「…どうして…天はまだ私たち兄妹をお許しにならないと言うのですか…」
 闇の中、出雲彼方の耳に最初に飛び込んできたのは、その言葉だった。抑えきれない悲痛な慟哭。胸を打つような悲しみの響き。
 誰がそんなに悲しんでいるのだろう。
 何をそんなに悲しんでいるのだろう。
 その悲しみを…彼方は癒してやりたいと思った。その瞬間、闇に一筋の光が差し込んだ。彼方はその光の方へ歩いて行った。


SNOW Outside Story

橘芽依子様御聖誕日記念SS


時の旅の終わりに


「…う…」
 彼方は目を覚ました。最初に視界に飛び込んできたのは、白い天井。ついで、嗅覚が消毒薬の臭いを嗅ぎ取る。どうやら、ここは病院であるらしい。
 自分は何故こんな所にいるのだろうか?
 その答えを求めて、彼方は上体を起こした。なんとなく身体の感覚がはっきりしない。上手く力を入れられない感じだ。それでもなんとか上半身を立てて辺りを観察しようと思ったとき、がちゃり、とドアの開くような音が聞こえた。彼方はそちらを見た。
「…え?」
 そこには一人の少女が立っていた。年の頃は彼方よりも少し年下か。黒いリボンをヘアバンドのように巻いている。彼女は信じられないものを見たような、呆然とした表情で彼方を凝視していた。
(可愛い子だな…)
 彼方はそう思った。少しきつ目の顔立ちだが、そこが良い。思わず、彼方も少女をじっと見つめてしまう。が、それどころではないと思い直し、彼方は少女に尋ねた。
「あの、ここはどこで…」
 しかし、彼方が最後まで言い終えるより早く、少女は手にしていた包帯の箱を取り落とし、彼方に抱きついてきた。
「うわっ!?」
 見知らぬ少女に抱きつかれ、彼方は思わず狼狽した声をあげた。それにも構わず、少女は彼方を抱きしめたまま呟いていた。
「良かった…生きてた…」
 そう言って、さらに彼方を抱く腕に力を込める。彼は、その声に聞き覚えがあった。先ほど、闇の中で聞いた悲しみの声だった。
「あの、君は…」
 彼方は少女に声を掛けようとしたのだが、彼女は彼方にしがみついたまま、まるで子供のように泣いていた。どうして良いのかわからず、彼は途方にくれた。ただ、少女の身体から伝わる柔らかさと暖かさ、そして女の子特有の甘い体臭が彼の脳髄を酔ったようにくらくらさせた。
「もう、どこにも行かないで…」
 さらに止めを刺すような一言。無意識のうちに、彼方は少女を抱き寄せようと腕を上げていた。しかし、次の瞬間。
「…いってぇぇぇぇぇ!?」
 全身に激痛が走った。同時に、脇腹と首筋に熱くぬめった感触が広がる。少女が彼方の大声に驚いて飛び離れたので、彼方はそこに手を当ててみた。
 べっとりと血がついていた。
「うぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 絶叫と共に、彼方はふっと気が遠くなるのを感じ…そのまま昏倒していた。

