オジロワシ血風録
第四章 拉致
4.編制替え
七月二五日、臨時の隊長級会議が開かれることになった。招集を受けた〈オジロワシ〉上級幹部達は、会議開始の一五分前にはすでに集まっていた。
その会議室に、本来なら出席資格のない二人の隊員が会議室に来ていた。そのことに真っ先に気づいたのは、猿渡だった。
「……何でお前らがいるんだ? 今日は隊長級会議だぜ?」
猿渡は、出席資格のない三人――4番隊第四小隊長の『虎徹』柳生晴信と、3番隊第二小隊長の『ビール』佐伯秀平、2番隊第一小隊長の『将軍』石崎哲平に声をかけた。隊長級会議に出席できるのは、行動隊の番隊隊長以上の人間である。小隊長である三人には出席資格はない。猿渡が不思議そうな声を出したのも無理はない。彼だけではなく、ほかの幹部も不思議そうな顔で三人を見ていた。
「いや、昨日の夕方に教授から電話があって、明日の隊長級会議に出てこいって言われたんだ」
「俺は姐御からだった」
「俺は、算盤からだ」
三者三様の答えを聞いた猿渡は絶句した。彼らの答えが意外だったからだ。
「何なんだ、いったい……?」
猿渡は考え込んだ。なぜ石川や礼、首藤がこの三人を呼んだのかがわからない。三人とも彼の友人知人だが、けじめをしっかりつける人間であることは共通している。出席する権限のない人間を列席させるなど、まずあり得ないと断言できる。
「……ま、いいか。立ってるのもなんだから、与作の隣にでも座っててくれ」
しばらくの間考えたが結局わからず、首を振りながら言う猿渡に従い、三人はそれぞれ腰を下ろした。それを見たほかの幹部も、自分の席に戻った。今の〈オジロワシ〉では実質的な司令職である四隊長が出席を命じたのだから、何かしらの理由があるのだろうと推測したのだ。
会議の開始予定時刻まで、あと五分ほどとなったとき、四隊長と、別班班長の堀内が姿を現した。別班班長は探索隊学部班長と同格である。通常でも隊長級会議に参加資格があるのだから、この場に堀内がいても不思議ではなかった。
「おっ、虎徹もビールも将軍も、ちゃんと来てるな」
会議室の様子をざっと眺めた石川が、感心したような声をあげた。
「来てない人間はいないようだから、少し早いけど始めようか」
石川のその言葉で、隊長級会議が始まった。
「突然の招集で申し訳ない。早速だが本題に入る。今日の議題は、行動隊の編制替えについてだ」
石川はさらりと言ったが、出席者は全員驚いたように目を見張った。彼らは何も聞かされていなかったのだ。
「姐御、例のものを」
「了解」
幹部連の驚きをよそに礼は立ち上がると、出席者一人一人に資料を渡していく。資料の表紙には、『行動隊の運用実績並びに改善点、および是正策としての行動隊編制替えに関する行動隊総隊長提案』というタイトルが印刷されている。そして、表紙の右下の隅には『部内限り』という印と通しナンバーが打たれており、更に『作成者:神崎礼』と記されていた。
「……なんだ、この厚さは」
資料を受け取った猿渡は、その厚さにまず驚いた。どう見ても三〇〇ページはありそうな資料だった。猿渡以外の列席者も、資料の厚さに驚いている。
「とりあえず三〇分で読んで。全部読まなくていいから」
礼の声に促されて、猿渡は「当たり前だ。全部読めるわけないだろ……」と小声でツッコミを入れながらページをめくった。目次を確認する。
どうやら全体は八部に分かれているらしく、目次には各部の表題が記されていた。先頭から列挙すると、以下のようになる。
現在の行動隊の運用におけるメリットおよびデメリット
諸兵科連合部隊の利点と欠点
諸兵科連合に基づく編制替えに伴うメリットおよびデメリット
戦術単位としての番隊
訓練計画の見直しと新入隊員教育カリキュラムの改訂に関する行動隊総隊長提言
戦術面における行動隊総隊長提言
複数の番隊を投入しての戦術活動
行動隊隊規改正案
以上の八項目である。
(……どいつもこいつも重いテーマだな。さて、どこから読むかな?)
