りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜


外伝その4 お気に入りの場所


 学校の裏山。
 それは、学校と言う青春群像の舞台の中に時々登場する場所である。しかし、実際にはそんな裏山に恵まれた学校はそうそうない。都市部の学校なら、そもそも周囲は住宅地ばかりで山など無い事が多いし、田舎に行けば裏山どころか表も隣も斜向かいも山であったりする。
 そうした中で、このしおさい女子寮のある街の、寮生たちが通う高校には絵に描いたような裏山が存在していた。標高は100メートル有るか無いか。山腹は雑木林に覆われ、動物もけっこう住んでいる。本来ならもう少し本格的に山のほうへ行かなければ見つからないような鳥や、タヌキの姿も見ることができる。消毒せずに飲める綺麗な湧き水さえ存在している。
 麻生絵美のお気に入りの場所は、この裏山だった。休みの日で、彼女が良くアシスタントとして手伝っている和希の仕事がそれほど切羽詰っていない時は、ここへスケッチに来るのが彼女の安らぎの一時である。
 今日も、絵美は先日見つけた木の切り株に腰掛け、裏山の風景を熱心に紙に写し取っていた。視線の先には湧き水に集まる動物たちの姿がある。最初は絵美が来ると逃げ出していた彼らも、彼女が絵を描くだけで何もしないとわかると、平気で水を飲むようになっていた。
「…できた」
 絵美がつぶやくと、まるでその言葉がわかるように、泉のそばにいたタヌキが彼女のほうを振り向いた。絵美は鞄から来る途中に買ってきたコロッケを取り出し、半分に割ると、一つを地面に置いた。タヌキが走り寄ってきてそれにかぶりつく。さらに、絵美はパン屑も撒いた。これには小鳥やリスが食いついてきた。これらは、いわばモデル料の代わりだ。
「みんな、ありがとう」
 絵美は微笑んで、残ったコロッケの半分を口に運んだ。彼らのおかげでなかなか良い絵が描けた様である。絵美の顔にはコロッケが美味しいだけではない幸せそうな笑顔が浮かんでいた。
 木漏れ日の揺れる泉とそこに戯れる動物たち、そして、彼らに囲まれて微笑む一人の美少女。
 絵美お気に入りの場所は、彼女自身が絵の中の登場人物でもあるような、そんな場所である。

 商店街。
 この街の商店街は、大手スーパーなどが出店していない分、昔ながらの店が建ち並び、地元に密着した暖かい雰囲気がある。その一角に、好きな人にはたまらない甘い香りを漂わせる店があった。大判焼の専門店である。
 大判焼と言うと中身はあんこと決まっているが、ここは専門店だけあって、メニューが豊富だった。チーズ、カスタードクリーム、チョコバナナ、いちごジャムなどなど、何でもありである。
 折原美紗緒はその店の前で、メニューとにらめっこをしていた。
「む〜…小倉クリームも食べたいけど…」
 どうやら、もう一種類買うかどうかで悩んでいるようだ。
「む〜…でもこれを買っちゃうと後が苦しいよ…」
 美紗緒はそう言いながら、今度は財布とにらめっこした。だいぶ薄い。
「む〜、祐香ちゃんには、もう貸さないって殴られたし」
 一番の親友にしてお目付け役の相沢祐香の名前を出す。今月も彼女から借金しすぎて、とうとう怒られたらしい。その時に頭を叩かれた痛みを思い出したのか、ちょっと美紗緒の顔に痛そうな表情が浮かぶ。
 すると、店の親父が美紗緒に声をかけてきた。
「まぁ、美紗緒ちゃんはお得意様だからね、一個おまけしてあげるよ」
 その瞬間、彼女の顔が輝いた。
「本当っ!?」
 親父は頷いた。
「本当だとも。小倉クリームで良いのかい?」
 美紗緒は飛び跳ねて喜びを表現しながら答えた。
「うんっ♪ありがとう、お兄ちゃん!」
「お、お兄ちゃん…?よ、よぉし、もう一個…いや、三個おまけしてあげよう!!」
 親父はその一言に大喜びして、いそいそと焼きたての大判焼を紙袋に放り込んでいく。それを受け取り、美紗緒は親父に飛び切りの笑顔を送って店を後にした。早速一つ手に取ってかぶりつく。
「む〜…幸せ〜♪」
 甘味を噛みしめ、至福の表情でスキップしながら商店街を闊歩する美紗緒。彼女にとって、ここは幸せの国なのだ。

