわてて手元の書類に目を落とした。今は内心で愚痴るときではない。
「まず、現状について報告する。
 今のところ、アメフト部とラグビー部、骨法同好会とファイティングスピリット湘洋、それぞれの対立で迷惑を被った一般学生はいないと言って差し支えはないと思う。一時期は頻発していた抗争も、このところはなりを潜めている」
 榊原はあっさりとした口調で言ったが、これは〈オジロワシ〉の成果である。ラグビー部とアメフト部の間では今年の六月に一度小競り合いが起こったが、行動隊総隊長・神崎礼の働きにより沈静化し、今に至るまで小康状態が保たれている。
 だが、骨法同好会と〈FS湘洋〉の対立は、榊原にとって苦い記憶を伴わずにいられない出来事だ。自分から望んだことだとはいえ、彼が〈オジロワシ〉から去らざるをえなかった、そのきっかけとなったのだから。
「しかし、放置しておくわけにはいかない。彼らがいつ爆発して、無秩序に暴れ出すかわからない。今のうちに何らかの形でガス抜きをして、騒動そのものを鎮静化させるに越したことはない。できることなら、永久に爆発することのないようにしたいものだ」
 榊原は内心の動揺を抑えつつ、言葉を続けた。
「でも総務課長、爆発すると決まっているわけでもないでしょう? 火山だって、必ず噴火するとは限らないんですから」
 反論したのは、イベント企画委員長の和田伸次だった。彼は学園祭等の大規模イベントの企画・実行を担当している。こういったイベントは、準備に手間と暇と金がかかる。他のサークルに指示を出し、調整しつつ、イベントを成功させる必要もある。だから、イベント企画委員長はそのほかの委員長よりも大きな権限を持っており、数ある委員会の中でも筆頭に位置している。
「火山の噴火と部の対立を、同レベルで論じてもらっては困る」
 福原が榊原を横目で見ながら、和田に言った。彼は法学部の四年生で、榊原と同じゼミの学生だ。榊原にとっては政治的な盟友であり、プライベートでも気の置けない友人の一人でもある。
「個人的な意見だが、総務課長の言うことに一理あると思う。やはり、大学の中が騒然としているというのはおかしい。今は昭和四〇年代じゃないんだ。騒動の元を断ちたいと思う」
「だったら……」
 榊原が言葉を継ぎかけたとき、
「提案があります」
 突然、会議室の末席近くにいた学友会員が、挙手をして発言の許可を求めた。榊原が口を噤み、福原の方を見た。福原がそれに気づいて発言を許可すると、その会員――女子だった――を一瞥する。
(あれは……江藤? 何を言うつもりだ?)
 榊原は訝しんだ。彼の発言を遮ったのは、弁論部の後輩である江藤美保だった。緻密な理論を駆使して相手を追い詰める榊原とは違い、相手や観衆の感情に訴えかけて場の空気を自分に有利なものに替えるのに長けている。榊原とは方向性こそ違うものの、弁論部の中でも有数の論客と目されている。
 福原が発言を許可すると、美保は立ち上がり、自分の考えを話し始めた。
「総務課長の言い分はもっともだと考えます。骨法同好会とFS。ラグビー部とアメフト部。この対立は学生のほぼ全員が知っている事態であり、いつ全面抗争に発展するかわからないと危険なものです」
 彼女は、この会合に出席している人間なら十分に認識していることを、改めて述べた。福原がわずかに苛立ちながらも、続きを促す。
「来るべき暴走を未然に防ぐため、学友会独自の抑止力を持つべきだと、私は考えます」
「学友会独自の抑止力?」
 和田は鸚鵡返しに呟いた。他の出席者も、彼女が何のことを言っているのか見当が付かないようだった。そもそも、暴走を未然に防ぐための抑止力と言われて、それがどういうものなのか理解できる人間が、はたしてこの中に何人いるだろうか。
 この中では稀有な例外である榊原と首藤は、驚いて彼女を見、そして互いに顔を見合わせた。二人には、美保が何を言いたいのかだいたいの予想がついていた。
(こいつ、まさか……)
 榊原が美保の発言を遮ろうとして口を開く前に、
「学友会が武装集団を持ち、対立がこれ以上激化しないようににらみを利かせるべきだと思います」
 と彼女は核心を突いた。
 瞬間、出席者のほとんどがどよめいた。榊原と首藤は自分の予想が不幸にも当たってしまい、絶句して再び顔を見合わせた。
