オジロワシ血風録

  
第一章 三号事件



6.サーチ・アンド・デストロイ



 杉本と矢沢は襲撃を知ると、ただちに回れ右をして、一番近くにあった建物――経済学部棟に逃げ込んでいる。その後ろ姿が、どんどん小さくなっていく。
「連中は経済棟に向かった!」
 礼は、待ち伏せが失敗に終わったことに気付き、身を隠していた茂みから立ち上がった。こうなったら、身を隠していても仕方がない。
 礼はこれからの作戦案を頭の中で組み立てた。
 本隊は彼女に続き、二人を追って経済棟に入る。木村が率いる別働隊は経済学部棟の裏手に回って、二人がほかの建物に行かないように網を張る。そのあと礼からの命令があり次第、裏口から進入する。経済学部棟の中で合流して、相手を追いつめる。
 これでいこう。即興で決めると、無線機を使って命令を下した。
「経済棟の中でカタをつける。本隊は私に続け! 木村隊は経済棟裏口へ急行、ほかへ逃げないように網を張れ!」
 礼は命令を下すと、邪魔にならないように八九式小銃を背中に回し、走って二人を追った。走りながらスリングベルトの長さを調整し、銃が暴れないようにするのを忘れない。
 彼女の後に続いて、部下の行動隊員六〇名あまりが一斉に自分が潜んでいたところから飛び出し、人影を追った。
 2番隊隊長の猿渡は、スコープ付きのL96A1エアライフルを胸に抱えて、静かに走っている。振動や衝撃でスコープがずれないように気を遣っているのだ。
「しくじっちまったな、姐御!」
 猿渡が礼の後ろにつけながら言った。礼を責める口調ではなく、むしろ励まそうとしているようだった。
「そうね! 今度は気を付ける!」
 と猿渡に言葉を返しながら、
(もうちょっと待つべきだったかな?)
 と礼は待ち伏せのタイミングについて反省した。
 もう少し待っていれば、突風をやり過ごせたかもしれない。
 もう少し待っていれば、必中距離に相手を誘い込めたかもしれない。
 しかし、実戦では「かもしれない」は通用しない。目の前で起こった結果を厳粛に受け止め、変化した状況に素早く対応する。それが今、礼に必要とされていることだった。
 反省するのは、全てが終わった後でいい。今は全力で状況に対処するのが先決。
 礼はフェイスマスクをはずすと、自分のほほを力一杯叩いた。そして気持ちを切り替え、杉本と矢沢を追走する。

 走るスピードを緩めることなく、礼は経済学部棟に進入した。
 彼女に続いて、行動隊の隊員が銃や、3、4番隊制式装備の強化木刀〈武蔵〉、テニスのラケット、ロープ、盾代わりの巨大中華鍋などを持って、経済学部棟に入る。中には加納のように素手の者もいた。
 経済学部棟に入ると、すでに照明は消され、暗闇が彼らの目の前に広がっていた。駆け足で階段を上る複数の足音がする。礼は迷うことなく、その足音を追うことにした。入口の照明が消えているこの学部棟にもう学生はいないと考えていいだろう。となれば、今の足音は彼女たちが追っているスパイ研エージェントのものと考えるべきだ。
「三人残して、後は二階を捜索!」
 礼はためらうことなく命じた。入り口に人員を残すのは、ここから再び逃げられないための用心だ。残す人間はラグビー部所属の4番隊員二人と、電動ガンを持っている〈レッド・ロブスター〉団員で1番隊員一人の、合計三人。
 礼は足早に階段を上った。上りながら、「続け!」と命じる。彼女が直率している行動隊の面々が、礼に続いて階段をダッシュで上りだした。床が足音を吸収しきれないため、薄暗い廊下に複数の靴音が響く。
「こちら姐御。ガードの隊は裏口から直接二階に進入し、各部屋を捜索せよ」
 礼は階段を上りながら、木村に対してすばやく命令を下した。
『了解。逃がしませんよ』
 それに答えて、レシーバーから木村の声が聞こえてきた。

