オジロワシ血風録

  
第二章  リアルバウト・フットボーラー



2.レポーター



 〈オジロワシ〉探索隊文学部班に所属している後藤誠が、石川の呼び出しに応じて〈オジロワシ〉の秘密部屋に姿を見せたのは、石川たちがとりあえずの結論を出してから三〇分後のことだった。後藤は報道部新聞課に所属しており、そのためもあって、〈オジロワシ〉内では『レポーター』と呼ばれている。
「ご苦労さん。ついて来い」
 石川は後藤をねぎらった後、彼を連れて、隣の隠し部屋に入った。石川は後藤が部屋の中に入ったことを確認すると、防音加工を施された扉を閉めた。
「教授、何か用でも?」
 後藤は緊張した面もちでたずねた。探索隊員として半年あまり〈オジロワシ〉にいるが、今までこの隠し部屋に入ったことはない。ここはいわば石川の個人空間であり、探索隊員も滅多に寄りつかないのだ。
 石川は一脚だけある椅子に座って、机の上に肘をつくと、
「ああ、そうだ、お前さんに非常に重要な用がある」
 と上目遣いの真剣な表情で後藤を見据えた。
「確かお前さん、ラグビー部に知り合いがいたな?」
 石川は椅子の背もたれに体を預け、そのままの体勢で後藤を見た。
「ええ。報道部の取材で主だった人とは何度か話をしたことがありますし、それを抜きにしても親しい人間もいます」
 後藤は答えた。
「それが、どうしました?」
「その前にもう一つ質問したい。ラグビー部に関する噂、聞いてるか?」
「ええ、まぁ、一応報道部のほうでも追跡調査はしています。報道するかどうかは、まだ決まっていませんが」
 後藤は答えた。納得したような表情もしている。なぜ自分が呼ばれたのか、だいたいの予想がついたようだ。
「知っているなら話が早い。あの件、俺たちのほうでも探ってみることになった。いろいろ怪しい点があるんでな」
「怪しい点ですか? あ、もしかして……」
「ストップ。その先は言わなくていい」
 石川は手を挙げて、後藤に口を閉じさせた。
「お前さんが想像したとおりだ。そういうことだから、俺たちも首を突っ込むことになったんだ」
「そうですか。わかりました。で、私は何をすればいいですか?」
「ラグビー部の人間に、今回の件について、それとなく話を聞け」
 石川は厳かな口調で命令を下した。
「……了解しました。部員であれば、誰でもいいんですか?」
 後藤は真剣な表情になった。今まではどうも石川に信頼されていないようだったが、このような調査を一人だけでさせてくれるということは、それだけ信頼されているということになる。やる気が出て当然だ。
「誰でもいいというわけにはいかない。なるべくトップに近い人間に話しかけてみてくれ。そのほうが精度の高い情報が入りやすい。その上で、誰とコンタクトを取るかは、お前に任せよう」
「……わかりました」
 後藤はしばらく考えていたが、決心したように頷いた。
「心当たりが二、三人います。そいつらと接触してみます」
「二、三人じゃ足りない」
 石川は眉をひそめた。
「少なくとも一〇人には接触しろ」
「一〇人ですか……」
 後藤は難しそうな顔をしたが、すぐに表情を元通りにした。
「わかりました。何とかやってみます。ちょうど報道部のほうでも、ラグビー部を取材するので、それに絡めてみます」
「それは都合がいいな。そうしてくれ。頼んだぞ。……ああ、そうそう」
 石川は何かに気付いたように立ち上がった。そして、部屋の隅にひっそりと置いてあった金庫の前に立つと、三重ロックを解除して引き出しを開け、ボール紙でできた箱を出し、机の上に置いた。その箱を開けると何かを掴んで箱をしまい、再びロックをかけた。
「調査費だ。先に渡しておく」
 石川は机の上に無造作に札束を置いた。地方銀行の帯封がついている。
「五〇万円ある。派手に飲み食いするなり、相手の好きそうなものを買うなり、好きなように使え。領収書はいらない。余った分は、お前にやろう」
 石川は無造作に言った。
 噂話に聞き耳を立てる程度なら金はかからないが、本格的に情報収集をしようとするには、接待や賄賂などの手段を使うことが多いため、多額の金がかかる。探索隊に与えられる予算は決して少ないものではないが、本腰を入れての情報収集には何かと金がかかる。しかし、金を惜しんでは必要な情報は手に入らない。石川は二年間の経験で、そのことを知り抜いていた。
 石川が後藤に渡した金の出所は、歴代の探索隊総隊長が積み立てていった『探索隊機密費』だ。ちょうど内閣官房機密費のように、使用明細を提出する義務がないため、使い切れなかったからといって次の年度で割り当てが少なくなることもない。この探索隊機密費は、年間一〇〇万単位でプールされていっている。石川が探索隊総隊長を引き継いだとき、この機密費は八〇〇万円ほどあった。この金額は予算を潤沢に与えられている探索隊の年間予算と比べても、決して見劣りしない。
 彼の経験に照らし合わせて考えると、後藤に渡した五〇万円という金額は、一〇人を相手に接待するには少ない。黙っていれば、あとで「費用が足りません」と、後藤は言ってくるだろう。
 そこで石川は後藤に倹約させるため、残った分を報酬とした。こう言っておけば、金銭欲の旺盛な――身も蓋もなく言ってしまえば『ケチ』で『がめつい』人間である後藤は、少ない金額で多くの情報を得ようとする手段を考えるだろう。後藤ならそれができると、石川は見ていた。後藤はまだ隊歴こそ浅いものの、中学時代から新聞部に所属しており、情報を集めることに関しては経験を十分に積んでいる。
 石川の思惑どおり、後藤の目が輝いた。しかし、声には出さない。
「では、使わせてもらいます」
 一礼すると、札束を無造作にジャケットの胸の内ポケットに押し込んだ。おそらく頭の中では、「いかに少ない出費ですませるか」を考えているのだろう。
「連絡は俺の携帯に直接かけるか、メールで行え。それと、護身用に装備が支給される。あとで姐御のところに行くように」
「はい。では」
 後藤は再び一礼すると、隠し部屋から出ていった。
 石川は黙ってその背中を見ていた。後藤を信頼しているのか、期待していないのか、視線からはわからなかった。

