りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

第八話 ちょっと強すぎた魔法


 とある屋敷の豪華なベッドの上で、一人の少女が眠っていた。すらりとした長身を、やや丈の短い純白のネグリジェに包み、安らかな寝息を立てている。時間の経過に伴い、窓から差し込む光がその顔をちらちらと横切り始める。
「…ん」
「彼女」は意識を取り戻した。目を開けてみると、そこは「彼女」のものではない大きな天蓋つきのベッド。
「う〜ん?」
 そこがどこか理解できず、「彼女」は頬に人差し指を当てて考え込んだ。
「おかしいな…なんで、私こんなところにいるんだろう?」
 そう思った時、がちゃり、と言う音がした。「彼女」がそちらを振り向くと、部屋のドアが開いており、そこには見覚えのある少女が立っていた。「彼女」はぺこり、と頭を下げて挨拶した。
「あ、こんにちは。来栖川先輩」
 少女―来栖川芹香はあわててつられたようにこんにちは、と挨拶をすると、「彼女」のそばにやってきて尋ねた。
「…」
「え?身体のほうは大丈夫ですか、ですか?う〜ん、どこも悪いところは無いみたいですけど」
 そう答えた瞬間、「彼女」は思い出した。閃光、爆風、衝撃。自分が気を失ったのは目の前にいる芹香の魔法実験に付き合っていた時だったのを。そして、思い出したもう一つの重要なこと。
「先輩…私、男の子じゃありませんでしたっけ?」
「彼女」…さっきまで「彼」だった藤田浩之はそう言った。芹香は自分の失敗のあまりに重大な結果に、ただただ首をふるふると横に振るばかりだった。

 事の発端は、たまたま新しい召喚魔法を見つけた芹香が、その実験を行おうとしたことである。その時浩之が見物に来ていたのが不幸の始まりだった。魔法は失敗し、巻き込まれた浩之は女の子の身体に変身してしまっていた。
 まさか、心の方まで女の子になっているとは思わなかったが。
 動揺しつつも芹香が出した仮説は、召喚したかった使い魔のいる世界ではなく、間違ってこの世界によく似た異世界…SF的にはパラレルワールドと呼ばれる世界への通路を開いてしまい、その世界の浩之…おそらく向こうでは女の子なのだろう…を召喚してしまったのではないか、と言うことである。男の浩之…こちらの世界の浩之は反対に向こう側に行ってしまったのかもしれない。
 しかも、その時に身体だけが入れ替わったのではなく、人格のほうも一緒についてきてしまったようだ。ただし、話している限りでは記憶はこっちの世界の浩之そのままだ。おかげで「彼女」もずいぶんと混乱しているようだ。
「困りましたね…確かに自分が藤田浩之であることはわかるんですけど…」
 手を頬に当ててはふぅ、と切ないため息を漏らす。女の子の浩之。こうして見ると、それぞれの世界で同じ役割を担っている人間でも、ずいぶん性格が違うものらしい。どちらかと言えば豪放な性格の男の浩之に対し、女の子の浩之はかなり内気な性格のようだ。
「先輩、私、これからどうすれば良いんでしょうか?」
 うりゅ…と目を潤ませた浩之にすがられ、芹香は困り果てた。どうすれば良いのか教えて欲しいのは彼女も一緒だ。仕方なく、彼女は一番信頼できる人間を呼んで相談することにした。

「あれが小僧…もとい、藤田様ですと?う〜む…」
 芹香が呼んだのは、もっとも忠実な使用人…執事のセバスチャンこと長瀬源四郎であった。
「信じられませんな…いや、お嬢様の言うことですから間違いは無いでしょうが」
 そう言うセバスチャンの顔がかすかに赤くなっているのに気が付き、芹香は少し驚いた。彼でもそう言う表情をすることがあるらしい。もっとも、それも無理は無いか、と思う。何しろ、女の子の浩之は同性の自分でも一瞬見とれるほどの美少女だ。
 さらさらの髪に黒目がちな大きな瞳、肌はきめが細かく真っ白で、さっき着替えさせるときに見たが、胸も大きい。芹香も密かに自信はあったのだが、あっさりと打ち砕かれた感じだ。
 それはともかく、芹香は浩之がああなったのも自分の責任だし、なんとか力になってあげたい、と言う希望を話した。
「そうですな…できれば当家で面倒を見るのが筋かとは思いますが…」
