オジロワシ血風録

第三章  更迭



4.予兆



 木村が〈オジロワシ〉の秘密部屋に入ると、4番隊第四小隊長の『虎徹』柳生晴信と教育隊隊長の『マリーン』澤登駿介が何やら談笑していた。その他には誰もいない。どうやら石川もいないようだ。隠し部屋に通じるドアの上に小さなライトがあり、中から鍵をかけるとそのランプがつくようになっている。石川は部屋の中にいるときは必ず鍵をかけているので、『ランプがついていない』=『石川は不在』だと言えるのだ。
「あれ? 他の方々は、もう帰ったんですか?」
 木村は二人にたずねた。ここに来るまでは、この部屋にいるのがたったの二人だけとは思わなかったのだ。
「いや、まだ番長と新入隊員が何人かいるはずだが」
 柳生が木村にご苦労さんと言った後で、語尾に微かに尾張弁の訛りを残した口調で答えた。
 柳生はその姓と訛りでわかるように、尾張藩剣法指南役・柳生兵庫頭利厳を家系図上の先祖に持っている。幼い頃から家伝の柳生新陰流を学び、これを父から継承していた。白兵戦では隊内で誰も太刀打ちできないほどの強者である。そればかりではなく、礼や猿渡には及ばないものの、優秀な部隊指揮官でもあり、榊原の信頼も篤い。
 ただ、家訓なのか本人のポリシーなのか誰も知らないが、いつも羽織袴、もしくは長着に羽織といった和装をしている。足には靴ではなく足袋を履いて草履をつっかけ、腰に二本の木刀を鞘付きで差している。その事だけで、学園内ではちょっとした有名人、というより変人として通っていた。これで髷でも結えば、本当に時代劇に登場する武士になってしまう。ただ、時代劇の登場人物とは違い、着るものは着崩してある。そうでなければ、突発的な戦闘に対処できないのだ。
 柳生の佩刀は、いずれも〈オジロワシ〉制式装備の強化木刀〈武蔵〉である。アルミニウム合金の心材の周りにプラスチックをコーティングしたこの〈武蔵〉は、普通であれば刀身に当たる部分は黄色もしくは赤色をしているが、何事にも凝る性質の柳生はこの表面にアルミホイルを貼り、ちょっと見には真剣に見えるように細工してある。ご丁寧に刃紋まで手本にした刀に似せてある。彼はこの二本を、『偽虎徹』『兼定もどき』と命名していた。実はもう一本、小太刀サイズの強化木刀〈小武蔵〉を改造した『なんちゃって国広』もあるのだが、これは普段は携行していない。
「そうですか。番長がいますか」
 木村は手近にあった椅子に腰を下ろし、右手首をぶらぶらさせて凝りをほぐした。
「ところで、ガード。なんでこんな時間まで学校にいるんだ?」
 自分たちのことを棚に上げた澤登の問いに、
「レポートですよ、レポート。さっきまで図書館にずっと篭もっててテーマを絞ってたんで、昼飯も食ってないんです。で、ここに来れば、何か食わせてくれるんじゃないかと思って」
 木村は手をすりあわせながら、ニヤリと笑った。
「おいおい、ここは食堂じゃないぞ」
 柳生は苦笑した。
「生協は……この時間だと閉まってるか」
 澤登は腕時計で時間を確認する。さすがに午後九時を過ぎてしまうと、大学生協も閉まっている。
「貧乏学生なんですよ、俺は。もし生協が開いてても、金おろさないと何も買えません」
 木村は胸を張った。
「どう考えても、胸張って威張れることじゃあねぇな、それは」
「番長に何をおごってもらおうかなぁ」
 澤登の茶々を気にもせずに、木村は虫のいいことを考えていた。
 しばらくして、『番長』猿渡徹が何人かの新入隊員を引き連れて、秘密部屋に入ってきた。
「おっ、ガードじゃないか。お前さん、学校に来てたのか?」
 猿渡は木村の姿を見かけると、意外そうに言った。
「あのですね、毎日とは言いませんが、俺はちゃんと講義のある日には来ていますよ」