 市立公園。
 ここには地方都市にしてはなかなか立派な運動施設が付属している。そのグラウンドの100メートルトラックで、伊藤麻咲と相沢祐香の二人が練習をしていた。正確に言うと、練習をしているのは麻咲一人で、祐香はその付き添い役である。麻咲は陸上部のエースで、祐香はマネージャーなのだから、二人がこうしているのはおかしくない。
「よーい、スタート!」
 祐香が手を振り下ろしながらストップウォッチのボタンを押す。同時にクラウチング・スタートの姿勢からダッシュした麻咲が、たちまち速度を上げて100メートルの距離を駆け抜けた。
「ふぅ…どうだった、祐香?」
 100メートル地点に立っていた祐香のところへ戻って来た麻咲が尋ねると、祐香はストップウォッチを見つめて答えた。
「えっと…いい感じですね。この間より少しまたタイムが縮んでますよ」
 祐香はタイムを確かめてにっこりと笑った。釣り目気味で、性格も少しキツいと言われている彼女だが、こうやって笑うとなかなか可愛いなと麻咲は思っていた。
「そうか。でも、まだまだ本選を勝ち抜くには足りないな…よし、少しランニングしていくか。祐香、付き合うか?」
「はい、伊藤先輩」
 麻咲の質問に祐香は頷いた。麻咲のトレーニングルックに合わせて、祐香もパーカーにショートパンツ、髪型はポニーテールと動きやすい服装にしている。彼女は走り出した麻咲を追いかけ、その横に並んで公園を一周するランニングコースに入って行った。
「しかし、祐香ももったいないよなぁ…けっこう走るの速いし、体力もあるんだからマネージャーじゃなく選手になれば良いのに」
 走りながら麻咲は祐香に話し掛けた。
「でも、あたしは必要に迫られて走ってるんであって、伊藤先輩みたいに走るのが好き、って言うわけじゃないですからねぇ」
 祐香は答えた。彼女が走るのが速いのは、普段一緒にいる美紗緒が遅刻魔のため、毎朝必死に寮から学校まで走っているからだ。麻咲はその事を思い出して苦笑した。
「そうか。でも、気が変わったら何時でもオレに言ってくれよな」
「はい、先輩」
 笑う祐香。公園の中を駆け抜けながら、二人は一時のおしゃべりを楽しむ。彼女たちのお気に入りの場所は、そんな時間を共有できるところだ。

 海辺のレストラン。
「いらっしゃいませ、Piaキャロットへようこそ!」
 前田治子は明るい声で客を出迎え、席に案内した。メニューを渡し、別のテーブルに向かってオーダーを取り、厨房に伝え、できた料理を運ぶ。その動きには実に無駄が無い。この仕事に熟練した人間の持つ、洗練された動きだ。
「前田チーフ、レジお願いします」
 まだ店に入って間もない男子のアルバイトスタッフが、キャッシャーで待っている客を確認して声をかけてきた。
「あぁ、君がやっておいて」
 治子はそのバイトの要請を一蹴した。
「え、ええ!?」
 バイトは動揺した。一応、このバイトに採用された後でレジ打ちの研修は受けたが、何しろお金を扱う仕事だ。急にやれと言われても困ってしまう。
 しかし、そのバイトの動揺を鎮めるように、治子は彼の前に立って言った。
「誰だって初めてはあるんだよ。私だって最初はレジ打ちは間違えないかと心配だったけど、大丈夫。やればできるもんだよ」
 そう言って微笑む治子の姿に、バイトの彼は心臓が高鳴るのを感じた。身長こそ彼より頭一つ分近く低いが、制服の上からでもわかるスタイルの良さと、いかにもお姉さんっぽい落ち着いた笑顔は、なんともまぶしい存在だった。
「さぁ、お客さんを待たせちゃダメ。頑張ってきなさい。間違ったとしても、その責任を取るためにチーフの私がこうやっているんだからね」
「は、はい!」
 バイトは力強く頷き、キャッシャーに飛んでいった。ややぎこちないながらも、レジ打ちをこなす彼を頼もしげに見やり、治子は思った。
(ここで働く人間は、だいたいバイトから正社員になりたいと思うものだからね。今のうちに頑張れば、きっと後が楽だよ)
 そう考えながらも、体は休み無く動いて仕事をこなす。そんな彼女の姿に、このバイトを選んでよかった、と思う店員は数知れない。
 治子は誇りを持って働ける今の職場を、心の底から気に入っていた。それは、彼女と共に働く多くの仲間たちにとってもそうである。

