オジロワシ血風録

  
第三章  更迭

  
2.学内での二人



 時間は遡って、その日の昼過ぎ。
 経済学部三年の神崎礼と理学部三年の石川信光は、内庭で弁当を食べていた。いつもなら礼に作ってきてもらうのだが、今日は珍しく石川が弁当を持参してきたのだ。
「……やっぱりダメだなぁ」
 縁無しメガネをかけ、胸元に名前を刺繍した白衣を着た石川は、自作の卵焼きを食べながら首をひねっていた。別に舌が肥えているわけではない。ただ、礼が作った料理でないと手放しには褒めないのだ。たとえ、自分で作ったものであろうとも。
「おかしい。俺の好きな味は俺が一番よく知っているはずだ。なのに、自分で作るとなぜかうまくいかない。どうしてだと思う、礼?」
 聞かれた礼は自衛隊新迷彩のレプリカを着ていた。彼女も〈レッド・ロブスター〉の一員で、しかも団長であり、学園内では迷彩服を着用していなければならなかった。
「どうして、って聞かれても……」
 今時珍しいアルマイト製の大きな弁当箱を持った礼は、困惑して真剣な顔の石川を見つめた。こればかりは石川の料理の腕が悪い、もしくは経験不足としか言いようがない。
 しかし、そんなことを礼は言えない。言えば石川が傷つく。
「やっぱり、俺、料理が下手なのかな?」
 どう答えるか迷っている間に、石川は自分で言ってしまった。礼はどうフォローすべきか一瞬迷ったが、
「ただ慣れてないだけじゃないの? 私だって最初からうまくできたわけじゃないもの。習うより慣れろ、よ」
 と、ようやくのことで言うことができた。
「そうかなぁ……」
 石川は腕組みして考え込んだ。
「だって、私が来たときにいつも料理作ってくれるよね? あれはおいしいわよ。だから下手ってことはないと思う。やっぱり、経験が足りないから、それで満足できないんじゃないの?」
「経験かぁ……」
 石川は考え込んでしまった。この先、自分で作った副食に満足できる日が来るのだろうか。おそらくそう考えているのだろう。
「ねぇ、何も食事中に考え込むことはないでしょう?」
 礼は石川に声をかけた。笑って、肩を軽く叩く。
「深く考えないで、目の前にあるものを食べればいいのよ。別にプロの料理人の作ったものを食べるわけじゃないんだから」
 おそらく、世界でも一、二を争う料理人の作った料理でも、石川の口には合わないだろう。礼にはそれがよくわかっていたが、彼女はこう言うしかなかった。
「……うん。それもそうだな」
 石川はにっこりと笑うと、改めて弁当に箸をのばした。
 それからしばらくの間、二人は談笑しながら弁当を食べた。石川が白衣に身を包み、礼が自衛隊の迷彩服を着ていることを除けば、まさに仲のいいカップル以外の何者でもなかった。
「ふぅ、やっと食い終わった」
 石川は弁当を完全に平らげ、水筒に入れてあった番茶も全て飲み干し、大きく息をついた。
「最後のほうは、いやいや食べてたみたいだけど?」
 これもまた弁当を平らげた礼が、からかうように石川の頬をつついた。
「わかったか? いやぁ、自分で作ったものとはいっても、まずい飯を残さないで喰うっていうのは、かなり苦痛でね」
 石川は礼の手を優しく払いのけると、照れたように笑った。
 それから、何かに気がついたように、
「そういえば、朝から木村を見かけてないけど、どうしたんだろ?」
 と言いながら、周囲を見回した。いつもなら礼や、二人の共通の知り合いである文学部史学科三年・猿渡徹と一緒に行動しているはずの木村だが、今日は一度も姿を見ていない。
「そういえばそうね……」
 礼はしばらく視線を宙にさまよわせていたが、
「あ、そうそう。確かレポートを書くとかで、朝から図書館に篭もりきりになってるって」
 礼は思い出したように話した。同じ英会話の講義を受けている後輩から、そう聞いている。
「ふーん。あいつも大変だな」
 石川は弁当箱と水筒を鞄に入れながら、他人事のように返事をした。
「そう言っていられるの? あなたもレポートがあるんでしょ?」
「……思い出させるなよ。忘れようと思ってたんだから」
 意図的に忘れていたことを指摘されて、石川は渋面を作った。
「あのクソ教授、また面倒なレポートを書かせやがって……。まぁ、提出は再来週だから、なんとかなると思うけどな」
「あなたのゼミの教授って、いつも面倒なレポートを書かせるのね」
 礼がからかうように言う。石川が愚痴を言うときの決まり文句は「あのクソ教授め、面倒なレポートを書かせやがって」で、つきあいの長い礼は、この文句を耳にタコができるほど聞いている。
「そうなんだよ。俺、ゼミの選択、間違えたかな?」
 ぼやきながら、石川は立ち上がった。
「自分で決めたんでしょう? 文句を言わないの」
 礼は責めるような目で見ながら、石川に続いて立ち上がった。
「そうなんだよなぁ。文句は言えねぇよなぁ」
 石川は、なおもぼやきながら、礼にこれから理学部棟へ行って、実験の準備をするからと告げて、彼女と別れた。
「……私も、信光さんのこと言えないわね。さっさとレポートを仕上げよう」
 礼は石川の後ろ姿を見ながら口の中で呟いて、経済学部棟へと小走りで向かった。彼女もレポートを抱えていたのだが、あくまで余裕のある態度を崩さなかった。彼女まで苛立ってしまうと、まず間違いなく石川と口論をおこしかねない。それだけは避けたかった。


管理人のコメント


 えー、今回は細かいところまでコメントを付けるのは止めにしておきます。一言だけ言わせてください。

 このばかっぷるがー!!

 あー、スッキリした(殴)。


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