70000ヒット記念企画

りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

第五話 えいえんからの回帰



 かしゃぁっ!!
 カーテンの引かれる音と共に、急に視界が明るくなる。その眩しさにとっさに光とは反対の方向へ寝返りを打った時、聞き慣れた声が朝の到来を告げた。
「ほら、早く起きて!遅刻しちゃうよ!!」
「む〜…あと17時間…」
「それじゃ次の日になっちゃうよ。ほら、起きるっ!!」
 抵抗の声を一瞬で排除し、彼女が布団を捲り上げる。露わになった素肌に冬の朝特有の刺すような冷気が染み透り、一瞬で目が覚めた。
「ひゃあっ!?」
 跳ね起きたところへ、彼女の呆れたような声が飛んできた。
「…またパンツだけで寝てたの?だめだよ。風邪引いちゃうもん」
「む〜…お風呂あがった後眠くてパジャマ着るのめんどーだったんだよ〜」
 彼女はため息をつき、タンスからブラを取り出し、ハンガーにかけてあった学校の制服とまとめてベッドの上の人物に手渡した。
「ほら、早く着替えて、美紗緒」
「ん…ありがと、瑞佳」
 ベッドの上の人物…折原美紗緒は気の抜けた声で礼を言った。濃い栗色の髪をボブカットにした、美人と言うよりは可愛い、と言った顔立ちの少女である。彼女を起こしに来てくれた幼馴染みの長森瑞佳も決して大人びた顔立ちではないのだが、それでも2つくらいは美紗緒より年上に見える。実際には同じ年齢なのだが。
「とにかく、風邪引かないうちに早く着替えて、美紗緒」
「む〜…わかってるよ〜。瑞佳は心配性だなぁ」
 苦笑しながら美紗緒は着替えをはじめた。と言っても、ショーツ一枚で寝ていたので実際にはそのまま服を着るだけの話ではある。しかし、初っ端から美紗緒は着替えに手間どっていた。
「む〜、うまく留められないよ…瑞佳、お願い」
 美紗緒はブラのホックを留めるのが苦手だった。瑞佳はまたしてもため息をつくと美紗緒の背中に回り、代わりにホックを留めてやる。
「できたよ」
「いや〜…あはは。毎朝ごめんね」
 笑う美紗緒に、瑞佳は肩をすくめて言った。
「美紗緒も…もうブラをつけるようになって何年も経つのになんでそんなに苦手なの?」
「む〜、なんでだろうねぇ?」
 美紗緒は誤魔化すように笑ったが、実際には理由はわかっていた。
「美紗緒」はブラをつけるようになってから何年も経っているかもしれない。しかし、「彼女」はついこの間までそんな習慣は持っていなかったからだ。
「とにかく、着替えたら降りるから、先に行ってて」
「うん、わかった」
 美紗緒の言葉に頷き、瑞佳は部屋を出て行った。残された美紗緒は部屋の隅に置いてある姿見に自分の全身を映しながら制服に袖を通した。胸元のリボンを結び、軽くターンして具合を確かめる。…問題なし。
 一階に降りるために廊下に出た後、美紗緒は自分の部屋をもう一回見渡した。基本的なレイアウトは「昔の」自分の部屋とあまり変わらない。ただ、タンスの上やベッドの脇に飾られた数々のぬいぐるみやピンク色のカーテンがこの部屋が「女の子の部屋」であることを雄弁に物語っている。
「…おかしなことになったよなぁ…」
 美紗緒は今の生活に入る前のかつての自分のことを思い出し、しみじみと呟いた。
「折原浩平」…そう名乗っていた頃の自分の事を。