「学友会が武力を持つというのか? ダメだ! 学友会はあくまでも学生から集められた資金を再分配し、学生が不便を感じないように業務を進める組織だ。それ以上でも、以下でもない! 武力を持ち学生を威圧するなどとんでもない!」
 精神の動揺から立ち直った首藤は、必死になって叫んだ。榊原も頷くことでそれに同調する。
「そうでしょうか? 総務課長が言われるとおり、学生が不便を感じないようにする、という状態を維持するために、我々学友会がこの対立を鎮めるのです。そのために手段を選んでもいられないでしょう?」
「君は、自分の言っていることの本当の意味を自覚しているのか? 規模こそ違うが、軍事政権を学園内に樹立させようというんだぞ?」
 首藤が厳しい口調でたずねた。その言葉に、ようやく衝撃から立ち直った和田が頷く。
「私はそうは思いません。非常時には非常時なりの策を立てるのが当たり前です」
「今は非常時じゃない! それほど事態は切迫してはいないんだぞ!」
 首藤は激しく反発した。
「首藤、黙っていろ。俺が話をする」
 榊原は叩き付けるような口調で首藤に言った。首藤は議論に強いわけではない。現に今もかなり感情的になっている。美保とこのような議論をしていると、いつかは口篭もってしまう可能性がある。そうなると、議論は美保のペースで進む。それを榊原は恐れていた。
 その点、榊原は弁論部の部長を務めていたし、昨年の全国学生ディベート大会で優秀賞をとったほどの男だ。彼に口で勝てる学生は、この湘洋学園大学にはいないだろう。
 榊原は美保の顔を睨み付けた。先にも述べたように、美保は弁論部員でもある。前部長がヒラの部員に負けるわけにはいかない。そういう榊原の思いが、知らず知らずのうちに顔に出てしまっていた。
「さっき会計課長が言ったように、まだ非常時というほど事態は切迫していない。それなのに、そんな過激なことを言うものじゃない」
「そうでしょうか? ならば、夏期休業前に起こった、骨法同好会会員によるあの騒ぎは何なのですか?」
「あれは一部の学生が起こした乱痴気騒ぎだ。あれを例として取り上げて、武力を持つべきだ、などという論を進めるのは、いささか性急じゃないか?」
「そうでしょうか?」
 美保は首を傾げた。
「当たり前だろ。見れば一目瞭然だろうが。他に被害が及んだかを見ればいい。あの乱痴気騒ぎも同じ事だ。一般の学生や職員に怪我人が出たか? 出てないだろう。それに、構内で四六時中抗争が起こってるわけじゃないんだぞ。現状はまだボヤ未満だと判断せざるを得ないだろうが」
 榊原は険悪な視線で美保を見た。
「なぜそのように楽観できるのか、私には分かりません。何かあってから対策を講じても遅いんです。
 確かに今は沈静化しています。いえ、そう見えます。ですが、彼らの内心から敵対する感情が消えたとは言い切れません。抗争が再燃する可能性は、決してゼロではないんです。
 六月のはじめにあったラグビー部とアメフト部の、あの殴り合いを見ましたか? 当事者はどうか知りませんが、一般の学生にとって恐ろしいものでした。あんな事が二度と起こらないよう、力を持って締め付けるべきです」
 美保は昂然と反論した。
(こいつ、本当の修羅場がどんなものか知らんくせに、言うことだけは勇ましいな)
 榊原は内心で舌打ちした。武力集団に身を置き、大規模な演習も経験しており、週に一度は出動していたこともある榊原にとって、あの程度の無秩序な殴り合いなど幼稚園のお遊戯程度の代物でしかない。
(いや、妙に気負ってるようにも見えるな……何考えてるんだ、いったい)
 榊原は考えたが、すぐにやめた。今は相手を論破する方が先だと判断したのだ。相手の背景は、後で考えてもいいだろう。
「あの騒動はすぐに鎮圧されただろうが。俺が〈レッド・ロブスター〉とFSに声をかけて集まった連中が、実に見事に蹴散らしてくれた。指揮を執ってくれた神崎は、『しばらくの間はあんな騒ぎは起きないでしょう』と請け合ってくれたんだ。自分たちの攻撃がトラウマになっただろうから、という理由をつけてな」
 榊原の話に出た〈レッド・ロブスター〉は、世間一般ではマイナーな趣味であるサバイバルゲームを広く啓蒙するために作られたサークルで、月に二度、大学の構内や空き地などで一般学生の言う『戦争ごっこ』をやっている。
