オジロワシ血風録

第四章  拉致



12.即決裁判



 4番隊の隊員は、日付が変わってまもなく、全員が大学に帰還していた。柳生は中庭で改めて点呼をとり、欠員がいないことを確認すると部隊を解散させた。そして、大石を連れて、司令室へと向かった。
 四隊長は、全員が残っていた。柳生の敬礼(といっても室内での、お辞儀の角度がやや深くなったもの)に続く戦果報告を受け、礼は軽く頷いた。
「全員無事に帰ってこれたのは何よりね」
 礼の表情は、少し硬い。作戦が成功裏に終わったというのに、だ。
「殴られた奴はいるけどな」
 柳生は軽く笑いながら応じた。
「何にせよ、お疲れ様。ゆっくり休んでちょうだい」
 礼は、張り詰めた空気を和らげるように軽く息をつきながら、柳生に退出を許可した。
「わかった。じゃあ、これで」
 柳生は再び敬礼すると、司令室から退出した。
「虎徹の指揮は、満点とは言えないにしても、かなりいい点をやってもいいだろうな」
「だな。ちょっともたついたが、ちゃんと任務は遂行した。負傷者も少なかった。ほめてやってもいいだろう」
 首藤と石川が軽口をたたく。
 礼はそんな二人を醒めた目で見ながら、
(この程度で、いい点をやろうなんて言ってるようじゃダメなんだけどね。二人とも戦闘指揮官じゃないから仕方ないけど、もう少し全体の流れから評価をしてほしいものね)
 と内心で呟く。
 礼に言わせれば、柳生の指揮ぶりは「千歩以上譲って及第」というものでしかなかった。及第点を与えるのは作戦が成功したからだが、細かい点ではいろいろと文句も付けたくなる。
 確かに、初動において宇野を拘束することには成功している。しかし、いったんは確保した宇野に逃げられた、というのはあってはいけないことだ。柳生の居合で宇野を昏倒させて事なきを得たものの、もし宇野が襲ったのがほかの人間だったらと思うと不安を覚えざるを得ない。直接の責任者は護送にあたっていた悠美だが、確認を怠った柳生にも責任の一端はある。
 周辺警戒に歩兵二個小隊を割いたのも、果たして妥当だったのか。周囲の状況と援護態勢を考えた場合、歩兵一個小隊に白兵一個小隊にするべきだったと、礼には思えた。そうすれば、柳生の本隊、もしくは加納隊に歩兵の援護をつけることができたはずであり、負傷者を出さずにすんだかもしれないのである。
 室内に突入する際に閃光手榴弾を使わなかったのも、大きなマイナス要因だ。柳生の本隊も、加納の分遣隊も、事前に支給されていた閃光手榴弾を使わずに突入している。もし宇野達が迎撃準備を整えていた場合、先頭の隊員は負傷するか、運が悪ければ死んでしまう。実際、加納の分遣隊は突入後に原口の迎撃を受けて二人が負傷しているのだ。犠牲を少なくするためにも、その閃光と轟音で相手の戦意を殺ぐ閃光手榴弾は必ず使うようにと礼は指導していたのだが、二人とも完全に忘れていたらしい。たとえ相手が飲酒していたとしても、アルコールによる影響の度合いが不明である以上、打てる手は全て打つべきだった。同じようなことが起こらないようにするためにも、あとで二人に何らかの処分をしなければならないだろう。
(慣れてないから仕方ないのかもしれないけど、もう少し手際よくできなかったのかな……)
 現場にいなかった礼としては、あまり口うるさいことを言いたくはない。しかし、柳生の指揮ぶりを見ると、自分の剣の腕前を前提としているように思える。いざとなったら自分が駆けつけて剣を振るえばいい。そう思っているのだとしたら、その考えを徹底的に矯正しなければならないと、礼は思った。柳生は指揮官なのだ。指揮官と一般隊員に求められることは違ってくる。一般隊員は目の前のことに集中していればそれでいいが、指揮官は全体に目を配り、適切な処置をしていかなければならない。指揮官が目の前のことに集中しすぎて他の方面を疎かにするなど、言語道断である。
(いい機会だから、戦闘の指揮とは何かってことを徹底的に叩き込もうかしら。虎徹だけじゃなく、ビールにも。二人とも昇格したばかりだしね……)
 礼は内心でそう決心した。一方で、同じく昇格したばかりへの石崎には、このことは教えなくてもいいだろうと思っている。石崎は〈レッド・ロブスター〉で、指揮官の心構えについては、骨身にしみるまで叩き込まれているからだ。
(進歩する努力をやめることは、退嬰への第一歩。これでよしなんて、満足していられない。もちろん、私も……)
 礼は軽く頭を振った。いつまでも自分の考えに浸っているわけにはいかない。彼女は、四隊長会議の議長なのだ。
「さてと、おしゃべりはそこまでにしましょう。尋問を始めるわよ。準備はできてる?」
「俺の方は終わってるぜ。資料もそろえてある」
 石川が言う。
「よろしい。じゃあ、容疑者を連行して」
 斎藤にそう言うと、礼は宇野の尋問の準備を始めた。といっても、筆記用具を取り出しただけであるが。
 やがて、護送役の1番隊隊長・猿渡を先頭にして、宇野五郎ら今回の事件の容疑者五人が入ってきた。最後に同じく護送役の2番隊隊長・山田が司令室に入ったのを確認すると、斎藤はドアを閉めて自分の席に着いた。
「まずは、ようこそと言うべきかしら」
