神奈川県湘洋市。
湘南地区にある三市三町が合併してできた都市であり、湘南地方という土地柄、夏場は海岸地帯に人が大勢集まる。
湘洋市は、一面で茨城県つくば市と並ぶ学術都市でもあり、慶應義塾大学をはじめとして、数校がここがここにキャンパスを構えているほか、政府や民間の研究期間も多く置かれている。
その湘洋市の北部に湘洋学園大学はある。
湘洋学園大学は湘洋市内に数ある大学の中でも新興の大学である。学園創立が一九八八年。元号が間もなく平成に変わろうかという時期である。
それが今では一万人近い学生を擁する、それなりの規模の大学へと成長していた。
その湘洋学園大学の中庭で、一人の男がベンチに座っていた。
白衣を着て縁なしメガネをかけているその男は、携帯電話で誰かと話している。
「……なるほど。S研の装備改編は、まだ始まったばかりのようだな。
ただ、全般イメージを形作るには、まだ情報が足りない。引き続き内偵調査に当たってくれ」
男は電話をかける前に、封筒を白衣のポケットにしまっていた。その封筒は、このベンチの裏に両面テープで貼り付けられていたものだ。封筒の中に入っていた五、六枚のレポート用紙に書かれていた内容を、もう一度ざっと見直す。内容は暗号化されており、ふつうに見ただけではまず意味が通じないようになっている。その内容を、読んでいる男は十分に理解しているようだった。
「……ああ、頼んだよ。……じゃあな。気を付けろよ」
男は通話を終了し、レポート用紙を封筒にしまうと、理学部棟へと向かった。
歩きながら、タバコに火を付ける。一服着けると、白衣の胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、灰をその中に落とす。
「S研のクソ野郎どもめ。俺たちの装備改変に気づいたのか……。算盤や旦那の尻を叩いて、改変にブーストかけてやる必要があるな、こりゃ……」
男は口元を歪め、紫煙を再びはき出した。
男の名は、石川信光。理学部化学科の学生であると同時に、湘洋学園大学学内治安維持組織、通称〈オジロワシ愛好会〉の探索隊総隊長だ。この大学内に張り巡らされた諜報網の頂点にたつ男だった。
と書くと、彼が悪辣な冷血漢であるという印象を持たれるかもしれない。しかし、石川の心配りは細やかで、性格もこの大学に入ってからは以前よりも明朗になっており、見かけによらず熱血漢でもある。
頭脳も緻密で、高校は鹿児島県にある日本でも有数の進学校を卒業しているし、その気にさえなれば東大や京大など、超一流の大学に進学することも可能なだけの学力を持っている。しかし、彼はこの大学へ進学していた。
どうしてだという問いに対して、「ああいうエリート校の雰囲気って、好きじゃないんだよね。窮屈でさ」と答えたことがある。
だから彼は、ここにいる。
時々、もっと上の大学に行った方がよかったのではと言われることもあるが、彼自身は全く後悔していない。ゼミでレポートが多いのには閉口するが、納得できるまで実験を繰り返せる。それに何より。
(この大学に来たからこそ、礼と会えたんだしな)
一度そう言って、うるさい質問を封じたとき、隣にいた礼が真っ赤になってうつむいたことを思い出した。
石川はかすかに笑うと、空を見上げた。
五月の空は、見事に晴れ渡っていた。
オジロワシ血風録
第二章 リアルバウト・フットボーラー
1 前兆
週末の学生は、何かと忙しい。レポートを作成するために図書館に篭もったり、講義の内容をメモしてあるノートの交換をしたり。また、週末にどこかに遊びに行くための準備をしている。
また、運動系の部に所属している者は、試合に備えての調整に余念がない。文化系の部に所属している者でも、発表会などが近づいている部は出し物を完全なものにするために忙しく働いている。
ここにも、金曜日の空き時間を忙しく過ごしている学生がいた。
経済学部に籍を置く神崎礼は、大学公認サバイバルゲームチーム〈レッド・ロブスター〉の団長として、サバイバルゲームが市民権を獲得するべく、日夜運動を行っている。ビラ配りに始まって、公開ゲーム、学園祭でのエアガンを使った射的や射撃大会などといったことが主なことである。文化系サークルの一つである漫研と協力して同人誌をつくり、今までサバイバルゲームに関心を持っていなかった人の理解を求めることもしている。
