オジロワシ血風録

  
第二章  リアルバウト・フットボーラー



8.奇策



 翌日、打ち上げに参加した〈オジロワシ〉の隊員が二日酔いの頭を押さえつつ登校すると、驚くべきニュースが学内に広がっていた。
 ラグビー部員の強硬派がアメフト部の部室に殴り込みをかける、という噂が流れていたのだ。
「おい、あの噂、聞いたか!?」
 二日酔いのため、午前中の講義を欠席していた猿渡が、四限終了後に慌てた様子で秘密部屋に入ってきた。気のせいか、顔色が悪い。
「ああ、聞いた。今、探索隊を総動員してる」
 石川が携帯電話を片手に答える。その隣では、文学部班長の『コンピュータ』向井一也をはじめとする各学部班長が、同じく携帯電話で探索隊員から情報を受け取り、メモをとっている。
「探索隊員のローテーションはどうするんだ?」
「ローテーションとか、そんなことは関係ないだろ! 今は詳細な情報を仕入れるべき時なんだ!」
 まだ酔いが残っているのか、頓珍漢なことを言う猿渡を、石川は怒鳴りつけた。
「わかったから、大声出すなよ……頭に響く」
 猿渡は小声で呟き、頭を抱えてその場にうずくまった。よほど二日酔いがひどいらしい。その様子を見て、石川は不審を持った。
(こいつ、どれだけ飲んだんだ? 今は夕方だぞ?
 ……まぁ、こいつがどれだけ飲もうが、俺の知ったことじゃないけど)
 石川はそれ以上猿渡にかまわず、かかってきた電話を次々にさばいていく。
 あわただしいノックが聞こえ、返事を待たずに礼が入ってきた。
「教授! 一緒に司令室に来て!」
 それだけ言うと、礼はまた廊下へ出て行った。
 礼の言葉を聞き、石川は向井の顔を見た。
「行ってこい! ここは俺たちが何とかするから!」
 向井は石川の顔を見て、何を言いたいのかを察し、先手を打った。
「わかった。でも、無理はするなよ」
「ああ、ヤバいと思ったら、すぐに顧問会議に応援を頼むよ」
 石川は軽口をたたき合うと、脱ぎ散らかしていた白衣を羽織って、礼の後を追った。
 礼には廊下で追いついた。殺気立っている。そう、まるで『作戦』前のように。
「何をするつもりだ、姐御?」
「決まってるでしょ。あの乱痴気騒ぎをおさめるのよ」
「どうやって?」
「思いついただけなんだけど……ちょっと耳貸して」
 礼は石川に何かをささやいた。聞いていた石川の顔が真剣なものから、唖然といったものに変わっていく。
「おいおい……それはまずくないか?」
「どうして? 〈オジロワシ〉は表に出ないわよ?」
 石川のうろたえぶりに比べて、礼は平然としている。
「いや、表に出るとか、そういう問題じゃないだろ?」
「もう! ごちゃごちゃ言わないで! 情報収集の時間は終わったのよ! 今は行動の時!」
 礼はそう言うと、石川の手を取って、引きずるように歩いていく。
「お、おい、姐御!」