 セバスチャンは頷いた。しかし、いくら天下の大来栖川家と言えど、人一人預かるというのは簡単なことではない。それがどういう人間なのか、ちゃんと証明する必要がある。
「…どうでしょう。私の親戚筋と言う形にすれば大丈夫かとは思いますが」
 少し考えて、セバスチャンは提案した。それは名案だ、と芹香は思った。セバスチャンの一族は全国に散らばっており、親戚が非常に多い。一人くらい増えても問題ないはずだ。
 納得した芹香は、早速浩之を呼んでその提案を告げてみた。
「え…私がセバスチャンさんの親戚に、ですか…?」
 話を聞いた浩之は芹香とセバスチャンの双方を見ていたが、やがて目にじわっと涙を浮かべて首を横に振った。
「それは…ちょっと…セバスチャンさん怖いですし」
 びし、と言う音を立てて石化するセバスチャン。女の子に面と向かって「怖い」と言われたのがよほどショックだったらしい。しかし、考えてみれば男だった頃の浩之を「お嬢様に近づく不貞の輩」として、散々怒鳴りつけたりしたのだから仕方ないかもしれない。
 せっかくの名案もあっさり駄目になり、芹香はまたしても困ってしまった。すると、今度は浩之の方が慌ててしまい、芹香に向かって謝りはじめる。
「ごめんなさい、先輩…私のために迷惑をかけちゃって…」
 被害者であるにもかかわらず、芹香の困惑に責任を感じてしまう浩之。はっきり言って良い子過ぎる。
「…」
 気にしないで、と芹香は答えつつ、浩之をどうするか考えた。できれば、これからも一緒に学校へ行きたいところだ。自分でも世間とはズレていることを意識している芹香にとって、浩之は数少ない、そして得がたい友人なのである。しかし…
「できれば…学校には行きたくないです。こんな姿…みんなには見られたくありません」
 浩之は弱々しく首を横に振った。社交的な性格の男の浩之には多くの友人がいる。確かに、今の姿を見られたいとは思わないはずだ。まして、内気そうな女の子の性格なら尚更だ。
「…」
 芹香はふるふると首を横に振り、肩を落とした。浩之に近くにいてもらって、できればこれからも仲良くして欲しいと言うのはやはりムシが良すぎる願いだったかもしれない。こんな事をしてしまって、嫌われずに済んだだけでも望外の幸運と言えそうだった。
「…」
 気を取り直し、芹香は浩之に一つ尋ねた。
「え?それでは、これからどうしますか?ですか?う〜ん…」
 質問を受けて浩之はしばらく考え込み、やがて結論を出した。
「そうですね…できれば、みんなに顔を合わせずに済むような…誰も私のことを知らない場所に行くのが良いと思います。気を使わずに済みますし」
 浩之の言葉に芹香は頷いた。離れ離れになってしまうのは寂しいが、来栖川財閥の力を使えばいつでも会いに行くのは簡単だ。それなら、浩之ができるだけストレスを感じずに済む生活を送れるように助けるべきだろう。
 浩之の希望をかなえる事を決めた芹香は、さっそく行動を起こした。浩之のために新しい戸籍や名前を用意し、身の回りのものを整え、住む場所を探す。セバスチャンのサポートもあり、3日ほどで全ての用意が整った。
幸い、住む場所に関しては理想的なところが見つかった。セバスチャンの親戚で、骨董鑑定士をしている人物の知り合いがいる北の小さな街に、浩之のような境遇を持つ人々が住む寮があるという。しかも、そこなら同年代の友人になれそうな人が多く、学校もある。衣食住にも苦労は無い。
そして、検討の結果、浩之は芹香が用意してくれた名前の中から「ひろの」という名を選んだ。これが一番響き的に気に入ったらしい。戸籍自体はセバスチャンの家に追加になり、フルネームは「長瀬ひろの」となる。
 数日後、東鳩駅に白いワンピースに身を包んだ浩之改めひろのと、見送りの芹香、セバスチャンの姿が会った。これから、今度住む事になる街まで旅立つのである。ローカル電車を乗り継いで半日がかりの旅だった。
「…」
「え?お元気で、ですか?はい、先輩もお元気で…」
 ひろのが芹香の手を握る。男の頃なら、こんな事をしようものなら鉄拳を振るいかねなかったセバスチャンも何も言わない。
「元気でな、ひろの」
「ええ、セバスチャンさんもお元気で」
 ひろのがにっこりと微笑むと、セバスチャンは赤い顔になった。
