オジロワシ血風録

第三章  更迭



10.新たなる敵



 骨法同好会会長・原口宏太は昼下がりの食堂で、一人の学生と向かい合っていた。すでに午後の講義が始まっているので、食堂内は閑散としている。周りの喧噪で相手の声が聞こえなくなるということはないだろう。
「確かにスパイ研究会は、俺たちを援助してくれるんだな?」
 原口は目の前に座っている学生にたずねた。
「はい、我々スパイ研究会は骨法同好会の主張に賛同し、ともに〈FS湘洋〉を打倒するためにいかなる援助も惜しみません。必要なら、喧嘩の時の人数もお貸ししますよ」
 学生――スパイ研究会外事局員・藤田智行は原口に対して、友好的な笑みを浮かべながら断言した。
「そうか。ありがたい。最初は〈レッド・ロブスター〉に同盟を持ちかけるつもりだったんだが、あそこは団長の頭が固くてな。
 いや、なんにしろ、俺たちに協力してくれるサークルがあるのはありがたい」
 原口は上機嫌だった。
 今まで彼は学園最強サークルと評判の〈FS湘洋〉に対して、孤独な戦いを続けていた。しかし多勢に無勢であり、今のところ旗色は悪い。原口は状況を打開するため、大学内のすべての体育会系部活動や、体育系のサークルに対し協力を要請していたが、どのサークルも原口の要請を拒否した。中には剣道部のように、『ガキの喧嘩を大学内でやるな』という説教をたれるサークルもあった。
 そんな原口の元に、スパイ研究会から共闘の誘いがあったのは、一週間ほど前のことだ。味方を得るために四苦八苦していた原口は、スパイ研の申し出を手放しで喜んだ。そしてつい先ほど、スパイ研究会の会員である藤田と会談し、共闘に向けての確約を得たのだ。 「さて、原口さん。我々が協力するに当たって出した条件、呑んでいただけますか?」
「ああ、呑むとも。しかし面白いことを言ってきたもんだな」
 原口は首をかしげた。
「〈オジロワシ愛好会〉を叩き潰すために協力してくれ、なんて。あそこはただの自然保護サークルだろう?」
 一般学生の〈オジロワシ〉に対する認識は、所詮このようなものである。情報統制が完璧に成功していることの、何よりの証だろう。
「いいえ、あそこは危険です。原口さんもグリーンピースのことはご存じですよね?」
 藤田は頭を振ってみせた。
「〈オジロワシ〉はそのグリーンピースの学内版です。自然保護というお題目を掲げておきながら、その実態は自分たちの主張に反対する人間に対し卑劣なレッテル貼りを行って、敵対者を社会的に抹殺するというとんでもない奴らなんですから」
 藤田の言っていることに嘘はない。スパイ研側からの視点で見ればの話だが。〈オジロワシ〉は自分たちの主張――学内の治安維持――に反対する学生に、『学生の敵』という――当事者にとってみれば――卑劣なレッテル貼りを行い、敵対者を――退学・除籍という処分をすることによって――社会的に抹殺している。ただ、自然保護という名目は掲げていないが。
 藤田は〈オジロワシ〉の真の目的は原口に教えなかった。意図的に一部の情報を隠すことによって印象操作を行い、原口を見方に引き入れたのだ。
「お前の言っていることが本当なら」
 原口は怒りに表情をゆがめた。原口は曲がったことが大嫌いな、一本気の性格をしている。そのため、藤田の言葉を信じ、〈オジロワシ〉に対して嫌悪感を抱きつつあった。
「もしあんたたちが〈オジロワシ〉に対して何かしようと思ったときは、俺たちに連絡してくれ。微力ではあるが、協力させてもらう」
「ありがとうございます」
 藤田は神妙に頭を下げた。
 しかし、顔を伏せながら、藤田は思わずほくそ笑んでいた。彼は原口から言質を取った。これでスパイ研は、対〈オジロワシ〉作戦において、骨法同好会の『協力』を求めることができる。実際には、体よく使いつぶして、原口もそのうち粛正するつもりだが、さすがにこれは言えない。
(単純な奴だ……こっちの言ったことを疑いもせずに聞いてくれる、単細胞人間でよかった)
「では、〈FS湘洋〉に対して宣戦を布告するという宣言をしてください。宣言を出したあと、私は部室に帰ります。そこで我々は骨法同好会を全力で援助するという声明を出します」
 藤田は顔を上げた。これで〈オジロワシ〉も知るだろう。自分たちが失敗したことを。
「わかった。すぐにでも報道部に声明書を持って行く。遅くとも明日には、放送で構内全てに流れるだろう」
 藤田はゆっくりとうなずくと、原口としっかり握手をして、学生食堂を出た。


