オジロワシ血風録

  
第二章  リアルバウト・フットボーラー



10.ヴァーティカル・ダイブ



 ラグビー部とアメフト部の諍いは、礼の介入によりとりあえず鎮静化した。
 しかし翌日になって、また新たな事件が起こった。
 今回の事件を引き起こした張本人である梶川が死体となって発見されたのである。

 梶川の遺体があったのは法学部棟の南側の駐車場だった。死亡推定時刻は前日の二三時から当日の二時までの間で、死因は高所からの落下による脳挫傷と断定された。遺書らしきものは見つかっていないが、現場の状況から見て自殺だろうと警察では判断している。
 現場一帯には警察の手によりロープが張られ、関係者以外の立ち入りを禁じている。そのロープを遠巻きにしながら、大勢の学生が野次馬となって囁きあっていた。
 法学部棟での講義は、警察からの指示があるまで全て休講となった。また、警察が入ったことで、学内のほとんど全ての講義が講堂を変更するか休講になった。
 その空いた時間を利用して、昼過ぎに緊急の隊長級会議が開かれ、梶川の死について話し合いがあった。
「俺たちは誰もあいつを殺していない。おそらく、S研の誰かによって殺されたんだ」
 榊原による開会宣言の直後、大川が立ち上がり大声で発言した。
「与作の意見に俺も賛同する」
 大川の発言の後で、猿渡が座ったままで発言した。
「実際にあいつの『処分』にあたった隊員は全員打ち上げに参加していた。このことは、俺と姐御、与作、そして教授の四人が確認している。それ以外の隊員についてはアリバイを取ってある。死亡推定時刻に大学にいた者は2番隊には一人もいなかった」
「1番隊にもいませんでした」
 礼が猿渡の後を引き受ける。3番隊隊長・山田、4番隊隊長・大川、教育隊隊長・『マリーン』澤登駿介、会計部部長・『算盤』首藤慎也、兵器局局長・『旦那』斎藤俊正も、礼と異口同音に、部下の身の潔白を主張する。
「探索隊員全員についても、各隊長と同様の主張をさせていただきます」
 石川が静かにそう言い切るのを聞いて、榊原は苦笑しながら口を開いた。
「俺は別に、この中にいる人間が梶川を殺したとは思っていない。各隊員についても同様だ。俺たちには梶川を殺す理由など何もないからな」
 榊原はそう言うと笑いをおさめ、会議室の中を見渡した。
「では、一体誰が梶川を殺したのか」
「決まってるじゃないですか。S研の人間でしょう」
 澤登が何を今更といった口調で言う。『マリーン』というコードネームを持ち、教育隊長として新規入隊した隊員の錬成にあたっている男で、自分にも他人にも厳しい男として知られている。
「マリーン、それはわかっている。俺が言っているのは、S研の誰が手を下したのか、ということだ」
 榊原の言葉を聞き、全員が石川に注目する。探索隊総隊長としてスパイ研会員について詳しい情報を持っている彼なら、何か情報を持っているのではないかと、皆が期待しているのだ。
 しかし石川から返ってきたのは、見当もつかないという返答だった。いくら彼でも、スパイ研会員全員の動向を見張っていることはできないし、それだけに探索隊の全力を費やすわけにはいかなかった。大学内でトラブルを起こすのは、スパイ研会員だけではないのだ。
「教授、可能性がありそうな人間をリストアップしてくれ。できるだけ急いで五、六人に絞ってくれ。それと、S研以外にも可能性がありそうな人間を探ってくれないか? ただし、本業に差し支えないようにしろよ」
 石川が首肯するのを見た榊原は腕を組み、
「もしかしたら、梶川を殺した奴がこれから先の俺たちの敵になるかもしれんぞ」
 と、誰にともなく呟いた。

