オルガンの荘厳な音色が流れ出すと同時に、部屋の後ろにある扉が開いた。そこから今日の主役である二人がゆっくりと歩いてくる。白いタキシードに身を包んだ誠二と腕を組んでしずしずと歩いてくるのは、花嫁の夏姫だ。今日、彼女はその姓を岩倉から元木に変える。
「夏姫さん、綺麗」
 うっとりした表情で言うさやか。やはり女の子だけあって、ウェディングドレス姿には憧れるのだろう。たとえ想い人が女性であっても。
「ちょっとクラシックなデザインですけど、綺麗なドレスですね……治子さんが予想した通りですね」
 ナナが言う。彼女が言うとおり、夏姫のウェディングドレスは純白で肌の露出が少なく、清楚なデザインのものだ。
「どうしてわかったんですか? お姉さま」
 美春の質問に、治子はなんとなくね、と答えるが、実際にはちゃんと根拠があっての予測だ。彼女は貴子のほうを見る。すると、貴子は気付いた? と言うように笑って見せた。
 そう、夏姫のウェディングドレスは、かつて貴子が幻に終わった彼女の結婚式の日に身に付けていたものだった。治子はそのドレスが使われるような予感がしていたのである。
「アタシはダメだったけど、それで終わりじゃあのドレスが可哀想だもの。ちゃんと幸せな結婚式で使ってもらわないと、ね」
 貴子から直接そう聞いたわけではないが、彼女が夏姫にドレスを譲った理由はきっとそうだろう、と治子は思った。そのドレスはようやく迎えた晴れ舞台に、まるでそれ自体が光っているような輝きを見せて、夏姫を彩っていた。

Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory

前田治子物語

自爆少女シリーズ 追加オーダー


六品目 おめでとう!


