その日は、朝から治子にとっては大変な一日だった。
 いつもの店長修行のため、出勤は本店だったのだが、たまたま留美が同じシフトに入っていたのである。言うまでもない事だが、留美は治子にラブラブだ。当然仕事中も休憩中も甘えまくってくる。
「治子ちゃん、今日この後ヒマ? 新しいコスプレを作ったんだけど、一緒に試着しない?」
「あ、あの、留美さん。今仕事中だから」
 常識人である治子としては、当然そう言って留美の攻撃を回避しようとするのだが、まるで効果がない。しかも、本店には留美だけでなく、あの娘もいた。
「……」
 背筋に寒気を走らせる嫉妬の視線。
「……」
 振り向くと、そこではさやかがじっと治子と留美の様子を見ていた。あずさの炎のような嫉妬心に比べると、さやかには冷たい氷のようなものがあり、それが凄みになっている。
(……どうすりゃ良いんだ、この状況は……)
 頭を抱えそうになりつつも、どうにか勤務を終えてみれば、今度は二人が入れ代わり立ち代わり着替え中を襲ってくる。その魔手を逃れ、やっとの思いで中杉通り行きの電車に乗り込むと、治子は溜息をついた。
「はぁ……少し休みたいなぁ」
 とはいえ、店長修行のために一号店と二号店を行ったり来たりする毎日では、そう簡単に休みなど取れない。何か口実でもなければ。
 ところが、寮に帰った治子を待っていたのは、その口実だった。それは一枚の葉書の形をしていた。

Welcome to Pia Carrot2 And 3 Sidestory

前田治子物語

自爆少女シリーズ 追加オーダー


五品目 再会


 美崎海岸行きの急行電車は、滑るように中杉通り駅を発車した。この電車に乗るのは二回目だ。
「あれももう三ヶ月も前の事か……四号店のみんなは元気かな?」
 治子は流れていく車窓の風景を見ながら呟いた。あの時の彼女は、まだ女の子になってから一週間ほど。自分の先行きすらわからず、どうしても暗い気持ちにならざるを得なかったが、今の治子は楽しそうな表情を浮かべていた。

 今回彼女を美崎海岸へ誘った葉書。それにはこう書かれていた。

拝啓 前田治子様
皆様にはますますご清祥の事とお慶び申し上げます。

さて、この度、木ノ下祐介様さとみ様ご夫妻のご媒酌により

岩倉夏姫
元木誠二

の婚約が整い結婚式を挙げることになりました。
つきましては、今後とも幾久しくご懇情賜りたく、ご多忙中誠に恐縮でございますが、ご披露かたがた粗宴を催したく存じますので、ご臨席賜りますよう謹んでご案内申し上げます。

敬具

「あ……夏姫さん、とうとう結婚するんだ……」
 治子は葉書を手に呟いた。思えば、どこかぎくしゃくしていた夏姫と元木の仲を取り持ったのは彼女である。自分がキューピッド役をした二人がとうとう結ばれるとなれば、なかなか感慨深いものがある。
「これはぜひとも行かないと……って、あれ?」
 媒酌人、つまり仲人の名前を見て、治子は首を傾げた。祐介店長夫妻の名前である。あの二人、仕事で良く顔を合わせるのに、夏姫の結婚の話は一言もしてくれなかった。
「明日問い詰めよう」
 治子はそのついでに出席のための休暇をもぎ取る事を決意した。

 翌日、治子は出勤と同時に、祐介に夏姫の話を聞きに行った。
「ああ、確かに僕たちが仲人をするよ」
 祐介はあっさり頷いた。話によると、祐介は夏姫が新入社員の頃、妻のさとみと一緒に教育を担当していて、お互い良く知る間柄だと言う。仲人をしてくれというのも、夏姫からの強い依頼によるものだった。
「そうだったんですか……」
 治子は納得した。まぁ、Piaキャロットはグループ拡大中とはいえ、まだまだ小さな会社だ。社員全員の顔を知っている人も多い。まだ入社して2年目の治子はその域に達していないが。
「それで、岩倉君からは招待者を驚かせたいから、最後まで内緒にしておいてくれと言われていてねー」
 黙っているのは大変だった、と言いながら祐介は笑った。そして、治子の顔を見た。
「もちろん君も出席するんだろう? 前田君」
「ええ、行きますよ」
 治子は微笑んで頷いた。夏姫には四号店出向中に色々と世話になったし、ぜひ祝福したい。
「よし。じゃあ、当日を挟んで三日間お休みをあげよう。向こうの人たちとも久々に会うんだろうし」
 祐介の見せた太っ腹さに、治子は躍り上がって喜んだ。
「ありがとうございます、店長!」
 