「…まぁまぁの治り具合だな。2、3日中には抜糸できるだろう」
「そうか」
 彼方は傷を見ていた少女の言葉に答えた。ここ数日で、彼は彼女の名前を知るに至っていた。橘芽依子。現在彼がこうして入院している橘診療所の一人娘である。
「なぁ、芽依子」
「何かね、彼方さん」
「お前…本当に俺に抱きついたりしなかったか?」
「くどい。大方夢でも見たのだろう」
 彼方の問いに、芽依子は間髪いれず答えた。それは、彼方がここに入院してから毎日のように繰り返されている光景だった。
「…そうか…しかし、夢とは思えないリアルな体験だったけどな」
「いつまでもくだらない事を言ってないで、治すのに専念しろ。澄乃やつぐみさんが待っているぞ」
 芽依子のそっけない言葉に、彼方はああ、と曖昧に答える。澄乃はこの村唯一の雑貨店の一人娘、雪月澄乃。つぐみは彼方の従姉で、温泉旅館の女将をしている佐伯つぐみのことだ。再会するのは10年ぶりで、彼方の方では顔も忘れかけていた相手だが、彼方が村に来るなり落石事故に巻き込まれて大怪我をした事に、二人とも驚愕して見舞いに日参していた。
 もともと、彼方がここ、龍神村を訪れたのは、つぐみからバイトに来ないかと誘われたためで、そのせいか、つぐみはずいぶんと事故に責任を感じていたらしい。澄乃などは彼方の命が助かるようにお百度参りまでやったという。
 幸い、彼方の怪我は脇腹と首筋に大きな切り傷が出来て、出血こそ酷かったものの命に関わるような事もなく、数日以内に退院できる見込みだった。
「まぁ、心配してもらえるのはありがたいけどな」
 そう言いながらも、彼方は芽依子を見た。澄乃もつぐみも懐かしい相手ではあったが、今一番気になるのは何と言っても彼女だ。
「何だ? 彼方さん」
 その視線を感じたのか、検診を終えて病室を立ち去ろうとしていた芽依子が振り返った。
「いや…なんでもない」
 彼方はごまかした。芽依子との事が夢だったとして、現実になってくれれば良いな、などとは恥ずかしくて言えなかった。
 
 それから一週間後…無事抜糸も終わり、退院できた彼方を待っていたのは、重傷から回復したばかりの人間には過酷なバイトの日々だった。
「うぬぅ…おのれつぐみさんめ…あの涙はなんだったんだ」
 20リットルの水が入る巨大ポリタンクを背負って彼方は言った。つぐみが彼に任せた仕事とは、村はずれの山奥にある名瀑、龍神の滝まで行き、ポリタンクいっぱいに水を満たして持ち帰る事だった。字で書くと単純だが、怪我で血と一緒に体力まで抜けた彼方には辛い仕事だった。
「これで本調子になったら、タンクを二つに増やすって…冬山登山のシェルパでも養成する気かよ…」
 彼方はぶつぶつと呟きながら山道を歩いた。滝まで来た時、彼は見知った顔をそこに見つけた。
「よ、芽依子」
「…彼方さんか」
 片手を挙げて彼方の挨拶に応え、芽依子はそれまで見ていた看板に視線を戻す。
「ずいぶん熱心に見ているんだな」
 彼方は芽依子の横に立ち、看板を見上げた。村に伝わる古い伝説…人間の男と、龍神の姫君の恋物語を記した、滝の由来を伝えるものである。
「ここに書いてある事は真実じゃない」
 芽依子はそんなことを言った。
「どういうことだ?」
 彼方が聞くと、芽依子は龍神伝説の真の姿を語ってくれた。許されぬ恋に落ちた男と姫が、天の怒りを受けて悲劇的な最期を遂げる、悲恋の物語を。
「それ以来、天の怒りがこの村を雪で覆い、外からくる者と、この村で生まれた者との恋はご法度になった…」
 芽依子は、それを自分の目で見てきたように語った。聞いていた彼方も、思わず胸を締め付けられるような感覚を覚えるほどの、哀切を帯びた口調だった。
「芽依子…お前…そういう悲しい恋をした事があるのか…?」
 彼方は思わず聞いていた。不躾は承知のうえだ。芽依子が怒っても、それはそれで仕方のないことだと思う。それでも、彼方はその質問を投げ掛けずにはいられなかった。
「ああ」
 予想に反し、芽依子は素直に頷いた。
「ずっと昔の話だ。私はその人に振り向いてはもらえなかった。そして、私を置いて遠くへ行ってしまった…」
 その告白には、悲しみだけでなく自嘲の響きも混じっていた。しゃべり過ぎたと思ったのか、きびすを返して立ち去ろうとする芽依子。その背中に彼方は呼びかけた。
「なあ、芽依子」
「…なんだ?」
「どこの誰か知らないけど…お前を振ったその男は、見る目がないと思うぞ」
「…そうだな」
 彼方の言葉に、芽依子は微笑みを見せた。初めて見る彼女の邪気のない笑顔に、彼方は思わず立ちすくんだ。その間に、芽依子は山道を降りていってしまった。 