 二階の中央廊下にたどり着いた。礼は部下に指示を出し、二階にある部屋を捜索させた。ほどなく、素早い動作で二階の各部屋を調べていた木村隊は、神崎隊と合流できた。
「この階では、連中を見ませんでした」
 木村の報告に彼女は頷くと、
「じゃあ、もっと上の階ね……」
 と呟いた。もう足音は聞こえない。どこかの部屋に入り、息を整えているのだろう。
 礼は懐中時計を胸ポケットから取り出して、文字盤を見た。追撃を開始してから二五分が経過している。さすがの礼も息が切れていた。
 経済学部棟は四階建てだ。三階と四階には大きな講堂が一つずつ、普通の教室がいくつかあり、杉本と矢沢がどこにいるのか、判断をつけかねた。
(早く切り上げたいな)
 礼はこれからの行動をどうするか、しばらく悩んだ。虱潰しに一つ一つの部屋を静かに調べるのは確実だが、時間がかかりすぎる。早くしないと、警備員が怪しむだろう。
(その前に何とかカタを付けないと)
 木村隊がやっていたように、素早く室内を調べさせるべきか……いや、見落としたら致命的だ。やはり、時間をかけてじっくりと室内を虱潰しに探すか……
 そこまで考えて、礼は苦笑した。今までさんざん足音を立てて、普通の声で話していたのだ。今さら「静かに、虱潰しに」と言っても無理がある。となれば、このまま行くしかない。
 礼は頭の中に経済学部棟の地図を思い浮かべ、追われている者が逃げ込みそうな部屋について考えた。
(四階だと逃げ場が無くなるから、隠れているのはおそらく三階。その中で、そこそこの広さがあって、障害物がたくさんあるところ……)
 礼は腕を組み、虚空を見つめた。
 スパイ研の人間も護身用としてエアガンを持っている。ただ、銃のカスタムの知識がないせいか、まったくと言っていいほど改造をしていない。そのため、弾が当たっても若干痛いだけで済み、行動を止めることはできない。となるとやはり、背後から銃のグリップで相手の後頭部を強打し、昏倒させてくるだろう。
 対する〈オジロワシ〉側は、市販のものより威力を強化した電動ガンを持っており、それに加えて今回は亜鉛コーティングを施された〇・四グラム弾という重い亜鉛弾を使用しているため、一発喰らっただけでも結構なダメージが来る。それを封じるためにも、棚などが多くて、一目で部屋全体を見渡せず、射線が容易に通らない、という部屋が一番いい。
(……第二講堂かな?)
 礼はそう判断した。
 三階にある第二講堂は、学内でも一、二を争う広さを持つ。それに、壁に据え付けられたホワイトボードの前にある教卓は、プロジェクターを操作するコンソールと一体になっているため大きく、高さも大人の胸まである。隠れるにはもってこいだ。
 窓に面した壁のほうには五〇インチモニターとそれを乗せている台もあり、カーテンが覆い被さっている。とにかく、隠れる場所には事欠かない。
(でも……)
 礼は結論を完全に信用できなかった。
 はたして本当に第二講堂に隠れているのだろうか? こちらの裏をかくため、三階の別の教室、もしくは四階の第三講堂に隠れている可能性もある。第三講堂は第二講堂に比べて若干狭く、障害物も少ないが、講堂の奥にドアがあり、さらに奥へと逃走することができる。
 判断に迷った礼は、猿渡と木村に相談した。
「……というわけなんだけど、どう思う、番長?」
「うん。第二講堂だな」
 猿渡は礼の話を聞くと、コッキング・エアライフルの愛銃、L96A1カスタムの銃床をいとおしそうに撫でながら即答した。声は若干抑えてある。
「向こうに裏をかくほどの余裕はないはずだ。姐御の考え通り、第二講堂に潜んでいるんじゃないか?」
「俺も、番長の意見に賛成です。第三講堂から奥に逃げたとしても四階にはめぼしい隠れ場所がありませんからね」
 木村も猿渡の考えに同調した。
「でも二人とも、万が一のことも考えないと」
 礼は一応反論した。
「ここで連中を逃がすわけにはいかないのよ? 最悪の事態も考えておく必要があるわ」
「だったら、俺の隊で四階の部屋を虱潰しに探しますから、姐御の隊はまっすぐに第二講堂に向かったらどうです? どうせ俺の隊は空振りでしょうけど」
 木村は言った。その口調は自信に満ちていた。
「俺も同行しようか?」
 猿渡がからかうような口調で木村に言う。木村が何か返事をする前に、
「……わかったわ。このまま全員で第二講堂に突入しましょう」
 礼が迷いを振り払うように頷いて、決断した。いざというとき、猿渡の見張り能力が使えないのは痛い。それに、「自らの戦力は集中させて運用せよ」という戦術の原理に背く行動を、木村や猿渡にされてはたまらない。それで失敗したとあっては、目も当てられない事態になる。
「三人はこの階段に残れ。もう三人をもうひとつの階段に貼り付ける。絶対に二人を逃がすな。残りのものは第二講堂に突入。途中の部屋には目もくれるな」
 礼は先ほど一階に残したのと同じような部隊を選別して指示を与えると、三階への階段を駆け足でのぼり始めた。