 後藤は秘密部屋に戻ると、礼に石川が言っていた装備をくれと頼んだ。
「ああ、あれね」
 礼はそう言うと、左脇に吊っていたホルスターをはずして、「はい、これよ」と後藤に渡した。
 後藤がホルスターから銃を抜いてみると、ガスガンのSIG・P230が出てきた。中型オートマチック拳銃の傑作品として名高いP230は、通常の拳銃に比べてかなり小型である。隠し持つには絶好の銃だ。トイガンであっても、その利点は変わらない。
「私がカスタマイズしたんだ。これはお気に入りの銃でね、本当は貸したくないのよ。どうしてもって教授が頼むから、仕方なく貸すんだからね。だから、もし壊したり、無くしたりしたら、ただじゃおかないよ」
 礼は凄んでみせた。
「わかりました。ちゃんと注意して扱います」
 後藤はまじまじとこの中型オート拳銃、そのトイガン版を眺めた。
 全体はつや消しの黒で仕上げられている。大きさは後藤の手くらいか。その程度の大きさでありながら、グリップは握りやすい。滑り止めもシボ加工の複雑な曲線がびっしりと彫られていて、滑るということはなさそうだった。あまりエアガンには興味の無い後藤が、思わず欲しくなってしまったほどだった。
「弾は一二発しかマガジンに入らないから気を付けて。それから、セイフティをかけておくのを忘れないように。トリガープルを軽くするために手を入れてあるから、ちゃんとセイフティをかけておかないとすぐ暴発するよ」
「わかりました」
 それから礼は、マガジンの交換方法やセイフティのかけ方、再装填のやり方などを実演してみせた。そして、後藤に練習させる。
 後藤は探索隊員ではあるが、いざというときのために、このようなガスガンの扱い方を教え込まれている。彼はすぐに、この銃の特性を飲み込んだ。
「では失礼します。ありがとうございました」
 後藤はおじぎをすると秘密部屋を出た。

