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りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

第四話 絆を断ちきるペンダント


 カーテンの隙間から朝日が射し込み、ベッドに横たわっている人物の顔を斜めに横切った。その刺激のせいか、ベッドの主は「う…ん・・・」と声を上げながらもぞもぞと動き、やがて目を覚ました。
「う…くぅ…朝か・・・」
 ベッドの主は上体を起こし、ベッドから降り立った。
「う〜ん…なんだか…身体が変だな…」
 いつもよりも平衡感覚がおかしい。と思った瞬間、ずり落ちたパジャマのズボンに躓いて部屋の主は豪快に転倒した。
「痛てて…なんだ?ゴムでも切れたのか?」
 昨日まで何とも無かったパジャマのズボンの異変に首を傾げた時、部屋のドアが開いた。
「大丈夫!?…あっ…」
 ドアを開けた人物が、部屋の主の姿を認めて驚きに目を開く。少し頭の右側に寄った変形ポニーテールをしたその少女は、大きな瞳にたちまち涙を溢れさせた。
「おい…どうしたんだ?乃絵美」
 部屋の主が来訪者…少女を名前で呼んだその瞬間、乃絵美は弾かれたように部屋の主に抱き付いてきた。
「良かった…!わたしの事が分かるんだ、お兄ちゃん…!!」
「わっ!?よせって…うわっ!!」
 乃絵美に抱き付かれた勢いで兄は転倒した。妹の乃絵美は小柄で華奢で、勢い付いているからと言って兄を押し倒すほどの力はないはずなのだが、それでも受け止めきれなかった。
「いてて…おい、乃絵美…乃絵美?なんで泣いているんだ?」
 兄は妹の顔が当たる胸の部分に冷たさを感じて尋ねた。
「だ、だって…お兄ちゃんがこんなに変わってしまってもわたしの事覚えていてくれたから」
 部屋の主の胸に埋めていた顔をあげて言う乃絵美に、兄は苦笑した。
「馬鹿だな。オレが乃絵美の事を忘れるはずが…」
 ないじゃないか、と言おうとして兄は硬直した。目の前には自慢の妹の顔。まぁそれは良いとして…
 その両脇にある不自然な胸の膨らみは一体?
「の、乃絵美…悪いけどちょっと退いてくれるか?」
 自分の上に覆い被さっていた妹の身体を脇にどけて、兄は起き上がった。自分の物には間違いないが、妙にダブダブになってしまったパジャマの上から胸に手を当てる。
 ふにゅ…
「わあっ!?」
 手に伝わった怪しげな感触と、触った胸からの刺激に兄は悲鳴を挙げてのけぞった。そして、思い切ってパジャマの前の部分を開ける。
 そこには男ならば付いていてはおかしいものが存在していた。
「な、なんだこれはあぁぁぁぁ!!」
「うっ…わたしより大きい」
 絶叫する兄を見ながらぼそりと呟く乃絵美。その妹に向けて兄が叫ぶ。
「の、乃絵美っ!鏡、鏡ないか鏡っ!」
「え?あ、えっと…これでいい?」
 乃絵美は兄に手鏡を差し出した。兄はひったくるようにして手鏡を受け取り、自分の顔を映し出す。
 そこには見知らぬ女の子が映っていた。
「…」
 そのまま兄はじっと手鏡をみつめている。まるで、彫像のようだ。兄が余りにも動かないので、心配になった乃絵美が兄の顔の前で手を上下させる。
「…お兄ちゃん?」
 もしや、ショックの余り死んでしまったのではないか、と乃絵美が泣き出しそうになった時、兄は復活した。
「い、いや…大丈夫だ。しかし、これは一体…」
 兄が落ち着きを取り戻した事を悟った乃絵美が事情を話す。
「そこは…覚えてないんだね。お兄ちゃんは真奈美ちゃんのペンダントに憑いていた精霊に…」
 そのキーワードを聞いた瞬間、兄―伊藤正樹は全てを思い出した。あの日…幼馴染みの成瀬真奈美が持っていたペンダントに宿っていた不思議な力に気づいた瞬間を。

