オジロワシ血風録
第四章 拉致
11.御用改め
八月七日午後九時三〇分。
礼は司令室で作戦の開始を待っていた。
室内には、礼のほかには誰もいない。石川も、首藤も、斎藤も、今は別室でそれぞれの作業にかかっている。彼らは今日は全員徹夜になるだろう。
そんな中で、礼は一人時間を持て余していた。4番隊を送り出し、その他の五個番隊に待機命令を下してしまうと、彼女のすることはなくなってしまった。
行動隊が作戦を行う際には陣頭指揮を執ることが多かった彼女だが、編制替えによって前線で指揮を執ることはなくなった。これからは複数の戦場で作戦行動を行うことも予想される以上、参加兵力が一個番隊程度の作戦では総隊長である自分は陣頭指揮は執らない方がいい、そう思えばこその措置だったが、どうにも落ち着かない。こういう時に何をすればいいのかわからず、手持ちぶさたなのだ。
少し前までは室内を歩き回ったり、時計を何度も見直したりと、落ち着きのない行動を繰り返していた。他の三人の様子も何度も見に行き、挙げ句の果てに「邪魔だから向こうに行ってくれ」と異口同音に言われて追い出されてしまった。
あれやこれやで疲れてしまったために、礼は椅子にじっと座っている。さっきまでは張り詰めていた神経も、今では張り詰めすぎて疲れてしまい弛緩している。肉体的、精神的に疲労した礼は、それまでの反動で何もする気にならず、人目がないのをいいことにだらしなく机に突っ伏していた。
(ただ待つっていうのも、つらいものね……)
礼は、懐中時計の盤面を見るともなしに眺めながらぼんやりと思った。
礼は腕時計を持っていない。手首に不自然な重さがかかるのが、どうにも落ち着かないのだ。だから、中学時代から腕時計のたぐいは一切身につけていない。
(はじめてもらった時計は、もう使えないしね……)
寂しそうに礼は溜息を吐いた。
石川から贈られた懐中時計は、追突事故の際に壊れてしまっていた(第二章第五話参照)。壊れたといってもすぐに直る程度のものなので修理をすればいいのだが、たとえわずかな間とはいえ、思い出の品を手放す気にはなれず、結局壊れたままになっている。彼女が今持っている懐中時計は、礼が自前で購入したものだ。装飾の一切無いシンプルなもので、クロームメッキの蓋が蛍光灯の明かりをよく反射している。
(これも悪くないけど、アキの時計とは比べものにならないし……)
石川とのはじめてのデートでもらった時計。今までにもらったどんなプレゼントよりも嬉しかったのを覚えている。
そう考えたところで、礼は大きく溜息を吐いた。軽く頭を振って、気持ちを切り替える。作戦前に考えることではない。たとえ、自分が参加しないものであったとしても。
(暇になると、ろくなことを考えないわね)
礼は苦笑する。体を起こして、椅子にもたれかかった。
振り返ってみると、行動隊総隊長に就任してから今まで、これほど暇になったことはない。いつも駆け回り、雑務に追われ、戦い続けていた気がする。そんな状況だったので、退屈という言葉とは無縁だったし、ゆっくりと過去を振り返るなどということはできなかった。
一つ溜息を吐くと、礼は気持ちを切り替えることにした。まもなく4番隊が宇野のアパートに突入する。よほどのことが起こらない限り、作戦が失敗することはないだろうが、
(今回の一件にしても、私にできることはもう無い。だから、今はただ待つだけ。虎徹のことだから、きっとうまくやってくれる。そう信じるしかない。信じて待つしかない。頭ではわかってるんだけど……)
礼は懐中時計の蓋を開け、改めて時計の盤面を見た。
午後九時四三分。
作戦発動の時刻は、近づいていた。
礼が司令室で作戦の開始を待っていた頃、4番隊の四八人は、宇野の家の周囲を囲んでいた。
今日の柳生は、いつもの黒い羽織ではなく、袖口がだんだら模様に染め抜かれた浅黄色の羽織を着ている。まるで、ドラマなどで使われている新撰組の羽織のようだった。
(意外に派手好きだってことはわかってたつもりだったけど……こんなに派手な格好で作戦やっていいのか?)
