オジロワシ血風録

第四章  拉致



8.逆転のユニット



 行動隊員による情報収集活動は、全くはかどっていない。行動隊員にとっては慣れていない任務だけに過剰な期待はしていなかったし、そもそも期待するのが間違っている。そう理解していても、石川は焦りを感じざるをえなかった。
「情報がなけりゃ行動隊は動けない。これじゃ骨法の時と同じじゃないか。どうすればいいんだ……」
 石川は頭を抱えた。
 七月の骨法同好会を巡る諜報戦で、探索隊はスパイ研に手もなくひねられた。今回の状況もそれに似ている。相手の情報がなければ、行動隊は動けない。動けないように行動隊は組織が作られている。現状では、礼がどれだけ大兵力を擁していようとも、案山子以下の役割しか果たせない。
(行動隊に俺たちの代わりをやらせるべきじゃなかったってことか。あいつらの言ったことは、間違いじゃなかったってことなのか)
 あの時、山田と猿渡に言われた言葉が脳裏から離れない。
 『素人がうろつき回ると、隊の存在が暴露されかねない』。山田はそう言っていた。
 『見当外れのことをどんなに繰り返しても、成果が上がるわけがない』とは猿渡の言である。
 どちらの言葉にも、石川は反論できなかった。
 しかし、今更行動隊を引っ込めるわけにもいかない。もしかしたら彼らが何らかの成果を上げるかもしれないという微かな望みを捨てられなかったし、仮に行動隊の代わりに探索隊を投入して探索隊が成果を上げれば、探索隊と行動隊の間がぎくしゃくするのは避けられない。できればそのような事態は避けたかった。
 今の石川にとってもっとも必要なものは、この苦境を一瞬にしてひっくり返せるジョーカー的役割を果たせるユニットだ。そんなものが都合よく存在するわけがない。
 いや、正確に言えば、一つだけそういった手駒は存在する。しかし、それはまさに『最後の手段』であり、そう易々と投入できるものではなかった。


 行動隊員に情報収集を要請してから一週間経ったが、状況は依然として変わらない。
 石川は行動隊員からの、成果なしという連絡を聞き終わって、大きく溜息を吐いた。
 ふと灰皿に目が向くが、すぐに視線を外す。今はニコチンを摂取する気にはなれなかった。代わりに苛立たしげに舌打ちすると、今度は携帯電話を見つめた。報告を待つためではない。
 しばらくの逡巡の後、石川は携帯電話を手に取り、工藤修一の携帯に電話をかけた。三、四回コール音がしたあとで、「俺だ」という工藤の声が聞こえた。
「石川です。お久しぶりです」
『確かに久しぶりだな。どうした?』
「明日ですが、予定空いてますか? 久しぶりにサシで飲みたいと思いまして」
 石川は意図的に明るい声を出した。
 工藤は『軍師』のコードネームを持つ前年度の探索隊総隊長で、四年になってからは顧問会議議長を務めている。しかし、榊原の失脚後は自主的に引退した形になっており、秘密部屋に来ることもなくなっていた。就職活動に忙しいのだろうと噂されていたが、そうではないことを石川は知っていた。
『いいねぇ。ちょうど、明日は暇なんだ』
 工藤は興味を引かれたようだった。声のトーンが先ほどとは違う。
『で、どうせ「飲み屋横町」の居酒屋なんだろ?』
「ええ、まぁ。ちょっと今月は厳しいので」
 工藤は石川とは違い、日本酒や焼酎よりウィスキーを好む。それもスコッチやアイリッシュしか飲まず、バーボンなどは酒とは認めないという人間だ。その工藤に居酒屋に来てもらうというのは間違いだったかと、石川は少し後悔した。しかし、主に予算面から、居酒屋以外の選択肢は取れないのだから仕方がないと腹をくくった。
『ああ、全然構わん。たまには刺身に日本酒、焼き鳥にビールってのもいいもんだ』
 工藤は石川の申し出を快諾した。まずは最初の関門を突破することができ、石川は安堵の溜息を吐いた。