 椅子に座ったままの礼の言葉に、敵意に満ちた視線を返してくる五人。並の女性であれば震え上がるか、そうでなくても何も言えなくなるだろうが、礼は並の範疇に収まるような女性ではない。五人の視線に込められた敵意――中には殺意も混じっている剣呑な代物に、冷笑で応えた。
「ここはなんだ?」
「旧法学部棟、第三〇三講堂よ。そんなことも知らないの? っていうか、日本語の使い方、おかしくない?」
「俺が言ってるのは、ここで何をするつもりなんだって事だ!」
 礼の回答に、激昂する宇野。
「あら、そう。だったら、『ここで何をするんだ?』って言わないと。日本人として生まれて、日本語で教育を受けたのに、日本語を間違って使うなんて恥ずかしいわよ」
 礼は冷たい笑みを浮かべた。もちろん、礼は宇野の問いの意味を理解していないわけではない。彼女は会話の主導権を握るために、わざとこのような態度で応じたのだ。
「くだらねぇ揚げ足とってんじゃねぇよ!」
「ただの事実の指摘でしょ。余裕のない人って嫌ねぇ。そんなんじゃ、女の子に嫌われるわよ」
 そう言うと、礼は表情を引き締めた。これから自分がやらなければならないことを思うと、さすがに笑っていられなくなってきたのだ。
「さっきの質問の答えだけど、ここで行うのは尋問よ。貴方達は罪を犯したんだから。誰に命じられたかとかそういうものとは関係なく、自分のなした行為に対して、それ相応の報いを受けてもらわなければならない。その報いの量刑を決めるためにも、背後関係はきっちりと洗っておく必要がある。だからあなたたちはここに呼ばれたの。理解できたかしら?」
 礼の言葉に、宇野は憎悪に満ちた視線で回答した。理解は出来たが受け入れられない。そう思っているのは、明白だった。
「俺達が素直に口を割るとでも思ってるのか?」
「思ってるわけ、無いじゃない」
 礼はあっさりと言ってのけた。
「だから、多少の無茶もやむを得ないってことよね」
「無茶?」
 怪訝そうに問う宇野を無視して、
「教授、後は任せたわ。どれだけ時間がかかってもいいから、徹底的に泥を吐かせて。ただし、犯罪行為には手を染めないように」
 と礼は石川に指示した。そのまま腕を組み、椅子の背もたれに体を預ける。あまりにも常軌を逸したことでない限り、石川のすることに口出しをしない、という意思表示だ。
「了解した」
 礼とのつきあいの長い石川は言外の意味を察すると、頷いて椅子から立ち上がる。
「さてと。一人ずつ泥を吐かせていこうか。さすがに俺でも、いっぺんに二人を相手にするのは無理だからな」
 日付が変わってから今までにラッキーストライクを一〇本以上灰に変えていた石川が、改めて取り出した一本をくわえながら、宇野の前へと歩き出す。
「さて、宇野。お前、なんでまた、こんな犯罪に手を染めたんだ?」
 前置きもなしに、石川が宇野を詰問した。
 宇野はそれが聞こえなかったかのように沈黙する。それを見た石川は、口を開かずにじっと宇野の目を見据える。
 二人とも口を開かないまま、時間だけが過ぎていく。どちらも相手を笑わせようとはしていないが、まるでにらめっこのようだった。
 五分が過ぎ、十分が過ぎようとした頃、宇野は石川から目をそらした。この沈黙のにらめっこに負けた格好の宇野はしぶしぶ口を開いた。宇野が話し始めるのを確認すると、石川は火を付けずにくわえたままだったラッキーストライクに火を付け、大きく紫煙を吐き出した。
 彼が語るには、今回の一件は、山本光輝がスパイ研会長・関達彦にせっつき、スパイ研や骨法同好会に〈オジロワシ〉が加える弾圧の手を緩めさせようとして企てたものらしい。隊員を拉致された〈オジロワシ〉は士気を殺がれ、弾圧の手を緩めるだろうと山本は読んでいたが、かえって〈オジロワシ〉隊員の敵愾心をあおり、宇野や原口が逮捕されることになったのだ。
「それで、関はなんて言ったんだ? 山本に言われて、そのままゴーサインを出したのか?」
「そんなことは知るもんか。直接山本に聞けよ」
「聞きたいのはやまやまだけど、あいにくそうもいかないんでな」
 石川はそう言いながら、四分の三ほど吸ったラッキーストライクを灰皿に押しつけて火を消した。
「っていうか、お前、今度の一件の指揮官なんだろ? 指揮官としての心構えってのができてないんじゃねぇのか?」
 石川は新しくラッキーストライクを取り出し、火を付けずに口にくわえると、宇野の前に回り込み、机を強く叩いた。大きな音が響き、宇野の体が大きく引きつる。
「今回の一件、お前がリーダー的役割を担ってたんだろ? ってことは、お前は今回の一件の指揮官ってことになる。指揮官ってのは、作戦の成功に向かってあらゆる努力を尽くす義務があるんだ。
 お前はその義務を果たしたのか? 果たしてないだろ? ここにこうして引き出されても、自分は悪くないって弁解ばかり。恥ずかしいと思わないのか?」
「あんたの話を聞いていると、まるで俺が今回の一件を成功させた方がよかったみたいだな」
 宇野の皮肉混じりの言葉に、石川は、
「ああ、そうだな。そうなれば、俺達はお前達を殲滅できる大義名分を得られるからな。いっそのこと、成功してくれた方が後腐れ無く始末できるぶん、よかったかもしれん」
 と、冷笑で答えた。
「もっとも、貴様のような人間の屑が音頭とってる以上、どう頑張ったとしても成功なんてしなかっただろうけどな」
 そう言うと、石川は宇野の目を正面から見据えた。
