オジロワシ血風録

  
第一章 三号事件



5.夜の戦士たち



 五月一三日、午後八時。月は雲に隠れている。明かりのあるところ以外は暗く、物の区別もつきづらい。
 特に用事のない学生以外はすでに家路につき、サークルや部活動、課題などで学園内に残っている学生も、そろそろ帰り支度をし始める頃合だろう。
 礼はそんな中、北門付近にある植え込みの影で、襲撃準備をしていた。ヤブ蚊が出るにはまだ早い季節であるため、虫さされの心配はさほどないが、顔のまわりには小さな虫がたかってくる。それを払いのけながら、礼は自分の愛銃、八九式小銃のグリップ感触を確かめていた。
「こちら姐御。ガード、正門にはまだ学生は大勢いるの?」
 礼は、携帯無線機の向こうにいる1番隊第二小隊長の『ガード』木村泰徳にたずねた。木村は二年でありながら、猿渡を差し置いて別働隊の隊長をまかされ、正門付近で警戒にあたっている。このことだけでも、木村に対する礼の信頼がうかがえるだろう。
『こちらガード。ええ、まだいます。ここから見えるだけでも、五、六人はいますね。
 ……ちょっと作戦開始には、時間的に早すぎるんじゃないですかね?』
「そんなこと、わかってるわよ」
 木村の批難めいた言葉に、礼は思わず口を尖らせる。
「別に、今、仕掛けるわけじゃないのよ。早めに展開していようっていうこと。何か動きがあったら知らせて」
『それについてはラジャーです』
「そう。……いったん切るわよ」
 礼は無線を切ると、懐中時計で現在の時刻を確認して、
(ガードの言うとおり、確かに襲撃にはまだ早いわね)
 と呟いた。この懐中時計は、以前石川とデートしたときに、彼に買ってもらったものだ。決して高価なものではない。ただ、表面の彫刻が彼女は気に入っていた。
(まだ、全員帰ってないじゃない。困ったなぁ。でも、連中はだいたいこの時間に下校するっていうし。しょうがないのかも)
 礼が悩んでいるうちに、木村から連絡があった。
『ああ、あの連中、帰るようですね……。これでこちら側には、目に見える範囲には誰もいなくなりました』
「こちら姐御、こっちはまだ人がいるわ」
 礼は物陰から様子をうかがった。まだ三、四人ほど、学生がいる。
「できればこっちには来て欲しくないわね」
『無責任な意見ですが、姐御のほうに来てもらえれば、あっさりカタがつくんで、楽なんですけど』
 木村は無責任そうな口調で言った。
「私たちの姿を一般の学生に見られてもいいっていうの?」
 礼は木村の勝手な意見を、苦笑を含んだ口調でたしなめた。
『そういうわけじゃないです。でも、姐御の隊のほうが、総合的な火力は上ですからね』
「でも、頭数はそっちのほうが多いのよ。そりゃ、銃を持っている人間の数は少なくしたけどさ」
 礼は軽く笑いながら、木村隊にもう少し銃を持った人間を配備したほうがよかったかと後悔した。
 今回の作戦に投入された者のうち、電動・ガス・コッキングなどの種類を問わず、エアガンを持っている人数は、合計で七八人いる。礼はそのうち二〇人を木村に預けていた。数が少ない分、なるべく腕の立つ者を優先的に割り振ったが、その数は少なく一抹の不安を感じる。それを埋め合わせるように、3、4番隊の人間は、それぞれ一個分隊を残して、全て木村隊に割り振っていた。
(もう一〇人くらい、ライフルマンを預けてもよかったかな?)
