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りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

第六話 魔女の条件



 青い空から突然降って来た氷に、頭を砕かれて死んだ男がいる。
 西洋で「青天の霹靂」に相当することわざである。宮田健太郎が寝起きの頭でそんなことを連想したのは、昨晩見た夢が、空から降って来た女の子に激突した、と言う内容だったからかも知れない。夢にしては、彼女と激突した頭部の辺りにリアルな痛みがあったが。
「ふぅ…でも夢は夢…」
 そう呟き、健太郎は布団からのそりと這い出そうとして…何か柔らかいものにぶつかった。
「むぎゅ」
 ぶつかられたものが、可愛らしい声で抗議する。
「え?」
 健太郎はぶつかった相手をよく見た。常識ではありえないような、濃いピンク色の髪の毛をした10歳前後と思われる女の子が健太郎の顔を見上げていた。
「良かった、目が覚めたんだ」
「…あの、君は?」
 健太郎は少女に質問しようとして、異変に気が付いた。自分の目と少女の顔の中間点…胸の辺りに、妙に盛り上がった部分が存在していた。
「…なんだこれ」
 少女がぶつかったために、パジャマがまくれあがって膨れているのかと思い、健太郎はそのふくらみを手で抑えようとした。
 ふに。
「わぁっ!?…な、なんだ今の」
 思いもよらない感触に、健太郎はもう一度ふくらみを手で触った。
 ふに、ふにふにふに…
「ひぅ!…ま、まさか!?」
 触った部分から伝わった柔らかい感触と、異様な刺激。それに、思わずあげた自分の悲鳴が高く、細くなっている事に気づいた健太郎はうろたえた。
「ちょ、ちょっとごめん!」
 健太郎は少女をよけるのももどかしく、彼女を抱きしめたまま洗面所に向かって走り出した。ドアを蹴り開け、鏡に自分の姿を映してみる。
「…こ、これは…」
 健太郎は絶句した。鏡には、自分の知らない謎の女性が映っていた。黒髪の長い、なかなかの美人で、年のころは20代前半と言ったところ。そのお腹の所に、ピンク色の髪の毛の少女…つまり、今健太郎のお腹にくっついているものと同じそれがぶら下がっている。すなわち、鏡の中の女性は自分に他ならない。
 その時、少女が申し訳なさそうな声で言った。
「あ、あのね、けんたろ。落ち着いて聞いてね。けんたろは一度…死んじゃったんだよ」
「…え?」
 健太郎のあごがかっくんと落ちた。そして、気が付く。自分にぶら下がっている少女が、昨夜の夢に出てきた自分に大激突してきた少女だと言う事に。
「ゆ、夢じゃなかったのか…ということはこれも」
 もう一度自分の胸を触る。ふに…というえも言われぬやわらかい感触。これも…
「夢じゃないよ」
 少女が言った。そして、健太郎は一言。
「はうっ…」
 そう言うと気を失った。今度目覚めた時は、これが夢でありますようにと祈りながら…

 残念ながら、目が覚めても健太郎は女の身体のままだった。痛む頭を手で支えながら、健太郎は少女に尋ねた。
「えっと…で、スフィー…ちゃんだっけ?事情を知っていると言うなら話して欲しいんだけど…」
「スフィーで良いよ」
 少女――スフィーはそう言うと、昨夜の事を話し始めた。自分がこの世界とは別の次元にあるグエンディーナと言う魔法の国の住人である事、修行のためにグエンディーナからこの世界へやってきたら、こちらとあちらを繋ぐ「門」のところに健太郎がいたため、思い切り激突してしまった事。気絶したスフィーが目覚めたら、横に倒れていた健太郎の息が既に無かった事…
「ちょい待ち」
 そこで健太郎はスフィーの話を止めた。
「その…俺が死んだって言う話だけど、まぁ姿は変わったにしてもこうやって生きてるのは何でだい?」
 すると、その質問にスフィーは非常に困った顔になった。
「うん…それなんだけど…生き返らせるのに『生と性を反転させる魔法』を使ったから」
「生と性を反転させる…?」
 意味がわからず問い返した健太郎に、スフィーはその魔法の事を説明した。「性」という字には「生」という字も含まれている。そこで、死んでしまった人間に対して「性」という属性を反転させる、つまり男を女に、女を男にする事で、つながりのある他の属性―今回の場合は死人の「死」の属性を「生」へ反転させる…と言う魔法らしい。