「なぁ、宇野。行動には必ず責任ってものが伴うんだよ。お前はそれを安易に考えすぎた。それがこの体たらくだ。
 それなのに、何だ? 『俺は偉いさんの命令に従っただけだ。だから俺は悪くない』とでも言いたいのか? ……ガキか、お前は?」
 ここまで一気に言って、石川は宇野から離れた。
「俺は山本のことは、別に嫌いじゃない。好きでもないがね」
 石川の言葉に、宇野は意外そうな表情になった。
「意外か? むしろ、お前の反応の方が、俺には意外だね」
 石川は、くわえていたラッキーストライクに火を付けた。紫煙を吸い込み、盛大に吐き出しながら宇野を一瞥した。
「根本的に勘違いしているようだから言っておいてやるが、俺は山本光輝っていう人間自体は嫌いじゃない。ある意味、尊敬すらしているよ。自分の構想をなんとしてでも実現させようとするそのバイタリティには、羨ましいとさえ思ってる。そのことと、奴が犯罪者だってことは、また別の話さ」
「自分たちと張り合う人間を尊敬するだと? どこまでおめでたいんだ、お前は?」
 宇野の嘲笑混じりの言葉を、石川は鼻で嗤った。
「俺は情報分析官だ。よく訓練された分析官は、個人的な好悪で情報の価値を決めたりしないし、分析結果に願望を混入しない。そういうものだと言われている。俺はそういった存在であろうと常々思っている。だから、調査対象を憎んだりはしない。それだけのことさ。……人間の屑であるお前には、永久に理解できないだろうが」
「今お前が言ったことと、俺に対する評価が矛盾してるような気がするのは、俺の気のせいか?」
「ああ、間違いなく気のせいだ。俺にとって、お前は好悪の感情を抱く以前の対象でしかない」
 石川は口元をゆがめながら、灰皿に吸い殻を押しつけた。
「つまり、お前という人間は、この世に存在しちゃいけないレベルのカスだ、ってことさ」
 激高する宇野を一瞥すると、「カスでも馬鹿にされたことはわかるみたいだな」と呟き、石川は言葉を続けた。
「俺は今日まで、あらゆる情報を分析して、宇野五郎という人間を知ろうとしてきた。その結果、こいつは実にどうしようもない人間だということがわかったんだよ。どの角度から洗ってもそういう結論が出てくるってことは、正真正銘のカスだって判断せざるをえないだろ?」
 怒りのあまり言葉に詰まってしまった宇野を冷ややかに見て、
「だってそうだろう? カスじゃなかったら、お前は今頃、ここにはいないんだから。
 与えられた仕事も満足に遂行できない無能。努力をしなければならないときに、それを怠った愚か者。それがお前だ」
 自分に対する酷評に怒り心頭に発した宇野が言葉にならない怒号をあげるが、石川はそれを無視して続けた。
「不満があるようだが、俺は妥当な評価だと思うぜ」
 そして、宇野を見据えて、
「だって、ここにこうして引き据えられてるんだから」
 宇野は顔を屈辱と怒りに染めて石川につかみかかろうとしたが、即座に護送役の猿渡と山田に取り押さえられた(その際に猿渡に右頬を、山田に鳩尾を、それぞれ殴られたのは些細な出来事でしかない)。一方の石川は、それっきり宇野に対する興味を失ったかのように、彼を無視し続けた。
 石川はそのまま他の三人に対する尋問を続け、情報の裏付けを取った。とはいえ、所詮下っ端の会員である彼らはたいしたことを知っておらず、現状の確認程度にしかならなかった。
 これ以上有益な情報は得られないと見切りを付けた石川は、三人に対する尋問を早々に打ち切り、残った原口に向き直った。
「原口良太。あんたは確か、骨法同好会の会長だったな。なんでS研と組んだ? それほどFSが憎かったのか?」
「あんな仕打ちをされれば、誰でも連中が嫌いになるさ」
 原口はぶっきらぼうに答えた。
「あんな仕打ちとは、具体的にどんな仕打ちなんだ?」
「加納に聞けばいいだろう? お仲間だそうじゃないか」
 原口は憎々しげに言う。
  「聞きたいところだけど、あいつ何か話してくれるかねぇ? FSとももめてなかったみたいだし、そういう話をしてくれるかどうか期待できそうもないと思うが」
 石川は首をかしげた。
 加納は行動隊員の中で唯一の骨法同好会員だが、FS湘洋との関係は非常に良好だ。同じ小隊のFS会員とはうち解けているようだし、隊を離れてもFSの会員と諍いを起こしたことがない。FS湘洋会長の三品威も加納には一目置いており、決して手を出さないようにと命じているという噂だ。
「使えねぇ奴だ」
 原口が舌打ちしたが、石川は聞こえないふりをした。仕方がないというように、原口は口を開く。
「まだ一年の頃だ。同好会に入ってしばらくたった頃だった。FSの奴らが数人がかりで俺にリンチをかけた」
「……それだけか?」
 原口の話を聞いていた石川が、意外そうに言った。
「まだあるが、いちいち言ったって仕方ないだろ。似たようなことは、今までにいくらでもあったんだから」
 原口は面白くなさそうに吐き捨てた。
「似たようなこと、ね。たったそれだけなのか。それでいじけたって事か」
 石川は原口の言葉を聞き、表情を故意に消した。
「なんだと?」
「たったそれだけのことでいじけたのか、って言ったんだよ。そんな些細な理由で、関係のない人間を巻き込んだのか?」
 侮辱され気色ばむ原口に、石川は声を荒げずに静かに返した。