もちろん、このほかにも正規の活動として、月二回、他チームとの交流ゲームを行っている。交流ゲームには正規の団員だけではなく、友情出演ということで団員以外の人間を参加させることもある。そして、彼らに何かを感じとってもらいたかった。たとえ明確に支持はしてくれなくても、この世の中にこういうものがあるということを知ってもらいたかった。
礼には、もうひとつの顔がある。
〈オジロワシ〉の戦闘部隊である行動隊の総隊長、という顔だ。
〈オジロワシ〉のことを知る学生は、〈オジロワシ〉隊員以外ではほとんど皆無と言ってもいい。正式に知らされている学生は、高校の生徒会長に当たる学友会会長だけである。
彼女を筆頭とする〈オジロワシ〉行動隊は、学園内で発生する揉め事を、隠密裏に処理することを任務としている。
主な相手は、同じく学友会所属のサークルである、スパイ研究会。彼女とその部下は、学園を攪乱するスパイ研のエージェントと日夜暗闘を続けているのだ。
五月も半ばに入ったある日、礼は、同じく〈レッド・ロブスター〉に所属している二年生の木村泰徳を伴って、学園内を歩いていた。
「もう少し、戦術を勉強しなさい。ゲームにも充分役に立つわよ」
「そうですね」
礼の言葉に、木村は軽い頷きを返した。
「でも、これ以上詳しくなると、姐御のほうが困るんじゃないですか?」
木村はからかうように言った。木村は小隊単位といった小さな規模の部隊の指揮は、礼よりもうまくこなせる。そのことは、配属以来彼に心構えなどを教えてきた礼が一番よくわかっている。その木村が大部隊を運用する際に必要となってくる戦術知識をもマスターしてしまえば、相手にとっては手のつけられない存在になるだろう。
「どうして? 優秀な指揮官が大勢いれば、あたしも楽ができるのよ? どうせなら、楽をしたいじゃない」
礼はやんわりと、木村の皮肉を受け流した。
〈レッド・ロブスター〉は大きく分けて、礼を隊長とする隊と、同じく三年生の猿渡徹が指揮を執っている隊に分類される。木村は神崎隊に所属しているが、個人的には猿渡との接触が多く、猿渡本人は否定しているが「一の舎弟」を自称し、学園内でもつるんで行動していることが多い。
「姐御にはかなわないな」
木村は苦笑いした。
「では、お願いします。少しでも役に立ちたいですしね」
「わかった。暇を見て、ゆっくりと進めていくわよ。ついでに、戦史も勉強してみる? 自分で戦術を組み立てるときの助けになるわよ」
「いえ、そこまでは、ちょっと……。ま、まぁ、そのうちに……」
そんな会話をしながら、やがて二人は、〈オジロワシ〉の秘密部屋――旧法学部棟三階の秘密部屋に入ってきた。
ノックをすると、入隊して間もない隊員がドアを開けた。教育隊隊長・『マリーン』澤登駿介が来る前の時間を、ここで過ごしているようだ。室内にはそのほか、『教授』石川信光と探索隊別班班長・『デルタ』堀内覚がいた。二人は部屋の隅のほうで話し込んでいる。入口付近にいる礼たちには、断片的にしか、声は聞こえてこない。
「こういう情報もある。俺は……見てないから、これ以上……早めに、手を……」
「…………」
石川が何か答えたとき、彼は入ってきた礼達に気がついた。
「よう、姐御にガード。お揃いとは珍しいな」
石川が組んでいた腕を解き、ちゃかすように〈オジロワシ〉用のコードネームを口にした。
「お疲れ様です、教授」
木村は足早に石川のところへ向かった。礼はゆっくりとした足取りで、木村に続いた。
「教授こそ、デルタと一緒だなんて、珍しいわね」
礼は石川の言葉に答えず、意外そうに言った。石川と堀内はそれほど仲がいいわけではないように、彼女には見えていたのだ。
「そうか? なんだかんだで、一緒にいるのもわりと多いぞ?」
「あら、そうだったの。あまり顔を合わせていないようだったから」
「そりゃ、一日二四時間顔突きあわせてはいないけどな」
石川は、あえて極端な表現を使った。この件はこれでおしまい。そういう意味を持たせていた。