「ま、まぁそう他人行儀になるな。戸籍の上ではワシはお前の孫娘のようなもの。何かあったら助けになるからいつでもいいなさい」
「はい」
 セバスチャンの申し出に嬉しそうに微笑むひろの。男の頃との態度の違いには触れない。女の子はある意味得だな、とは思っていたが。
 その時、発車ベルが鳴った。列車のデッキに足をかけ、ひろのはもう一度振り返った。
「それじゃ…行って来ます」
 頷く芹香たちとひろのの間を扉がさえぎる。やがて、列車は動き出した。ホームに立つ二人が見る見る小さくなる。ひろのはその姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
 
 ひろのが乗ってきた電車が走り出すと、ホームにまで吹き込んでいた桜の花びらが風に煽られて舞い上がった。東鳩市ではもうだいぶ散ってしまった桜も、この街ではまだ咲いているようだ。
「ふぅ…」
 数時間に及ぶ列車の旅はさすがに辛いものがある。凝った身体をほぐすように伸びをして、ひろのは改札口に向けて歩き始めた。
「迎えが来る、って言ってたけど…」
 改札を出たひろのは駅前のロータリーに立ってあたりを見回した。さすがに首都圏と比べて人通りは少なく、街も全体的にのんびりとした雰囲気が漂っている。女の子になって以来慌しい毎日を過ごしていた彼女にとっては、久々に感じるほっとするような空気だ。
 しかし、出迎えらしい人はいない。仕方なく、ひろのはロータリーに置かれたベンチに腰掛ける。やる事も無いので、さらに街の様子を観察する事にした。
「…あ、温泉があるんだ」
 駅前のバス停は4つあり、「海岸」「西部循環」「東部循環」「温泉街」と行き先が書いてある。何と言うか、芸の無いストレートな書き方が逆に潔い。事前にもらった「しおさい女子寮」への案内パンフレットにはバスではなく徒歩で、と書いてあったので、あまりお世話になる事は無いかもしれない。
 さらに視線を移すと、なにやら周囲の雰囲気とは少し異質なものが目に飛び込んできた。
「…巫女さん?」
 神社でもない一軒のお店の前で、巫女さんの格好をした女性がほうきで掃除をしていた。お店の名前は「五月雨堂」とある。どうやら骨董品屋のようだが、なぜ巫女さんがいるのかは謎だった。ただ単にその人の趣味なのかもしれないが…
 しかし、よく見れば彼女はかなりの美女だった。長い黒髪は確かに巫女服にマッチしており、仮にコスプレだとしても文句を付ける気がなくなるくらい似合っていた。20歳くらいかな、とひろのは当りをつけた。
 あまりじろじろ見るのも悪いので、また別の場所に視線を移す。と、少し離れた別のベンチに、大きなスケッチブックを持った女性が座っていた。熱心に駅前の風景を描いているらしい。…よく見ると、着ているのは学校の制服のようだ。大人っぽい雰囲気を漂わせているので気づかなかったが、この辺の高校に通っている、ひろのとさして歳の変わらない少女なのだろう。
 やがて、少女はスケッチを終えたのか、道具をしまって立ち上がった。ふと、視線が合う。すると、彼女は軽く微笑んでひろのに会釈してきた。
 ひろのが慌てて会釈し返したときには、彼女はもう商店街の方へ向けて歩き始めていた。その後ろ姿になんとも言えない落ち着いた風情が漂っている。なんとなく芹香先輩に似ているな、とひろのは思った。
 それからしばらく待っていると、駅前の本屋の方から騒がしい声が聞こえてきた。
「む〜、今月の『カチューシャ』が出てるよっ!買っていこうよ祐香ちゃん〜」
「ああ、和希さんの連載が乗ってるやつね。って、なんであたしに払わせるのよ、みさ」
「む〜、だってお金が無いんだもん」
 さっきのスケッチブックの少女と同じ、ただしリボンタイの色が違う制服を着た女の子たちが少女コミック雑誌のコーナーの前で騒いでいた。おそらく、同じ学校で学年が違うのだろう。
 一人は濃い栗色のショートボブの子で、背が小さくて言動も子供っぽい。自分より1〜2歳は年下に見える。相方の子は青っぽく見えるロングヘアで、年のころは自分と同じくらいか。ただ、リボンの色が同じだから、たぶん二人は同級生だ。スケッチブックの少女と違って、綺麗と言うよりは可愛い、と言う感じの容姿である。美人の多い街だなぁ、とひろのは思った。