「ふむぅ〜…わかったようなわかんないような」
 健太郎は首を捻った。もともと、魔法が無いこの世界で生まれ育った彼(彼女)にとっては魔法の概念自体が理解できない。ただ、実際に自分が女になっている以上はその説明を受け入れるしかないだろうが…それよりも健太郎には聞かねばならないことがあった。
「で、これって元にもどせるのか?」
 その質問に、スフィーの顔はさらに困ったものになった。
「それが…その…すぐには無理…」
 スフィーが言うには、今健太郎を男に戻すと死んでしまうので、十分な生命力と魔力を蓄えてからでないと元には戻せないという。
「けんたろ、ちょっと右腕を見て」
「え?」
 健太郎はスフィーに言われるままに右腕を見た。すると、そこには飾りのないシンプルな腕輪がはまっていた。
「お?…いつの間にこんなものが」
 不思議がる健太郎にスフィーは言った。
「それは、けんたろが元に戻るまで、あたしの魔力で失われた生命力を代行するためのものだから、外しちゃダメだよ。外すと死んじゃうよ」
「えっ!?」
 健太郎は腕輪を触る手を慌てて引っ込めた。ちょうど継ぎ目を探していたところだったのだ。ところが、その慌てた動作がまずかったのか、腕輪はあっさり外れて床に転がった。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 あまりの惨事に健太郎とスフィーは絶叫した。腕輪が外れれば、瞬時に生命力の供給をたたれた健太郎は即死する。もう二度と生き返れない…と思ったのだが。
「…あれ?生きている」
 健太郎は腕輪が外れても何ともなかったかのように生きていた。試しに指を動かしてみる。大丈夫。ちゃんと自分の意志のとおりに動く。
「あれぇ…?おかしいなぁ」
 スフィーも不思議そうに床から腕輪を拾い上げた。何度か見て壊れていない事を確かめ、健太郎の腕にはめ直す。
「…一応つけておいてね。念のために」
「あ、あぁ…うん、わかった」
 青い顔で健太郎が答えた時、よく知っている声が聞こえてきた。
「健太郎ー?どうしたのー?今の大声は何?」
「…あ、結花の声だな」
 健太郎は隣の喫茶店「HONEY BEE」の娘で幼馴染みの江藤結花の声だと気が付き、腰を上げた。
「あー、今出る」
 そう言った健太郎に、スフィーが慌てて飛びつく。
「だ、ダメだよ!けんたろ!今けんたろ女の人なんだよ!?」
「…あ」
 最も重要な事を思い出し、健太郎が絶句した時、店の方の扉が開いて結花が入ってくる気配がした。痺れを切らしたらしい。
「健太郎?何してん…の…?」
 部屋の中に入ってきた結花が困惑したような顔で立ち止まった。幼馴染みの青年の部屋に、彼が見当たらず、代わりに見知らぬ女性と少女がいれば当然の事だろう。やがて、結花はちょっと不機嫌そうな声で言った。
「あなた、誰よ」
 その声に含まれた険悪さに、健太郎は身の危険を感じた。どうも結花が何か危険な勘違いをしているような気がしたのである。慌てて頭の中でいくつかの言い訳を組み立てた健太郎は、務めて落ち着いた声で言った。
「えっと…おれ…じゃなかった。私は健太郎の従姉妹の皐月と言います」
 健太郎はとっさに思いついた言い訳と名前を言った。皐月と言うのは、彼の実家である骨董品店「五月雨堂」からの連想だ。
「…従姉妹?」
 結花はまじまじと健太郎あらため皐月の全身を見渡した。
「健太郎に貴女みたいな従姉妹がいるなんて聞いてないけどね、ところで健太郎は?」
 皐月はまたしても必死に頭脳を回転させて答える。
「えっと…今ちょっと出かけてて…私は留守番で」
 そのたどたどしい言い方に不信感を覚えたのか、結花は胡散臭そうな目で皐月を見た。
「はっきりしないわね。貴女本当に健太郎のいと…」
 その目つきが急に変わり、視線が皐月の腰の辺りの高さを見ているような角度になる。何があったのか、と皐月が見下ろすと、そこにはスフィーがしがみついていた。そこで皐月は改めて結花の顔を見る。
「か、か、可愛いっ!!」
 そこで皐月は結花の危険な性癖を思い出した。彼女は可愛いものには目がなく、抱きしめて離さないのだ。
「ヤバい、スフィー、逃げ…」
