30000ヒット記念企画

りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

第三話 私より美人なんて許せない!


 世の中には理不尽な事、と言うのがいろいろとある。
 男として生まれながら、こんな身体になった挙句、付きあっていた女性にそんな風に怒鳴られる、と言うのはなかなかお目にかかれない理不尽の二重奏と言うべきだろう。
 前田耕治…ついこの間までは二人の美少女と同時に付き合うと言う外道な行為をしていた「元」青年は、痛む頭を抑えながらそう思っていた。
 事の始まりは、彼がまだ今の職場…ファミリーレストラン「Piaキャロット」で働き始める前のことである。

「そこのお兄さん」
 耕治はそんな呼びかけに思わず振り向いていた。
「…オレ?」
 自分を指差す耕治に、声の主…古風な中国風の衣装をまとった少女が肯いた。
「お兄さんにはなかなか不思議な運気が見えるあるよ」
 謎の少女はそんな訳のわからない事を言った。
「はぁ?」
 思わず間抜けな声を挙げる耕治。少女はかまわず言葉を続ける。
「この先、お兄さんは必ず良い出会いをするある。ただし、その出会いを大事にしないと必ず罰があたるよ」
「どう言うことだ?あ、おい!待てよ…行っちまった」
 言いたいことを言って去ってしまった少女。その正体と言葉の真意に首をひねりつつ、耕治は「Piaキャロット」の面接に向かったのだった。
 しばらくして、耕治はあの少女の言ったことが少なくとも一つは当たっていたことを知った。首尾良く面接に合格し、「Piaキャロット」で働き始めた彼は、二人の美少女と出会ったのだった。
 勝ち気な性格だがスタイル抜群の日野森あずさ。
 一人称が「ボク」と言う親しみやすい性格の榎本つかさ。
 あずさとは最初の出会いがひどいものだったためにしばらくは冷戦状態が続いたのだが、やがてうちとけるようになり、水族館でデートをしたりするまでに関係が発展した。
 が、問題はあずさとの関係改善がなされる前に、つかさとも親しく付きあうようになっていたこと。
 また、耕治自身どっちとより深い関係を結ぶべきか、迷いがあったことである。
 そして、世の中には実に含蓄のある言葉が存在していた。
 曰く、二兎を追うものは一兎も得ず。

 ぱぁんっ!
 実に小気味良く甲高い音が響き渡った。音源は耕治の顔面とあずさの手。つまり、ビンタである。
「あなたって…あなたって…本っっっ当に最低っ!顔も見たくないわっ!」
 怒りで顔を真っ赤にしたあずさが憤然と立ち去ろうとする。ダメージで顔を赤くした耕治は慌てて声をかけようとした。
「お、おい…待てよ日野森…」
 その時、彼の左腕にしがみついていた人物がそれを阻止した。
 つかさだった。
「どういうこと?耕治ちゃん」
 めったに怒らない…と言うよりは怒ることがあるのか?と思うほど朗らかな性格のつかさだったが、この時ばかりは違っていた。表情こそ冷静だが、目に炎のような揺らぎがある。
「え?え?いや…その…」
 耕治は口篭った。事態は昨日に遡る。