「こっちが何もしていないのに喧嘩売られたんだぞ? しかも、大人数でリンチまがいのことをしやがったんだ。恨むのも当然だろ」
「その気持ちは少しはわからないでもないが、反撃のやり方が余りにも稚拙だ。同じことやり返してどうする? だらだらと同じことが続いて、憎しみが連鎖するだけだと、なぜ気づかない?」
「じゃあ何か? 黙って、おとなしくしてろってのか? 先に喧嘩を売ってきたのは向こうなのに、反撃もするなって言うのか? 冗談じゃない。なんでそんな我慢を俺がしなくちゃならないんだ?」
 気色ばむ原田だったが、石川は黙っているだけだった。原口の剣幕に気圧されたというより、何の関心もないといった冷たい視線で見るだけだった。
「……なるほど。あいつが愛想尽かすわけだ」
 言いたいことをぶちまけて、一息入れるために原口が口を噤んだのを見て、石川は微かに鼻を鳴らした。
「随分と大人げないじゃないか。やられたらやり返せ、か。おまえはガキか? その理屈が通用するのは、せいぜい中学までだぜ。せっかく大学に入れたんだ。もう少しスマートに片付けようとは思わなかったのか? 中立的な誰かに相談するとか、それこそ顧問に話してもいいだろう。全くのお飾りじゃないんだろ、おまえたちの顧問は。
 どうしても腕ずくで片付けたいっていうなら、それこそ三品と一騎討ちでもしろよ。脳味噌が筋肉で出来たトップ二人がいっぺんに退場すれば、残りの奴らも少しはおとなしくなるかもな」
 宇野に対したときとは対照的に、石川は無表情のままだった。そのまま原口は怒りで顔を紅潮させ、低く呻いた。
「姐御、何か追加で聞きたいことは?」
 石川は礼に視線を向けた。礼は軽く首を振る。
「いえ、特にないわ。今ので十分よ」
「算盤や旦那は?」
「いや、特にない」
「右に同じ」
 首藤と斎藤も、石川にむかって首を振った。
「じゃあ、求刑させて貰おうか」
 石川は居住まいを正した。礼に向かって直立不動の姿勢を取り、恭しく一礼する。
「議長、俺は今案件の容疑者全員に対し、退学不許可、恩赦対象外の無期禁固、無期停学処分を求刑する。退学なんて生ぬるい処分は、かえってこいつらのためにはならない。大学から追放したところで、世のため人のためにならない人間だ。社会に出すのは害毒でしかない。一生ここで飼い殺しにするべきだと判断せざるをえない」
 礼はそれを聞いて軽く頷いたあと、椅子から立ち上がり、戦闘服の胸ポケットから封筒を取り出した。同じような封筒は胸ポケットの他にも、腰のペルトポーチの中にも入っており、さらに机の上にもあった。
「では、判決を下す」
 礼が口を開いた。そのまま、封筒の中に入っていた紙片の内容に素早く目を走らせ、よく通る声で判決を言い渡した。。
「文学部史学科三年生・宇野五郎。右の者はスパイ研究会外事局長・山本光輝の命令で、理学部地質学科一年生・古内章雄を拉致監禁し、学内治安維持組織の職務を妨害した。上級者からの命令に従っただけとはいえ、判断能力を充分に有した成人である以上、この件に情状酌量の余地はないと判断せざるを得ない。また、精神的にも圧迫を受けておらず、この点から見ても、情状を酌量することは出来ない。
 よって、本職は宇野五郎を有罪とし、求刑通り無期禁固、無期停学処分とする。
 同件で拘束された他三名も、同様の判断に基づき、無期禁固処分とする」
 礼は無表情に判決を下した。抗議の声を上げた四人に、礼は机を激しく叩き、
「判決に異議を差し挟むな、このクズどもが!」
 と一喝した。その迫力に四人は黙り込んだ。
 いや、言葉だけなら、彼らは抗議の声を上げただろう。
 彼らの口を噤ませたもの、それは彼らを見据える礼の目だった。
 そこには彼らに対する軽蔑も、侮りも、嫌悪もなかった。自己を正当化する正義感も、勝利の快感も、同じように存在しなかった。
 礼の目には、激しい怒りだけがあった。理不尽に対する怒り。いわれのない暴力に対する怒り。卑劣な言動に対する怒り。それらが入り交じった激情があった。その感情に、宇野たちは口を噤まされた。
 礼は彼らをひとしきりにらんだ後、大きく息を吸うと、いかにも怒りを押し殺しているといった様子で鼻から息を抜いた。そして、ベルトポーチから先ほどとは別の封筒を取り出した。封筒から紙片を取り出し、内容を確認する。
「骨法同好会会長・原口良太。右の者は宇野五郎と協力し、古内章雄の拉致監禁に手を貸した。
 しかしながら、度重なるFSとの抗争により、精神的に追い詰められた状態となったと考えられるため、情状酌量の余地はあるものと判断する。
 よって本職は原口良太に対する求刑を退け、禁固八年、無期停学処分とする」
 判決が読み上げられると、原口はがっくりとうなだれた。スパイ研と手を組んで、FSとの抗争を優位に進めようと思っていたのだが、この考えは見事に破綻したことになる。
「連行しろ!」
 という礼の言葉に、斎藤は黙って司令室のドアを開け、猿渡と山田は乱暴に宇野を引き立てていった。それに続いて原口ら、残りの人間も引き立てられていく。司令室を出たところで、彼らは当直小隊である3番隊第一小隊に引き渡され、そのまま旧法学部棟の地下にある独房に連れて行かれた。
 それから、彼らがどうなったのか、誰も知らない。わかるのは、彼らは一年が過ぎ、二年が過ぎても解放されなかった、という事実だけだ。