もちろん礼は、その石川のサインを見逃さない。伊達に二年半も交際しているわけではないのだ。
「あっと……俺、邪魔かな?」
堀内が二人の様子を見て、気を利かせて席を立とうとした。
堀内は探索隊別班を指揮して、非合法な手段を使った情報収集やカウンタースパイなどといった任にあたっている。もっとも、本人は竹を割ったような性格で、それに加えて気遣いが細やかであり、そんな仕事をしているとは感じさせない。
「いえ、あなたにも用があったのよ。捜す手間が省けたわ」
礼は堀内に向き直った。
「俺に用? なんだよ、一体?」
堀内は怪訝そうな顔で、浮かせかけた腰を再び下ろした。
「今度の日曜日、あいてる?」
「日曜日? ああ、今のところ用事はないけど」
それがどうかしたのかと言いたげに、堀内は頷いた。
「実は、今度の日曜、〈レッド・ロブスター〉主催の交流ゲームに出ていただけないかと思いまして」
木村が用件を切り出した。
「そのゲームに出る予定だったコが風邪をひいちゃってね。ちょっと週末に動き回るのは難しそうなのよ。番長はゼミの合宿とかで出られないし、連絡も取れないし。そこで、あなたに出てもらいたいと思って」
礼が事情を説明する。
〈レッド・ロブスター〉は、先ほども述べたとおり、大きく分けると二つの隊からなっており、礼と猿渡がそれぞれの隊の隊長をつとめている。そして、団員は所属する隊の隊長の同意なしにゲームに参加することはできない、という規則がある。
神崎隊は全員がそのゲームに出るので、欠員を埋めるには猿渡隊から人手を出さねばならない。礼はそのことについて猿渡の同意を得たかったが、猿渡は木曜からゼミの合宿で相模原市郊外の学寮に行っている。電話で連絡をとろうにも、あいにく彼女は学寮の電話番号を知らなかった。改めて調べる気にもならなかった礼は、手っ取り早く助っ人を頼もうと、堀内に話を持ちかけることにしたのだ。
「相手は桜美林大の有志を中心としたチームです。なかなかいいチームだと聞いています。礼儀の面でもしっかりとしているようですし」
「うーん、出るのは別に構わないけど、俺の持ってる銃は仕事用のだけだぜ? あれはマズいだろ? 怪我させちまうぜ」
堀内は困ったように言った。
彼の持っている銃、XM−177はガスガンで、ガス圧を高めた状態でしか機能しないように改造されている。あくまで「仕事用」の銃で、これでゲームに参加することはためらわれた。当たり所が悪ければ確実にけがをさせてしまう。
「そうおっしゃると思いましたよ。私の持っている銃を、BDUごとお貸しします。たぶん、ナイトパターンしか持っていないんでしょう?」
木村はそう言って、持っていたバッグの中身を取り出した。スリングベルト付きの電動ガン、FA‐MASとガスガンのM92F、リザードパターンのBDUが入っていた。M92Fのスライドには、米軍式の「M9」ではなく、「PA‐MAS」という刻印とフランス語らしい言葉が刻み込まれていた。
現代フランス軍軍装品のコレクターである木村は、過去にフランス外人部隊に採用されたリザードパターンのBDUをコレクションしており、このタイプだけでレプリカを含めて五着持っている。これらが保存用、ゲーム用、普段着用と分けられているのは言うまでもない。そして、これからも増えていくことも、まず間違い無い。
「私とデルタの体型は似通っていますから、サイズの面では問題ないと思います。ちょっと尻まわりがだぶつくかもしれませんが……」
木村は自分の尻を叩いた。陸上部の長距離ランナーである木村の下半身は筋肉がついてしまっている。普通の服では腿や尻がきつい。そんな木村でちょうどよいサイズなのだから、おそらく堀内ではだぶつくだろう。
「ああ、これはありがたい。じゃあ、遠慮なく借りておくよ」
堀内は笑みを浮かべながら、装備一式を木村のバッグに戻し、それごと借りた。
「で、いつ、どこに行けばいいんだ?」
「日曜の午前九時、大学の正門前に集まって。そこからは車に分乗して、会場へ行くことになってるから」
「わかった。じゃあ、俺はこれで。教授、例の件の調査、頼んだぜ」
堀内はそう言うと、席から立ち上がった。気がつくと、秘密部屋の中には、彼ら四人だけしかいなかった。
「おう、任せろ」