 木村は口を尖らせて講義した。
「でもよ、今日の英会話の講義には出てなかったじゃねぇか」
 猿渡は記憶をたどるように上目遣いになった。彼も一般教養である英会話の講義を受講している。
「朝から図書館に篭もって、レポートを書いてたんです」
「どのくらいだ?」
「A4で一〇枚です」
「その程度なら今日一日で書けるだろう?」
 猿渡は呆れたように言った。猿渡は『文書でっち上げの名人』を自称しており、事実レポート用紙五、六枚のレポートなら、四時間足らずでまとめることができる。それでいて、内容はしっかりと一本筋の通ったものなのだから、木村のような人間からすれば非常に羨ましい能力の持ち主だといえる。以前猿渡が冗談交じりに『俺は小論文だけでここに受かったんだ』と言ったのを、木村も聞いたことがある。
「それができるのは番長くらいですよ。俺にはとても無理です」
 木村は、オーバーに頭を振ってみせた。
「ああ言うとこう言う。かわいくねぇな。しょうがねぇな」
 猿渡は舌打ちした。しかし、本当に苛立っているわけではない。声にはかすかに笑いがにじんでいた。
「あ、そうそう。虎徹、姐御や博士は帰ったのか?」
「ああ。一時間ほど前にな」
 何かを思い出したかのような猿渡の問いに、柳生が答えた。
「そうか……。じゃあ、行者はいないか? あいつにちょっと聞きたいことがあってな」
「何だ? あいつに用でもあるのか?」
 さっきから黙っていた澤登がたずねた。言いながら、セブンスターをポケットから取り出し、火をつける。
 猿渡は加納とそれほど親しいわけではない。それだけでもおかしいのに、猿渡の口ぶりでは、何か面倒ごとがありそうな雰囲気だった。
「仕事だよ、仕事。骨法同好会がキナ臭い煙を立てているんでな」
「なんだよ。あいつら、またFSと諍いでも起こしてるのか?」
 柳生が苦々しげに言った。
 〈FS湘洋〉と骨法同好会の不仲は、ラグビー部とアメフト部との関係より大学内では有名であった。構内でこの二つのサークル同士のいざこざが絶えたことはない。そして、これまで死人が出ていないのが不思議なほど、その抗争は頻繁であり、激しい。学生の中にはこの抗争のことを、その激しさから、『実録版・仁義なき戦い』とか、『イギリス治安部隊とIRAの武力闘争みたいだ』とか、『まるでイスラエルとパレスチナの争いだ』などと言っている者もいる。
 この抗争の原因は、当事者以外には不明である。骨法同好会側の言い分によれば、大学内を我が物顔で歩くFS会員が憎たらしく、それに反抗しているのだというが、これを鵜呑みにはできない。当事者が語る事情には、偏見および自己正当化などが混ざっているからだ。
 学生の間では、大学内の格闘技界を牛耳ろうという〈FS湘洋〉と、それを不満とする骨法同好会とが大人げない争いをしている、という見方が大半であった。
「まぁ、平たく言えば、そんなもんだ」
 猿渡はマルボロに火をつけながら、柳生の言葉を肯定してみせた。一服つけると、再び口を開く。
「ただ、はっきりと言えば、全面抗争になりかけている。俺の知り合いに骨法の会員もFSの会員がいるが、骨法のほうはかなりカッカしてた。放っておけば、取り返しのつかないことになりかねない。正面からぶつかったら、今度こそ死人が出るかもしれん。なんとか沈静化させたいんだが……」
 そう言った猿渡の顔は、暗く沈んでいた。
「行者は、そんなことは言っていなかったと思ったけどな……」
 柳生が首を傾げる。
「番長、お前さんが会ったその骨法の人間は、そんなに熱くなってたのか?」
「ああ。放っておけば人を殺しかねないほどだ。冷戦から本物の戦争になりかねない」
 猿渡は断言した。高校時代、静岡県西部では名の通った喧嘩屋だけあって、喧嘩が起こる前の雰囲気を敏感に感じとることができるのだろう。
