25000ヒット記念企画

りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜

第零章 それぞれの事情

その2 橙色の邪夢



 こは北国。雪と奇蹟の降り積もる街。
 その街の片隅にある水瀬家では、夜も更けていると言うのに台所では煌煌と明かりが灯り、微かなハミングと共に作業をする女性の姿があった。
 彼女の名は水瀬秋子。この水瀬家の主であり、この世の森羅万象を超越する偉大な人物である。
 今、彼女は鍋に様々な材料を投入し、それを火に掛けて何かを作っていた。材料が何なのか不明であるところを除けばそれはジャムの作成工程に酷似しており、実際彼女が作っているのはジャムだった。
 しかし、それを単純にジャムと呼称する事は様々な意味ではばかられた。
 それがジャムであれば、立ち昇る湯気に当たっただけで虫が即死するような事態は発生するはずが無いからだ。
 やがて、満足したのか彼女は火を止め、鍋の中のオレンジ色をした物体を広口ビンに注いだ。
「ふぅ…こんなものかしらね♪」
 そう言うと、秋子はその出来上がったジャムが十分冷めたところで冷蔵庫に保管した。

 そして、翌朝。秋子が朝食の準備を整えていると、甥の相沢祐一が二階から降りてきた。
「おはようございます、祐一さん」
「あ、おはようございます。秋子さん」
 秋子が挨拶すると、祐一も眠そうな表情を精一杯引き締めつつ挨拶を返した。秋子は祐一を見た。自分との血縁関係を納得させる、どちらかと言うと中性的な容貌。「好きな人に意地悪をしたくなる」と言う、子供っぽくて不器用な性格の少年。しかし、根本では優しく人に尽くす事の意味を知っている彼は、見る目のある女性にはたまらなく惹き付けられる物を持っていた。
 秋子の娘の名雪を始めとして、祐一に好意を寄せる少女は少なくない。そして、秋子も密かに祐一に対する思いを寄せていた。
「名雪は起きましたか?」
「たぶん…もうしばらくしたら降りてくると思いますけど」
 秋子の問いに祐一は答え、テーブルについた。食卓には食パン、カリカリに焼いたベーコン付きのスクランブルエッグ、サラダと言った品が並んでいる。
「そうですか。では、先に御食事をどうぞ」
 秋子は言うと、祐一の前に湯気の立ち昇る紅茶を置いた。
「ええ、いただきます」
 祐一はそう言うとマーガリンを塗ったパンにスクランブルエッグを乗せて食べ始めた。時々紅茶に口をつけている。それを見て秋子は微笑んだ。その紅茶には、夕べ作ったジャムが混ぜてあるのだ。無味無臭のそのジャムに気づく事なく、祐一は朝食を食べ終え…その時になって名雪が起きてきた。
「うにゅ…おふぁよう…」
 まだ9割がた寝ていそうな名雪に声を掛けようとした祐一だったが、突然凍り付いたように動きを止めた。
「…あれ…?」
 胸を押さえ、苦しげな声を出す祐一に、一気に目を覚ましたのか名雪が駆け寄る。
「ゆ、祐一!大丈夫!?」
「う…なんだ、これ…身体が…」
 椅子から滑り落ちるようにして床に跪く祐一。右手で胸を押さえ、左手で上体を支えている。顔にはびっしりと脂汗が浮き、顔色は蒼白だ。
 驚いたのは秋子もだった。ジャムの作り方を間違えたのだろうか、と自問自答する。
 実は、あのジャムは強烈な惚れ薬…になっているはずだった。かなり微妙な調合を必要とするジャムだったが、自分は完璧に作り上げたはずだ。しかし、実際に予想とは違う症状が出ている。とにかく、秋子は祐一を休ませる事にした。
「名雪、後はお母さんが見ているから、あなたは学校に行きなさい」
「え?でも…うん、わかった」
 祐一を心配して渋る名雪だったが、母親への信頼は大きい。結局、祐一の世話を託して学校へ向かう事にした。祐一の変調の原因が母の作ったジャムにあると知ったら、彼女は何と思うだろうか。
 ともかく、娘を送り出した秋子は、半ば意識を失い、うなされる祐一を一階の空き部屋に運び込んだ。布団を敷き、苦しむ甥を寝かせる。
「うう…胸が…」
 うわごとのように言う祐一の身体は冷や汗でびしょ濡れになっていた。秋子は濡れタオルを準備し、制服の上着を脱がせると、Yシャツの袖を捲り上げた。タオルで腕を拭って行く。
「…あら?」
 秋子は不審の声を上げた。拭ったタオルに、祐一の体毛がびっしりとこびりついていた。拭い終わった後はつるつるのすべすべになっている。心なしか、腕全体が細くなったようにも見えた。
「…なんなのかしら」
 そう言いながらもう一度祐一の身体全体を見た時、秋子は更に異様なものを目の当たりにする。
「…えっ!?」
 祐一の胸が大きく盛り上がっていた。下から押し上げられたYシャツのボタンが弾け、汗で濡れたシャツにうっすらと形の良い胸の輪郭が浮かびあがる。
「はぁ…はぁ…」
 祐一の漏らすうめき声も、さっきより高く…女の子のような声に変わっていた。
「こ、これは…」
 呆然とする秋子は、祐一が苦しげに身をよじるたびに、ズボンが脱げ落ちていくのに気がついた。ベルトできっちり閉めているにもかかわらず、突然ウエストが細くなってしまったかのようだ。
「…まさか」
 秋子は生唾を飲み込み、祐一のズボンを脱がせた。そして、思い切って、やはり緩くなってしまっているトランクスに手を掛けて引き降ろした。
「…!!」
 そこにはあるべき物が無く、代わってあるべきでないものがあった。
「ど、どうしましょう…」
 無敵の水瀬秋子が初めて覚える困惑だった。


