オジロワシ血風録
第一章 三号事件
2.オジロワシ愛好会
山田と佐々木が始めて顔をあわせた日の夕方。
一日の講義が終わって、サークル活動へと向かおうとする学生たちの中に、山田の姿もあった。
山田は今は使われていない旧法学部棟に入り、三階に上がると、奥まったところにある教室の前で立ち止まった。もしここに学生が通りかかったら、彼、もしくは彼女は、使われていない教室に何の用があるのか、と疑問に思うだろう。
そして、この教室を使用しているサークルについて思い出そうとしたら、その学生は、「あ、ここは〈オジロワシ愛好会〉の活動部屋だ」だと思い出すかもしれない。
〈オジロワシ愛好会〉は自然保護をテーマとして活動しているサークルである。とはいえ、これといった活動をしているわけでもなく、半ば名前だけの存在となっている。
山田も、その〈オジロワシ愛好会〉の一員だった。だが、とくに自然保護に興味があるわけではない。それどころか、本意ではないにせよ、彼は放課後のある時間を割いて、自然破壊に類する行動を行っていた。
山田は閉じられているドアを直接開こうとせず、ゆっくりと二回ノックし、若干の間をおいて五回連続で素早くノックした。
若干の間をおいてドアが開いた。ドアを開けたのは、縁無しのメガネをかけ白衣を着た男だった。まだ若い。
ドアを開けた男が着ている白衣の胸には『石川』という刺繍があり、指に火のついていないタバコとライターを持っている。これから火を付けるところだったのだろう。
その男は山田を見て、
「あ、博士か」
と言って、山田を教室内へと誘った。通常『博士』と呼ばれるのは、大学院の博士課程を修了したものだけであり、一番若くても、30歳目前の人間である。しかし、山田は『博士』と呼ばれたことを気にする風でもなく、
「教授、姐御や番長はいるかい?」
と男にたずねた。
「いや、まだだ。〈レッド・ロブスター〉のほうにいるんじゃないか?」
『教授』と呼ばれた方も、とくに気にした様子も無い。この大学で教鞭をとっている教授にしては、あまりにも若すぎる。恐らくは、あだ名のようなものだろう。
「〈レッド・ロブスター〉? 今日は活動日じゃないはずだけど」
「急ぎの用事でもあるんだろう。あれこれ考えたって、仕方ないって」
『教授』こと理学部化学科三年・石川信光は顔色一つ変えずに答えた。
こうして目の前で見ると、石川という青年は真面目で人のいい学生に見える。
しかし、一部の学生には鬼のように恐れられ、蛇蝎のごとく嫌われている。また一部の学生からは逆に神のごとく尊敬されてもいる。学生の立場によってこれほど評価の異なる人物は、今の大学生では珍しいだろう。
「ところで、あの二人に用があるってことは、何かキナ臭い動きでも見つけたのかい?」
石川は、指に挟んであったラッキーストライクをくわえ、火を付けながら山田にたずねた。
「俺の勘、プラス虎徹の怪情報だけどね」
山田は手近にあった椅子に腰を下ろし、こちらは胸ポケットからマイルドセブンを一本取り出し、火を付ける。
「今日の昼、学食でおととい虎徹が言ってた後輩に会ったんだ。そいつの様子が、どうもおかしい。話しかけても、どこか上の空だった。虎徹から聞いていた話とは違っていたな」
山田はゆっくりと話し始めた。話の内容から察するに、『虎徹』というのは、物理研究部部長・柳生晴信のことだろう。
石川は時折タバコをふかしながら、黙って聞いている。時々、目があちこちに泳いでいる。しかし山田は気にしない。
「何かに怯えているようにも見えたし、寂しそうでもあった。虎徹にも聞いていたんだが、物理部のほうでも精細を欠いているらしい」