 言い終えるよりも早く、突進してきた結花がスフィーを抱き上げていた。
「や〜ん、可愛い〜♪」
 すりすりすりすり…
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ〜!?」
 結花の強烈な抱きしめとほお擦り攻撃にじたばたともがくスフィー。
「お、おい結花!スフィーが壊れちゃうだろっ!!」
 皐月は必死に結花の腕を引き剥がしてスフィーを解放した。床に膝をついて苦しそうに息を吸い込むスフィー。
「もうちょっと抱いていたかったのに…」
 不満そうな表情の結花が、皐月のほうを見る。
「で、あなたなんであたしの名前を知ってるの?」
 しまった、と皐月は思った。咄嗟に名前を呼んでしまった。今日何度目になるかわからない高速シンキングを行い、言い訳を考え出す。
「え?い、いやぁ…健太郎から結花さんの事は良く聞いてたから…あはは…」
 我ながら苦しい言い訳だな、と皐月は思ったが、意外にもこの一言には効果があった。
「健太郎からね…ふぅん…まぁ、確かにあなた良く見ると健太郎にちょっと似てるわ。本当に従姉妹らしいわね」
 似てるも何も本人なのだから、面影があるのは当然の事だろう。しかし、おかげでどうやら結花は「皐月が健太郎の従姉妹である」ということを信じたようだ。
「それで、健太郎はどこへ行ったの?」
「それは…その…両親のところに…」
「ええっ!?」
 結花は驚いた。健太郎の両親は外国に長期の旅行に出かけていて、店番を押し付けられた健太郎が一人で実家兼店舗である五月雨堂に残っていたのだ。それが急に両親の後を追って外国へ行ったと言われてもにわかには信じがたいものがあるに違いない。健太郎自身、外国には行かないと明言していたのだから。
「おじさんたちに何かあったのかしら…」
「さぁ…私も急に店番頼むって言われて来たばかりだし…」
 皐月は答えた。何回か言い訳を考えているうちに、自分の「設定」を思いついてきたのだ。
 宮田皐月。健太郎の従姉妹で年齢は一緒。一応骨董品鑑定の経験と資格があり、急遽両親の後を追って外国へ行ってしまった健太郎の代役として、しばらく五月雨堂の店番を務める事になった。
 細かいところは後で詰めるとして、当分結花や近所の人を誤魔化すにはこれで行こうと思った。元に戻るまでの辛抱だ。
「そっか…一言くらい言ってくれれば良いのに…」
 結花が妙に寂しそうな顔と口調で呟くのを聞いて、皐月はちょっと罪悪感を感じた。が、結花はすぐに笑顔になってスフィーのほうを向いた。思わずビクッとして背後に隠れるスフィー。
「で、その子は?妹さん?」
 これには皐月も困った。スフィーという名前はどう見ても日本人ではない。考えた挙句…
「まぁ…似たようなものかな。知り合いの子供で名前はスフィー」
「ふぅん…よろしくね、スフィーちゃん」
「ううぅぅぅ〜…」
 スフィーは結花を怖がっている。まぁ、誰だって初対面で潰れるほど抱きしめられたらそうなるだろうが。
「…で、さっき凄い悲鳴が聞こえたのは何?」
 スフィーに怖がられて少し落ち込んだのか、結花が元気なく尋ねてきた。
「あ、あれ?た、ただゴキブリが出ただけよ…あはは…」
 皐月は答えた。どうやら結花は納得したらしい。頷くと微笑んで言った。
「そう?じゃあ、健太郎と連絡がついたら教えてね。あたしの家は隣の喫茶店だから、来てくれればホットケーキくらいご馳走するわよ」
 その瞬間、スフィーの顔がぱっと輝いた。
「ホットケーキ!?」
「あら?スフィーちゃんホットケーキは好き?」
 その変化を見て取った結花の言葉に、スフィーはぶんぶんと首を縦に振った。
「好き!大好きっ!!」
「じゃあ、食べに来る?」
「うん、行く行く!!」
 スフィーの現金な反応に、皐月は思わずたしなめに入る。
「こら、スフィー…」
 しかし、皐月が全部言い終わる前に、彼女のお腹がきゅうっ…と鳴った。その音を聞いた途端に皐月は空腹を自覚した。そういえば朝ご飯も食べていない。
「皐月さんも来る?」
 結花の言葉に、皐月は苦笑して頷いた。

「はぅ〜…お腹いっぱいだよぉ」
 食事から戻ってきたスフィーは凄く幸せそうな顔をしていた。
「そりゃあ、あれだけ食べればね…この身体のどこにあんだけのホットケーキが入ったんだか」