 しおさい女子寮。
 海を見下ろす丘の上に建つこの寮は、建物はそれほど大きくないが、海の方向にかなりの面積をもつ庭が存在している。そこでは長瀬ひろのと相川真奈の二人が洗濯物を干していた。
「さぁ、どんどん干しちゃおうっ!」
「うんっ!」
 この二人、外見は仲のいい姉妹、と言う感じである。ひろのが姉で、真奈が妹だ。しかし、実際には同じ年齢であり、クラスも一緒だったりする。外見的ギャップは大きいが、二人は非常に仲のいい友人同士である。
 そのためか、寮の管理人と言う副業を持つ真奈の手伝いを進んで買って出るのは、いつもひろのだった。彼女は事情があって料理こそできないが、掃除洗濯はきちんとこなしている。
 やがて、庭に置かれた物干し竿には、海風にはためくカラフルな布の群れが出現して行った。純白のベッドシーツに、寮生たちの衣服。竿によって持ち主が違うところはなかなか芸が細かい。
「ふぅ、終わったぁ」
「後は乾くのを待つだけね」
 一仕事を終えた二人は満足そうに微笑んだ。あとは海風と、この高台では雲以外に遮るものの無い太陽の光が洗濯物を乾かしてくれるだろう。特に、低血圧体質で寝るのが好きなひろのにとっては、洗濯をした日のシーツを使うのは楽しみの一つだ。たっぷりと日光を吸い込んで、そのぬくもりが残っているような気のするシーツと、よく干してふかふかになった布団で寝る時の寝心地の良さときたら、これに勝る至福はない。
「でも、その前にもう一仕事しないとね…」
「うん、和希さんの部屋だね」
 ひろのの言葉に真奈は頷いた。寮の住人で、人気漫画家の千堂和希はその多忙ゆえにほとんど掃除ができない。いや、そもそも掃除をする能力が欠如しているのだ。特に〆切前の修羅場の後に彼女の部屋に足を踏み入れるものは、そこに地獄絵図を見出すことになる。床を埋め尽くす、丸められたボツ原稿。机の周りに飛び散ったトーン屑。散乱する漫画道具…一度など、カッターやペンが壁や天井のあちこちに突き刺さっていたことさえある。よほどネタ出しに苦労したのだろう。
「でも、やらなきゃね」
「うん、気合を入れていくよ」
 二人は見つめあい、頷くと腕まくりして寮の中に入っていった。掃除が終わったら洗濯物を取り込み、真奈は夕食の準備、ひろのはアイロンがけ。どっちも大変な仕事だが、二人は嫌がるそぶりのかけらも見せない。
 真奈とひろの、家庭的な事が好きな二人の少女が愛するのは、誰かのために働く、と言うこの時間である。

 昼なお暗い古代遺跡。
 それは、悪用すれば世界を征服し、善良な人々をことごとく奴隷の地位に貶める事すら不可能ではない、太古の叡智が封印された場所。
 その暗い通路に、一人の女性が立っていた。その女性を挟むように、黒い戦闘服に身を固めた十数人の屈強な男たちが陣を敷いている。彼らの手にはアサルトライフルやサブマシンガンと言った剣呑極まりない武器が構えられていた。
 これに対し、女性の手には何の変哲も無い竹のほうきが握られているだけ。男たちが軽く指を動かすだけで、女性の身体は引き裂かれ、朱に染まって倒れ伏すだろう。
 その絶対の優位を確信して男たちの指揮官が叫ぶ。
「とうとう追い詰めたぞ、“マジカル・レイダー”! これだけの数の対呪法銃の前では、いかに貴様とて何もできまい。ここがお前の墓場になるのだ!!」
 高笑いを挙げる指揮官。しかし、マジカル・レイダーと呼ばれた女性には動揺の色は無い。その形のいい唇に笑いが浮かぶ。それが、指揮官の勘に触った。
「何が楽しい!」
 指揮官の怒声に、マジカル・レイダーは楽しそうな笑い声で答えた。
「確かに、良く練った罠ね。でも、その程度でこのマジカル・レイダー・メイを追い詰めたと思ったら大間違いよ! 出でよ、大地の兵士たち!!」
 彼女の叫びと共に、石の床から人の形をした無数の何かが立ち上がる。魔法によって呼び出された生命ある石の人形だ。
「う、撃て!」
 動揺した指揮官が叫び、一斉射撃が始まる。しかし、硬い石の肌を持つ大地の兵士はその銃弾を弾き返しながら前進し、男たちに襲い掛かった。形勢は一気に逆転し、蹴散らされる男たちの怒りと絶望の叫びが通路をこだましていく。
「さぁ、今のうちに玄室までたどり着かなきゃね」
 メイは前進を開始した。伝説の魔法使いにして、古代の危険な遺失技術を封印する者、マジカル・レイダー・メイ。人知れず世界の平和を守ってきた彼女にとって、戦場こそが生きる場所だ。