「ここか。前に来たことがあるな。〈Zeit〉の連中とだけど」
 工藤は居酒屋に入るなりこう言った。〈Zeit〉とは湘洋学園大学のサークルで、留学生を通した国際交流を主な活動としている。工藤は昨年度、この〈Zeit〉の会長を務めていた。
「無理を言ってすいません。お忙しかったですか?」
 先に来ていた石川は、工藤の姿を見るやいなや、申し訳なさそうに謝った。工藤は四年生。今頃は就職活動や卒論の準備などで忙しい、はずだった。
「気にするな。全然忙しくないから」
 工藤は軽く言って、カウンター席に着いた。
 石川に気を遣わせないための方便ではなく、彼は思う存分夏休みを満喫していた。就職先も叔父のコネでほぼ確定し、卒論のテーマも決まって下調べも草稿作りもほとんど終わっている。長期の休みを取れる最後の機会であるこの時期を、工藤は存分に楽しんでいた。
「そう言っていただけると、気が楽になります。
 それで今日お呼び立てしたのは……」
「堅い話はあとにしよう。ますは一杯」
 そう言って石川の口を封じると、工藤はビールを注文した。工藤のペースに引きずりこまれて面食らった石川だったが、気を取り直すと同じくビールを注文する。
「まずは乾杯だ」
 そう言って工藤はジョッキを軽くあげると、ビールを喉に流し込む。
「ん〜、うまいっ! やっぱり、暑いときはビールに限るな!」
 中ジョッキのビールを一気に飲み干すと、工藤は満足そうな顔でおかわりを注文する。同じく一息で中ジョッキを飲み干した石川も便乗する。
「何かつまみますか? ビールだけだと後々きついですよ」
「そうだな。適当に見繕ってくれ。あ、つくね串は必ず頼めよ。ここのつくねは味付けもいいし、ネギと軟骨がいいバランスで入ってるからな」
「そういえば、お好きでしたね」
「普通の焼き鳥もいいけど、これは別格だからな」
 石川はメニューを見ながら唐揚げや焼き鳥などを三、四品注文する。
 それからしばらくの間、二人はビールを飲みながら雑談に興じていた。
 二人で酒を飲み、つまみを食べながら雑談を交わして二〇分ほどすると、
「相談したいことがあるんです」
 と改まった声で石川が切り出すと、
「だろうな」
 工藤は軽くうなずいた。意外な返事に驚く石川をみて、工藤は笑った。
「電話したときの声でわかったよ。よっぽど悩んでるんだなって」
「そんなに深刻そうな声でしたか?」
 意外そうに工藤の顔を見る石川。できるだけ明るく振る舞ったつもりだったが、工藤はそうは受け取らなかったのだろうか。
「ああ。上っ面は明るいみたいだったけど、こう言っちゃなんだが、まるで成仏できない幽霊みたいな声だった」
「その例えはひどすぎます……」
 石川は憮然とした声で応えた。しかし、工藤の言葉にうなずける部分もあるとも思った。あれこれ考えすぎて袋小路に入り込んだようで、どっちに向かって歩いていけばいいのかわからない。そういった焦り、もどかしさというものを石川は感じ続けてきた。
「それに、さっきから見てると、ほとんど飲んでないだろ。酒好きのお前がそんなに辛気くさい飲み方をしてるってことは、絶対に何かあるはずだ。酔っぱらいたくない、素面のうちに話をしたい。そう思ったんだろ?」
「……ええ、まぁ」
 石川は内心を言い当てられた驚きを隠しながら頷いた。最初の乾杯は思わず一気に飲み干したものの、それ以降は舐めるようにしか飲んでいない。彼らしからぬ飲みっぷりだった。
(それにしても)
 石川は思った。
(立て続けに四杯飲みながら、つくねを五本も食いながら、俺のこと観察してたのか? とんでもない人だな……)
「ちょっと待て。ここじゃあ、ちょっとまずいな。すいません、座敷あいてます?」
 カウンターでする話ではない、と悟った工藤が店員に確認した。石川も口をつぐむ。確かに、おおっぴらに話せる内容ではないのだ。
 数分後、二人は奥まった座敷に席を移していた。工藤はビールをピッチャーで三つ頼み、つまみを一〇品ほど注文した。しばらくして注文の品が全部運ばれると、こちらから呼ぶまで、ここに来なくていいと店員に告げた。
「ここはカウンターからも遠いし、しばらく人は来ない。隣にも他の客はいない。
 で、何だ? 言いたいことを、思う存分吐き出してみろ」
 店員が遠ざかったのを確認した工藤は、石川の話を促す。石川はゆっくりと話し出した。
 ここ最近の探索隊活動状況、ルーティンを遵守しようとすれば探索隊を新たな任務につけられないということ、古内の拉致に関すること、その情報集めを行動隊員に依頼してやらせていること、その結果がはかばかしくないこと。符丁混じりの石川の言葉に、工藤は茶々も入れずに、黙って聞き入っていた。