「…あれ?」
 祐一は目を覚ました。視界に見覚えの無い天井が飛び込んでくる。
「ここは…そうだ、俺は朝飯の途中に…」
 当然体調の変化を覚え、その後の記憶が無い。意識を失いでもしたのだろうか。横を向くと、窓の向こうに見慣れた角度とは違うが水瀬家の庭があった。
「ここは…一階のどこかか」
 そう呟いて、祐一は身体を起こした。身体が妙にきしむ。
「いてて…関節が…って、あれ?」
 祐一は微妙な違和感に囚われて自分の身体を覆う服を見た。薄い緑色の地に、名雪の好きな「けろぴー」…見様によっては可愛いと言えなくも無いカエルの絵が散りばめてある。祐一はこの服に見覚えがあった。名雪のパジャマだ。
「わ、わわぁっ!?なんで名雪のパジャマなんか着てるんだ!?俺は!!」
 祐一の顔が一瞬で紅潮する。名雪は彼の従姉妹で、一緒に暮らしていく上で手のかかる所も多い少女ではあるが、それだけに祐一も保護欲に似た名雪への思いを抱いている。それだけに、自分が従姉妹のパジャマを着用していると言う事に、猛烈な背徳感と罪悪感を感じた。祐一は慌てて布団を飛び出し、二階の自室へ向かって階段を駆け上がる。
 強烈な勢いでドアを閉め、カーテンを引いて自室を他者の目から完全に隔離し、息を整えると祐一は今朝脱ぎ散らかした自分のパジャマがそこにある事を確認し、着替えるために名雪のパジャマに手をかけた。一番上のボタンを外そうとして…
 ふにゅん
「…ん?」
 祐一は手を止めた。なんか、手首の辺りに妙な感触が…
 ふにゅ、ふにゅん
「ん…あっ♪」
 なかなか柔らかくて気持ち良い。それに、その手首が当たっている胸の辺りにも何とも言えない不思議な感覚が…思わず声が漏れた。
 って、そうではなくて。今はそれどころではないだろ。
 祐一はその感触を楽しむのをやめ、手を動かした。ボタンを外し、袖から腕を抜く…
「…んん?」
祐一は手を止めた。なにやら、自分の胸に見慣れない二つの物体が…
 彼はそれをしげしげと眺め、数秒間凝固した後、それを手で触ってみた。
 ふにゅにゅん
「ひぅ…!!」
 さっき服の上から触ったのと違い、あの不思議な感覚がダイレクトで身体中を走り抜け、祐一は思わず小さな叫びを漏らした。
「…はぁ、はぁ…ま、まさかな」
 普段から中性的な顔立ちと言われ、女の子に混じって喫茶店で駄弁っていても違和感が無いと言われたとか、中学の頃は文化祭でミスター女装コンテストに出場させられ、あまつさえ優勝したとか言う思い出は確かにある。
 だけど、自分は確かに男だったはずだ。胸にこのよーなブツを付けた覚えはない。
「…まさかな」
 祐一はパジャマのズボンを脱いだ。ある程度予想済みだったが…下着も女物…多分名雪のだろう…を着けていたが、そんなのは重要な事ではない。祐一は思い切ってショーツを下げ、その下にあるものを覗き込んだ。
「…」
 祐一、凝固。
「…はうっ」
 そのまま意識を失った。