 〈オジロワシ〉の隊長級会議と同じころ。
 スパイ研の部室となっているプレハブ小屋でも、スパイ研の会議が行われていた。議題も〈オジロワシ〉と同じ、梶川の死に関することだった。
「誰が梶川を殺したのだ?」
 スパイ研究会会長・関達彦が集まった全員の顔を見回す。関の視線を受けても、顔を背ける者は一人もいない。
「今まで、我々の中から死人が出たことはなかった。〈オジロワシ〉との抗争においても、せいぜい除籍処分を喰らっただけで、殺されることはなかった。
 もう一度聞こう。誰が梶川を殺したのだ?」
 しばらくの間、沈黙が続いた。とはいえ、死者を悼んでのものではないようだ。
 自殺とは考えられない。いくら陰謀が露見して企みが失敗したからといって、それで絶望して死を選ぶほど梶川は頼りない人間ではない。梶川はこの大学にとどまることに対して異常なほどの執着心を持っていた。死んでしまってはその大学にいることもできないのだ。
「〈オジロワシ〉の連中ではないですかね」
 長く続いた沈黙を破り、立ち上がって発言したのはある三年生だった。
「今までの我々と〈オジロワシ〉との抗争で死人が出たことは、確かにありません。しかし、未来永劫〈オジロワシ〉が穏健路線を採るとは限らない。今回の一件は〈オジロワシ〉の強硬姿勢のあらわれと、私は考えますが」
「本気でそう思っているのか、外事局長」
 関は男を見た。
「少なくとも、私はそう考えています」
 スパイ研究会外事局長・山本光輝はゆっくりと頷いた。前任者の桂良樹が住居不法侵入で湘洋市警察に逮捕され、大学当局から停学処分を受けたため、桂の後任として外事局長に就任したばかりだった。ちなみに、桂は後に退学届を大学当局に提出している。
「貴様が殺したのではないのか?」
 スパイ研究会作戦局長・柳澤隆博が険悪な表情で席を立ち、山本を睨み付けた。山本とは反りが合わず、何かに付けて対立している。
「梶川は俺の部下だ。確かにあまり出来のいい奴ではなかったが、俺にとって大切な部下であることに変わりはない。
 貴様が俺の派の勢力を殺ごうとして、梶川を殺したのではないか? 違うかっ!?」
「言いがかりはよせ」
 山本の声は相変わらず静かだった。しかし、目には険悪な光が見える。
「確かに俺と貴様は普段から仲が悪いが、だからといってそんな陰険なことはしない」
「どうだか! 陰湿なお前のことだ。それくらいはやりかねないだろうが!」
「何だとこの野郎!」
「二人ともよせ。こんなところで口論しても仕方ないだろう」
 取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになり、関が二人を窘める。二人はなおも睨み合っていたが、関が再び声をかけたため、憤然と席に着いた。
「梶川を誰が殺したのかという疑問は解決されてない。案外自殺したのかもしれないが、それすら定かではない。
 言いたくないが、私はこの中の誰かが殺したと踏んでいるのだが……」
 そこで言葉を切って、室内の人物の顔を一人一人見る。
「……とりあえず、放っておくとしよう。今後の対応は〈オジロワシ〉の出方を確認してから決める」
 この一言で、会議はひとまず休憩になった。

 山本は空いている教室で休憩していた。しばらく虚空を見つめていたが、上着の胸ポケットからウィスキーの小瓶を取り出し、一口飲んだ。ウィスキーを口に含んだときの辛みと微かな甘みがたまらない。
 山本がウィスキーの小瓶を片手に、酔いに身を任せながら至福の時間を過ごしていると、
「外事局長、藤田先輩が来ています」
 という声がした。つい先日、この会に入った一年生の声だ。通せと山本は彼に声をかけ、また一口飲んだ。
「かなり議論は活発なようですね」
 教室に入ってきた藤田智行は、山本を見るなりそう言った。事実、廊下で何かあったらしく、大勢の人間がやかましく騒いでいて、山本は後半部分を聞き逃していた。
「声が大きいだけで、何の実りもない会議さ。ふん、これほど下らないものが地球上にあったとはね」
 山本は言葉の後半部分を想像して、鼻を鳴らしながら、またウィスキーを一口。
「お前の協力で、あいつを葬れた。礼を言うぞ」
 口元を手の甲で拭いながら、山本は酔眼で藤田を見た。
「礼など無用です」
 藤田は表情を変えずに言った。
「しかし、あまり後味のいい仕事ではありませんでしたな」
 そう言う藤田の顔が、若干曇る。
「そうだな」
 言葉とは裏腹に、山本の態度は平然としたものだった。

 昨日の夜遅く、そろそろ日付が変わろうとするころ。
 法学部棟の屋上に、人影が一つあった。
 梶川拓真だった。〈オジロワシ〉に逮捕され、秘密部屋で除籍退学処分に処せられることを告げられた彼は、そのまま丸一日監禁された。その後釈放された彼は、衝動的に自殺を考えた。そして、誰もあたりにいなくなったころを見計らって、屋上へと向かっていた。
 梶川はフェンス際に立つと、靴を脱ぎ、フェンスを乗り越えた。飛び降りようとして下を見て、思いがけない高さに身をすくませた。
「どうした、梶川。自殺するんじゃないのか?」
 身をすくませた梶川の背後から、声がかけられた。恐る恐る振り向いた彼の目に、山本と藤田の姿が見えた。
「貴様は、無能だ」
 山本は革の手袋をはめた手で、梶川の襟首を掴み、強く引き寄せた。
「この会において、無能という評価がどういうことに繋がるか、貴様も充分にわかっているはずだ」
 山本の声には、梶川への同情などかけらほども感じられなかった。山本の背後にいる藤田も、同じような目で梶川を見ていた。
「だが、そんな貴様にもできることがある。たった一つ、な」
 梶川は恐怖におののいている顔を、山本に向けた。山本は冷笑を浮かべていた。
「このまま死ねや」
 山本はそう言うと、梶川の襟を掴んでいた手を離した。梶川はバランスを崩し、落ちそうになった。必死の形相でバランスを立て直そうとする梶川の臑を、藤田が棒で払った。
 一瞬後、梶川の身体は中に放り出された格好になった。絶望の悲鳴をあげながら落ちていく梶川を、山本はしっかりと見届けた。口元には、まだ冷笑が浮かんでいた。
 数秒後、梶川の体が地面に叩きつけられたとき、すでに山本と藤田は背を向けていた。