「にしても、随分と急だな。一週間前までは、そんな気配さえなかったのに」
 澤登は顎を指でつまみながら、ポツリと言った。
「でも、FSのほうは、そうでもないんだよな。もちろん、『かかってくるなら返り討ちにしてやる』とは言ってたけど、FSのほうから骨法にケンカを売るつもりはないみたいだった。
 ……これって、どういうことだと思う?」
 猿渡の言葉に澤登は硬直した。澤登だけではなく、柳生も、そして木村も、何が起こっているのか理解して言葉を失っていた。
「S研が黒幕ってことか……。ヤツら、骨法の連中を煽ったな……」
 我知らず、澤登は呟いた。
「誰が考えても、そういう結論になるよな」
 猿渡が頷く。彼が連れてきた新入隊員も、すでに猿渡に聞かされていたのだろう、驚いた様子は見せない。
「ですが、随分とスパンが短くないですか?」
 何とか立ち直った木村が警戒するような目をした。
「ラグビー部に対する工作があってから、まだ一週間も経っていません。それなのに、次の工作にとりかかるでしょうか?」
「あの工作は、一エージェントの独走によるものだ。S研が本腰を入れてやったものじゃない。そういう調査結果が出ている。
 これはあくまで俺の勘だが、今度の件は、S研が本格的に工作を仕掛けてきた、今年度始めての事件だと思う」
 猿渡が言う。
「では、これは俺たちに対する宣戦布告か?」
 柳生が机の上に置いてあった『偽虎徹』を掴んだ。そのまま抜き放ちかねない様子だ。
「おそらくな」
 猿渡は渋い顔になった。
「これから司令のところに行ってみよう。話を通しておいたほうがいいと思う。虎徹とマリーン、ついてきてくれるか? お前たちはここで待ってろ」
 猿渡は促した。後半部分は、彼の背後にいる新入隊員たちに向けたものだった。
「わかった」
 と、柳生と澤登は席を立った。
 澤登は頭に巻いているバンダナを締め直し、ベストのポケットに携帯電話を放り込んだ。
 柳生はそれまで机の上に置いてあった二本の木刀を持ち、腰に帯びた。こうしてみると、本当に江戸時代の武士のようだ。もっとも、江戸時代の武士を自分の目で見たものは、この中には誰もいない。せいぜい、時代劇によって作られたイメージくらいしか持ってはいないだろう。
 二人が席を立ったのを見て、名前を呼ばれなかった木村も席を立った。
「俺も行っていいですか?」
 猿渡はちらりと木村の顔を見て、ああと頷いた。断るつもりは無かったし、たとえ猿渡がダメだと言っても、彼の一の子分を自任する木村が、それに従うとは思えない。なら断って変にごねられるよりは、最初から連れて行くと言ったほうが時間の無駄にならなくてすむ。猿渡はそう考えていた。
 それに、猿渡には、木村を同行させるもう一つの理由があった。
(こいつにも司令室の雰囲気を味わわせておきたいからな)
 猿渡は思った。
 来年度には木村は行動隊の中でも重要な位置に就くことになるだろう。そのときに備え、今から司令室の雰囲気を体験させておくのはいいことだ。猿渡はそう考えた。何のかんのと言いつつ、彼も木村のことを買っているのだ。
「ああ、そうだ。ガード、教授にメールしておいてくれ。今回のことをざっとな」
「お、俺がですか?」
 木村の表情が引きつる。メールを打つのはかまわないが、文案を練るのが苦手なのだ。
「……悪い。俺がやっておくよ」
 そのことに気づいた猿渡はポケットから自分の携帯をとりだし、石川に宛てて簡単に状況をまとめたメールを送信する。
「これでよし。さて、行くか」
 猿渡と柳生、澤登、そして木村の四人は、ひとかたまりとなって秘密部屋を出て、旧経済学部棟の四階にある司令室へと向かった。