「司令、よろしいでしょうか?」
 礼は司令室のドアをノックすると、中からの返事も聞かずに中に入った。石川も仕方なさそうに後に続く。
 榊原はどこかに電話をかけていたが、突然室内に入ってきた二人を見て、さすがに驚きを隠せなかった。
「突然入ってきて、よろしいもヘッタクレもないだろ? ま、いいけどさ」
 榊原は苦笑すると受話器に向かって二言三言話すと受話器を置いた。そして、二人にソファーを勧める。
「いえ、結構です。それよりも司令、ラグビー部の噂、聞いていますか?」
 礼は榊原の好意を辞退すると、榊原が着いているデスクに詰め寄った。
「ああ、ついさっき聞いた」
 榊原は表情を暗くした。ラグビー部を煽動していた梶川は排除できたが、ラグビー部に対するケアを行おうとした矢先にこのようなことが起こったのだ。榊原は、自分の決断が遅すぎたと悔やんでいる。
「ご存じでしたら、話が早いです」
 礼は榊原の顔を正面から見据えた。
「司令、私に出動を命じてください。乱痴気騒ぎを鎮めてきます」
 礼の言葉に榊原は憮然とした表情になった。
「姐御、俺とお前の付き合いも長いから、いちいち言わなくてもわかってると思うが……」
「まず情報を集めてから、でしょう? よくわかってます」
 礼はもううんざり、といった表情で答えた。
 礼は入隊してから、ずっと榊原の部下だった。一年の時は榊原小隊長の下で、二年の時は1番隊隊長となった榊原の下で小隊長をつとめていた。榊原の性格は、礼にも十分にわかっている。
「ですが、あえて言わせてください。今は情報収集よりも、一刻も早く二つの部に対抗できる部隊を編成し、間に割って入り、衝突を未然に防ぐべきだと思います。何か起こってからその対処に追われるのは、最善の措置とは言えません」
「……なるほど、言いたいことはわかった」
 榊原は頷いたものの、納得はしていないようだ。
「だが、連中がどれだけの人数を繰り出してきたかわからないんじゃあ、部隊もろくに編成できないだろう?」
 榊原の心配は当然のものだった。部隊を編成したはいいが、その兵力が二つの部に対して相対的に小さければ、とてもではないが間に入って仲裁する、などというのはできない。
「司令、冷静にお考え下さい。ラグビー部員は全部で何人ですか? アメフト部員は? それがわかっていれば、にらみ合っている連中の数の上限がわかるはずです。それを基にして、こちらは人数を決めればいいじゃありませんか」
「一本とられたな、こりゃ」
 榊原は苦笑した。
「だが、まだ問題がある。どの番隊のどの小隊を動員する? 指揮官はどうする? さっきお前は自分で行くと行ったが、もうお前を出すわけには――」
「お言葉ですが」
 礼は榊原の言葉を遮った。
「私は行動隊を動員するとは、一言も言ってませんよ」
「え?」
 榊原は驚いたように礼の顔を見返した。確かに礼は『自分が部隊を引き連れて騒動を鎮静化する』とは言ったが、『行動隊を動員して』とは言っていない。
「じゃあ、どうやって連中を鎮圧する気だ? 別班でも使う気か?」
「いえ、別班は使いません。正確に言えば、行動隊を使うんですが、行動隊として扱わないということになるんですけど……」
 礼はそう言うと、机の上にあったカップに手を伸ばし、断りもなく中のコーヒーを一息に飲み干した。
「あっ!」
 榊原は思わず声を上げた。
(俺のスペシャルブレンドを一気飲みしやがった!)
 このコーヒー、榊原が厳選したブレンドで、よほどのコーヒー好きでないと出されることはない。
 しかし、さすがにそれ以上は声には出さなかった。ケチだという評判を立てられたくないのだ。
「……じゃあ、どうやって片を付けるんだ?」
 榊原は何とか気持ちを切り替えると、礼にたずねた。
「〈オジロワシ〉の中にいる〈レッド・ロブスター〉団員に召集をかけます。それで、彼らの間に割って入ろうかと」
「れ、〈レッド・ロブスター〉!?」
 榊原は目を剥いた。
「行動隊員にも探索隊員にも、〈レッド・ロブスター〉団員は大勢います。その団員を根こそぎ動員して、ラグビー部とアメフト部との間に割って入ります。
 あくまでも〈レッド・ロブスター〉独自の行動という事にしておいて、〈オジロワシ〉は表には出ないようにしますから、我々の存在が表沙汰になることはありません」
 礼は何でもなさそうに話す。
 〈レッド・ロブスター〉は総合格闘技サークル〈ファイティングスピリット湘洋〉と並び、『学園最強サークル』と言われている。構成人員は七〇人前後と、〈ファイティングスピリット湘洋〉の一七〇人と比べると少ないが、小隊や中隊といった部隊単位で戦うということに慣れており、集団戦闘では〈ファイティングスピリット湘洋〉でさえも圧倒できると言われている。
 そして、このサークルのもう一つの特徴が、〈オジロワシ〉隊員の数の多さである。構成人員約七〇人のうち、〈オジロワシ〉隊員の数は五六人と、約八割という比率になる。
「ふむ、なるほど」
 最初は驚いた榊原だったが、礼の話を聞くうちにだんだんと興味深そうな表情になっていった。
「ラグビー部は全員でも六〇人ほど。アメフト部も七〇人強です。対する我々は、さすがに全員を動員するのは無理ですが、それでも五〇人ほどは動員できるはずです」
「ちょっと待った」
 今まで沈黙してきた石川だったが、さすがに口を出さずにはいられなかった。
「数が少ないじゃないか。ラグビー部とアメフト部が共同戦線を張って対抗したらどうするつもりだ? 五〇対一三〇じゃ、あまりにも分が悪い」
 礼はそんな石川を横目で見て、
「あの二つの部が、共同戦線なんて張ると思う? そんなことができるんだったら、とっくの昔に和解してるわよ」
 と冷笑した。すでに神崎礼ではなく、前線指揮官の顔になっている。
「しかし、万が一ということもあるだろう。『敵の敵は味方』という理論を持ち出して、手を結ばないとは言い切れないぞ。
 それに、手を結ばなくても、五〇人じゃ少なすぎる。せめて一個番隊程度の戦力を投入するべきだ」
 石川も礼に反論する。〈オジロワシ〉の一個番隊は、およそ八〇人からなる。ラグビー部員やアメフト部員よりも数が多い。石川の言葉は、『戦争は数だ』という格言を知っているものなら、誰もが考えることであった。
「無理よ。各番隊は番隊単位での行動は想定していないもの」
 礼は苦々しげに呟いた。
 礼の言葉は事実である。〈オジロワシ〉行動隊はこれまで、番隊単位で作戦を行ったことがない。必要がなかったからだ。
