オジロワシ血風録
第四章 拉致
2.拉致
「外事局長、よろしいですか」
スパイ研究会主任外事員・藤田智行がスパイ研外事局長・山本光輝の元をおとずれたのは、まもなく夏期休暇に入ろうとする七月一三日のことである。山本は目を通していた報告書から顔を上げて、唯一の腹心に視線を向けた。
「何だ、いったい」
山本の口調は、しっかりとしたものだった。珍しくと言うべきか、素面のようだ。
「ご存じかとは思いますが、最近になって〈オジロワシ〉の活動が活発化しています。たった二週間で八人も処断するというのは、今までの彼らのやり方ではありません」
「連中も本気になってきた、ってことだろう」
山本は平板な口調で応じた。
「だとしたら、あの放送はまずかったのではないでしょうか」
藤田が言う『あの放送』とは、スパイ研と骨法同好会が同盟を締結したことを知らせた報道部の放送のことである。山本の指示で流されたものだが、藤田に言わせれば〈オジロワシ〉側に徒に屈辱感を抱かせるもので、かえって相手の態度を硬化させると、放送に対して反対していた。
「やっぱりまずかったか……」
山本も、自分の決断で〈オジロワシ〉側の態度を硬化させてしまったと悟り、珍しく自制している。
「だが、連中に完全に本気になられたらまずい。もう少しびびってもらわないと困る」
「全くです。ガチンコの勝負では、どう足掻いても、我々は彼らに勝てませんから」
藤田は山本の言葉に頷いた。
スパイ研における戦闘要員の数は著しく少ない。もともとスパイ研自体が戦闘を行うための組織ではないのだから、当然ではある。スパイ研の戦闘部隊である外事局強制執行班の人数は、総計二八人。〈オジロワシ〉全戦闘要員の一割程度でしかない。ここまで戦力格差があると、歯向かおうと思うこと自体がジョークになってくる。
「そこで、少し考えてみたのですが……」
藤田は、ここからが本題だと言わんばかりに、表情を変えた。
「我々は〈オジロワシ〉に対して、戦闘可能人員と士気の両面で大きく後れを取っています。戦闘可能人員は一朝一夕では減らせませんが、士気に関しては激減させる方法があります」
「何をする気だ?」
興味を惹かれたらしく、山本が身を乗り出す。
「あまりやりたくはない方法ですが、誘拐です」
「誘拐?」
藤田の言葉に、さすがの山本も眉をひそめた。椅子の背もたれに体をあずける。
「思いっきり犯罪じゃねぇか」
山本は渋い表情になって、藤田をたしなめた。
(人一人殺しておいて、今更犯罪だって言われてもなぁ……)
藤田はそう思ったが、口や顔に出したりはしなかった。ここで山本の機嫌を損ねても意味がない。
「あくまで警告を与えるための誘拐です。それ以上のものではありません」
「ふむ……」
山本は考え込んだ。
「……連中と本気でやり合うための布石として、誘拐という方法を使うんだな?」
「はい」
「で、誘拐したやつはどうするんだ? 殺すのか?」
「いえ、殺しはしません。もし殺したら、我々は彼らの怒りをモロに受けることになり、逆効果になります」
この人も物騒なことを言うようになったな。そう思いながら藤田は答えた。
(やっぱり、梶川を殺したあの一件が、山本さんの心に悪影響をもたらしたのかな……)
自らも関わった梶川拓真粛清の一件を思い出し、藤田はそっと溜息を吐いた。
殺人を犯した人間は、それ以前と比べて、どこかが変わるものだ。いや、歪むと言うべきだろうか。種の保存という生物の本能に反した行為に手を染めるわけであるから、どんな理由であれ殺人を犯した人間は精神的外傷を受けることになる。それが様々な形で出てくるのだろう。ちょうど今の山本のように。
「わかった。検討してみよう。それと、強制執行班の人数を増やす案を作りたい。手伝え」
「……了解しました」
藤田は頭を下げた。と同時に、〈オジロワシ〉隊員誘拐の実行には、彼は加われないことも理解した。強制執行班の増員はスパイ研にとって一大事業だ。とても片手間でできることではない。
(俺じゃないとすると、誰がやるんだ? ……宇野さんか?)