山田は石川に学食で体験したことを話した。
石川はそれを上の空で聞いているように見えた。しかし、石川と付き合いの長い山田は、このような仕草を見せるとき、石川が真剣に話を聴いていることを知っていた。石川が話を聞いていると確信した山田は、身を乗り出して声を潜めた。
「……これは俺の推測だが、S研と関わりがあるかもしれない。教授のほうで調べてもらえないか?」
「……そいつの名前は?」
何気ない様子でタバコをふかしていた石川の細い目が、山田の話を聞いてきらりと光ったかに見えた。正確には、『S研』という言葉を聞いた瞬間に。
「工学部一年、佐々木和孝。平和の和に、親孝行の孝だ」
「学籍番号は分かるか?」
「そこまではわからん」
「S研が絡んでいるって確証は?」
石川は山田に鋭い視線を向けながら追及してきた。先ほどまでのぼんやりとした様子は、今はまったく感じられない。
「だから、俺の勘に過ぎないって。ただ、万が一ってこともあるだろ?」
山田は微かに眉を寄せると、石川の目を見た。
「……わかった。何かあったらまずいことになる。工学部班の人間に調べさせてみよう。手がかりがつかめるかもしれない」
石川はそう言って頷くと、窓につかつかと歩み寄りカーテンを閉め、火災報知器に擬された隠しドア開閉用のスイッチを押し、隣の部屋へと向かった。
そこには机が一つだけあり、電話およびパソコンなどが乗せられていた。石川はパソコンの電源を入れ、学内LANに接続した。そして学生名簿を呼び出し、佐々木の学籍番号を確認する。
引き続きメーラを起動する。メール作成画面を呼び出すと、宛名欄に「工学部」、CC欄に「文学部」「経済学部」「法学部」「理学部」を選択し、本文欄に以下の文をタイプした。
「 発 目の親分
宛 トンカチ、テスター、歯車、マウスの目
回覧 目の総員
至急命令。
工学部建築学科一年の佐々木和孝(学籍番号:05T11084)に接触し、探りを入れろ。彼は硫黄がらみで苦しんでいるという未確認情報あり。彼の悩み、もしくは彼の周りにいる者についてわかり次第、目の親分に連絡を入れるように。繰り返す。これは至急命令である」
入力を終えると、石川は「メール送信」タブをクリックした。これで探索隊員すべてに連絡が行き渡ったはずだ。
石川はメーラを終了させた。
「詳しいことがわかるまで、そうだな、一週間はかかるだろうな」
石川は山田に顔を向けた。
「それまでぼけっとしているのもなんだし、番長と姐御に話を付けて、これからのことについて相談でもするか?」
石川はこの組織の幹部らしい二人の名を挙げて、彼らを探しに出ようと白衣の前ボタンを外しだした。さすがに、白衣は学生たちの中では目立ちすぎる。
「まぁ、待とうや。連中、一時間もしないうちに来るだろ」
山田はそう言って、ニヤリと笑い、
「まず間違いなく、姐御はもうすぐ来る。だろ、教授?」
と続けた。
「そういえばそうだった。俺との約束があったんだ」
石川もニヤリと笑い、ボタンを外していた手を止めた。
彼らは、湘洋学園大学学内治安維持組織、通称〈オジロワシ愛好会〉の一員だった。
学内治安維持組織としての〈オジロワシ愛好会〉は、学生有志による学園内警察と呼ぶべき組織であり、自然保護サークルの〈オジロワシ愛好会〉と同じ名前だが、構成員が同じというだけで、活動内容はまったく異なっている。
彼らは湘洋学園大学の陰の組織として、一般の学生には存在自体が秘密にされている。その理由として、一般学生に無用の動揺を与えてはならない、というのが挙げられている。
