オジロワシ血風録

  
第二章  リアルバウト・フットボーラー



6.ある意味、日常の光景




 週が明けて火曜。
 石川は書き上げたレポートを持って、旧経済学部棟の四階にある司令室に出向いた。
「これが……今回の事件のレポートか?」
 榊原は、石川が提出したレポートを見て目をむいた。
「いつものレポートに比べて、随分と分厚いようだが」
 そう言って榊原は、目の前に提出されたレポート用紙の端をパラパラとめくった。
 レポートの厚さ、およそ一センチ。今まで榊原に提出されたレポートは、A4用紙に三、四枚だったのだから、榊原の態度も理解できる。
「何しろ、事態が事態ですから」
 石川はさすがに疲れを隠せないようだった。木曜の夜からほとんど徹夜でレポートを書き上げ、それに探索隊配属直後に工藤の指示で研究していた「調停案」を付け加えた。それを印刷したのだが、印刷と誤字チェックに半日もかかってしまった。それを綴じるのに時間はそれほどかからなかったが、疲れた石川には、それすらも苦痛だったようだ。
「一応、ラグビー部とアメフト部の確執の原因と、両者の手打ち式の手段とそこに持っていくまでのプロセスなども書いてありますので、このように分厚くなりました。我々が直接関与する部分についての記述は、三、四枚にまとめてあります」
「……別に、ここまでやらなくてもよかったんだが」
 榊原は冷や汗を流しながら言った。確かに石川に対して、『ラグビー部とアメフト部を平和的に手打ちさせる手段についても考察してくれ』とは言ったが、まさかここまで分厚いレポートが来るとは思わなかったのだ。
(っていうか、使う機会があるとは思いたくないな)
 榊原は思う。このレポートが役に立つときとは、ラグビー部とアメフト部が全面的に対立し、学友会なり理事会なりが調停に乗り出さなければならなくなったときだ。〈オジロワシ〉司令としては、悪夢のような展開である。
「この研究会のデータは、軍師の指示で実施したものです。一応、研究に参加した人間の名前を書いておきましたので、参考意見を聞くなりしてください。
 この研究結果をまとめたのは一年の頃なので、いくつか状況把握の面でおかしいところがありました。そこは現在の状況に適合するように替えてありますが、おおよその論調は変わっていません。
 ある程度のデータは使い回しができるようになっていますから、何かあったときのための予備データとして保管しておいて、時期が来たら使ってください」
 石川は榊原の内心に気付いた様子もない。今にもまぶたがくっつきそうになっている状態で、とてもではないが、他人の様子にまで気が回らないのだろう。
「……関係ある部分についてはすぐに読ませてもらう。だが、それ以外のところについての論評は二日待ってくれ。レポートを吟味してから、最終的な判断を下したい」
 榊原は分厚い紙の束を持って、机に引き出しにそれをおさめた。
「……わかりました。今日はこれで上がります。ここ三、四日ほど、合計で五時間ほどしか寝てないので……」
 石川はあくびを噛み殺しながら一礼すると、返事も聞かずに退出しようとした。
「ああ。家に帰って、ゆっくり休め」
 榊原は退出する石川の背中に向かってそう声をかけたが、石川がそれを聞いたのか、榊原にはわからなかった。
 石川が退出した後、榊原はこの分厚いレポートを読まなければならないという精神的苦痛に、額を押さえて嘆息した。
(工藤の野郎……教授にこういうことやらせてたんだったら、俺にも一言言っておいてくれよ……)
 榊原は親友の顔を思い浮かべて、文句をつけた。
(せっかくそういう研究をしても、俺が知らなかったら、なんの役にも立たないだろ……)
 司令が決断を下すのには、様々な情報が必要になる。その情報も、ただ集めただけでは意味がない。それが榊原の下にもたらされないと意味はないのだ。
 その点からすれば、これは工藤の失態と言えるだろう。石川達がこういう研究をしていたという話は、ついさっき始めて聞いた。前任者からも申し送りはない。今回石川が知らせてくれなければ、卒業するまで知らないままだっただろう。
(秘密主義は結構だけど、最低限のことくらいは教えろってんだよ。後できつく言っておこう)
 榊原はそこで頭を切り替え、レポートを開いた。なんとしても、今日中に半分は読んでおかなくてはならない。