 後藤は秘密部屋を出ると、ラグビー部の練習が行われている第二グラウンドへと向かった。第二グラウンドは理学部棟の南にある。
 後藤はここに来るまでに、どの部員と接触するべきかを考えていた。石川は少なくとも一〇人に接触しろと言ったが、それでは予算的に厳しいし(そもそも、一回だけの接触で情報を入手できるとは限らない)、残りの金が丸ごと懐に入るとなると、少しでも少ない人数を接待すべきではある。しかしそれでは、確度の高い情報は手に入らない。後藤はジレンマを感じた。
 後藤は新入隊員教育で「嘘でも本当でもいいから、とにかく情報を集めろ」と教育された。情報の価値判断は、専門のアナリストが行う。一般の探索隊員は、とにかくアナリストの判断材料を提供することに専念し、あらゆるルートから情報を集めろ、ただし犯罪行為には手を染めるな、と教えられた。
 最終的に後藤は、一一人の部員に接触することに決めた。賄賂は今回は使わない。彼の知り合いのラグビー部員は、彼が裕福ではないと知っているので、多額の現金を渡して情報を収集するのは危険だ。それよりは、ワリカンもしくは食べた物払いで飲み食いさせて、その上で話を聞き出すほうがいい。彼はそう判断した。
 グラウンドを見ると、部員は一〇人くらいで固まって、タックルの練習をしていた。
 後藤は、その中から顔見知りのラグビー部員を捜した。ところが、いない。休憩しているのかと思い、ベンチで休んでいる人影の中からその部員を捜した。思ったとおり、その部員はちょうど、ベンチに座って休憩していた。
(まず一人)
 後藤は意を決して、休憩中の部員たちに向かって近づいていった。
「おーい、太田」
「ん? ……なんだ、後藤か」
 ベンチに座っていた太田は、立ち上がって後藤のそばまで来た。太田は二年ながら、レギュラーのフッカーだ。後藤とは、報道部の取材で知り合って以来、付き合いが深い。
「お前さん、練習が終わった後、暇か? もし暇なら、飲みに行こうぜ。ワリカンでさ」
 後藤はにこやかな表情で太田を誘った。
「ああ、いいぜ。でも、なんで?」
「取材だよ、取材。もうすぐ試合だろう? 関東リーグ戦に向けての戦力分析なんかもしてもらいたいしな」
 後藤は、あくまでも報道部員として太田に接した。
「そうか。わかった。で、何時にどこに行けばいいんだ?」
 太田は笑み崩れた。太田が酒好きだということは、以前の取材でわかっている。
「練習が終わったら、報道部の部室に来てくれ。俺はそこにいるから。そこで合流しよう」
 後藤はそれからしばらく雑談をして、その場を去った。
 彼は、とりあえず一つの畑を耕し終わった。後は、種を蒔き、収穫を待てばいい。


管理人のコメント

ラグビー部・アメフト部紛争に関する本格的捜査を開始したオジロワシ。鬼が出るか蛇が出るか?


>「調査費だ。先に渡しておく」

これでポンと50万円が出てくるところにも、オジロワシの力が現れています。しかし、どういう出所の資金なんでしょうか。


>後藤ならそれができると、石川は見ていた。

ここまで人の内面を見抜けないと、上には立てないものなんですねぇ。


>情報の価値判断は、専門のアナリストが行う。
>あらゆるルートから情報を集めろ、ただし犯罪行為には手を染めるな


これは実際の諜報活動でも当てはまる事で、映画に出てくるような派手なスパイ活動というのは、実際にはまず行われません。でも、そうでないと話として面白くなくなるところが辛いところです(笑)。


>後は、種を蒔き、収穫を待てばいい。

後藤の初めての調査は今のところ順調な様子。次回でラグビー部側の事情が明らかにされる(かもしれない)のが楽しみです。
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