 こうして、治子は美崎海岸行き急行の乗客となったのだった。中杉通り駅を発車した電車が次の駅に着くと、見知った顔が車窓の向こうに現れた。
 さやかと明彦の二人である。二人は列車に乗り込んでくると、さやかは治子の隣に、明彦はその向かいに座った。
「お久しぶりです、治子さん」
「うん、久しぶり。元気だった?」
 治子が微笑みながら言うと、明彦は頭を下げた。
「おかげさまで。受験の方も何とか頑張ってますよ」
 久しぶりと治子が言うように、明彦は四号店から戻り、夏休みが終わると、バイトを辞めた。というのも受験勉強に専念するためで、志望大学は美崎海岸の方だという。受かったら四号店に再度バイトを申し込み、織江と一緒に仕事をするつもりなのだそうだ。
「織江ちゃんとは、その後どうなのかな」
「ええ、よく電話したり、メールをやり取りしたりしてます。この間の連休は久々に会いにも行きましたしね」
 少し照れながら言う明彦の表情には、晴れやかなものがある。治子とさやかの間で揺れ動き、最終的にはその恋には破れたものの、本当の意味で運命の人と出会えた今、明彦には昔のような陰りのあるところは見られなかった。
(うらやましいね、まったく)
 治子がそう思ったとき、さやかがきゅっと彼女の腕に抱きついてきた。顔が少し膨れているのは、自分を放っておいて明彦とばかり話をする治子への抗議の意図だろう。
「四号店、久しぶりですね」
「そ、そうだね」
 治子は冷や汗を流しながら答えた。結婚式場の教会は、四号店のある美崎海岸からは、山を挟んで反対側の藤ヶ崎にあるそうだが、披露宴は四号店を貸しきって行われる事になっている。ちなみに、藤ヶ崎では今、五号店の出店計画が進んでいて、正式着工も間もなくである。
 実は、治子にとっても五号店の事は他人事ではない。ひょっとしたら、彼女がそこの店長になれるかもしれないからだ。
 まぁ、開店は当分先の話だし、今は未来の事よりさやかの事に精神を集中しておかないと、後が恐そうだ。治子はそう意識を切替えて、さやかの相手に専念した。
 やがて電車は東京の市街地を抜け、海岸沿いを走り始めた。いくつかの街を抜け、トンネルを通り過ぎると、目指す美崎海岸はもうすぐそこだった。

「美崎海岸〜、美崎海岸〜。どなた様もお忘れ物の無い様お降りください……」
 電車がプラットフォームに滑り込み、三人は駅に降り立った。とたんに吹き付ける潮の匂い。さすがに温暖な土地だけあって、もう秋も深まる季節だと言うのに、美崎海岸はまだ暖かな陽気に包まれていた。期せずして三人とも、一度は着た上着を脱いで腕にかける。
「うわぁ……暖かいなぁ……」
 治子は言った。上着は脱いだが、それでもかすかに汗がにじんでくるのを感じる。寒い東京に慣らされた身には暖かいと言うより暑いと言った方が近い。
「冬でもサーフィンをやる人たちはここに来るらしいですからね。確かに納得……」
 明彦も手で顔をぱたぱたと扇いでいる。三人が暖かさを話題にしながら駅を出ると、そこでは懐かしい顔が彼らを待っていた。
「はぁい。おひさしぶり♪」
 いたずらっぽい声をかける、長身の見事なスタイルの女性。治子の顔がほころんだ。
「お久しぶりです、貴子さん」
「ほんとねぇ、治子ちゃん。元気そうね〜」
 貴子だった。彼女はニコニコ笑いながら歩み寄ってくると、治子をぎゅっと抱きしめる。
「むぎゅ」
 治子と比較してもボリュームのある胸に顔を押し付けられ、彼女は窒息しそうな声をあげた。
「今日はみんな寮に泊まりなのよね?」
 治子を抱きしめたまま、貴子が聞いた。明彦はええ、と普通に頷いたが、さやかのほうはかなりむくれた顔つきになっていた。
「……はい、お願いします」
 一見平静だが、火山性微動のような、静かだが熱い嫉妬が篭った声に、治子はがくがくぶるぶると怯え、貴子はニヤりと笑った。
(あああ、貴子さん、煽らないでぇぇ……)
 久々に休めると喜んだのも束の間、休暇が無事に終わるよう祈る治子だった。
「じゃあ、車を回してあるから、早速寮に行きましょ」
 ようやく治子を放した貴子が、そう言ってエプロンのポケットから鍵を取り出した。その瞬間、治子もさやかも明彦も凍った。貴子のクレイジードライバーぶりは三人とも身に沁みて知っている。
「あ、お、俺、織江と待ち合わせしてるんでこれでっ!」
 真っ先に逃げたのは明彦だった。
「あ、ま、待て神無月! それはズル……いっ!?」
 それを追いかける振りをして逃げようとした治子だったが、速攻で貴子に捕まった。
「あら、ダメじゃない、せっかくの二人の再会を邪魔したら」
「そういう問題じゃあっ……!」
 と、こちらも逃げるのに失敗して捕まっているさやか。
「まぁまぁ、良いじゃないの。せっかく新車買ったから、誰か乗せてみたいし」
「「いやーっ!?」」
 貴子の言葉に、治子とさやかの悲鳴がきれいにユニゾンして響き渡った。