 新郎新婦は祭壇の前に並んで立った。初老の温厚そうな神父が祭壇に聖書を置き、その上に手を当てて儀式を始める。一度止まっていたオルガンが再び奏でられ、参列者による賛美歌の斉唱が行われた。続いて神父が聖書を読み始める。
「たとえ我諸々の国人の言及び御使の言を語るとも、愛無くば、鳴る鐘や響く鐃はちの如し……」
 新約聖書コリント前書第13章、結婚式で読まれる事の多い、愛の重要性を説く一節である。それを「アーメン」の言葉で締めくくり、神父は夏姫と誠二を見た。
「それでは、結婚の誓いを。新郎元木誠二、汝この女子を娶り、神の定めに従いて夫婦とならんとす。汝、その健やかなる時も、病める時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、固く節操を守らんことを誓うか」
「はい、誓います」
 誠二が力強く誓うと、今度は夏姫の番だ。
「新婦元木夏姫、汝この男子に嫁ぎ、神の定めに従いて夫婦とならんとす。汝、その健やかなる時も、病める時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、固く節操を守らんことを誓うか」
「はい、誓います」
 静かな夏姫の答えに、神父は笑顔を浮かべて祭壇の上の小箱を取り上げる。結婚指輪の入った箱だ。誠二と夏姫が指輪を取り、互いの薬指にはめる。
「お二人の誓いが神と皆様の前で真実永久に守られますように、お祈りを致します。皆様、黙祷願います」
 神父の言葉に、全員が目を閉じ、祈った。治子も祈りながら、かつて二人を結ぶためにいろいろと立ち回ったことを思い出し、感無量の思いにとらわれる。
「元木誠二と元木夏姫、神と会衆との前において夫婦たるの誓約をなせり。故に我、父と子と聖霊の御名においてこの男女の夫婦たることを宣言す。それ神の合わせ賜いし者は人これを離すべからず。
 アーメン」
 黙祷が終わったところで神父が結婚を宣言し、二人の結婚は成立した。神父はにこやかに笑いながら、短い説教をする。
「どうかお二人は共に愛し合い、許しあい、重荷を分かち合って、いかなる試練をも乗り越えてください」
『はい』
 誠二と夏姫が声をそろえて答える。神父は満足そうに頷くと、オルガン係に合図した。結婚の成立を祝福して、賛美歌を歌うのだ。治子も式次第に記された歌詞を追って小さく歌声を上げる。そして、式の終わりが来た。
「仰ぎこい願わくは、主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき御交わり両名の上に参列者一同の上に永えに豊かにあらんことを。
 アーメン」
 最後の祝祷を唱え、神父が一礼する。
「これをもちまして、お二人の結婚式を滞りなく完了させていただきました。 本日はおめでとうございました。いつまでもお幸せに」
 決してビジネスライクではない、温かみのある祝福の言葉に、満面の笑顔で頷く二人に、惜しみない拍手が送られる。治子も手を叩いていると、横で織江が明彦に話しかけるのが聞こえた。
「素敵な結婚式だったね。ボクたちもこんな式がしたいな」
 ナナも昇の肩に頭をもたれかけさせるようにして、うっとりした表情で言っていた。
「夏姫さん、綺麗だったね。わたしもあんなお嫁さんになれるかな?」
 男二人はうん、うんと頷いている。鼻の下伸ばしまくりで、実に幸せそうだ。治子も真っ当な人生を送っていれば、あずさかつかさのどっちかと、こんな会話をしていたのかもしれない。
 それはもう、考えても仕方の無い事なのだが、この四人もちゃんと幸せになって欲しいものだと治子は思った。
「あ、そうだ」
 治子は手を打つと、さやか、美春、朱美、貴子を呼んだ。何事かと集まってきた四人に、自分の提案を話す。
「なるほど、それは良いかもね」
「私たちじゃ意味ないものねぇ」
 真っ先に賛同したのは貴子と朱美の年長組。さやかと美春はちょっと不満そうだったが、最後には納得した。相談がまとまると、五人は教会の外に出た。
「どうしたんですか? まだ夏姫さん来てないけど、結構ぎりぎりですよ」
 先に出ていた明彦が、遅れてきた五人を不思議そうな表情で見ながら言った。
「ちょっとね。あ、出てくるみたいだね」
 治子が答えている途中で、教会の鐘が鳴り響き始めた。扉が開き、夏姫と誠二が出てくると、参列者たちが一斉にライス・シャワーやフラワー・シャワーを二人に浴びせかけ始めた。
「二人ともおめでとう!」
「よ、誠二、綺麗な嫁さん貰いやがって、憎いぞ!」
 双方の親族や知人が祝福やらからかいの言葉を投げる中、階段の途中まで降りてきた夏姫が、ブーケをPiaキャロット組に向けて投げた。次の瞬間。
「それっ!」
 治子、さやか、朱美、美春、貴子は一歩下がって、ナナと織江を前に押し出した。二人がええっ!? と驚きの声を上げるが、咄嗟に事態を把握したのは織江だった。飛んできたブーケを掬い上げるようにキャッチする。
「やった! 明彦、ブーケ貰っちゃったよ!」
「お、おお! やったな、織江!」
 思わず抱き合って喜ぶ二人に、周囲の人々が歓声と拍手、口笛で祝福する。それを見て、夏姫が誠二に何かをささやくと、頷いた彼はブーケニア……タキシードの胸に付けていた花飾りを投げる。それは昇の手にぽすっと収まった。
「あ、昇さん、すごい! それもブーケと同じ効果があるんですよ!」
「そ、そうなの? うは、照れるね」
 目をキラキラさせて昇の手を握るナナに、顔を赤くする昇。もちろん、この二人にも盛大な祝福が送られた。
 織江かナナにブーケを取らせる。これが、治子の咄嗟の思い付きだった。もっともブーケニア・トスまでは考えていなかったので、これは夏姫のアイデア。流石に空気が読める大人の女性である。
 ただ、本音を言えば、美春あたりが取ってしまうと、その場で治子を引きずっていって「結婚」しようとしかねないので、それを阻止するためでもあったが……
 ともかく、無事に儀式を終えて、夏姫が誠二と共にオープンカーで走り去ると、朱美がPiaキャロット組を見渡した。
「さて、次は披露宴ね。さっそく行きましょうか」
 
