オジロワシ血風録

  
第二章  リアルバウト・フットボーラー



9.リアルバウト・フットボーラー



 礼は司令室から退出すると、すぐに猿渡に連絡を取った。
『……無茶するなぁ、姐御』
 猿渡の、礼から計画の一部始終を聞いたときの第一声である。
「無茶じゃないわよ。あくまでも動くのは、〈オジロワシ〉所属の〈レッド・ロブスター〉団員だけ。五〇人はいるから、無視できない戦力になるはずよ」
『……言いたいことはまだあるけど、まぁ、いいや。あとにしよう。
 とりあえず団員たちには声をかけておく。姐御が戻り次第、なるべく早く出られるようにしておくぜ』
「ありがとう、番長」
 礼は携帯を切ると、今度は向井に電話をかけた。向井に一通り事情を説明したあと、
「連中は今どこにいるの?」
 とたずねた。いくら兵力を確保できたとしても、その兵力を振り向ける先がわからないのでは意味がない。
『最新の情報では第二グラウンドだ。人数は、ラグビー部五一人、アメフト部六三人。ラグビー部はほとんど総ざらえに近いな』
「わかったわ。ありがとう」
 礼はそのまま電話を切ろうとしたが、
『姐御、待ってくれ!』
 という向井の声で、慌ててスピーカーを耳元に引き寄せた。
『小競り合いが始まったらしい。早くしないと、そのままバトルロイヤルになっちまうぞ!』
 向井の声は、切迫したものになっていた。
「わかったわ。この情報、番長にも流して」
『おう、早いとこ頼むぜ! こっちはこっちで情報入り次第、番長に伝えておくから!』
 電話は向井の方から切れた。
 礼は走って秘密部屋まで戻ることにした。感情を滅多に表すことが無く、石川よりも『人間らしくない』向井があそこまで慌てているということは、事態はよほどの騒ぎになっているはずだ。

 第二グラウンドは緊迫した空気に包まれていた。
 ラグビー部員とアメフト部員がそれぞれ一列に並び、殺気立った表情でにらみ合っている。
「おい、田原。お前、俺たちに喧嘩売る気か?」
 アメフト部部長の高山秀雄がラグビー部部長の田原邦岳を睨み付けた。
「悪いかよ。今までさんざん俺たちをボコにしやがって。今までの借りを返させてもらうぜ!」
「何を言いやがる! そっちだって今まで、さんざん俺たちをボコにしやがったくせに、虫のいいこと言ってんじゃねぇ!」
 田原の言葉に、高山は声を荒げた。
「話はもうねぇよ。後は腕力にものを言わせてやらぁ!」
「できるつもりかよ? そっちの人数は俺たちより少ないじゃねぇか」
 高山は馬鹿にしたような目で、田原を見返した。
 高山の言うとおり、今ここにいる人数としては、ラグビー部員のほうがアメフト部員よりも少ない。しかし、田原は気にも留めていない様子だった。
「はん! 烏合の衆相手なら、この程度の人数差なんて、ハンデにしもならねぇだろ?」
 田原は鼻で笑った。
「……っ! やっちまえ!」
「やれるもんならやってみな! いくぞ!」
 数瞬後、第二グラウンドはバトルロイヤル会場へと変貌した。
 蛮声をあげながら部員たちは突進し、持っていた木刀や角材をふるって相手を殴りつける。何人もの人間がそれで殴られてその場にくずおれる。
 そうかと思えば、どこからか失敬してきたゴミ箱のふたなどを使って、相手の奮う武器を防ぐ者がいた。
 中にはどこから調達したのか、エアガンや吹き矢などといった飛び道具を使う者もいる。時々聞こえてくる音の大きさからして、数は多くはないようだった。
 田原も高山も、目の前にいる敵対勢力の部員に殴りかかり、蹴りつけていた。部長でありながら、『指揮を執る』、あるいは『混乱をコントロールする』ということをせずに、である。いや、彼らに『指揮官』という自覚があったかどうかすら疑わしい。二人にとっては、一対一の殴り合いの延長でしかないのだろう。
 乱闘の開始からしばらくすると、誰もが自分の目の前のことにかかりきりになり、他の人間が何をやっているのかわからなくなった。
 そう、例えば、こんなことをしている人間がいるということすらも。