「はい、到着〜」
 車が寮の駐車場に滑り込むと、治子とさやかは抱き合って無事を喜び合った。駅から僅か十分ほどの道のりだったが、確実に一分辺り一年は寿命が縮んだと思う。
「生きてる……良かった!」
「今なら命の大事さが分かります……!!」
 大げさに喜んでいる二人に、ちょっと傷ついた表情をしつつ、貴子は懐かしい二人の部屋の鍵を渡してきた。
「ほら、荷物を置いてきたら? その後お店に連れて行くから」
 貴子の言葉に、二人は深く頭を下げた。
「いや、もう大丈夫です!」
「後歩いていけますから!」
 どうせ歩いても五分ほどの道。わざわざ車で行くことも無く、それ以前に命が惜しい。
「ぶー……」
 膨れっ面の貴子を後目に、治子とさやかは荷物を部屋において、四号店に向かって歩き始めた。

 寮の前の道を下り、目指す海岸通りへ出ると、懐かしい四号店はもう目の前だった。正面のドアを開けるとチャイムが鳴り響き、奥から一人の女性が出てきた。
「すいません、今日はもう営業はして……あっ!?」
 女性の顔が見る間にほころび、そのまま駆け寄ってくると、治子に抱きついてきた。
「うわぁ、お久しぶり、前田さん。元気だった?」
「え、ええ。朱美さんも元気そうで何よりです」
 治子はこれで抱きつかれるのは何度目だろう、と思いながら答えた。抱きついてきた女性、朱美は相変わらず少女のような笑顔で治子を見ていた。
「こほん……朱美さん、営業してないって、どうしたんですか?」
 さやかが注意を促すように咳払いをしながら言うと、朱美はようやくさやかの存在に気がついたように、視線を彼女に向けた。が、治子には抱きついたままだ。
「あら、高井さんも久しぶりね……もう明日の披露宴の準備をはじめてるのよ」
「え、もうですか?」
 治子は店内を見た。テーブルが少し窓際に寄せられて、新郎新婦と仲人の席が一段高いところに作られ、どこから持ってきたのか金屏風まで飾られている。そして、昇ともう一人、男子店員がテープの飾り付けなどに余念が無い。
(新しく男の子を採用したのか……ん? あれは)
 治子がその男子店員が誰なのかに気付くのと同時に、その姉が元気良く治子の背中に飛びついてきた。
「お久しぶりです、お姉さまっ♪」
「わっ!」
「きゃん!」
 どすん、というショックに治子は驚き、朱美は弾かれて床にしりもちをついた。
「み、美春ちゃんも元気そうで……」
 治子が振り向こうとすると、美春はさっきの朱美にも負けない満面の笑顔で治子の肩に回した腕に力をこめ、身体を擦り付けてきた。
「会えなくて寂しかったです、お姉さま……今夜はゆっくりお話しましょうね」
「う、うん。みんなも一緒に」
 治子は頷きながら、慌てて一言付け加えた。ここで「二人っきりで」という事になれば、何をされるかわかったものではない。
 その騒ぎを聞きつけ、男子店員ズ……昇と美春の弟、春彦も作業の手を止めて近づいてきた。
「治子さん、お久しぶりです!」
「姉がお世話になってます」
 元気良く叫ぶ昇と、折り目正しい春彦。なかなか対照的な二人だ。
「やぁ。春彦君、ここで働き始めたんだ」
 治子が言うと、彼はええ、と少し照れたような表情で頷いた。
「姉さんと同じところで働こうと思いまして……もっとも、姉さんはもうすぐ引越しですが」
「え?」