 十数分後。
「うーん……私たちは招待客でもあるはずなのに、何でこうなるの?」
 治子は久々に袖を通すフローラルミントの感触を確かめつつ首を捻った。
「ごめんね。でも、夏姫ちゃんのためだと思って引き受けて」
 朱美が手を合わせる。そう、彼女たちはこれから披露宴の手伝いをするのだ。昨日も会場設営の手伝いはしたが、今日はウェイトレスの制服を着て、給仕までこなす。
「まぁ、考えてみたら、店を披露宴会場にする時点でそうなりますよね」
 さやかが言う。ちなみに、料理長も招待客なのだが、これから厨房で思い切り腕を振るうらしい。
「まいっか。それにしても、この感触。懐かしいな」
 治子は割り切って、姿見の前で服装をチェックした。女の子になってから一番長く着ていた服といえば、やっぱりこの四号店の制服。久しぶりに着たが、やはり身体に馴染む気がした。
「はぅ……お姉さまの制服姿、やっぱり素敵です」
 美春が上気した表情で見つめてくるのに、治子は苦笑した。
「あはは……ありがとう。ところで……何故貴子さんがここに?」
 やはり招待客で、店員というわけでもない貴子が、どう言う訳か制服を着て立っていた。彼女のサイズに合う制服はないはずなので、どうやら貴子が自分で作ったらしい。それにしても、ダイナマイトボディを誇る貴子のフローラルミント姿は迫力満点で、ナナと織江が溜息をついている。
「いやぁ、アタシが食べる方に専念したら、いくら料理があっても足りないでしょ。それに人手足りないって言うから手伝おうと思って」
『確かに……』
 貴子の食欲魔人ぶりを知る一同としては大いに納得せざるを得ない。そんな中で、朱美だけは頭を下げる。
「ありがとうございます、貴子さん。おかげで助かります」
「ま、気にしない気にしない。その代わり、あとで祝宴の料理おごってね」
「それくらいなら構いませんよ。あ、そろそろ行かないと」
 貴子のお礼要求に笑い混じりに朱美が答える。時計を見ると、披露宴開始まであと一時間を切っていた。着替え終わった治子たちは男子と合流して厨房に行った。途端に聞こえてくる、包丁のリズミカルな響きと油の爆ぜる音、そして料理長の怒鳴り声。
「ほら、刻み方にムラがあるぞ! これじゃ火の通りが悪くなるじゃないか! やり直して来い!!」
「わ、料理長。気合入ってますね」
 朱美が言うと、鍋を振っていた料理長が振り向いた。
「お、店長。そりゃ張り切りますよ。普段と違って存分に腕を振るえますからね」
 Piaキャロットはオーナーの方針もあって、料理には結構こだわりがある。大手のレストランチェーンだと中央の調理センターで下拵えを済ませ、店では軽く仕上げをするだけで客に出せる状態にしておくところがあり、客の待ち時間短縮とコストダウンを図っているが、Piaキャロットでは基本的に店の厨房で全て調理をする方針だ。
 それでも、サービス均一化のためにレギュラーメニューは決まったレシピを使用し、各店でフェアをする時だけ、料理長の裁量でレシピを決める。だから、どの店の料理長もフェアのときは大張り切りだ。
「今日は全メニュー、俺の一存でやって良いってんですからね。いやぁ、腕が鳴る鳴る」
 そう良いながら、料理長は鍋の中身を大皿に空けた。チンジャオロースのようだが、他にもいろいろな料理が既に出来上がっている。
「その辺が前菜ですんで、それぞれのテーブルに持っていってください」
「OK。じゃ、みんなかかって」
『はーい』
 朱美の号令で、一同はできている料理をテーブルに運んでいく。一方男子たちは店の裏に着いた酒屋のトラックから、大量のアルコール、ソフトドリンク類を降ろす作業に追われることになった。たちまち吹き出る汗。
「うへぇ、こりゃ結構な肉体労働だぜ」
 瓶ビールのケースを持った明彦がぼやく。
「まぁ、しょうがないさ。そういえば、叔父さんが言うには、今日が上手く行ったら、結婚披露宴の引き受けも事業化したいらしいぜ」
 昇が答える。流石に怪力だけあって、明彦に比べると楽々とケースを運んでいる。
「すると、今日は予行演習みたいなもんですか」
 と春彦。線は細そうだが、バイトで鍛えただけあって結構力持ちらしく、あまり疲れた様子は見せていない。
「そうなるかもな。ま、明彦も上手く行くように頑張ろうぜ。実現したら、社員価格で安く結婚式ができるかもしれないからな」
 昇の言葉に、明彦は「ちゃっかりしてるなぁ」と苦笑した。同時に気合を入れなおす。織江との明るい未来のために。
 