 司令室を退出した石川が〈オジロワシ〉の秘密部屋の扉をノックすると、大川が出てきた。室内に入ると、さらに後藤と加納勇、酒井由香の三人がいた。石川は彼らに挨拶すると、手近な机に突っ伏した。
「……しばらく寝かせてくれ。さすがに、三日連続の徹夜はこたえる……」
 石川はそう言うと、次の瞬間には眠っていた。奥の隠し部屋まで行く気力が尽きたのだ。
 後藤はそんな石川の姿を見て、大きく溜息をついた。彼も徹夜をしたことはあるが、石川のように憔悴しきるほどの経験はまだ無い。
「教授も苦労してるよなぁ。徹夜でレポートを仕上げてたんだと。
 俺は絶対、探索隊の隊長にはなりたくないね。あんな苦労、報道部だけで充分だよ。もしなったとしても、教授みたいなことはしたくないな。報道部と掛け持ちしたら、俺、死んじまうよ」
「聞こえてるぞ……」
 石川の低い声が、後藤の背後から聞こえた。後藤はビクッと背を震わせると、慌てて振り返った。相変わらず石川は、机に突っ伏したまま安らかな寝息をたてている。寝言だったようだ。
「寝言か。脅かさないでほしいな、ホントに」
「やましいことを言ってるから、必要以上に驚くのよ」
 由香が冷たく言い放った。後藤は肩を竦めた。否定できない。
「で、例の件はどうなったんだ?」
 加納が後藤にたずねた。
 あれからも後藤は二、三人の部員に話を聞き、複数の筋から情報を入手している。そして、そのたびに、何者かに尾行されている。
「守秘義務があるんで詳しいことは言えないけど、ある奴がラグビー部の部長を煽っている。部長は乗り気なんだが、一般の部員はそれほどでもないな。『秋の関東大学リーグがあるっていうのに、この時期に面倒ごとを起こさないでほしい』って言ってた奴もいたし。
 アメフト部のほうには、これといった動きはないみたいだね。まぁ、俺が調べた訳じゃないけどさ」
 後藤はさらりと言った。自分の働きを自慢するつもりはないのだろう。
 正体不明の人間に尾行されたことは、石川と礼以外には話していない。礼はボディガード代わりに木村を派遣してくれたので、尾行について知っているのはこの三人だけである。
「よく調べたな」
 後藤の説明を聞いて、加納が感心したように言う。
「探索隊員だもの、そのくらいできないとね」
 由香は相変わらず突き放したような口調で話す。それを聞いた後藤は眉をしかめ、
「随分厳しいな。俺が何かしたってのか、お嬢?」
「気易く呼ばないでよ!」
「じゃあ、どう呼べってんだよ、ええ!?」
 由香が声を荒げたことで、後藤がキレた。後藤自身も薄々気づいていたが、今回の任務で相当ストレスが溜まっている。些細な出来事で自制心が切れてしまうのだ。
 これを口火として、後藤と由香の口喧嘩はエスカレートしていった。
「貴方に名前なんて呼ばれたくないわ! むしろ、話しかけないで!」
「無茶言うな! 同じ部屋にいて、会話も交わさないなんて、不自然すぎる!
 むしろあんたこそ、少しは歩み寄りの姿勢を見せたらどうなんだ? 俺はこれでも最大限譲歩してるぞ!?」
「冗談は止めてよね。どうして私が譲歩しないといけないの?」
 次第にヒートアップしていく口喧嘩を目の当たりにして、加納も大川もどう仲裁していいのかわからず、ただ呆然と二人を見ていた。
 反論しようとした後藤だったが、
「やかましいぞ、貴様ら! 少しは寝かせてくれよ!」
 出し抜けに石川の怒声が響いた。その大声に驚いた後藤と由香が見ると、顔を真っ赤にした石川が二人を睨み付けていた。
「貴様ら、俺に何か恨みでもあるのか!?」