「……何やってんだか」
 ラグビー部副部長・佐伯幸平は、あたりで繰り広げられている乱闘を、心底呆れたという表情で見ていた。
 彼がここに来たのは乱闘に参加するためではない。田原を止めようと思ってついてきたのだが、その田原に体よく無視されてしまった現状では、佐伯はただの傍観者でしかない。
「佐伯、お前はあのどんちゃん騒ぎに混ざらんのか?」
 アメフト部員の新田勝が訊ねた。佐伯と同じ三年生で経済学部に通っている。
「混ざる必要性を感じない。だから混ざらない。何か不満でも?」
 佐伯は不機嫌そうな表情のまま、吐き捨てるように言った。
「俺には不満はねぇけど、ラグビー部員はどう思うかね? 『部の一大事の時でも一緒に行動しない副部長』なんて思われたらまずいんじゃねぇの?」
「思いたいヤツには思わせておくさ。放り出したいと思うのも結構。
 だけど、今のラグビー部は俺なしじゃ動かない。グラウンドの割り当てや練習試合の手配、合宿日程の打ち合わせ、エトセトラエトセトラ。部の面倒ごとは全部この俺が仕切ってるんだ。俺に抜けられて困るのはあいつらだ。俺を放り出せるわけがない」
 佐伯は鼻を鳴らした。
「で? なんでお前は混ざらないんだ?」
「お前と同じ理由さ。混ざる必要性を感じない。ま、俺の場合、『いくらでも替わりはいる』って思われてるから、放り出されるかもね」
「それでいいのか?」
「構わねぇよ。確かにアメフトは面白いけど、今の部でずっとやっていこうとは思わないね。俺はアメフトというスポーツをやりたいんだ。ラグビー部の連中とドツキ合いをしたいわけじゃねぇ」
 佐伯の疑問に、新田は渋い表情で答えた。
「まぁ、俺たちの場合、それぞれの部を放り出されても、まだ行き場はあるしな」
「それもそうだな」
 二人は顔を見合わせた。
 佐伯も新田も〈オジロワシ〉隊員である。『ビール』佐伯は3番隊第四小隊長、『ビーフィーター』新田は4番隊第一小隊長だ。彼らの周りにいる五、六人も〈オジロワシ〉隊員だ。ちなみに、入隊時期は佐伯のほうが若干早い。
「で、このどんちゃん騒ぎ、どう収める? 俺たちが止めろっていっても、絶対に誰も聞きやしないぜ」
 という新田の言葉に、
「別に俺たちが収めることないだろ?」
 佐伯は答えた。
「そのうち姐御が来る。そこら辺の人間かき集めてな。そしたら、今暴れてるヤツらも少しは聞く耳持つだろ」
「……確かにやりかねないな、姐御なら」
 佐伯が声を潜めたのに応じて、新田も声を潜めた。

 佐伯と新田の予想は、半ば当たり、半ば外れた。
 確かに礼はやってきた。しかし、彼女が率いてきたのは「そこら辺の人間」などではなく、〈レッド・ロブスター〉団員を兼ねている〈オジロワシ〉隊員だった。