 村に来てから10日ほどたって、つぐみが突然彼方を呼んで、とんでもない事を言い出した。
「わたし、この旅館を彼方ちゃんに譲るわ」
「…は?」
 流石の彼方も、この一言には相手が何を言っているのかわからなかった。
「あの、つぐみさん。旅館を俺に譲るって…貴女はどうするんですか」
 彼方の言葉に、つぐみは幸せいっぱいに満面の笑顔で答えた。
「結婚するのよ〜」
「は?」
 やはり、つぐみの言う事は唐突過ぎて、彼方にはなかなか理解できなかった。
「だ、誰とですか?」
「誠史郎さんとよ〜」
「…何ですとっ!?」
 立て続けの驚愕に彼方は打ちのめされた。彼方の制止も聞かず、いそいそと引越しの準備をはじめてしまうつぐみに、彼方は相談できる人を求めて雪道を走った。行き先は…もちろん橘診療所だった。
「芽依子、相談したい事が…って、お前何してんだ?」
 診療所の前にいた芽依子の姿に、彼方は呆れた。棒の先に風呂敷包みを括りつけた、マンガでしかお目にかかれないような家出ルックだったのである。
「見てのとおり、家を出る」
「…つぐみさんと誠史郎さんのことか?」
 芽依子は頷いた。二人の結婚の事は、彼女にとっても寝耳に水の出来事だったらしい。
「まぁ、新婚夫婦の邪魔をすることはないからな」
 ニヤリと笑う芽依子。彼方は尋ねた。
「行くあて…あるのか?」
「そんなものはない」
 芽依子は首を横に振った。
「だが、別に構わない。この診療所にいたのも、ほんの気まぐれみたいなものだ。またもとの一人に戻るだけさ」
 そう言って、芽依子は歩き出そうとして…止まった。彼女の意思ではない。彼方が前に回りこんできたからだ。
「良かったら…龍神天守閣へ来ないか?」
「…彼方さんのところへ?」
 芽依子は首を傾げた。彼方は彼女に、つぐみから龍神天守閣を預かった事を伝え、頼み込んだ。
「正直、俺にはどうして良いのかわからないんだ。力を貸してくれないか? 芽依子」
 芽依子は困ったような表情になった。
「そんなことを言われてもな…第一、そう言う事であれば私よりも澄乃や小夜里さんのほうが適任だろう」
 芽依子は言う。確かに、雪月母娘は人当たりが良いし、料理も上手く、家事全般をこなせそうだ。だが、彼方は首を横に振った。
「俺は…芽依子に力を貸して欲しいんだ。他の誰でもなく、お前に」
 逡巡した末、芽依子は頷いた。
「わかった…私で良いなら力を貸そう」
 こうして、芽依子はつぐみと入れ替わるようにして、龍神天守閣に引っ越してくる事になった。

 旅館の仕事は、想像以上にハードだった。広い館内の掃除、接客、苦情処理、売上の勘定…どれも未経験者である彼方の手には余るものだった。
 しかし、芽依子が同じ未経験者とは思えない手際の良さで、様々な仕事を捌いてくれた。特に料理が上手なのは彼方にも意外な事だった。そう言うと、芽依子は膨れたように答えた。
「失礼な。彼方さんが入院していた時の食事は、私が作っていたんだぞ」
「おお、そうなのか。道理で美味かったはずだよ」
 彼方がそう切り返すと、芽依子は驚き、次いでほんのりと顔を赤く染めた。
「そ、そんなはずはあるまい。病院食など、味は二の次で栄養バランスを最優先したそっけない代物だぞ。美味いはずがなかろう」
「いや、美味かったって。ま、芽依子の手作りだったからだろうな」
「くっ…し、知らん。最近意地悪じゃないか、彼方さん…」
 芽依子の思いがけず可愛らしい一面を見て、彼方は満足と共に寝床についた。