藤田は先輩外事局員のことを考えた。これといった才能はないが、典型的なイエスマンであり、藤田にとっては反りの合わない人物でもある。
(宇野さんにやらせるぐらいだったら、俺がやったほうがいいと思うがなぁ……)
藤田はそう思ったが、決定権は山本にある以上、口出ししても意味がないと思い直した。そもそも、宇野が実行役に抜擢されるというのは藤田の想像に過ぎない。
(まぁ、誰がやるにせよ、お手並み拝見といきましょうかね)
藤田は内心で呟くと、山本の向かいに腰を下ろした。
七月一七日、〈オジロワシ〉探索隊隊員・古内章雄は湘洋市茅ヶ崎区甘沼にある自宅へと歩いていた。苦手の文学の試験が終わり、夜には同じ学部の同期生がテスト対策という名目で遊びに来ることになっている。それに備えて部屋を掃除し、彼らを迎える準備をするのが、古内にできるもてなしだった。
古内はこの四月に入学したばかりの新人で、理学部地質学科に籍を置き、同時に〈オジロワシ〉探索隊理学部班に所属している。まだコードネームを与えられてはいないが、持ち前の明るい性格で同期入隊の皆だけではなく、先輩隊員からの受けもよい。
しかし、まだ情報収集の修羅場を経験したことはない。今月はじめに教育隊課程を修了し、探索隊理学部班へ配属されたものの、彼にはまだ仕事が無く、探索隊総隊長と理学部班長とを兼ねる石川信光も、このところ多発しているスパイ研を相手にした情報戦に、彼を投入しようとはしなかった。経験不足、というのが理由だった。
古内は一日も早く役に立ちたかったが、肝心の隊長からの命令がないのだからどうすることもできない。今の彼の仕事と言えば、石川の指示で様々な雑用をこなすことだけだった。早い話、パシリとも言う。
古内が五分ほど歩き、人の気配のない場所に差し掛かると、一台のスポーツセダンが路肩に停車していた。自動車にそれほど興味のない古内は、それを気にすることもなかった。古内は黙ってその車をよけ、先を急ごうとした。
彼が路上駐車している車から一〇歩ほど離れたとき、車内から黒ずくめの四人の男が次々と降りた。古内は気付かない。
降りた男の一人が古内の首筋にスタンガンを押し当てる。金属の冷たい感触に驚いた古内が振り返る前に、高圧の電流が古内を襲う。
「!」
古内はうめき声も上げることができずに、意識を失った。
「誰かに見られる前に車に押し込めるんだ。早くしろ」
リーダーらしい男が小声で言う。そのまま彼は運転席に着き、キーをひねってエンジンをかける。
ぐったりとなった古内の体を三人がかりで担ぎ、車のトランクに押し込む。その作業を終えた三人が後部座席に乗り込むと、車は急発進してタイヤを派手に鳴らし、北の方へ去っていった。
夏期休暇を目前に控えた七月二〇日、大学でレポートを書いていた探索隊別班班長・堀内覚は、これまた大学に来ていた探索隊総隊長・石川信光の呼び出しを受けた。
「教授、何かあったのか?」
秘密部屋のさらに奥にある隠し部屋に通された堀内は、怪訝そうに石川を見た。過労で倒れて以来、石川の表情には精彩というものが感じられなかったが、それは外見だけであることは堀内にはよくわかっていた。
「探索隊理学部班の古内章雄との連絡がつかないんだ」
堀内の問いに、石川は答えた。隠し部屋にはBGMとして、石川の好きなムソルグスキーの『展覧会の絵』が、静かに流れている。
「秘密部屋に顔を出している様子もないし、定時連絡もない。学生課から聞いた話では、一八日以降のテストも受けていないそうだ。どうも引っかかるんで、お前のほうで調べてもらえないか?」
「古内?」