 礼や猿渡といった行動隊首脳部たちはこの事態に危機感を抱き、番隊単位での戦闘が出来るように訓練カリキュラムを組んでいたが、そのカリキュラムを実行に移す前に今回の事件が起こったのだ。
「じゃあ、FSも巻き込もうか」
 榊原が口を挟んだ。
「あそこの会長とは、プライベートでの知り合いなんだ。俺が話を持っていっても、まず〈オジロワシ〉の名前は出てこない。まぁ、深読みされるにしても、せいぜい、学友会総務課長からの依頼として受け止められるのが関の山だろう」
 榊原は〈オジロワシ〉司令であるだけではなく、湘洋学園大学学友会の総務課長を務めている。その榊原からの依頼と聞けば、普通の人間は『学友会総務課長・榊原治からの依頼』と思うだろう。
「手駒が増えるのはありがたいのですが、間に合いますか?」
 礼はその点を気にしているようだ。すでににらみ合いが始まっているだろう。
「可及的速やかに、ということで話をつける」
 榊原は、議論は終わりというように、両手を打ち鳴らした。
「姐御、このにらみ合いの解決、お前に一任する。思うようにやってみろ」
「はい。吉報をお待ち下さい」
 礼は陸軍式の挙手の敬礼をすると、小走りに司令室から出て行った。
 ドアが閉まったのを見て、榊原は苦笑した。
「姐御、気合い入ってるな」
 榊原は口元を歪めた。
「今は情報収集の時期ではない、行動の時だって、さっき俺にも言ってました。よっぽど自信があるんですかね」
 石川は榊原の許可を得てから、ソファに腰を下ろした。
「ずいぶん思い切った発言だな。探索隊の存在意義を否定されたぞ? どうする、教授?」
「そこまでの深い意味はないでしょう。ケースバイケースで対処しろ、ってことだと思いますよ?」
 挑発するかのような榊原の言葉に、石川は軽く笑いながら応えた。
「ケースバイケース、か」
 榊原は溜息を吐いた。
「……なぁ、教授。俺、最近、頭が固くなったのかな?」
「頭が固い、ですか? 司令が?」
 石川は榊原の言葉にとまどった。いや、口調と言うより、榊原の態度にとまどった。榊原はいつも自信満々という人間ではないが、ごく自然に威厳を満ちた態度をとれる人間だ。中学、高校の三年時には生徒会長を務めていたことも、その物腰を身につけるのに一役買ったようだ。
 しかし、今の榊原は自分の言動に自信をなくしてしまい、いつもよりも小さく見える。
 何が榊原から自信を奪ったのかはわからない。しかし、いつまでもこのようなしょぼくれた態度でいてもらっても困る。榊原は〈オジロワシ〉の司令、自分たちのリーダーなのだから。
「……正直に言いますと、司令は頭が固いのではなく、思考に一本筋が通っていて、その筋から外れた事を考えるのが苦手だ、と言うべきかと」
「それって、普通は頭が固いとか、頑固だとか言わないか?」
 榊原は苦笑した。しかし、その苦笑もどこか弱々しいものに、石川は感じた。
「そうかもしれません。ですが、我々にとっては、言動に一貫性のない人を上司に持つよりは、頑固な人が上司のほうがよっぽど働きやすいですよ」
 石川は一応フォローを入れた。
「俺はベストではなく、ベターだというわけか?」
「そうです」
 石川は即答した。
「いい機会ですからはっきり言わせていただきますが、ある人物が最も手腕を発揮できるポストに就くなんてこと、頻繁にある事だと思いますか? そんなことは映画や小説の中だけのことで、現実世界の組織では奇跡が起きないとまず無理です。
 〈オジロワシ〉にとっても、同じことが言えると思います。ですが、少なくとも私にとっては、司令はベターの中でも最もベストに近いベターだと思いますが」
「それは追従か?」
 榊原の皮肉げな言葉に、石川は顔をしかめた。
「……私におべっかなんて言えると思いますか? 思いっきり心外なんですが」
「すまん、冗談だ。忘れてくれ」
 榊原は素直に謝罪した。石川のことを信頼しているからこそ、こういうきわどいことも言えるのだ。そして、その信頼関係を壊さないためにも素早いフォローは必要だ。
「まぁ、別にいいですけど。そう思われても仕方ありませんし。ただ、心外だというのは本当のことですから、覚えておいてください」
 石川も一応釘を刺して、この話題を打ち切ることにした。
「しかし、なぜ、なぜ突然そんなこと言い出したんですか?」
 石川は不思議そうな顔をした。
「姐御だよ」
 榊原は窓の外に目をやりながら答えた。
「さっき姐御が言ったよな。『何か起こってからその対処に追われるのは、最善の処置ではない』って。
 ……俺はいつの間にか、次善しかとれなくなっていた。最善を目指さなくてもいいという気になっていた」
 榊原は力なく呟いた。悔しさよりも、寂しさが感じられる声だった。
「進歩し続けること、常に最善を模索すること。それを俺は無意識のうちに怠ってきた。次善の策でよしとしてきた。
 さっきの姐御の言葉を聞いて愕然としたよ。『俺は楽な方に逃げたがっていたんだ』って思い知らされたからな」
 どんなことにも、やるタイミングっていうものはある。それを逃すと、効果が大幅に落ちたり、ひどいときには悪い方に転がって行きかねない」
 頭をかきむしりながら、榊原は答えた。
「俺の今までの姿勢は、そのタイミングを逃す方に働いているのかもしれないな……
 佐々木の件は何とか間に合ったみたいだけど、梶川の件については間に合わなかった。悔しさよりも自分の信じてたことが否定されたような気がするよ……」
 いつになく榊原は弱気になっていた。それを見ていた石川は、ある危惧の念を抱いた。
「司令、辞めるなんて言わないでくださいよ」
 石川は語気荒く、榊原に詰め寄った。
「途中で職を放り出すってことは、司令を信じて投票した隊員を裏切ることになるんですからね。そんな無責任なこと、言わないでくださいよ」
「見くびるなよ、教授」
 榊原は石川の暴言に怒るどころか、かえって凄絶な笑みを浮かべた。
「責任を放り出すことはしない。人間ってのは学習するものだ。俺だっていろいろと学習してきた。今回のことだって、俺のデータベースに入った。同じ失敗は繰り返さない。絶対にな」
 榊原はそう言うと、携帯を取りだした。
 どうやら石川の言葉で、いつもの調子を取り戻したらしい。それを悟った石川は、思わず安堵の溜息を吐いた。
「さて、姐御に援軍を送ってやろうか」
 榊原は携帯を操作して、FS湘洋会長・三品威を呼び出した。