 そこは、どこともしれない世界だった。
(これは…夢でも見ているのか?)
 彼方が思ったとき、どこからともなく声が聞こえてきた。
(頼む…)
(誰だ!?)
 彼方は叫ぼうとした…が、声が出ない。
「頼みがある…」
 すると、はっきりと声が聞こえ、目の前に一人の男性が現れた。古風な神主のような衣装に身を包んだ、彼方と同じくらいの年代の青年だった。
「頼みがある。私の妹を救って欲しい」
(妹…?)
 彼方は問い返した。相変わらず声は出せなかったが、相手には通じているようだった。
「そうだ。あの娘は、自分を責めつづけている。その苦しみから彼女を救ってやって欲しい」
(待て、勝手な事いうなよ! だいたい、あんたの妹はどこの誰なんだ!?)
「すぐにわかる。頼んだぞ…」
 彼方の心の声に答え、青年の姿が薄れていく。消えようとしているのだ。
(待てよ!)

 全身を流れる汗の感触と耐えがたい暑さ、そして降り注ぐ蝉時雨の中で、彼方は目を覚ました。
「…夏?」
 彼方は首をかしげる。龍神村は万年雪降り積もる常冬の地。こんな暑い季節があるはずがない。
 だが、辺りは色濃い緑に覆われ、湿気と共に匂い立つような命の息吹が辺りに満ちている。明らかに、夏の景色だった。
「兄上、どうしたのだ?」
「え?」
 彼方は声の方向を見た。そこに立っていたのは…
「芽依子?」
「めいこ? どこの誰だ、それは」
 芽依子そっくりの、巫女のような服を着た少女が不機嫌そうな表情で言う。
「なにを言ってんだ、お前の事…」
 そう言って足を踏み出した瞬間、足元ががらりと崩れた。彼方はがけ下に落ちそうになって、何とか踏みとどまる。驚いた少女が駆け寄ってきて、彼方の手を取って支えた。
「だ、大丈夫か? 兄上。この辺りは落石や崖崩れが多いと聞く。気をつけぬと」
「あ、あぁ…」
 彼方は頷く。辺りを見て、彼方はそこが季節は違えど、自分が落石事故にあった場所だと言う事に気づいていた。そして、同時に少女と芽依子の差異にも気がついていた。服装もそうだが、髪の長さが違う。目の前の少女は芽依子のそれと同じリボンを二つ使い、腰まで届きそうな髪を左右に分けて括っていた。だが、顔立ちは芽依子そのものだ。
「助かったよ…えーと…」
 彼方は口篭もった。彼女の名前が芽依子でない事だけは確からしい。しかし、本当の名前もまたわからない。すると、少女は嘆かわしそうな声で言った。
「どうしたのだ、兄上…まさか妹の名を忘れたわけではあるまいな」
「そ、その…すまん。どうも暑さにやられたらしい」
 彼方はそう言い訳した。少女の眉が吊りあがる。
「しっかりなされよ、兄上。私は貴方の妹の若生鳳仙。貴方は龍神の社の新しい宮司、若生白桜。私たちはこれから若生の里へ行くところでしょう」
 彼方は鳳仙に謝りながら、これは一体どういうことだろう、とこの異常な状況を必死に考えていた。
(これも…夢の続きなのか?)
 彼方はそう思った。夢にしては本当に暑いし、疲れるし、喉が渇くし、蝉はうるさいが、ともかくこれはさっきの不思議な青年の夢の続きなのだろうと思った。
「話を聞いておるのですか、兄上」
 鳳仙がまた不機嫌そうな表情で言う。彼方は慌てて彼女の話に意識を集中した。どうやら、夢の中の設定はこうなっているらしい。
 まず、彼方自身は白桜という名前だ。そして、妹の名は鳳仙。二人は夜盗に破壊された龍神の社を再興するために、若生の里へ向かっている最中である。そのために、夜盗と戦って討ち死にした両親の遺した手がかりをもとに、天の龍神を降臨させる祭りを復活しなければならないらしい。
(夢とは言え凄い設定だ)
 彼方は思ったが、龍神の社やさっきの崖崩れの道など、現実とリンクしている部分もある。やがて、彼らは目的地の龍神の社に着いた。