 五人が室内から姿を消すと、礼は天井を仰いで椅子に深くもたれかかると、大きな溜息を吐いた。
「あ〜、緊張した」
「なかなかさまになってたぞ、姐御」
 首藤がねぎらいの言葉をかけた。礼はそれに微笑みで答えると、体を起こした。
「こんなに緊張したのは、はじめて作戦に参加して以来よ。もう二度と、こんな役目はやりたくないわ」
 そうぼやくと、礼は今回使わなかった机の上の封筒を手に取り、細かく千切りだした。封筒に収められていた紙に書かれていたのは、「求刑より重い罰を与えること」という一文のみ。最初に読み上げた紙には「求刑通りに処分する」、原口に読み上げた封筒には「情状酌量の余地あり、一段階軽い罰を」と書かれていた。
 紙を千切り終えると、礼はその残骸を先ほど読み上げた二枚の紙に乗せ、そのまま部屋の隅にあったシュレッダーに放り込む。
「そのうち慣れるさ」
 石川が明るく言った。
「あまり慣れたくはないわね。慣れるってことは、どこかでS研が馬鹿な企みを抱いて失敗したってことだもの。できればS研にもおとなしくなってもらいたいものね。平穏無事に学生生活を過ごしたいんだけどな、私は」
 礼は頭を振った。
「それは俺達にじゃなく、S研の幹部に言ってくれ」
「それもそうね」
 礼はもう一度溜息を吐くと、
「明日――もう今日か。朝一番で古内君の見舞いに行くわ」
 ぽつりと呟いた。
「俺も行こうか?」
「いえ、私一人で行く」
 石川の言葉に首を振った礼は、それまでとは打って変わって悄れた様子になっていた。
「四隊長を代表して、一言謝っておきたいのよ。助けに行くのが遅れてごめんなさい、って」
 礼の言葉を聞いた三人は、顔を見合わせた。そこまで責任を感じる必要はないのではないか。礼以外の三人はそう思っていた。だが、彼女なりにけじめを付けたいのだろう。その意思は尊重するべきなのかもしれない。
「わかった。そうしてやってくれ」
 石川が頷いた。
「じゃあ、朝まで仮眠させて。寝不足で行くのも失礼だから」
 礼の言葉に、三人は司令室から退出した。
  「俺も、改めて見舞いに行こう。古内は理学部班の人間だからな。班長には顔を出す義務がある。詫びも言いたいしな。算盤と旦那は、どうする?」
 司令室を出て、秘密部屋へと向かう途中、石川はそう言って首藤と斎藤に目を向けた。
「すまんが忙しくてな。それどころじゃないんだ」
「俺もだ。申し訳ないが、教授、代わりに行ってきてくれ」
「そうか。じゃあ、三人分まとめて見舞ってやるとしよう。でも、見舞いの品の代金くらいはせびってもいいよな?」
 石川は人の悪い笑みを浮かべた。自分の金を使いたくないというさもしい根性からではなく、代表していくのだからそれなりの負担をしろ、ということらしい。
「オッケー。あとで渡すよ」
「野口さん一人で勘弁してくれ」
 首藤も斎藤も、石川の真意に気づいたらしい。素直に賛同した。