 治子はどういうこと? という感じで美春の方を見た。彼女が答えるより早く、ようやく立ち上がった朱美が事情を教えてくれた。
「冬木さん、今度正式にPiaキャロットに就職したのよ。マネージャー候補と言う事で、しばらくは本店で研修よ」
「そうなんですよね〜……本当はお姉さまと同じ二号店勤務が良かったのに……でも、家が近くなるから、今よりも頻繁に会えますよね」
 最初は不満そうな表情をした美春が、すぐににっこりと笑う。見事な百面相だ。
「あはは〜……そうだね」
 治子は一応嬉しそうな表情をしたが、美春が本店に来た後の状況を想定して、かなり頭痛がした。あずさ、つかさ、留美、さやか、ともみだけでも強烈なのに、美春が加わったら、自分はどうなってしまうのだろう。
(まぁ、自分で選んだ道だからしょうがないけど)
 彼女たちを見守るのは、治子が自分と玉蘭に誓約した義務だ。今更逃げるわけにも行かない。
「まぁ、せっかくだから飾りつけ手伝いますよ」
 治子が言うと、朱美は嬉しそうに手を叩いた。
「本当? 織江ちゃんが神無月君を迎えに言っちゃって、人手がちょっと足りなかったのよ〜。お願いできるかしら?」
 朱美の言葉にさやかも頷き、ようやく美春から解放してもらえた治子もテーブルのクロス掛けや花瓶を飾り付ける作業を手伝い始めた。
 結局、全ての準備が終わったのは夕方近く、いい加減陽も傾いてからだった。もっとも、朱美は料理長と明日の披露宴で出すメニューの打ち合わせを続けている。
「じゃあ、前田さんたちは先に寮に戻っててくれる? もうすぐ夏姫ちゃんも来ると思うから」
「はい、わかりました」
 朱美の言葉に頷いて、治子たちは店を後にした。昼間は結婚式場となるチャペルで予行練習や打ち合わせをしていた夏姫も、独身最後の夜を仕事仲間たちと過ごすべく、寮に来るらしい。まずは前夜祭と言うところだろう。
「それにしても、夏姫さんのウェディングドレスってどんなのなんでしょうね〜? やっぱり夏姫さんだと大人っぽいセクシーなデザインでしょうか」
 そう言い出したのはナナだった。ここにいる女の子たちの中では、唯一ちゃんと彼氏がいるノーマルな娘だからかどうかは知らないが、結婚と言う言葉にはやはり憧れがあるようだ。
「どうかな。夏姫さんは何も言ってなかった?」
「ええ、当日まで内緒だって」
 治子の問いに答えるナナ。
「案外可愛い路線だったりして」
「夏姫さんくらいスタイルが良くて背が高ければ、何でも似合いそうな気もしますけどね」
 さやかと美春が口々に予想や見解を述べる。そのうちに、どんなデザインでどんな色か、といった予想をネタに賭けが始まった。
「お姉さまはどう思います?」
 美春の問いに、治子は少し考え込んで、ふと思いついたことを口にした。
「んー、じゃあ、私は純白で清楚系のデザインに賭けるよ」
「治子さんは純白・清楚系と……」
 さやかがメモ帳に各自の予想を書きとめると、治子の顔を見た。
「それで、何を賭けます?」
「あ、そうか。一応賭け事なんだっけ……無難に一食奢るとか?」
 治子がさやかの質問に答えると、美春がとんでもない事を言い出した。
「ここはやっぱり、お姉さまと一晩水入らずで過ごせる権利とかはどうですか?」
「却下。っていうか、何がやっぱりなの」
 治子はきっぱり断ったが、一瞬朱美とさやかがものすごく残念そうな顔をした。