三人のやりとりの間、ずっと沈黙を守っていた石川が、部屋から出ていこうとする堀内の背中に向けて言った。堀内は石川たちに背を向けたまま右手を軽く上げ、秘密部屋から出ていった。
「例の件って、何のこと?」
礼は石川の隣に座ると、真剣な目で問いただした。木村も表情を引き締め、石川の近くにあった椅子に腰を下ろす。
「まだ噂の段階だけど、S研のエージェントらしい奴が、ラグビー部とアメフト部をけしかけて抗争を起こそうと企んでるって、デルタからの報告でな」
石川はラッキーストライクに火を付けて答えた。『S研』とは、彼らが敵対しているスパイ研究会のことだ。
スパイ研究会については謎が多い。学友会に届け出をしている正式なサークルではあるものの、具体的な活動内容を誰も知らない。スパイ研の会員でさえ全てを知っているわけではない。構成員すらほとんどわかっていない。これらを完全に網羅しているのは、当のスパイ研の高級幹部を除けば、今のところ〈オジロワシ〉探索隊だけである。
「で、デルタに頼まれて、その噂の裏をとろうとしていたんだ」
石川は口から紫煙を吐き出しながら言った。
「あら、奇遇ね。私もそのことについて教授に報告しようと思ったのよ」
「なに?」
石川は口から煙を吐きだし、不審そうに礼を見た。
「姐御もその噂を聞いたのか?」
「噂じゃないけど、ついさっきね」
礼は頷いた。
「ここに来る途中、たまたまラグビー部の部室の前を通ったの。そしたら、中で話し声がするのよ。何かなと思って、つい立ち聞きしちゃったんだけど、『今度こそあいつらを叩きのめしてやる』って言ってたわ」
「それって、今度の試合の相手じゃないのか?」
石川は灰皿に煙草の灰を落とした。ラグビー部は秋の関東大学リーグを照準に、練習試合を繰り返している。
「最初はそう思ったんだけど、どうやら違うみたいよ。続きを聞いてみたら、『だいたいアメフトのヤツらは態度がでかい。ここらで一つ、どっちが上に立つか、きっちりと決めないとな』って言ってたもの」
「姐御のおっしゃるとおりです」
木村も、礼の言葉を肯定した。
「アメフト部のほうは知りませんが、ラグビー部のほうは噴火寸前ってところですね」
「そうか……」
石川は煙草を口にくわえて、腕組みをした。頭の中で現状を整理しているのだろう。目が険しくなっていく。
「で、S研は絡んでいそうか?」
「そこまではわからなかった」
礼は残念そうに言った。
「そうか……」
石川は同じ言葉を口にした。腕を組み、何かを考えている様子だったが、しばらくして顔を上げた。
「……よし、予備調査を命じよう。何も出てこなければそれはそれでいいし、何か出てきたら糸を引いている奴を叩き潰してやる」
「でも、S研を叩いただけじゃ意味がないわ」
席を立とうとした石川に、礼が心配そうに言った。
「ラグビー部とアメフト部の対立は、何年も前から続いている、根の深いものよ。S研の人間を叩いたとしても、根本的な解決にはならないわ」
「それもそうだな……」
石川は紫煙を吐き出して、考え込んだ。
「うん、そうだよな。どこかで手打ち式をさせるしかないな」
石川は納得したように何度も頷いた。この対立をおさめないと、学内の治安を保つことはできない。まさに、学内治安維持組織としての〈オジロワシ〉の真価を問われると言える。
「問題は、どうやって手打ちをさせるかだ」
石川が言うと、三人とも考え込んでしまった。何しろラグビー部とアメフト部の対立は、彼らが入学する以前から続いている。根は相当深く、溝はにわかには埋めがたいほどに広い。
三人が考え込んでいると、
「三人揃って辛気くさい顔してるんじゃないよ」
そういう声とともに、行動隊4番隊隊長の大川秀明が入ってきた。野球部所属のこの男は、『明日は明日の風が吹く』をモットーとしており、陰気な議論を嫌う。
「あ、与作。入るとき、ノックしたか?」
石川がとがめるように言った。
『与作』とは、大川のコードネームである。雰囲気や物腰が泥臭く、農業従事者のようであるため、こう呼ばれている。
「したさ。したけど誰も出てこないから、仕方なく入ってきたんだ。入ってくるときにも声をかけたけど、お前ら誰も気付かないんだもの」