「……俺がやってること、やらせていることは、本当に正しいんでしょうか? 古内を奪還するどころか、どこにあいつがいるのかもわからない。こんなことが長く続けば、あいつは社会復帰も困難になります。精神的に相当参ってますから、最悪の場合二度とまともな生活を送れないかもしれない。そう考えると、いてもたってもいられないんです」
 という血を吐くような石川の言葉で、彼の台詞はとぎれた。工藤は相変わらず腕組みしながら瞑目している。
「……一年の頃からそうだったが、お前はとても重要なことを忘れることが多いな」
 おもむろに工藤は言う。軽く口元を歪め、呟くような声だった。
「最優先で片付けないとならないことにぶち当たると、ほかのことを考えられなくなる。分析に当たってるときはあらゆることを考慮に入れるのに、何でほかのことに応用できないのか、俺はいつも不思議に思ってたんだ」
 工藤の言葉を聞いて、石川はむっとした表情になる。自分の苦境を話したというのに、工藤は的外れのことを言って自分を虚仮にしている。そう思った。
「どういう意味ですか?」
 剣呑な口調で石川がたずねた。
「お前、ダウンロードするのは目だけだと思ってないか?」
 工藤が言った。情報収集をするのは探索隊だけだと思っていないか、という工藤の問いかけに石川は、
「違うんですか?」
 と、棘のある口調のままでたずねた。
「違うに決まってるだろ。お前、何のために脳味噌があると思ってるんだ?」
 溜息混じりの工藤の言葉に、石川は言葉を失った。
 脳味噌とは、顧問会議を指す符丁だ。しかし、司令の榊原がいない今、司令の補弼機関である顧問会議は開店休業状態にある。
 顧問会議は人材プールの場で、何かあったときの応援要員だと思っている隊員が多い。確かにそういう側面があるのも事実だが、顧問会議の諜報班だけは特別で、司令の命により探索隊とは別系統での情報収集・分析を行うことを任務としている。当然、そのことも石川は知っている。
 しかし、石川がこれまで顧問会議に情報収集を要請しなかったのは、今の〈オジロワシ〉には司令がいないという理由によるほか、『自分たちこそ情報収集のエキスパートだ』という探索隊のプライドからだった。人前では絶対に口に出さないが、『探索隊の縄張りを荒らす、お節介焼きの集団』とさえ思っていたほどだ。
「脳味噌は余剰人員の溜まり場じゃない。その気になれば目の代用は十分にこなせる機関だ。脳細胞の中には目の出身者もいるんだからな。しかも今はほとんどの人間が暇を持て余している。あいつが……総理がいなくなったからな」
 工藤の言葉に、石川は決まり悪げに視線をそらした。決して榊原を嫌って更迭したわけではないのだが、榊原と親しい工藤に言われると、当人にその気がないにしても責められているような気になってしまうのだ。
 そんな石川の様子に気付いた様子もなく、
「手駒にこんな便利なものがあるのに、何で使おうとしなかったんだ?」
 真剣な表情の工藤に、石川は気圧されるものを感じた。工藤は決して石川を非難しているわけではない。語気も荒くはない。語尾にも皮肉や罵倒の様子は感じられない。工藤はただ、石川が忘れている点、気がついていても気づいていないふりをしている点を、彼の目の前にさらけ出しただけだ。しかし、そうであるがゆえに、今の石川にとって工藤の言葉は、弱点をピンポイントで突かれたかのような痛みをもたらすものだった。
「完璧に忘れてました……」
 という石川の言葉は正確なものではない。彼は顧問会議のことを意図的に忘れようとしていたのだ。
「嘘は感心しないな」
 工藤は口元を歪めると、ジョッキにビールを注ぎ、ゆっくりと飲み始める。
「まぁ、お前の気持ちもわからないでもない。お前にしてみれば、俺たちは縄張り荒らしの厄介者だからな。俺も去年はそう思ったから、お前の気持ちはよくわかる。だがな、実際に脳味噌の親分になってみると、考えが変わるんだよ」
 工藤はゆったりとした口調で言った。決して責められているわけではないが、石川は内心を見透かされたような気がして、思わず背筋に冷たいものが流れるのを感じた。工藤の言葉は、まさに彼が思っていたことそのものだったからだ。
「今回の一件、俺たちが知らないとでも思ったか?」
 工藤の言葉に、石川は目を剥いた。顧問会議のメンバーには、古内拉致の件は話していない。先ほど工藤に話したのが最初のはずだ。
「知って……いたんですか」
「当たり前だろ。お前の前任者をなめるんじゃない」
 工藤は吐き捨てるように言う。
「S件の暗号を、どうやって解いたんですか?」
「お前ね、さっきも言っただろ。お前の前任者をなめるな。確かに一昨年の夏からお前には暗号解読や情報分析ばっかりやらせてたけど、他の人間がそれをまったくやらなかった訳じゃないんだぜ。
 考えてもみろ。仮にお前が暗号を解いたとして、その答えをどうやって検証する? 検証するには、正解を知っていないとどうしようもない。相手の動きを待つんじゃ、時間がかかりすぎるからな」