 司令室で一夜を明かした礼は、いったんアパートに帰って着替えた。さすがに、戦闘服で病院に行くわけにはいかない。デパートで見舞いの品として水ようかんを買うと、救出された古内が収容されている湘洋市総合病院へと向かった。
 病院にはすでに探索隊副隊長の向井が来ていた。軽く挨拶を交わして、二人で古内の病室へと向かった。病室のドアをノックすると、警戒するような声でどうぞと返事が返ってきた。それを聞くと、向井はドアを開けた。その後に礼が続く。
「向井さん。それと、神崎さん……?」
 古内は最高幹部が二人も見舞いに来たことが信じられないようだった。
「元気そうだな」
 向井はそう言ったが、古内の様子はどう見ても元気とは言えないものだった。ええ、まあと答える古内の頬はこけ、目はどことなくうつろだった。やせ衰えた腕には点滴の管がつながっている。半月もの間の監禁生活が、古内にどれだけの肉体的・精神的ダメージを与えたのか、病床の姿が如実に表していた。
 その様子を見た礼は、表情をこわばらせた。自分たちの決断の遅れが一人の学生をこんな状況に陥れたのだという自責の思いが、彼女の胸を締め付ける。情報入手の遅れ、決断の遅れが致命的な過ちを犯すことになるということを、礼は古内を実例として見せつけられた。
「遅れて、ごめんなさい」
 礼は古内に頭を下げた。
「いえ、たいしたことないって医者も言ってますし。それに再起不能になったわけではないですし」
 古内はそう言って笑うが、その様子が更に礼を責める。古内にはそんな気持ちは全くないのだろうが、今は彼の言葉、彼の一挙手一投足が、礼を責めている。
「本当に、ごめんなさい。もう少し早く助けてあげたかったのに」
 礼は更に頭を下げる。
「ゆっくりと休んでいけ。話を聞く限りだと、お前に取り立てて非難するべき点もないわけだし、俺達としてはお前に対する処分はしないつもりだ。石川も、そこまで鬼じゃないだろ。単位は……まぁ、来年頑張れ」
 湘洋学園大学は二年次修了時のの単位取得状況によって進級できるかが決まる。つまり、取得単位が著しく少ない場合は留年することになる。〈オジロワシ〉隊員は原則的に留年などしないのだが、古内は医師から一ヶ月以上入院するように告げられている。退院後も精神科に通院する必要があるだろう。出席日数が足りなくなるおそれがでてくるため、さすがに留年の危険性も出てくる。
「神崎?」
 礼の様子がおかしいと気づいた向井が声をかけたが、礼は答えず、頭を下げたままだった。彼女の肩は細かく震えており、足下に一滴また一滴と水が落ちている。
「か、神崎さん?」
「神崎、どうした?」  古内と向井が驚いたように言うが、礼はうつむいたまま病室から出て行った。
 廊下をしばらく歩いて、ロビーに置かれているベンチにくずおれるように座ると、礼は座面に突っ伏して泣き出した。
 古内を苦しませてしまったという、自分を責める涙だったが、礼の涙には別の感情もあった。
 決断を下す人間には、様々な責任が伴う。自分の決断一つで、人の一生を変えてしまうかもしれない。責任の重さはこれまでも行動隊総隊長という立場で感じてきたが、今までに感じたことのない重さを今回は感じた。責任の重さを痛感するとともに、責任に伴う地位の重さも、礼は思い知った。
 そして、怖くなった。今の神崎礼という人間に与えられた責任は、非常に大きい。行動隊総隊長の職責と併せて、司令が背負うべき責任も負わなければならないのだ。事前に予想もしていたし覚悟もしていたが、その予想よりも重い責任だった。指揮官として卓越した才能を持つ彼女ではあるが、その責任の重さはわずか二一歳の女性が背負えるものではなかった。
「礼?」
 泣きじゃくっている礼の頭上から、聞き慣れた声が聞こえた。
「……え?」
 その表情を見た声の主――石川は、予想外の礼の様子に絶句した。
 顔を上げた礼は目に涙をため、まるで迷子になった幼子のように震えていた。
「あ、アキ……?」
 礼は声をかけてきたのが誰かを確認すると、石川の胸に飛び込み泣きじゃくった。
「何があったんだ、いったい?」
 石川は突然の事に驚き、抱きしめてやることさえも忘れて立ちつくしていた。