 皐月はお腹をぽんぽん叩いてご満悦である事を示すスフィーを見ながら呆れたように言った。スフィーは結花お手製のホットケーキを10枚も食べたのだ。ちなみに、皐月は1枚が限界だった。昨日までなら3枚はいけたのだが。
「あ〜、ひどいなぁ。けんたろを元に戻すためにも魔力を蓄えなくちゃいけないし、そのためにはたくさん食べないと」
「あはは、ごめん、ごめん」
 可愛らしく頬を膨らませるスフィーに皐月は笑いながら謝った。
「さて…一応店は開けておかないと」
 スフィーをなだめた皐月は店を空けることにした。両親に押し付けられたとはいえ、今はこの店の店主である。ちゃんと仕事はしておくのが流儀だった。すると、スフィーが言った。
「けんたろ、その格好でお店をやるの?似合わないと思うけど」
「ん?…言われてみればそうかもな」
 今の皐月の服装は昨日、スフィーとであったときのジーパンにトレーナー、ブルゾンと言う格好。女性としてだけではなく、店番としてもちょっと変だろう。
「とは言え…俺は女物の服なんて持ってないしなぁ」
 考え込む皐月に、スフィーが声をかけた。
「あたし、魔法で服が出せるよ」
「え?」
 皐月はスフィーの顔を見た。彼女はいかにも自身満々で胸を張っている。
「まぁ、できるんならやってもらおうかな…できれば動きやすい格好がいいんだけど」
「えっへん、任せなさい。じゃあ、行くよ〜」
 承諾した皐月に向かって頷き、スフィーは呪文を唱え始めた。その手がぼんやりと光り始める。
(おっ?)
 その光に目を奪われた皐月に、呪文を唱えながらスフィーが手をかざす。すると、皐月の全身を光の粒子が取り囲んだ。
(凄い!これが魔法か…!)
 皐月はその光景に感動を覚えた。光が少しずつ強くなり、目を開けていられなくなる。目を閉じても、まぶたを通して光が感じられた。
「終わったよ、けんたろ」
 声をかけられて、皐月は我に返った。
「お、本当に変わってる…って、なんじゃこりゃああああぁぁぁぁぁっっっ!!
 皐月は絶叫した。と言うのも無理はない話で、今彼女が身に付けているものは、ストラップレスの黒いハイレグボディスーツに、網タイツ、カラーと蝶ネクタイ。そして長い耳のついたカチューシャ。
 どう見てもバニーガールだった。
「いやぁ、こっちの世界に来る前に、こっちのファッションをいろいろ見せられたんだけど、一番動きやすそうなのがそれ…」
「アホかっ!戻せ、今すぐ元に戻せっ!」
 皐月は怒鳴った。
「ダメなの?う〜ん…ちょっと待ってね…魔力がたまるまで3時間くらい」
 スフィーの言葉に思わずあごが外れそうになる皐月。
「…おい…3時間もこのままなのか?今客が来たらどうす…」
 と言った瞬間、店の扉が開かれる音がした。
「たのもう…って、ぬぅ!?」
 侍を連想させる、和服を着たいかめしい熟年の男性が、バニー姿の皐月を眼をまん丸に見開いてみている。
「…その…いらっしゃいませ」
 他にどうしようもなく、皐月がバニー姿のまま頭を下げると、男性は戸惑ったように言った。
「ここは…骨董品屋ではなかったかね?」
「見てのとおりどこから見ても骨董品屋です」
 皐月は答えた。陶器や絵画が棚に並べられ、薄暗い店内は確かに間違いなく骨董品屋。ただし、そう答える彼女の姿自体がその雰囲気を完膚なきまでに粉砕していたが。皐月と客はしばし沈黙を保って向かい合っていたが、やがて皐月が言った。
「えっと…この格好はお気になさらずに」
「う、うむ…」
 客は我に返ったように頷き、商品を陳列した棚に視線を送った。しかし、やはり少し気になるのだろう。皐月のほうをちらちらと見ている。やがて、一枚の皿が気に入ったらしく、それをじっと眺めていたが、皐月のほうを向いて言った。
「君…すまないが店主を呼んで貰えないだろうか?」
「…私です」
 皐月が自分を指さして答えると、客はあんぐりと口をあけて倒れそうになった。よほどショックだったらしい。
「…本当かね?」
「本当です」
 確認の言葉に皐月が沈痛な表情で頷くと、客は「そ、そうかね…」と頷き、その皿について質問してきた。
「これはなかなか良い品と思えるが…」
「お目が高いですね。これは江戸中期の名工、原藤右衛門の作です。この、表面の微細なひび割れのような模様が特徴で…」