今から一三年前、大学構内に設けられていた防衛関連研究機関の排撃を主張する学生のデモ隊とその反対派、および神奈川県警の機動隊とが学内で衝突し、流血の惨事となった。マスコミには「遅れてきた〈学園紛争〉」と揶揄され、一時期入学志望者が大幅に減ったことがある。
そのような経験があるだけに、現在の学園の経営者は学生たちの動きに非常に神経質になっていた。そのため、「自分たちを陰で監視する者の存在を知らせて、学生を刺激しないほうがいい」と判断し、この組織のことを秘密にしたのだ。
〈オジロワシ〉には四年生の司令が一人いて、その下には、学園内の情報を探り学生内の不穏分子の動静を探る『探索隊』と、探索隊の情報や判断に基づいて不穏分子を物理的に排除する『行動隊』の二つに大きく分けられている。
このほかにも、隊の財政を管理する『会計部』や、隊員の装備を考案・開発する『兵器局』(製造は外部に委託している)、司令を補佐する『顧問会議』などといった部署が存在する。隊員数は、全てをあわせると一〇〇〇人を超える、大学一の組織だ。
石川はこのうちの探索隊を仕切る総隊長の地位にある。
一方、スパイ研究会――〈オジロワシ〉の隊員はめったにその名を口にせず、侮蔑と憎悪の意味を込めて『S研』と呼んでいる――は、一般の学生には存在が知られているが、どんな人間が所属し、どんな活動をしているのかは、まったくと言っていいほど秘密にされている。
この会については、わかっていることが少ないため、さまざまな噂がある。あるものは政府の諜報部員の養成機関だと言い、またあるものは極左過激派の一派で単なるテロリスト集団だと言っている。極端な噂の中には、世界征服を企む組織の出先機関だという説もあり、それだけ学生がこの会を不気味に感じていることを如実に表している。
そして、彼らが一三年前の学生デモを煽動した張本人であることを知るものは、皆無と言っていい。〈オジロワシ〉の隊員でさえも、よほど高位のものでない限り知らされない。石川クラスの人間になって、ようやくその一部を知らされる程度だ。
山田の言葉通り、それから間もなく、先程彼がしたのと同じリズムのノック音が聞こえた。
「俺が出るよ」
入り口近くにいたため席を立とうとする山田を手で制し、石川はドアに向かった。そしてドアを小さく開け、
「おっ、姐御と番長。待ってたぜ」
と、ドアの前に立っていた二人の人間を部屋の中に招き入れた。
「あれ? 博士もいたの?」
今入ってきた二人のうち、女性のほうが部屋の中を見回して、意外そうに言った。およそ大学の中ではふさわしくない迷彩服を着ている。見る人が見れば、彼女が着ているのは陸上自衛隊の戦闘服のレプリカだということもわかるだろう。しかし、それでも違和感を持たれないほど、着こなしはうまかった。
彼女が、『姐御』神崎礼だ。彼女は美しかった。小さめの顔、きりりと引き締まった口元、勝ち気そうな印象を与える目、全てのパーツが素晴らしい出来で、それらが絶妙のバランスで配置されている。街ですれ違えば、一〇人中九人は振り返るだろう。
「ちょっと、教授に相談したいことがあってもんでな」
「もしかして、S研が絡んでるのか?」
『番長』猿渡徹が、山田の言葉に過敏に反応した。猿渡は静岡県西部を勢力圏とする不良グループで頭を張り、「遠州一のワル」として彼の名を知らぬ者がないほどの存在だった。その彼が声を潜め、ただでさえ険しい目つきをさらに険しくした。
猿渡も迷彩服を着ている。こちらは日本では珍しいスイス陸軍の戦闘服、そのレプリカだ。赤い色が目立つその服は、日本じゃ逆に目立つんじゃないか、と場違いな感想を、石川はおぼえた。確か去年は、オーソドックスなウッドランドパターン――米軍の緑を基調とした迷彩服――だったはずだが。どういう心境の変化だ?