 礼の判断は間違ってはいなかった。
 第二講堂に突入し、電灯を灯した瞬間、電灯をつけた隊員に向かってBB弾が三発飛んできた。その隊員はかろうじてその弾を避けると、
「ビンゴ!」
 と叫んだ。
「教卓の裏と、一番奥左側の机の陰に一人ずつだ!」
 射線を見て瞬間的に二人の潜む場所を突き止めた猿渡が全員に聞こえるように叫び、L96A1を構える。
 礼はその光景を見て、やはり猿渡を連れてきてよかったと思った。彼女だけでは、これほど素早くスパイ研の二人を見つけることはできなかっただろう。
「モニターや窓に弾を当てないように。突っ込め!」
 礼の号令で、行動隊の隊員たちはスパイ研エージェントに向かって躍りかかった。
 これを見て焦った杉本はガスガンを乱射した。そのうちの何発かが向かってくる隊員に命中し、行き足を鈍らせたが、抵抗はそこまででだった。
 たちまち全弾を撃ち尽くし、弾倉の交換をしようと教卓の裏に潜んだ杉本の内懐に飛び込んできた影があった。
「逃がさないわよ!」
 行動隊4番隊第四小隊長の『お嬢』酒井由香だった。強化プラスチック製の〈武蔵〉で、杉本の右手首を思いきり殴りつける。
 杉本が打撃に耐えきれず銃を取り落とすと、由香は返す刀で顔面を殴りつけた。杉本は大きくのけぞると低く呻き、鼻血を流しながら倒れた。
 机の陰に潜んでいた矢沢は、杉本とは異なり慎重だった。しっかり狙いをつけて撃ち、向かってくる白兵戦隊の隊員にその行き足を鈍らせた。その隙に、体を低くして逃げようとした。
 これを見た猿渡は、机の陰から矢沢を追い出すため、フルオート射撃ができる銃を持っている隊員に、フルオートでの射撃で白兵戦部隊がいるほうへと追い込めと命じた。その命令に従い、主に1番隊の隊員が、引き金を引きっぱなしにして乱射する。バラバラと矢沢の周りに弾がまき散らされた。
 たまらず頭を低くして逃げる矢沢の頭部に猿渡が狙いをつける。彼が持っているのはボルトアクション式ライフルのL96A1をカスタマイズしたものだ。連射はできないが、命中精度は折り紙つきの逸品である。
 徐々に呼吸を浅くし、銃床を肩に押しつける。スコープの中には矢沢が映っている。中心にある十字線は、ちょうどこめかみの位置と一致している。
 猿渡は目を細めた。決して焦ることなく、ごく自然に、引き金を引く。
 次の瞬間、狙い通り猿渡の弾が矢沢に命中した。射撃部に入って足掛け三年。そこで必死になって磨き、〈オジロワシ〉全体で五人しかいない『特級射手』の称号まで手に入れた腕が見事に発揮されて、猿渡は思わずにやりと笑う。
 ぐっと呻き、こめかみを押さえた矢沢の前に、まだ無傷の白兵戦部隊の隊員が立ちはだかった。
 その中の一人、墨染めの作務衣を着て頭髪を剃りあげ、サングラスをかけた加納がダッシュして距離を詰めると、矢沢の顎に掌底の一撃を浴びせてのけぞらせ、鳩尾に拳を叩き込む。よろけた矢沢を背負い投げの要領で投げ、両肘の関節を極めて床に押さえ込み、完全に抵抗を封じた。
「いいぞ、お嬢、行者!」
 勢子に徹していた猿渡が、二人を褒めた。それほど二人の手並みは鮮やかなものだった。