 皐月がバニー姿のまま客の横に並び、説明を加える。しかし、客のほうは自分が質問したにも関わらず全く皿の方を見ておらず、真っ赤な顔で皐月を見ていた。
「と言う訳で、以上の点から真作であると判断できます。こちらのほうに鑑定書も…あの、お客様?」
 皐月が上の空状態の客に呼びかけると、我に返ったのか客ははっとした表情で顔を上げ、やおら咳払いをした。
「む…その、なんだ…それを頂こう」
「お買い上げですか?ありがとうございます!」
 皐月は満面の笑顔を浮かべ、原藤右衛門の皿を丁寧に梱包した。
「この店は気に入った。また来させていただこう」
 皿を受け取り、支払いを済ませた客がそう言って立ち去るのを、皐月は「ありがとうございました!」と大声で礼を言って見送った。
「はは、やったね。俺も意外と経営の才能があるんじゃないかな」
 喜ぶ皐月に、スフィーがぼそりと言った。
「いや…多分違うと思うよ」
 意外に細かく観察していたスフィーだった。

 そして、午後。魔力の回復したスフィーに皐月は服を大人しいものに変えてもらった。
「まぁ…こんなものかな」
 結局皐月が選んだのは、母親のファッション雑誌の中で一番大人しそうなデザインの白のブラウスに青いデニム地のロングスカートである。若い女性が着るには少し地味だったが、今の皐月が着ると、不思議に落ち着いた雰囲気が出ていた。
「まぁ…必要な服は後で買ってくるとして今日はこれで行こう。あんまりスフィーに魔力を無駄遣いさせられないしな」
 スフィーは頷いた。魔法を使ったせいか、少し疲れているらしい。幸い、その日はもう安い品が少し売れただけで、ほとんど忙しい事もなかった。
「ふぅ〜…今日は店じまいにするか」
 夜の七時、皐月は店のシャッターを閉め、奥の自宅部分に入った。居間ではスフィーが物珍しそうにテレビを見ている。
「ん?スフィー、何か面白いものでもやってるのか?」
 皐月が聞くと、スフィーは画面から目を離さずに答えた。
「うん、こういうのってグエンディーナにはないから」
 画面にしがみつくようにしてテレビを見ているスフィーに、皐月は苦笑した。
「あのな、スフィー。テレビも良いけど、少し離れて見たほうが良いぞ。昔子供がひきつけを起こした事もあるからな」
 すると、その言葉にスフィーは見る間に膨れて言った。
「ひどい!あたし子供じゃないもん!本当は21歳でけんたろなんかよりずっと『ないすばでぃ』なんだから!!」
 皐月の苦笑はますます大きくなった。スフィーが21歳なんてとても信じられない。それなら自分より年上だ。しかし、スフィーはどう見ても10歳前後という所だろう。それに、自分は本来女ではないから、ナイスバディかどうかで自慢されても別段悔しくない。
「わかった、わかった。そうそう、元に戻るまでは、俺は『皐月』と名乗っておくから、スフィーもできれば人前ではそう呼んでくれ。何かの手違いで知り合いの耳に入ったら厄介だ」
 皐月の言葉に、スフィーは今度は素直に頷いた。
「さつき…ね。わかった」
「じゃあメシにしよっか」
 皐月は笑うと、手早く夕食の準備に取り掛かった。ありあわせの食材で適当におかずを作って行く。
「あのさ、スフィー。主食がホットケーキだったりはしないよな?」
「しないよっ!!」
 そんな会話をしつつ、夕食を終えて、皐月は入浴する事にした。
「はぁ…なんだか疲れたなぁ…」
 そう言いながら皐月はブラウスを脱ぎ、ふと鏡に目をやった。鏡に下着姿の美女が映っている。
「わっ!?…あ、そうか、俺か…」
 皐月は驚きを押し殺しながらも鏡の中の自分を観察した。背丈は、男の頃より若干低い。体つきは全体的に華奢で、それほど肉感的という感じではなかった。しかし、胸のボリュームはそこそこで、普段から自分の貧乳を嘆いている結花よりも大きい感じだ。
「こりゃ結花には絶対に本当の事は話せないな。バレたら確実に蹴り殺されるぜ…」
 皐月は呟きながらスカートも脱ぐ。スフィーの魔法は凝っていて、ちゃんと下着も女性物になっていた。本来なら興奮もののシチュエーションだが、自分の姿だと思うとやはり何も感じないものだ。
「はぁ…意外とつまらんな。とっとと入ってしまおう」
 そう呟き、皐月は風呂場に入った。適当に身体を流して浴槽に身体を沈める。