大川は心外そうに反論した。
「で? そこで雁首揃えて、何してたんだ?」
という大川の問いに答えて、石川が要点を抜き出して、今までのことを話す。ただし、スパイ研が絡んでいそうだということは話していない。まだ噂の段階でしかないことについて他人に話すのを、石川は嫌っている。
「なるほどね。あいつら、仲悪いからなぁ」
大川は話を聞いて頷いた。
「与作はどう思う?」
礼がたずねた。大川は石川のように数多くの情報を積み重ねて真実を追究することは苦手だが、僅かな情報から物事の核心を見出す眼力を備えている。礼は、大川のひらめきに期待した。
「放っておくのが一番じゃねぇのか?」
大川はこともなげに言った。大川は性格は楽天的だが、こと作戦の指揮を執るとなるとあらゆる可能性を考え、障害を徹底的に取り除くほど慎重になる。今は、楽天家としての顔が表に出ているようだ。
「でも……」
反論しかけた礼を、大川は手で抑えて、
「あいつらの対立は、何も今に始まったことじゃない。あの二つの部ができてからずっと続いているものだ。今更俺たちが首を突っ込んだところで、対立をおさめるどころか、かえって火に油を注ぎかねない。手を出さないのが正解だと思うがな」
「しかし、このままではあの連中、また大学内で喧嘩しますよ」
木村が言った。
「我々は『学園内治安維持組織』とされているんですから、ここまであからさまな兆候があるんですから、強硬姿勢で臨んでもいいと思うんですけど」
「だからって、全ての対立をおさめられるわけないだろ? 俺たちは神様じゃねぇんだ。できることには限界があるんだよ。
それに、俺が放っとけと言ったのには理由がある」
大川は木村を見据えながら言葉を継いだ。
「俺は、この対立は決して長く続かないと思ってる。
あの二つの部がいがみ合うようになったのは、ラグビー部が関東大学リーグで三位になって、アメフト部が全国大会に進めなかったのが、そもそもの原因だ」
これは今から一〇年以上前のことだ。昔のアメフト部は自他共に認める弱小部で、今でこそ全国大会常連になっているものの、このころは低迷し、部存続の危機に陥っていた時期である。
「お前らも知っていると思うけど、運動系の部活動に対する援助金は、前年度の成績によって決められるのが普通だ。
ところがどういうわけか、次の年度の援助金は、ラグビー部のほうよりアメフト部のほうが多かったんだ。アメフト部のほうがラグビー部よりも規模が大きく、成績もよくなかったのに、一人あたりの額が一万ほど違ったんだな、これが。それにラグビー部員が腹を立てて、アメフト部に殴りこんだのが、ことの始まりさ。
当時のアメフト部の顧問は学長や理事長とも親しくて、そのコネで学友会に働きかけて、援助金を水増ししてもらったんだろうって、もっぱらの噂だった。その真偽はわからないけど、それ以来、いがみ合いが続いている」
大川はここまで一気に言うと、手に持っていたミネラルウォーターの瓶の栓を開け、中身を半分ほど飲んだ。
大川が話したのは、学生の間でささやかれている噂だ。かなり有名な噂で、よほど大学内で孤立していない限り耳にするたぐいの噂だ。
この噂が本当なのか、それはわからない。しかし、かなりの信憑性を持って語られているのは確かだった。
大川はミネラルウォーターを飲み終わると、拳で口元を拭い、続きを話し出した。
「今となっては、援助金の差はそれほどでもなくなってきている。ラグビー部は全国大会でも優秀な成績をおさめているし、アメフト部も力を付けて全国でも屈指のチームと言われるようになってきた。学友会も、その点をきちんと評価して援助金の額を決めている。
つまり、今となっては、いがみ合う理由はないってわけだ。あとは、互いの部員の中にある、向こうへの不信感を解けばいいのさ。といっても、これが一番大変だけど」
大川が話すのを止めても、誰も口を開こうとはしなかった。大川の話は、インパクトと説得力を充分に持っていた。
「……つまり、自然冷却を待てってか?」
かなり時間が経ってから、石川がたずねた。
「よほど見かねたんなら、止めに入ってもいいだろう。でも、そのほかの場合では、知らん顔するのも一つの手だなって思ってね」
