オジロワシ血風録

  
第一章 三号事件



7.区切り



 翌日、佐々木は暗い顔で正門をくぐった。今日もあの二人につけまわされるのかと思うと胃が痛む。しかし、講義を休むわけにはいかなかった。留年したくはない。
 佐々木は講堂に入る前に、何気なく掲示板を見た。休講の知らせなどが掲示してある場所だ。そこに佐々木は思いがけないものを見た。

 『工学部 情報工学科 二年 杉本春憲
    同       二年 矢沢賢次郎

   右両名、工学部学生某を脅迫し、学園の規律を乱した。
   故に退学、除籍処分とする。


  経済学部 経営学科 三年 桂良樹

   右の者は、五月一三日夜、住居不法侵入の現行犯で湘洋市警察に逮捕された。
   故に停学三ヶ月の処分とする。
                         学生課』

 掲示板にでかでかと貼られた紙にはそうあった。
 佐々木は目を疑った。昨日まで自分に付きまとっていた人間が、一転して退学処分を受けている。彼には何が起こったのか、まるでわからなかった。
 佐々木が呆然と掲示板を見ていると、誰かが彼の肩を叩いた。佐々木はどきりとした。今まで、あの二人にこうやって呼び止められていたのだから。
 おそるおそる振り返ると、山田が立っていた。
「あ、山田さん……でしたよね」
「久しぶりだな、佐々木君」
 山田は親しげに呼びかけた。そして、
「見たかい?」
 と親指で掲示板を示す。佐々木が頷くのを見て、
「バカなことをするヤツがいたもんだ。天罰が下ったんだな、きっと」
 と大声で言った。そして佐々木に向き直って、
「あの、工学部学生某ってのに、心当たりはあるかい?」
 とたずねた。佐々木には心当たりがありすぎた。何しろ、自分のことなのだから。
「え、ええ。まぁ……」
 佐々木は曖昧に頷くだけだった。
「そうか。きっとそいつも、今日から気を楽にして大学に来れるだろうな」
 と言って、山田は高笑いを上げながら去っていった。朝っぱらから大声で笑っている山田を見て、周りの学生が何かを囁きかわす。
 佐々木は、黙ってその背中を見ていた。事態の急変についていけず、ただ呆然と立っていた。
 しばらく呆けていた佐々木であるが、何とか自力で再起動する。もう一度掲示板を見つめる。
「……ところで」
 佐々木は小声で呟いた。
(この桂って人は、なんでこんなことしたんだ? 捕まればこうなることくらい、わかりそうなものだけどな……)
 首をひねる佐々木だったが、本当の理由などわかるはずもなかった。
 この桂がスパイ研の外事局長という大幹部の一人であり、彼がなぜこのようなことを行ったかなどということは。