 工藤の言葉に、石川は思わず頷いていた。情報分析については必ず工藤のチェックを受けていたし、暗号解読に関しても、それ専門のプロジェクトチームが作られていたのだから、解読成功は石川一人の功績ではない。
「もっとも、奴らの使ってる暗号なんて、俺が工学部班のヒラだったときに、ほとんど解いちまってたけど」
「え……?」
 ごくあっさりとした工藤の一言に、石川は絶句した。
 スパイ研の暗号は、単語を別の単語に置き換える置換式(コード)と、文字をある法則によって別の文字あるいは数字に入れ替える換字式(サイファー)の両方を組み合わせた、極めて古典的なものだ。しかし、古典的だからといって、簡単に解けるというものではない。特に換字式は、法則がわからなければ意味不明の暗号文をいつまでも眺めることになりかねない。事実、暗号解読に従事したばかりの石川は、意味不明な文章と毎日のようににらめっこをして、錯乱しかけたことがある。
 そんな暗号を、ヒントもなしに解いたというのだろうか。石川は工藤が言ったことを信じることができなかった。
「昔のS研はバカみたいに暗号文を流しまくってたからな。サンプルが増えれば、それだけ解読作業もはかどるってわけさ」
 何でもないように言った工藤だったが、その言葉通りに簡単に解けたはずがない。実際、工藤はほぼ一年がかりで解読に専従し、何とか解けたというのが真相である。
「ただ、当時の総隊長に解けたって報告したら、俺がいいと言うまでそのことは黙っておけって言われたから、俺が解いたってことはほとんどの人間は知らないはずだ。まぁ、当然といえば当然の判断だな。暗号が破られたってことに気づけば、連中はすぐに手を打って、まったく別の暗号システムを作るだろう。そうなったら、また一からやり直しだ。誰だって、面倒ごとを好きこのんで背負い込みたくないからな」
 工藤の告白に、石川は言葉を失っていた。
「では、工藤さんが解いたときから、暗号は……」
「ほとんど変わってないな。いくつか単語が変わったくらいだ。あいつらも人員の入れ替えがあるからな。その絡みだろ」
 工藤はあっさりと頷く。
「俺の暗号解読の話はいいや。こういう事情だったら、俺が知ってたとしても全然おかしくないだろ?」
 工藤はそう言うと、ジョッキのビールをあおる。一口二口飲むと、ジョッキを静かに置いた。
「で、俺は待ってたんだよ」
「……何をですか?」
「いつ俺に声がかかるかってね」
 工藤はそう言って、石川の目を正面から見据えた。テーブルに両肘を突いて、顔の前で手を組み、口元を隠すような姿勢になる。
「お前が拳にダウンロードを任せたって聞いて、はっきり言って、愚策中の愚策だと思ったよ。ダウンロードは目だけがやるわけじゃないってことに気付いたところまではよかったけど、その後はいただけない。何でド素人に任せたのか、俺にはさっぱり理解できないな」
「そこまで言うなら、何で面と向かって反対しなかったんですか?」
 石川が問い詰めるが、
「あ? 何の相談もなしに勝手に決めておいて、指摘されたら逆ギレか? 甘えたこと言ってんじゃねぇ」
 工藤は鋭い目で石川を睨みつけた。
 最初から何の相談もされず、意見も聞かれなかった工藤に石川が怒るのは筋が違う。同じような会話が石川と斉藤の間で交わされたことがあるが、あのケースでは方針決定の場に斉藤もいて、その場では石川の提案に反対しなかったので、あとから文句を言った斉藤に石川は怒ったのだ。工藤のケースとは事情が違う。
「申し訳ありません。失言でした」
 失言に気付いた石川が頭を下げる。
「もう一度寝言ほざいたら、完全に見捨てるぞ。
 それはともかく、今の脳味噌は、人間様が失脚したあおりでほとんど機能を停止してる。だが、完全に停止したわけじゃない。俺たちは聞かれたことには答える。それが俺たちの役割だからな。
 勘違いしてるようだから、この際に言っておくが、俺たちの役目は『人間様』っていう特定個人の補佐じゃない。『人間様』って立場を補佐するんだ。だから、お前が四隊長会議の議長だった頃に頼んでくれば、俺は全力でお前を補佐していた」
 まるで他人事のように言う工藤に、石川は腹を――立てなかった。腹を立てるよりも、そんなところだろうと納得してしまった。
「俺だけじゃない。ドロップもエルニーニョもウィンドも、聞かれたらアドバイスの一つもしただろうよ。ちなみに、こいつら全員、今回の件は知ってるぜ」
 工藤が口にしたコードネームは、すべて顧問会議の幹部のものである。顧問会議副議長の『ドロップ』岡田公康、情報主任の『エルニーニョ』沢井雄輔、防諜主任の『ウィンド』駒井信二。いずれも探索隊出身の隊員で、岡田は探索隊副隊長、沢井は理学部班長、駒井は別班班長の前歴を持つ。いずれも、石川にとっては『頼もしくもおっかない先輩』である。