 礼の脳裏にそんな後悔の念がよぎったのも、無理からぬことではあった。
 しかし、礼はその後悔を脇に置いておくことにした。今更後悔しても仕方がない。不安そうな言葉を口にはしているが、木村が二人を発見した場合、うまく手持ちの人員を指揮して、速やかに捕らえることができるだろう。何といっても木村は、戦術面では礼の、性格的には猿渡の薫陶を充分に受けている男なのだから。
 礼は再び懐中時計に目をおとした。午後八時を二〇分ほどまわっているが、二人の姿は見えない。もしかしたら、別の出口から出ていったのでは……。礼の脳裏に、不吉な考えがよぎる。
 湘洋学園大学には正門、北門、東門と、三つの出入り口がある。このうち学生出入りが多いのは、駐車場に近い正門とバスターミナルのある北門で、東門は教授や事務員が主に使っている。とはいえ、東門を使う学生がいないわけではない。この近くにはバイクの駐輪場があるからだ。
 礼は、杉本と矢沢が東門から下校するのを恐れた。東門にはまったく人間を配置していない。石川から回ってきた、『二人ともバイクで通学していない』という情報を信じるしかなかった。
 時間が刻々と過ぎていった。正門前で談笑していた学生も一人、また一人と減っていき、礼達が潜んでから五〇分後には、誰もいなくなった。
 時刻は午後九時を回っている。この時間になると、バスも一時間に一本程度になり、バスの運転手に見られる危険性も低い。石川の情報によれば、そろそろ二人が下校するころだ。
 礼は一時的に茂みから出て、あたりの様子をうかがい、誰もいないことを確認すると、無線機のチャンネルを変え、
「姐御より総員へ。正門付近に学生はいなくなった。目標が姿を見せ次第、攻撃を開始する」
 と無線機越しに言った。それを聞いてほっとしたのだろうか、隊員たちが潜んでいる茂みのいくつかががさがさと揺れた。
「こらこら、気を抜くんじゃないの」
 礼は、茂みを揺らした隊員に、苦笑しながら注意する。
「誰が見てるかわかんないんだから。気を引き締めること」
 という注意を与えていると、
『こちら行者。姐御、来ました』
 という報告が、『行者』加納勇からあった。彼は白兵戦部隊である4番隊の隊員で、骨法同好会に籍を置いている。彼の着ている墨染めの作務衣は、このような闇夜には格好の迷彩だ。ご丁寧なことに、顔だけでなく、剃りあげた頭にもドーランを塗り、徹底的に偽装していた。
 加納が報告したとおり、間もなく、二人の男が談笑しながら礼たちの潜む正門に向かって歩いてきた。
 二人の影を見た礼の顔が引き締められた。音をたてないように急いで、さっきまでいた茂みに戻る。加納が知らせてきた方向に視線を向ける。
「こちら姐御、確認した。二人ともいるね」
 声を抑え気味にして、礼は無線機を通じて木村に言った。礼の視線の延長線上に、彼らが待ち受けていた人物――杉本春憲と矢沢賢次郎とがいた。二人とも、まったく警戒の色を見せていない。このままだと、完璧な奇襲をかけることができる。
「姐御よりガード。こっちに来て。静かに、だけど急いで」
 礼は声を潜めて、木村に要請した。二人に聞かれるとは思わないが、万が一の用心のためだ。
『ガード、了解』