第四小隊長の加納は、柳生の格好を見て呆れていた。ピックアップ隊の車から降りたときは、こんなものは着ていなかったはずだ。いつの間に着替えたのか、加納にはわからなかった。
「今宵の偽虎徹は、血に飢えておる……」
柳生は外装を作り替えた強化木刀〈武蔵〉――偽虎徹と名付けられている――を抜きはなつなり、こう言ってニヤリと笑った。〈武蔵〉を主戦武器にしている行動隊員は数多くいるが、鞘付きの〈武蔵〉を持っているのは柳生だけである。鞘に収めるために通常のものよりやや細めであるが、重さはさほど変わらない。柳生だけのために作られた特注品――というより、兵器局が試作したものを譲り受けて、拵えを替え、表面にアルミ箔を何層も貼り重ねたものである。
彼が帯びているのはこの偽虎徹と、小太刀サイズの強化木刀〈小武蔵〉――こちらはなんちゃって国広と命名されている――の二本だ。室内戦を想定しての選択である。どちらも名前はふざけたものだが、行動隊随一の剣士である柳生が振るえば恐ろしい威力を発揮するだろう。何しろ柳生には、この〈武蔵〉がまだ制式採用される前のトライアルの際に、廃品として歩兵隊員の射撃の的になっていたホワイトボードを、射撃の的となっていたため強度が劣化していたこともあるだろうが、真っ二つに叩き割った実績がある。
「何言ってるんですか。蒲田行進曲じゃあるまいし」
加納が柳生の台詞を聞いて、全身から力が抜けるのを感じた。ツッコミの声にも迫力がない。
「そうですよ。もう少しまじめにやってください」
第三小隊長の『プリンセス』沖田悠美が怒ったように言う。第一小隊長・『ゴールド』大石良徳、第二小隊長・『デューク』小山内英樹の二人も、口にこそ出さないが、非難がましい視線を柳生に向けている。
「いいじゃねぇか。景気付けだよ、景気付け。……とはいえ、そろそろ気を引き締めるか」
柳生は偽虎徹を鞘におさめながら非難をやんわりとかわしたが、すぐに真剣な表情になって腕時計を睨んだ。
「事前の打ち合わせ通り、決行は二二時ちょうどだ。プリンセスは俺に続いて玄関から侵入、宇野以下を拘束する。行者はキッチンの窓から入って古内を確保。ゴールドとデュークは周囲の警戒。いいな?」
柳生は四人の小隊長に確認をとった。四人は一斉に頷いた。昨日の対抗演習終了後、柳生は全員を集めて二度ブリーフィングを行った。その二度目のブリーフィングで、各小隊の役割、決行時間などを細かく打ち合わせておいた。細部の変更は無い。
「時計を合わせる。二一時五〇分にセットしろ」
柳生の声に、四人は腕時計――全員、アナログ式の腕時計をしていた――の時刻整合を行う。柳生だけは腕時計ではなく、懐中時計だ。
「用意……時間!」
柳生の声に、竜頭を押し込む音がかすかにした。これで五人の腕時計は同じ時刻を指すことになる。
「では、ゴールド、デューク、散れ」
柳生は短く命じた。大石と小山内が頷くと、部下をつれてアパートの周囲に展開した。柳生はそれを目で追うこともなく、じっと時計を見つめる。
「作戦開始だ。俺に続け!」
時計が二二時ちょうどを指すと同時に、柳生は懐中時計を懐にねじ込みながら駆け出した。第三小隊が慌てたように彼に続く。
「こっちも行くぞ! 第四小隊、続け!」
加納は第四小隊の一二人を率いて、石川から教えられた、古内が囚われている部屋に向かって走った。
木村泰典はワンボックスカーの運転席で、所在なさげに外を見ていた。
彼はピックアップ隊の一員としてこの作戦に参加していた。言うまでもなく、普通自動車運転免許保持者だからだ。しかし、彼が普段乗っている軽自動車では完全武装の隊員を二人しか運べないことがわかったため、レンタカーを預けられていた。
(こういう形じゃなくて、できれば突入部隊で参加したかったな……)
木村はハンドルを指で軽く叩いた。
特に好戦的なわけでもない木村だが、ついこのように思ってしまう。もっと多くの経験を積み、上官である猿渡や、教官役を買って出てくれている礼に認めてもらいたい。そういう思いが日に日に強くなってくる。