 凄まじい形相になった石川は、後藤と由香に指を突きつけて怒鳴る。
「い、いえ。その……つまり……」
 後藤が、しどろもどろになりながら弁解する。しかし、石川はそれには耳を貸さず、
「レポーター、機密費の余りを返せ」
 と冷たく言い放った。
「ええっ!? だって、あれは報酬だっていってたじゃないですか!?」
 思いがけない命令に、後藤は青ざめた。彼に与えられた機密費はまだ半分ほど残っている。このあとの使い道まで綿密に決めてあり、あとは『通常生活に復帰せよ』という石川の命令待ちだったのだ。
「やかましい! 貴様みたいなバカにくれてやるような金なんぞ、一円だってねぇんだ! 周りの迷惑を顧みない阿呆に金を払うほど、探索隊は裕福じゃないんだぞ!」
 石川は後藤の抗議をはねつけた。
 ところが、意外な助け船が出た。
「申し訳ありませんでした、教授。どうかレポーターの報酬は、ちゃんと払ってあげて下さい」
 と、由香が頼み込んだのだ。
 これには大川も加納も、当の後藤も驚いた。しかし、石川はふんと鼻で笑って、
「お嬢、どうせレポーターに恩を売って、後でメシか服か、何か奢ってもらうつもりだろう? そうとわかっていて、金を出せるか!」
 とやり返した。
 由香は言葉に詰まった。石川の行ったとおり、彼女は後藤に恩を売っておいて、後で食事でも奢ってもらうつもりだった。しかしその思惑は、しっかりと石川に見抜かれていたようだ。
「俺は帰る。ここじゃ口喧嘩が絶えないから、寝られたもんじゃない。与作、行者、後は頼むぞ。
 それとレポーター、明日までに耳を揃えて返せよな。すっぽかしたらどうなるか、わかってるだろうな、ええ?」
 石川はそう言うと、憤然と席を立ち、部屋から出ていった。
「……お嬢、一生怨むぞ」
 石川が出て行ったあと、後藤は全身を震わせながら、由香を睨み付けた。
「俺の金、返せ! 二三万円、そっくり返せ!」
 後藤が喚く。太田を接待したときは報道部のツケで払ったが、その後の接待費として、彼は二〇万円以上を使っていた。
「お前、そんなに返さないとならないのか?」
 加納が呆れたように言った。しかし、二人の耳には、加納の呟きは入らなかった。
「なによ、取りなしてあげたでしょ?」
「よく言うよ、恩を着せようと考えてたくせに! しかも、結局返さないといけなくなったじゃないか! どうしてくれるんだよ!」
「うるさくしたのは、あんたも同じでしょ!」
「けしかけたのは、お嬢が先じゃないか!」
「乗ってくるあんたもあんたよ!」
 また口喧嘩が始まった。
「じゃあ何か? 俺が乗ってこなかったら、延々俺に罵声を浴びせてたって訳か? はっ、金持ちのお嬢様ってヤツは、ほんとにいい趣味してやがるぜ!」
「なに、それ? どういう理屈? あたしの実家は確かに、あんたなんか足元にも及ばないほどの収入があるけど、それとこれとにどういう関係があるって言うの?
 ああ、そう。とうとうまともに理屈をつけてはなせなくなったの? かわいそうに」
「このクソ女……っ!!」
 後藤は怒りに身を震わせた。言いたいことは山ほどあるが、どれから口に出していいかとっさに判断できなくなったのだ。
「だいたい、なんで未だに俺を敵視するんだ!? 俺、もう怪しい真似はしてねぇぞ!」
「甘いわね。一度そういう味を覚えたら、なかなか抜け出せないって言うじゃない。私はそれを監視してるのよ」
「何だと? じゃあ何か? 俺はシャブ中やアル中のクソ野郎どもと同じだっていうのか? お前、ふざけんじゃねぇぞ! そんな生活破綻者と俺を一緒にするんじゃねぇっ!」