 礼の意見具申で急遽投入された〈レッド・ロブスター〉団員――〈オジロワシ〉隊員を兼ねている者が実力行使を行った事で、ラグビー部とアメフト部の抗争は鎮圧された。終了報告をする礼の誇らしげな顔は、今でもはっきりと覚えている。
「平行線だな」
 議論が一段落したと判断した福原が顔をしかめる。美保はそう思っていないようだが、少なくとも福原と、そして榊原はそう思った。会議室内の空気が張り詰めすぎている。これでは冷静な話し合いなど出来ないだろう。
「いったん休憩にしよう。三〇分後に再開する。五分前までには戻ってきてくれ」
 福原の言葉に、多くの溜息が漏れた。黙って座っていた出席者が、三々五々会議室から出て行く。それを見た美保も、不満そうな顔をしながら会議室から出て行った。
 榊原も大きく息を吐いて、肩を二、三度回す。思った以上に疲れていた。気づかぬうちに肩に力が入っていたらしい。気負っているのは、美保だけではなかったのだ。
(さて、どうやってあいつを片付けたものかな)
 そう考えだした榊原に、福原が近づいてきた。
「今のうちに執行部だけで話をする。着いてきてくれ」
 福原はそう言うと、首藤、和田、そして他大学と折衝を行う三年生の外交課長・河原翔の四人が立ち上がり室外へ出た。榊原もその後を追う。
 この五人を総称して「執行部」という。執行部は学友会の最高意思決定機関であるが、その決定を強制する力を執行部の誰も持ってはいない。彼らの意見はあくまで、学友会のトップの意思ということで尊重されるに過ぎない。
 福原は廊下で、四人が来るのを待っていた。そして、彼らを従えて部活棟の奥にある小会議室へ向かった。六畳ほどの狭い部屋で、彼らは思い思いの場所に座ると、おもむろに小声で話し合いを始めた。
 口火を切ったのは福原だった。
「どうする?」
 たった一言だったが、「何を」どうするのかについては明白だった。
「どうするもこうするもないだろ。俺は反対だ。理由はさっき言ったから、もう一度言うつもりはない」
 榊原が真っ先に反対の論陣を張った。首藤もそれに同調する。
「しかし、彼女の提案にも頷くべき点は多いですよ」
 河原が言った。
「あの対立をおさめるには、よほどの覚悟が必要です。武力を持つことで、その覚悟が示せると思いますが」
「俺も、河原の意見に賛成だ」
 和田は河原に賛同した。
「おいおい、おまえらもそういう意見か?」
 首藤が呆れたように言った。美保の提案に魅力を感じる人間がいたということに、首藤は驚いていた。榊原は少し顔をしかめただけで、黙っていた。
「まあな。俺もいろいろ考えることもあるし」
 河原の言葉に、首藤は黙り込むしかなかった。
「だが、どこから兵隊を募ってくる?」
 和田は疑わしげな声でたずねた。
「まさかあいつ、各サークルから二、三人ずつ引っ張ってくるつもりじゃあるまいな」
「それはないな。『志願兵一人は徴兵一〇人にまさる』っていう言葉がある。酔狂な組織を作るには、酔狂な人間を集めるのが一番いい。しかし、志願してくる物好きがいるとは思えないが……」
 福原の言葉を聞いて、榊原はこっそり溜息を吐いた。
(お前は前からそういうのが好きだと知っていたけどさ。でも、それをこの場で言うのはどうよ? 今の言葉は江藤の案を後押しする結果にしかならないだろうが。自分の立場ってやつを考えてくれよな……)
 人の言葉には、地位による重みが加わる。ただの大学生の言葉と、「学友会会長」の言葉は、受け取る側に決して無視できない違いを与えるのだ。
「そういったことに慣れている人間って、あまりいないですよ」
 独り頭を抱える榊原に気付かず、河原が言った。確かに、今の大学生でそういった荒事に慣れている人間は、あまりいないだろう。
「そうだ。〈レッド・ロブスター〉なら、そういったことに向いている人間が多いでしょう。あそこから募らせたらどうです?」
 和田が大学公認のサバイバルゲームサークルの名を出した。
「でも、神崎団長が賛成するかな?」
 首藤が首を傾げた。現在の〈レッド・ロブスター〉団長・神崎礼は、サバイバルゲームの普及に、情熱を燃やしている。当然、サバイバルゲーマーが偏見の眼で見られるようなことは絶対にしないし、団員にもさせないようにしている。そんな彼女がこのような提案に乗ってくるかどうか、非常に疑わしかった。
「でも、神崎しかいないだろ。他の奴はあてにならない」