 床に転がした二人を後ろ手にして手錠をかけ、腹這いにさせてから気付け用のアンモニア入りの小瓶を嗅がせて正気を戻させると、礼は胸ポケットから封筒を取り出し、二人を見おろしながら中身を読み上げた。
「工学部情報工学科二年、杉本春憲。同じく二年、矢沢賢次郎。工学部一年の佐々木和孝を強迫し、スパイ研究会に強制入会させようとした容疑、並びに学園内での武器不法所持により、学園理事長の名をもって、両名に除籍処分を命じる」
「テメェらだって、武器持ってるだろうが!」
 最後のあがきとばかりに礼を罵る矢沢だったが、礼の隣に歩み出た猿渡が、矢沢の頭を思いきり踏みつけた。ちなみに、猿渡のコンバットブーツはソールに鉄板が入っているため、かなり重い。
「残念ながらな、俺たちは理事長と学友会から許可をもらって、こいつを持っているんだ。何なら、許可証を見せてやろうか?
 そもそもだな、俺たちがこいつを持ち歩くのは、テメェらみたいなはね上がり者を狩り出すときだけだ。テメェらみたいに、普段からこそこそとハンドガンなんて持ち歩かねぇんだよ、このドアホが」
 猿渡が抑えた声で言って、L96A1の銃口を顔に突きつけたため、矢沢も沈黙せざるを得なかった。
 引っ立てろという礼の命令で、怒りに顔を歪めた二人は荒っぽく引き起こされると、隊員に周りを囲まれ、小突かれながら、ドアから姿を消した。
「こちら姐御。任務は無事終了。容疑者は二人とも確保した。第二講堂から一階入口に向かって連行中。速やかに本隊に合流せよ」
 とトランシーバーで残してきた隊員に任務終了を告げると、礼は手近の椅子に腰を下ろした。
「お疲れさま、姐御。一服、どうだい?」
 猿渡はそう言って、胸ポケットからマルボロの箱を取り出して、礼に差し出した。
「私が煙草吸わないのは知ってるでしょう? それに、講堂内は禁煙よ」
 礼は講堂の壁に貼ってある「禁煙」と書かれた紙を指した。それを見た猿渡は口を軽く歪めて肩を竦めると、箱を再び胸ポケットに戻した。
「いつものことながら、一仕事終えると気が休まるわ」
 と軽口を叩く。
 しかし、内心はまったく逆だ。たとえどのような人間であろうと、相手は同じ大学に通う学生なのだ。そんな彼らの将来を奪うような任務を終えた後は、何ともやりきれない気分になる。これだけは、何度経験しても変わらない。それどころか、回を重ねれば重ねるほど、やりきれない気分が蓄積されてくる。
 言葉にこそ出さないが、この気持ちは行動隊全員に共通したものなのだろう。任務を終えた直後の彼らの目を見ればそれがわかる。
 しかし彼女は行動隊総隊長という責任ある地位についている。ほかの隊員も、いろいろと心の中で葛藤しているかもしれないが、表には出していない。そうである以上、礼は絶対に泣き言は言えない。
「あの二人、どうなるのかしら」
 礼は、あたりにいるのは猿渡だけだというのを確認すると、聞きようによっては寂しそうにも聞こえる口調で言った。
「あたしたちのせいで大学を除籍されて、一体これからどうするつもりなのかしら」
「……さてね」
 猿渡は、礼と向かい合うようにして椅子に座ると、礼の言葉に答えた。
「これからどうするかを決めるのは俺たちじゃない。あいつら自身だ。俺たちは上から与えられた任務をこなすだけさ。標的の身の上について考えると、次の仕事に差し支えるぜ。
 ……こんなこと、今さら俺に言われるまでもないだろ、姐御?」
「わかってる。あの二人が学園の秩序を乱したことは事実だし、同情はしないわ。
 でも、時々思うのよ。もしあたしたちが連中を逃がした場合、連中はどういう学生生活を送るんだろう。ここを無事に卒業した後は、どういう人間になるんだろう、ってね」
 礼は床に目を移して、ポツリと言った。
「……こう言っていいのかどうかわからないけど、変わらねぇと思うぜ」
 猿渡が、礼の横顔を見ながら、遠慮がちに口を開く。
「俺たちが荒療治で矯正しないことには、連中は罪を罪とも思わず、同じことを繰り返すことになるんじゃないか?
 ここを卒業しても同じさ。人間なんてものは、ちょっとやそっとのことでは変わらないもんだ。がつんと一発、目の覚めるような一撃を見舞ってやらないと、変わろうすらしないぜ」
 ここまで言って、大きく溜息を吐く。
「俺も、S研の連中に拉致されて、今の司令に助けられなけりゃ、いまだにヤンキー気取りだっただろうな」