悩む石川をよそに、残りの三人は思い思いに会話を始めていた。
「たぶんS研がらみだと思うけどね」
と前置きしたうえで、山田は先程石川にしたのと同じ内容を二人に話した。
「博士の言うとおり、確かに怪しいわね」
と礼が言うと、
「だが、確かだとは言えないんだ。一瞬だけ、目に恐怖、いやそれに似たような感情を感じたんだが、俺の錯覚だったと言われてしまえばそれまでだし……」
山田は、確たる証拠がないと繰り返す。そのころには、石川は考えるのをやめて、会話に聞き耳を立てていた。
「俺も暴走はしたくないんだ。だから、まだ全面的な調査を命じてない。今、工学部班の連中が佐々木の身辺を洗っている。これは予備調査だから俺の権限内で解決できるが、詳しい情報を得るには時間がかかる。かといって、司令に話すには、あまりにも漠然としすぎているし……」
石川が後を続ける。
「それでもいいじゃないか。話してみようぜ、司令に」
猿渡が提案する。
「漠然としていようがなんだろうが、知ってることは全部報告しないと、司令はなにも知らないままだぜ。それじゃ、いくら司令だって何もできないだろ? あくまで、兆候として捉えたと付け加えて、あとはあの人に判断を委ねるのが一番いいんじゃねぇの?」
そう言って、三人の顔を見渡す。
「……そうだな」
ややあって、石川が賛同した。自分たちの手に余ることは、より上役に判断を預ける。ある意味で賢い方法とも言える。
「教授、その話、確かなのか?」
〈オジロワシ〉司令・榊原治は、入ってきた四人の目を見ながら、全員を代表している石川にたずねた。榊原は〈オジロワシ〉の隊員の間でも勇気、知性、判断力に秀でているともっぱらの評判で、一〇〇〇人以上の人間を束ねている。
彼らは、これも今は使われていない旧経済学部棟の四階の一室にいた。そこで礼らは榊原と面会し、山田達から聞いた話を代わる代わる話したのだ。
「確証はありません。越権かと思いましたが、工学部班に命令を出して、極秘裏に佐々木の身辺を洗わせています。一週間いただければ、確実な報告をできると、私は踏んでいます」
石川が答えた。
「ここ最近、S研の活動が鎮静化しています。そろそろ、何らかの行動を起こしてきてもおかしくはないと判断しますが」
礼が、石川の言葉に補足するように言った。
誰もが『S研』という単語を口にするたびに、言葉や表情に憎しみを露にする。彼らは全員、スパイ研によって何等かの被害をこうむっている。そんな彼らにとって、スパイ研は不倶戴天の敵なのだ。
榊原は腕を組んで、しばらく考えこんで、
「お前たちの話を聞いた限りでは、確かにその可能性が高いと思えるけどなぁ……」
並んでいる四人の顔を交互に見ながら、榊原はゆっくりと口を開いた。
「しばらくは探索のみに専念しよう。はっきりとした情報が入ってから動いても遅くはない」
「しかし司令、その間に佐々木の身に何かあったら……」
山田が榊原の言葉に難色を示した。
「いや、それはないと思う」
榊原は手を挙げて、山田の言葉を遮り、
「S研は、今までの強硬路線がたたって、会員数が頭打ち状態になっている。ということは、みすみす新入会員を増やすチャンスは逃さないだろう。極端なほど慎重に会員の勧誘を行っているんじゃないか?
連中は、その佐々木という学生に入会を迫っている。そう仮定しよう。となると、貴重な会員候補に手荒なことをするとは思えない。やりすぎたと思えば冷却期間を設けて、それから詰めの段階に入ると、俺は判断する。どうかな?」
榊原は分析した。彼は名うての対スパイ研強硬論者だったが、闇雲にスパイ研の人間を弾圧したりはしない。そんなことをすれば、学生が疑問を抱き、〈オジロワシ〉の存在が学生に知れわたる危険がある。
目に余るような危険分子だけを排除し、それ以外の人間は放置しておく。これが榊原の考えだった。
「しかし、場合が場合だ。この件は、俺の方から理事長に話しておく。
教授、お前が指示した調査は探索隊総隊長の権限に含まれている。気にすることはない。追って正式に命令を出す。必要だと思う人数を使って、どんどん情報を集めろ。