 そこは、彼の望んだえいえんの世界。何の心配も要らない…安らぎだけがある世界。そのはずだったが。
 浩平の心は空虚だった。成長するにつれて現実世界で生きていく決意をしたはずなのに、永遠の世界は勝手に成長し、とうとう彼を取り込んでしまったのだ。
 時の止まった世界の中、現実の世界で知り合ったかけがえのない友人たちと再会することも無く過ごして行くのか…
「お兄ちゃん」
 その声に浩平は振り返った。そこには、死に別れたみさおが、元気だった頃の姿で立っていた。
「みさお」
 浩平が名を呼ぶと、あれ以来時を止めたままの彼女は小走りに兄の元へ近寄ってきた。
「お兄ちゃん、さびしそう」
 みさおの言葉に、浩平は苦笑いを浮かべる。
「悪いな、みさお。心配させちまったか」
 みさおは首を縦に振った。
「せっかくまた逢えたのに、なんだか嬉しくないみたいだったから」
「そんな事はないよ」
 浩平は言った。思えば、自分がバカなことばかりやって自分を道化にしてきたのは、みさおのためだった。日に日に弱っていく彼女を元気付けるため、浩平は思いつく限りの楽しそうな事、面白いことを全部やった。みさおがいなくなった後も、自分を元気付けるために、そして、向こうの世界でみさおが寂しくないようにと。
 だから、いまさらみさおを心配させるようなことはできなかった。しかし、みさおはしっかりと浩平の内心を見抜いていた。
「いいんだよ、お兄ちゃん。本当の事を言っても」
 みさおが言う。しかし、浩平は黙って首を横に振り、続けて話題を変えた。
「大丈夫だよ。それより、いろいろと面白い話をしてやるよ」
 浩平は向こうの世界で体験したいろいろなことをみさおに語って聞かせた。おせっかいな幼馴染みの事、根はがさつなくせに乙女になるんだなんて言い張っている意地っ張りな少女の事、目が見えないのにがんばっている先輩の事…話す時間はいくらでもあった。
「それでな…その時住井の奴は」
 浩平がある話の山場に差し掛かろうとしたとき、みさおが手を上げて浩平の口をふさいだ。
「…?」
 話を途中で止められて目を白黒させる浩平に、みさおは言った。
「…もう、十分だよ。とても楽しかった」
「え…?これからがいい所なのに」
 浩平が言うと、みさおはふっと微笑んだ。
「ううん。今話してるお兄ちゃんはとても楽しそうだったから…やっぱり、お兄ちゃんはこっちに来ちゃいけなかったんだよ」
 みさおは黙っている浩平に向かって言葉を続ける。
「お兄ちゃんと一緒にいたいって言うのはわたしのお願いでもあったけど…そのせいでお兄ちゃんをそんな楽しそうな友達のところから引き離したりできないから…だから、お兄ちゃんは帰るべきなんだよ」
 浩平は言葉を失った。
「そんな…それじゃあお前はまた一人ぼっちじゃないか…」
 ようやくそんな言葉を搾り出した時、浩平はある事を思いついた。
「そうだ…一緒に行こう。向こうの世界へ戻るんだ。そうすればずっと楽しい時間が過ごせる。そうしよう。な?」
 浩平のわがままとも言える言葉に、みさおは困ったような顔をする。
「でも…わたしは向こうではとっくにいなくなっちゃった人間だから…」
「…わかってるんだ、そんな事は。でも…」
 浩平がうつむいた時、みさおが何かを思いついて顔をあげた。
「…そうだ、一つだけ方法があるよ」
 え?と顔をあげた浩平に、みさおはそっとしがみついた。
「これから向こうの世界に行くけど…何があっても驚かないでね」
 みさおがそう言った瞬間、世界がぼやけた。今まで立っていた場所がなくなり、浩平とみさおは深い闇の中に投げ出された。
「えっ!?うわあぁ!!」
 叫ぶ浩平の身体に、すっと音もなくみさおの身体が入り込んでいく。その信じられない光景を見つめる浩平の心の中に、声が聞こえてきた。
(これからはずっと一緒だよ、お兄ちゃん)
 それと同時に、身体の浮遊感が止まった。