「ま、前田君…明日、ひま?」
 顔を赤くした(当然ながら怒りが理由ではない)あずさが尋ねてきた。つまり、明日デートしない?というお誘いなのだろう。
「明日?う〜ん…ゴメン、明日はちょっと用事があって」
 耕治は答えた。もともと、その日は先につかさとの約束があったのだ。
「そうなの?残念…」
 あずさはがっかりしたような表情だったが、じゃあまた今度ね、と言って帰っていった。そんな彼女を見ながら、それならまた別の休みに声をかけてみようかなと耕治は思った。
 まさか、今日街中でばったり鉢合わせするなんて思っても見なかったのだ。潔癖な性格だけに、自分が耕治とだけ付きあっているように、耕治も自分だけを見てくれていると思っていたあずさの怒りは爆発。言い訳のひますら与えずに耕治を張り倒したのだった。
 そして、つかさもあずさの態度から耕治が自分とあずさの二股をかけていたのではないかという事を悟っていた。いくら温厚な彼女でも、許せることと許せない事とがある。
「い、いや…オレは…」
「見そこなったよ、耕治ちゃん」
 つかさはプイっとそっぽを向くと、いままでしがみついていた耕治の腕を離し、足早に雑踏の中へと消えていった。
「ま、待ってくれよ、つかさちゃん…」
 耕治は手を伸ばした。しかし、身体は動かなかった。
 自分の優柔不断な性格が、あずさとつかさの両方を裏切り、傷つけた事を、彼も悟っていたからだ。
 翌日、耕治は店に出た。あずさとつかさも同じシフトだったが、彼とは口一つ聞こうとしなかった。こんな時に「やーねーもう痴話ゲンカ?」とか言って状況を茶化してくれるフロアスタッフチーフの皆瀬葵も、いつもと様子が違うことを感じ取ったのか何も言わない。異常なまでに重苦しい雰囲気の中、耕治は全身に針を突き刺されるような思いで仕事を続けた。
 そして、仕事が終わった後…
「はぁ…何やってんだろう、オレ…」
 耕治はため息を付きながら寮にある自分の部屋へ戻ってきた。異常なほどの疲れが身体全体に溜まっているのを彼は感じていた。何しろ、あずさたちの視線と来た日には氷点下を通り越して絶対零度である。
「ふぅ…あれ?ドアが開いてる。鍵をかけ忘れたのかな…?」
 耕治は自分の部屋の雰囲気がいつもと違うことを感じ取っていた。何か、生き物の気配がする。
(まさか…泥棒か?)
 常識的に考えれば、彼のような物を持っていない男の部屋へ入る泥棒などいるはずがない。しかし、この不景気の世の中だから何が起こるかわからない。耕治は傘立てから一本、適当な傘を取ると、それを構えてそろそろと前進した。
 そして、自室の灯りを付け、飛びこむと怒鳴った。
「誰だ!?…あれ?」
 耕治の目に飛びこんできたもの…それは、先日出会った中国風の衣装を来た謎の少女だった。
「君は、この前の…いや、そうじゃない。オレの部屋に入りこんで何をしているんだ?」
 耕治が言うと、その少女はゆっくりと口を開いた。
「玉蘭」
「え?」
 耕治が聞き返すと、少女は自分を指差しながらゆっくりと立ちあがった。
「玉蘭。それが私の名前ある。あなたは私の忠告を無視した、だから罰が当たるね」
「なんだって?君はいったい…」
 耕治が玉蘭に近づこうとすると、彼女は大声で言った。
「あなたは運命の出会いをするチャンスが2度あった。それなのにそれに気づかずにどっちつかずの態度を取った。だから、出会いの相手を怒らせてしまったね」
「う…」
 反論しようのない玉蘭の言葉に耕治は口篭った。
「私の言うことを聞かず、運命の相手だったかもしれない女の子も怒らせる。そんな女心のわからない奴は、罰があたる。少しは自分の身になって考えることができるようにしてやるあるよ」
「何?いったい君は何を…」
 耕治が「罰を当てる」事の真意を問うよりも早く、玉蘭の口から気合の入った呪文がほとばしった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
 耕治にはわからない言葉のその呪文は、強烈な閃光となって彼の身体を包み込む。全身に凄まじい激痛と熱さが襲いかかり、耕治は悲鳴を挙げた。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 猛烈な苦痛が五感を焼き尽くし、耕治にはもう何が起きているのか知覚できなくなっていた。消えていく意識の中で最後に見たものは、悲しそうな少女の顔の幻影だったが、それがあずさなのか、つかさなのか、それとも玉蘭なのかはもう彼にはわからなくなっていた。
 それが、耕治の最後の記憶だった。