「で、どうするんだ? このまま素人に任せて無駄な時間を費やすか、俺たちに任せてさっさと片をつけるか。
 そうそう、目を大々的に動員するって手もあるな。どうせ学外でのオペレーションだ。ローテーションのことは気にしないでいいだろ」
 工藤はわざと簡単に言った。
「……目はまずいでしょう。いくら学外だっていっても、人の目ってものがありますから」
「そうかね? うわさ話を拾わせるだけでも、ずいぶん違うと思うぞ。それに、しばらく動いてないヤツも大勢いるだろうから、リハビリ代わりに軽い任務につけておくべきだと思うがね、俺は」
 石川の危惧を、工藤はあっさりといなした。そして、言いたいことは全部言ったとばかりに、体を起こして再び腕を組む。
 石川は、顔を伏せて考え込んだ。
 工藤の言いたいことははっきりしている。顧問会議の諜報班を大々的に動員し、情報収集をさせるべきだ。
 顧問会議こそ、石川がもっとも必要として、もっとも使いたくなかった切り札、ジョーカーだ。劣勢をひっくり返せる可能性を秘めた駒だ。
 正解は、身近なところにあったのだ。それに気付かず、石川は誤った解を出して、それでよしとしていた。
 石川は、今こそ工藤にすがるべきだと悟った。やっぱり相談してよかったと、心の底から思った。
「……お願い、できますか?」
 石川の言葉に、工藤は軽く眉を上げて詳細を求めた。
「ダウンロード、肩代わりしていただけますか? 脳味噌の皆さんで」
 石川のすがるような言葉に、工藤は軽く眉をひそめた。
「それは筋違いだろ」
 それを聞いた石川は腹を立てた。手をさしのべておいて、それにすがろうとすると引っ込められたような気がした。なぶり者にされていると感じた。
「どうしてですか!?」
「今のお前は四隊長会議の議長じゃないだろう。『人間様』の代理は、あくまでも議長なんだ。たとえ昨日まで議長だったとしても、交替した瞬間に、そいつは『人間様』じゃなくなる」
 テーブルを叩きながらの石川の怒声に、工藤は平然と応じる。
「『人間様』の代理じゃない今のお前が、『人間様』にしか動かせない組織を動かしていいと思うか? 少しは考えろ」
「……じゃあ、姐御からだったら、動いていただけるんですね?」
「議長は、今は姐御か。そうだな、姐御からの要請だったら、俺たちは喜んで動こうじゃないか」
 工藤は大きく頷く。
「わかりました。明日にでも姐御をそちらに行かせます」
「そうか。じゃあ、要請されたらすぐに三人に声をかけよう。それほど時間はかからないと思うぜ」
 工藤はそう言うと、自分と石川のジョッキにビールを注いだ。すっかりぬるくなってしまっていたが、それでも工藤は平気な顔をしてジョッキを傾ける。
「さあ、固い話はここまでだ。場所を変えて飲み直そうぜ。何だったら、始発まで付きあってもいいぞ?」
 ほとんど一人でピッチャー二つ分のビールを飲み干し、一転して明るい表情になった工藤が誘う。石川も工藤も、ザルとまで言われたほどの酒豪である。財布の中身と体力が続くのであれば、本当に朝まで飲み続けるだろう。工藤の自宅は横浜にあるため、飲み続けて終電を逃した場合、東海道線の始発が来るまで飲み続けるというケースが多い。これまでにも何度か二人で、あるいは榊原や猿渡といった面々と一緒に、始発まで飲み続けたことがあった。
「昨日も言いましたけど、残念ながら財布がピンチなんです。あと一万円あれば……」
 残念そうに言う石川の目の前に、一万円札が差し出された。出したのは、工藤である。唖然とする石川に、
「貸しにしてやる。来月絶対返せよ」
 工藤はニヤリと笑った。
「借りた金で飲むって言うのも気が引けますが……」
「じゃあ、次の店もおごってやろうか? 金ならあるぞ。馬で当てたからな」
「学生が競馬やっちゃまずいでしょう」
 石川は苦笑した。工藤の趣味に『競馬』とあるのは事実だが、学生が馬券を買うのは法律で禁じられている。おそらく、工藤は実際に馬券は買っていないのだろう。石川にあぶく銭だと思わせて、心理的な負担を少なくさせたいと思ったのだろう。
「ありがたく借りておきます。俸給支給日には間違いなく返しますんで」
 石川は一万円札を捧げ持った。
「じゃあ、とことんまでお付き合いします。実は、いいバーを見つけまして。そこでうまいスコッチでも飲みませんか?」
 胸の中のもやもやが消えて、気が軽くなった石川が挑戦するかのように言う。
「いいねぇ。すごくいいねぇ。じゃ、案内してもらおうか」
 工藤は相好を崩す。
「えーと、ここじゃなくて、藤沢の方ですが」
「あ〜、構わん構わん。まだ東海道線は動いてるんだし。遠征しようぜ」
 工藤はそう言うと、伝票を取り上げた。それを見て慌てる石川に、
「ここの払いは俺がしてやる。次の店では割り勘にしようぜ」
 と、工藤は楽しそうに言った。