 唐突に場面が転換した。
「兄上…?」
 何時の間にか夜になっていて、辺りを囲炉裏の火だけが照らしている。彼方はその前にあぐらをかいて、なにやら本を持っていた。鳳仙が不審そうな目で彼を見上げている。
「どうなされた、兄上。早く続きを読んでくだされ」
「あ、あぁ…」
 彼方は本に目を通した…が、読めない。
「…なんて書いてあるんだ?」
「…何を…って、龍神様を呼ぶ儀式の手順の事が書いてあるのではありませんか…また兄上がおかしくなられた」
 鳳仙がため息をつきつつも、代わりに本を読んでくれた。

 再び、唐突に場面が転換した。
 彼方は夜の龍神湖畔に立っていた。
「な、何でこんな所にいるんだ?」
 鳳仙が苦りきった表情になった。
「な、なぜここでおかしな方の兄上が…ともかく、これを読んでくだされ」
 彼方は言われるままに鳳仙から紙を受け取り、そこに書いてある文章を読み上げようとした。
「えーっと…払いたまえ、清めたまえ、我らがかむろぎ、かみろぎのごぜんにかしこみ、かしこみ…だあぁ、めんどくせぇ! こんなもんテキトーで良いじゃねぇかっ! ナムミョーホーレンソー、アーメンラーメンヒヤソーメンっとくらぁ!!」
 厳粛な雰囲気を木っ端微塵にぶち壊す、いきなりの彼方の暴言に鳳仙が唖然となる。
「あ、兄上! 何と言うことを!! こ、これでは儀式が台無しに…」
 その瞬間、湖面から天に清らかな光が立ち上った。その神々しい輝きの中、二人の女性が天からしずしずと降りてくる。龍神だ。
「…うそ」
「な、気合さえ入ってりゃ無問題よ」
 彼方は満足げに頷いた。やがて、二柱の龍神は静かに湖面に降り立った。
(うーむ…右の龍神はそれらしいけど、左の龍神はなんか澄乃と雰囲気が似てるな)
 彼方が罰当たりな感想を抱いたその瞬間、その左の龍神が、彼方めがけて突進してきた。
「白桜様、白桜様ぁ〜! お会いしとうございましたぁ〜!!」
 彼方が冷静に一歩横に避けると、龍神左(仮)は勢いあまって、顔面から湖岸の砂浜に突っ込んだ。
「えう〜っ!?」

 三度、唐突に場面が転換した。
 彼方は見知らぬ粗末な家の中で、多くの人々と囲炉裏を囲んでいた。
「お? な、なんだ?」
 急にあたりをきょろきょろし始めた彼方に、周りの人々…里の住人たちがひそひそと囁きあう。
「ど、どうしたんだべか、白桜様…なんだか急に雰囲気が軽くなったような」
 動揺する男に、鳳仙がもう慣れたというか、呆れたような口調で答えた。
「お気になさらず…ちょっとした暑気当たりのようなものです。すぐ治ります」
「は、はぁ…」
 大丈夫かよ、と言いたげな男性を睨み、彼方は鳳仙に尋ねた。
「で、何の話だったっけ?」
「夜盗をどうするか、と言う話です。龍神様を降臨させたのは良いですが、このままでは祭りの日辺りに彼奴らが襲来するは必定。それをどう迎え撃つか、と言う談合を開いておりました」
 すっかり慣れた感じで鳳仙が説明する。
「ふーん、夜盗ね…まぁ、なんとかなるんじゃねーの?」
 妙に自信たっぷりな彼方の様子に、村人の注目が集まる。
「大丈夫なのか? おかしな方の兄上」
「そのおかしな方と言うのはやめろ。まぁ、良いや。ちょいと耳を貸せ」
 そう言うと、彼方は鳳仙に耳打ちをした。彼女の表情がたちまち明るくなった。