 礼が〈レッド・ロブスター〉団員四七人を引き連れて第二グラウンドへ到着したのは、それから三〇分後のことだった。
 第二グラウンドでは、すでにラグビー部、アメフト部、双方の部員が派手な取っ組み合いを演じていた。負傷者も相当出ており、何人もの部員がバトルロイヤル会場から離れたところに寝かされている。
「これじゃ、怒鳴りつけたところで耳に入らないぜ!」
 いつものスイス陸軍戦闘服で身を固めた猿渡が毒づいた。
「どうします、姐御? トラメガでも持ってきたほうがよかったですかね?」
 こちらもいつものリザードパターン戦闘服を着込んだ木村がたずねた。
「トラメガで止めるように怒鳴っても無駄ね。最悪の事態を覚悟しておかないと」
 礼は顔をしかめた。説得だけではすまないだろう。一三〇人あまりの暴徒を相手に肉弾戦を行うことを覚悟しなければならない。
「ROEを確認する」
 礼は引き連れてきた四七人を前にして、ROE――交戦規則を再度示達する。
「一つ。交戦命令や射撃命令は、私が出す。これに関しては、番長の命令は無効。勝手に引き金を引いた者、引くように命令した者には厳罰を下すから、そのつもりで。
 二つ。警察比例の原則を忘れるな。相手が素手の場合、こちらも素手で応戦する。相手が武器を持っていた場合、相手の武器に見合った武器をこちらも使用する。武器を使用する場合は、私が命令する。
 三つ。銃を使用する際には足か腕を狙うように。顔面へ当てないように注意すること。白兵戦を行う場合も同じ。間違っても頭を殴ったりしないように。引きずり倒して、手錠で拘束。この原則を絶対に守れ。
 以上、何か質問は?」
 礼の言葉に応じて、手が何本が挙がった。礼はそのうち、自分から一番遠いところにいた隊員を指して意見を促した。
「もし我々に負傷者が出たら、どうしますか? メディック(衛生兵)はいませんけど」
「そのときは、護衛をつけて、交戦区域から遠ざけるしかないわね」
 礼の言葉に隊員たちは息を呑んだ。
 礼は今『交戦』と言った。そして、交戦という言葉は、敵対勢力との物理的衝突を指す単語である。
 つまり礼は、ここに集まったラグビー部・アメフト部の部員たちを『敵』とみなしていることになる。自分たちと同じ大学生――それもスパイ研会員以外の一般学生を指して『敵』とまで言い切る礼の気迫に、隊員たちは気圧された。
「あとは?」
「もし我々の仲間が乱闘に加わっていたらどうしますか?」
 別の隊員がたずねる。
「もし積極的に乱闘に加わっているようなら叩き潰せ。地位の高低にかかわらず、遠慮無くぶちのめしなさい。でも、そうでないなら絶対に危害を加えてはいけない」
 この言葉にも、隊員達は息を呑んだ。
 たとえ自分たちの仲間であっても、暴徒と同じ行動を取るなら容赦しない。
 礼の姿勢をはっきりとした言葉で語られた隊員達は、思わず身を震わせた。
「他には? ……無いようなら、四列縦隊を作って。右から、第一、第二、第三、第四小隊とし、先頭の人間を小隊長とする」
 礼はごく単純な方法で部隊を編成した。編成を終えると、再び礼は部下隊員たちを振り返った。
「これより、ラグビー部とアメフト部との間に割って入る! 番長、第一小隊と第三小隊を預けるから、アメフト部側へ回れ。私は残りの二個小隊を率いて、ラグビー部側に行く。ガードは私の副官、番長の副官にはハートをつける」
 礼は猿渡と木村、そして『ハート』こと大木充に指示を出す。
「了解! 猿渡隊、続け! ハート、遅れるなよ!」
 猿渡は駆けだした。大木が猿渡のすぐ後に続く。その後を、猿渡隊に属する〈オジロワシ〉隊員がポリカーボネイト製の大楯をかざしながら駆けていった。
「遅れるな! 続け!」
 礼も自分の隊を引き連れて駆け出す。こちらは大楯の数が減っている代わりに、全員が特殊警棒を持っている。
 〈レッド・ロブスター〉隊は楔のようにラグビー部とアメフト部との間に割って入った。目の前で取っ組み合いをしている人間を押し分け、両者を別れさせた。
「その喧嘩、待った!」
 礼はラグビー部員が振るった角材を大楯で受け止めると、大きな声で怒鳴った。
「止めなさい! ……止めろって言ってるでしょ!」
 礼は目をつり上げて怒鳴りつけた。
「なんだ、神崎か。どけよ!」
「そうもいかないわね。私は頼まれたのよ。あなた達の子供じみた喧嘩を止めさせろってね」
 ラグビー部員が怒鳴りつけるのを、礼は軽くいなした。
「誰にだ?」
「学友会からよ」
 例の言葉には嘘が混じっている。しかし、〈オジロワシ〉隊員の誰も、それを指摘しなかった。
「この喧嘩、私たち〈レッド・ロブスター〉があずかるわ!」
「なんだと? 邪魔するとテメェらもぶっ飛ばすぞ!」
「やれるものならやってみなさい! そのかわり……」