「似たようなものでしょ? こんな話を知ってる? 一度人肉の味を覚えたライオンは、それからずっと人間を襲ってその肉を食べるって話。人肉を批判に、ライオンを貴方に替えれば、意味はとおるじゃないの」
「貴様……俺をマイケル・ムーアと同じ、『批判専門のジャーナリストもどき』だって言うのかっ!?」
 怒りのあまり、後藤のこめかみに血管が浮いている。そのまま脳溢血にでもなりそうなほどの怒りが、後藤の中で荒れ狂っていた。
「あら、違うの?」
「当たり前だ! 俺はまっとうなジャーナリスト……の卵だ!」
「あら、報道部にいて、そんな口がきけるなんて、よっぽど顔の皮が厚いようね?」
「なんだと!? 報道部全体の印象だけで、各個人の人格を見ようともしないくせに、よくそんな口がきけるな?」
 後藤はそばにあった椅子を蹴り倒した。そのまま由香の胸ぐらをつかんで締め上げる。
「報道部は確かによくない噂が流れても当然の所さ! 『嘘つき新聞』だっていう噂もちょくちょく聞くよ!
 だがな、俺たちは自分の仕事にプライドを持ってるんだ! 取材だって、裏取りだって、念入りにやってる! 言いっぱなし、書きっぱなしのタブロイド誌なんかと一緒にするんじゃねぇ!
 そんな俺たちのことをよく知りもしないくせに、噂だけでレッテル貼りしてんじゃねぇぞ、この差別主義者!」
 後藤の言葉に、由香はたじろいだ。自分の言葉が相手の逆鱗に触れたと悟ったのだ。
「ああ、そうか。自分の気にくわない人間にレッテルを貼り付けて、そいつをけなしていないと自分を確立できねぇんだな?」
 突破点を見つけた後藤が、今までの仕返しとばかりに由香を罵る。胸ぐらをつかんだ手を離し、心底軽蔑したような目で由香を見る。
「ああ、そうか、そうか。実家が金持ちで、一般常識も持ち合わせてないような、頭の中身がスッカラカンのアホンダラって、結構な数いるもんなぁ。かわいそうに……」
「なんですって? 私をそんじょそこらの成金と一緒にしないでよ!」
「はん! そういう言い方をするってことは、あんた筋金入りの差別主義者だな。いくら江戸時代から続く名門のお嬢様とはいえ、差別はよくないぜ。成り上がるのにも相当の苦労があったんだろうからね。
 っていうか、苦労知らずだからこそ、そういった無礼なことも平気で言えるんだろうな。ああ、金持ちって嫌だねぇ〜」
「何よ! 貴方だって差別してるじゃないの!」
「あ? なに言ってんだ、頭のヌルいナマモノ? 俺は差別してるんじゃねぇよ。自分の言ってることだけが正しいと思いこんでるイタいヤツを、ただ哀れんでいるだけさ」
「それが差別だって言うのよ!」
「はぁ? なんですと? いいか、差別っていうのはだな、人間が人間に対してするもんだ。人間様と頭のヌルいナマモノが等価値だとでも? こいつはお笑いだ!」
 二人の口論は、どんどんヒートアップしていく。
 その喧噪を聞きながら、大川は額を押さえて、
「いい加減にしてくれよ……」
 と嘆いた。
「俺、帰りたくなってきたんですけど……」
 加納は疲れた表情で愚痴をこぼした。
「それは俺も同じだよ、行者。でもなぁ……」
 大川は溜息を吐いた。石川がさっき言った『後は頼むぞ』というのは、『他の人間が来るまで帰るなよ』という意味を持たせた言葉であるということくらい、大川にも加納にも充分わかっていた。
「ホント、いい加減にしてくれよ……」
 二人は頭を抱えて、一刻も早くこの口論が終わるように祈った。