 目を開けると、そこは懐かしいあの町の風景だった。
「…帰ってきた」
 浩平は感慨も深く呟いた。場所は…学校のすぐ傍のようだ。時間は夜。辺りが静かなところを見ると、かなり遅い時間らしい。
「はは…早く帰らないとな。由紀子さん心配しているだろうし」
 それに…瑞佳も。懐かしい顔に早く逢いたい。浩平は駆け出そうとして…足を布地に絡めて転んだ。
「痛〜…あぁ、もう膝すりむいちゃったよ…って、膝?」
 浩平は首を傾げた。自分は膝が露出するような半ズボンを履くような年頃ではない。では、なぜ膝が見えるのだろう。
 …と言うか、太ももまで豪快に露出しているではないか。白くて、ムダ毛のないすべすべした脚が見え、その付け根にはその脚よりも鮮やかな白い布地が…
「え?え?わぁっ!?何で俺スカートなんか履いてるんだ!?」
 浩平は驚いて叫んだ。履いていたのはただのスカートではなく、学校の女子の制服だった。「えいえんの世界」にいた時は確かに男子の制服を着ていたはずなのに。慌ててスカートの裾を取り、露わになっていた下着を隠す。その勢いで自分の股間に手が当たった。
「…え?」
 浩平は、その瞬間とてつもない違和感を感じて動きを止めた。
 そこにあるべき感触が存在しなかったからだ。
「…なんだ…今の…」
 混乱した思考のまま座り込んでいた浩平の意識を現実に引き戻したのは、突然差し込んだまぶしい光だった。
「君、こんなところで何をしているのかね」
 浩平はハッと顔をあげた。声と光の主は同一人物だった。巡回中の警官らしい。浩平はふと今の自分の異常な状況に気がついた。こんな夜中に学校の女子制服を着ている男など…間違いなく変態のレッテルを貼られても仕方がない存在ではないか。
(に、逃げなきゃ!)
 混乱した頭のままで、浩平は立ち上がり、走ろうとして…また転んだ。
(あぁ…スカートって走りにくいんだな。こんなので毎日走っていた瑞佳は凄いよ…)
 ショックで意識が遠くなってくる。その時、駆け寄ってきた警官が浩平を抱き起こした。
「君、しっかりしなさい!大丈夫、私は君の味方だ!何もしないから落ち着きなさい!!」
 動けない浩平を、警官が軽々と抱き上げる。ずいぶん力のある人だなと浩平は思った。そのまま、意識はすっと遠のいていった。

 浩平が意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。
「うん…あれ…ここは…」
 目を開けた視界に、涙をいっぱいに目に溜めた瑞佳の懐かしい顔があった。
「…みずか」
 浩平はささやくように彼女の名を呼んだ。途端に、瑞佳の涙腺のダムが決壊した。わっと泣き出した彼女は、浩平の胸にすがり付いてきた。
「良かった…!目を覚ましてくれて!もう駄目だと思ったんだよ…!!」
 泣きじゃくる瑞佳の頭を、浩平はそっとなでた。
「あはは…心配性だなぁ…瑞佳は」
 そう言いながら、浩平はふと違和感を覚えた。
 瑞佳の身体って…こんなに大きかっただろうか?
 そう思いながらも浩平が瑞佳の頭を抱いていると、彼女の泣き声を聞きつけたのか、部屋のドアが開き、もう一人の懐かしい人物が姿を現した。
「由紀子さん」
 浩平が名を呼ぶと、由紀子―浩平の叔母だ―はゆっくりと歩いてきて浩平の手を握った。
「目が覚めたのね。良かったわ」
「すいません…心配かけちゃって」
 浩平が謝ると、由紀子は安心したように微笑んだ。
「先生も言ってらしたけど、身体には転んだ時にできた擦り傷以外はないそうだから、明日の朝には退院できるわ」
 浩平はそうですか、と頷いた。
「あなたが学校のそばで倒れてた、って聞いた時にはそれはもう心配したわよ。まさか、悪い人にでも襲われたんじゃないかって。最近はあなたみたいな娘が好きなそういう変な人も多いって言うし…」
「あはは、まさか…って…え?」
 浩平は笑い飛ばそうとして、叔母の言葉に引っかかるものを感じた。
―あなたみたいな「娘」―
 その真意を正そうとして浩平は口を開きかけたが、それよりも早く由紀子が言葉の続きを口にした。
「そういうことがなくて何よりだったけど、あの時間は女の子が歩き回る時間じゃないわよ。何があったの?美紗緒ちゃん」
 美紗緒…その名前が自分を指していることに気が付くまで、浩平には少しの時間が必要だった。
…美紗緒…何で俺をその名前で呼ぶんだ?俺は…折原浩平で…
(違うよ)
 その瞬間、心の中で何かがささやきかけた。
(みさおはいるよ)
(ずっとここにいるよ…)
 浩平は頭を上げた。そのささやく声は…
 そう、そうだった。ずっと一緒にいてやる。一緒の世界に連れて行く。「えいえんの世界」で俺は確かにみさおにそう誓ったのだから。これが、その約束の…みさおと交わした新しい約束の、その証。
 俺は…「折原浩平」であって、そして「折原美紗緒」という名のあたし。  