 礼は右手をかざした。それを合図として、彼女を中心に、二〇人ほどの〈レッド・ロブスター〉団員が、『吊れ銃』の状態で背中に担いでいたアサルトライフルや、スリングベルトで身体にかけていたSMGを構え、ラグビー部員に対して躊躇無く銃口を向けた。銃口が向いているのはラグビー部の面々にだけではない。アメフト部員のほうにも銃口は向けられている。銃口を向けられたことで、一瞬グラウンドが静まり返る。
「私たち、〈レッド・ロブスター〉が相手になるわよ」
 礼は静かな口調で言いはなった。静まり返ったグラウンドに、その声はよく通った。
 その場にいる〈レッド・ロブスター〉団員以外のものは、礼の言葉に少なからず動揺した。
 〈レッド・ロブスター〉といえば、「学園最強サークル」の座を〈ファイティングスピリット湘洋〉と争っている、掛け値なしの強豪サークルである。一対一の戦闘ではFSのほうに分があるが、組織的な戦闘に関しては他のどんなサークルにも追随を許さない。一部の学生の間からは、「〈レッド・ロブスター〉はサークルじゃない。軍隊だ」という声さえあがっていた。
「さあ、解散しなさい」
 礼の声に毒気を抜かれた一部の部員が、振り上げていた拳をおろす。しかし、未だに戦意を旺盛に持っていた一部の人間が殴りかかってきた。
 それを見た礼は舌打ちした。
(発砲しなくて済むと思ったのに)
 しかし、礼は次の瞬間には気持ちを切り替えていた。自分の大楯で身を防ぎながら、
「〈レッド・ロブスター〉団員、全ての武器の使用を許可する! 応戦開始! 目標、刃向かってくる暴徒! 一人も逃がすな! 検挙せよ!」
 と命じた。
「撃て!」
 と猿渡が命じた。その号令に従って、アサルトライフルを構えていた隊員が射撃を開始した。BB弾に当たった部員がうめき声を上げ、その他の者もひるんだ。
 その隙に乗じて白兵戦要員が前進する。利き腕のひじに特殊警棒の一撃を喰らわせて抵抗を封じ、ひるんだ隙に手錠をかけて拘束していく。まるで工場で稼働する機械のように、隊員同士の連携がとれている。
 〈レッド・ロブスター〉隊員に向かってきた十数人がしたたかな反撃を受けて拘束されるのに、二分とかからなかった。その様子を、襲撃に加わらなかった部員たちは畏怖の念を持って見つめ、その場に立ちつくしていた。
「まだ、やる気?」
 礼は突然のことに硬直している部員たちを睥睨した。
「もしやるのなら、生命保険に入っていたかどうか確認してからにすることね。今度は容赦しないわよ」
 礼の視線を受けた部員たちは、思わず二、三歩後退りした。それほど、礼の眼光は鋭く――剣呑なものだった。
「神崎、ちょっと待ってくれ」
 アメフト部員を押しのけて、部長の高山秀雄が出てきた。
「高山さん、お久しぶりです」
 礼は高山に対して、一分の隙もないほどきちんとした挙手の敬礼をした。高山は四年生で、しかも礼と同じゼミに属している。例え騒ぎを起こしたとはいえ、上級者には敬意を払うのが礼らしいところだ。
「あ、ああ、久しぶり」
 高山は慌てて答礼する――が、いかにもとってつけた敬礼で、しかも左腕を挙げるという失策まで犯してしまっていた。礼は丁重にそのことを無視したが。
「なんでしょうか。わざわざ私の前に姿を現したということは、こちらの言い分を受け入れて解散するとみてよろしいのでしょうか?」
 礼は冷たい目で高山を見た。口調も視線同様に冷たい。
「う……」
 高山は言葉に詰まった。
 彼に何か考えがあったわけではない。体が勝手に動いて、気付けば礼の前に来ていたというのが真相だった。
「わざわざやってきたというのに、なんの方策も持っていない。……もしかして、私をバカにしているのですか?」
 礼の眼がさらにすごみを増す。
「い、いや、そういう訳じゃない」
 高山はしどろもどろになりながら礼に弁解する。付き合いがそれほど深いわけではないが、礼の気性は特に印象に残っている。なるべく刺激せずにお引き取り願うのが吉である。高山はそう判断した。
「そうですか。わかりました。では、すぐにでも撤収してください」
「無茶言うなよ……」
 高山の呟きに、礼の眉が跳ね上がる。
「何かおっしゃいましたか?」
「い、いや、何も言ってない」
 高山は助けを求めるかのように辺りを見回した。そんな彼の視界に、
「何やってんだ! 一気に踏みつぶせ……!?」
 怒りに身を震わせながら田原が現れた。が、完全武装した礼を見かけると、顔を引きつらせた。
「私たちを踏みつぶせるものなら、どうぞやってみて下さい。ただし、こちらも全力で抵抗させていただきます。それに、万が一、踏みつぶせなかったときの覚悟はしておいて下さい」
 礼が田原に冷たい視線を向けた。敬語こそ使っているものの、高山にはした敬礼は、田原にはしない。彼が今回の騒動を引き起こしたのだから、敬意を払う必要を感じなかったのだろう。
 田原は身の危険を感じたのか、回れ右して群衆に紛れようとした。
「どちらへ行かれるつもりですか、田原先輩?」