「…はっ!?」
 そして、再び祐一は目を覚ました。そこには見慣れた自室の天井。
「…夢か。なんだかとんでもない夢を見たなぁ」
「いいえ、夢ではありませんよ、祐一さん」
「どわあっ!?」
 祐一は驚いてベッドから転げ落ちた。頭を上げると、そこには秋子が座っていた。
「あ、秋子さん…脅かさないで下さい。って…夢じゃない?」
 祐一は身体を起こし、自分がまたあの名雪のけろぴーパジャマを着ている事を知った。が、それももう重要事項ではない。まずは胸を触ってみる。
 ふに、ふにふに
「…」
 続いて股間に手をやる。妙に手応えが無い。
「…はぅ…」
 またしても気を失いかける祐一。
 びしぃっ!!
 が、それより早く秋子の鋭い手刀が祐一の首筋に打ち込まれた。
「あうぅ…」
「…気絶している場合ではありませんよ、祐一さん。あなたが今女の子になっているのは夢でもなんでもありません」
 首筋を抑えて床に倒れ込んでいる彼(彼女)に秋子は告げた。
「やはりそうですか…」
 もう一度気絶すれば、目が覚めた時に男に戻っているのではないか、あるいは今度こそ夢オチなんではないかと考えた祐一だったが、やはり考えが甘かったらしい。
「ちょっと、鏡を見ても良いですか?」
 祐一は言った。とりあえず、今の自分の姿と対決してみようと思ったらしい。秋子は頷くと手鏡を祐一に渡した。
「…名雪そっくりだな」
 祐一は思わず呟いた。鏡の中には従姉妹の美少女にそっくりな顔が映っている。双子、と言っても通るかもしれない。ちょっと違うところがあるとすれば、名雪のいつも眠そうなたれ目に対し、鏡の中の少女…祐一は少しつり目なところだ。
「しかし…なんでこんな事になってしまったんだ」
 力無く呟いて秋子に手鏡を差し出す祐一。その彼(彼女)に、秋子は申し訳なさそうに告白した。
「実は…」
 秋子は祐一の紅茶に隠し味としてジャム(さすがに試作惚れ薬だと言う事実は伏せていた)を入れた事と、その後の顛末を話した。