 こうして、浩平は自分の世界に帰ってきた。ただし、今の姿―折原美紗緒という名前の女の子として。
「えいえん」の力のせいなのかどうかは不明だが、折原浩平の情報は全て折原美紗緒のそれに書き換えられていた。知り合いも全員自分の事を浩平ではなく美紗緒として記憶していたし、戸籍も、さらには持ち物でさえ美紗緒のものに変わっていた。そして、彼女には兄弟がいなかった。美紗緒は「こうへい」という兄なり弟なりがいないかと思ったのだが、そんな人物は存在していなかった。
「む〜…複雑な気分だなぁ。なんだか」
 浩平―美紗緒は鏡を見ながら言った。今の自分には、確かにみさおの面影が残っている。少し幼い容姿をした…中学生くらいに見える少女。本当は17歳のれっきとした高校生なのだが。
「む〜…でも、まぁこれで良いんだろうな」
 浩平は頷いた。浩平でもあり、みさおでもある「折原美紗緒」として彼女が楽しく生活することは、ようやく一緒になれた彼ら兄妹が望んだ事なのだから。
「美紗緒〜遅刻しちゃうよ〜早くおいでよ〜」
 玄関の方から瑞佳の声がする。
「わかったよぉ、今行くよぉ〜」
 浩平から美紗緒になった彼女は慌てて洗面所を飛び出した。 