 石川が倒れて一週間が経ったにもかかわらず、状況には何の変化もなかった。いや、何も変化がないように見えるというのは、確実に〈オジロワシ〉にとって不利な状況になっていくことを意味するから、秘密部屋に集まっている隊員たちの顔にも、焦りの色を隠しきれなくなっていた。
「こうなったら、S研の会議場を奇襲して、災いの根を断ちましょう」
 由香が苛立ったように言った。ちなみに後藤の謹慎は未だに解けていない。
「しかしお嬢、証拠はどうする? 今のままじゃ、勢い込んで乗りこんだところで、のらりくらりと逃げられるのがオチだ」
 猿渡が目を閉じたままで答えた。
「証拠など必要ではありません。奴等が糸を引いているに決まってるんです。この際連中を、一人残らず学園から追放しましょう!」
 由香の表情は、焦りと苛立ちで歪んでいた。
「よし、わかった」
 猿渡は瞑目したまま頷いた。そして、
「で、どれだけの人数を、いつ、どこで、どのようにして動かすっていうんだ? 具体的にこの場で言ってくれよ。まさかとは思うが、『行動隊員全員でサークル棟に押しかける』なんて言わないよな?」
 由香の顔を横目で見ながら意地悪くたずねた。由香は言葉につまり、しばらく口をぱくぱくさせていたが、憤然として席に座った。 「焦ったところで仕方がない。コンピュータの報告を待とう」
 猿渡は向井の情報待ちという姿勢を崩さずに、あくまでも静かに言った。
 ノックがした。どことなく、弱々しい音だった。猿渡が立ち上がってドアを開けると、見慣れたスキンヘッド姿の青年がうなだれていた。
「なんだ、行者か。そんなところに立ってんじゃねぇよ。早く入れ」
 猿渡がうなだれている加納に、この男らしい言葉をかけながら、部屋の中に招き入れた。
 加納は秘密部屋の中に入ってきてからも、しばらく戸口で立ち尽くしていた。猿渡が再び声をかけようとすると、加納は突然、その場に膝をついた。
「お、おい。なんの真似だ?」
 突然のことに驚いた猿渡は、加納の手を取って立ち上がらせようとする。しかし加納はその手を振りほどくと、
「申し訳ありません!」
 と、額を床にすりつけた。
「骨法同好会は、本日正午、ファイティングスピリット湘洋に宣戦を布告しました」
 加納の言葉に、全員言葉を失った。部屋の中の空気が一瞬にして凍り付いたかのように、誰もがその場から動けずにいた。
「……宣戦布告って、そりゃいったいどういうことだ?」
 やっとの思いで冷静さを取り戻した猿渡が、それでも声を震わせて加納にたずねた。
 加納は顔を上げた。泣いていた。親が死んでも泣かないと豪語していた加納が、今は恥ずかしげもなく、頬に涙を光らせながらしゃくりあげていた。
「骨法同好会は、S研エージェントの口車に乗って、ファイティングスピリット湘洋に対する、無差別戦状態に入りました。冷戦が終わって、本物の戦争になってしまいました」
 加納の言葉は、秘密部屋の空気をさらに重苦しいものに変えた。何もかもが遅きに失したという後悔の念と、この事態を止めることができなかった自分たちに対する憤りが、一挙に部屋中に広がった。
「申し訳ありません! 自分がついていながら、この事態を止められませんでした。申し訳ありませんでした!」
 加納の涙混じりの大声が、ただ虚ろに室内に響く。由香は呆然として机に突っ伏し、猿渡は黙って天を仰ぎ、弓道部の稽古を抜け出してきていた山田は自重で落ちようとする頭をおさえるように額に手をやった。
 その他の隊員も、虚脱状態になってしまった。そのなかで加納だけが、わあわあと声を上げて泣いていた。
「終わった……終わっちまった……」
 山田は、虚ろな表情で、そう繰り返した。
 この教室の中にいる〈オジロワシ〉の隊員がはじめて味わう、挫折の味だった。