 しかし、礼の冷たい声に足を止める。そして、まるでさび付いたネジを回すのようにぎこちなく振り返った。
「どちらへって………………この騒ぎを静めようとしたのだが、まずかったか?」
 なるべく冷静に話したつもりの田原だったが、不自然な間と落ち着き無く動く眼が全てをぶちこわしにしていた。
「そうですか。是非ともお願いします。ええ、お願いしますからこの騒ぎを静めて下さい」
 礼の絶対零度の視線を受けて、田原は思わず後ずさる。
「あ、ああ……」
 かろうじて答えた――呻いたと言ったほうが正しいだろうが――田原だったが、その脚は動かなかった。
 礼は何も言わずに田原を見据えている。
(なんて眼だ……まるで性犯罪者を見るような眼で俺を見るなよ……)
 泣きたくなった田原だったが、それにさらに追い打ちをかけるような事態が起こった。
 礼の背後で騒ぎが起こったと思ったら、七〇人前後の集団が分断された列の間に割り込んでいた。先頭に立っている男は柔道着を着込んでいる。
 先頭の男以外は、全員が深紅のジャージ姿だった。その背中に書かれているのは、“尚武之魂  Fighting Spirit”。学園最強サークルの一つ、〈ファイティングスピリット湘洋〉に所属する者しか着ることができないジャージだった。
「神崎、今着いたぞ」
 先頭に立っていたのは、〈FS湘洋〉の副会長・東郷治通だった。柔道着の襟に行書で書かれた「尚武」の文字は、部外者には水戸黄門における『葵の印籠』並みの効果を発揮する。
「東郷君、久しぶり」
 礼はかすかに笑みを浮かべながら敬礼する。今までとは雰囲気を一転させ、口調も柔らかいものになっている。
「ああ、おひさ」
 東郷は軽く右手を挙げて、敬礼する礼に答えた。
「と、東郷、何しに来たんだ?」
 高山が震える声でたずねた。
「あなたたちを解散させにですよ」
 東郷は腕組みしながら答えた。
「うちの会長宛てに総務課長から電話があったんですよ。あなたたちが暴動起こしてるから鎮圧してくれって。先に神崎が〈レッド・ロブスター〉の連中を率いて行ってるから手を貸してやってくれと言われて、とりあえず道場にいた人間総ざらえして、押っ取り刀で追いかけてきたというわけで」
 東郷はしれっとした表情で言ったが、彼の言葉はラグビー部・アメフト部双方の部員にとっては死神の言葉に等しかった。
 〈レッド・ロブスター〉と〈FS湘洋〉。
 この大学における最強サークルが手を組み、しかも人数的にも対等になったのだ。即席部隊の常として連携に難点を抱えるだろうが、もともとの戦闘能力がずば抜けて高いため、あまり問題にはならないだろう。
 つまり、この場にいるラグビー部員とアメフト部員が手を組んだとしても敵わなくなったのだ。
「うう……」
 田原は冷や汗をだらだらと流しながら、礼と東郷の顔を交互に見やった。勝ち目は完全になくなったものの、ここで逃げ帰るというのは対外的にも対内的にもよろしくない。高山も同じジレンマに陥ったようで、パニックに陥っていることを如実に示す顔で意味もなくあちこちを見やっている。
 そのジレンマに気付いた礼は、東郷に耳打ちした。東郷は黙って聞いていたが、礼が顔を離すと力強く頷いた。
「どうやら、退去する気はないようですね……」
 礼の声に田原と高山は身じろぎした。
「私をバカにしたした罪……その身体で贖ってもらいましょう」
 礼はそう言うと、肩のマイクで命令を下した。。
「〈レッド・ロブスター〉総員、こちら姐御。武器の無制限使用を許可する。暴徒どもを蹴散らせ!」
 その隣で東郷も、
「〈ファイティングスピリット〉総員、〈レッド・ロブスター〉と連携してバカどもを蹴散らせ!」
 と命令していた。
 二人の指揮官が下した命令によって、〈レッド・ロブスター〉団員が射撃を開始した。サバイバルゲームに使う銃よりも威力は抑えめにしているとはいえ、BB弾が当たれば痛いのに変わりはない。それでひるんだ隙に、〈レッド・ロブスター〉の白兵戦要員と〈FS湘洋〉会員がじわりじわりと間合いを詰めてくる。
「〈レッド・ロブスター〉総員、こちら姐御。突撃用意。目標、前方の暴徒。躍進距離、三〇。移動は早駆け。事前射撃は一弾倉分のみ行え。突撃の指揮は、猿渡隊長が執れ」
「〈ファイティングスピリット〉総員、こちら東郷。突撃だ。命令あり次第、目の前の連中にぶちかましをかけろ」
 礼が突撃用意の命令を下している。東郷はそれに気付き、〈ファイティングスピリット〉会員に突撃命令を下す。
「突撃にぃ、進めぇ!」
「突っ込め!」
 二人の指揮官の命令に従って、一〇〇人以上の人間が鬨の声をあげながら突撃する。
 それを目の当たりにした部員たちは恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。田原と高山も例外ではなかった。先ほどまでの睨みあいが嘘のような、あっけない幕切れだった。