 そんな会話をしつつ、一行が寮に戻ると、やはり出かけていたのか、貴子が車からダンボール箱をいくつも降ろしていた。どうやら買出しに行っていたらしい。それを先に戻ってきたのか、明彦が手伝わされていた。
「あ、治子ちゃん。お帰りなさい」
 貴子がジャガイモの詰まった箱を軽々と抱えたまま笑う。
「ただいま。今夜の食材ですか?」
 治子が聞くと、貴子はにっこり笑った。
「そうよ〜。腕によりをかけるから、楽しみにしてなさいね」
 そう言って明彦の方を向く。
「というわけで、荷運びもよろしくね」
「は、はぁ……」
 明彦が汗だくで答えた。見ると、彼の足元には野菜やら肉やらがみっしり詰まったダンボール箱が十個以上あった。それも、一つ運ぶだけでも、相当な体力が要りそうな大きさのものである。
「昇ぅ〜、手伝ってくれ〜」
 既にかなり消耗している様子で言う明彦に、昇がおぅ、と答えて向かおうとするが、治子はその腕を取った。
「え? な、なんですか? 治子さん」
 ちょっとドキッとした表情の昇に、治子はにやっと笑って答えた。
「あ、いいのいいの。あれ罰ゲームみたいなものだから」
 よこでさやかもうんうんと頷く。さっきの駅で、明彦が貴子の運転からとっとと逃げた事を忘れていない二人だった。

 その後、織江との再会があり、またひとしきり場が盛り上がったところで、玄関の方から車の止まる音が聞こえてきた。治子がそっちを向くと、白いセルシオが寮の前の道路に止まっている。その助手席が開き、降りてきたのは夏姫だった。彼女は運転席の方へ回ると、明日夫になる元木と二言三言交わし、軽くキスをして別れる。その一つ一つの仕草がなんとも絵になっていて、見ていた治子たちは何ともいえない気分になった。
「さすが夏姫さん……」
「あれが大人なんですね……」
「かっこよすぎる……」
 口々に言う少女たち。その前に悠然とした足取りでやってきた夏姫は、治子とさやかに目をやって嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「前田さん、高井さん。来てくれたのね。ありがとう」
「ええ、夏姫さんの一生に一度の晴れ舞台ですし」
「幸せになってくださいね」
 治子とさやかはそう答えた。そこへ、菜ばしを持った貴子が台所から出てくる。
「お、主賓の来場ね。それじゃあ、前菜とかはもうできてるから、運ぶの手伝って」
「はーい!」
 