「ほら美紗緒、もっと速く走って!遅刻しちゃうよ!!」
「む〜、待ってよ瑞佳ぁ〜!」
 瑞佳に引きずられるようにして走る美紗緒。男の頃よりも確実に20センチ近く背が縮んだせいで、思ったように走れない。これも、予想していなかったことの一つだ。
「美紗緒、その『む〜』って言う口癖、やめた方が良くないかな」
 走りながら瑞佳が言う。
「なんで?」
「なんか…こう、子供っぽいと言うか…」
 聞き返した美紗緒に瑞佳が答えた。その答えに、思わず膨れた顔になる美紗緒。
「む〜、ひどいよ瑞佳ぁ」
 美紗緒としては、自分は一応元男だぞ、という事を示すために「むぅ…」と渋く呟いているつもりなのだが、年齢不相応に幼い顔立ちと可愛らしい声質、舌っ足らずな口調のせいで、「む〜」とうなっているようにしか聞こえないのだった。
「ほら、また…はぁ…美紗緒には本当にいい旦那さんを見つけてもらわなきゃ心配だよ」
 美紗緒は吹き出しそうになった。浩平だった時にも、瑞佳には今と同じようなことを言われた事がある。その時は「旦那さん」の部分が「奥さん」だったが。思わず苦笑しながら瑞佳のほうを見つめ、前方不注意になる。
 その時だった。
「美紗緒、あぶないっ!」
「ほへ?わぁっ!!」
 どかっ!
 瑞佳の警告も遅く、美紗緒は角から飛び出してきた人間に激突。地面に転がっていた。
「あぅ…」
「美紗緒、大丈夫!?」
 ショックでゆれる視界の中、瑞佳が近寄ってくる。そして、もう一人…美紗緒がぶつかった相手も。
「ごめんね、折原さん。大丈夫?」
 クラスメイトの七瀬留美だった。軽量の美紗緒に対し、昔剣道で鍛えた留美はびくともしなかったらしい。男の頃とはまるで正反対だ。
「む〜…ひどいよ、ななぴー」
「ななぴーはやめてよ」
 留美が言いながらも美紗緒の身体を起こす。
「それにしても、長森さんと折原さんがここにいるって事は…遅刻?」
「…なんだか聞き捨てならない事を言われたような気がするよ」
 留美の失礼な台詞に瑞佳が反応した。
「あはは、ごめんごめん。でも、急がなきゃいけないのは本当よ」
 留美が腕時計を見せる。それを覗き込んだ美紗緒と瑞佳は…
「うわぁ!ほんとにヤバいよぉ!」
「本気で走らないと遅刻だよ〜!」
 悲鳴をあげ、慌てて走り出す二人。留美は苦笑しながらも後に続く。平和な朝の風景だった。

「…セ〜フ!」
 3人が教室に入ってきたのは、朝のチャイムが鳴り響き終わったその瞬間だった。
「間に合ったよ…」
 息を切らす美紗緒と瑞佳に、一人の少年が声をかけた。
「相変わらずスリルのある登校してるな」
 声の主に瑞佳が笑いながら答えた。
「あ、おはよう。住井君」
「おーっす、住井」
 美紗緒は住井―住井護を呼び捨てにした。浩平の頃の男の友人だが、今の「設定」でも美紗緒とは良い友達と言うことになっているようだ。ただし、美紗緒が女子バカ代表、住井が男子バカ代表のゴールデン・バカコンビという扱いであまり名誉のあるものではない。
…男の頃とさして変わらないか。
 美紗緒が苦笑すると、住井がそれに答えるように一見さわやかに笑った。
「よ、折原。あんまり長森に迷惑かけるなよ?毎朝こんな調子だからな」
「む〜…努力はするよ」
 美紗緒が答え、住井が何か言おうとした時、髭―担任のあだ名だ―が入ってきた。
「お〜、全員揃っとるかぁ?HRはじめるぞ。席につけ」
 こうして、学校での1日が始まる…