猿渡は周りを見回した。皆、まじめに最初から読んでいるようだ。礼が全部読まなくていいと言ったにもかかわらず、律儀に全部読むつもりなのだろう。しかし、この資料を三〇分で読破するのは、速読術でも身につけていないとまず無理だろう。流し読みなら読めるだろうが、それで内容が頭に入るはずもない。
(みんな前から読んでるな。じゃあ、俺は真ん中付近から読むか)
猿渡はそう決めると、中間付近のページを開いた。ちょうど章の変わり目だった。『戦術単位としての番隊』という章題が付けられた部分を、猿渡は黙々と読み進めていった。
この部では、番隊を今までのように単なる小隊の集合体として扱うのではなく、複数の小隊を有機的に統合した『中隊』として、すなわち戦術単位として扱うということを謳っている。そして、一個番隊であらゆる戦術活動をこなせるように番隊の編制を替えていくこと、その際に必要になる中隊規模での戦術行動について説明をしている。
(これは……)
猿渡は読み進めていくにつれて、思わず感嘆のうめき声を漏らした。
資料には、非常にわかりやすく中隊戦術の要諦が書かれていたのだ。
こういう文書では、えてして専門用語が氾濫してしまい、理解が困難になりがちである。しかし、礼の作成したこの資料にはそういった悪弊は見られない。誰もが納得できるような例を引き、わかりやすい言葉で書かれている。
つまり、礼は中隊規模での戦術を完全に自分の血肉にしているということになる。誰にでもわかるように文章を書くには、書き手が対象について完全に理解していないとならないからだ。
(……正直、妬けるな。姐御の才能には)
猿渡は、礼に嫉妬している自分に気づいた。
彼は中学時代から、喧嘩屋として何度も修羅場をくぐってきた。その経験から、喧嘩の必勝パターンというものを自分なりに編み出している。そして、野性的な勘でその必勝パターンを使うタイミングを計り、これまで功績を挙げてきた。
礼は違う。彼女に指揮官としての先天的なセンスがあったのは間違いないだろう。しかしせっかくのセンスも、全く縁のない世界に生きていれば顕在化することはない。礼は高校時代までは喧嘩もせず、優等生といえるような学生だった(事実、彼女の出身校は十勝管内で随一の進学校である)。彼女は、「今時珍しいまじめな高校生」だったのだ。
そんな彼女だったが、今では全国の大学生でもトップクラスの軍事指揮官に成長している。高校時代にふとしたきっかけで戦術というものに興味を持ったのが、すべての始まりだった。いったん興味を持ったらとことんまでのめりこむ礼のこと、様々な文献を読み、戦史を研究して、自分なりの戦術理論というものを打ち立てた。そしてその理論を〈レッド・ロブスター〉や〈オジロワシ〉での勤務で用いて検証し、理論に磨きをかけていったのだ。いわば、戦術研究の王道を歩んできたと言える。
猿渡は、戦術指揮官としてほぼ完成された礼に対して、羨ましさと妬ましさを感じていた。
(所詮、我流は王道にはかなわないということか)
猿渡は礼のほうを見た。礼は猿渡の視線には気づかず、石川達と真剣な表情で話し合っている。
(いや、我流には我流の強みがある)
我流の戦術ということは、正統派指揮官の意表をつく行動をとれるということだ。いささか無理のある思考だったが、猿渡はなんとか自分の気持ちを落ち着けて、改めて資料に目を落とした。
「そろそろいいかしら?」
礼が声をかけ、出席者は資料から顔を上げた。
「参考までに、どこまで読んだか教えてくれる?」
礼の問いに、猿渡以外の人間ははじめの章しか読めなかったと答えた。
「あら、できれば分担して読んでほしかったんだけど……指示しなかった私のミスね」
礼は落胆したような表情になったが、すぐに気を取り直した。確かに、それぞれに読む部分を割り当てた方が効率はよい。誰もそうしなかったのは、それを指示しなかった彼女のミスでもあろう。
「では、時間がかかるけど、最初から読み合わせて、質問を受け付けましょうか」
礼は長期戦の体制に入った。もともと今日一日で採決まで持って行くつもりではなかったので、その意味では予定通りだった。しかし、予定よりも討議が長引く可能性がある。
(別班から古内君の発見報告が来る前にこの案は通したいけど……大丈夫かしら?)