 そして、二人が言っている和希という名前には聞き覚えがある。たしか、最近人気のアニメ「漫画家になるんだもんっ!」の原作者だ。苗字はちょっと忘れたが。二人はまるで知り合いのように呼んでいるが、それくらい熱心なファンなのかもしれない。
 やがて、彼女たちが騒がしく会話しながら去っていくと、再び駅前は静かになった。またしても時間がたつことしばし。少しずつ、帰宅ラッシュの時間が近づいてきたらしい。駅から出てくる人が増えている。ひろのは持ってきた文庫本をぼっと読みながら時間をつぶしていた。
「すいませーん、こちらファミリーレストランPiaキャロットでは恒例の春の旬菜フェアを実施中で〜す」
「お得な割引チケット配布中です。皆様ふるってご来店くださいませ!」
 と、突然女性の声が響き渡る。顔を上げると、二人の女性が道行く人にチラシを配っていた。背が高くて、少しボーイッシュな感じのする女性はメイド服を連想させるかわいらしいデザインの服を着ていた。もう一人、頭に鉢巻のようにリボンを巻いているスタイルのいい女性は、ターコイズグリーンの胸や肩が大胆に露出したデザインの服を着ている。
 別に妙なコスプレの類ではない。確か、Piaキャロットと言う制服の可愛さを売り物にしたファミレスだったはずだ。しかも、制服が似合う人しか採用しないということで、この二人もすごい美人だった。思わず見とれていると、リボンの女性の方が近づいてきた。
「どうですか?一枚」
 ひろのの目の前にチラシが差し出される。思わず受け取ると、彼女は「ありがとうございます♪」と向けられた者がとろけそうになる笑顔を浮かべて言い、それから相方と一緒に移動していった。どうやら、駅の反対側の出口へ向かったようだ。
 またあたりに静かさが戻り、街に着いてから約2時間ほどが経った。時刻は5時半。まだ迎えらしき人は現れない。さすがに痺れを切らしたひろのは、電話を探そうと立ちあがった。とその時、商店街の方から息せき切って駆けて来る小柄な少女の姿が見えた。その子はまっすぐひろのの方へ向かって走ってくると、彼女の前で立ち止まった。ひろのの方はベンチに座っているにもかかわらず、目線の高さは少女の方がわずかに上なだけ。立ったら、たぶん20センチを超える身長差があるのではないだろうか。
「はぁ、はぁ…お、遅れてごめんなさい!長瀬ひろのさんですよね?」
「え?あ、あぁ…うん、そうですけど。すると君が?」
 ひろのが聞くと、少女はにっこり頷いて笑った。
「お待たせしました。ボクがひろのさんが今日から入るしおさい女子寮の管理人、相川真奈です。お迎えに来ました」
「…ええっ!?君が?」
 ひろのは失礼な驚き方をしたが、真奈は頭をかきながら笑った。
「ええ、皆さんそうおっしゃいます」
「そ、そう。ごめんね」
 ひろのが非礼を詫びると、逆に真奈が謝ってきた。
「いえ、こちらこそ。いろいろと準備をしてたらすっかり遅くなっちゃって。気が付いたら迎えに行く時間ですよ」
 その言葉に、ひろのは微かに違和感を覚えて尋ねた。
「あの…迎えに行く時間って?私、3時半だと思ってここで2時間くらい待ってたんだけど…」
「え?」
 真奈の顔が固まった。キュロットスカートのポケットから紙を取り出す。今回ひろのの引越しと寮の紹介をしてくれた仲介人から送られてきたFAXだ。ひろのも同じものを持っているので、バッグから取り出して広げてみた。
「…これは間違えるかもね」
 ひろのは頷いた。彼女は一見の印象で3時半だと思っていたのだが、崩した字体なので見ようによっては間違えるかもしれない。
「はうぅ…すいません」
 半分泣き顔の真奈。ひろのは彼女を宥めた。
「ま、まぁ気にしてないよ。おかげで街の様子もいろいろ観察できたし…」
 真奈も可愛いし、この街の美人率はかなり高いらしい。性格は女でも根本が男であるだけに、可愛い女の子が多いのは嬉しいものだ。ちなみに、ひろのには自分も世間の標準では超の字がつく美少女だと言う意識は無い。
「それじゃ、案内してくれる?」
 ひろのが荷物を持って立ち上がろうとすると、真奈がすばやく先にその荷物に手を掛けた。
「あ、良いですよ。お詫びにボクが持ちますね」
「え、良いよ。重いから…って」