(まだまだだよな。隊員としても、一人の男としても……)
木村は溜息を吐いた。礼や猿渡から様々な薫陶を受けている木村だが、二人の足元にはとうてい及ばないという思いが強い。教えを受ければ受けるほど、二人との差に絶望しそうになる。
(もっともっと、自分を磨かないと……)
指揮官としては発展途上というよりも未完成。一人の男としては青二才もいいところ。若いのだから仕方ないとは思うが、それで満足できるほど、木村は向上心のない人間ではない。
(次の機会で、何とかして認めてもらうようにしないと……このまま『期待の新人』で終わるのはごめんだ)
木村は唇を噛みしめた。彼は礼や猿渡、山田といった面々から、時には自分から教えを請い、時には立ち居振る舞いから指揮官としての心構えを見いだし、自分を鍛えてきた。
その成果は、まだ発揮できていない。いくら指揮官として自分を鍛えたとしても、分隊長ではその成果を十分に発揮できない。小隊長として臨む次の戦いで、これまで努力してきた成果を出したい。木村はそれを強く望んでいた。
電源を入れっぱなしにしているトランシーバから、作戦開始という声が聞こえてきた。時計を見ると、二二時を回ったところだった。
「始まったな」
木村は呟いた。まずは虎徹のお手並み拝見。そんな不遜な考えを、木村は抱いた。
柳生はピッキングによって解錠された玄関のドアを静かに開けると、二個分隊ほどを玄関付近の警戒員として残してそのまま土足で室内に入り込んだ。悠美と一個分隊五名の隊員たちがそれに続く。居間の前にたどり着くと、中から複数の人間が酒を飲んでいるような大声が聞こえた。
柳生はそれを認めると「まさに池田屋」とつぶやき、なんちゃって国広の鯉口を切る――偽虎徹は室内で振り回すには長すぎるので使わない――と、右手でドアを開け放った。
室内には四人の男がいた。突然ドアが開けられ、その向こうに派手な羽織を着た男が立ち、後ろにいる連中も武装しているのを見て、驚いたように固まっている。余りにも動転していて、声も出せないようだった。
「宇野はどいつだ」
柳生は意識して抑えた声を出した。
「誰だ、貴様ら!」
「やかましい! 答えろ!」
今更ながらかけられた誰何の声を、柳生は鋭く睨み付けて封じた。
四人は押し黙ったまま、座り続けている。わざわざ名乗りを上げるほど、状況が理解できていないわけではないらしい。
「仕方がない。おい、どいつが宇野だ?」
柳生は舌打ちすると、後ろに控えていた悠美にたずねた。悠美は以前宇野にストーカーまがいの交際申し込みをされたことがあり、よく顔を覚えている。その時は性急に行動隊が動いたために宇野を取り逃がしていたが、これが悠美が〈オジロワシ〉に加入するきっかけであったのは、また別の話である。
悠美は緊張した顔でじっと四人を見ていたが、
「こいつです、隊長」
と一人を指さした。指された男が顔をこわばらせる。
「了解!」
柳生はそう言うや否や、なんちゃって国広を抜刀し、宇野だと名指しされた男の右腕を殴りつけた。空を切る鋭い音がした後、宇野の二の腕から鈍い打撃音が聞こえた。衝撃で手からコップが落ち、中の酒がこぼれる。宇野は痛みをこらえかねてその場にうずくまった。
悠美は三人があっけにとられているのを見て、彼らに指を突きつけ、柳生の攻撃を黙って見ていた部下達に向かって、
「拘束しろ!」
と鋭く命じた。その声に弾かれたように、柳生の先制攻撃に見とれていた隊員が一斉に動き出し、残る三人に襲い掛かった。三人は満足に抵抗もできないまま、手錠と結束バンドで動きを封じられた。
柳生は再び宇野の目の前に立ち、襟首を掴んで引き起こすと、宇野の目を正面から見据えた。
「はじめから名乗りをあげていれば、殴られずにすんだのにな」
柳生は馬鹿にするかのように言う。
「貴様ら、狗どもか?」
「ご名答。ご褒美にこいつをくれてやろう」