 十数分後、料理が広間に並べられて準備が整うと、主賓である夏姫の挨拶から宴は始まった。
「今日は私のためにみんなありがとう。特に、わざわざ東京から来てくれた前田さんたち。本当に嬉しいわ」
 いつもは固い夏姫も、今日ばかりは砕けた話し方である。特に話を長引かせる事もなく、グラスを掲げてにっこり笑う。
「それじゃ、乾杯!」
「かんぱーい!」
 かちんかちんとグラスが打ち合わされ、Piaキャロット四号店恒例の無礼講が始まった。自分で作ったものは自分で始末する、と言わんばかりの猛烈な食いっぷりを見せる貴子と、それに追随する昇。見ているだけで楽しいらしいナナと織江。マイペースにお酒の方を楽しむ夏姫と、それに付き合って目がとろんとしてきている朱美。
(うーん、懐かしい雰囲気だなぁ。宴会に関しては四号店の方が楽しいかな)
 目を細める治子の右隣に、早くも美春がやってきた。すると、負けじとばかりにさやかが左隣に座る。二人とも手には何かのグラスを持っていて、競うように差し出してきた。
「お姉さま、こっちも美味しいですよ♪」
「これも美味しいですよ、治子さん」
 治子にお酒をすすめつつ、視線では火花を飛ばしまくる二人。治子は引きつった笑顔を浮かべ、冷や汗を流した。
「あ、あはは……そ、そういえば、二人とも最近はどんな感じ?」
 治子は雰囲気を変えるべく、自ら話題を振った。すると、さやかが先制パンチを繰り出した。
「どうって、良く一緒に仕事してるから知ってるじゃないですか?」
 途端に額に青筋を浮かべる美春。「良く一緒に」という部分が引っかかりまくりなのだろう。
「そんな事より、お姉さまの近況をもっと聞かせてください」
 一緒にいる時間では圧倒的不利な美春は、あえて自分の事は言わずに治子の事を聞いてきた。
「え? そうだね、最近は店長候補になったから、修行が忙しくて」
 そう答えると、美春は目を輝かせた。
「すごいです、お姉さま! よーし、私頑張ってお姉さまの店のマネージャーになりますね!」
 そういう姉に、春彦が横からツッコミを入れた。
「でも、姉さんは四号店勤務が内定して……ぐふっ!?」
 望ましくない未来予想図を語り終える前に、春彦は姉の肘打ちで撃沈された。
「ひ、酷いよ姉さん……」
 うずくまってさめざめと泣く春彦に、顔が似ているせいか、彼には親近感を抱いているらしい明彦が、向かい側から南無ー、と合掌する。
「内定が何よっ! お姉さまと私の明るい未来は誰にも邪魔させないわ!!」
 そう力強く宣言する美春に、さやかがむっとした表情で続く。
「わ、私だって治子さんのお店で……!」
 そう言ってまたにらみ合う二人。治子はこの状況では何を言っても胃が痛くなる結果にしかならないことを痛感させられた。
「で、でもまだ店長になれるとは決まってないんだけどね……競争相手が強力だし」
 治子が言うと、さやかが頷いた。
「留美さんですからねぇ……」
 留美はオーナーの娘ということを差し引いても、強力極まりないライバルだ。Piaキャロットでの仕事暦は治子の倍以上長く、経営や人事にも明るい。その点まだ修行中の治子にしてみれば、同じ次期店長候補とは言っても、自分が敵うような相手ではないと思っている。
 それでも頑張れば留美の次くらいには店長になれるかもしれないし、修行自体は決して無駄にはならないので、負ける戦を戦っていることはあまり気にしていないのだが、気にしたのは美春だった。
「何を言ってるんですか! お姉さまなら誰が来たって勝てます! 私が保証します!」
「あはは、ありがとう、美春ちゃん」
 根拠はなくとも力強い美春の檄に、治子は笑顔で礼を言った。すると面白くないのがさやかである。何か言おうとして、次の瞬間彼女は誰かに押しのけられた。
「え? あ、きゃっ!?」
「きゃっ!」
 バランスを崩し、横にいたナナに突っ込むさやか。彼女をそんな目に合わせたのは、真っ赤な顔をした朱美だった。かなり酔っている。
「なぁに〜? 治子ちゃん店長になるの〜?」
 座った口調で聞く朱美に、治子は思わず頷いていた。
「え、えぇまぁ……性格に言うとまだ候補ですけど」
「そう……店長はねぇ〜、そう簡単になれるほど甘くはないのよぉ〜?」
 グラス片手に絡み上戸モードの朱美がますます迫る。治子は思わず後ずさり、美春にぴたっと密着する形になった。喜ぶ美春。そんな事をしている場合ではないのだが。
「わ、わかっていますよ、もちろん」
 迫力に気圧されつつも治子が頷くと、朱美はグラスをカツーンと激しくテーブルに置いた。
「わかってなぁい! 良い治子ちゃん。店長はねぇ、店長はねぇ……」
「は、はいっ!」
 思わず背筋を伸ばした治子だったが、次の瞬間。
「店長はねぇ……店長なのよぉ〜!?」
 朱美の言葉に、治子はその場にくたくたと崩れ落ちた。
「朱美さん……おそ○くんのOPじゃないんですから……」
 治子が言うと、それまで怒っていたような朱美の顔が、一瞬で泣き上戸モードに変化した。
「知ってるわよぉ、そんなの〜……ううっ、私はどうせ年増よ……お○松くんをリアルタイムで見ていた歳よぅ……」
「だ、誰もそんな事言ってないのに……って言うか私も見てましたよ。あうぅ、誰か助けてぇ」
 自分の方こそ泣きたい。治子は痛切にそう思った。すると、その祈りが通じたように、救いの手が現れたのである。
「先輩、いい加減にしてください。前田さんが困っているでしょう」
 夏姫がひょいっと朱美を摘み上げるようにして連れて行く。
「やーん、夏姫ちゃんの意地悪ーっ!」
 じたばたと暴れながら引きずられて行く朱美。すると、ようやく姿勢を立て直したさやかが、治子の腕を抱くようにして密着してきた。
「治子さんはきっと素敵な店長になりますよ。その時は私も……」
 そう言いながら、さらに身体をすり寄せてくるさやか。まけじと治子の背中からくっついてくる美春。押し潰されそうになりながら、治子はひたすら涙するのだった。
(明日、こんなんで無事に済むのかなぁ……)


(つづく)


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