 日野森あずさは寮の自室…耕治の隣の部屋で物思いに沈んでいた。
「…前田君の馬鹿…」
 最初の出会い…彼と出会い頭に激突し、胸を触られる…と言う最悪の出会い。それ以来、二人はいつも喧嘩ばかりしてきた。が、いつのまにかあずさは耕治のことを片時も忘れられない、そして彼を想う度に胸が切なくなるような感覚を覚えていた。
 それが、恋だと気づいたのはつい最近のことだ。ぎこちなくではあったが、二人はやがて喧嘩もしなくなり、やがて初めてのデートをし、恋人同志の関係へ進んでいけたと思っていた。
 しかし、それもつかさと楽しそうに歩いている耕治の姿を見た途端に崩れ去った。ひどい裏切り。もうあんな奴のことなんて知らない、と思っていた。
 でも、やっぱり忘れられない。初めて好きになった人だから。
「前田君の馬鹿」
 もう一回つぶやいた。そして、心の中で自分のことも馬鹿だと考える。
 明日、明日になったら、また店で耕治と出会う。そうしたらどんな顔をすれば良いんだろう。
 しかし、彼女は耕治に会うことはできなかったのだった。

 翌日、あずさはいつもより早く店に出た。道で耕治と出会うのを防ぐためだ。ところが、時間になっても耕治は店に現れなかった。
「前田君どうしたのかしら…あずさちゃん、様子見てきてくれないかしら?電話にも出ないのよ」
 マネージャーの双葉涼子が1時間ほどしてあずさに頼んできた。時間はお昼のかき入れどきにまだあるから、寮まで行って様子を見てくることは可能だろう。
「え…でも」
 あずさは躊躇した。しかし、その時手を挙げた人物がいた。
「涼子さん、ボクが見てくるよ」
 つかさだった。思わずあずさが彼女の顔を見ると、視線が合った。あずさは理解した。つかさも耕治との事をはっきりさせたいのだ。
「二人で行ってきても良いですか?ひょっとしたら病気とか大変なことになっているかもしれませんし」
 あずさが言うと、涼子はちょっと渋い顔になったが、結局は肯いた。