 全ての事情を聞いた祐一は脱力した表情で秋子を見ていた。まぁ、あの秋子さんと謎ジャムの組み合わせだ。世界を滅ぼす最終兵器が作れたっておかしくはない。自分が女に変わるくらいは、まぁアリだろう。
 だからと言って納得はできないが…
「で、これって元に戻せるんでしょうか?」
 祐一は一番肝心な部分を聞いた。しかし、秋子の返事は否定的なものだった。
「無理ではない…と思います。ただ、凄く難しいですが…」
 納得できない祐一は更に質問する。
「何でですか?そのジャムで変身したのなら、もう一度試せば…」
 その祐一の言葉に、秋子は首を振る。
「そんな簡単な事ではありません。このジャムは本来別目的で作ったものの失敗作でしたから…今分かっているのは『祐一さんを女の子に変える』効力がある、という事だけです。性別が変わる効果があるとは断言できません。他の男の人に投与してみたり、あるいは女の人に投与してみたりして実験をしないと…もし、今食べて謎の物体Xになってしまっても責任は取れませんよ」
 だったら最初から実験をして下さい。
 祐一は心底思ったが、それを口に出すほど愚かではなかった。彼(彼女)も、世の中には決してツッコんではいけない領域が存在する、という事くらいは知っていた。
 というか、この場合自分が実験台だったのかもしれないか。
「いえ…祐一さんを実験台にしようと思ったわけではないんですが」
 秋子が言った。
「…なぜ、俺の考えている事が分かったんですか?っていうか、ひょっとしてまた口に出してました?」
 祐一が聞くと、秋子は頷いた。祐一は溜息を付く。考えている事を無意識に口に出してしまう癖は彼(彼女)の昔からの悩みだ。このお陰で喧嘩やその他のトラブルに巻き込まれた事も一度や二度ではない。
「…で、これから俺はどうしたら良いんでしょう」
 祐一は言った。実際問題としてこれは極めて深刻な問題だ。何しろ突然性別が変わってしまったのだから。このままでは学校にも通えないし、戸籍その他をどうするんだと言う問題もある。 「困りましたね…」
 秋子は言ったが、やがて一つの案を述べた。
「とりあえず、祐一さんには親元に帰った事にして、別の身分で学校に通いますか?転校証明書や偽造戸籍は用意できますが」
 要するに、「転校生」と言う設定で今の学校に通えと言う事だろう。しかし、祐一は首を振った。
「いや…それはちょっと…。あの学校には知ってる奴も多すぎますし、身分を隠して連中と付き合っていく自信はないです。ただでさえ、独り言の癖のせいで秘密を持ちにくいですし、俺」
 秋子もそこが大問題である事は認めた。あの癖がある限り、偽装身分を使ったところで早晩秘密はバレるだろう。
「むしろ、俺の事を全然知らない学校に編入した方が良いと思います」
 祐一の言葉に秋子は驚いた。祐一が学校で数は少ないが、それなりに一生続いていきそうな人間関係を築いている事は彼女も知っている。それを白紙に戻してしまって良いのか?
「もちろん…あいつらと別れるのは辛いです。でも、ずっと嘘を付いて付き合っていくのはもっと嫌です」
 祐一は言った。秋子はこの甥(姪?)がそれなりに筋を通す、強い意志の持ち主だと言う事は知っている。確かに、今のままでは無理矢理この生活を続けさせる方が彼(彼女)にとって苦しいであろう事は理解できた。
「分かりました…わたしの知り合いで、遠くの街で寮を経営している方がいます。その方に連絡を取ってみますね」
「…お願いします」
 こうして、祐一は秋子が祐一を元に戻す方法が見つかるまで、彼女の知り合いの寮に行くことになったのである。