 1時間目の授業中。美紗緒は教科書の偉人の顔に鼻毛を書き加えつつ周囲の様子を見ていた。授業などは当然のことながら全く聞いていない。 
 なぜ彼女が周囲のことを気にしているか…と言うと、男子が何やらメモをこっそりと回しているようなのである。美紗緒も元はそういうことをする仲間…と言うか、むしろ中心人物だったので、そういう気配はすぐにわかるのだ。
 いったい男子が何をしているのか…美紗緒はノートを破ると手紙をしたため、丸めて住井の机に投げつけた。自分が関わっていないなら中心人物はまず120パーセントこいつに間違いない。
 足元に落ちた手紙に気づき、住井はそれを拾い上げた。開いてみるとこんな言葉がかいてあった。
『何やってんの?あたしも混ぜてよ』
 それを見た住井は露骨に狼狽した表情になった。と言うか、何か悪事を…とは言わないまでも後ろ暗いことを働いていてバレたときの表情である。彼は急いで返信をまとめて美紗緒に投げてきた。彼女はそれを開いてみる。
『気にするな』
…無理言うな、と美紗緒は思った。そういう事に首を突っ込まずにはおれない彼女の性格など、住井なら明らかに承知しているだろうに。
 しかし、それでも敢えて気にするな、と言って来るのなら正面から聞きに言っても無駄だろう。美紗緒は男子が回しているメモの行方を観察した。
 その時、授業終了を知らせるチャイムが鳴り始めた。教師が「今日はここまで」と言うのを聞くよりも早く、美紗緒が最後にメモが渡った男子―南義明に向かって突撃する。
「うお!?だ、だれか折原を止めろ!」
 住井が美紗緒の動きに気づいて叫ぶが、それよりも早く美紗緒は南の机にたどり着いていた。
「うあ!?お、折原!」
「何やってんのかなぁ南ぃ。あたしにも見してみ」
 驚愕の表情を浮かべた南の手から、美紗緒がすばやく紙片を奪取する。内容を知っている男子たちが止めに入るよりも早く、美紗緒はメモを広げていた。
「…む〜…何これ…」
 美紗緒はうなった。そのメモにはこう書かれていた。
「前回の『お兄ちゃんと呼んで欲しい女の子』アンケート一位の折原美紗緒について特集!『彼女に着て欲しいコス』アンケート開催。君のリビドーあふれる意見を待ってるゼ!」
 それに続いて、美紗緒に着せてみたい服として「ピンクハウス」だの「ネコミミメイド」だのといった濃い意見が並んでいた。美紗緒は遅かったか…と天を仰いでいる住井のほうをじっと見て言った。
「このお兄ちゃんと呼んで欲しい女の子って何かなぁ?」
「い、いや…お前、結構人気あるんだぞ。顔とか声とかしゃべり方とか可愛いし」
 住井は言った。確かに美紗緒は背も小さいし、顔立ちは幼いし、口調は舌っ足らずだし、甘えられたらその筋の人にはたまらない魅力的な少女ではあろう。本人の預かり知らない事ではあったが、妹チックな容姿に似合わずアクティブでポジティブな性格の美紗緒はかなりの人気者なのだった。
「やだ…どうしてうちのクラスの男子ったらこんな事ばかりしてるのかしら」
 紙片を覗き込んだ留美がきつい視線をあたりの男子に向け、男子たちはその視線を避けるように縮こまった。
「む〜…」
 美紗緒は顔をしかめかけ…ふと何かを思いついたように顔をあげた。
「まぁ、いいや。あたしは別に気にしてないよ」
 美紗緒の言葉に、住井が驚いて彼女の顔を見る。
「怒らないのか?」
 美紗緒はこくんと頷いた。しかし、このとき彼女は怒るよりももっと楽しそうなことを思いついていたのだった。