 木村も声を潜めると、無線で短く交信した。木村のことだ。すぐにでも来援に駆けつけるだろう。だが、間に合うとは思えない。何しろ、すでに二人とも電動ライフルの最大射程に入っているのだ。
 礼は決断した。木村隊抜きで奇襲をかけよう、と。不安はあるが、今はあたりに他人がいない。奇襲をかけるのには絶好の環境だ。確実だが時間のかかる戦法より、多少荒っぽくても素早く事を運ぶのがいいだろう。それに、もしここで攻撃を躊躇していると、この後攻撃を仕掛ける場所はなくなる。つまり、攻撃を仕掛けるタイミングを完全に逸してしまう。そうなると佐々木がスパイ研入りさせられてしまう。そうなれば、何のために自分たちが動いているのかわからなってしまう。状況が自分たちに有利なうちに事を運ぶのが最善の選択だ。礼は自分をそう納得させた。
「姐御より1、2番隊各員へ。状況始め。変声器付け。構え」
 礼は無線機のチャンネルを変えて作戦開始を宣言すると、配下のエアガン装備者に矢継ぎ早に命じた。そして、自分が付けているフェイスマスクの口の部分に、マッチ箱大の変声器を取り付けた。万が一姿を見られても、声を変えておけば、正体はわかりにくくなる。
 変声器を付けると、礼は地面に片膝をついて、八九式小銃を構える。射程を伸ばしパワーを上げてある、「仕事」用の銃だ。
 礼は、普段のゲームでは絶対にこの銃を使わない。すでにカスタマイズという範疇を超えた改造をされたこの銃は、メカボックスとスプリング、ピストンなどを交換して弾速を上げているため、たとえ〇・二グラムのBB弾を使っても危険なのだ。下手をすると、脳震盪を起こさせかねない。
 それでも彼女がこの銃を使うのは、確実に対象を無力化できる打撃力(ストッピングパワー)を重視しているからに他ならない。
 彼女は、この銃の引き金を引くときには、どれほど相手を憎んでいても、心の中で済まないと詫びながらにしている。それほど礼は、改造した銃を撃つことにためらいを感じていた。
 礼はセイフティを外し、セミオートの位置にセレクターを動かした。暗視スコープをのぞきながら、矢沢の太股に当たるように照準を合わせた。
(弾着は低く。必中距離まで引きつけて……)
 礼は心の中で繰り返し呟いた。
「狙え……」
 引き金に指をかけながら、礼は号令をかけた。そのままの姿勢で、矢沢が必中距離に入るのを待った。呼吸を浅くし、銃口がなるべくぶれないように気を使う。
 そのままの姿勢でしばらく待つ。そして、矢沢が必中距離に入ったと判断すると、
「撃てっ!」
 と、礼は叫んだ。そして、自分は一呼吸の間をおいて、吐き出している息を止めて、引き金を引いた。
 礼の命令で、1、2番隊の隊員は一斉に射撃し、電動ガンの射撃音が微かに響いた。礼は、次の瞬間に矢沢が足を押さえてうずくまる光景を思い浮かべていた。
 しかし、一斉射撃の瞬間に突風が吹き、弾は全て矢沢の頭上を飛びすぎていくか、手前の地面に当たった。礼が撃った弾も、矢沢の足下で大きく跳ね、臑に当たっていた。矢沢を狙っていたにも関わらず、杉本に当たったものもある。しかも、それらはことごとく急所を外れ、動きを封じるほどの打撃を与えてはいないようだった。
 自分たちの周りにBB弾が飛んできて、それに加えてその一部が体に当たるのを見て、ぎょっとした顔をした矢沢と杉本が構内に向かって逃げ出す。
(しまった! 風で弾が散った!)
 奇襲に失敗し、礼は顔色を失った。