 寮へ向かう間、あずさとつかさの二人は無言だった。お互い耕治のことで話したいことはあるのだが、どうにもきっかけが掴めないのだ。
 やがて、一言も話さないまま二人は耕治の部屋の前までたどり着いてしまった。二人同時にドアをノックしそうになり…手を止める。二人は顔を見合わせた。
「つ、つかさちゃんからどうぞ」
「あ、あずさちゃんこそ」
 意味もなく譲り合い…結局、あずさがドアを叩くことになった。
「前田君、前田君、いるんなら返事をしてよ」
 返事がない。部屋の中は静まり返っているようだ。考え込むあずさの横で、つかさが試しにドアノブをひねってみた。
「…あれ?鍵が開いてるよ」
 がちゃりと音がして、ドアが開いた。あずさとつかさは再び顔を見合わせ、思いきって中に入ることにした。
「前田君、入るわよ…」
 あずさが先頭に立って部屋に入る。玄関には靴とサンダルが乱雑に脱ぎ散らかしてあった。出かけた様子はない。
「お邪魔します…」
 静まり返った部屋の雰囲気に飲まれてか、つかさも妙に神妙な声で言うと中に入った。寮の部屋はワンルームで、台所兼廊下の向こうがすぐに部屋だ。
「…ひっ!?」
 あずさは息を飲んだ。開け放たれた廊下の向こう、部屋の中に誰かが倒れている。
「耕治ちゃん!?」
 つかさも気が付き、喧嘩していたことも忘れたように二人はその人物のところへ駆け寄った。しかし…
「え…誰?」
「耕治ちゃんじゃない…女の子?」
 二人ともあっけに取られる。床に倒れていたのは一人の女の子だった。あずさは自分の容姿に自身を持っているほうだったが、その自分を基準にしてもかなりの…いや、下手すれば自分よりも美少女に分類されるかもしれない顔立ちの持ち主だった。長い髪の毛をバンダナ風に結んだリボンでくくり、だぶだぶの男物の服を着ている。背はあずさより若干高めで、スタイルはよさそうだった。周りで二人がばたばたと足音を立てたのに目を覚ます気配がない。よほど深く眠っているようだ。
 冷静さを取り戻すにつれ、あずさとつかさは猛然と怒りがこみあげてくるのを感じた。耕治の奴は、自分たちだけでなくこの娘にもちょっかいをかけていたのか。というか、この女は何者か。耕治の部屋に入りこんで寝ているこのずうずうしい女は。
「ちょっと、あなた」
 あずさはその少女の身体を揺すった。なかなか目を覚まそうとしなかった彼女も、二度、三度と身体を揺らされているうちに意識を取り戻したらしい。
「う…ん…」
 そんな風に聞こえる吐息をもらし、少女は目を開けた。
「う…ここは…あれ?日野森につかさちゃん」
 その見知らぬ少女に名前を呼ばれたことで、あずさとつかさは当惑したように顔を見合わせたが、やがてあずさがムッとした顔で少女に詰め寄った。
「何よ。あなたに日野森なんて呼び捨てにされるいわれはないわ」
 そのあずさの言葉に、少女は謝罪の意を表明するように頭を下げる。しかし、続けて彼女が発した言葉は、またしてもあずさの思うものと微妙にずれていた。
「う…まだ怒っているのか。まぁ、そりゃそうだよな…つかさちゃんにも本当に悪いことをしたと思っている」
「キミ…何言ってるの?」
 つかさも不審と困惑に満ちた声で言った。この謎の少女が何を言っているのか、さっぱり訳がわからない。
…謎の少女。
 そこで、つかさは根本的な疑問をほったらかしにしていた事に気が付いた。そもそも彼女が何者なのか、それを知るのが先決だ。
「キミ、いったい誰なの?」
 つかさがその質問を発した瞬間、少女の顔になんとも言えない絶望と苦渋が入り混じった表情が表れた。
「つ、つかさちゃん。つかさちゃんまでそんな事を言うのか?そ、そりゃあオレのことなんて忘れてしまいたいくらい怒っているのかもしれないけど」
 ここに至って、あずさも怒りよりは少女の正体を知ることへの欲求が強くなっていた。何があったのかは知らないが、明らかに自分たち二人を知っていて、しかも何かにおびえているかのような行動。
 ひょっとしたら…姿の見えない耕治はとっくに逃げ出していて、彼女はそれをごまかすためにここにいるのかもしれない。
…なんで彼女がそんなことを引き受けるのか?
 ま、まさか…この娘は私たちも知らない耕治の三人目の彼女?
 いや、もしかしたら耕治に何か弱みを握られてこんなことをしている可能性だってなくはない。おのれ前田耕治。全女性の敵め!
 頭の中でそれだけのシナリオを瞬時にくみ上げたあずさの全身から怒りの炎が吹き上げる。少女はおびえたようにあとずさった。
「ふふふ…まぁ、あいつには後で徹底的にお仕置きをするとして…本当のところを聞かせてもらうわ。まず、あなたはいったい何者なの?」
 そのあずさの言葉に、少女ははぁ、とため息を付いた。その口が開かれる。ようやく正体を語るのか、と期待して身を乗りだすあずさとつかさに、少女はとんでもないことを言いだした。
「わかった…そこまで怒っているんなら二人の言うことに全面的に従うよ。オレの名前は前田耕治。…高校の三年生で、現在夏休みを利用してファミリーレストランでバイト中の君たちの同僚。…これで良いか?」
 しかし、言い終わってから少女は何か失敗したらしいことに気が付いた。あずさの顔が怒りで赤いのを通り越して蒼白になっている。かとおもいきや、あずさは少女に組みついて襟首を掴むと一気に絞めあげてきた。
「ふざけるのもいい加減にしなさいよ!あんたのどこが前田君なのよ!本当のことを言いなさい!今すぐに!!」
 しかし、首が絞まっている少女は答えるどころの騒ぎではない。
「や、やめ…っ…日野森…し、死んじまう…」
「日野森って呼ぶなぁ!何度も言うけどあんたにそう呼ばれる筋あいはないわ!!」
 そのうち、少女の顔がどす黒くなり、やがて紫色に変化し、ついで紙のように白くなり始めたところで、友人の狂態にあっけに取られていたつかさがわれに返った。
「あ、あずさちゃん!それ以上は本当に死んじゃうよ!?」
 つかさがようやくあずさを止めたときには、少女は半分逝きかかった状態で、本日二度目の失神をしていた。