 数日後…
「ここかぁ…」
 祐一が降り立ったのは、あの雪の街から電車で5時間はかかるところにある海辺の町だった。まだ、あの街から続く豪雪地帯の中にあるため、駅前にも雪が積もっている。
「さてと…場所は…」
 祐一は貰ってきた地図を広げた。それほど複雑な道順ではないが、何しろ初めての土地。確認しながら行くのに超した事はない。祐一は地図を片手に歩き始めた。
 そして、1時間後。
「なんでだ…」
 祐一は完璧に道に迷っていた。前にいた雪の街でもしばらくの間道が分からずに往生した事を考えると、彼(彼女)には方向音痴の気があるのかもしれない。困っていると、何やら軽薄な声が彼女を呼び止めた。
「そこの彼女ぉ。何してんだい?俺と遊ばないか?」
 祐一は最初、その男が自分に話し掛けているのではないと思ったのだが、他に人がいないので、ためしに自分を指差してみる。すると、男は大きくうなずいた。
「そうだよ。他に誰がいるんだい?」
 祐一は思った。ひょっとして、これはナンパのつもりだろうか。だとすれば恐ろしく洗練されてないやり方だ。いまどきこんなんで女の子が引っかかるわけがないではないか。何処の田舎モンだ全く。
 そう思っていると、ナンパ男がぶるぶる震え始め、やがて叫んで走り出した。
「チクショー、田舎モンで悪かったなぁ!!馬鹿にしやがってぇー!!」
 泣きながら走り去るナンパ男。意外とシャイなヤツだったのかもしれない。
「しまった…また口に出してたか…本当に直さないとなぁ、この癖…」
 上手く立ち回れば道を聞けたかも知れないのに。祐一はため息をつき、またあてどなく歩き始める。
 とぼとぼと歩いていると、大きな海沿いの道に出た。夏は海水浴場にでもなるのか、奇麗に整備された砂浜だ。もっとも、今は雪が積もり鉛色の海が陰鬱な表情を見せていて、はっきし言ってわびしい。
「こんな道は地図には無いよな…」
 困り果てた祐一の目に、一軒のファミレスが飛び込んできた。冬の暗色の風景の中で、目の覚めるような原色の色使いをした建物に、「Family Restrant Pia Carrot」という赤いネオンサインが眩しい。ふと、のどの渇きを覚えた祐一は一休みして、それから道を聞こうと思った。Piaキャロットに歩み寄り、ドアを開ける。
「いらっしゃいませ、Piaキャロットへようこそっ!何名様ですか?」
 暖房の空気に当てられ、予想以上に自分の身体が冷え切っている事を知った祐一に、素早く近づいてきたウェイトレスが挨拶をした。セーラー服をイメージさせる派手な、しかし下品ではないデザインの制服を着こなし、頭にはリボン…太さから見るとバンダナかもしれない…を巻いている、なかなかスタイルの良い女性である。腰に付いているにんじん型のネームプレートには「Haruko」と名前が書いてあった。
「…一人です」
 祐一が答えると、ウェイトレスは頷いて祐一を窓際の席へ案内した。禁煙席である。さすがの気配りであった。
「ご注文お決まりでしたら、横のボタンを押していただければすぐに参ります。ではごゆっくりどうぞ」
 ウェイトレスがそう言って置いていったのは、水ではなく温かい緑茶だった。祐一は有り難くその湯飲みを手で包み込み、冷えてかじかんだ手に温度を伝える。ようやく人心地付いたところで、祐一はメニューをめくった。
「いちごフェア?名雪が聞いたら喜びそうだな…」
 期間限定メニューを見て祐一は呟いた。いちごサンデー、いちごショートケーキ、クレープストロベリーソース…
「…結構おいしそうだな」
 祐一は思った。そして、首を捻る。はて、自分はこんなに甘いもの好きだっただろうか?むしろ、名雪がいちご関係のデザートを食べるのを見て胸焼けを覚えるほどだったはずだが…
 しかし、写真が「私を食べて」と強烈に誘ってくる。祐一は意を決し、テーブルの横のボタンを押した。すぐに、さっきのウェイトレスが「お決まりですか?」と言いながら駆け寄ってくる。
「いちごサンデーとホットストロベリーシェイクをお願いします」
 祐一は頼んだ。ウェイトレスはそれを復唱し、注文を確認すると戻っていった。海を見ながら待つ事数分。頼んだいちごサンデーとホットストロベリーシェイクがやってくる。
「ごゆっくりどうぞ」
 ウェイトレスが戻っていくと、祐一は山盛りのいちごサンデーにスプーンを付け、口に運んだ。心地よい甘さが口いっぱいに広がる。
(美味しい…う〜ん、なんでこの美味しさに気が付かなかったんだろう)
 祐一は夢中でいちごサンデーを食べつづけた。名雪の気持ちが今になって良く分かったような気がする。
(そう言えば…名雪どうしたかな)
 秋子さんが上手く説明してくれると約束してくれたけど、いきなりいなくなった自分の事を心配しているだろうか?
(まぁ…今の俺にはどうしようもないか)
 多分、秋子ならすぐに解決方法を見つけてくれるはずだ。そう信じて、祐一は頼んだものを片づけた。疲れが取れ、体も良くあったまっている。そろそろ出発時だろう。
 その前に、道をちゃんと確認しておかなくてはならない。祐一はコールボタンを押した。
「はい、何か追加ですか?」
 またしてもさっきのウェイトレス。良く見ると、この時間は人が少ないからか、彼女一人で注文を受けているようである。客も3組くらいしかいない。今なら彼女に話を聞いても大丈夫だろうと判断した祐一はウェイトレスに話しかけた。
「いえ…実は道を尋ねたいんですが…」
 そう言うと、祐一はメモを差し出した。それに目を通したウェイトレスの目が丸くなる。
「…すると、君が今話題の新入りさん?」
「え?」
 思いがけない事を言われた祐一も目が点になる。すると、ウェイトレスは笑いながら言った。
「いやぁ…あはは。実は私もそこの住人なのよ。前田治子。君は?」
「あ…えっと…祐香…相沢祐香です」
 秋子が用意してくれた偽造戸籍の自分の名前を思い出し、祐一改め祐香が挨拶すると、治子はにっこり笑った。
「了解、祐香さん。管理人さんから新しく入居者が来るよ、って言うのは聞いてたから、歓迎するよ。私は後30分であがりだから、それまで待っててね。寮まで連れていってあげるから」
 思わぬ巡り合わせもあったものである。祐香はこの幸運を神に感謝したくなった。しかし…
 1時間さまよった挙げ句着いたPiaキャロは、実際は駅から5分の距離。そして、寮までは20分ほどだった。祐香がものすごく恥ずかしい思いをした事は言うまでもない。