 石川は遅い夕食を終えて、アパートの自室でくつろいでいた。手の届く範囲にはマッカランのボトル(一八年もの)とロックグラス、チェイサー用のミネラルウォーター、アイスペールなどが置いてある。
「うまい……」
 ロックグラスに入ったマッカランを一口飲んで、満足そうに息を吐いた石川だったが、携帯の着メロで現実に引き戻された。着メロはすぐに消えた。電話ではなく、メールが届いたのだ。
「……ん? なんだ、こんな時間に……」
 石川は携帯のディスプレイを見た。着メロから、メールの送り主は〈オジロワシ〉隊員だということがわかっていた。メールを開き、内容を確認する。
 何も言わずメールを読んでいた石川だったが、読み終わるとすぐにそのメールを消した。秘密保持のためだ。
「予備動員、しておくか。司令からも言われるだろうけど……」
 石川は呟き、各学部班長宛のメール作成に入った。

 榊原の態度は、今までと代わりばえのないものだった。彼はまず、事実の確認を求めたのである。榊原は確かに対スパイ研強硬論者ではあるが、徒に猛進を求めるような人間ではない。事実関係がはっきりしないうちは、軽々しく動こうとはしないのだ。
「確信がない以上、一人たりとも行動隊員は動かせない。
 ……俺がこう言うのは、お前たちもわかっているだろう?」
 四人を前にして、榊原は毅然として言った。対する四人は、やっぱりといった顔をした。
「私たちは何も、今すぐに行動隊を投入しろと言っているわけではありません。まず事実関係を確認し、その上で行動を起こすべきなら起こそうと言っているのです」
 しばらく黙っていた四人の中で、澤登が口火を切るように言った。彼らはいずれもスパイ研を憎んではいるが、だからといってただがむしゃらに突っ走るような人間ではない。そういう人間は、〈オジロワシ〉では出世できないのだ。
「探索隊による調査を命じて下さい。早ければ二、三日のうちにも、何らかの結果が出るでしょう」
 柳生も毅然とした顔つきで言った。
「もちろんだ。明日の朝一番――いや、すぐにでも教授に命じよう」
 榊原は頷いた。
「では、この一件は司令におまかせします」
 猿渡が頭を下げた。そう言って退出しようとする。三人もそれに続こうとした。
「番長、待ってくれ。話がある」
 しかし、榊原は猿渡だけを引き留めた。彼らは何事かと顔を見合わせたが、猿渡が心配ないというように軽く頷くと、他の三人は司令室から退出した。それを見送ったあと、榊原は椅子から立ち上がった。
「残れと言われた理由は、多分わかっていると思う」
 榊原は猿渡に背を向けた。
「この前の隊長級会議の後の、あの件ですね?」
 猿渡は普段通りの態度で、ゆっくりと問う。
「そうだ」
 榊原はなおも猿渡に背を向けている。しばらく沈黙が続く。
「……先日の梶川の件だが、あれはやはり、俺の勇み足だったか?」
 やがて、榊原が口を開いた。声に後悔するような響きが感じられる。
「結果として梶川は死に、後味の悪い事件となってしまった。もう少し丁寧に状況を把握して、それから手を打ってもよかったのかもしれない」
 ラグビー部所属のスパイ研エージェント・梶川拓真が自殺(そう見せかけた他殺だ、というのが石川の見解だったが)したあと、榊原は石川に調査を命じていた。しかし、今のところ有益な情報は入ってきていない。一向に調査が進展しないため、榊原は近々調査を打ち切らせるつもりだった。確かに怪しい事件ではあったが、〈オジロワシ〉とは直接関係のない事件にいつまでも探索隊の一部を使っているわけにもいかない。
「それは結果論に過ぎません。事態の推移を見守っていた場合、梶川の逮捕前にラグビー部とアメフト部が小競り合いを起こしていたのは間違いありません。アジテーターがあの場にいれば、単なる小競り合いから全面抗争に発展した可能性もあります。司令の判断は妥当なものだったと思いますよ」
 猿渡は静かに反論した。先日の隊長級会議が終わったあとの談判を思い出す。
 スパイ研エージェントである梶川拓真の処断をめぐる隊長級会議が終わったあと、猿渡は単身、司令室で榊原と強談判をした。今回の処置が性急に過ぎたものであること、三、四日経過を見守り、その間に情報の再整理を試み、スパイ研の上層部をも一網打尽にしたほうがいいのではないか、猿渡はそう言い募った。
 しかし、榊原は猿渡の提案を一蹴した。そして、
「決まったことだ、番長! 決定には従ってもらうぞ!」
 と頭ごなしに一喝して、猿渡の言葉を封じた。いつになく激しい榊原の言葉に、猿渡は憤慨して荒々しく司令室を出ていった。
 この時猿渡は、梶川が独自の判断でこの事件を起こしていたことを知らなかった。梶川の逮捕後に礼から聞かなければ、そして梶川逮捕の翌日にラグビー部員とアメフト部員が小競り合いを起こさなければ、今でも憤激したままであったろう。
「結果論か。そうかもしれないな」
 榊原はようやく猿渡に向き直った。表情は暗いものだった。
「でも、あのとき、お前を怒鳴ったのはまずかったと思っているんだ。許してくれ」
 榊原は頭を下げた。あの時以来、ずっと悩んでいたのだろう。『司令は無謬の存在である』『司令は部下に謝罪してはいけない』という〈オジロワシ〉内部での不文律に、明らかに反した行為だった。