 そう言って、礼から視線をそらした。
 静岡県内でも有名な不良だった猿渡がこの湘洋学園大学に入学してきてすぐに、スパイ研のエージェントとひょんなことから喧嘩になってしまい、幸か不幸か勝ってしまった。それを怨んだスパイ研のエージェントによって拉致されたのだ。そこで殴る蹴るの暴行を受け、入会すれば許してやると言われた。プライドの高い猿渡はそれを断固拒否し、また殴られた。
 やがて猿渡は、現司令・榊原治を部隊長とする〈オジロワシ〉行動隊に救助された。猿渡の失踪に不審を持った榊原や同じ学部の『コンピュータ』向井一也が〈オジロワシ〉を動かしたのだ。救出された猿渡は、榊原に礼を言い、入隊を志願した。
 この拉致をきっかけに、彼は自分が背負っていた『遠州一のワル』という看板が、あまりにも空しいものだと痛切に感じ、真人間に戻る決意をしたのだ。なおかつ、当時の〈オジロワシ〉司令・和田勇次郎の推薦で射撃部に入部した。さらに〈レッド・ロブスター〉に入団し、多くの友人を得た。そして現在に至っている。
「ごめんなさい。つらいこと思い出させたわね」
 礼が表情を曇らせた猿渡を気遣って言った。
「いいさ。連中が俺を拉致しなかったら、俺は今でもヤンキー気取りで、かえって俺が狩られてたかもしれないしな」
 そう言って猿渡は軽く笑った。そして腕時計に目を移し、
「一〇時か。お嬢は帰れるかな?」
 ポツリと漏らした。そのコードネームの通り『お嬢様』である由香の実家は江戸時代から続く武家の名門で、今では国内有数のグループ企業の会長である。
 由香は世田谷区にある自宅から通学している。大学から藤沢駅への最終バスがそろそろ出るころだった。これを逃すと、片道二万円以上かけてタクシーで帰るか、湘洋市内の知り合いの家に泊めてもらうかしかない。
「間に合わなかったら、私の部屋に泊めるわよ」
「でもよ、最近、お嬢は家に帰ってないんじゃないか? そろそろ両親が不審がるぞ」
 猿渡が懸念しているのは、由香が帰らないことに心配した両親が学園に問い合わせることだった。もしそのことから由香が〈オジロワシ〉の一員であることがわかったら、責任は誰に帰せられるのか。
「その心配は必要ないんじゃない? お嬢ももう子供じゃないんだし。それに、前にお嬢から聞いたけど、ご両親はお嬢が大学に入ってから放任主義になったらしいわよ」
 礼は猿渡の心配を打ち消した。
「なら、いいけどよ」
 猿渡はそう言うと、一服してくるという言葉を残して講堂から出ていった。
 室内に誰もいないことを確認すると、礼は自分の手を見つめた。
 またやった。自分と同じ学生を、自分の手で「葬った」のだ。他人の人生を台無しにしてしまった。
 一年のころは、ただ夢中で目の前の目標を叩き潰していた。二年になって、少しは状況が見られるようになり、責任と権限も大きくなったが、自分のしていることに疑いは持たなかった。
(でも、今は……)
 礼はぎゅっと目を閉じた。
 行動隊総隊長という地位に就いてから、彼女は自分のしていることに疑問を持つようになった。
 はたして自分には、他人を裁く権利はあるのか? 他人を踏みつけ、こちらの正義を押しつけることが、自分に許されるのか?
 礼は目を開け、再び己の手を凝視した。
 気のせいか、自分の手が血塗られているように思えた。


管理人のコメント

奇襲に失敗し、ターゲットは校舎の中に逃亡。オジロワシたちの追撃戦が始まります。

>彼女の後に続いて、部下の行動隊員六〇名あまりが一斉に自分が潜んでいたところから飛び出し

多っ! むっちゃ多っ!!


>スパイ研の人間も護身用としてエアガンを持っている。ただ、銃のカスタムの知識がないせいか、まったくと言っていいほど改造をしていない。

これは意外でした。スパイ研側も怪しげな(笑)武器をいっぱい持ってるものだと思ってましたが…


>強化プラスチック製の〈武蔵〉

ある意味、改造ガスガンなんかよりよほど凶悪な武器です。


>静岡県内でも有名な不良だった猿渡がこの湘洋学園大学に入学して

不良の割に、大学入れるくらいには勉強してたんですね…実は堅実な人なのかもしれません(笑)。


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