りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

外伝その2 麻咲の純情日記


 しおさい女子寮に住む8人の女の子たちのうち、6人は現役の高校生である。その全員が通っているのが、寮とは山一つ隔てた向こう側にある高校だ。生徒の個性を最大限に重視するユニークな校風で知られ、それだけにレベルの高い人材も集まりやすい。ちょうど、校庭付近にいる二人のように。

 時間は既に放課後。グラウンドでは部活動が始まっていた。校庭に描かれた一周200メートルのトラックでは、女子陸上部の部員たちも汗を流している。
「位置に着いて…よーい…スタート!!」
 号令係の合図と共に、短距離の選手が一斉に飛び出す。その中に一人、群を抜いて速い部員がいた。他の部員たちを10メートル以上も引き離してゴールした彼女に、無数の女子生徒が群がる。
「お疲れ様です、伊藤先輩!」
「私のタオル、使って下さい!!」
「ん、サンキューな」
 彼女…伊藤麻咲は、ハスキーな声で礼を言って差し出された十数枚のタオルを受け取り、汗をぬぐった。そのタオルを返された女子たちは悲鳴のような喜びの声を上げて散っていく。
「…なんだかな」
 麻咲は呟いた。他の女子より頭一つ近く背が高く、言動も「男らしい」などと評される彼女は、同性に憧れる傾向のある女子たちにはまさに「憧れの君」なのである。
心に決めた人がいる麻咲にとっては正直迷惑な話なのだが、元来女の子に邪険にできない性格なので、やめてくれとも言えずにいた。
「やれやれ。あ、タイムはどうだ?」
 計測係にたずねると、タイムはまた少し上がっていた。秋の大会に向けて調整は万全と言うところか。
「わかった。オレは少し休憩するよ。みんなは適当に練習しておいてくれ」
「はい!」
 他の部員たちが一斉に答える中、麻咲は校庭の横にある土手に座って鉛筆を動かしている同級生の傍に歩み寄った。
「よぉ、絵美。またスケッチかい?」
 問われた彼女…麻生絵美は顔を上げてこくんと頷いた。同じ寮の住人で、年齢も一緒ならクラスも一緒、そしてお互いの進む道…陸上と絵画…でそれぞれ高い評価を受けている事も共通している二人は、性格などは全く違うが仲の良い親友同士だった。
「ちょっと見せてくれよ…お、やっぱり上手いよなぁ」
 スケッチブックには、校庭で部活に励む生徒たちが生き生きと描かれている。まだ鉛筆を使ったラフスケッチの段階だが、特徴あるやわらかく温かみのある画風が出ていた。絵美は照れたように微笑み、麻咲の顔を見上げた。
「…麻咲ちゃんも…速いよね」
「あぁ、身体が軽いからな」
 麻咲は笑った。昔と比べて体重は10キロ以上減り、筋力はさして変わらないので、えらくスピードが出るのである。
 麻咲と話しながらも手は動かしていた絵美だったが、やがてスケッチブックをパタンと閉じて立ち上がった。
「出来たのか?」
「ん…まだ下描きだけど」
 頷きながらスカートについた草や砂を払い、絵美はスケッチブックを小脇に抱えた。
「美術室にいるから、終わったら一緒に帰ろうね」
「ん?あ、あぁ。わかった」
 二人はいつも学校の行き帰りは一緒だ。麻咲は部活を終えると、制服に着替えて絵美の待つ美術室に向かった。
「絵美、入るぜ」
 ノックをしてドアを開けた麻咲は、そこにいた絵美の姿を目にして思わず足を止めた。
 絵美はイーゼルを立ててさっきの絵に手を入れていた。真剣な表情で筆を動かす彼女に、窓から夕焼けの光が差し込む。その光に照らされた絵美は、白い肌がピンク色に染められて、彼女自身が一幅の絵になりそうに思えた。思わず見とれる麻咲。
「…あ、麻咲ちゃん。そっちも終わった?」
 絵美の声に、麻咲は我に返った。ぼうっとしている間に、絵美の方が気付いて近寄ってきたらしい。
「え?あ、あぁ。終わったぜ」
「うん、それじゃあ、帰ろうか」
 まだ胸をどきどきさせている麻咲をよそに、絵美がバッグにスケッチブックをしまう。頷いて、麻咲は絵美と並んで歩き出した。175センチの麻咲と並ぶと、絵美はかなり小柄に見える。身体も細くて華奢だし、実に男の保護欲を誘うかのような儚げな印象の少女だ。
(はぁ…しかし絵美って可愛いよなぁ…オレには逆立ちしてもこの雰囲気は真似できんな)