「いいんです。私は根が単純でしてね。一晩経ったら忘れてましたよ」
 猿渡は笑って、榊原に手を上げるように求めたが、これは事実でない。彼が怒りをおさめたのは、礼から事情を聞いてからのことだ。ただ、その事をわざわざ言おうとは思わない。猿渡は終わったことを蒸し返すほど陰険ではないのだ。
「そう言ってもらえると、気が休まる。すまない」
 榊原の顔から、ようやく憂いの色が消えた。珍しく笑顔を見せている。彼は素面のときは、よほど信頼している人間の前でしか笑わない。苦笑いさえ滅多に漏らさない。だがしかし、酔ったときは別人のように明るくなる。そんな榊原を、精神分裂症ではないと思う隊員もいるくらいだ。
「いいんですって」
 また頭を下げようとする榊原に、猿渡は苦笑した。
「これで肩の荷が一つ下りたよ」
「それはよかった。司令にあれこれ悩まれると、我々も困りますからね」
 二人は互いの顔を見合わせ、しばらく笑いあっていた。
「ところで……」
 榊原の顔が引き締まったものになる。猿渡もひとまず笑いを収めた。
「相談があるんだが、聞いてもらえるか?」
「私でよければ」
 猿渡は榊原の顔を正面から見据えた。
「レポーターとお嬢の件だ」
 という榊原の言葉に、猿渡は思わず「ああ、なるほど……」と呟きを漏らした。
「あの二人、決定的に仲がよくないようですね。顔を会わせれば、いつも口げんかばかりしてる。『喧嘩するほど仲がいい』とはよく言いますけど、あの二人には当てはまらないようですね」
「そうだな……」
 榊原も渋い表情になる。隊員同士の人間関係に口を出す権利は、もちろん司令の彼にもない。しかし、こうたびたび喧嘩をされたのでは、いざというときの連携にも影響があるだろう。後藤は探索隊員とはいえ、情報面でのサポート要員として行動隊員とともに出動しないとは限らない。そのような事態が起こったときに、もし行動隊に由香がいた場合、チームワークの点で不安が残る。
「今度やらかしたら、徹底的にボコボコにしていいですか?」
「……それはやめてくれ。貴重な戦力を二人も削られちゃかなわん」
 猿渡の無茶な提案に、榊原は苦笑しながら答えた。
「どちらか一方に、しばらく謹慎してろと言うべきかな?」
「両方にしたほうがいいんじゃないですか? 喧嘩両成敗って言葉もありますからね」
 榊原の提案に、猿渡は溜息混じりの肯定で応じた。榊原は「そうするか……」と、これまた溜息を吐いた。
「……ったく、あの二人のことを考えると、頭痛がしますよ」
「俺もだよ。司令っていう職がこんなにも気苦労の多いものだとは思わなかった」
 榊原も溜息を吐く。目の前にいるスパイ研エージェントは打ち倒せばそれで済むが、隊員同士の人間関係はそう単純に済ませるわけにもいかない。取り扱いを間違えば隊内に波風を立てることになりかねず、場合によっては〈オジロワシ〉の機能が麻痺してしまいかねない。
「まさかとは思いますが、司令なんかにならなければばよかった、なんて考えてるんじゃないでしょうね?」
 猿渡の皮肉混じりの問いに、
「そんなことはない……とは言えないな、正直な話」
 と榊原は苦笑して答えた。
「仕事はきついし、見返りもそれほど大きいとは言えない。それでいて、責任だけはめちゃくちゃ大きい。  たまにだが、『辞めたいな』と思うけどね、思ったところで仕方ない。なってしまった以上、自分から辞めるわけにはいかないし、俺はこの職にそれなりの愛着を持っているからな。姐御に解任してもらおうにも、今のところそうされる理由も無いしな」
 行動隊総隊長には司令を更迭できる権限がある。これを『司令弾劾権』という。司令の決断が誤りであった、もしくは司令の普段の行動がその地位にふさわしくないと判断された場合、行動隊総隊長は司令を弾劾し、更迭することができるのだ。
 とはいえ、この権限も無制限ではない。行動隊総隊長がこの権限を行使した後、顧問会議によりその行使が妥当だったか審査を受けなければならない。そこでもし、行動隊総隊長の判断が妥当ではないとみなされた場合、逆に行動隊総隊長が更迭されるのだ。
 〈オジロワシ〉司令は隊員全員による直接選挙で選ばれる。よほどのことがない限り、『司令弾劾権』は使われることのない権限であった。今までこの『司令弾劾権』を発動させた人間が一人しかおらず、その行動隊総隊長も結局は失脚したことから見ても、この権限が有名無実なのは分かり切ったことだった。
 ただ、『馬鹿なことをして弾劾されたくない』という意識が働くことにより、司令にはより理性的――というより消極的な決断をしてしまうのはやむを得ないことかもしれない。強攻策一辺倒の政策を続けて失敗した場合、すぐさま弾劾されるのが明らかだからだ。今まで〈オジロワシ〉がスパイ研に対して及び腰ともいえる態度を貫いてきたのも、この『司令弾劾権』があるからこそだ。
「姐御が司令に向かってケツをまくるとは、ちょっと考えられませんね。大胆なように見えて、案外臆病ですから」
「そうかな? 姐御は、相手が誰であろうと自分の気持ちを正直にぶつけてくる人間だと思うぜ。たとえ相手が俺であってもね」
 榊原は、意味ありげに笑った。