 四度、唐突に場面が転換した。
「…おかしな方の兄上か?」
 鳳仙が期待しているような表情で聞いてきた。
「だからお前ね…いや、それどころじゃないな。今の状況は?」
「祭りが始まって少し経ったところだ。夜盗はもうだいぶ近づいている」
 彼方があたりを見回すと、村の至る所に明々とかがり火が焚かれ、龍神たちを乗せた輿が村中を行進している。頷くと、彼方は鳳仙と、屈強な村の男数名を連れて、その場所に向かった。配置について待つ事しばし、馬蹄の音を轟かせ、奴らはやってきた。
「止まれぃっ!」
 道の真中に立つ彼方と鳳仙を認め、首領らしき男が号令を叫ぶ。夜盗たちは馬を宥めつつ停止した。
「なんだ、てめぇらは?」
 首領の問いを、彼方は鼻で笑い飛ばした。
「悪党に名乗る名はないっ!」
 その瞬間、夜盗たちは爆笑した。鳳仙は兄と夜盗を交互に心配そうな目で見ている。
「おもしれぇ冗談だ。まさか、なよっちぃ男とそっちの娘っ子二人だけで俺たちを追い払うつもりじゃないだろうな」
「もちろんそのつもりだが何か?」
 平然と答える彼方。再び大爆笑。しかし、次の瞬間連中は一斉にいきり立った。
「おもしれぇ、やれるもんならやってみろ!」
 夜盗たちが抜刀する。彼方はそれに答えるように手を上げ…一気に振り下ろした。その瞬間、地響きが巻き起こった。
「うわあああぁぁぁぁぁぁ!?」
 夜盗たちが絶叫した。斜面の上に陣取っていた村の男たちが、一斉に岩を落としたのだ。崩れやすい斜面はその衝撃でたちまち崩壊し、土砂崩れが夜盗を襲った。彼らは悲鳴をあげて崖下に落ちていく。
「ば、馬鹿な! 天下に恐れられたこの俺たちが…! 貴様ら、一体何者だぁっ!?」
 落石から逃げ惑う首領に、彼方と鳳仙はポーズを決めて答えた。
「知りたくば教えてやろう」
「俺達」
「「若生兄妹!!」」
 口をあんぐりと開けた首領は、次の瞬間土砂に飲み込まれて消えた。
 こうして、夜盗は全滅したのだった。 

 五度、唐突に場面が転換した。
 そこは再び龍神湖だった。その場にいるのは、彼方と鳳仙、そして二人の龍神だけ。澄乃そっくりの龍神妹はえぐえぐと泣いていた。どうやら、別れの時らしいと彼方は悟った。
「あなたは…おかしな方の白桜殿ですね?」
 雰囲気が変わった事を悟り、こちらは龍神らしい威厳を持つ姉の方が聞いてきた。
「あんたまでその呼び方か…」
「すみません」
 龍神姉はクスリと笑った。
「私にはわかります。あなたは、白桜殿ではありませんね。それどころか、この時代の人でもない…そうでしょう?」
「ああ」
 彼方は頷いた。鳳仙はそんな彼方を驚きの目で見た。
「私たちを助けた事で、あなたのいる時代でも、救われる人がいるかもしれません。どうか、その人の手を離さないであげて…」
 彼方は無言で頷いた。その瞬間、天から光が降り注ぎ、二人の龍神はゆっくりと天に向かって登り始めた。
「さようなら、鳳仙様。そして、時の彼方のお方…」
「うっうっ…えぐっ…さようならぁ〜」
 手を振りながら小さくなっていく龍神たち。彼方と鳳仙も、その姿が見えなくなるまで手を振りつづけた。やがて光は消え、辺りに静寂が戻った。
「おかしな方の兄上…あなたは一体…?」
 こらえきれないように鳳仙が尋ねてきた。彼方がそれに答えようとしたその瞬間。
 視界が闇に閉ざされた。