 止めようとして、ひろのは目を丸くした。数日分の荷物が入ったかなり重いバッグを、真奈がひょいっと実に軽々と持ち上げたのだ。
「け、結構力があるんだね」
 ひろのが言うと、真奈はにっこり笑って頷いた。
「任せてください。こう見えてもボク、空手の段持ちなんです。この位は軽いもんですよ」
 へぇ、とひろのは感心した。人は見かけに寄らない、とはよく言ったものだ。真奈の華奢な体つきと細腕からは、とても空手家らしいところは感じられない。それでも、彼女はひろのでさえ重く感じられるバッグを担いで軽やかに歩いていく。
 二人はいろいろ話をしながら商店街を抜け、住宅地に入った。そこでわかったのは、意外にもひろのと真奈は同い年である事だった。
「へぇ〜…すごいなぁ、私と同い年なのに寮の管理人やってるなんて…」
 ひろのが感心すると、真奈はそうでもないですよ、と答えた。
「ボクはご飯を作ってるだけで、洗濯とかは各自でやってもらってますから」
 管理人と言うよりは「料理番」と言うのが正しい表現らしいが、一人暮らしの経験があってもまともに料理した事もないひろのには、それでも十分すぎるほどに感心の対象だった。
「すごいな…今度私にも教えてね」
「良いですよ。あ、そこ左です」
 真奈に言われてひろのが道を曲がると、そこは坂道になって上の方へと続いていた。東鳩高校のある丘と同じくらいの高さがありそうだ。真奈がひろのの顔を覗き込んで言った。
「これから毎日ここを昇り降りすることになりますよ。大丈夫ですか?」
「うん、前の学校もこんな感じだったし」
 ひろのが答えると、真奈は嬉しそうな顔になった。
「良かった。けっこうめんどくさがる人が多いんですよ。祐香先輩とか、和希さんとか。まぁ、和希さんは忙しいから外出自体めったにしないんですけど」
「ふぅん」
 真奈の言葉を聞きながら、ひろのはある事が頭の片隅に引っかかっていた。どうも、聞き覚えのある名前が出たような…?
 そんな事を考えているうちに、二人はしおさい女子寮に着いた。割と大きな2階建てのアパート、という感じの造りをしている。真奈によると、寮といってもちゃんと一人一部屋になるそうだ。
 中に入り、2階の部屋へ案内される。ひろのの部屋は幸運な事に角部屋だった。広さは8畳ほど、壁には備え付けの本棚とクローゼット、それに机やベッドと言った最低限の家具が用意してある。
「どの部屋も同じ造りですけど、住んでる人によっては結構自由にカスタマイズしてますから、ひろのさんも好きに改造しちゃって良いですよ
」  真奈は言ったが、ひろのとしては不満はない。テレビなどは買ってこなくてはいけないようだが…あとは、芹香が餞別にくれた大量の服をしまうスペースがあるかどうかだ。
「真奈ちゃん、他に服とか置いておける場所ってあるかな?」
 ひろのが尋ねると、真奈はもちろん、と言ってひろのを手招きした。彼女が連れて行ったのは、階段側にある部屋だった。そこは住むための部屋ではなく、幾つものタンスが並べられた大きな部屋で、姿見や鏡台も置いてある。
「ここは?」
「更衣室ですよ。まぁ、皆さん結構服持ってますから、こうやって別に部屋があるんです」
 ひろのの質問に真奈が答える。彼女はさらに2階の他の共同施設も案内した。更衣室の向かいには物置とトイレ。階段のすぐ横には電話もある。
「じゃあ、次は1階ですね。1階は全部みんなのスペースですから、自由に使ってくださいね」
 そう言って、真奈はひろのを連れて階段を降りた。階段を折りきったところの向かいが玄関で、廊下は直角に右へ伸びている。
「廊下の右側は、お風呂と洗面所兼更衣室です。左側は管理人室とボクの部屋があります」
「管理人室と真奈ちゃんの部屋ってどう違うの?」
 ひろのが訊ねると、真奈は管理人室のドアの前まで来て、中を見せた。和室になっていて、コタツとテレビが置いてある。
「管理人室って言っても、普段は談話室みたいなもんです。自由に遊びに来てくださいね。で、その奥がボクの部屋です」
 真奈は管理人室の奥へ続くドアを指差した。要は、仕事部屋と私室の区別なのだろう。
「で、最後にこの突き当たりの部屋が食堂です。でも今日は…」
 真奈はひろのを前に立たせて、ドアを開けた。その瞬間。
ぱん!ぱん!ぱぱぱぱん!!