 スパイ研の会議室では、山本が工作の成功を報告した。
「先ほど藤田から報告がありました。骨法同好会は、我々の思惑通り、〈ファイティングスピリット湘洋〉に対し宣戦を布告する、と宣言しました。骨法同好会は我々の衛星サークルとなり、学園内における我々の地位も向上するでしょう」
 山本は、満面に笑みを浮かべてそう言った。
(『我々の』ではなく、『貴様の』だろうが。見え透いてるんだよ、このアル中野郎が)
 柳澤は苦虫を噛み潰したような顔で、心の中で悪態をついた。ちらりと関に目をやる。関は特に感情らしい感情を見せず、黙って山本の話を聞いていた。
「会長、何をするべきか、ご指示を」
 山本は自信に満ちた声で、関に詰め寄った。
「そう慌てるな。骨法同好会を完全に掌握しろ。次の工作はそれからだ」
 関は静かにそう言った。
「外事局長、まさかとは思うが、現段階で奴等と全面対決するつもりじゃないだろうな?」
 柳澤は山本を睨み付けた。
「まさか。いくら脳天気な俺でも、そこまでは考えない」
 山本は鼻で軽く笑って答えた。しかし、目では如実に柳澤の問いを肯定していた。
「言い争いはそこまでにしろ。とにかく、当面は現状維持だ。わかったな?」
 関は苛立たしげに山本と柳澤を見やった。
「はい……」
「了解」
 不承不承ながら柳澤は席に着き、山本は柳澤から目をそらした。
「外事局長、骨法同好会の会長をしっかりこちら側にとどまらせろよ。また狗どもに邪魔されては、せっかくの苦労も水の泡だからな」
「わかっています。手抜かりはありませんよ」
 山本は自信ありげに頷いた。