痛みと屈辱に顔をゆがめた宇野の問いに、柳生はそう言うと、柄を鳩尾に叩き込んだ。うっと呻いて、宇野は身悶えした。
「貴様らは、正真正銘の阿呆だ。学生を拉致監禁するなんて、立派な誘拐罪だ。警察に捕まったら、豚箱入りだ。本当にわかってるのか?」
柳生は四人の背中をなんちゃって国広で小突きながら言った。
「まぁ、S研なんて組織に入るような奴だから、そのあたりの区別ができねぇのも、無理はないか」
柳生は軽蔑したような目で、宇野や組み伏せられている三人を見た。
「宇野五郎以下三名。理学部地質学科一年生・古内章雄を拉致監禁した容疑で逮捕する。あとで処分が下される。覚悟しておけ」
柳生はよく通る声で言うと、振り返って悠美に顎をしゃくった。それに応えて、悠美は直率している分隊の隊員に四人を連行するように命じた。
「プリンセス、徹底的に家捜ししろ。あと一人いるはずだ。そいつを逃がすとあとが面倒だぞ」
「了解。第二分隊、捜索開始」
残った隊員が家捜しをしているのを尻目に、なんちゃって国広を鞘に収め、室内を見回した。
(何とか無事に済んだか)
柳生は内心で安堵の息を吐いていた。4番隊という組織は以前からあったが、構成人員は大幅に替わっている。編制されてからそれほど時間も経っていない、いわば急造部隊だ。もちろん、番隊隊長も替わっている。その急造部隊と新品隊長が無事に任務を果たすことができた。安堵の息を吐きたくもなるというものだった。
「さて、と。行者のほうはどうなったかな?」
柳生が呟いたとき、廊下のほうが騒がしくなった。「待て!」「逃げるな!」という怒号が聞こえる。柳生は表情を引き締め、不測の事態に備えてなんちゃって国広の鯉口を切り、柄に手をかける。
「お前らは捜索を続けろ。怪我したくなかったら、俺の近くに寄るなよ」
柳生は家捜ししている隊員に声をかける。
背後に誰かの気配を感じた。気配と言うより、殺気と言うべきかもしれない。とっさに柳生は振り返り床に片膝をつくと、相手を確かめずに居合の要領でなんちゃって国広を振るった。振り抜いた右腕にものすごい手応えを感じる。柳生は立ち上がりながら、自分が何を殴ったのかを見た。
宇野がぐったりとなって倒れていた。宇野は柳生が室内の様子に気を取られているのを見て、タックルをしようと柳生に飛びかかったのだ。間一髪というところで、柳生の強化木刀は、宇野の側頭部を捉えていたようだ。
「なんでこっちに来たのかねぇ。そのまま外に逃げればよかったものを」
柳生は冷笑した。
「背後から襲えば大丈夫だとでも思ったのか? 生憎だったな。俺はな、伊達や酔狂で二年間武者修行してきたわけじゃないんだよ」
柳生は軽蔑したように、頭にこぶを作って倒れている宇野に吐き捨てながら、軽やかな手つきでなんちゃって国広を鞘に収めた。
「申し訳ありません!」
宇野を追ってきた悠美が、柳生の前に進み出て深々と頭を下げた。
「隙をつかれました。何と言っていいものか……」
「反省は後回しだ。それよりも、こいつをしっかり拘束しておけ。足首にも手錠をかけておけば、逃げられないだろ」
柳生は頭を下げる悠美に向かって命じた。
加納は古内が囚われていると教えられた部屋に向かった。この部屋も、簡単なドアで仕切られている。彼が率いている第四小隊は白兵戦要員が多く、彼らはすでに室内戦用の強化木刀〈小武蔵〉を構えていた。ここにいるのは一個分隊の五名。残りの一〇名はキッチンにある窓の外に、警戒役として残している。
「開けるぞ」
ただ一人〈小武蔵〉を構えていない加納はドアノブに手をかけ、後ろに続いている部下隊員に声をかけた。彼らは加納に頷いた。加納はそれを見て、ドアを押し開けた。すぐに、突入役の隊員二人が〈小武蔵〉を構えながら室内に突進した。真っ先に突入するだけに、白兵戦の訓練を十分に積んだ隊員だった。
次の瞬間、苦痛の呻きを上げて隊員の一人が倒れた。もう一人も〈小武蔵〉を叩き落とされ、のけぞって倒れた。
(誰かいる!)