「…で、本当のことを話す気になった?」
 落ち着いたとはいえ、火の出るような眼光でにらみつけてくるあずさに恐れをなし、少女はがたがた震えながら部屋のすみっこで小さくなっていた。自然と少女を保護する役に回ってしまったつかさがまぁまぁと言いながら少女に尋ねる。
「あ、あのね。本当のことを言うほうがきっとキミのためだと思うよ。実際、キミは誰なの?」
 少女は震える声で言った。
「だ、だからオレは本当に…そ、そんなにオレのことを怒っているのか?殺したいくらいに」
 ここまでくると、怒りよりも呆れが先に立つあずさ。はぁ、とため息を付いて、少女に言い聞かせるようにして言った。
「あのね、私たちが知っている前田耕治君は男の子なの。あんたは女の子でしょう」
 その瞬間、少女はあっけに取られた顔をした。
「へ?オレが女の子?なんの冗談だよ。なぁ、つかさちゃん」
 少女がつかさに同意を求めるように顔を向けるが、つかさも首を横に振って言った。
「…あのね、キミみたいな娘が男の子を名乗るなんて無理がありすぎるよ」
 少女は沈黙した。そして、ふと奇妙な振る舞いをはじめる。手を挙げたり、首を振ってみたり。あずさたちはふざけるな、と言おうとして、ふと彼女が何かを見ていることに気が付いた。それは、つかさの後ろにある小さな鏡だ。少女はそれを見て、鏡の中の自分がちゃんと自分の動く通りに動くか試しているようだった。
 やがて、動きを止めた少女は、大声で叫んだ。
「な、なんだこりゃぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!?」
 そして、少女―玉蘭の呪いで女の子に変身してしまった耕治は3度目の失神を体験したのだった。

「まさか…世の中に本当にそんな話があるなんて」
 つかさが感に堪えないという表情をした。意識を取り戻した耕治は謎の少女玉蘭との出会いと、彼女の呪文(?)で今の女の子の姿に変えられてしまったらしい、と言う事情を話した。
 コスプレ好きで、漫画やアニメ大好きっ娘でもあるつかさは考え方が柔軟なせいか、先に耕治の事情を理解した。根が真面目なあずさはそれでも信じない様子だったが、耕治が店で働いている人間しか知らないような事情や、あずさとの関係に関する思い出ばなしをすると、さすがにこの少女が耕治であると言うことを認めざるをえなくなった。
「まぁ…信じてもらえたのは良かったけど…それにしてもこんな事になるなんて…」
 まだ青い顔の耕治が言った。
「で…これからどうするの?」
 あずさが尋ねた。耕治は首を横に振る。
「そんなの…オレにだってわからないよ…はぁ…」
 そんな会話の中、耕治は微妙な居心地の悪さを感じていた。さっきまであずさとつかさの2人は怒りのこもった目で自分を見ていた。今もそうだ。まぁ、それはしょうがないとして…今の怒りの成分に、さっきまでとは違う微妙な何かを感じるのである。
 これに一番近いものは…嫉妬、ではないだろうか。だが、なぜこの2人が自分に嫉妬するのか?ともかく、耕治は口を開いた。
「なぁ…やっぱり怒ってるよな」
 その途端、あずさが叫んだ。
「当たり前でしょっ!?」
 つかさも続けた。
「うぅ…ずるいよ、耕治ちゃん」
 耕治は思いきりたじろいだ。もう背後は壁なので下がる場所はないが、それにぴったりくっつくようにする。
「あ、あの…とにかく2人ともごめん。けど、オレは別に二股をかけるつもりじゃ…」
 次の瞬間、あずさがバンバンと床を叩いて怒鳴った。
「そんなことは問題じゃないわよ!!」
「うぅ、そうだよ、耕治ちゃん」
 どうやら、耕治の一言はさらに2人の怒りの火に油…いや、爆薬を注ぐ結果になったらしい。しかし、次に2人が放った言葉は耕治の予想を遥かに越えるものだった。
「「どうして…どうして私(ボク)より美人なの(よ)っ!?」」
「…は?」
 耕治の目が点になった。