「私の邪魔はさせない!!」
 緑色の髪の少女が叫ぶ。彼女の名はチャムナ。外国からの転校生…と言う名目で正樹達の通うStエルシア学園にやってきた彼女は、実は正樹の幼馴染みである鳴瀬真奈美が、親の都合で暮らしていたミャンマーから持ち帰ったペンダントを追っている精霊だった。死と言う形で恋人と引き離された彼女は、恋人レナンの魂が宿るペンダントを狙っていたのである。
 しかし、その長い旅の過程で、チャムナは恋人の絆を引き裂く精霊になってしまっていたのだった。そして、この時もその力を発揮しようとしていた。
「やめて、チャムナさん!そんな事をしてもレナンさんは…!!」
 真奈美が必死にチャムナの説得を試みるが、彼女は耳を貸そうとしなかった。
「うるさい!私の邪魔をするものは…!」
 チャムナの手から光が迸る。その輝きが真奈美に直撃しそうになる。
「危ない、真奈美ちゃん!!」
 咄嗟に飛び込んだ正樹が真奈美の身体を突き飛ばす。しかし、今度は彼がその光に捉えられてしまった。その瞬間、身体中に激痛が走った。
「ぐあああああぁぁぁぁぁぁっっ!?」
「正樹君!?」
「正樹!!」
 真奈美と、もう1人の幼馴染み氷川菜織の悲鳴がこだまする。その声を遠くに聞きながら正樹の意識は遠ざかっていった。
 地面に倒れ伏した正樹に駆け寄ろうとする真奈美と菜織。しかし、真奈美をチャムナが阻んだ。
「あっ…!」
 チャムナが無言で真奈美の絆のペンダントを奪い取る。突き飛ばされて地面にしりもちをついた真奈美の目の前で、チャムナが始めて心の底からの笑顔を浮かべる。
「やっと会えた…レナン…もう離れないから…」
 次の瞬間、チャムナは光の小さな粒になって消え、ペンダントと融合したかと思うと南の空に向かって飛び去った。呆然とそれを見送っていた真奈美は、菜織の言葉で我に返った。
「ま、真奈美ちゃん!正樹が…正樹が…!」
 慌てて菜織に抱き起こされている正樹の元に駆け寄った真奈美は、そこで信じられないものを目にする。
「正樹君…って、えぇっ!?」
 気を失っている正樹の全体的な印象は余り変わらない。身長や、目が隠れるほどに無造作に伸ばされた前髪などはそのままだ。
 しかし、陸上で鍛えた身体から発せられる引き締まった雰囲気が無くなり、どことなく柔らかい…頼りなさを感じさせる雰囲気が正樹の身体から発せられている。
 そして、その理由はすぐに分かった。正樹の胸の部分に明らかに男性としては不自然な膨らみが出現していたのである。
「…菜織ちゃん、これって…」
「うん…とにかく、正樹の家まで運ぶわよ」
 菜織と真奈美は随分軽くなってしまった正樹の身体を支えて彼の家―喫茶「ロムレット」に運んでいった。そして、家の人に事情を話してパジャマに着せ替える最中に、それを確認したのだった。
 正樹の身体が女性化している事を。