礼は内心で呟いた。彼女も石川から拉致疑惑について話を聞いており、古内を襲った不幸に胸を痛めていた。
「姐御、質問があるんだが、いいか?」
柳生が手を挙げていた。
「どうぞ」
礼は軽く頭を振って雑念を追い出し、柳生のほうに向き直った。
「俺とビールと将軍がここにいる意味がわからないんだが」
柳生が言った。
「討議だったら、俺はいなくてもいいような気がする。決定には従うしかないからな、俺は。小隊長だし」
「右に同じ」
「同じく」
佐伯と石崎も頷く。
「いえ、あなた達にはいてもらうわ。というより、出席する義務があるというべきかしら」
礼の言葉に、柳生と佐伯が怪訝そうな顔をする。一方、石崎は何かに気がついたようで、小声で「なるほど……」と呟いていた。
「先にこの部分だけでも審議しましょうか。みんな、43ページを開いて」
礼に言われるままページを繰ってみると、編制替え後の行動隊の組織図が載っている。
「六個番隊って、二つ増やすのか?」
組織図を見ていた大川が声をあげた。
「ええ。行動隊を今までの四個番隊体制から六個番隊体制にする。これが今回の編制替えの眼目の一つね」
組織図にあるように、行動隊は新たに二個番隊を加えた六個番隊体制となる。この点こそが、礼の提案の中でもっとも大きなポイントである。
ただ番隊の数を増やしただけではない。中身も替わっている。
これまで行動隊は、各兵科ごとに集まって一つの番隊を編制していた。歩兵は1、2番隊、火力支援部隊は2、3番隊、白兵戦部隊は4番隊というようにである。
しかし、各番隊の定員充足率はそれぞれに大きく異なっている。3番隊がわずか二個小隊で編制されているにもかかわらず、4番隊には七個小隊が存在するという、非常にアンバランスな編制になっている。この有様では、番隊を戦術単位として扱うことは無理である。作戦のたびに小隊を寄せ集めて部隊を編成していたのも、行動隊がこのような編制になっていたためだ。
礼の改正案では、この点を改善しようと、諸兵科連合の概念を導入して番隊を編制する、としている。改正案では、各番隊は歩兵小隊、火力支援小隊(機関銃及び狙撃兵)、白兵戦小隊を少なくとも一個小隊ずつ持つように編制し、あわせて一個番隊あたりの小隊数を平均化して、戦力のバランスを取る。それにともない、現状では圧倒的に数の多い白兵戦要員の何割かを歩兵にコンバートして、バランスをとる。さらに、機動戦力として自転車とオートバイの大規模な導入も予定されている。
つまり、番隊をこれまでのような『単なる小隊の集合体』ではなく、戦術単位として改編しようというのだ。
なぜこのような編制替えを行うかについても、礼はちゃんと説明している。
従来の運用法ではそのつど臨時に部隊を編成するため、連携の面で難があった。そのため、番隊隊長から幾度となく、編制を固定化するようにという改善要求が出ていたが、隊員数の不足により実現しなかった。しかし、四月から五月にかけて入隊した隊員が教育隊課程を修了し、各部隊に配属されたことにより、人員面における問題点がわずかながら解決されることになった。このため、思い切って編制を替えることにしたのだ。
これにより、各番隊の定員が減少するが、礼はこれをデメリットだとは思っていない。協同して作戦を行えない部隊は、所詮烏合の衆なのである。そういった中途半端な部隊を『編成』するよりも、最初から協同作戦向けの部隊を『編制』したほうが、全体としての戦闘力は上がる。礼はこう考えている。