「気にするな。あいつは所詮、使いものにならない人間だった。使いものにならない人間はこの世に生きていても意味がない。あいつは死ぬことによって、少しは世の中に役立ったんだ」
 山本はあっさりと言い切った。藤田は山本の言葉を聞いて、溜息を吐きながら頭を振った。
「……俺はとても、外事局長のように、物事を割り切れません」
「作戦に私情を挟むな。せっかくの名案も指揮官の躊躇で台無しになることがあるんだ。俺たちは氷のように、常に冷静でなきゃいけないんだ」
 山本は馬鹿にしたような目で藤田を見た。確かに山本が言っていることは正しいのだが、この態度のせいで人に好かれるということはなかった。もっとも、山本はそのようなことを気にしていないが。
「ところで、次回工作の案ができました。目を通して下さい」
 藤田が提出した書類を、山本は黙って読んだ。片手にはウィスキーの小瓶がある。
「ご裁可を」
 藤田の言葉に山本は小瓶を机に置きしばらく考えた。作戦の成功確率と、この計画の失敗により藤田を失う危険性を天秤にかけていたのだろう。
「……よし、やれ。人も金も、必要なだけ使え」
 しばらくの沈黙の後、山本はゆっくりと言った。
「ただし、暴走はするな」
「わかりました」
 藤田の声は後半がかすれて、よく聞こえなかった。藤田はそれを気にした様子もなく、一礼すると退出した。
「……頃合だな。全面攻勢に転じるとするか」
 山本は小声で呟いた。その語尾は、廊下の喧噪にかき消され、部屋の外までは聞こえなかった。



次回予告
 スパイ研が全面攻勢に出る。標的は泡沫サークルといわれている孤独な武道サークル・骨法同好会。
 スパイ研は骨法同好会を衛星サークルにしようとし、〈オジロワシ〉はそうはさせじと暗闘を繰り広げる。
 暗闘がスパイ研有利で進む中、石川の身に異変が……

 次回、〈オジロワシ〉血風録 第三章 『更迭』

 派手な撃ち合いだけが戦いではない。


後書き

 やっちまった……死人を出しちまった……_| ̄|○
 でも、これで当分死人はおろか重傷者も出ない……はず…………出ないといいなぁ(ォィ

 ごきげんよう。片岡でございます。
 この章の副題、「リアルバウト・フットボーラー」と「ヴァーティカル・ダイブ」のどちらにしようか迷ったのですが、あくまでも「ラグビー部とアメフト部の抗争」を主題にしていたため、梶川君の自殺(じゃないけど)は脇に置かせていただきました(当人は浮かばれないでしょうが……)。

 そんなこんなでやっと第二章が終わったわけですが、だんだんと貯金を食いつぶしていって、はたしてこれから先どうなるのか、先行きが非常に不安です(汗)
 とりあえず第七章までの案はありますが、それでも作中時間で一年経たないというのは一体……

 ま、まぁ、少しでも貯金を殖やしていこうと思いますので、よろしくお願いします。


管理人のコメント

 フットボーラーたちの戦争を防いだオジロワシの前に、大事件が起きます。

>今回の事件を引き起こした張本人である梶川が死体となって発見されたのである。

 ついに死者がでました。学園内の暗闘が、いよいよ新たなステージへと突入した事を示していますね。


>「俺は別に、この中にいる人間が梶川を殺したとは思っていない。各隊員についても同様だ。俺たちには梶川を殺す理由など何もないからな」

 退学に追い込んだだけでも普通は十分ですしね。


>「もしかしたら、梶川を殺した奴がこれから先の俺たちの敵になるかもしれんぞ」

 それも、間違いなく今までのヘタレた敵を越える存在に。


>「誰が梶川を殺したのだ?」

 S研の幹部たちにとっても、これは寝耳に水の出来事だったようです。ある男を除いては……


>「お前の協力で、あいつを葬れた。礼を言うぞ」

 S研外事局長、山本光輝。明るい名前とは裏腹に、この男がいよいよその闇を露にします。


>「貴様は、無能だ」
>「このまま死ねや」

 いやはや、寒気がしますね。


>「……頃合だな。全面攻勢に転じるとするか」

 S研上層部の思惑すら超えて、自らの戦略を推し進める山本。オジロワシとの戦いは、いよいよ熱く冷たくなってきました。


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