 会議終了後、柳澤はプレハブを出て、日光の下でタバコを吸っていた。携帯灰皿を持つことが喫煙者の義務だと信じる彼は、地面に灰を落とすということはせずに、灰や吸い殻は自分で始末している。
「作戦局長、話がある」
 紫煙と一緒に苛立ちを吐き出していた柳澤に、関が声をかけた。
「この前の話はなかったことにしてくれ」
 関はこう切り出した。山本が計画した工作が成功に終わった以上、失敗を前提にしていた話が反古にされるのは当然のことだから、柳澤も驚かなかった。ただ黙って頷くだけだった。
「これで、外事局長の権力基盤は、さらに強固なものになったな」
 関がそう言うと、ようやく柳澤の顔が曇った。
「正直な話、私はお前を信頼している。確かに外事局長は有能だが、あのとおり独断専行癖がある。このままでは、スパイ研究会はあいつによって崩壊させられかねない」
 関は熱弁を振るうが、柳澤は感銘を受けているようには見えない。ただ顔を伏せて、何かを考えているようだった。関は毒気を抜かれ、口を噤んだ。
 柳澤が顔を上げたのは、たっぷり五分が経ってからである。
「会長、一つお願いがあります」
「ん?」
「退会したいのですが」
「なんだと?」
 突然の柳澤の提案に、さすがの関も驚いた。
「山本の下につくのは、私のプライドが許しません。私のいるべき場所は、これからのスパイ研には無くなったんです。わがままだということは承知しています。どうか、退会させて下さい」
「作戦局長、退会を試みた会員がどうなるか、わかっていて言っているんだろうな?」
 関の目が細まる。
 スパイ研究会は、いったん入会した者は、まず退会できないようになっている。退会した会員は同僚からのリンチにあい、学外へ出ても様々な嫌がらせを受ける。その恐怖をバックボーンとして、スパイ研は強固な結束を保ってきたのだ。もっとも、退学・除籍による退会者には、このようなことはない。
 柳澤は、それを知ってなおかつ退会しようとしているのか? 関はそれを知ろうとした。
「充分にわかっています。私は大学を辞めて、田舎へ帰りたいんです」
 柳澤は言った。
「ちょうど、大学の勉強も行き詰まっていたんです。別の世界を見て、これからの自分の生き方を考えてみたいと思います」
「…………」
 関は何も言えなかった。柳澤の決心を翻すのは難しいと悟ったのだ。
「……わかった。達者でな」
 関は右手を差し出した。内心で、手を握った瞬間に指の骨を折ろうと企んでいる。関にはそれができるだけの握力があった。
 しかし、
「今、右手の調子が思わしくありません。握手は勘弁して下さい」
 柳澤は関の手を握った瞬間に何が起こるか承知しているらしく、口実を設けて握手を拒んだ。先程吸っていたタバコも、わざわざ左手で持っていたほどの芸の細かさだ。
 関の顔が醜く歪んだ。柳澤はそんな関を平然と見返して、
「では、これで。明日にでも退学願いを大学に提出します」
 と言い残し、足早に関から遠ざかった。
 それっきり、柳澤はスパイ研の会議場であるプレハブに姿を見せることはなかった。


#あちこちにケンカ売ってる気がする……大丈夫か、俺……


管理人のコメント

進まない調査に教授が倒れ、今までに無い危機に陥ったオジロワシ。ついに彼らに破局が襲い掛かります。

>「確かにスパイ研究会は、俺たちを援助してくれるんだな?」
>「はい、我々スパイ研究会は骨法同好会の主張に賛同し、ともに〈FS湘洋〉を打倒するためにいかなる援助も惜しみません。必要なら、喧嘩の時の人数もお貸ししますよ」

 ついにまとまった同盟関係。しかし、スパイ研究会って、世間からはどう見られてるんでしょうか……


>最初は〈レッド・ロブスター〉に同盟を持ちかけるつもりだったんだが

 勢力から言えば妥当でも、政治的には色々アレな申し込みですねー。


>「で、どれだけの人数を、いつ、どこで、どのようにして動かすっていうんだ? 具体的にこの場で言ってくれよ。まさかとは思うが、『行動隊員全員でサークル棟に押しかける』なんて言わないよな?」

 強硬派をこうやって押さえられるあたり、猿渡もいい加減そうに見えて、なかなか狸です。まぁ、そうでないとオジロワシの中で重い役目など与えられないでしょうが。


>何もかもが遅きに失したという後悔の念と、この事態を止めることができなかった自分たちに対する憤りが、一挙に部屋中に広がった。
>「終わった……終わっちまった……」

   事態がついに決定的段階を迎えた事を知った一同。山田の言葉に、苦い挫折の溢れる様子がにじみ出ています。


>「山本の下につくのは、私のプライドが許しません。私のいるべき場所は、これからのスパイ研には無くなったんです。わがままだということは承知しています。どうか、退会させて下さい」

 挫折したのは同じS研の柳澤も同じですが、彼の性格を見ていると、早晩S研でいる事に行き詰まりを感じたような気もします。まぁ、この先の彼に幸あれというところでしょうか?


 これまで勝利を重ねてきたオジロワシの、初の敗北。果たして彼らの反撃はいかなる形で行われるのでしょうか?



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