また、二一個小隊から二八個小隊へと数が増えたことを受けて、それまで無任所の人間として顧問会議に配属されていた三年生のうち、数名が小隊長として行動隊に復帰する。これは行動隊の戦力増強に直接つながることでもあり価値が大きいと、礼は説明した。また同時に、数人が分隊長から昇格して小隊長に任じられることになる。
「それと俺達が呼ばれたことになんの関係が……」
「昇進するからよ。あくまで予定だけど」
礼の答えに、柳生と佐伯は目を剥き、石崎は軽く頷いていた。小隊長から昇進するとなれば、行き着く先は一つしかありえない。
「つまり、こういうことよ」
礼の説明によれば、彼女は兼任していた1番隊隊長の座から外れ、行動隊総隊長の役職に専念する。礼の後継の1番隊隊長には猿渡が横滑りで任じられる。同様に、2番隊隊長に山田が、3番隊隊長に大川が横滑りで異動することになる。そして、4番隊隊長に柳生が就任する。新設された5番隊の隊長には佐伯が、同じく新設の6番隊隊長には石崎が、それぞれ抜擢される。そういった予定であることが、礼の口から発表された。
「まだ正式に決まったわけじゃないから、三人には特別な資格者ということで参加してもらおうってことよ」
「なるほど。だから俺達には出席する義務がある、って言ったのか」
石崎が合点がいったというように頷く。
「せめて事前に一言ほしかったな……」
柳生のぼやきに、礼は思わず苦笑した。
「昇進するのよ? 愚痴言われるとは思わなかったわ」
「いや、昇進自体は嬉しいよ。ただなぁ……番隊隊長になると責任が段違いに重くなるからなぁ」
佐伯の言葉に、猿渡や山田が皮肉げな笑みを浮かべる。
「確かに責任は重くなるけど、権限も段違いに大きくなるぞ。何より、分隊長を直接任命できるのは大きいぜ。隊を強くするのも弱くするのも自分の判断一つ。やる気出るぜ?」
山田が言ったように、分隊長を任命できるのは所属番隊の隊長だけである。この人事には行動隊総隊長も司令も、口を挟むことができない。その代わり、能力不足の分隊長を選んだ場合、その責任は番隊隊長がとらなくてはならない。公式に譴責されることはないが、実戦の場で苦労させられることになるのだから、過酷な刑だということができるだろう。
「俺は楽しみだぜ。試したくても試せなかったことが、大っぴらにできるようになったんだ。これが楽しみじゃなくて何だって言うんだ?」
石崎は乗り気のようだった。今まで地道に隊務に励んできたのが評価された、ということもあり嬉しいのだろう。
「うーん、確かに面白いとは思うんだけど……」
「責任の重さがなぁ……」
一方、柳生と佐伯の二人はなおも踏ん切りがつかない様子で唸っていた。そんな二人の様子を見て、斎藤が口を開いた。
「じゃあ、いいや。二人とも、出てってくれ」
「だ、旦那?」
斎藤の思いがけない言葉に、その場の全員がぎょっとした表情になる。柳生や佐伯も例外ではない。
「だって、やる気がないんだろ? そんな人間がここにいても仕方がない。出てってくれ」
斎藤の口調には感情が全くなかった。柳生や佐伯に対する侮蔑の念すらなかった。そのまま、二人には目もくれない。無視しているというより、その場にいないものとして扱っているようだった。
斎藤に言われて、柳生も佐伯も動けなくなってしまった。斎藤の言うとおり議場から出て行けば、『やる気がない』という言葉を追認することになる。しかし、反論しようにも言葉が浮かばない。結局そのまま座っていた。
「お、おい旦那。じゃあ、4番隊と5番隊はどうなるんだ? 隊長がいないのはまずいぞ」
山田のあわてたような声に、
「他にも適格者はいるだろ? ゴールドとか、レジスタとか。何だったら、二年生から抜擢してもいい。内規では三年か四年ってなってるけど、二年で悪いって事はない。地位が人を作る、っていう言葉もあるんだ。三ヶ月もすれば十分になじむだろ」