「こちら〈レッド・ロブスター〉団長。追撃は行わない。現地点で待機せよ。近くにいる〈FS〉会員にも伝達のこと。猿渡、送れ」
 ラグビー部・アメフト部の部員たちが第二グラウンドから逃げ出したのを確認した礼は、無線機に向かって命令を下した。彼女の任務は『暴徒の解散』であり、『暴徒の検挙』ではない。これ以上の追撃は無意味だった。
『猿渡、了解』
 突撃の指揮を執っていた猿渡が応答する。
「神崎、追撃しないでいいのか? 別の場所でバトルロイヤルやられたら意味無いぜ?」
「大丈夫よ。さっきの突撃で士気はがた落ちになってるから。士気ががた落ちになってるって事は、要するに闘争心が無くなったてことなのよ。別の場所でバトルロイヤルやるにしても、今日明日はまず無理ね」
 礼は不思議そうな顔をしている東郷に説明した。
「それに、またバトルロイヤルをやらかそうとしたら、今度は私たちだけで十分に鎮圧できるわ」
「なんでだ?」
「さっきの突撃はラグビー部員やアメフト部員にとってトラウマになったからよ。今度からは、私たち〈レッド・ロブスター〉団員の姿を見ただけでパニックになるはず。そうなったら、とてもじゃないけどバトルロイヤルどころじゃないわ」
 礼は口元に冷笑を浮かべながら説明した。その表情を見て、東郷が息を呑んだ。
(絶対に神崎を敵に回しちゃいけないな。気をつけよっと……)
 東郷は心の中で固く誓った。
「さ、帰りましょ。東郷君、ありがとう。お礼に今度学食でおごらせてもらうわね」
「いいのか?」
「ええ。ただ、定食系に限らせてもらうけど」
「そりゃありがたいな。じゃあ、俺たちはこれで。気をつけてな」
 東郷たち〈ファイティングスピリット湘洋〉会員は道場へと向かっていった。
「じゃあ、私たちも帰るわよ」
 礼はそう言うと、〈オジロワシ〉の秘密部屋へと向けて歩き出した。彼女の後に四七人の部下が続く。
「こちら姐御。作戦終了。暴動を鎮圧しました。こちらの負傷者は、ゼロです」
 榊原にそう報告する礼の表情は、いつになく晴れやかだった。