「お?…胸って水に浮かぶんだな。これはちょっと面白いかも」
 皐月がそんなバカな事を言いながら湯船に漬かっていると、浴室のドアが開いてスフィーが入ってきた。
「うわ!?す、スフィー!何だよ急に」
 驚いてバランスを崩しかけた皐月が何とか踏みとどまりながら言うと、スフィーは平らな胸を張って答えた。
「さつきは女の子としてのお風呂の入り方知らないでしょ。あたしが教えてあげる」
 このお姉さんぶった物言いに、皐月は爆笑しそうになった。
「…いや、そんな事言われても、そんなの適当でいいんじゃないの?」
 笑いをこらえながら皐月が言うと、スフィーはむっとした表情で言った。
「ダメだってば。ちゃんと綺麗にしとかないといけないんだからね。ほら、出る出るっ!!」
「うわ、やめろって、スフィー!!」
 皐月は無理やり浴槽から引きずり出され、スフィーの手で洗い直された。まぁ、小さくても女の子は女の子。スフィーの指導は皐月にとっても、さっきいい加減に洗った時とは違って、ちゃんと綺麗になるし気持ちのいいものでもあった。そのあと、改めて二人で湯船に漬かる。ちょうど皐月がスフィーを後ろから抱きかかえるような体勢だ。
「う〜ん…」
 皐月にもたれかかったスフィーが伸びをする。
「なんだかさつきのそばにいると気持ちがいいなぁ」
「…え?」
 スフィーの言葉に皐月が顔を下げると、スフィーは首を捻って皐月の顔を見上げて言った。
「だって、なんだかさつきとくっついてると、からだが暖まるんだもん」
 皐月は苦笑した。
「まぁ、お風呂に入ってるせいだと思うけどね…あふぅ…眠いな…のぼせないうちに出ようか」
「わっ!?」
 そう言うと、彼女はスフィーのわきの下に手を入れ、驚く間もなくぐいっと持ち上げた。そのまま浴室を出る。慣れない女性の身体で一日過ごしたせいで疲れたのか、急激に眠気が襲ってくる。身体を乾かすと、そのまま自室に向かって、敷きっぱなしの布団に潜り込んだ。
「さつき〜、あたしの布団は?」
「…適当に選んでよ…」
 スフィーの抗議に生返事を返し、眠りの国に落ちていく皐月。おかげで、やはり面倒くさくなったスフィーが同じ布団に潜り込んできた事に、皐月は気づく事はなかった。

 そして、翌朝…
「皐月、皐月っ!大変なの!!起きて、起きてっ!!」
 ゆさゆさゆさ。
 スフィーの大声と、身体を揺さぶられる振動に、皐月は目を覚ました。寝ぼけまなこで時計の針を見ると、時間は7時。まだ起きるには早い時間だ。
「なんだよ…スフィー…もう少し寝かせておいてくれよな…」
 抗議の声を上げる皐月。しかし、スフィーは手加減することなくさらに皐月の身体を揺すぶった。
「寝てるどころじゃないんだってば!!ほら、見てよ!!」
 余りのしつこさに、とうとう根負けした皐月は身体をごろりと転がしてスフィーのほうに向き直った。
「…なんだよ、全く…え?」
 皐月は驚きで目を見開いた。スフィーがいるはずの方向に、見知らぬ女性が座っている。背の高さは今の皐月と同じくらいだろうか。しかし、胸のボリュームは遥かに勝っており、かすかに大人の女性特有の色香を漂わせるかなりの美女だった。 
「失礼ですが、どなた様でしょう」
 思わず漏れた皐月の一言に、女性が目を吊り上げる。
「どなた様じゃないわよ!!スフィーよ、あたし!」
「…ええっ!?」
 今度こそ皐月は目を覚ました。確かによくよく見れば、女性の髪はスフィーと同じピンクで、おまけに触覚のようにピンと立った特徴的な前髪もそのままだ。なんと言っても、喋り方がスフィーのものである。
「スフィー、何でいきなり大人になったんだ!?」
 跳ね起きた皐月が言うと、スフィーはますます目を吊り上げた。
「違うわよ!!これがあたしの本当の姿なの!昨日は皐月を助けるために大きな魔法を使ったせいで、魔力を使い切って一時的に子供の身体になってただけなんだから!」
「そ、そっか…」
 スフィーの剣幕に押されて口篭もった皐月だったが、すぐに語句を変えて一番聞きたかった質問を再開する。
「じゃあ…なんで急に元に戻ったんだ?」
 すると、スフィーは首を傾げた。
「それが…あたしにもわからないのよ。もともとこっちの世界は魔力が少ないから、元に戻れるだけの魔力を蓄えようとしても何週間もかかると思ってたのに…」