斎藤は淡々と答えた。しかし、だからこそ斎藤の言葉は二人には堪えた。
斎藤が口にしたのは、いずれも三年生隊員である。『ゴールド』大石良徳は1番隊第一小隊長、『レジスタ』鈴木大輝は1番隊第三小隊長。どちらも礼の直属の部下である。
「しかしだな、そんな言い方はしなくてもいいんじゃないか? 相手にも感情ってものがあるんだ。そんな言葉を投げつけられて、相手がどう思うか考えろよ」
「それがどうしたって言うんだ? 相手が俺のことをどう思おうが関係ない。俺は俺の思ったことを言う。それが気に入らないなら、自分が出て行くか、俺を排除すればいいだろ?」
斎藤はいかにも不思議そうな表情で向井に答えた。この台詞を憎々しげに言ったのなら反感を買うことは必至だが、斎藤は淡々と話している。
(これさえなければ、旦那もいい人なんだけどなぁ……)
礼は溜息を吐いた。
斎藤俊正という人間は、他人の気持ちを理解しようとしない、いや、できない人間だった。理解することに意義を見出せない、と言うべきかもしれない。
この社会生活を送る上でとてつもないハンディキャップとなる性格を、斎藤自身は不利だとは認識していない。彼の言葉を借りれば、『相手が俺のことをどう思おうが関係ない』ということで、まさに取り付く島もないといった態度である。
(まぁ、こんな性格だからこそ、兵器局でやっていけるんでしょうけどね……)
礼はぼんやりと思う。
兵器局は、奇人変人の巣窟として隊内でも有名だった。新入隊員に兵器局行きの辞令が下ると、教育隊の担当小隊長や班長が沈痛な顔をして首を振るくらいだから、相当な悪評が隊内で飛び交っているのは間違いない。
斎藤はその兵器局の局長として、新式装備の開発に従事していた。その実績は見事なものであり、高い威力と信頼性とを誇る傑作ガスガン・南部一四年式拳銃や強化六尺棒〈弁慶〉などは、彼がリーダーとなって開発したものである。強化木刀〈武蔵〉の開発にも携わったことがあり、今は新型の対物スナイパーライフルの開発チームのリーダーとして、日夜設計と生産工程の管理にあたっている。
(今更私がどうこう言っても、旦那は変わらないしね。しばらく好きにさせておきましょうか)
礼はぼんやりと考えていた。
数分後、彼女はこの自分の決定を悔やむことになる。
しばらくの間、居心地が悪そうにしていた柳生と佐伯だったが、しばらくして斎藤に声をかけた。
「旦那」
「ん?」
斎藤は無表情で振り返った。
「さっきの言葉は撤回する。番隊隊長、やらせてもらう」
柳生が決意を込めた表情で言った。佐伯も力強く頷く。二人とも、番隊隊長に就任する気になったのだ。
しかし、それに対する斎藤の答えは、
「そうか」
の一言だけだった。非常に素っ気ない一言だった。さすがに柳生と佐伯がむっとした顔になる。
「ただし、番隊隊長になったからには、俺達の好きにやらせてもらうからな」
「そうか。それがいいだろう」
斎藤は軽く頷くと、そのまま何事もなかったかのように元の体勢に戻った。
舌打ちが聞こえた。佐伯が苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
ごく小さな声で、呪詛のうめきが聞こえた。柳生が普段は滅多に見せないような険しい顔をしている。
この場に流れる険悪な空気に、誰も何も言い出せなかった。
(なんでそういう態度をとるかなぁ……)
黙って様子を見ていた礼は頭を抱えた。
