オジロワシ血風録

  
第一章 三号事件



 
4.隊長級会議



 榊原や石川、そして当直で残っていた山田の連絡を受けて、行動隊の番隊隊長、探索隊の学部班長クラスの人間が、続々と旧経済学部棟三階の中会議室に集まった。なかには、猿渡や会計部部長の『算盤』首藤慎也のように自宅でくつろいでいる最中に招集された者や、礼や4番隊隊長の『与作』大川秀明のように睡眠に入っている者もいた。そのため、全員が集まって会議が始まったのは、午前〇時をかなり回ってからであった。
 最後に来た猿渡が自分の席に着いたのを見計らって、榊原は石川のレポートをコピーしたものを全員に配布し、会議の開会を宣言した。
「かねてより調査中の三号事件に関する情報が集まった。探索隊総隊長、報告を」
 榊原が厳かに石川に向かって言った。『三号事件』とは「佐々木和孝強迫事件」の〈オジロワシ〉内の名称である。この名称自体に深い意味はない。司令が気分次第で付けるものである。
「はい」
 石川が起立し、彼が先程まで書いていたレポートを読み上げる。
「当該事件について、探索隊が調査を行っていた結果及び情勢見積もりについて、これまでに判明していることを報告する……」
 という言葉から、石川の説明が始まった。
「被害者は工学部建築学科1年・佐々木和孝。彼はS研会員で工学部情報工学科2年・杉本春憲、同じく2年・矢沢健次郎の両名から執拗にS研への入会を迫られ、ノイローゼに近い症状を患っている」
 石川はまず事件の背景説明から始めた。自分たちがなぜここに集まり、これから何をしなければならないのか、それを皆に理解させるためだ。
 会議室に集まっている人間は全員、その言葉を一言も聞き逃すまいと、真剣な面もちで石川を見て、彼の言葉に耳を傾けた。
 石川は今回の工作を、あくまでも一個人――容疑者は二人いるが――の暴走によるものだと断定した。その上で、
「……以上のことから、杉本、矢沢の両名は、スパイ研究会における自らの地位を磐石のものにするため、なりふり構わぬ会員数の増加に踏み切ったものと思われる」
 と、自らの推測を付け加えた。反発する声はあがらない。それほど、この分野において、石川信光という人間は信頼されている。
「だろうな」
 猿渡が小声で呟いた。
「人の迷惑をかえりみず、自分たちだけよければそれでよし、かよ。さすがはエゴイストの集団、S研らしいと言うべきかな」
 猿渡の隣にいた山田が、これまた小声で言う。
「……これまで述べてきた状況から、状況は予断を許さないと判断、探索隊総隊長は司令に対し、杉本および矢沢の排除のため、行動隊の出動を要請する」
 石川の発言に対し、榊原はすぐには返事をせず、全員に自由発言を許した。
「連中、S研の過激派だったね。会員数も頭打ちになってるし、いよいよ、手段を選ばなくなってきたっていうことかしら?」
 石川の真向かいに座っている礼は、端整な顔をしかめた。彼女は行動隊総隊長と1番隊隊長を兼務している。
 〈オジロワシ〉の摘発・検挙行動により、スパイ研の会員数は減少傾向にある。礼が言ったのはその事実をふまえてのものだった。
「だとしたら、俺たちにも責任があるのかもしれないな」
 山田は、心なしか暗い表情になっている。
「俺たちは連中を叩きすぎたのかもしれんな。追いつめられて、自暴自棄になった。今回の背景にもそれがあるんだろう。
 今度の作戦が終わったら、これからの短期戦略の見直しをする必要があるかもしれない。強硬策一辺倒というのも問題がある」
 山田は静かに言った。山田は以前から、スパイ研の徹底弾圧には懐疑的で、慎重論を唱えていた。
「それは別の機会に話し合うことにしよう。今回は、連中を徹底的に叩いてくれ」
 榊原は、話がそれてないかと言いたげな目で山田を見た。確かに自由発言を許可したが、それはあくまで今回の作戦についての発言を許可したのであって、〈オジロワシ〉の長期戦略について議論を行うためではない。榊原に睨まれた山田は恐縮したように首を竦めて、口を閉ざした。
「私は探索隊総隊長の進言を受け入れる。行動隊総隊長は部隊を選抜、本作戦に従事させよ。規模は総隊長所定とする」
「了解しました、司令」
 榊原の命令に対し、礼が力強く頷いた。
「今回の投入戦力には、1番隊から二個小隊、2、3、4番隊から各一個小隊に出動を命じます。残りの部隊は構内各部の警備に動員、万が一の際の後詰めに充てます。指揮を執るのは、この私です」
「そこまでの戦力が必要か?」
 山田が首をかしげた。
「相手にするのは、たった二人のS研エージェントだぞ?」
「火事はぼやのうちに確実に消し止めたいの。部隊を小出しにするよりも、最初から大兵力を投入して、一気に事態を解決する。危機管理の基本よ」
 礼の言葉には、迷いはなかった。
「でも、2番隊が必要か? スナイパーの出る幕はないと思うぞ」
「作戦を確実なものにするためには、どうしても2番隊が必要なのよ。いえ、2番隊というよりも、番長が必要なのよ」
 ここで礼は猿渡の顔を見た。