 そして瞬く間に一時間が過ぎ、披露宴の始まりとなった。
「ほ、本日は、誠におめでとうございます。たいへん長らくお待たせ致しました。た、ただいまより、ご新郎ご新婦様のご入場です。」
 司会席には朱美が立っている。彼女が自分で司会をしたい、と言い出したので任せたのだが、やはり緊張しているのか、かなり噛んでいる。
(大丈夫かな……)
 壁際に立って見守る治子がそう思った時、バックヤードへの扉が開いて、夏姫と誠二が入ってきた。さっきまで着ていたウェディングドレスから、一転して着物に着替えていた。白に近い、淡いピンクの地に無数の秋の花を散らしたデザインで、ドレスが清楚な分着物は絢爛な物を選んだようだ。洋楽や洋酒を好む夏姫だが、和服も意外に似合っている。誠二は普通の紋付袴で、これもなかなか渋く似合っている。
 主役の登場に拍手が鳴り響くが、その最中ガチャン! という音とキーンというハウリングがスピーカーから聞こえてきた。
 見ると、自分も拍手しようとした朱美が、手をマイクスタンドにぶつけてひっくり返していた。
「は……はうっ……す、すみません。今直します!」
 慌ててスタンドを立て直そうとする朱美が、今度はバランスを崩してひっくりこけそうになる。
「きゃっ!?」
 咄嗟に治子が飛び出し、朱美の身体を支えた。その間に明彦がマイクスタンドを立て直す。
「大丈夫ですか? 朱美さん。ダメだったら代わりますが」
 治子が言うと、朱美はぶんぶんと首を横に振った。
「だ、ダメよ。治子ちゃんの言う事でもそれはダメ。夏姫ちゃんの門出なんだから、私がしっかり見送らないと……」
 治子は頷くと、朱美を立たせてやって後ろに下がった。朱美の気持ちは良くわかる。それを見て、安心したように客が拍手を再開し、新郎新婦が席に座ったところで、朱美が言った。
「ただいまより、元木家、岩倉家、ご両家の結婚披露宴を始めさせて頂きます。本日は、ご多忙の中、ご参会くださいまして誠にありがとうございます。私は、新婦の先輩兼上司で、羽瀬川朱美と申します。僭越ではございますが、本日のご披露宴の司会を勤めさせて頂きたいと存じます」
 いっぺん大失敗したせいか、ちょっと落ち着いたようで、噛まなくなっている。一旦言葉を切って、ふっと微笑んでから続けた。
「なにぶん不慣れのため、見ての通り不行き届きの点が多いことと存じますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
 一瞬会場からクスクスという笑い声が漏れ、続けて拍手が湧いた。あ、上手い、と感心する治子。失敗をダシにして場を和ませるのに成功している。
「それでは、新郎新婦のご紹介をさせて戴きたいと存じます……」
 続けて、朱美が二人のプロフィールを読み上げる。さすがに付き合いが長いだけあって、夏姫がどれだけ優秀な人材だったかを実例付きで上手くまとめ、その夫となる誠二を持ち上げる形で紹介していく。
(何だかんだ言って、やっぱり朱美さんは仕事できるな。私も見習わないと)
 披露宴請負サービス進出の噂は治子も聞いているので、何かあったら彼女も司会をさせられる事があるかもしれない。だから、今日の朱美の仕事ぶりは参考になるだろう。治子はじっと朱美を見て、いろいろ覚えておく事にした。すると、視線に気付いたのか、朱美がぽっと顔を赤らめる。
(……いや、そこでなんで赤くなりますか)
 治子がそう心の中でツッコミを入れると、背後から視線が突き刺さるのを感じた。これは振り向いて確認するまでもなく、さやかと美春のものだろう。成分は嫉妬百パーセント。
(うう……やっぱりこうなるのね)
 治子はだーっと心の涙を流した。