「なんなのよその目と言い鼻と言い、顔の輪郭と言い、あたしが毎日朝何十分もかけて手入れして維持しているものなのに、どうしてそう完璧なのよ!!」
「そうだよ、ずるいよ。胸も大きいし、腰も細そうだし…どうやったらそんなに素敵なスタイルになれるの?」
 言い募る2人に、耕治の後頭部から大粒の冷や汗が流れる。
「…いや、そー言われましても」
 ようやくそれだけを言った耕治だが、二人の暴走は止まらない。あまりの理不尽さに半ば自殺したくなった耕治を救ったのは、あずさの携帯にかかってきた電話だった。
「…はい。…ああっ!?す、すいません!今戻ります!!」
 電話を取ったあずさが慌てふためいて答えると、電話を切って立ち上がった。何事かと見上げるつかさと耕治にあずさが大声で言う。
「大変!すっかり忘れてたわ。もうすぐお昼になっちゃう!!」
「あーっ!?」
 つかさも大声を上げた。時間はいつの間にか12時10分前をさしている。
「急いで戻らなきゃ…そうだ、前田君も来なさい!!」
 耕治の手を掴むあずさ。耕治の顔が引きつる。
「ちょ、ちょっと待てよ!この格好で行くのか!?」
「そうよ。これからのこと店長さんとかに相談した方が良いと思うし」
「待てぇぇぇぇぇぇぇ…!!」
 こうして、耕治は有無を言わさず店に引っ立てられて行った。

へ帰ったあずさとつかさ、連行されてきた耕治を出迎えたのは涼子だった。
「あの、前田君のことなんですが」
 言いかけたあずさを涼子が制する。
「二人とも急いでフロアに入って。前田君のことは後で聞くわ。…あら、その娘は?」
 あずさとつかさの後ろにいる耕治に気が付いて涼子が尋ねた。
「えっと、この娘は…」
 つかさが説明するよりも早く、何かを思いだした涼子がぽんっと手を打った。
「そっか、今日ヘルプに来るように本店のほうに依頼していた娘ね。いきなりで悪いんだけど、すぐにフロアに入ってくれるかしら。人手が足りないのよ」
 言うなり耕治の手をがしっと掴み、奥に引きずっていこうとする。
「は?はぁっ!?い、いや…オレは」
「ゴメンなさいね本当に。えっと、更衣室はこっちよ。制服のほうは用意してあるから。急いでね。ほら、あずさちゃんたちも早く!」
「ちょっと待ってぇぇぇ……!!」
 耕治は引きずられていってしまった。呆然としていたあずさたちだったが、妹の美奈の「おねえちゃん早くしてよ〜」の声に我に帰る。見ると、人手が3人も抜けているフロアはパニック状態になっていた。そうでなくても今日はもともと近くの公園で行われるイベントのために混雑が予想されていたのだから無理もない。あずさとつかさは涼子に事情を説明するのを諦めてフロアに出ることにした。たぶん、耕治が自分で説明するだろう。