「というわけで、今回の作戦には、あなたも出動してもらうわよ」
 にこやかな表情の礼に言われ、今度は猿渡が驚いた。
「ちょっと待ってくれ。俺もか?」
「ええ。番長の目が、それに2番隊の支援が、今回の作戦には必要なのよ」
 礼がにこやかな表情を崩さずに言い切った。
「……理由は説明してくれるよな?」
「もちろん」
 礼は机の上に置かれたペットボトルから、ミネラルウオーターを直接飲んだ。一息つくと、ゆっくりと口を開く。
「夜間における作戦では、番長の視力ははずせない。私も夜目は利く方だけど、番長にはかなわないからね。敵と味方を瞬時に見分けて、正確に攻撃するのに、番長は絶対に必要なのよ。
 それと、最悪の場合、隊を二分することもあるかもしれない。その際に番長に別働隊の指揮を執ってもらいたいのよ。
 ……ああ、勘違いしないでもらいたいんだけど、別に博士や与作のことをないがしろにしてる訳じゃないのよ? 単に、向き不向きを考えたら、番長を連れて行く方がいいと思っただけ」
「なるほどね」
 大川が言った。
「確かに俺は捜し物がうまい訳じゃないからな。番長にやってもらった方がいい」
「それは俺も同じだな」
 山田も大川の言葉に同意する。
 その言葉を聞いて、礼はわずかに顔をしかめた。自分の言っていることの意味が正確に伝わっていないのではないかと感じたのだ。しかし、山田と大川がウィンクしながらかすかに頷いたのを見て、彼らの真意を悟った。二人はあえて礼の言葉を誤解することで、これ以上の反論を許さなくしたのだ。礼は肩の力を抜き、榊原に向き直った。
「どうでしょう、司令」
「うーん、番長か……」
 榊原は困ったようにうなり声を上げた。
「任せたと言ったあとでこう言うのも気が引けるが、番長は次の作戦で出てもらいたかった。ここで行動隊の二枚看板を使い切るわけにはいかないからな」
 猿渡は行動隊副隊長であり、席次的に礼のすぐ下に位置する人間だ。通常は、総隊長が出撃するときには副隊長は待機し、副隊長が出るときには総隊長は待機する。もしこの二人を同時に使ったら、次の作戦ではどちらも出られなくなってしまう。
 〈オジロワシ〉の内部規定では、一回出撃した者は、その次の作戦に出られないと定められている。これは隊員のオーバーワークを防ぐためと、同一人物が長期にわたって校内をうろついていると怪しまれ、〈オジロワシ〉の存在が露見しかねないからだ。もっとも、この内部規定は拘束力を持つものではないため、司令の裁量次第でいくらでも融通が利くのだが。
 榊原がその点を指摘すると、
「次も私が出ます。私なら、何とでも言い訳ができますから」
 と礼は答えた。
 礼は遅くまで構内にいることが多い。ゼミの関係で遅くまで図書館にいることもしばしばあるし、彼女が団長を務める大学公認サバイバルゲームチーム、〈レッド・ロブスター〉のゲーム用のフィールドを探すために構内をうろつくことも、しばしばある。この日も、まだ構内にいたため、会議室についたのは早かった。
「わかった。姐御の意見に賛成しよう。では、今度の作戦は1番隊から二個小隊、2、3、4番隊から各一個小隊を投入するとしよう。
 作戦決行日は、五月一三日。異議はあるか?」
 榊原はそう言って、会議室内の人々の顔を見回した。しばらく様子を見て、反対意見が出ないことを確認すると、
「よし、これで決定だ。作戦開始の細かい時刻は、現場指揮官である姐御に一任する。
 ご苦労だが教授、もう少し働いてくれ。情報は多いに越したことはないからな」
 と榊原は締めくくった。石川は、了解と答えた。
「では、解散だ。こんな遅い時間に呼びつけてしまい、とくに遠くに自宅がある面々に申し訳ないと思っている。早く自宅に帰って、体を休めて欲しい。以上だ」
 榊原はそう言うと、自らも帰り支度を始めた。
 会議室に集まった全員は、互いに頷きあってから会議室を出て、各々の自宅、もしくは自室へと帰っていく。その一方で、遠くに自宅のある学生は帰るのを諦めて、仲のいい隊員のアパートに転がり込む算段をつけたり、旧経済学部棟に多数存在する空き講堂に泊まり込む準備を始めていた。


管理人のコメント


ついに「オジロワシ」の幹部たちが結集。さて、どんな決定が下されるのでしょうか?

>この名称自体に深い意味はない。司令が気分次第で付けるものである。

まぁ、こうした事も相手の諜報を混乱させる効果がありますからね。


>会員数も頭打ちになってるし

オジロワシが1000人、S研がどのくらいの人数なのかはわかりませんが、同程度としても、そりゃこうした事にキャンパスライフを費やす人は少ないでしょうね(笑)。


>最初から大兵力を投入して、一気に事態を解決する。

S研が黙ってみているかどうかもわからないし、この判断は正解かもしれません。


>よし、これで決定だ。

ついに作戦は動き出しました。オジロワシVSスパイ研究会の勝敗の行方やいかに?


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