「あぁ…思い出した。あの光に当たって変わっちまったのか…」
 乃絵美からの又聞きながら、正樹は事情を了解した。信じられない話だが今の自分を見ては信じるしかない。
「縁切りの宝石とは聞いていたけど…これは反則だろ…で、2人は?」
 正樹は菜織と真奈美の事に付いて乃絵美に尋ねた。
「今日は休みだから家だと思う…電話しようか?」
「あぁ、頼むよ」
 乃絵美の申し出に了承を与え、正樹は2人が来るのを待つ事にした。
 十五分ほどして2人がやってきた。真奈美の表情は硬い。一方、菜織の方は困ったような表情を浮かべていた。部屋に入ってくる2人に正樹は手を挙げて挨拶した。
「や、やぁ…」
 ちょっとハスキーな、しかし紛れも無い女の子の声が自分の口から出た事に、正樹が改めて戸惑いを覚えていると、とうとう堪えきれなくなったのか、涙を溢れさせた真奈美が正樹にしがみついてきた。
「ごめんなさい…ごめんなさい、正樹君…あたしのせいで…!」
 あとは声にならず、ただ嗚咽を漏らすだけの真奈美。
「いや…真奈美ちゃんのせいじゃないさ」
 正樹はそう言って真奈美を優しく抱きしめ、背中をさすってやる。その時、菜織がすっとそばに寄ってきた。
「はいはい、そこまで。…そうしてるとただの怪しげな光景にしか見えないわよ」
 確かに、今は正樹と真奈美は女の子同士…それもどっちも美少女なうえに正樹は男の時のイメージを少し残したボーイッシュなタイプなのでレズのカップルに見えない事も無い。
「おい、菜織…」
 正樹は額に青筋を立てた。この緊迫した状況下でそんな冗談は言われたくない。しかし、菜織は咳払いして言った。
「大変なのはわかるわよ。でも、少なくとも原因は分かっているわけだし、今後の事を相談した方がいいと思うわ」
「う…まぁ、確かに」
 正樹は頷いた。突然こんな事になってしまっては、今後の生活が非常に大変なものになる事は目に見えている。なかでも学校…特に部活の事を考えると頭の痛い限りだ。
「できるだけ早く、元に戻れる方法を探したいところだけど…やっぱりあれだな、真奈美ちゃんのペンダントを探すのが早道だとは思うんだけど」
「問題はどこへ行ったかよね」
 正樹と菜織が考え込んでいると、真奈美が口を開いた。
「きっと…ミャンマーに戻ったんだと思う」
「え?」
 振り向く2人に真奈美は言った。
「あのペンダントは…チャムナとレナンさんはミャンマーの精霊。だから、たぶん」
「ミャンマーかぁ…遠いなぁ」
 正樹が頭を抱え、そして菜織に向かって尋ねる。
「菜織、お前んち神社だろ?御払いとかやってないのか?呪いを解くとか」
「無茶言わないでよ」
 菜織が呆れたように返す。確かに彼女の家は神社だし、彼女自身巫女装束を着て境内の掃除をしているのだが、だからと言って彼女や神主である父に何かの力があるかと言われればそれは無い。
 そうやって正樹と菜織が言い争っていると、ドアが開いて1人の女性が入ってきた。手に持ったトレイからはコーヒーや紅茶の香ばしい香りが立ち昇っている。
「あらあら、みんな揃っているわね」
「あ…母さん」
 正樹の母だった。妙に機嫌良さそうにしている。
「お茶を持ってきたわよ」
 そう言いながら、母親は正樹の前にコーヒー、女性陣…この場合現在の正樹は除外…の前には紅茶を並べていく。正樹の家は喫茶店なので、かなり本格派の煎れ方をしており、たちまち部屋の中が芳香で満たされていく。
「いただきます」
 菜織が紅茶に口をつけた。正樹も、変身以降何も口にしていなかった事を思い出して、コーヒーをすすった。
 異変を感じたのは、次の瞬間だった。
「…うえっ!?ごほっ!ごほっ!!」
 感じた事の無い苦みに、正樹は思わず咳き込んだ。
「お、お兄ちゃん!大丈夫っ!?」
 乃絵美が慌てて正樹の背中をさする。咳き込む事しばし、ようやく落ち着いた正樹は涙の滲んだ目で母親を見上げた。
「母さん…このコーヒー焙煎しすぎなんじゃないか?凄く苦いよ…」
 正樹が言うと、母親は嬉しそうな表情をしたまま答えた。
「あら、薄めに煎れたのに…でも嬉しいわ〜。やっぱり女の子はコーヒーが苦手な方が可愛いわよね」
 母親の発言に、正樹たち凝固。
「本当に嬉しいわ〜。本当は母さん女の子がもう一人欲しかったのよね。正樹が女の子になってくれて願いが叶ったわぁ」
 母親の超問題発言に、正樹再起動。
「母さん…そりゃないよ…」
 目の幅涙をだーっと流す正樹。あまりの事に、女の子3人は依然固まったままだ。
「という訳で真奈美ちゃん、菜織ちゃん、麻咲の事よろしくお願いね〜」
名前を呼ばれ、菜織、真奈美、再起動。しかし、どこかに母親の正樹への呼びかけに違和感を感じて2人は尋ねた。
「「あの…おばさま…『麻咲』って…一体…?」」
「せっかく女の子になったのに『正樹』のままじゃ変でしょ?だから新しい名前を考えたのよ。可愛いでしょう?」