 一二時間後、工藤に撃沈された石川は、やっとの思いでアパートに帰り着いた。
 石川は冷蔵庫に常備してある電解質飲料を一気に飲み、大きく息を吐き出すと、礼の携帯に電話をかけた。
(これで逆転できる。古内を助けられる)
 二日酔いの頭を抱えながらも、石川は希望を見いだしていた。


管理人のコメント

 行動隊を投入しても、やはり何も得られないオジロワシ。そこへ遂にあの集団が姿を現します。

>(行動隊に俺たちの代わりをやらせるべきじゃなかったってことか。あいつらの言ったことは、間違いじゃなかったってことなのか)

 焦りが碌な結果を生まない負のスパイラルに巻き込まれている石川。ここまで来ても、なかなか自分のミスを認められないようです。


>工藤は『軍師』のコードネームを持つ前年度の探索隊総隊長で、四年になってからは顧問会議議長を務めている。

第一章で活躍した「軍師」工藤、久々の登場。なかなか羨ましい身分のようです。


>「ああ。上っ面は明るいみたいだったけど、こう言っちゃなんだが、まるで成仏できない幽霊みたいな声だった」

 観察眼は衰えていない様子。これも貫禄と言う奴でしょうか。


>顧問会議は人材プールの場で、何かあったときの応援要員だと思っている隊員が多い。

 名前だけ見ると、相談に乗るだけの組織のように見えますが、実はかなり違うようです。


>「手駒にこんな便利なものがあるのに、何で使おうとしなかったんだ?」

 便利すぎる手駒は得てして使い惜しみをしてしまいがちですが、石川の場合はそう言うことも無いわけで、工藤が苛立つのもわかります。


>「貸しにしてやる。来月絶対返せよ」

 今回は工藤がかっこよすぎです(笑)。こういう先輩キャラはやっぱ良いですよね。


 遂に切り札を切ることにしたオジロワシ。いよいよ拉致事件の真相に迫ることが出来そうです。


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