 麻咲はため息をついた。しおさい女子寮の住人は、本人たち以外知らない事だが全員昔は男である。しかし、そうと知っていても信じられなくなるくらいに「女の子」している住人が多いのも事実だ。
 麻咲自身はどっちかというと、男の精神を忘れないよう、昔よりもずっと「男らしさ」にこだわって行動している。おかげで、彼女の印象を聞けば
「漢女と書いてオトメ」
「ボーイッシュと言うよりナイスガイ」
 などと言う返事が返ってくる。まぁ、麻咲にしてみれば誉め言葉だが。
 そんな麻咲にしてみれば、ひとたび気付いてしまった絵美の可愛らしさは凶悪を通り越して破壊的であったりする。彼女の中に残る男の部分が反応しているのだ。
(いや、落ち着けオレ。絵美は親友だ。そう言う目で見る対象じゃない…)
 麻咲は何度か深呼吸をし、必死に気持ちを落ち着かせた。落ち着かせたつもりだったのだが。
「ただいま〜」
 しおさい寮へ帰ってきた麻咲たちが玄関の戸をがらがらと開けると、元気の良い声が出迎えた。
「む〜、お帰りなさいだよっ!麻咲先輩と絵美先輩」
「あぁ、ただいま、美紗緒…ぶっ!?」
 麻咲は硬直した。出迎えたのは一年後輩の折原美紗緒。いたずら大好きのトラブルメーカー娘である。その美紗緒は、玄関だと言うのにブラとショーツだけの下着姿だった。
「…だめよ、美紗緒ちゃん。ちゃんとした服着なきゃ」
 絵美があまり驚く様子もなく注意する。
「む〜、だって、お風呂はいるからまたパジャマ脱ぐのめんどーなんだもん」
 美紗緒が頬を膨らませる。どうやら、帰ってきてすぐに入浴しようとしているので、制服だけ脱いでそのまま浴室へ行こうとしていたらしい。よくみると、腕にはパジャマを抱いている。
「…なるほどね。さ、風邪引いちゃうから早く行きなさい」
「む〜、了解だよっ!」
 絵美の言葉に、美紗緒は無い胸を張って敬礼の真似事をすると、小走りに浴室へ向かって走って行った。
「まったく仕方の無い娘…ねぇ、麻咲ちゃん…麻咲ちゃん?」
 苦笑した絵美が麻咲に賛同を求めようとして、麻咲の異変に気が付いた。麻咲は玄関にうずくまり、顔を抑えてぶるぶると身体を震わせていた。
「ま、麻咲ちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫…なんでもないから」
 麻咲は鼻を抑えて言う。実は、ちょっと鼻血が出かかっていたのだった。
 さっき絵美を見て「女の子」と意識してしまったのが麻咲の失敗だった。考えてみれば、もし自分が男のままならとてつもなく美味しいシチュエーションの中にいる。しおさい女子寮の住人は全員が超の字がつく美少女ばかりだからだ。美紗緒だって、体つきも言動も子供っぽいが、だからと言って下着姿でいるのを見てしまえば、健康な男子なら理性を保つのがかなり危うい。
(しまった…実はここってかなりの危険地帯か)
 麻咲は焦った。その事に今まで気付かなかったのは、やはり自分も女の子になっていると言う過酷な現実と、生まれ育った町を離れて暮らしていると言うストレスによって心に余裕が無かったせいだ。
 しかし、麻咲は自分が可愛い女の子に囲まれて暮らしていると言う事を意識してしまった。絵美や美紗緒だけではない。他の娘たちも…
「あ、お帰りなさい、伊藤先輩、麻生先輩」
 その声に、麻咲は顔を上げた。それが誰の声かはわかっている。後輩にして寮の管理人たる相川真奈だ。美紗緒も幼い感じのする少女だが、真奈はさらにちっちゃい、下手すれば小学生と間違えそうな女の子である。が、その姿は麻咲を絶句させるに十分だった。
 夕食の用意をしていたのか、エプロンをつけている。いや、それは良いのだが、着ているのがタンクトップとショートパンツのため、エプロン以外の布地はほとんど見えない。要は、伝説の「はだかエプロン」に見えるのである。
「ただいま、真奈ちゃん」
 気付いているのかいないのか、はたまた気にしていないのかは不明だが、何事も無いように挨拶をする絵美。しかし、麻咲は耐えられなかった。
「お、オレ着替えるから…」
 誤魔化すように頭を下げ、麻咲は自分の部屋へダッシュした。そんな彼女の様子を、絵美と真奈は不思議そうな目で見送っていた。