「〈レッド・ロブスター〉には指揮官候補はまだいるはずだ。副団長の猿渡とか、役持ちじゃないけど山田とか」
 黙り込む榊原を余所に、「学友会の武装集団」を誰にするかという話題は続いていった。
(まずいな、この流れ)
 榊原は内心で舌打ちした。彼と首藤以外の三人は美保の提案に賛成とはいかなくても、前向きのようだ。首藤もその武装集団の創設を前提として話をしている。創設自体に反対しているのは、榊原だけのようだった。
(やっぱり算盤は単純だな。場合によっては、こいつが四隊長会議の議長になるんだろ? 大丈夫かよ、ホントに……って、俺が心配する事じゃないか)
 今となっては無用の心配までしてしまう。もっとも、榊原は首藤が議長就任を固辞したことを知らない。彼が更迭されたあとのことなのだから、知っているはずがない。
(まぁ、あいつらの心配はさておいて、だ。学友会固有の武力なんてもの、今はなくてもいい。最後の手段として残しておいてもいい。人員の心当たりもある。早急に戦力化できるメドも立っている。
 ……だが、『現時点では』そんなものは必要ない。設立の手続き的にもいろいろ問題がある。そういう集団を使えるほど、俺は図太くないし、お気楽でもない)
 榊原は小さく、しかし鋭く息を吐いた。うつむき加減だった顔を少し上げる。上目遣いに、執行部の面々の顔を眺める。
(江藤には悪いが、この企みは潰させて貰う。そのためにも、まずはこいつらの考えを変えてやる)
 榊原は覚悟を決めると、
「ちょっと待ってくれ」
 と声をあげた。これ以上今の話を続けさせるわけにはいかない。なし崩し的に創設が容認される可能性が高い。それを黙ってみているわけにはいかなかった。
「みんな、現在の状況を打破するには、武力を持たなければならないと決めつけてないか?」
 執行部の全員が、何を言い出すのかといった顔で榊原を見た。
「順序が逆だろ。まず両者の間で折衝を行うのが先決だろう。その交渉の雲行きが怪しくなってから、改めて武装集団の件について検討すべきじゃないのか?」
「それじゃ遅くないですか? 折衝で物事を解決するにしても、ある程度実力の裏付けは必要でしょう?」
「確かに、交渉を行うには、実力の裏打ちは必要だ」
 榊原は和田の発言を肯定した。
「だが、その実力は武力である必要はない」
「武力以外に、どんな力があるって言うんですか?」
 和田の問いに、
「いざとなったら、解散を命じればいい」
 榊原ははっきりと答えた。
「学友会会長は、反社会的行動を取る部やサークルに対して解散を命じることができる。今までの所業が所業なだけに、解散させられても同情が奴らに集まることはない。まぁ、実際に命じるかどうかはともかく、その可能性をほのめかすだけでもいい。それだけでずいぶんと態度が変わるだろう」
 彼の言うとおり、湘洋学園大学の学友会、その会長には部やサークルの存続を決定する権限がある。会長がその集団の素行に問題があることを正式に文書で示したら、一ヶ月以内にその部なりサークルなりは改善の為の指標を学友会会長に回答しなければならない。それでも改善が認められない場合、あるいは回答期限を過ぎても指標を提出しない場合には、会長権限で解散を命じることができる。
 もっとも、これまでにこの強権が発動された例はない。だが、学友会にはそれだけの権限があることを改めて通知しておけば、馬鹿なことを企む輩を掣肘できるだろう。榊原はそう説明した。
「そもそも、俺達はなんのために理事長からこんな権限を与えられているんだ? 揉め事を解決するのに、殴るだけしか頭に浮かばないんなら、学友会の存在意義がないだろうが」
 この榊原の言葉は、場の雰囲気を変えるのに大きな効果があった。執行部の全員は、武力を持つか持たないかということだけに気を取られ、肝心の対立回避の手段に考えが及ばなかったのだ。
「……それもそうだな。俺達は、一つのことに気を取られ過ぎていたようだ」
 福原がしきりに頷きながら、榊原の言葉に賛成する。他の者も、榊原に同調した。
「では、我々の代表者を交えて、三者会談を開くとしよう。舞台設定はこちらが行い、調停者として学友会の人間を派遣する。執行部の五人はこの意見で統一する。いいな?」
 全員が頷いた。
「よし、では戻ろう」
 福原の言葉に安堵の息を吐きながら、榊原は席を立った。