 治子の心労をよそに、結婚披露宴は続いていく。祐介店長がユーモアたっぷりの口調で笑いを取りながら挨拶をする。
「本日お二人の媒酌人を勤めさせていただいております、木ノ下祐介でございます。新婦とは彼女が新人時代に指導をした関係ですが、しっかりした彼女には逆に私が指導される事も多く……」
 他にも、新郎の上司や親族代表の挨拶、ウェディングケーキ入刀といったイベントが続く。
「こちらのウェディングケーキは、当社のパティスリー部門のチーフ入魂の作品です。後ほど皆さんにも召し上がっていただきますので、どうかお楽しみに」
 朱美が言う。最近Piaキャロットはパティシエも増員していて、スイーツに力を入れている。
(そのうちスイーツフェアとかするようになるかもね)
 そんな事を思う治子だった。
 祝宴が始まると、治子たちはまた忙しくなった。料理長が気合入れて作った料理をテーブルに届けて回る。
「ほう、これは美味しい」
「ファミレスの料理なんて、と思ったけど結構本格的ね」
 出席者たちの賞賛の声に、治子は自分が褒められたように嬉しくなる。さっそく、料理を取りに行きがてら、料理長に報告した。
「料理長、お客さんたちに好評ですよ」
「お、そうかい? よーし、おじさんもっと張り切っちゃうぞ」
 彼の気合に応えるかのように、フランペの炎が一際高く上がる。治子は邪魔しないように次の料理をワゴンに載せてホールに出ようとした。すると、夏姫が歩いてくるのが見えた。どうやらこれからお色直しらしい。
「ご苦労様、前田さん。ごめんなさいね、招待状出したのに働かせてしまって」
 夏姫が詫びる。治子は笑顔で首を横に振った。
「いえいえ。夏姫さんの門出をお手伝いできて嬉しいですよ」
 そう答えると、夏姫は微笑んだ。
「ありがとう。本当に貴女にはお世話になりっぱなしね。もし貴女が夏ここへ来なかったら、私は今日という日を迎えられなかったかもしれないわ」
「そんな事ないですよ。私のほうこそ、夏姫さんに出会わなかったら、もっといい加減な気持ちで仕事をしていたかもしれません」
 治子は答え、しばらく見つめ合っていた二人は、どちらからともなくふふっと笑った。
「お互い、良い影響を与え合ったって、事ね」
「そうですね」
 ひとしきり笑いあった後、治子は夏姫に尋ねた。
「そういえば、夏姫さんはこの後仕事どうするんですか? Piaキャロット辞めちゃうんですか?」
「辞めないわよ」
 夏姫は答えた。
「ただ、ちょっと休暇を長期で取って、彼の手伝いをするつもりだけど。夏過ぎてから、ちょっと客の入りが悪いらしくて。彼の店で信頼できる後任を育てたら戻ってくるわよ」
 なるほど、と思う治子。誠二の店は彼女も行った事があるが、おしゃれな良い店だった。夏姫が手腕を見せれば、もっといっぱい客が入ることになるだろう。
「彼はそんな事しなくて良い、って言ってたんだけどね」
 そう言って微笑む夏姫。その表情には、愛する人のために何かができる、と言う事への喜びが溢れていて、治子には眩しかった。

 その会話の後、夏姫はお色直しのために更衣室に入り、治子は仕事に戻ったが、そろそろ料理もメインディッシュが出た後で配るものがなく、ようやく治子たちも落ち着いて祝宴を楽しめる雰囲気になってきた。
「それではしばしご歓談を」
 朱美の言葉と共に、Piaキャロット組も席につく。祝宴の最中、仕事着のままで料理を食べるのは、何となく妙な気分だ。
「あ、本当に美味しいー」
 ナナが笑顔で言うと、美春が溜息をついた。
「でも、この材料だと何時ものうちでは出せないですよね」
「ん? どれくらいかかるの?」
 治子は食べる手を休めて聞いた。すると、司会席から戻ってきた朱美が答えた。
「だいたい、一人あたま一万円くらいかかってるかしら。それでもいろいろ工夫して抑えたから、本当は一万二千か三千円くらいのはずよ」
「そうすると、一品当たり二千円以上ですか。確かに普段はそんな料理出せないですね」
 治子は頷いた。普通セットメニューで頼んでもPiaキャロットの料理は千五百円以内の予算で収まる。これ以上になったら客が来ない。
「でも、たまにはやるのも面白いかもしれません」
 治子の言葉に、朱美が首を傾げる。
「治子ちゃん、何か思いついたの?」
「ええ……まぁ、今すぐって訳には行かないでしょうけど」
 思いついたことがあっても、正式な企画書にして提出しなければそれが実現する事はない。面倒くさいが、治子が店長を目指すなら避けては通れない道だ。
 