 一方、礼が出ていった病室では。
「神崎を泣かせたな」
 向井はそう言って古内の顔をまじまじと見ると、
「……これが石川に知られたら、お前殺されるぞ〜」
 とからかうように言った。
「む、向井さん、脅かさないでくださいよ。俺、何もしてませんよ?」
 古内の慌てた顔を見て、向井は声を上げて笑った。だが、その笑いも、
「見たぞ」
 という声とともに険しい表情の石川が入ってくると、すぐに凍り付いた。石川も見舞いに来るとは聞いていたが、こんなに早く来るとは思っていなかったのだ。
 そして、タイミング的には最悪だった。間違いなく、石川は礼と会っている。それも、泣いている礼と、だ。向井が礼を泣かせたわけではないが、そんな弁明を今の石川が聞き入れるとは思えない。
「い、石川さん……」
 古内の顔色は蒼白になっていた。つい先ほど、向井が冗談で言っていたことが現実になろうとしている。その恐怖が、古内の体を凍り付かせていた。もちろん、古内が礼を泣かせたわけではない――とは言い切れない部分もあるが――が、どんな言い訳にも、石川が耳を貸すとは思えなかった。
「貴様ら、礼を泣かせたな」
 石川はことさらゆっくりと言い、ベッドへと近づいていく。向井は冷や汗を流しながら石川を止めようとして口を開こうとするが、声が出てこない。古内は恐怖に引きつった表情で、何とか石川から逃げようとベッドの上を這いずっている。
「……なんてな」
 石川は突然口調を明るいものに変えた。突然の石川の豹変に、向井も古内も口を半開きにして呆気にとられていた。
「お前らが礼をいじめた訳じゃないんだろ。そんなことで怒るほど、俺は心の狭い人間じゃねぇよ」
「あのな……さっきの雰囲気は、いろいろな意味で洒落になってなかったぞ……」
 向井は顔に浮かんだ汗をハンカチでぬぐいながら、大きく息を吐いた。
「すごく……怖かったです……」
 古内は半泣きになっていた。そのまま、脱力してベッドに寝そべる。
「すまん、ちょっとからかってみたくなったんだ」
 石川は軽く謝罪すると、
「思ったより元気そうだな」
 と古内に声をかけた。
「え、ええ、まぁ」
 古内は曖昧に頷いた。
「さっき礼も言っただろうけど、遅れて申し訳ない。もう少し早く助けてやれればよかったんだが、俺の不手際もあって救出作戦の発動が遅れた。本当にすまん」
 石川は深々と頭を下げた。
「いえ、とりあえずこうして無事なわけですから。大丈夫ですよ」
 古内はあわてて身を起こした。
「これからのことは、退院してから決めよう。ここを出たら、まずは俺のところに来い。どんな任務に就けるか、そのときに判断する」
「わかりました」
 古内は頷いた。
 それから軽く雑談を交わして、石川は向井と一緒に病室から辞した。
「礼のケアもしてやらないとな」
 石川は溜息混じりに呟いた。
「相当ショックを受けてたみたいだな」
 向井が相槌を打つ。
「自分の決断の遅れが、古内をあんな状態に追い込んだ。そう思ってる。そんなに責任を感じなくてもいいのに……」
「責任感が強すぎるのも、考え物だな」
 向井の言葉に、石川は頷いた。
(まぁ、そんな性格だからこそ、俺が惹かれたわけだが)
 そんなことを石川は思ったが、口には出さない。
「これからのこと、少し考えないといけないな」
「これからのこと?」
 向井が首をかしげたが、石川は何も言わない。
 このとき、彼はあることを決心していた。
 夏期休暇明けにでも四隊長で話し合う必要があるだろうが、おそらく反対意見は出ないだろう。そう確信しながら、石川は湘洋市総合病院を後にした。