 翌日、普段なら美紗緒と一緒に登校してくるはずの瑞佳が一人で教室にやってきた。
「おはよう、長森さん。…今日は一人?折原さんの姿が見えないけど」
 留美が声をかけてきた。
「うん。美紗緒はなんだか先に学校に行くって言って、早く出て行っちゃったんだよ」
 ねぼすけの美紗緒が瑞佳より先に出た、と言う言葉に留美は首を傾げる。
「あの折原さんが…?雨でも降るのかしら」
 留美が失礼なことを言う。しかし、雨が降ることなんかよりもずっと凄まじい異変が彼女たちのクラスに迫っていた。
「おはにゃ〜、みんなぁ!」
 突然、美紗緒の能天気な声が響き渡る。教室の全員がその方向を振り向き…そして、絶句した。
「む〜…みんな反応が悪いにゃぁ。どう?似合ってる?」
 美紗緒がにっこりと笑ってスカートの裾をつまみ、軽やかにターンを決める。次の瞬間、数人の男子生徒が崩れ落ちた。
「も…萌えた…真っ白に萌え尽きたぜ…」
 彼らはそういい残し、至福の表情で動かなくなる。やがて、辛うじて金縛りから立ち直った瑞佳が恐る恐る口を開いた。
「み、美紗緒…その格好はいったいなんなのだよもん」
 ショックのせいか、瑞佳の言語中枢はバグっていた。
「ん?演劇部で借りてきたんだにょ〜」
「『にょ』はやめなさい、『にょ』は。その格好じゃ洒落にならないわ」
 と留美。彼女にそう言わしめた美紗緒の教室を混乱に陥れた格好とは…
 ネコミミの付いたカチューシャ。
 黒いワンピース
 エプロンドレス
 そして、スカートの裾から覗く鈴のついたネコシッポ。
 要するに、昨日彼女にしてもらいたい格好の1だったネコミミメイドさんだった。
 なぜ、こんなものが演劇部にあるのかは非常に謎だが。
『似合ってるなの』
 美紗緒の後ろからひょいっと顔とそんな言葉の書かれたスケッチブックを出したのは演劇部員でもある上月澪。失語症と言うハンディを背負いながらがんばる少女である。どうやら、美紗緒のネコミミメイド服は彼女が用意したものらしかった。
 その時、教室の入り口でがたっ!と言う音がした。美紗緒たちがそっちを振り向くと、そこには顔を真っ青にした住井が立っていた。さっきの音は彼が鞄を取り落とした時のものらしい。
「お、折原…その格好はいったい…?」
 わなわなと震えながら問う住井に、美紗緒が微笑みかけた。
「ん?だってこういうカッコが好きなんじゃないの?せっかく着てやったのにノリが悪いにゃあ」
 無邪気に笑う美紗緒。しかし、良く見るとわかるのだが唇の端が微妙に邪悪気味にゆがんでいた。そう、彼女は住井をからかい倒すためだけにこの服に着替えてきたのである。
 その住井はというと、ひたすら震えていた。
「…?」
 さすがの美紗緒も異変を感じて住井の顔を下から覗き込むようにして見る。
「…住井?どっか身体でも悪いの?」
 そう言って小首を傾げる。しかし、その仕草が、あるものに止めを刺す結果となった。
「も…」
「も?」
「萌ええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 次の瞬間、住井は美紗緒に飛びかかった。そう、止めを刺されたのは彼の理性である。
「うひゃああぁぁぁぁぁぁ!!住井ご乱心〜!!」
 押し倒された美紗緒が悲鳴をあげてじたばたと住井を押しのけようとするが、彼女の力で男の力を跳ねのけようなど土台無理な話である。
「お、折原…いや、美紗緒!お、俺はお前の事が…!!」
 押し倒しておいて告白しようとする住井。順番が逆である。
「む〜、あたしの事が何だって言うのさぁ〜!!良いから離してよぉ〜!!」
 聞く耳持たず暴れる美紗緒。その時だった。
「美紗緒から離れるんだよもん!!」
 ごぎゃっ!
「ふぐぉあ!!」
 瑞佳の振るったモップが住井の頭部にクリティカルヒットした。真っ赤な液体を頭部から噴出させ、住井は床に転がる。
「はぁ…はぁ…助かったよ。ありがとう、瑞佳…?」
 ようやく解放された美紗緒が瑞佳に礼を言おうとして…やはりその異様な雰囲気に気が付いた。
「み、美紗緒…可愛いんだよもんーっ!!」
「む〜っ!?み、瑞佳までご乱心っ!?」
 どうやら、瑞佳の理性も萌え殺されていたらしい。突進してきた瑞佳に抱きしめられ、またしてもじたばたともがく美紗緒。それをきっかけに、クラス中の暴走が始まった。
「や〜ん、長森さんだけずるーい!!あたしにも抱っこさせてーっ!!」
 女子がまず殺到する。けっこう美紗緒を気に入っていた娘は多かったらしい。
「美紗緒たんは俺のもんだーっ!!」
 続けて男子(住井除く)も突入する。
「む〜、む〜っ!!苦しいよ、やめてよぉ〜!!」
 美紗緒の押しつぶされるような悲鳴が人垣の向こうから聞こえてくる中、数少ない理性を保った人間である七瀬留美と里村茜が窓際に立っていた。
「…里村さんは行かないの?」
「嫌です。そう言う七瀬さんは?」
「あたしだって嫌よ」
 この後、先生たちが割って入りようやく事態を収拾したのが1時間後。しかし、一度魅力を知られてしまった美紗緒には安息の場はなかった。彼女が逃げ出す事を決意したのは家では瑞佳に襲われ、街では住井に襲われ、学校では双方に襲われる、と言う生活を一週間続けた後の事である。