堀内は眉根を寄せた。思わず出かけた『誰だ、それ?』という言葉をやっとの思いで飲み込み、必死になって記憶を探る。しかし、あまり重要な情報は出てこなかった。前橋市の生まれだということはかろうじて頭の片隅に引っかかっていたが、それ以上の知識はどこにもなかった。理学部班所属ということさえ、石川に言われるまで忘れていたくらいだ。別班班長にはそれなりに仕事がある。親しくもなく、怪しいところもない人間のことをあれこれ詮索する時間は、彼にはなかった。
「でも、何でだ? 古内は理学部班の人間だろ?」
堀内は疑問の声をあげた。
「どうして俺たち別班に話を持ってくるんだ? 理学部班でかたを付けるべき問題じゃないか」
堀内は不満を露にした。
確かに彼の言うとおり、隊員の掌握は直接の上司の役目である。隊員に何かあった場合、まず直接の上司が、この場合は石川自身が動くべきなのだ。
そもそも、探索隊別班というのは、カウンターインテリジェンスや隊員の監視を主任務とする組織であり、情報収集はあまり得意としていない。その程度のことは石川自身も知っているはずだった。
石川は直接堀内の不満には答えず、立ち上がると窓辺に向かい、
「ちょっと来てくれ」
と堀内を招いた。堀内は不思議そうな顔をしながらも、石川のそばに寄った。石川はカーテンを閉めて、コンポの音量を最大にした。それまで静かに流れていた『展覧会の絵』が、急に大音量になる。うるささに耳を押さえながらも、堀内は驚かなかった。BGMを大音量で流すのは、盗聴をおそれる石川が重要なことを話すときの儀式のようなものだからだ。
「今回の一件は、S研が絡んでいるように思えるんだ。そこで、お前さんの知恵を借りたい」
石川は堀内の耳元に口を寄せ、囁くように言った。とはいえ、BGMが大音量のため、普通に話す程度の声量になったが。
「なんでS研が、新入隊員を拉致するんだ?」
堀内は首をひねった。
「この期に及んで、S研の奴等が俺たちの仲間を拉致することに、メリットは見いだせないぜ」
堀内が言うように、ここ二、三年ほど、スパイ研エージェントによる〈オジロワシ〉隊員の拉致は行われていない。メリットよりもデメリットのほうが大きいからだ。
デメリットの中でも最も大きいのが、両者の構成人員の数である。スパイ研の構成員が全員合わせても一二〇名程度しかないのに対して、〈オジロワシ〉は行動隊だけで二〇〇名を大幅に越える規模である。これに戦闘も可能な探索隊別班を加えた場合、差はさらに広がる。まともにぶつかった場合、スパイ研の不利は明らかだ。
つまり、スパイ研はこれ以上〈オジロワシ〉に本気になられては困るのだ。堀内も一時はスパイ研に籍を置いていただけに、そのあたりの事情はよくわかっている。
「奴等は焦っているんだろう」
石川はそう言うと、机の上にあったメモを堀内に手渡した。そのメモには、『〈オジロワシ〉隊員に恐怖に与えよ』という言葉に続き、意味不明な文章が五行にわたって横書きに書いてあった。その文章の上に、まるでルビのように小さな文字で、鉛筆書きの文章が書かれている。
「そのメモは、昨日遅くに傍受して、ついさっき解読が終わったS研暗号だ」
「……おいおい、これ、マジか?」
読んでくれと言われてメモの内容を読んでいた堀内は素っ頓狂な声を出した。ちょうど曲の切れ目で静かになった室内に、その声はよく通った。それぐらい、彼にとっては意外な内容が書かれていたのだ。
「マジかってのは、『ちゃんと暗号を解いたのか』って意味か? それとも、『S研はこんな事企んでやがったのか』って意味か?」
「……両方のミックス、後者多め」
こんな時でもペースを崩さない堀内を見て、石川は苦笑する。もっともそれは短い間で、すぐに表情を引き締める。
「暗号解読については万全を期している。解読文を三度確認させて、最後に俺が確認した。内容については、それこそ奴等に直接聞いてくれ。俺も解読してみて驚いたよ」