 軽い破裂音と共に、ひろのの全身にカラフルな紙テープが巻きついた。食堂の中で待ち受けていた人々が一斉にクラッカーを鳴らしたのだ。
「ふええっ!?」
 驚きで目を白黒させるひろのに、待っていた寮の先住者たちが声をかける。
『ようこそ、しおさい女子寮へ!!』
 満面に笑みを浮かべた7人の住人たち。紙テープを除けたひろのは、食堂にカラフルな飾り付けがされ、テーブルには豪勢な食事が並べられているのを見て目を丸くした。
「あ、あれれ?」
 まだ事情を飲み込めないひろのに、真奈がしてやったり、と言わんばかりの笑みを浮かべて言った。
「いやぁ、ひろのさんは今日からここの住人ですから。ちゃんと歓迎パーティーをしないと」
 すると、ひろのよりもさらに背の高いショートカットの女性が歯切れのいい男言葉で言った。
「なんだ真奈、教えてなかったのか?お前も案外人が悪いなぁ…ま、それはさておき入って入って」
 彼女に促されるまま、ひろのが食堂に足を踏み入れる。すると、正面に立っていたハチマキリボンの女性が挨拶してきた。
「いらっしゃい、長瀬さん。…あれ?ひょっとして、駅前でチラシを受け取った娘?」
 その言葉に、ひろのも駅で会ったウェイトレス姿の二人組を思い出した。よく見ると、他の人もみんな見覚えのある顔ばかりだ。大騒ぎしながらマンガを買っていた二人に、スケッチをしていた少女、あの巫女さん姿の女性もいる。初めてみるのは素顔のわからないぐるぐる眼鏡の女性だ。そのぐるぐる眼鏡の女性が言った。
「さて、まずはみんな自己紹介でもしてお互いに理解を深めなきゃね。さ、挨拶して」
 その言葉に、ひろのは慌てて頭を下げる。
「あ、あの…今日からここでお世話になります、長瀬ひろのです。よろしくお願いします」
 拍手が湧き起こる。次いで、寮の住人たちの自己紹介が始まった。
「あたしは千堂和希。和希で良いわよ。一応この中では最年長ね」
 どこかで聞いた名前だと想い、それが誰かに気づいて驚くよりも早く、ショートカットの女性が挨拶する。
「オレは伊藤麻咲。たぶん同じ学校に行くと思うけど、3年生だ。よろしくな」
「前田治子よ。この街のPiaキャロで働いてるから、たまには食べに来てね」
「…麻生絵美です。麻咲ちゃんとは同じクラスです…学校でもよろしくね」
「宮田皐月。ホントはここに住んでるわけじゃないんだけど、ちょくちょく寄らせてもらってるわ。お店にも遊びに来てね」
 順番に挨拶していく。次は、あの騒がしそうと言うか、元気そうなショートボブの女の子だった。
「む〜、折原美紗緒だよっ!よろしく〜。ところで、ひろのちゃんに質問なんだけど」
「な、なに?」
 思わぬ言葉にひろのが身を乗り出した瞬間、美紗緒がぐっと手を伸ばして、ひろのの胸を鷲掴みにした。
「え…?」
 思わず真っ白になるひろの。しかし、美紗緒が力をいれて二、三度胸を揉んだ瞬間、金縛りが解けた。
「…きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!?」
 悲鳴をあげ、胸を抑えてしゃがみこんだひろのに、その弾力と手触りを堪能したらしい美紗緒が言う。
「む〜、うらやましいなぁ〜。どうやったらそんなに胸が大きくなるの?」
 邪気のない笑顔で言う美紗緒。次の瞬間、「すぱーん!!」と言ういい音と共に、振り下ろされた大きなハリセンが存分に彼女の頭を薙いでいた。
「んきゃっ!?」
 張り倒され、どべち、と言う妙な音を立ててひっくり返った美紗緒。ハリセン片手にその彼女をぐりぐりと踏むのは、相方の青いロングヘアの少女だ。
「みぃ〜さぁ〜!!アンタって娘はいっつもいつもーっ!!」
「む〜!?や、やめてよ祐香ちゃん痛いよ苦しいよ重いよ〜!!」
「重いですって!?失礼なっ!!」