 後藤誠は、報道部が発行している学内新聞の編成会議がを終え、ようやく帰宅の準備に入ることができた。報道部員と一緒に帰る約束をしていたので、それを待ってサークル棟を出た。家に帰ってTVでも見ようと思って中庭に出たとたん、「撃てっ!」と言う声と電動ガンの射撃音が微かに聞こえた。それからしばらく経つと、複数の靴音が聞こえてきた。
「なんだ、今の?」
 後藤の隣にいた報道部員が、その音を聞きつけ、後藤にたずねた。
「ん? 〈レッド・ロブスター〉の連中じゃないか? ほら、時々、連中が校舎内で撃ち合いをやってるだろ? あれじゃねぇの?」
 後藤は大学公認サバイバルゲームチームの名前を出して答えたが、本当はそう思っていない。今日は〈レッド・ロブスター〉の活動日ではないし、そもそも、「サバイバルゲームを一般の人に理解してもらう」ということを日頃から公言している礼が、こんな時間に電動ガンを構内で撃つはずがない。
 後藤には、この音が何を意味するのか、よくわかっていた。隊長級会議には出ていないが、内部から見ていると大きな作戦が行われるであろう事は察しがつくものだ。
(報道部の人間が残っているのに、〈狩り〉をおっ始めるなんて、ちょっと軽率すぎるじゃないか?)
 後藤は心の中で舌打ちしていた。
 おそらく今のは、〈オジロワシ〉行動隊の連中だろう。スパイ研究会の連中を追って、この時間に攻撃を仕掛けたらしい。
(攻撃を掛けるっていうこと自体はいいけど、もうちょっと自分たちの置かれている状況を考えたらどうだ? こんな時間に騒ぎを起こして、他の学生に見られたら、いったいどうするつもりなんだ? 言い訳なんかできっこないだろうが)
 後藤の愚痴――もちろん、声に出したりはしない――は、おそらく指揮を執っているであろう礼、そしてこの作戦の発動を指示した榊原に向けられていた。
 しばらくすると、大勢の人間がこちらに向かって走ってくるような、荒々しい足音が聞こえてきた。後藤は思わず頭を抱えた。行動隊が〈狩り〉をやっているらしいが、とてもではないが、『行動の秘匿』とは縁遠い足音だった。
「おい、あの調子からすると、ゲームなんかじゃないようだぞ。スクープの臭いがするぜ。経済学部棟に行ってみようよ」
 後藤の連れは、嬉々として駆け出そうとする。報道部員として当然の行動と言えるのだが、後藤にとってみればいい迷惑だった。
「よせって。流れ弾に当たったら痛いぞ。
 そうでなくても、神崎さんは俺たち報道部の取材を嫌ってるんだ。取材してるのがばれたら、後でヤキ入れられかねないぜ。
 それに俺は、あの人が苦手でね。神崎さんが団長になったときに取材を申し込んだんだけど、あっさり断られた。それでもしつこく食い下がっていると、『後藤君、そんなに的になりたいの?』ってすごまれてね。それ以来、目を付けられてるみたいなんだよ、俺。
 今、のこのこと向こうに行こうもんなら、問答無用で撃たれかねない。な、止めようぜ。なっ?」
 後藤は何とかして連れに思いとどまってもらうよう、必死に、しかしわざとらしくならないよう言葉を選びながら説得した。
「それもそうだな。俺も神崎さんは怖いし。今日は帰ろう」
 学生は後藤の言葉に答え、東門へと向かった。
 後藤もまた〈オジロワシ〉の一員である。『レポーター』というコードネームを持っている、探索隊の隊員だ。
 先に述べたように、〈オジロワシ〉は一般の学生にはその存在自体を秘密にされている。過去にあった学生同士の対立を契機として創設された〈オジロワシ〉は、徹底した秘密主義でその存在を一般の学生たちから隠していた。
 後藤は何としてもこの秘密を守らねばならない立場にあった。万が一、その存在が学内新聞や学内放送、口コミなどで知れ渡ったら、〈オジロワシ〉に所属している全員が、理事長命令で大学を辞めねばならなくなる。
 昔は後藤も、隙があれば〈オジロワシ〉のことを学内新聞に載せてやろうと考えていたが、今は違う。何があろうともこの秘密は守らなければと思っている。
 後藤は東門へと向かった。『狩り』は正門と北門で行われているようであり、東門からはその音は聞こえてこない。それになにより、後藤もその連れも、東門の駐輪場に用事がある。バイクで登下校しているのだ。
 東門へ向かう途中後藤は、ベンチに座っている顔馴染みの探索隊員を見つけた。一見すると、サークルでの活動を終えて休憩しているように見えるが、彼は一般の学生が戦闘区域に立ち入らないように見張っているとともに、スパイ研の逆襲に備えて見張りをしている隊員だった。
 無関係な人間を連れている後藤を見つけて、その隊員は指先で合図した。
『バレてないだろうな?』
 後藤はその合図に軽く頷き、友人を連れて東門から学園の外へ出た。


管理人のコメント

 いよいよ決戦開始。ですが、万全の体制で開戦を迎えても、齟齬と言うのはでるもので…

>特に用事のない学生以外はすでに家路につき

 八時でこれは早いですね。この大学には夜間部はないのでしょうか。


>たとえ〇・二グラムのBB弾を使っても危険なのだ。下手をすると、脳震盪を起こさせかねない。

 限度を知らないにもほどがあります(笑)。


>しかし、一斉射撃の瞬間に突風が吹き、弾は全て矢沢の頭上を飛びすぎていくか、手前の地面に当たった。礼が撃った弾も、矢沢の足下で大きく跳ね、臑に当たっていた。

 そして、それだけの改造をしても、やっぱり軽い弾は簡単に風に流されてしまうようです。


>時々、連中が校舎内で撃ち合いをやってるだろ?

 場所はちゃんと選びましょう。

 奇襲は失敗し、戦いの場は校舎内へ。果たして、オジロワシは二人を捕らえられるのでしょうか?


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