「…と言うわけでこの寮を由紀子さんに紹介してもらったのでしたぁ」
 美紗緒の話が終わった。しかし、拍手はない。
「む〜…どうしたの?みんな。ノリが悪いよぉ〜」
 その言葉に、慌てて拍手をする一同。しかし、その顔はちょっと冴えない。
「…なんか…前半のへヴィな事情と後半の軽いノリがあってないような」
 和希が代表して感想を述べる。
「なんと言うか…今までである意味一番重いよね」
 応じたのは骨董品店の店主である宮田皐月。確かに、「異世界まで行って、戻ってきたらこうでした」なんてものすごい体験をしているのは美紗緒くらいのものだろう。
「で、前の学校でそんな目にあってるのに、懲りずにくだらないイタズラばかりしてるのは何で?」
 祐香が尋ねた。
「前の学校ではこれでも大人しめだったんだよ〜。今くらい暴れてたら付き合ってなんて言って来る人はいないもんねぇ」
「あぁ、そりゃそうだな」
 麻咲が頷いた。何しろ美紗緒のイタズラ癖は有名だ。朝教室のドアに黒板消しを挟むのは毎回の事だし、校庭に落とし穴を掘ったりもしている。これではいくら可愛らしくても、あえて友達以上になろうと言う奇特な人間はそうはいないだろう。
 それでも、その邪気のない言動で「折原だから仕方ない」と思わせているのは凄いとしか言いようがない。
「ま、そんなのにいちいち構うようなお人よしは祐香だけだよな。同じクラスだったらひろのもやるかもしれんが」
 麻咲の言葉に美紗緒と名指しされた祐香、ひろのを除く全員が一様に頷く。ひろのは困ったように微笑んだだけだったが、祐香は不本意そうに言った。
「うぅ…あたしだって好きで構ってるわけじゃ…」
 しかし、祐香は最後まで文句を言い終える事はできなかった。
「そうですねっ。愛してるよ祐香ちゃん〜」
 そう叫ぶなり美紗緒が抱きついてきたからである。下着姿の彼女にしがみつかれた祐香が真っ赤な顔をして叫んだ。
「だぁぁぁ!やめんかこのばかぁ!」
 じゃれあう(観測者主観)二人を見て大笑いした一同だったが、司会役の美紗緒が遊んでいるので、代わりに真奈が話を進めることにする。
「えっと…では、この辺でゲストの皐月さんに話を伺うと言う事で…」
「私かぁ…うん、良いよ」
 皐月は頷いた。この中では唯一寮の外に住んでいて、「魔女」でもある彼女は、じつは「元に戻る方法に一番近いかもしれない人物」として知られているのだった。
「それでは…」
 皐月が話し始める。時計の針はようやく日付が変わるところに来ていた。

(つづく)


「りばーしぶるハート」の第五回目は元気系ロリキャラのみさこと美紗緒でした。実を言うと私は「ONE」は途中までやったところで小説版を読んでしまい、そこでプレイを止めてしまったので、「えいえんの世界」とかに関する解釈が原作の設定とはぜんぜん違うかもしれない、という事をお断りしておきます。
 あと、前回の後書きで「暗い話になる」と書きましたが…
 すいません。なりませんでした(殴)。特に後半。やっぱり私の芸風ではTSものは主人公の魅力で周りのキャラが壊れてナンボの世界らしいです(爆死)。
 さて、次回は「まじかるアンティーク」より宮田健太郎こと宮田皐月さん(逆だ、逆)。「魔女」と言う設定が付け加わった彼女のお話をどうかお楽しみに。


展望台へ戻る