 治子が思い付きをどう文書にしようか、と考えていると、朱美が立ち上がった。
「そろそろね」
 司会席に戻った朱美が、マイクのスイッチを入れる。
「宴もたけなわではございますが、ここで新婦よりこれまでの感謝の想いをこめて、ご両親への花束贈呈が行われます。それに先立ち、新婦がご両親への感謝の想いを込めて綴った手紙があります」
 頷いて夏姫が立つ。それまで騒がしかった店内に静けさが戻り、夏姫が手紙を読み始めた。それは、普段クールな彼女の表情とは違い、深い愛情のこもった良い文章で、参列者たちの間には思わず涙ぐむ姿が見られた。
「お父さん、お母さん……今まで育ててくれて、本当にありがとうございました」
 夏姫がうっすらと目に涙を浮かべ、手紙を読み終わろうとする。治子は拍手に備えて手を上げようとして、まだ続きがあることに気がついた。
「お父さん、お母さんだけでなく、私を愛情を持って支えてくれた人々は、もっとたくさんいます。まず、羽瀬川先輩」
 朱美がえっ!? と言う様に顔を上げる。夏姫はその驚きの表情を優しい笑顔で見つめる。
「堅苦しい人間だった私を温かく包んでくれた先輩には、本当に感謝しています」
 思わず朱美の目にぶわっと涙が溢れた。
「ううっ……夏姫ちゃん……」
 言葉にならない様子の朱美。続けて夏姫がPiaキャロット組のテーブルを見る。
「そして、私の口やかましい指導や小言にも、いやな顔一つせずに着いてきてくれた、店の仲間たち」
 この言葉に、ナナや美春たちも涙ぐむ。治子もここで夏姫が自分たちの事をどんなに想ってくれていたか、という事を再確認して感動していたが、次の言葉に思わず硬直する。
「そして、名前を言うとその人が照れてしまうので言いませんが、私と誠二さんを結んでくれたキューピッド。今の私は、そうした人たちの支えあって存在しています。本当にありがとう。その恩に応えるためにも、私は絶対に幸せになります。今も幸せだけど、もっと、それ以上に」
 夏姫が手紙を読み終える。本当はここで朱美が拍手を求めるところなのだが、彼女が泣きじゃくって言葉にならなかった。しかし、盛大な拍手が湧き起こり、夏姫と誠二の未来を祝福したのだった。

 そして、結婚披露宴は終わった。治子たちは後片付けに追われまくり、ようやくすべてが片付いた時には、夜の十時を回っていた。
「はぁ、疲れた……」
 店の外に出て治子が伸びをすると、美春とさやかがその左右を挟むような位置につける。
「でも、素敵な結婚式でしたね」
「うん、それはそうだね」
 さやかの言葉に答える治子。すると、美春が聞いてきた。
「ところで、夏姫さんがキューピッドの話をしたときに、なんだかお姉さま固まってましたけど……もしかして?」
 治子はまた固まった。
「あ、それはアタシも思った」
 いつの間にか来た貴子がそう言って、治子の顔を覗き込む。
「あのキューピッドって、治子ちゃんなんでしょ? 隠さなくてもお姉さんはお見通しよ」
 確信の篭った貴子の言葉に、治子は仕方なく頷く。すると、美春が治子の腕に抱きついてきた。
「やっぱり! 夏姫さんとお婿さんの大人の恋をプロデュースなんて、さすがお姉さま……じゃあ、次はお姉さまと私の恋をインデュースしましょうっ!」
「何がじゃあなのっ!?」
 美春に突っ込みを入れる治子。その反対の腕をさやかが抱きしめる。
「違います! 次は私と治子さんです!」
「あらあら。じゃあ、アタシも参戦しちゃおうかしら」
 貴子がまた治子の頭を胸に抱きしめると、戸締りを終えて出てきた朱美が、ずるいとばかりに背中に抱きついてきた。
「三人とも! 抜け駆けはダメよ!? わたしだって治子ちゃん大好きなんだから!」
 四人の美女美少女に押し潰される治子。傍から見れば天国だが、本人にとっては大変である。
(ぶ、ブーケとらなくてもこの四人には関係ないじゃない……誰か助けてぇっ!?)
 五人の揉み合いは、肝心の治子が酸欠で倒れるまで続いたという。


(つづく)


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