他の者、特に行動隊の面々は、教授の情報待ちだ。いいな?」
榊原は目の前にいる四人に念を押した。
「はいっ!」
四人は直立不動の姿勢で返答し、部屋から退出した。
〈オジロワシ〉司令の命令は絶対のものだ。榊原が決めたことに反論できる人間は、この四人の中にはいなかった。
四人が出ていった後、入れ違いになる格好で、一人の男が司令室に入ってきた。
「三年連中が雁首揃えて、何の用だったんだ?」
入ってきた男は長身で銀縁のメガネをかけており、ライトグレーのジャケットに黒のシャツ、Gパンといういでたちだった。帰宅するところだったのだろうか、大ぶりのディバッグを持っていた。
「ああ、軍師か」
榊原は男に向かって、よかったらコーヒーの一杯でも飲んでいけよと言い、ソファーを指した。男は悪いなと言うと、ソファーに腰を下ろした。
男は工学部情報工学科四年生の工藤修一。榊原が呼んだように、〈オジロワシ〉内で『軍師』と呼ばれている。彼は、司令の輔弼機関である顧問会議の議長をつとめている。まさにその名のとおり、軍師役を務めているのだった。
榊原は先ほど聞かされた話を、かいつまんで工藤に説明した。
「ふうん、なるほどね」
工藤は聞き終わると、えらの張った顔をわずかに俯かせた。
「お前の処置は、悪くはないと思うよ。ちょっと気になる点はあるけどね」
「何だ、いったい?」
榊原はカップに湯を注ぐ手を止めた。
「この一件、本当にS研の会長は知っているのかな?」
「……なんで、そう思うんだ?」
榊原は気を取り直して、コーヒーを淹れ続ける。
「佐々木に接触している人間なんだが、俺の経路で調べてみたんだ。虎徹から、内緒だって言われて相談されたもんでね」
工藤は言いながら、ジャケットのポケットを探って、煙草を取り出した。一本抜き出すと安物のライターで火をつける。
「矢沢賢次郎と杉本春憲。どっちも工学部情報工学科2年。この名前は、おとといレポートで知らせたから、知ってると思うけど」
「ああ、覚えてる」
榊原はうなずいた。『S研内部の要注意人物』というレポートには、スパイ研の幹部候補と、彼らのこれまでの活動履歴とが記されていた。そのなかに、矢沢も杉本も記載されていたのだ。
「中途半端だと思わないか? 矢沢はともかくとして、杉本はS研の幹部候補だぞ? たかが一年一人を入会させるのに使うには、もったいない」
「よほど重要な人間なんじゃないのか? その、佐々木とかいう奴が」
榊原はコーヒーを工藤の前に出した。インスタントでブラックだが、工藤は何のためらいも無く飲んだ。
「佐々木は理事会や教授会に何のコネもない。普通に入学してきた奴だぞ? 詳しく調べてないからよく知らんけど、VIPだとは思えないけどな、俺は」
カップを置き、工藤が疑わしそうな声を出した。
「じゃあ、なんなんだ? 一部のエージェントが暴走してるっていうのか?」
「その可能性は高いと思うぜ」
「え?」
榊原が思いつきで言った憶測を、工藤は肯定した。肯定されて、榊原はかえって驚いた。
「もしかしたら、一エージェントじゃなくて、一部会員かもしれない。いや、裏付けならある。傍証だけどな」
工藤がメモを取り出した。
「今、S研の中で一番活動が活発なのが、外事局だ。その外事局長に桂が就任した」
スパイ研の外事局というのは、エージェントを統括する部局である。学園内で〈オジロワシ〉と頻繁にかち合っているのが、この外事局である。
「喜ばしいことだ。桂だったら無茶はやらない。あいつは俺たちとの共存を望んでいるからな」
榊原は口を挟んだ。コーヒーを一口飲む。
「まぁ、桂はいいんだ。問題は、そのスタッフだよ。山本光輝って、知ってるか?」
「山本? ……いや、知らん」
榊原は記憶を手繰ったが、そのような名前は出てこなかった。石川やその前任者である工藤からも、山本という名前を聞いたことが無い。
「だろうな。俺たちも、去年までは全くのノーマークだったからな」
「で、その山本がどうしたんだ?」