「……奴等、本当に狂ったのか?」
堀内は呻いた。
「奴等はもともと狂ってると思っていたがね。その認識が正しいと、向こうが証明してくれたよ」
石川は冷笑を浮かべた。
『学内治安維持組織の隊員を拉致し、犯行声明を狗どもに宛てて出せ。
拉致する人数は指定しないが、少数であることが望ましい。
拉致する人間の地位は問わないが、可能な限り幹部級の人間が望ましい。
拉致した人間からは、その人間が知る全ての情報を聞き出し、上層部へ報告せよ。
ただし、石川信光と神崎礼は、拉致の対象からは除く。』
訳文は以上である。これ以上ないくらい明確な、〈オジロワシ〉隊員を対象とした拉致指令である。
「奴等、あまりの頽勢に、とうとう人として大事な何かを捨てたらしい。
だが、こんな事で俺達がひるむと思ったんなら大間違いだ」
石川は冷笑を浮かべたまま言い放った。
「俺達を本当にびびらせるのなら、俺、姐御、番長、コンピュータのうち誰かを拉致らないとな。なのに、誰でもいいから拉致しろだと? 正気かって問いつめたいね」
「他の三人はともかくとして、姐御が拉致られたら、かえって俺達の怒りに火をつけることになると思うけどな」
「それもそうだな。もしそうなったら確実に頭に血が上る人間がここに一人いるからな。拉致した犯人だけでなく、それを命令した人間も、それを止めなかった人間も、一人たりとも生かしておかない」
石川はさらりと恐ろしいことを口にした。しかし、口調がさりげないからといって、その言葉を発した人間の内心もそうであるとは限らない。現に石川のこめかみには青筋が浮いており、握られた拳はぶるぶると震えていた。
(しまった……話の振り方、間違えちまった……)
堀内は冷や汗をだらだらと流しながら、自分の言葉を後悔した。石川の目の前で礼を安易に持ち出すのは危険なものであることを、つい失念していた。迂闊としか言いようがなかった。
「そうとも、絶対に許せないな。もしそんなことになったら、そいつだけじゃなく、そいつの家族全員破滅させてやるか……」
「きょ、教授、少し落ち着いて……」
さらに物騒なことを呟き続ける石川に、堀内はあわててなだめようとするが、
「何言ってんだ? 俺と礼がどういう関係か、忘れたわけじゃないだろ?」
石川に冷たい目で見られただけだった。
「それはもちろん知ってるけど、姐御が拉致られたわけじゃないんだろ!? 少し落ち着け! これでも飲め!」
堀内は大声を張り上げて石川を椅子に座らせると、ちょうど持っていた缶コーヒーを差し出した。石川は黙って缶を受け取ると開封し、一気にそれを飲み干した。
「甘……」
飲み終えた石川は顔をしかめた。缶コーヒーは無糖のものを除けば、かなり糖分が多い。辛党の石川には甘すぎたようだった。
「お前、なんて物飲ませるんだ。俺が甘いの苦手だってことは知ってるだろ?」
「そりゃ知ってたけどよ。落ち着かせようと思ってな」
堀内は溜息を吐きながら答えた。
「あのままじゃ、どんどん暴走して、危ない道に入りそうだったからな。リセットさせるために荒療治しないとな」
「次からは、別の方法を使ってくれ……」
石川は顔をしかめながら、再びラッキーストライクに火をつけた。口の中をリセットしようとしての喫煙だろう。一服つけると、気を取り直したように口を開く。
「それはともかく、そこに書いてあるように、奴等は俺たちの戦意を殺ごうとしている。その目的は……」
「弾圧の手を緩めさせるっていうのか?」
堀内は口を挟んだ。
「多分ね」
石川は気分を害したふうもなく頷く。
「俺達はS研と骨法を対象に特別警備行動を取っている。今のところ、その効果は覿面のようだな。特別警備行動の発令から三週間で、俺たちは三人のS研関係者、七人の骨法同好会員を大学から追放している。連中も少しは肝が冷えただろう」