変なのは貴女の方です。

 母親以外の全員が一斉に心の中でツッコミを入れた。
「お、お母さん…お兄ちゃんが可哀相だよ…」
 最後に再起動した乃絵美がおずおずと言うと、母親がすかさず返した。
「あらあら、だめじゃない乃絵美。『お姉ちゃん』でしょ?」
「…」
 完全沈黙する一同。反論は無効そうだった。
「ともかく、麻咲に女の子としての心得とかを教えてあげてね。じゃ、私はちょっと用事があるから〜」
 立ち去る母親。しばし静かな時間が流れた後、菜織が口火を切った。
「…え〜っと…教わりたい?」
 「絶対にイヤだ」
 正樹は即答した。
「でもねぇ…いつ戻れるか分からない以上、ある程度は慣れておいた方がいいと思うわ。ね?」
 菜織は言った。最後の「ね?」は真奈美と乃絵美に向けての確認を求める声だ。
「え?そ、それは確かにそうかな…」
 真奈美が控えめながらも賛同の意を表わす。正樹は焦って乃絵美の方を向いた。
「じょ、冗談じゃないぞっ!乃絵美、お前からも何か言ってくれよ」
「う〜ん…でも、私も菜織ちゃんや真奈美ちゃんの言う通りだと思う…」
 乃絵美は考えた末に答えた。妹にまで見放された正樹が愕然として固まったのを見て菜織が言う。
「安心しなさい。別に女の子らしくなれとかは言わないから。ただ、男との違いとか、注意点に付いて講義するだけよ」
 それを聞いて、正樹は少し安心したような表情になった。1時間ほど、菜織たちから話を聞いている時、再び母親が部屋に入ってきた。手には何か大きな紙袋を提げている。
「母さん…今度は何?」
「お店が忙しくなってきたのよ。麻咲、乃絵美、悪いけど手伝ってくれる?」
 正樹は時計を見た。時間は忙しくなるお昼のランチタイムにはまだ少し早いが、まぁたまにはそう言う事もあるだろう。
「わかった。今着替えるから少し待って…」
 そう言って立ち上がった正樹がクローゼットからウェイターの制服を出そうとした時、母親が素早くその横に並んでクローゼットの戸を閉めた。
「違うわよ。麻咲ちゃんが着るのはこっち」
 そう言って母親が紙袋から取り出したもの…それは。
「ちょっと待てぇ!!」
 正樹は絶叫した。それは乃絵美や菜織がバイトの時に着ているロムレットのメイド服調なウェイトレスの制服だった。
「何か問題でも?」
 能天気に言う母親に、正樹はさらにヒートアップして叫びを挙げる。
「絶対こんなの似合わないって!とか言う以前にオレ男だし!!」
「今は女の子だし可愛いから問題ないわ〜」
 しかし、母親は正樹の抗議を瞬時に一蹴し、その手を掴んで引き摺って行く。
「さ、着替え方分からないと思うから手伝うわよ」
「ちょ、ちょっと待ってえええぇぇぇぇぇ…」
 正樹は空いてる部屋に引き摺られていった。
「…」
 残された菜織、真奈美、乃絵美は後頭部に汗を浮かべてそれを呆然と見送った。正樹が連れて行かれた方からは、「やめろ、脱がすな!」とか「ひぅ!へ、変なところさわらないで…」とか、健康な男子であれば困ってしまいそうな声が聞こえていたが、あいにくここにいるのは女性だけだったので何事も無い。

 そして、10分後。
「うっ…うっうっ」
 半泣きになりながら、正樹が母親に連れられて戻って来た。見事にあの制服に着替えさせられている。その途中で何があったのかは不明だが、えぐえぐと涙を流し、何かを呟いている。
「どう?似合うでしょ?」
 対照的に満面に笑みを浮かべた母親が言った。
「「はぁ…まぁ」」
 菜織と真奈美は期せずして同じ感想を漏らした。身長が高いせいでスカートがやや短く見えるが、スタイルの良さか、基本的には良く似合っている。
「うっうっ…もうオレお婿に行けない…」
 正樹はまだ泣いていた。何があったのか非常に気になる三人娘だったが、聞くと自殺でもしそうで怖くて聞けなかった。
「さて、仕事に行くわよ。乃絵美も早く準備してね」
 そう言うと、母親は正樹をずりずりと引きずって店の方へ向かっていった。
「えっと…それじゃ、私も手伝ってくる…」
 乃絵美が着替えるために部屋に戻り、残された菜織と真奈美は顔を見合わせた。
「とりあえず…」
「正樹君の様子見に行ってみようか」
 うなずきあい、二人も部屋を出て店の方へ行く事にした。