加納はそれを見て、すぐさま第二陣の先頭に立って室内に突入した。白兵戦の訓練を充分に積んだ突入役が、何もできずに無力化されてしまったのだ。よっぽどの手練れが室内にいるのだろう。加納はそう思っていた。
古内は椅子に縛り付けられている。そしてその隣に、隊員二人を戦闘不能にした男が立っていた。加納には見覚えのある顔だった。
「会長……」
加納は呻いた。骨法同好会会長・原口良太が倒れ伏す隊員の近くに立っていた。仁王立ちしているその姿を見て、加納は思わず舌打ちした。今回の一件に原口が噛んでいるとは聞いていない。事前の情報収集に不備があったのだろうか。
「加納か。久しぶりだな」
原口は感情のこもらない声で呼びかけた。そのすました様子が、加納の怒りに火をつけた。
「まったくだ。久しぶりだな、原口」
敬称を省いて応えると、加納は帯びていた〈小武蔵〉を構えた。
加納の剣の腕前は、たかが知れている。行動隊最強の剣士である柳生や、3番隊第四小隊長の酒井由香から簡単な手解きを受けているが、護身の域を出ない程度の腕前でしかない。それでも〈小武蔵〉を構えたのは、リーチを重視したからである。骨法の間合いは、ほかの格闘技よりも近いからだ。もっとも、原口も年功序列のおかげで会長になったほどだから、格闘の腕前のほうは大したものではない。加納と乱取りをして、一〇本に一本取れるかどうか、という腕前でしかない。
「会を辞めたと思ったら、こんなことをしていたのか。寝返りやがって」
原口のその言葉を聞き、加納の頭の中で最後のリミッターが外れた。
「寝返ったんじゃねぇ!」
加納は鋭く言い放つと、先制攻撃を仕掛けた。原口の右肩を狙って〈小武蔵〉を振り下ろす。後先をまったく考えていない攻撃だった。原口は驚いたようにバックステップをして、加納の一撃をかわした。すぐに加納は追い打ちをかけるが、原口は近くにあったほうきを手に取り加納の攻撃を防ぐ。
「俺はもともとここにいたんだ! 会をS研に売った糞野郎に、寝返った呼ばわりされる筋合いはねぇ!」
加納は続けざまに〈小武蔵〉を振るい、原口を部屋の隅に追いつめていった。原口は防御に手一杯で、反撃できない。
「貴様は自分の都合で同好会を身売りした。全員がFSとの抗争に賛成していたわけじゃないのに! 貴様のその身勝手さのせいで、南原も、菊池も、竹田も、みんなこの大学から追い出されたんだ!」
加納は血走った目で、原口を睨み付けた。
「死ね! 大学から追い出された全ての会員に、死んで詫びろ!」
加納は大声で罵りながら、原口に攻撃を加えていく。
「なんで俺が死ななきゃならないんだ!」
「貴様のような屑は、死んだほうが社会のためになるんだ!」
「黙れ! お前なんかに俺の気持ちがわかるか!」
「屑野郎の気持ちなんて、わかりたくもねぇよ!」
原口と加納は、互いに激しく罵りあいながら切り結ぶ。
「隊長、加勢は……」
「いらん! 古内を確保したら、さっさと行け!」
背後からかけられた声に、加納は振り返らずに怒鳴り声で応じた。隊員は言われたとおりに、古内を拘束していたロープをほどくと「確保!」と高らかに宣言し、彼に肩を貸して室内を後にした。
部屋の隅に追いつめられた原口は、苦し紛れに脚払いをかけた。加納はバックステップでそれをかわすと、体勢の崩れた原口の胸に向かって突きを入れた。狙ったとおり、木刀の切っ先は原口の胸骨にあたった。苦しげに呻きながらひざを折る原口に、加納は追い打ちの回し蹴りをみまう。蹴りは原口の側頭部に当たり、脳震盪を起こした原口はぐったりとなって倒れた。木刀の切っ先でつついて、完全に気絶していることを確認すると、加納は原口を後ろ手にして手錠をかけた。