「S研内部での噂話だから、本当かどうか知らないけど、とにかく権力志向の強い奴らしい。権力を握るためなら、上司だって売るし、人だって殺しかねない危険人物だそうだ」
工藤はさりげなく言ったが、この言葉から、〈オジロワシ〉はスパイ研内部に情報提供者を得ていることがわかる。
「……要するに、あくの強い奴だな。それも、とびきりのあくの強さ。松永弾正に匹敵するかな?」
榊原は感想を述べた。戦国時代の梟雄・松永久秀のように、切れ者だが野心家だと、榊原は理解したようだった。
「とんでもない。そんな表現で括れるような奴じゃないよ」
工藤は顔の前でひらひらと手を振って見せた。
「とにかく複雑な奴だそうだ。大胆にして細心、怜悧にして愚鈍、貪婪であり廉潔。
……とまあ、ここまで相反する要素を兼ね備えるなんて、どう考えてもおかしい。人間はもう少し単純でいいかげんなはずなんだけどな。これが本当だとすると、よっぽどの大物か、それともよっぽどのアホンダラか」
「その意見には同意するよ」
榊原は頷いた。
「そんなやつだから、上司の意向を無視して暴走する危険性がある。桂は俺たちと共存したいと思っているかもしれないけど、山本が勝手にエージェントを動かして、俺たちとドンパチやらかすことは充分に考えられる」
「山本の性格はわかった。だけど、いくら何でもヒラがそこまで暴走できるのか?」
「やつはヒラなんかじゃないよ」
榊原の疑問に、工藤はあっさりと答えた。
「今の山本の職は主任外事員。この職は結構な裁量権を持っている。俺たちの職制で言えば、探索隊や行動隊の副長職よりも、ヤツは自由に行動できるんだよ」
「なるほどな……」
榊原はコーヒーを一口含んだ。カップを置くと、真剣な表情で何かを考えていたが、しばらくして顔を上げた。
「軍師、顧問会議の方で洗ってもらえるか? 山本という人間を、俺はもう少し知りたい。俺の勘だと、ヤツがこれからのS研のキーマンになりそうだ。事前にある程度情報がほしい」
「わかった」
工藤は頷いた。顧問会議は情報収集も行っている。探索隊だけでは手の回らないとき、もしくは緊急を要する場合、司令の命令で情報収集を行うことになっている。もちろん、探索隊の人間からはあまりいい顔をされない。自分たちが無能な人間であると暗に言われているようで、気分を害してしまうのだ。この点に関しては、石川も例外ではない。
「教授ににらまれない程度にやってみるとしよう」
「頼む」
榊原が軽く頭を下げると、工藤は軽く太ももを叩いて立ち上がった。
管理人のコメント
「オジロワシ血風録」の第二話です。謎の組織「オジロワシ」の姿も徐々に明らかになってきました。
>学内治安維持組織としての〈オジロワシ愛好会〉は、学生有志による学園内警察と呼ぶべき組織であり、自然保護サークルの〈オジロワシ愛好会〉と同じ名前だが
確かに、見た目には普通のサークルっぽいですが…でも、本当にオジロワシの好きな学生が入ってきたらどうするんでしょうか?(笑)
この後に「オジロワシ」の組織と使命が明らかにされていますが、確かに学生有志の枠を越えた恐るべき組織のようです…って言うか兵器局っていったい…
>一方、スパイ研究会
こちらも、負けず劣らずとんでもない組織のようです。噂半分でも、何故大学の中にあるのかわかりません。しかし、秘密組織の割には勧誘はおおっぴらなような…
>榊原は〈オジロワシ〉の隊員の間でも勇気、知性、判断力に秀でているともっぱらの評判で、一〇〇〇人以上の人間を束ねている。
司令ともなるとやはり只者ではないようです。しかし、一〇〇〇人以上とは、「オジロワシ」の組織の大きさがわかります。
>権力を握るためなら、上司だって売るし、人だって殺しかねない危険人物だそうだ
そして、これから「オジロワシ」と対決するであろう山本の人物像。これまた大学生の枠を飛び越えた存在のようです。
なかなか個性的な連中が顔を揃えて来ました。まだ明らかになっていないスパイ研究会側の登場も待たれるところです。
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