「ここは…どこだ?」
 闇の中で彼方がそう言った瞬間、目の前に人が現れた。
「芽依子…」
 彼方がその名を呼ぶと、芽依子はくるりと身体を半回転させて彼方に背を向けた。
「今のは…偽りの世界」
「?」
 彼方が首を傾げた瞬間、辺りが明るくなった。暗闇に窓が浮かび、幾つもの光景が飛び去っていく。
 焼き討ちされ、燃え上がる村。
 夜盗と必死に切り結ぶあの青年…白桜。
 夜の山道を必死に逃げる白桜、鳳仙、龍神たち。
 龍神の妹が白桜の子を身ごもり、喜びも束の間、悲劇が続く。
 落雷…やまない雨…失われていく愛の記憶。
 そして、丘の上で起きた、最後の悲劇。
「これが…龍神伝説の真の姿…?」
 彼方の問いに、芽依子は独白を持って答える。
「私は…禁忌の恋に身を焦がす兄上を止められなかった。人と龍神、それは決して結ばれぬ運命だと知っていたのに…」
「全て知っていたんだな、芽依子…いや、鳳仙。そうなんだな?」
 芽依子は振り向いた。
「そう。天罰で菊花様…妹君様は亡くなり、兄上はその後を追われた。姉君様は今も山のどこかで、癒されぬ悲しみにくれながら、兄上と、妹君様と、そのお子の魂を弔っておられる。そして私は…いつか兄上の生まれ変わりがここを訪れて、悲劇を断ち切ってくれる事を信じ、この身を人ならざるものに変えた。いつか…兄上の生まれ変わりが訪れて、救いをもたらしてくれる。その自分の先見を確かめるために」
 彼方は芽依子を見つめた。
「むごい話だ…でも」
 彼方は一歩踏み出した。
「歴史は変わった。俺が変えた。悲劇は起きなかった。俺がお前の兄貴の生まれ変わりかどうかはわからない。でも、そうなんだろう、芽依子?」
「変わってなどいない!」
 芽依子は否定した。
「あれは…私の生み出した都合のいい幻想。そうであれば良いと言うおとぎ話だ。龍神様ならともかく、私の夢に現実を変える力などあるものか」
 芽依子の一言一言が、まるで全てを拒むように放たれる。彼方は構わず彼女に近づく。
「そんなはずはない。俺は、夢の中で白桜に―お前の兄貴に出会った。あいつは言っていた。妹を救ってくれと。それもお前の生み出した幻なのか? 俺は認めない。あれは…真実の願いだった!」
「兄上が?」
 芽依子は驚いたように彼方を見た。それは、彼女の知らない事だったらしい。
「ああ。ずっと自分を責めているお前を救って欲しいと言っていた…」
 彼方が答えると、芽依子は信じられない、と言うように首を振った。
「そんな…兄上がそんな事を言うなんて」
 彼方は不思議そうな表情をした。
「なんでだ? 兄妹なんだろう? 妹が苦しんでいるのを放って置く兄はいないよ」
「そんなはずはない」
 芽依子は言い張った。
「私は…兄上を止められなかったんじゃない。止めなかったんだ」
「好きだったのか」
 彼方の一言に、芽依子は驚きの表情を向けた。
「なぜ…それを?」
「ん…なんとなく、夢の中の…昔のお前を見ててな」
 彼方は答えた。自信はなかったが、夢の中で、自分を見る鳳仙の瞳は輝いていた。芽依子の、どこか醒めたところのある視線とは、そこが違っていた。
「そうだ…私は兄上を愛していた。兄ではなく、男として。それもまた、禁忌の恋…だから、私は兄上を止めなかった。兄上の気持ちが誰よりもわかったから。兄上を止めることは、自分自身の思いも捨てることだったから…だから、あれは運命で、自分にはどうしようもない事だったんだと…そう言い聞かせてごまかしてきたんだ…」
 芽依子の目から涙がこぼれた。
「だけど…それは、私に勇気がなかったからだ。自分の恋をあきらめる勇気がなかった。兄上の死の責任を認める勇気がなかった。兄上の後を追う勇気もなかった。私は…!」
 その瞬間、彼方は芽依子を思い切り抱きしめた。
「あ…」
 一瞬、芽依子は拒むような素振りをしたが、彼方は構わず、彼女の身体を強く抱きしめる。そして、言い聞かせるように耳元でささやいた。
「俺は…出雲彼方だ。若生白桜じゃない。お前の兄じゃない」
 芽依子は黙って聞いている。
「お前も、もう若生鳳仙じゃない。橘芽依子だ。何百年間かは知らないが、お前はもう十分苦しんだじゃないか。もう良いんだ」
「そんな、都合のいい話が…許されるはずが…」
 芽依子が弱々しい声で首を振ったが、彼方は耳を貸さなかった。
「天罰も、転生も、俺には関係ない。俺は俺の意思でお前を好きになったんだ。芽依子…俺は、お前をこの世で一番、愛している」
「彼方…さん…」
 もはや芽依子は拒まなかった。二人を包む暗闇に光が差し込み、やがて全てを白い輝きで覆い尽くして行った。