大川は頷いて、さらりと言った。
「この対立にS研が絡んでいる、っていう情報があるんだけど、それでも放っておけって言うの?」
礼が言うと、大川は眉を動かした。それまでどことなくゆるんでいた表情が一瞬にして引き締まり、目つきが鋭くなる。
「その話、本当かい、姐御?」
「噂程度の信憑性しかないけど」
礼はそう言ってラグビー部の部室で聞いたことを話し、それから石川が、礼たちには話していなかったスパイ件のことについて話した。
「もしそれが本当だとしたら、放ってはおけないな」
大川は目つきを険しくした。
「俺がさっき、ああ言ったのは、誰もあいつらを煽動しないという前提があってのことだ。S研が煽動しているかもしれないとなると、首を突っ込んでみるしかない」
「探りは俺が入れてみよう」
石川は言った。
「俺の知り合いがアメフト部に二、三人いる。そいつらから情報を聞き出してみる。探索隊も、予備調査名目で何人か出してみよう」
「ラグビー部のほうはどうします?」
との木村の問いに、
「行動隊にもラグビー部員がいるから、教授立ち会いのもとで、彼から話を聞いてみることにしましょう」
礼が助け船を出した。
「ああ、ビールですね」
木村はある行動隊員のコードネームを口にした。『ビール』佐伯幸平はラグビー部の副部長であると同時に、行動隊3番隊第四小隊長をつとめている。恐らく来年には番隊を一つ任されることになるはずだ、と隊内で噂されている。
「ビールか。……うーん、それだけじゃ心許ないな。もう二、三人情報源がほしいな」
石川は虚空を見つめ、「あー」だの「うー」だの唸りながら考えをまとめてゆく。
「レポーターはどうですか?」
木村は助け船を出した。
「レポーター? ……ああ、そうだ」
石川は何かに気づいたかのように、手を打ち鳴らした。
「確かレポーターは、ラグビー部に知り合いがいたはずだ。あいつにも探らせよう。
それと、司令に話を通しておこう。ことによっては、探索隊の大半を投入しなければならないかもしれないからな」
石川は決断した。
彼に与えられている権限は、探索隊の一部を動かす程度のもので、それより大規模な情報収集を行うには司令の許可が要る。
石川は、無断で探索隊を動かすことをなるべく避けている。学園最大の諜報組織は、使い方によっては学園の機能を完全に停止させることもできるからだ。
そんな集団をまとめている彼が心に刻んでいるのは、『S研のように、部下に独断をさせない』という言葉である。スパイ研はエージェントの独断で工作を行わせもするが、石川は部下が独断で情報を集めることや、偶然知ってしまった情報を元に脅迫するなどといったことを固く禁じている。スパイ研を取り締まる〈オジロワシ〉がスパイ研と同じことをしては、ミイラ取りがミイラになってしまう。それだけは避けたい。石川はそう思っている。
それでなくても探索隊は、一歩間違えるとスパイ研の人間と変わらない――相手の弱みを握って脅迫することも可能になるのだ。そういう不心得者を自分の部下から出したくない。石川にとっても、〈オジロワシ〉にとっても、それに湘洋学園大学にとっても、それが幸せなのだ。
管理人のコメント
いよいよ「オジロワシ血風録」の第二章が始まりました。新体制のスパイ研究会とその陰謀に対し、オジロワシの新たな戦いが始まります。
>S研の装備改編は、まだ始まったばかりのようだな。
三号事件であれだけの火力差を見せられた後だけに、スパイ研側も本腰を入れてきたようです。
>S研のエージェントらしい奴が、ラグビー部とアメフト部をけしかけて抗争を
新たな陰謀が発覚。この後両部活の抗争の歴史が語られていますが、この過程にも何やら陰謀がありそうですね。
>運動系の部活動に対する援助金は、前年度の成績によって決められるのが普通だ。
良くある方針ですけど、これだと弱いところはいつまでも弱いままなんですよねぇ…かといってお金は有限ですし、難しいところです。
新たな陰謀に立ち向かうオジロワシの面々。果たして、彼らはラグビー部とアメフト部の流血の惨事を阻止できるでしょうか?
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