自分から不和の種をまき散らして、斎藤は一体どうするつもりなのだろうか。いくら他人が自分をどう思おうと関係ないと思っていようとも、人として最低限の礼は尽くすべきではないだろうか、と礼は思わずにはいられない。
(虎徹やビールのことが嫌いってわけでもないのに、何でああいう素っ気ない態度を取るのかしら? あれじゃ二人とも怒るに決まってるじゃない)
礼は自分のことでもないのに泣きたくなった。
(やっぱりさっき、筋違いってわかってても、一言言っておくべきだったわ……)
礼は先ほどの決定を悔やんでいた。あのとき苦言を呈していれば、このような険悪なムードにならなかったのではないだろうか。そう思わずにはいられなかった。
確かに斎藤は仕事はできる。兵器局局長として人並み以上に仕事を抱えていて、それを確実にさばいている。実績も豊富だ。その点では尊敬できる。
しかし、斎藤のような人間を部下にも、上司にも持ちたくはない。同僚としては最も敬遠したいタイプですらある。人間としてのあくが強いわけではないが、あの態度で接されたらと思うと、自制心があっさりと限界を突破しそうだった。周りにもっと短気な人間が多いので目だっていないだけで、礼の堪忍袋の緒も切れやすいのだ。
(そう考えると、やっぱり、あの人はすごい人だったんだな……)
彼女は前司令の榊原のことを思い出していた。榊原は斎藤のあの性格をまったく苦にせず、むしろ徹底的に利用して仕事をさせていた。斎藤もそれを多として一四年式ガスガンの開発に全力を傾注した。その結果、めでたく一四年式は所要の性能を発揮して行動隊に制式採用されたのだから、榊原の人使いのうまさは一般大学生の水準を超えていると言っていいだろう。
(私は、総理の域には全然達していない。そういうことなのね……)
礼は自らが追放した――好きこのんで追放したわけではないが――榊原のことを思い、密かに唇をかんだ。
「なぁ、姐御。旦那なんだけど、あの性格を何とかしないと、そのうちここから放り出されると思うんだが」
石川が礼に耳打ちした。
「そうならないように、私たちで気をつけましょう」
礼はそう答えるしかない。
(もっとも、追い出されるより先に、夜道で刺されるかもね)
礼はそう考えて、微かに顔をしかめた。
石川は空気をかえるために、わざと大きな咳払いをした。
「さて、虎徹とビールも納得してくれたようだから、続きに入ろうじゃないか。時間は無限じゃないんだぞ」
石川の言葉は空々しかったが、それでも雰囲気を変えるのに少しは役に立った。
「教育隊は独立するのか」
石川の気遣いを察して、山田が口を開いた。
これまでは行動隊の傘下にあった教育隊が独立し、司令直属――今は司令はいないが――となる。資料の組織図にはそのように記載されていた。
「ええ。教育期間中は各種戦闘だけじゃなく、情報収集の基礎を学んだり、予算編制の様子なども教えるから、行動隊に直結させる意味がないのよ。だから、独立した組織にしたの」
「なるほど。いいんじゃないかな」
山田が賛同を求めるように室内を見回すと、頷く者が多く現れた。
「ところで、姐御はどうするんだ? 1番隊隊長から外れたわけだけど」
猿渡が疑問の声をあげた。
「行動隊総隊長としての仕事に専念させてもらうわ。1番隊隊長っていうポストはすごく魅力的なんだけど、他にもやらなきゃならないことが多いからね」
これまで1番隊隊長を務めてきた礼は、隊長職から外れ、行動隊総隊長としての職務に専念することになる。
「なんだ、その、やらなきゃならないことって?」
大川が質問する。
「新しい訓練計画の作成、出動ローテーションの策定、装備の調達計画の確定、物資補給の事前調整、といったところかしら。全部が全部、私一人で処理しないといけないわけじゃないけど、重要な事柄ばかりよ」