 穏やかな光が中庭に射し込み、銀色の輝きを放っている。
「今日は一日良い天気になりそうだな」
 彼方は呟いた。
 芽依子と結ばれた日から、もう半年近くになろうとしていた。龍神村は相変わらず万年雪に覆われている。この広い山のどこかに今もいるはずの、姉の龍神。その悲しみはまだ癒えていないのだろう。
 しかし、変化したこともある。
「彼方さん、おはよう」
「あぁ、おはよう芽依子。今日はそっちの髪型か」
「うん…彼方さんのお気に入りだからな」
 長い髪を二つのリボンで括った芽依子が恥ずかしげに答えた。
 あの日から、芽依子の髪は伸び始めた。不老を願ってから数百年、決して伸びることがなかった彼女の髪…それは、芽依子が再び時の流れの中に戻ってきた証だった。
「お前とその子が落ち着いたら、龍神様を探しに行こうな。この村に本当の春をもたらすために」
「ええ…」
 芽依子は頷いた。もう一つの変化は、彼女の中に新たな命が宿ったこと。まだ、男なのか女なのかはわからない。しかし、生まれた子供の名は、男なら「桜」、女なら「菊」の字を入れるという事は決めていた。
 その子が育つ頃には、この村に四季があるようにしたい。そう願いつつ、彼方と芽依子はいつまでも二人寄り添っていた。

(おわり)

あとがき

 このSSは、今一番のお気に入りキャラ、「SNOW」の橘芽依子様の御聖誕日を記念して書いたものです。イメージとしては「仮想・芽依子様シナリオ」といった感じでしょうか。
 本当はこのSSのアイデアは、8〜10話くらいの中編として書きたいと思っていたのですが、芽依子様ファンの聖日にささげるため、急遽1日ででっち上げました(爆)。正味執筆時間はたぶん6時間くらいです。
 その分練りこみが足りなく、中途半端な印象の作品になってしまいました。おそらく、「SNOW」をプレイした方でないと、さっぱり訳がわからない内容だと思いますが、私の芽依子様への情熱の暴走と思ってお見過ごしください。
 できればそのうち当初の予定通りの中編に再編成できれば良いな…と思いつつ、今回はここまで。

2003年9月18日 さたびー



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