 

管理人のコメント


 今回から、本題となるラグビー部・アメフト部紛争と講和会議の件についての話が始まるのですが、あの人が再登場です。

  >4限の講義終了後、榊原治は法学部棟の隣にある小さな建物へと入った。

 物語開始時の司令、榊原が再登場。学友会総務課長とか、表向きでも結構役職もちだったのですね、彼。

 
  >今日の議題は、サークル同士の対立問題についてだ。

 サークル間の対立って、普通の大学ではどれくらいあるものなんでしょうかね。母校では聞いたことないですが……
 まぁ、あったとして、それが武力対立に発展するあたりが本作の魅力です(笑)。


>「来るべき暴走を未然に防ぐため、学友会独自の抑止力を持つべきだと、私は考えます」

 サークルが武闘派揃いなら、学友会にも武闘派はいるわけで。しかし、この江藤と言う娘、かなり怪しいですね。


>(こいつ、本当の修羅場がどんなものか知らんくせに、言うことだけは勇ましいな)

 そういう人に限って、積極論を吐くというのは現実世界にもまま見られる傾向です。(ピー)日新聞とか代表的でしょうか。


>「いざとなったら、解散を命じればいい」

 まぁ、本来はこういう手段が先に来るはずですよね。なまじインパクトのある意見に人は惑わされがちですが。


   榊原が再び本格的に話に絡んでくるようになりました。復帰とかはなさそうですが、これでまた校内の戦いにも新たな局面が生まれそうです。

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