「方向音痴は今でも直ってないよね」
 治子が笑いながら言うと、祐香は「言わないで下さい…」と真っ赤になって呟いた。実際、今に至るまで「駅―しおさい寮―Piaキャロ―商店街−学校」の5者を結ぶ以外の道を彼女は知らない。ちょっとでも外れるとそこは不思議の国。そして彼女はアリス。
「一度裏山ルートを教えたら、遭難しそうになったっけ」
 と美沙緒。祐香のチョップが、暑いからってキャミソールとショーツだけと言う下着姿の美沙緒の脳天に炸裂する。
「だから言うなっ!それから服を着ろっ!」
 祐香は叫んだ。彼女と美沙緒は同じ年齢で、クラスも一緒なのだが、可愛いけどいつも馬鹿ばかりやっている美沙緒の引き起こす騒動には頭を痛めている。それどころか、美沙緒と同じ場所に住んでいて登下校も一緒なせいか、一部では同類だと思われているらしい。祐香は前に住んでいた街の男の友人を思い出し、美沙緒の事を「北川みたいな女だ」と思っていた。
 なお、この寮の住人全員が「2人は仲良し」だと思っているのは当然の事である。
「む〜、痛いなぁ…」
 頭を抑え、ちょっと涙目の美沙緒が上目遣いに祐香を睨むが、祐香は知らん振りだ。
「む〜、まぁ良いや。はい、祐香ちゃんに拍手〜」
 ぱらぱらと沸き起こる拍手。
「さて…次は…治子さん行ってみる?」
「え?私が?ま、良いけど…」
 美沙緒の指名を受けた治子が頷き、立ち上がると話を始めた。

 しおさい女子寮の「第一回、チキチキ私がこの寮へ来た理由大告白大会」。
 まだ演者は2人目。残りは7人。
 話はまだまだ続く。

(つづく)

あとがき

 二回目は祐香/祐一のお話でした。彼女は一見クール、しかしその正体は天然ボケ、というなかなか美味しいキャラでもあります(爆)。美沙緒と同類扱いされるのは嫌なようですが、たぶん良いコンビなんでしょう、ええきっと(核爆)。
 次回は社会人組でしおさい女子寮で2番目に偉い娘さん、前田治子/耕治の事情について。30000ヒット記念企画としてお届けします。



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