管理人のコメント

ついに激突したラグビー部とアメフト部。その鎮圧に向かう姉御:礼の秘策とは?

>数瞬後、第二グラウンドはバトルロイヤル会場へと変貌した。
>蛮声をあげながら部員たちは突進し、持っていた木刀や角材をふるって相手を殴りつける。何人もの人間がそれで殴られてその場にくずおれる。

 む、無茶なケンカだなぁ……と思ったのもつかの間。

>「ROEを確認する」
>礼は引き連れてきた四七人を前にして、ROE――交戦規則を再度示達する。

 もっと無茶な人たち登場。命令の仕方が既に軍隊です。


>一部の学生の間からは、「〈レッド・ロブスター〉はサークルじゃない。軍隊だ」という声さえあがっていた

 考える事はみんな同じなようです(苦笑)。


>先頭の男以外は、全員が深紅のジャージ姿だった。その背中に書かれているのは、“尚武之魂  Fighting Spirit”。学園最強サークルの一つ、〈ファイティングスピリット湘洋〉に所属する者しか着ることができないジャージだった。

 なんか、世紀末覇者のテーマソングが流れてきそうな雰囲気が……


>「〈レッド・ロブスター〉総員、こちら姐御。武器の無制限使用を許可する。暴徒どもを蹴散らせ!」
>「〈ファイティングスピリット〉総員、〈レッド・ロブスター〉と連携してバカどもを蹴散らせ!」
>「〈レッド・ロブスター〉総員、こちら姐御。突撃用意。目標、前方の暴徒。躍進距離、三〇。移動は早駆け。事前射撃は一弾倉分のみ行え。突撃の指揮は、猿渡隊長が執れ」

 ここまで来ると、まさに鎧袖一触と言った感じですか。しかしFS湘洋の方もノリが良いですね。


>(絶対に神崎を敵に回しちゃいけないな。気をつけよっと……)
>東郷は心の中で固く誓った。

 激しく同感。

 暴動は収まり、まずは一件落着……とは行かない様で、この後大事件がおきます。



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