〈オジロワシ〉司令・榊原治は理事長室にいた。「三号事件」の事後報告のためだ。何度も足を運んだ場所だけに、別に気後れした様子はない。
 彼の前にはこの大学の理事長・半田瞬介がいた。彼は理事長であると同時に、〈オジロワシ〉のパトロンでもある。彼の肝煎りで〈オジロワシ〉の前身、学内特捜隊が創設されたのは一〇年前のことになる。
 とはいえ、彼は〈オジロワシ〉に対して発言力がない。いや、持とうとしない。「学生のことは学生に任せる」というのが理事会の方針であり、理事長である彼もその方針を遵守するつもりなのだろう。
「とまぁ、こういう結末になったわけですが、感想をどうぞ」
 榊原は半田に笑いかけた。半田の机の上には戦闘経過をまとめたレポートが置かれている。半田は、つい先程それを読み終えたばかりだった。
「神崎にしては、手際が悪かったな。特に、連中を経済学部棟へ逃がしてしまったのは、得策とは言えない」
 半田は冷たい声で言った。その言葉の裏を返せば、半田は礼の手腕を高く評価しているということになる。
「そうですね」
 榊原はあっさりと肯定した。
「ですが、あの状況であれば、やむを得なかったのではないでしょうか。突風が吹くなどといったことは誰にも予想できませんし、そのあとの彼女の判断は、完璧とは言えないにせよ、賞賛されてしかるべきかと思います」
「むろん、賞賛はする。特別手当も通常通りに用意している」
 半田は無愛想に言った。いつものことなので、榊原は別に気分を害した様子もない。
「それと、これは個人的な予測なのですが……」
「何だ?」
「私の予測では、あと一年以内にS研が暴発する可能性があります」
 榊原はきわめて深刻な話題を、さらりと言ってのけた。
「何だと?」
 半田が眉をピクリと動かした。
「……根拠は?」
「……まぁ、いろいろとありますが」
 榊原は秘密部屋で石川から聞いた話を披露した。昨夜、彼のアパートにスパイ研外事局長の桂良樹が侵入したこと。石川と、たまたま居合わせた礼とが桂をとらえ、警察に引き渡したこと。桂が逮捕されたことで、おそらくスパイ研の勢力分布が変わること。榊原はこれらのことを手短に話した。
「桂は停学処分となり、時を同じくしてS研の名簿から除かれました。これは石川が確かめたことですから、間違いないでしょう」
 石川はハッキングによって、学内LAN上にあるスパイ研の名簿を閲覧することができる。先程侵入してみたところ、桂良樹はその名簿から除かれていた。
「後任の外事局長には、山本光輝が就任したようです」
 榊原が口にした名は、半田にとって馴染みのあるものではなかった。「誰だ、それは?」という疑問も当然であろう。
「この人物について、我々は何の情報も持っていません。学部学科とS研会員だということ以外、何もわかりません。思想的に穏健派なのか過激派なのか、まったく見当もつきません」
「石川の調査でもはっきりしないのか?」
「いえ……実のところ、ほとんどノーマークの人物でしたので、情報収集自体、あまり行なっていなかったのです」
 榊原は、少し顔を歪めた。自分のミスを暴露しなければならないことに、忸怩たるものを感じているようだ。
「そんな人間が役職に就いたのか? 変ではないか?」
「ええ、変です。これから徹底的に洗ってみます」
 榊原は恐縮したように一礼した。
「で、そのこととS研の暴発と、どういう関係があるのだ?」
「桂はS研の人間にしては珍しく、我々との共存共栄を望む人間でした。その桂が失脚したことで、S研内部で強硬派が台頭し、我々に牙を剥いてくるのではないかと思われるのです」
 榊原は自分の考えを披露した。スパイ研の会長は何を考えているかわからない人間で、内事局長には権力がまったくない。作戦局長はそれなりの能力の持ち主だが、猜疑心が強く決断力に乏しい。外事局長であった桂がいた頃の体制が続く限り、とてもではないが、〈オジロワシ〉に対して直接行動を起こしたりはできない。
 しかし、スパイ研においてもっとも重要で、強い権限を持つ外事局長が交替した。しかも、無名の人間だ。これは一体どういうことなのか?
「……これまで述べたことは、あくまで、私の想像に過ぎませんが」
 榊原はそう締めくくった。
「……ふむ。なるほどな。あり得ない話ではないだろう。すぐにでも、石川に命じて徹底的に調べさせろ」
「はい。では、失礼します」
 榊原は退出した。
「ものすごく嫌な予感がするな」
 榊原は、誰も居ない廊下に出たとき、思わず呟いた。
「俺の考えすぎだといいんだが……」
 榊原はちらと窓の外を見た。
 学園は穏やかな春の陽気に包まれている。
 しかし、季節は周り巡るものだ。冬が終わったその瞬間から、着実に冬は近づいてくる。
 その事に気付いている人間は、まだ少ない。



次回予告
 ラグビー部とアメフト部。
 湘洋学園大学内で、この二つの部の対立を知らないものはいない。
 今までも小競り合いを繰り返していたこの二つの部が、ある人物の画策により、全面対決寸前の状況に。
 石川は探索隊に檄を飛ばして情報を集め、礼は行動隊を率いて煽動者を逮捕するが…… 

 次回、〈オジロワシ〉血風録 第二章 『リアルバウト・フットボーラー』

 放課後の中庭に、怒号が響く。


あとがき
 今更ですが、はじめまして。片岡城一です。
 掲示板の方では設定の無茶さにいろいろと意見が出ているようですが、これにはいろいろと訳があります。
 キャラクターも個性派揃いです。はたしてこの連中をちゃんとコントロールできるのでしょうか? ……ちょっと不安になってきた(ぉぃ

 神崎礼というキャラクターは私が大学時代にTRPGのキャラとして作ったものですが、それ以外の登場人物――石川や猿渡は完全にオリジナルです。
 舞台設定も私のオリジナルです。場所に関しては、掲示板で話したとおり私の通っていた大学を、規模については日本一の規模を誇る某私立大学を、それぞれ参考にしてます。掲示板では某巨大学園との関連を取りざたされていましたが、実は私はその存在を大学にはいるまで知らず、知ったあともあまり関心を持たなかった人間なので、それとの関連はありません。

 さて、全部書くとなるととてつもない長丁場になりそうですが、お付き合いいただければ幸いです。


 P.S.桂君の話、気が向けば書くかもしれません。
     っていうか、プロットはできてるけど、ふくらますのが面倒……(ぉぃ


管理人のコメント

夜中の戦いも終わり、その後日談です。


>佐々木は目を疑った。昨日まで自分に付きまとっていた人間が、一転して退学処分を受けている。

前夜に行われていた戦いの事を知ったら、彼はどう思うでしょうね。


>「学生のことは学生に任せる」というのが理事会の方針

良いですねぇ…そんな理解のある理事会を一度見てみたいものです。


>「私の予測では、あと一年以内にS研が暴発する可能性があります」

そして、また新たな動乱の予感が…要注意人物、山本も予想通りのしあがってきましたし、今後の展開が楽しみです。


戻る