管理人のコメント


 前回のミッションで煽動者を捕らえることに成功したオジロワシ。しかし、相手のつけた火はまだ消えていません。

>ラグビー部員の強硬派がアメフト部の部室に殴り込みをかける、という噂が流れていたのだ。

 一挙に状況は悪化。一般学生相手では手を出せないオジロワシにとっては、一番厄介な事態です。
 
 
>(俺のスペシャルブレンドを一気飲みしやがった!)

 司令も混乱しているのか、細かい事にこだわってます(笑)。
 
 
>「〈オジロワシ〉の中にいる〈レッド・ロブスター〉団員に召集をかけます。それで、彼らの間に割って入ろうかと」

 やっぱり〈レッド・ロブスター〉のメンバーって大勢力なんですね……と思いきや。
 
 
>〈ファイティングスピリット湘洋〉の一七〇人

 これにはビックリです。私はサークル活動した事ないのですが、そのくらいの人数は普通なんでしょうか?
 
 
>「……なぁ、教授。俺、最近、頭が固くなったのかな?」

 司令と言えども人間。弱みを見せる事もあります。しかし。
 
 
>「責任を放り出すことはしない。人間ってのは学習するものだ。俺だっていろいろと学習してきた。今回のことだって、俺のデータベースに入った。同じ失敗は繰り返さない。絶対にな」

 こうやって成長できることが大事ですね。
 
 さて、いよいよクライマックスが見えてきました。オジロワシは、礼は、一触即発の状況をどう食い止めるでしょうか?
 


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