管理人のコメント


 今回はタイトル通り、今後の展開を予感させる内容ですね。事件の事だけでなく、オジロワシの将来に関わるような伏線もいろいろと張られているようです。

>アルミニウム合金の心材の周りにプラスチックをコーティングしたこの〈武蔵〉は

 もはや木刀でもなんでもないような(笑)。


>柳生はこの表面にアルミホイルを貼り

 アルミホイルだとすぐに破けそうですね。個人的お勧めは、流し台の隙間塞ぎに使うアルミテープです。


>『実録版・仁義なき戦い』とか、『イギリス治安部隊とIRAの武力闘争みたいだ』とか、『まるでイスラエルとパレスチナの争いだ』

 マニアックな例えだなぁ……


>せいぜい、時代劇によって作られたイメージくらいしか持ってはいないだろう。

 とは言っても、最近は考証がしっかりしているので、時代劇なんかの描写はかなり正確だそうです。


>マッカランのボトル(一八年もの)

 学生が生意気な酒飲んでるんじゃねぇー!!(私怨)


>「……先日の梶川の件だが、あれはやはり、俺の勇み足だったか?」

 人一人死んでいるだけに、司令の悩みも相当に深いようです。


>「レポーターとお嬢の件だ」

 こっちも別の意味で悩ましそうです(笑)。


>行動隊総隊長には司令を更迭できる権限がある。これを『司令弾劾権』という。

 オジロワシの持つ力を考えると、暴走を防ぐためにはこうした制度も必要なのでしょうが、やはりデメリットはある様子。

 骨法同好会の話、レポーターとお嬢の話、そして司令弾劾権。どれも、今後の話に密接に関わってきそうな話題ばかりです。最初に進展を見せるのは、果たしてどれになるでしょうか?


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