「年功序列だけで会長になった奴が、この俺に勝てるわけねぇだろ。身の程をわきまえろ、この馬鹿」
加納は応援に来た第一小隊の隊員に原口を引き渡すと、小声で呟いた。
〈小武蔵〉を左手に持ち替え、両手をおろしたとき、左手が腰のポーチにぶつかった。何が入っていたのかと加納が見ると、黒い卵形の物体が出てきた。それを見た加納は、
「……やべ。忘れてた」
と小声で呟いた。
ポーチに入っていたのは、閃光手榴弾である。普通の手榴弾のように炸裂しても破片が飛ばない変わりに、閃光と轟音で相手の戦意を一時的に殺ぐ物だ。昨日の一回目の事前ブリーフィングで、礼から室内に突入する前に必ず投げ入れるようにと指示されていたのだが、今の今までその存在を忘れていたのだ。これを使っていれば、突入役も負傷せずにすんだかもしれない。
「……まぁ、いいか」
加納はそのまま閃光手榴弾をポーチに戻した。使わなくても目的を達成できたのだから、問題はない。加納はそう考えていた。
木村はワンボックスカーの運転席から、何を見るともなしに外を見ていた。作戦開始から二〇分が経過している。あと五分で、この場を立ち去らなければならない。
トランシーバからは、隊員に対して適宜ピックアップ隊の車両に乗り込むように指示が飛んでいる。それに応えるかたちで、ピックアップ隊の方から、どこに何人分の空き座席があるか報告がなされている。木村も先ほど、「あと一名乗車可能」と報告している。全体的に見て、大きな混乱はないようだ。このまま無事に終わって欲しいものだと、木村は思った。
「ガード、虎徹だぞ」
後席に乗っている小山内の声で、木村は我に返った。確かに小山内の言うとおり、柳生が正面から歩いてくる。腰に差した二本の刀というあの格好は見間違えようがない。
柳生が木村のワンボックスのそばを通りすぎようとしたとき、木村は窓を軽く叩き、次いでパッシングする。さすがにこの時間にクラクションは鳴らせない。
窓が叩かれた音で、柳生は驚いたように飛び退いた。腰の偽虎徹の柄に手をかけて、警戒するような目でじっとワンボックスカーを睨みつけている。
木村は苦笑しながらドアを開けた。木村の顔を見た柳生はほっとした表情になり、次の瞬間には能面のような無表情になった。
「あまりおどかすな。斬りつけるところだったぞ」
「す、すいません」
木村は素直に頭を下げた。下手に怒りの表情をされるよりも、今の柳生のほうが怖かった。
柳生はそれを聞いて、軽く息を吐くと、
「まぁ、いい。早く帰ろうぜ」
そう言って鞘ぐるみで偽虎徹となんちゃって国広を抜くと、ワンボックスカーの後部ドアを開けて、乗り込んだ。
「虎徹が最後だぞ」
「そうか」
小山内と柳生の会話が聞こえる。
「じゃあ、出しますね」
「安全運転で頼む」
「わかってます」
木村は頷くとエンジンをかけた。
「こちらガード、これより帰投する。乗車数、六名。負傷者、なし」
木村はピックアップ隊の指揮を執っている『メンソール』細川駿介に報告した。細川は会計部の三年生で、新設された物資調達計画策定部の部長だ。普段はこういった荒事に顔を出すことはないのだが、今回は特別にピックアップ隊の行動計画作りと、現場での指揮を任されている。
『メンソール、了解。ガード、安全運転で行けよ』
「わかってます」
細川からの返事に応答すると、木村はアクセルを踏み込んだ。ワンボックスカーがゆっくりと動き出す。
「しかし、行者は怒らせると怖いな」
発進してからしばらくして、大石が感に堪えないといった声で呟いた。この車には柳生をはじめとして小隊長二人、分隊長二人が乗っている。
「そんなに怖かったんですか、あいつ?」
木村は左折のウィンカーを出しながら、大石にたずねる。