 そのころ、耕治は女子更衣室で途方にくれていた。
「…これをどうしろと」
 彼(彼女)の手にはスクールタイプの制服が握られていた。セーラー服をモチーフにした可愛らしいデザインの制服だが、さすがに自分がこれを着ることは想像していなかった。第一、似合うはずがない。耕治は鏡を見た。
「…いや、似合うかもしれん」
 耕治は鏡に映る自分の今の姿を見て呟いた。さらさらの長い髪、ちょっと大きめのたれ気味な目、すらっとした鼻の形はなかなかのものだ。唇は別段何も付けていないのに健康的なピンク。背丈とスタイルではあのあずさに勝ってさえいる。実際にこんな娘がいたら、まず間違いなく交際を申し込むだろう。
「ちょっと…着てみようかな?」
 耕治は制服の包みを開けた。幸い、リボンを多用するメイドタイプ制服に比べればスクールタイプはずいぶん着るのが簡単だ。着替えた耕治は鏡の前に立ってみる。
「おぉ…意外と良いじゃないか」
 耕治は呟く。思わずポーズを取ってみたり、ターンしてみたりして具合を確かめる。しばらくそんな事を繰り返していた耕治だったが、ふと我に帰った。
「…って、何をやっとるんじゃオレはぁ!こんな事している場合じゃないだろぉ〜〜っ!!」
 絶叫した瞬間、ノックに続いて涼子が入ってきた。
「準備はできました?それじゃあ急いでフロア入ってもらえます?かなり混雑しているの」
 再び耕治の腕を掴んで引きずっていく涼子。
「わぁ!?ちょっと待ってくださいよぉ!!」
 残念ながら涼子に聞く耳はなかった。耕治はフロアに放りだされた。そんな彼(彼女)の姿を見つけ、あずさがずかずかと詰めよって来る。
「なにやってんのよあんたは!事情を説明するんじゃなかったの!?」
「しょうがないだろ!涼子さん今それどころじゃないし店長もそうだし!」
 店長の木ノ下祐介もウェイターとして駆けまわっている。確かに話をするどころの騒ぎではない。
「しかたないわね…それにこっちも大変だし、しょうがない。フロア手伝って」
 耕治の目が丸くなった。
「こ、この格好でか?」
「あら、着ているって事は気に入ったんじゃないの?」
 あずさは冷たい。泣きたい気分で耕治は手伝うことを了承した。ほかにやることもなさそうだったので仕方がない。そばの客たちが「お姉さん、お水ー」と言うのを自分を呼んでいるのだと言うことに気づいて違和感を感じたりしつつ、耕治は仕事に没頭した。が、もともとウェイターとウェイトレスの仕事にほとんど差はない。耕治は問題なく仕事をこなすことができた。
 夕方5時、ようやくシフトが終了した。休憩室にあずさ、つかさ、耕治、涼子が集まる。
「今日はご苦労様でした。特にヘルプの娘…えっと、名前はなんでしたっけ?」
 涼子が言った。一応本店から「こんな人が行きますよ」と送られてきたファックスはあるはずだが、名前をど忘れしてしまったらしい。すると、ドアを開けて一人の少女が入ってきた。
「すいませーん。本店からヘルプに来る予定だった木ノ下留美ですっ!電車事故で遅れてしまいました!」
「そうそう、木ノ下留美さん…駄目じゃないですか遅れて来ては。…って、ええっ!?」
 涼子は耕治と留美の顔を交互に見た。
「木ノ下さんが今来たとすると…あなたはいったい?」
 不思議そうに言う涼子に、あずさが手を挙げた。
「あの…とても言いにくいことなのですが…この娘は前田君です」
「…は?」
 涼子のあごがかっくんと落ちた。