石川は顔色を変えることなく言い放った。
この『特別警備行動』の発令により、〈オジロワシ〉に敵対する個人及び組織を警備対象として名指しし、その個人または組織が犯した些細な不法行為でも〈オジロワシ〉隊刑法で処罰できるようになる。この『学園特別警備行動』は〈オジロワシ〉にとって上から二番目の警戒態勢であり、更に段階が進むと『学園非常事態宣言』となり、〈オジロワシ〉は完全に戦時態勢に移行する。それと同時に、大学構内全てを戦場と認定し、敵対勢力を物理力を行使して制圧することが可能になる。もっとも、未だかつて〈オジロワシ〉が『学園非常事態宣言』を発令したことはない。発令にはいろいろと満たさなければならない条件があるからだが、それは本筋と外れるので割愛する。
「おおかた、骨法同好会を取り込めば、俺達も手を出せなくなると考えたんだろう。しかし、現実はこうだ。奴等の思惑は外れたようだな。
そこで奴等は考えた。こうなったら『狗ども』に恐怖心を抱かせ、弾圧の手を緩めさせてやろうと、な。その工作の矛先が向けられたのが古内だったというわけさ」
石川は皮肉げに続けた。彼はすでに、スパイ研内部で〈オジロワシ〉隊員のことを『狗ども』と呼ぶ習慣があることを突き止めていた。その上で、気分を出すためにあえて自分たちに対する蔑称を用いたのだ。
「だけど、何で古内だったんだ?」
堀内が首を傾げた。
「さっきも言ったように、ヤツはただのヒラだ。拉致するならそれなりに目標は絞るだろ?」
「さて、それはわからない。案外、『たまたま近くにいた人間を拉致ってみた』ってことかもしれないぞ」
「そんなふざけた理由で拉致られたら、あいつも浮かばれんぞ……」
「勝手に殺すなよ、縁起でもない」
石川は顔をしかめた。そして表情を暗くして続ける。
「だが……これは考えたくないことなんだが、最悪の場合、古内は消されるかもしれない」
堀内は石川の言葉に眉をかすかにしかめたが、黙って頷いて話を促した。
「このメモにもあるとおり、奴等がほしがったのは幹部クラスの人間だ。ところが、古内は幹部じゃない。今頃、拉致した人間は頭抱えてるだろうな。指令とはまったく違う人間を拉致したんだからな。古内が幹部じゃないって事は、尋問すればすぐにわかる。
そして、自分たちにとって役に立たない人間を後生大事にとっておくほど、S研は寛容じゃない。下手すりゃ、本当に古内は殺されかねない」
石川はすらすらと説明した。黙ってその説明を聞いていた堀内は、石川の言葉が終わると頷いた。
「なるほど、確かに筋は通っている。最悪のシナリオだが、可能性は高いな。
……だけど、本当に古内は拉致されたのか? ただ試験をサボっただけかもしれないし、何か面倒ごとに巻き込まれて連絡も取れない状態なのかもしれないぞ」
「試験をサボるような不心得者は、俺の部下にはいない。落第したら即座に追放ってのは、理学部班には徹底させてるからな。
交通事故に巻き込まれたっていう線もないな。市内の病院を一軒一軒調べてみたが、入院患者に古内の名前はない。家族に連絡を取らせてみたが、身内の誰かが危篤になったということもない。サラ金にとんでもない借金作っていて、返済し終えるまでどこかの飯場に監禁されているという可能性は荒唐無稽すぎる。消去法で考えても、S研に拉致されたと考えるのが一番妥当だろう」
石川は静かな口調で反論した。堀内は頷くしかなかった。妥当性のある可能性を、石川に提示できそうにはなかった。
「背景説明はこんなもんだ。管轄違いだってことも、別班はヒューミント活動を得意としていないことも、もちろん承知している。だが、今の探索隊には余裕がない。別班の力を借りなければ満足に機能しないんだ。頼む、デルタ。この通りだ」