 石川が出て行ってから一〇分後に猿渡が秘密部屋に入ってきたときも、まだ二人の口喧嘩は続いていた。
 それを見た猿渡は、部屋に入ってくるなり舌打ちして、そばにあった机を蹴り倒した。そして、
「うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 と叫んだ。
 机が倒れるときにたてた大きな音と、元不良のドスの利いた声に驚いて、後藤も由香も、傍観していた大川と加納も口を噤む。
「ったく、お前ら、顔を合わせるたびに喧嘩しやがって。いい加減にしろ! 二十歳超えた人間なら、それらしいことしてみやがれ!」
 猿渡はさらに雷を落とし、
「で? 今度の喧嘩は、何が原因だ?」
 顔をしかめたままたずねた。
 後藤がボソボソと事の顛末を説明すると、猿渡は大きく頷いて、
「そりゃ、お前らが悪い。疲れてる教授が寝ているのを知っていて、大声で罵りあいをするなんて、常識を持った人間のすることじゃない。 
 ……ま、教授も、本当に寝るつもりなら、奥に行ったほうがよかったんだがな。あそこは完全防音だから」
 と言った。
「力尽きたって感じて机にのびてたぜ。気力が尽きたんだろ」
「なるほど……だったら、なおさらお前らの罪は重いな」
 大川の言葉を聞いて、猿渡は納得がいったというように何度も頷いた。
「それにしても、お前ら、顔を合わせるたびに喧嘩してるな。いかんぞ、教授と姐御のようにもっと仲良くしないと。あんまり仲が悪いと、S研の連中に付け込まれる」
 と分別臭い顔で言った。
「随分と極端な例だな」
 大川が茶々を入れる。石川と礼は、仲がいいどころの話ではない。付き合い始めて二年が経ったが、いまだにのろけ話には事欠かない仲である。
「いいじゃないか。たとえ話はわかりやすいほうがいい」
 猿渡は、その茶々をさらりと受け流した。そして、
「おい、そこのバカ二人。今すぐ手打ちしろ。さっさとやれよ。俺の気が短いのは知ってるだろ?」
 と言って、二人を睨み付けた。その迫力に、二人は渋々握手をした。
「言っとくけど、本当に仲直りしたわけじゃないからね」
「なんだと?」
 由香の言葉に、後藤は過敏に反応した。それを間近で見ていた猿渡は左の眉をぴくんと動かして、
「……俺の目の前で喧嘩の火種をつくるとは、随分といい度胸してるな、お嬢」
 と低い声で言うと、由香を睨み付けた。怯えたように首を竦める由香を見て、後藤がざまあみろというようにニヤリと笑った。それをめざとく見つけた猿渡は、
「反応するほうも悪いぞ、レポーター。ガキじゃねぇんだから、もっと大人の対応をしろってんだ」
 と後藤を窘めた。
「ところで、姐御かデルタはいるか?」
 二人が恐怖感の篭もった目で猿渡を見ていると、思い出したように猿渡がたずねた。大川のまだ来ていないという言葉を聞いて、
「日曜日のゲームについて聞こうと思ったんだが、来てないんじゃ仕方がない。待ってるか」
 そう言って、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「ああ、そういえば、番長、ラグビー部の噂、聞いてるか?」
 大川が猿渡にたずねる。先に述べたように、猿渡は木曜日からゼミの合宿で浜松へ行っており、この噂を聞いているかどうかわからない。
「なんだ、それ?」
 猿渡はこの噂を知らなかったようだ。大川が簡単に説明すると、猿渡は頷きつつも、
「今度はそこをついてきたか。だが、どうして今頃、S研のヤツらがそれを煽るんだ?」
 と不審そうに言った。
「連中の対立は今に始まったことじゃない。S研も今まではそこをついてはこなかった。どうして今になって、その二つの部を争わせようっていうんだ?」
「俺たちにはさっぱりわからん。教授なら何か知ってるかもしれないぜ。司令にレポートを提出したようだし」
 大川が答えたが、猿渡はなおも考え込んでいる。
「……この件、裏がありそうだぞ。本当にS研が絡んでいるのか、もう一度洗いなおしたほうがいいんじゃないか?」
「だけど……」
 大川が反論しようとしたとき、ドアがノックされた。猿渡が出てみると、入口に礼が立っていた。
「おお、姐御。ちょうどいいところへ来た」
 猿渡は礼を室内へ招き入れながら言った。
「ちょうどいいって、何が?」
「ラグビー部について、もう一回調べなおしたほうがいいんじゃないか、って思ってね」
「え? どうして?」
 怪訝そうに理由をたずねる礼に、猿渡は自分の考えを聞かせた。
「そうかもしれないけど、あの二つの部の抗争は、学園内で知らない人間はいないのよ。S研がそれを利用しようとしても不思議はないんじゃない?」
 礼は、何を今更といった口調で反論した。
「だったら、なぜもっと早く、あいつらはそこに手を伸ばさなかったんだ? 姐御が今言ったように、あの対立はウチの学生で知らない人間はいないくらいに有名なんだぞ。引っ掻き回そうと思えば、いつでもできたはずだ。なのに今までは手をつけていない。どうして、今になって、そこに手を伸ばしたんだ?」
「確かにそうだけど……」
 猿渡の反問に、礼は考え込んだ。
「別に教授や姐御の意見に反対っていうわけじゃないんだ。俺の考え自体、的外れって事もありうる。ただ、もう少し慎重に考えてもいいんじゃないか、とも思うんだ」
 猿渡は自重を求めた。
「でも、結局は司令が決めることだから……」
 礼はポニーテールにまとめてある髪を下ろし、枝毛のチェックをしながら呟いた。
「司令がやれと言ったら、私たちはそれに従うしかないじゃない。そうでしょ?」
「それはそうだけどさ」
 猿渡は、苛立ったときのくせで顎にあった無精髭を一本引き抜いた。
「で、姐御。司令はどうするつもりなんだ?」
 大川がたずねた。
「私が知るわけないでしょ」
 礼は口を尖らせた。
「全ては、司令の考え次第よ。私たちがどうこう言っても、決定するのはあの人なんだから」
「それもそうか」
 猿渡は肩をそびやかした。
「でも、もし、やれと言われても、俺は出れないぜ。この前出たからな。かわりに、この前出てなかった将軍の小隊を出そう」
「わかった。残りは、私とビールの小隊にするわ。ビールには、私から話しておく」
 礼は、大丈夫よと猿渡に笑いかけた。