「そうなのか…う〜ん…」
 考え込んだ皐月だったが、ある事に気が付いて思い切り頭を上げた。
「待てよ?元に戻った、って事は、ひょっとして俺の事を男に戻せるんじゃないのか?」
 その皐月の言葉に、スフィーもはっとなる。
「…うん、できるよ!いまなら皐月のこと健太郎に戻せるよ!」
 二人は手を取り合って即席のダンスを踊りながら喜びを表現した。
「よし、早速やってくれ、スフィー!」
「うん、わかった!」

…数時間後。「五月雨堂」は沈黙に包まれていた。
「…なんで…?」
 呆然と呟くのは、魔力を使い切って小さくなってしまったスフィー。そして、女の子のままの皐月の二人だった。
「全然、元に戻ってない…」
 皐月は自分の身体を見つめた。続いてスフィーに視線を向ける。
「どうしてだ?スフィー」
 皐月の質問に、スフィーは黙って首を振った。
「そんなのわかんないよ。魔法自体は完璧だったのに…」
 その時、スフィーは何かに気が付いたように顔を上げ、皐月をまじまじと見つめた。そして、ぎゅっと抱きついてきた。
「わ?な、なんだよ、スフィー」
 困惑する皐月にすぐには答えず、スフィーはしばらくじっと皐月の胸に抱きついたままでいたが、やがてそっと離れると皐月の顔を見上げた。その表情には、確信に満ちたものが浮かんでいる。
「そう言うことだったんだ…わかったよ、さつき。なんで元に戻らなかったのか」
「え?」
 思わず身を乗り出した皐月に、スフィーは思わぬ事を告げた。
「さつき、ものすごく強い魔女の素質を持ってるんだよ」

「…魔女の素質って…どういうことだ?」
 スフィーの言葉の意味がわからず、戸惑う皐月にスフィーは解説をはじめた。
「あたしにもはっきりした事はいえないけど…もともと一回死んで生き返った人には不思議な力が目覚める、って言うし、さつきの場合はそれが魔力だったんじゃないかな。とにかく、凄い魔力をさつきは持ってるみたいだよ。一晩一緒に寝てるだけであたしが元の姿に戻っちゃうくらいに」
「いや、まさか…」
 皐月は混乱した。いきなり強大な魔力に覚醒したとか言われても困る。
「それで…その、元に戻れなかった理由は?」
 とりあえず事態を整理するために質問をする。
「それは…あたしよりも皐月のほうが力が強いから、あたしの魔法が通用しなかったんだよ」
「え」
 皐月は固まった。自分を生き返らせ、女の子に変えてしまうような常識はずれの力を行使するスフィー。そのスフィーよりも凄い力が自分の中に眠っているなんて、とても信じられない。しかし、思い当たる部分もあった。昨日、腕輪が外れても死ななかったのは、自分の魔力で自分の命を支えているからではないだろうか。
「…その、どうしたらいいんだろう、それって」
 皐月は言った。スフィーの力では自分を元に戻せないとなると、自分は一生女の子のままなんだろうか?
「そ、そうだね…あたしが一生懸命修行して、いつか皐月を越える魔力を身につけたらできるかも…何百年もかかりそうだけど」
「な、何百年っ!?」
 スフィーの答えに、皐月はめまいを起こして倒れそうになった。それは一生元に戻れない、と言われているのと同義語だ。
「うん…いまのままなら十年もあれば越えられるだろうけど…皐月も魔女の修行をしなくちゃいけないから」
 スフィーは言った。
「え?魔女の修行をする…?俺が?」
 皐月が尋ねると、スフィーは沈痛な表情で頷いた。
「うん…あのね、魔力って言うのはちゃんと使い方を覚えないと危ないんだよ。勝手に漏れ出した魔力が自分の分身になって悪さをしたり、魔力に引かれてやってきた悪霊がとり憑こうとしてきたり…」
 スフィーの言葉に、皐月は蒼白になった。既に十分呪われているのに、これ以上トラブルを抱え込んではたまらない。特に、スフィーが口にしたのは、どれ一つとっても生命に関わるか、あるいは社会的にヤバいであろうものばかりである。
「な、なるほど…で、どうしたら良いんだ?」
「そうだね。最初は簡単な魔法の使い方を覚えるところから始めてみようか。魔法の使い方がわかれば、溜まった魔力が漏れないようにする方法もわかってくるし…」