石川は堀内に向かって両手を合わせながら頼んだ。ここ一ヶ月ほどの作戦で、探索隊員のほとんどが情報収集などを行っている。もちろん、理学部班も例外ではない。探索隊員で使える人員は別班しか残っていなかった。
「わかった」
堀内は意を決した。自信ありげに胸を叩いて、言葉を続ける。
「俺たち別班の総力を挙げて、古内の居所を突き止めてやる」
堀内の言葉を聞いた石川の表情が、若干和らいだ。
「ただし、一週間ほど待ってくれ」
「ああ。だが、可能な限り早急に頼む。古内の身が心配だからな。すぐに消されることはないと思うが、解禁されている間にもあいつの体は衰弱していってるんだ」
石川はそう言うと、金庫から一五〇万円を出してきた。探索隊機密費の一部である。
「当座の足しにしてくれ」
「ありがたくもらっておこう。余りが出たら、領収書と一緒に渡す」
「頼む」
「吉報を待っててくれ」
堀内はそう言うと、札束を無造作にポケットにねじ込み、秘密部屋へと続くドアに手をかけた。
「あ、そうだ。肝心なことを一つ忘れてた」
ドアを開ける寸前、あることに気付いた堀内が振り返った。何事かという顔をする石川。
「さっきのメモなんだが、『拉致する人間は少数であることが望ましい』とか書いてあったよな」
「ああ」
石川が頷く。
「ってことは、これから先、また隊員が拉致されかねないってことだな」
「……そう、だな」
石川は、しまったという表情になって呟いた。指摘されてはじめてその可能性に気付いたようだった。
「各自には、班長を通じて警報を送っておこう。単独行動するときは定時連絡を欠かさないようにするとか、いろいろと策を講じる必要がありそうだな」
「危ないのは探索隊よりも、むしろ行動隊じゃないか? 情報網が潰されるのは確かに痛いが、それ以上に兵隊が襲われる方が行動隊のダメージになる。士気も落ちるしな」
堀内の言葉に、石川は頷いた。
「それもそうだな。姐御に話をしておこう」
「頼む。じゃあ、俺はこれで」
堀内は隠し部屋から出て行った。
「古内、無事でいてくれよ……」
独り隠し部屋に残った石川は、祈るような口調で呟いた。
「さてと、景気のいいこと言って出てきたけど……」
隠し部屋から出てきた堀内は秘密部屋の片隅に腰を下ろして考え込んでいた。
「どう進めたものかな……。苦手なんだよな、ヒューミントって」
先ほど石川が言ったように、別班はヒューミント活動――他の人間から情報を収集することが得意ではない。別班が行う情報活動と言えば、通信の傍受――コミント活動、もしくは暗号解読――シギント活動である。堀内もスパイ研にいた頃はもっぱらコミント活動ばかりをやってきたので、ヒューミント活動は得意ではない。しかし、任務である以上、やらなければならない。
「とりあえず、神主と相談するか……」
堀内は独りごちると、携帯で別班第二小隊長の『神主』度会一を呼び出した。度会は工学部班長も兼ねている、探索隊生え抜きの人間だ。ヒューミント活動については堀内よりも経験が豊富なのは間違いない。
しばらくすると、度会がやってきた。結構急いでここまで来たらしく、息が少し荒い。
「何だ、いったい?」
「実はな……」
堀内は先ほど石川から聞いた話を度会にした。
「そうか……こりゃ、別班にはちょっと荷が重いな」
度会は腕組みして顔をしかめた。
「第二にはこの手の活動ができる人間が結構いるけど、第一はどうだ?」
度会の言うとおり、別班第二小隊はほぼ全員が〈オジロワシ〉生え抜きの人間だ。別班員としての隊歴は浅いが探索隊員としての経験を積んだ人間が多いため、情報収集任務にはうってつけであった。