 骨董品店「五月雨堂」。
「…どうかな?」
 千堂和希はこの店の店主で、茶飲み友達の宮田皐月に聞いた。何を聞いているのかと言うと、皐月をモデルにした和希の連載作品「まじかるレイダー☆メイ」の最新作(になる予定)の原稿の感想である。
「うーん、なかなか良いんじゃないですか?」
 皐月は頷いた。
「まぁ、私はこのメイほどの覚悟ではバイトしてませんけど」
 そう言って皐月はお茶をすすった。
「そうなの?」
 和希は聞いた。稀代の魔女でもある皐月は、この骨董品店の店主としての顔の他に、漫画の中の主人公「メイ」と同じく、古代遺跡を探索して危険な物品を回収する仕事や、最近では「エージェント」と呼ばれる個人営業のスパイのような仕事もこなしている。
 和希はその体験談を何十倍にも膨らませて、それにラブコメ要素を付け加える事で「まじかるレイダー☆メイ」を描いているが、それでも危険な仕事に変わりは無いはずだ。
「本業が不振な穴埋めですからね」
 皐月は溜息をつく。スプリガンにしろ、エージェントにしろ、あくまでもバイトでしかないので、本業で十分食べていけるのなら、あっさりやめてもいいのだ。それに、皐月は「メイ」よりも何十倍も強いので、仕事で危険な目にあったことはほとんど無い。
「自営業も大変よね…」
 和希は頷いて自分も茶をすする。いささか不景気ではあるが、こうして仕事の合間にお茶を飲みながら世間話をして、時には愚痴も言い合う。和希と皐月のささやかな楽しみだった。

「さて、そろそろ帰ろうかな」
 和希が腰を上げたのを見て、皐月が尋ねる。
「あら、早いですね。何かあったんですか?」
 和希は頷いた。
「うん。たぶん、今ごろひろのちゃんと真奈ちゃんが私の部屋を掃除してるだろうから…さすがに手伝わないとね」
 和希としても、部屋の片づけができていない事に対する負い目はあったようだ。それに、いろいろと漫画の資料や道具もあるので、変な風に片付けられると今後の仕事に障りがある。
「あ、じゃあ私も手伝いに行こうかな…新しい“生きているほうき”の調子も見たいし」
 そう言って皐月が立ち上がり、部屋の隅に手を伸ばすと、ほうきが勢い良くジャンプしてきて彼女の手の中に収まった。先日作ったばかりの魔法の道具である。
「ついでに夕ご飯も食べていったら?」
「それも良いですね」
 そんな会話をしながら、二人は「五月雨堂」を出た。その頃、出かけていた他の住人たちも、続々としおさい寮に向かって帰る所だった。
「ひろのちゃんだけじゃアイロンがけ片付かないよね…」と絵美。
「みんなの分のおやつも買って帰ってあげようっと」と美紗緒。
「洗濯物の取り込みくらい手伝うか」と麻咲。
「じゃあ、私は洗い物でもしようかな」と祐香。
「たまには真奈のご飯作る手伝いでもしようかな」と治子。
 複雑な過去を持つ8人の美女と美少女が暮らすこの寮は、過去との絆をなくしてしまった彼女たちにとっては、それぞれお気に入りの場所はあっても、やはり何よりも大事な、守るべき場所なのである。


あとがき

 ちょっと短めですが、二周年記念に作った小品です。りばハヒロインたちのお気に入りの場所の話にしてみました。
 どっちかと言うと「休日の過ごし方」みたいな話になってしまいましたが…怠惰な作者と違い、彼女たちは休みを思い思いに有意義に過ごしているようです。あ、治子は仕事してますが。
 なお、Leaf最新作「Routes」の影響で、皐月のバイトにまた怪しげなものが付け加わっています。実際に「Routes」には彼女の前世(笑)が客演してますし、仮に皐月単独主人公の話を書くとすれば、「まじかる☆アンティーク」ではなく「Routes」の話になるでしょう。その予定は全くありませんが。


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