「はぁ…」
 部屋に入ると、着替えもせずに麻咲はベッドに大の字になって横たわった。
「参ったな…一度意識しちまうと…どうにも」
 男の意識と感性を失わないように努力している麻咲としては、この寮の女の子たちは自分の魅力に無自覚か、羞恥心が乏しいか、とにかく無防備すぎるように思える。実は、彼女も部活の後で頭から水を被って、ウェアに下着が透けた状態で歩いてたりするので人のことは言えないのだが…
「あー、もう考えるとドツボにはまるわっ!風呂だ、風呂っ」
 風呂に浸かってゆっくりすれば、余計な考えも収まるだろう。そう考えた麻咲は浴場に向かう事にした。

「あー、いい湯だ。身体がほぐれるねぇ」
 幸い美紗緒はもう出た後らしく、風呂は無人だった。しおさい女子寮の風呂場はちょっとした温泉宿並に広く、仮に住人全員が一度に入ったとしても余裕があるくらいの造りだ。その広い空間を独り占めする。なかなか出来ない贅沢である。麻咲は湯船にゆったりと浸かりながら思い切り身体を伸ばした。精神の方もリラックスして、実に気持ちがいい。
「うん…そうだよな。見慣れている物だもんな。意識する方がおかしい、うん」
 麻咲は自分の身体を見て呟いた。考えてみれば自分だって今は女の子なのだ。毎日の着替えや入浴で見慣れているはずだ。だから、絵美が可愛くても美紗緒が下着姿でうろついていても平常心で…
 その時、がらら…と音がして、浴室の戸が開いた。
「あ…伊藤先輩。入ってらしたんですか」
「その声は…ひろのちゃん?…!!」
 麻咲は振り返り、そして絶句した。聞きなれた声の通り、そこにいたのは後輩の長瀬ひろの。つい先日、この寮にやってきたばかりの新人さんだが、16歳であることが既に反則な娘さんである。
 身長は麻咲に次ぐ173センチ。そして、今まで一番スタイルの良かった最年長の和希よりもグラマラスな肢体。もちろん美貌は折り紙つきで、学校では早くもファンクラブが最大会派になりつつあるという噂である。
 そのひろのが、バスタオル一枚で身体の前面を申し訳程度に隠しただけの格好で入って来たのである。麻咲は口をパクパクさせるだけで声が出ず、視線はひろのに釘付けだった。
「ん〜るる〜ららら〜♪」
 そんな麻咲の様子にも気付かず、ひろのは髪の毛を洗い始めた。何か良い事があったのかしれないが、鼻歌まで歌ったりしてなかなかご機嫌な様子である。
 やがて、髪についた泡をシャワーで流し、軽く水気を絞ったひろのがお風呂に入ろうと振り向き…そして、初めてそれに気がついた。
 風呂のお湯が、赤く染まっていた。そして、その赤い水の中で真っ白になって気絶している麻咲。
「きゃああぁぁぁぁっっ!!伊藤先輩!!」
 風呂場にひろのの悲鳴がこだました。