「お手上げだ。俺も経験が少ないしな。S研にいた頃はコミントばっかりやってたし」
堀内は言葉通り『お手上げ』といったポーズをしながら言った。
「だろうな。……わかった。俺のほうでプランを考えてみる」
度会は。
「非公式に本班の連中を巻き込めないか?」
堀内の言った『本班』というのは、各学部班を指す単語である。あくまでも別班に対する呼び方であって、別班の隊員以外はまず使わない言葉である。
「残念ながら、工学部班は手一杯だ。分析作業の助手として何人か教授に取り上げられてし、それ以外の人間も、今抱えてる仕事が一段落しないことにはどうしようもないからな。もちろん、他の班もダメだろう。どこも工学部班と大差ないと思うぜ」
度会は顔をしかめながた答えた。最近になって、情報分析班とでもいうべき組織が作られ、探索隊員のうち二〇人ほどがここに引き抜かれている。工学部班も六人を提供していた。しかし、人数が減っても抱えている仕事の量は変わらないわけだから、隊員の負担は増えた。度会も工学部班長として、各隊員に任務の割り当てを再検討しなければならず、ああでもない、こうでもないと煩悶している。
「そうか、ダメか……」
堀内は溜息を吐いた。期待はしていなかったが、こうはっきり言われるとさすがに落ち込む。
「とにかく、情報収集は俺達第二がやる。慣れないことやって失敗するより、慣れてる人間に任せてくれ。デルタ達は最後の詰めを頼む」
度会の言葉に、
「構わないけど、俺達がおいしいところを持っていくことになるぜ?」
堀内が口元に笑みを浮かべた。
「いいよ。組織として目的を達成する方を優先しようぜ」
度会は、いろいろと手配すると言い残し、秘密部屋から出て行った。
#なじみのない単語には解説を付けたほうがいいですかね?
#テンポが悪くなるんで止めたんですが……
管理人のコメント
今回の章題「拉致」。その真相が明らかになって来ました。
>「やっぱりまずかったか……」
>山本も、自分の決断で〈オジロワシ〉側の態度を硬化させてしまったと悟り、珍しく自制している。
勝利したことが嬉しかったんでしょうが、必要以上に相手に屈辱を与える事が、過激な反応を引き出すことは歴史上よく見られる出来事です。
山本もその陥穽からは逃れられなかった、と言うところでしょうか。
>(やっぱり、梶川を殺したあの一件が、山本さんの心に悪影響をもたらしたのかな……)
その件がなくても元からヤバい人間だったとは思いますが(笑)。
>古内はうめき声も上げることができずに、意識を失った。
こうして拉致事件が起きたわけですね。
> そもそも、探索隊別班というのは、カウンターインテリジェンスや隊員の監視を主任務とする組織であり、情報収集はあまり得意としていない。その程度のことは石川自身も知っているはずだった。
軍隊で言えば憲兵的組織という感じでしょうか?
>(しまった……話の振り方、間違えちまった……)
堀内君、なかなか迂闊な人です(笑)。
>「何言ってんだ? 俺と礼がどういう関係か、忘れたわけじゃないだろ?」
とはいえ、石川もちょいと私情が入りすぎてますが。
>「お手上げだ。俺も経験が少ないしな。S研にいた頃はコミントばっかりやってたし」
S研から移籍した人材もいたんですね……それでもなお、S研の全貌は掴みきれないわけですが。
>「いいよ。組織として目的を達成する方を優先しようぜ」
渡会はなかなかできる人間のようですね。
骨法同好会の一件でポイントを稼いだS研。しかし、オジロワシの反撃も熾烈です。とりあえず……古内君の生還を祈りましょう(笑)。
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