 皐月の質問に、さすがに専門家らしくスフィーが答える。こうして、皐月の魔女修行が始まった。服を着替える魔法、電撃魔法、店を掃除する魔法…様々な呪文が使えるようになると、それが五月雨堂の経営に役立つようになり、売上はじわじわと伸びていった。特に、鑑定に役立つ「物の来歴を知る魔法」と、ある骨董市で出会った有名な骨董品鑑定士で、珍しいこの世界の魔法使いでもある長瀬氏から習った「修復の魔法」は非常に便利なものだった。
 そして、何時の間にか、皐月は「若いながら確かな鑑定眼と技術を兼ね備えた美人骨董品店主」として、業界ではかなりの有名人となっていたのである。

 そんなある日の事…
「ありがとうございました〜」
 その日最後の客を見送り、店じまいの準備をはじめた皐月に、スフィーが話し掛けた。
「あのね、さつき…」
「ん?…スフィー、どうしたの!?」
 作業の手を休めてスフィーのほうを向いた皐月は、彼女が目に涙を浮かべているのを見て驚いた。
「さつき…あたし、もうすぐグエンディーナに帰らなくちゃいけない…」
「…なんだって!?どうしてそんな急に…」
 思いがけない告白に絶句した皐月に、スフィーは首を横に振った。
「ううん…最初からこの世界での修行は今日までって決まってた。でも、言い出せなかったんだよ…さつきといる時間はとても楽しかったから」
「スフィー…」
 皐月も急に寂しさがこみ上げ、涙がじわりと溢れた。出会いは最悪で、とんでもない目に合わされはしたが、皐月もこの変わった同居人を好きになっていたのだった。
「さつき、あたし、グエンディーナでもっと修行して、立派な魔女になってもう一度こっちへ来るから。だから、あたしのこと忘れないでね」
「…馬鹿だな。忘れるわけないだろ」
 皐月はスフィーの頭を抱きしめた。
「俺も…スフィーが戻ってくるまで何百年だって待つよ。そのために魔法を覚えたんだから」
 そうして、再び「門」が開く時刻まで、二人は抱き合っていたのだった。

 皐月の話が終わると、ぱちぱちと拍手が湧き起こった。じゃれ付いていたら祐香に頭をどつかれてちょっと涙目モードの美紗緒が言う。
「む〜…なんだぁ、皐月さんもけっこうラブラブだったんじゃないですかぁ〜…良いなぁ」
「いや…ここで話題にするべきはそんな事じゃないぞ」
 麻咲が美紗緒の言葉を遮って皐月に向き直った。そして、一番知りたいことを尋ねる。
「それで、男に戻れる魔法は見つかったんでしょうか?」
 それはその場にいたかなりの人間が知りたいことでもあったが、皐月はあっさりと首を横に振った。
「いやぁ…これがなかなか難しくてねぇ…って言うか、あったらとっくに私が元に戻ってるよ」
 これには麻咲もがっかりして「そうですか…」といいながら引き下がる。
「…それで、スフィーさんのことは…これからも待たれるんでしょうか…?」
 絵美がぼそぼそと尋ねる。
「ん、そうだね。そのために老化を止める魔法も覚えたし…まぁ、あと何百年で千年でも待つよ」
 皐月は平然と言い切った。場に沈黙が降りる。一応は人間のレベルを維持しているしおさい女子寮の少女たちにとっては、皐月のこの人外者の感覚にはなかなか付いていけないものがあった。取り繕うように真奈が声を張り上げる。
「そ、それじゃあ、ありがとうございました。あとは…ボクと絵美先輩とひろのちゃんだね」
「では、私からお話しましょう…」
 絵美が名乗りをあげた。美人だが無口、無表情を地で行く絵美にしては珍しくアクティブな行動ではある。
「はい、では拍手〜」
 美紗緒の声にあわせて起こる拍手。話しはじめる絵美を見ながら皐月は思った。
(本当は『生と性を反転する魔法』を使えば…女の子の姿で死んでからこの魔法使えば元に戻れなくもないような気はするんだけど…間違ってたら取り返しがつかないからねぇ。…やっぱやめとこ)

(つづく)

あとがき
 今回は「りばーしぶるハート」唯一の人外キャラになった宮田皐月さんの話でした。ちなみに、彼女の魔力は軽く芹香を凌駕し(魔法の才能では芹香のほうが上)、有り余る力を駆使して稼ぐ五月雨堂の売上は年間(ピー)億円。しかも、セバスチャンにほぼ匹敵する戦闘力を有するという、最強級のキャラだったりします(爆死)。
 次回はしおさい寮きっての清楚系キャラ、麻生絵美のお話です。


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