次回予告
 ラグビー部とアメフト部の抗争は終わる気配も見せずに続いている。これを憂慮した学友会が仲介して、講和会議が行われることになった。
 同じ頃、学友会の『善意にあふれた人間』が、学友会独自の武力組織を作り上げようと画策する。
 学友会総務課長の榊原はこの試みに真っ向から反対し、何とかして設立を阻止しようとするが力及ばず、武力組織『学友会執行部隊』が誕生する。
 礼を教官に迎えて訓練を始めた学友会執行部隊だが、そこにはすでにスパイ研の手が伸びていた……
 
 次回、〈オジロワシ血風録〉第五章 『学友会執行部隊』

 大規模兵力同士の戦闘は起こるのか。


あとがき

 ごきげんよう、片岡でございます。
 途中で大幅に間を開けてしまい、申し訳ございませんorz
 諸々あってしばらく書けないでいるうちに、書き方を半分くらい忘れてしまいました(ォィ
 自分が過去に書いたものを読み返して何とか勘を取り戻そうとしましたが……やっぱり中断前とは微妙に文体が変わっているようで、書いていて違和感をぬぐえませんでした。
 やっぱり間を開けちゃダメなのねorz

 今回の誤算は工藤です。石川を助けるシーンでは、思いっきり暴走してくれましたw もう少し飄々としたキャラに設定してたはずなんだけどなぁ……


 第五章はほぼ全面的に書き直しになりますが、何とか更新ペースを速めていきたいと思っています。
 では、またお会いしましょう。
 次回は、戦争(の前哨戦)です。


管理人のコメント
 無事作戦は成功し、人質は救出されました……が、すべてが満足だったとは行かないようです。

>礼に言わせれば、柳生の指揮ぶりは「千歩以上譲って及第」というものでしかなかった。

 これは厳しい。しかし、理由を聞けば納得と言うものです。


>いざとなったら自分が駆けつけて剣を振るえばいい。そう思っているのだとしたら、その考えを徹底的に矯正しなければならない

 ワンマン・アーミーなのはどこぞの武士道仮面だけで十分。本来は軍にとっては有害な面のほうが多いですから、これは納得です。


>もちろん、礼は宇野の問いの意味を理解していないわけではない。彼女は会話の主導権を握るために、わざとこのような態度で応じたのだ。

 こうして見ると、つくづく姉御は恐ろしい人です。敵に廻したくないなぁ。


>「つまり、お前という人間は、この世に存在しちゃいけないレベルのカスだ、ってことさ」

 恐ろしさは教授も同じですが。ある意味お似合いのカップルではあります。


>それから、彼らがどうなったのか、誰も知らない。わかるのは、彼らは一年が過ぎ、二年が過ぎても解放されなかった、という事実だけだ。

 今回、スパイ研のメンバーが退学にならなかった場合の処置が初めて描かれたわけですが……厳しいものがありますね。自業自得ではあるんですが、これが単なる大学活動の延長ではないことが良くわかります。


>そして、怖くなった。今の神崎礼という人間に与えられた責任は、非常に大きい。行動隊総隊長の職責と併せて、司令が背負うべき責任も負わなければならないのだ。

 これを見ると、やっぱり兼任と言うのは大変ですね。ちゃんとした司令職の復活が求められます。


>学友会総務課長の榊原はこの試みに真っ向から反対し、何とかして設立を阻止しようとするが力及ばず、武力組織『学友会執行部隊』が誕生する。

 前司令の榊原、久々に登場の様子です。ちゃんと表向きの役職も持ってたんですね。
 しかし、武力組織が大々的に作られるとは……相変わらず凄い学校です。

 戦争の前触れだと言う次章、いよいよ物語はヒートアップしそうですね。

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