 祐香に踏み倒され、じたばたもがく美紗緒を呆然と見つめるひろの。その肩に和希がぽんっと手を置く。
「あれはね…あたしも初対面のときやられたわよ…悪気は無いんだから気にしないで」
「は、はぁ…」
 うなずくひろの。視界の端で、治子と皐月が腕を組んでうんうんと頷いていた。彼女たちも身に覚えがあるらしい。
「…わたしは…されませんでした」
「されなくて良いって」
「うう…どうせボクはちっちゃいです…」
 絵美と麻咲、真奈は関係なかったらしい。
 やがて、十分に美紗緒をお仕置きした祐香はハリセンをテーブルの上に置いて挨拶した。
「えっと、このバカがごめんね。あたしは相沢祐香。たぶん、長瀬さんとは1年先輩、って事になるわね」
「あ、はい。よろしくお願いします…って…」
 ひろのはある事実に気が付き、倒れている美紗緒を見下ろした。
「あの…折原さんと同じ服でしたけど…同学年ですか?折原さんも私の先輩ですか?」
 その質問に。祐香は沈痛な表情で頷いた。
「遺憾ながら…その通りよ」
「はぅ…」
 ちょっとめまいがした。どっちかと言うと「美紗緒ちゃん」とか呼びたくなりそうなキャラなのに、先輩と呼ばなくてはいけないのだ。
「む〜…痛いよ〜」
 その時、美紗緒がむくっと起き上がった。あれだけ痛めつけられたのに、結構頑丈らしい。
「まっ、とにかくよろしくねっ」
 そう言ってにぱっと笑ってみせる美紗緒。ひろのは困ったような顔で笑うしかなかった。
「はいはい、それじゃあ歓迎会を始めちゃいましょ」
 和希がぱんぱんと手を打って全員を席に着かせる。
「それじゃ、新しい仲間であるひろのちゃんの入寮を祝して…乾杯!」
「「「「「「「「かんぱ〜い!!」」」」」」」」
こうして、長瀬ひろのは「しおさい女子寮」の一員となったのだった。

「うんうん、ひろのちゃんが来た時は面白かったわね」
 和希は頷いた。彼女は真奈を除くとここの最古参の住人。その後、祐香、治子、麻咲、美紗緒、絵美が入寮してくるのをずっと迎える側だった。一番新しい住人であるひろのが来た時は、皐月とも知り合った後で、それまでで一番賑やかなパーティーだったのである。
「これで、ここの寮も満室になったわね。しばらく新住民は来ないかな?」
「そうですね。でも、うちの親はここが結構儲かるようになったので、建て増しとか考えてるらしいですよ」
 治子の言葉に真奈が答えた。
「そっか…真奈が忙しいのも当分は続くわね。そういえば、真奈はここへ来る前に何をしてたの?」
 祐香が言うと、真奈はちょっとたじろいだ。
「う…やっぱりボクも話さなきゃ駄目ですか?」
「む〜、もちろんだよ〜。みんなも話したんだからね」
 美紗緒が容赦なく退路を断ちにかかる。仕方なく、真奈は頷いた。
「では…」
 
 
あとがき

 もう記念ヒットとか関係なしになりつつある「りばハ」の8回目。ひろののお話です。「12人目〜」と違って変身した時から女の子状態だったわけですね。これで「彼女たちの日常」とも矛盾なしに繋がる(笑)。
 今回は、変身までの事情はもう語られていますから、ひろのの目を通してりばハ世界の詳細にちょっと迫ってみました。街の様子とか、しおさい寮の構造とか。実はもっと細かい設定がいっぱいあったりしますが、語り始めるときりがありません。
 そこで、真奈のお話で終わる第零章「それぞれの事情」のあとは、ちょっとしたエピソードを入れる第0.5章を不定期にやっていきたいと思います。例えば、唯一の入寮者じゃない皐月がみんなと知り合った事情とか、ですね。
 では次回の真奈の話とそれ以降の「りばハ」シリーズをお楽しみに。
 
2002年4月某日 さたびー


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