 店では、正樹が一応ちゃんと働いていた。普段から家の手伝いをしてウェイターの仕事になれているのだから当然ではある。仕事場に放り込まれては泣いている事も呆けている事も出来ず、忙しそうに働いていた。
…と言うよりも、忙しさにかまけて現実を忘れたいだけなのかもしれない。
 やがて、ランチの時間帯が過ぎ、店にも静けさが戻って来た。席が空いたので、正樹、乃絵美とその両親に菜織と真奈美も同席して昼食にする。
「お疲れ様、麻咲」
 母親が相変わらず女の子名で正樹を呼ぶ。正樹はそれには答えず、顔を上げて父親を見た。
「父さん…父さんからも何とか言ってやってくれよ…」
 母親の暴走を止める事を期待して父親に話を振った正樹だったが、その期待は最悪の形で裏切られた。
「ん?…いや、お前お客さんに大好評だったぞ。新しい娘を入れたんですか?良いですねぇ。乃絵美ちゃんや菜織ちゃんも良いけどあの娘も良いって」
 正樹は嫌な予感に捕らわれて父親の顔を見つめた。
「それでな、お前さえ良ければしばらくそのままでウチのウェイトレスをやらんか?バイト料ははず…」
 最後まで言い終える前に、父親の顔面に正樹の正拳突きが炸裂した。
「親父のばっきゃろーっ!!うわぁぁぁぁん!!もう嫌だぁぁぁぁ!!」
 鼻血を噴いて昏倒した父親を後目に、正樹は涙の尾を引いて店の外へ向かってダッシュ。
「あっ!?ちょ、ちょっと、正樹!その格好でどこに行く気!?お、追いかけるわよ!!」
「う、うんっ!!」
「待って、お兄ちゃん!!」
 慌てて追いかける三人娘。後には「青春ねぇ…」と言う反省度ゼロの母親と、倒れた拍子に後頭部を強打したまま完黙している父親だけが残された。

 一方、正樹を追いかけた三人娘はというと。
「はぁ…はぁ…さ、さすが正樹君…女の子になってしまっても足が速いのね…というか、いつもより速いわ…」
 メイド服を着ている様からは信じがたいほどの俊足で走り去った正樹に、完全に置いてけぼりを食ってしまい、道端で息を整えていた。
「はぁ…はぁ…わ、私もうダメ…」
 もともと体力の無い乃絵美は完全にグロッキー状態だ。
「乃絵美ちゃんは帰って休んだ方が良いわ。あとは私と真奈美ちゃんだけで探すから」
 菜織が今にも倒れそうな乃絵美を支えて言い、乃絵美は「ごめんなさい…お兄ちゃんの事よろしく」と言ってふらふらと帰っていった。
「じゃあ、二手に分かれましょう。あたしは山手通りの方を探すわ。真奈美ちゃんは海岸通りの方をお願い」
「うん、わかった」
 ようやく息を整えた2人は立ち上がり、正樹の姿を求めてそれぞれに街の中へ散って行った。

 そして、ようやく真奈美が正樹を見つけたのは、陽もすっかり西に傾いた夕暮れ時だった。海岸の防潮堤の上で、特徴的なロムレットのメイド服が風になびいていた。
「正樹君」
 真奈美が呼びかけると、正樹はのろのろと振り向いた。
「真奈美ちゃん…?」
 真奈美は頷き、正樹の横に立った。
「…追いかけてきてくれたのか…」
 正樹がぽつりと言うと、真奈美は頷いた。正樹は苦笑した。
「はは…これじゃあ立場が逆だな…オレは真奈美ちゃんを追いかけて陸上の世界に足を踏み入れたのに…でも、こんな姿じゃあ…」
 顔に浮かんでいた笑いが消え、正樹の表情は情けなさそうに歪んだ。
「オレは…どうしたら…」
 絶望的な表情になる正樹。その時、真奈美は一瞬躊躇ったのち、おもむろに話を切り出した。
「あたし、ミャンマーに行く」
「えっ…!?」
 これには正樹も驚いて口を開く。
「そんな、どうして…?」
 問い掛ける正樹に、真奈美は家の事情でどうしてもまたミャンマーに行かなければならなくなった理由を話した。
「本当は、あたしは日本に残ろうと思ってたんだけど…でも、こうなったからには行くわ。ミャンマーで、正樹君を元に戻す方法をきっと見つけてくる!」
「ま、真奈美ちゃん…!」
 幼馴染みの少女の強い決意に、正樹は涙が出そうになった。
「そうだ…」
 真奈美は自分のヘアバンドを外し、正樹の前髪をすっとかきあげて頭に付けた。
「あたしの代わりだと思って持っていて。いつでも正樹君があたしを感じられるように…」
「わかった。大事にするよ」
 正樹はそう言い、真奈美の身体をそっと抱きしめた。それはそれなりに奇麗な恋人同士の交歓ではあったのだが…
 美少女同士(しかも一人はメイド服)の抱き合ってる姿は美しくはあったがやっぱり怪しいものだった。