礼の言葉を聞いた六人は、露骨に顔をしかめた。そんな雑事にかまけていてどうする。そう言いたげな表情を浮かべている。
「雑事と言いたいでしょうけど、どれ一つとっても、とても重要なことよ」
礼の言葉は、一様に疑念と失望の表情を浮かべている六人に向けたものだ。
「行動隊の戦闘能力を、制度面でも、物質面でも、精神面でもバックアップすることは、とても重要よ。決して雑事なんかじゃないわ。特に、物資面におけるサポート体制の強化は、絶対に必要ね」
「姐御の言うとおりだ。お前達が出動のたびに使っているBB弾は、空から降ってくるわけじゃないんだ。それに、当直の時に食ってる夜食や、夜寝るときに使ってるベッドのシーツなんかは、誰が調達してると思ってるんだ?」
首藤が五人をにらみつける。彼の会計部は予算の編制だけではなく、物資の調達や分配も司っている。
「というわけよ。私は前線に出るよりも、後方であなた達をバックアップする仕事に専念させてもらうわ。もちろん、大規模な作戦を実施する場合には、指揮を執らせてもらうけど」
「姐御の言いたいことはわかった。でも、姐御が前線に出なくなるのは、正直言って痛いな」
山田が残念そうに言った。
「前線には立つわよ。そこにも書いてあるでしょ。『二個番隊以上が一つの戦場に投入された場合には行動隊総隊長もしくは行動隊副隊長が全般的な指揮を執る』って」
礼は表情を変えずに答えた。
「いや、そうじゃなくてだな」
山田は食い下がった。
「姐御の戦術関係の知識は、行動隊内でもずば抜けている。なにしろ、こんな提言を書けるくらいなんだからな。
でも、姐御は統率能力に優れた指揮官でもあるんだ。そんな指揮官が常任の隊長として部隊の指揮を執らなくなるのは、行動隊全体にとってものすごい痛手だぜ。姐御はその点を考えなかったのか?」
「考えたわよ、もちろん」
礼は曖昧に微笑んだ。
「で?」
「どう考えても、こういう結論が出るのよ」
「理由を聞かせてくれるか?」
佐伯がたずねた。礼は軽く頷くと、ペットボトルのミネラルウォーターを一口飲んだ。
「博士はずいぶん私のことを褒めてくれたけど、優秀な指揮官は私一人だけじゃないわ。番長も、博士も、与作も、それぞれの個性を表面に出した統率方法で部隊をまとめている。実際に功績も挙げているしね。新しく隊長になる三人もまだ経験は浅いけど、これまでの実績から見ても三人に劣らない指揮官になれるはずよ。つまり、私があえて前線に出なくても、行動隊はこれまで通りの仕事をしてくれるだろうと判断したわけ」
礼の言葉に、五人はそれぞれ別の反応を示した。
猿渡は「あんまり持ち上げるなよ」と言って、腕組みしたまま照れたように笑った。
山田は黙ってニヤリと笑い、あごの無精ひげを引き抜いた。
大川は「サンキュー、姐御」と笑いながら頭を掻いた。
柳生は居心地が悪そうな顔で身じろぎした。
佐伯は「ずいぶんと高く買ってくれたもんだ」と呟き、一つ息を吐いた。
五人それぞれの反応を見ながら、礼は言葉を続ける。
「それと、私が1番隊隊長をやってると、1番隊のことだけに目が行っちゃって、全体を見られなくなっちゃう。そうなるといろいろとまずいからね」
1番隊隊長としての仕事の量は、行動隊総隊長としてのそれに比べると少ないが、それでも一般隊員から見れば決して少なくない量である。今までは行動隊総隊長としての仕事を半分以上猿渡に任せていたので何とかやってこられたが、これからの仕事は彼女自身でやらなければならない部分が多くなる。1番隊隊長と兼務できるとは、いくら楽天的な礼でも思えなかった。