 二日後の放課後、榊原は臨時の隊長級会議の開催を通達した。
 その会議の席上で梶川拓真の学園追放を決定した。作戦決行日は五月三一日であることも、あわせて決められた。
 会議が終わった後、猿渡は司令室に乗りこみ、榊原と二人きりでなにやら話し込んでいたようであるが、その内容を知る者は二人以外にいなかった。ただ、猿渡が不満そうな顔で司令室から退出してきたことだけはわかった。


#後藤と由香の口論シーンはかなりノリノリになって書きました(笑)
#これが1年後には……はぁ(謎)


管理人のコメント


 舞台をキャンパスに戻して、フットボーラー同士の対立問題に。さて、教授の出したレポートは?

>「……別に、ここまでやらなくてもよかったんだが」

 司令に同意。意外と教授は凝り性なのかもしれません。


>(秘密主義は結構だけど、最低限のことくらいは教えろってんだよ。後できつく言っておこう)

 結構なのか?(笑)


>これを口火として、後藤と由香の口喧嘩はエスカレートしていった。

 お嬢の態度、ある意味、わかりやすすぎです(笑)


>「やかましいぞ、貴様ら! 少しは寝かせてくれよ!」

 帰って寝ろ。


>「いい加減にしてくれよ……」
>「俺、帰りたくなってきたんですけど……」
>「ったく、お前ら、顔を合わせるたびに喧嘩しやがって。いい加減にしろ! 二十歳超えた人間なら、それらしいことしてみやがれ!」


 皆さん大人ですなぁ。って、猿渡はちょっと違うか。


>#これが1年後には……はぁ(謎)

 ……ニヤニヤ(・∀・)


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