 目を覚ますと、そこには見慣れた部屋の天井があった。
「…あれ?オレは…」
 一瞬、自分に何が起きたのかわからなかった麻咲だったが、それに答えるようにベッドの脇から声がした。
「あ、気がついた?」
「…治子さん?」
 横にいたのは、麻咲にとってはバイト先の先輩で、寮のNo.2である前田治子だった。彼女は微笑みながら麻咲の額に乗せられていた濡れタオルを取り、洗面器に浸して軽く絞り、再び麻咲の額に乗せる。その冷たさが気持ち良い。
「いやぁ、麻咲ちゃんが風呂場でのぼせて倒れたと聞いたときにはちょっと驚いたよ」
 屈託なく笑う治子だったが、麻咲は沈黙した。いくらなんでも、年下の女の子の裸を見て鼻血を出したなどとはいえない。
「まぁ、ひろのちゃん相手じゃ仕方ないかもしれないけどね」
「…はうっ!」
 バレバレだった。麻咲の顔が真っ赤になる。治子はくすくすと笑いながら麻咲のタオルを絞り直した。
「麻咲ちゃんは男の頃の感覚がなかなか抜けないからな…やっぱりそうか」
 そう言う治子も、実は結構男の部分を残している。この二人が男らしい部類に入るのは、恋人がいる(いた)事と何か関係があるのかもしれない。
「笑い事じゃないですよ…意識してしまうとどうしても…どうしたら良いんですか、オレ…」
 深刻な表情で呟く麻咲。そんな彼女を微笑ましげに見ると、治子は机の上にあった2枚の白い布を取って、麻咲の方へ差し出した。
「そんな時は、これでも見るといいんじゃないかな」
 それを見て、麻咲は「あ…」と小さく声をあげ、シーツを握り締めた。それは、恋人の鳴瀬真奈美からもらったヘアバンドと、妹の乃絵美からもらったリボンだった。どちらも、麻咲にとっては大事な女性のくれたものであり、また昔の自分との絆だ。
「麻咲ちゃんにはちゃんと待ってくれる人も、いつかは帰る場所もあるんじゃない?それを忘れなければ、大丈夫だよ」
 麻咲はヘアバンドとリボンを受け取り、胸の前で祈りを捧げる時のように手を組んで黙した。そうしていると、気持ちが不思議と落ち着くのがわかった。
「…そうですね」
 麻咲が落ち着いた事を見越して、治子は明るく声をあげた。
「じゃあ、麻咲ちゃんの分の晩御飯は残ってるから、食べといで」
「はい、わかりました!」
 麻咲は起き上がり、廊下に続く扉を開けた。すると、そこにはひろのと美紗緒が立っていた。
「伊藤先輩…もう大丈夫なんですか?」
 ひろのが心配そうな潤んだ目で麻咲を見つめる。
「む〜…心配だよ〜」
 美紗緒も相槌を打つ。風呂に入ったはずなのに、相変わらず下着姿のままだ。さっきまでの麻咲なら、ひろののうるうる攻撃も美紗緒の格好も大ダメージになるところだが、今はもう平気だ。
「あぁ、大丈夫。心配すんな!」
 そう答えて階段の方へ向かおうとし、いったん足を止めて振り向く。
「美紗緒、そろそろパジャマ着ろよ。風邪引くぞ?」
 そう言って、麻咲は今度こそ食堂の方へ向かって行った。
「良かった、もういつもの伊藤先輩だ」
 ひろのが安心したように微笑むと、横でちょっとつまんなさそうに美紗緒が言った。
「む〜…これで赤くならない伊藤先輩なんてつまんないよ〜」
「お、折原先輩」


 廊下のやり取りを聞きつつ、治子はため息をついた。
「はぁ…良いなぁ、戻る見込みがあるのは…私なんかぜんぜんダメじゃないか…」
 今の姿になる直前、二人の女の子と同時に付き合い、その天罰で今の姿になってしまった治子。今ではひっきりなしに男性から交際を申し込まれて女の子の大変さに辟易している彼女だが、いまだに元に戻る気配はない。おまけに、かつての交際相手の女の子たちは治子に対して完全に怒ってしまい、待っていてくれる人もいない。
「そろそろ…女の幸せを追求した方がいいかもしれない…」
 既に昔の自分を捨てきっている美紗緒の天真爛漫さがちょっとだけ羨ましくなった治子だった。

(おしまい)

 
あとがき

 今回は元F&C主人公ズの話でした。メインはまぁ、麻咲ですが。それでもひろのと美紗緒はひいきキャラなので、でしゃばりまくっています(殴)。
 さて、今回の小ネタとしてはヒロインたちの「男らしさ」について。左に行くほど内面も完全な女の子に近づいています。

美紗緒>ひろの≧絵美>真奈>皐月>祐香≧和希>治子>麻咲

と言った所でしょうか。真奈が意外に高いと思われるかもしれませんが、昔男らしさを追及した反動が今になって来ています(笑)。
次回の話は出番の少ない祐香あたりを主人公にしてやってみようかと思います。


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