「あと、いつまでも私ががんばっていると、後進が育たないでしょ? そこで、身を引いて二年生を育てようと思ったのよ。ガードには今まであれこれと教えてきたけど、その対象をもっと広げたいの。お嬢、プリンセス、アーチャーやアタッカンテ、まだまだ見込みのある二年生は多いからね」
礼が挙げたのは、全員二年生である。『ガード』木村泰徳、『お嬢』酒井由香、『プリンセス』沖田悠美、『アーチャー』牧野智、『アタッカンテ』藤原光寿。いずれも小隊長として作戦に参加した経験の持ち主だ。それに、礼は名を挙げなかったが、『行者』加納勇も有望株であろう。
「もう一つ、私は今、行動隊総隊長と四隊長会議議員を兼務しているわけだけど、その上に番隊隊長まで兼ねたら、過労でで倒れちゃう。いくら私と教授の仲がいいからって、そういうところまで真似たくはないわ」
最後の一言は、いたずらっぽい口調で言った。礼をよく知る隊員たちはみな苦笑を漏らした。礼が過労で倒れるという事態が想像できなかったのだ。
「了解。完全に納得したわけじゃないけど、とりあえず言いたいことはわかった。バックアップに専念してもらおうか」
山田は苦笑しながら、追及を止めた。
「さて、一段落したようだから、編制替えについてはまた後日討議するとしよう。姐御、この資料は持ち出してもいいのか?」
「ちゃんと管理してくれるなら、持ち出してもいいわよ。どの番号を誰に渡したのか、こっちで控えてるし」
礼は頷いた。資料が外部に流出した場合、誰がそれを管理していたのかがわかるように、礼は手を打っている。もちろん、情報漏洩をしでかした者に対する処罰は厳しいものになるだろう。
「そうか。じゃあ、とりあえず資料の中身を検討して、疑問点をまとめておいてくれ。次の質疑ではもっと煮詰めていきたいからな。
では、次の議題だ」
石川の言葉に、一瞬会議室が静まりかえる。そして、あちこちからささやき声が聞こえだした。今日の議題はこれだけだと思っていたのだ。
一方の四隊長は平然とした顔をしている。石川が何を言い出すのか見当がついているので、驚きはしない。
「探索隊理学部班所属の一年生・古内章雄がS研によって拉致されている可能性があるという情報が飛び込んできた」
石川の言葉に、会議室は静まりかえった。
管理人のコメント
榊原更迭後の改革の一環として、部隊の再編成を実施するオジロワシ。さて、今回脚光が当たる人物は?
>「……なんだ、この厚さは」
気合入りすぎです。大学生のレポートじゃないなぁ……
>今では全国の大学生でもトップクラスの軍事指揮官に成長している。
凄いのか凄くないのか微妙な表現という気もしますが(笑)、続く文章を見ると礼が只者でない事が良くわかりますね。
>これまで行動隊は、各兵科ごとに集まって一つの番隊を編制していた。
一見合理的に見えますが、実は時代遅れの編成法なのですね、これは……
>「うーん、確かに面白いとは思うんだけど……」
>「責任の重さがなぁ……」
意外にしり込みする柳生と佐伯。アクティブなキャラだと思っていましたが、責任が増えるとなると躊躇するのも仕方ないかも。
>「じゃあ、いいや。二人とも、出てってくれ」
これまた強烈なキャラですね、斎藤。以前に予告されていましたが、予想以上に変なキャラです(笑)。
>そんな雑事にかまけていてどうする。
雑事を疎かにするのは負けフラグです。柳澤君がここにいたら、講釈をたれてくれそうですね(笑)。
新たな体制づくりへの道筋もできた所で、いよいよ拉致事件の存在が明らかにされます。
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