 それから数日後。ミャンマーに向かうために成田行きの電車に乗って桜美町を去った真奈美を見送りに来ていた正樹は、自分も持っていた大きな荷物を担ぎ上げた。
「さて、オレも行くか」
 決意を秘めた表情で言う正樹に、菜織が感心したような表情で言う。
「それにしても正樹も思い切ったわねー…家を出るなんて」
 そう、姿形が変わってしまった正樹は転校ついでに両親から逃れるために遠くの街に引っ越す事にしたのである。幸い、両親の知り合いの伝手で部屋が空いている寮も見つかった。
「良くあの両親が許したわね」
 菜織が言うと、正樹は苦笑して種を明かした。
「めっちゃ女の子らしい演技でお願いしたら一発了承だった」
「…それは見たかったわね」
 興味深そうな表情になる菜織。
「むしろ、乃絵美の説得の方が大変だったんだけどな…」
 正樹は妹の方を見た。乃絵美はぐすぐすと泣いていた。
「ううっ…お兄ちゃん…行っちゃやだよぉ…」
 悲しみと寂しさから子供がえりしかけている乃絵美の肩を抱いて正樹は言った。
「なに、心配するなって。休日にゃ帰って来るし手紙も出すし電話もかけるよ」
「うん…お兄ちゃん…」
 乃絵美の頭を撫でる正樹。その時、発車を告げるベルの音が鳴った。
「じゃ…またな」
「行ってらっしゃい、麻咲」
「その名で呼ぶな」
 顔をしかめながらも手を振る麻咲。そう、女子として転入するに当たり、仕方なく母親のつけた「麻咲」の名を使わざるを得なかったのである。やがて、ドアが閉まり、麻咲を乗せた電車はゆっくりと駅を出て行く。ホームの端で手を振る菜織と乃絵美に、麻咲は見えなくなるまで手を振りつづけた。
 こうして、伊藤正樹あらため伊藤麻咲は北の海辺の町へとやってきたのだった。

「はい拍手〜」
 美紗緒の声と共に上がる拍手。
「…と言う事は、そのヘアバンドが?」
 ひろのが麻咲の愛用している白のヘアバンドを見る。
「あぁ。真奈美ちゃんに貰った奴だよ。お守り代わりみたいなもんだな」
 麻咲は答えた。
「む〜ラブラブですね〜、麻咲先輩。羨ましいですね〜」
 と美紗緒。数人が頷く。元の街にいた頃、まだ今の姿になる前にちゃんとした恋人がいたのは麻咲と治子の2人だけだった。いや、治子の場合は二股かけてたのでちゃんとしてはいないか。
「はぁ…あたしもちゃんと恋人作っとけばこんな事には…」
 美紗緒がぼそりと言ったのを、祐香は聞き逃さなかった。
「ほぉ〜、みさにも何か面白い話のネタがありそうだなぁ」
 彼女の本性である意地の悪さを滲み出させた笑顔で美紗緒に迫る祐香。
「ゆ、ゆゆゆゆ、祐香ちゃんっ!?なんでそんな楽しそうな笑顔をっ!?」
 焦る美紗緒。しかし、彼女の独り言は全員に思い切り聞かれていたらしい。
「話してみ。これ『めーれー』だから」
 和希が知り合いの大手同人作家の口調を真似して言う。
「…聞いてみたい」
 と、これは絵美。
「む〜、わかったよぉ。話しますよぉ〜」
 美紗緒は仕方なく頷き、「あ〜、あ〜」と発声練習をした。
「む〜…じゃ、どこから話しますか…」

(つづく)

あとがき

 りばハ本編第四回は一番男らしい娘さん、麻咲/正樹の話でした。彼女のヘアバンドの由来とかも明かせたのですが、どうだったでしょうか?
 ここでちょっとした設定ですが、しおさい女子寮住人の一人称に付いて。今まで公式設定はしていなかったのですが
 私…ひろの、治子、絵美、皐月
 あたし…和希、祐香、美紗緒
 ボク…真奈
 オレ…麻咲
 と言う事にしておきます。
 さて、折り返し点の次回は寮きってのトラブルメーカー、みさちゃんこと折原美紗緒のお話。原作から言って、本人ののーてんきさに反比例して暗くなる事請け合いだなきっと…



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