「いや、普段大人しいやつは怒れば怖いって言うけど、あれは本当だな。あの行者の顔、普段とは全く違ったぜ」
「そうそう。あいつ、今日はサングラスかけてなかったんだよ。夜だから。で、引き上げてくる途中ですれ違ったんだけど、なんて言うか、こう、視線で人が殺せるなら大量殺戮も夢じゃない、っていうぐらいの目してたからな」
「そ、そんなにですか……」
大石と小山内の言葉に、木村の額に冷や汗が浮かぶ。どうやら、今日の加納は相当に暴れたらしい。二人の言葉を話半分に聞いたとしても、言葉で言い表すのがはばかられるようなことをやったらしい。
実際には、言葉で表現するのをはばかられるような罵声を投げつけていたのだが。
「あれ? でもサングラス外したら、あいつ弱っちくなるんじゃなかったでしたっけ?」
木村は疑問点を口にした。以前加納自身から、サングラスをかけることで自分に暗示をかけている、これがないと実力を半分も発揮できない、と聞いたことがあったのだ。
「原口がいたからな。あいつがいなかったら、あそこまで怒り狂ってはいなかったんだろうけどな」
「原口って、あの原口ですか?」
木村は骨法同好会会長の原口のことを思い出していた。行動隊員にとって、忘れることのできない名前である。
「ああ、その原口だよ」
小山内が答える。
「ああ、なるほど。それでか……」
木村は納得がいったというように頷いた。加納はスパイ研のことも憎んでいたが、同好会をスパイ研に売り渡した原口のことは、それ以上に憎んでいたからだ。
「たぶんガードの想像通りだ。溜まりに溜まった鬱憤が爆発したんだろう。原口のせいで骨法は壊滅したと言ってもいいからな」
「気持ちはわかりますよ。骨法の稽古を見たことがありますが、あいつ、本当に嬉しそうに稽古付けてましたからね」
という木村の言葉に、
「まぁ、愛着のある場所を奪われたんだ。怒り狂うのも無理はないわな」
柳生が締めくくった。
加納に関する話は終わり、あとは今日の作戦についての話に移った。柳生が宇野を居合で昏倒させた話を聞きながら、木村は、
(……やっぱり、突入部隊で参加したかったな。あ〜あ、免許なんて取るんじゃなかった)
と、軽い溜息を吐いた。
管理人のコメント
ついに誘拐された古内の身柄を奪還する時が来ました。さて、作戦は無事に成功するのでしょうか?
>そんな中で、礼は一人時間を持て余していた。4番隊を送り出し、その他の五個番隊に待機命令を下してしまうと、彼女のすることはなくなってしまった。
実際に事が始まると、最高責任者の仕事って意外とないんですよね。
>今日の柳生は、いつもの黒い羽織ではなく、袖口がだんだら模様に染め抜かれた浅黄色の羽織を着ている。まるで、ドラマなどで使われている新撰組の羽織のようだった。
景気づけといってますが、これも柳生君一流の気合入れなのかもしれません。昔の武士は死地に赴く際に、一番良い服を着ていったと言いますし。
>木村は唇を噛みしめた。彼は礼や猿渡、山田といった面々から、時には自分から教えを請い、時には立ち居振る舞いから指揮官としての心構えを見いだし、自分を鍛えてきた。
こうして男は強くなっていくのです。
>加納は呻いた。骨法同好会会長・原口良太が倒れ伏す隊員の近くに立っていた。
前章でオジロワシに敗北を舐めさせた男の一人、原口。いよいよ直接対決の時です。
>加納はそのまま閃光手榴弾をポーチに戻した。使わなくても目的を達成できたのだから、問題はない。加納はそう考えていた。
原口は倒しましたが……これって処罰フラグ?
古内を救出し、敵の大物も捕縛したオジロワシですが、この一件まだまだ尾を引きそうです。
戻る