 そして、数分後。
 夜のシフトに入ることになった留美が出て行き、あずさとつかさも帰った後、耕治と涼子に店長も加えた3人による事情説明会が行われた。
「いやはや…世の中にはいろんなことがあるのだなぁ」
 店長は数時間前のつかさに良く似た反応を返した。
「信じられない話だけど、信じるしかないようね」
 と涼子。最初は驚いたものの、なんとか事態を受け止めたようだ。
「それで…オレはどうしたら良いんでしょうか」
 耕治が言うと、店長はふぅとため息を付いた。
「いや…実は、としては前田君に正社員になってもらいたい、と言う話があったんだよなぁ」
「え?」
 耕治が顔を挙げると、店長は事情を説明した。現在耕治たちの働いている2号店のバイトスタッフは優秀な人材がそろっている。そこで、何名かを正社員に採用し、もっと上の仕事を任せてみたい、という話があるのだと言う。
「前田君にはこんど北の方の街に出店する3号店のフロアスタッフのリーダークラスをしてもらえないかって言う話もあったんだが」
 店長がそう言うと、話を聞いていた耕治は思いきって手を挙げた。
「あの…その話、オレ的には受けてみたいんですが」
 その途端、全員が驚いたような表情で耕治の顔を見た。
「え?し、しかし…良いのかい?女の子になってしまった事情を解決しなきゃいけないんじゃ」
 店長が言うと、耕治は首を横に振った。
「いえ…オレをこんな姿にしたその、玉蘭という娘ですが…罰を与えるためにこうしたと言ってました。なら、思いきって自分を大変な立場に置いたほうが良いかもしれないと思うんです。それに、この姿じゃこの街には知り合いが多すぎてやり切れません。実家にも帰れないですし」
「本気なの?」
 涼子が心配そうに聞いてくるが、耕治は本気であることを示すように思いきり肯いていた。
 何しろ、自分の優柔不断さが今の事態を呼んだのだから、くよくよと迷ったり悩んだりするのは絶対にやめようと心に誓っている。
 おまけにあずさとつかさの嫉妬の視線が痛い。冷静に考える時間を持つためにも、二人とは距離を置くべきだろう。
「はい、本気です。生まれ変わったようなものですから…思いきって新しい環境で働いてみたいんです」
 店長はしばらく考え込んでいたが、やがて肯いた。
「わかった。前田君の意思を尊重しよう。性別が変わってしまったことに関しては…まぁなんとかなるだろう」
「お願いします」
 こうして、前田耕治は新しい名前と共に、3号店のフロアスタッフチーフとして北の街に赴くことになったのである。積極果断をモットーとする同店の名チーフ「前田治子」の誕生であった。


「む〜、修羅場ですねぇ。さすがは治子さん。大人の女性〜」
 能天気な美紗緒の感想に、治子の顔が引きつった。聴衆の少女たちもいっせいに固まる。
「美紗緒ちゃん…私でも時々君を殴りたくなるときがあるよ」
 治子が言うと、彼女の代わりに祐香が激しく美紗緒の後頭部にチョップをいれた。
「すいません、治子さん。こいつの考えなしの言動は後でよく言って聞かせておきますから」
 チョップの勢いで美紗緒の顔面をぐりぐりと床に押しつけながら祐香が謝った。
「いや…そこまでしなくても良いんだけど」
 今度は祐香の痛烈な制裁ぶりに固まる治子。押しつけられた美紗緒が「むぅ〜、むぅ〜、痛いよ祐香ちゃん〜やめてよ〜」と泣き声をあげている。
「ゆ、祐香ちゃん…美紗緒ちゃんそろそろマジ泣きになりそうなんだけど」
「体罰もやり過ぎは良くないぞ」
 見かねた高校生組の上級生、麻生絵美と伊藤麻咲が止めに入り、ようやく美紗緒は解放された。
「む〜、まだ額がひりひりするよ〜」
 と涙声で言いながらも、美紗緒は拍手をさせて場を盛り上げることは忘れない。お祭り好き根性もここまで行けば立派である。
「ありがとうございました、麻生先輩に伊藤先輩。じゃあ、お礼に次はお二人のどっちかって事で」
 拍手が終わってからの美紗緒の一言に、麻咲が「おい…」とツッコむ。が、結局じゃんけんでどっちが先に話すか決める、と言うことに強引になり、負けたのは麻咲だった。
「ちぇ、しょうがないなぁ…じゃあ、何から話すかな」
 水で唇を湿らせ、麻咲の話が始まる。
 しおさい女子寮の夜はまだまだ続く。

(つづく)

あとがき

 三回目は治子/耕治のお話でした。社会人は彼女の他に和希と皐月がいるのですが、一番しっかりしているのは彼女です。高校生組で一番人望があるのがひろのと言うことを合わせて考えると、しおさい女子寮は年少ほど常識があることになりそうです(爆)
 次回はアスリート娘、麻咲/正樹のお話です。


展望台へ戻る