20000ヒット特別企画
りばーしぶるハート〜しおさい女子寮物語〜
第零章 それぞれの事情
その1 千堂和希の受難
その日は一部の人間にとっては一年で一番熱い祭りの最終日だった。その「一部の人間」に属する一団が、マンションの一室で祝杯をあげていた。
「それでは、ブラザー2発行誌の初完売を祝って…乾杯!!」
「かんぱーい!!」
ビールやソフトドリンクを注いだコップが打ち合わされ、和やかな空気があたりに漂った。
「いやぁ、今回はよう売れたなぁ。やっぱり和樹と組んだウチの目に狂いはなかったわ」
眼鏡をかけた小柄な女性が、隣に座る青年の肩を叩いて言う。
「あぁ、これも由宇のおかげだよ」
和樹と呼ばれた青年―同人サークル「ブラザー2」の主力作家である千堂和樹は、今回ユニットを組んで活動した関西弁の女性、猪名川由宇に礼を言った。
「ねーねーせんどーくん、あたしは?あたしは?」
ショートカットの快活そうな女性が自分を指差してアピールする。
「あぁ、もちろん玲子ちゃんにも感謝してるよ」
玲子―芳賀玲子は和樹、由宇ら創作活動をメインとする作家たちではなく、同人世界の一方の雄、コスプレイヤーの一人。今回は売り子として和樹たちの売上に大いに貢献してくれた。
「おかげで、夏の拡大版ではじめて完売といううれしい成果も出せたしね。みんなには本当に感謝しているよ」
和樹はそう言いながらビールを口にした。今回、彼は人気アニメ「カードマスターピーチ」の18禁本を出展した。これまでの活動で築いてきた実績がものを言い、持ち込んだ1000部が売り切れという実に大きな成果をあげたのである。
同人世界に足を踏み入れてから約半年の彼としては信じられない成果だろう。しかし、そんな感慨に浸る間もなく、この場にいるもう一人の男性がジョッキをテーブルに叩きつけるようにして叫んだ。
「甘いッ!!ザッツスウィートだぞマイ同志!!今日の成果など、我らが目指す至高の座に至る果てしなきロイヤル・ロードのほんのひとつの一理塚に過ぎんッ!!」
いきなり訳のわからぬ言葉を吐き出すこの男こそ、和樹がいるサークル「ブラザー2」の主宰にして和樹にとっては腐れ縁の悪友である九品仏大志であった。
「なんだ大志、人がせっかく良い気持ちで飲んでいるのに」
和樹が大志を睨みつける。大志とはずいぶん長い付き合いになるが、彼のマイペース…というか、他人を省みない言動には時々ムカつくことがある。
「良いかマイエターナルフレンドよ。我らが目指す究極の目標、世界征服には老若男女問わずありとあらゆる階層の人間を取り込まねばならぬ。しかるに、今日お前が虜にした人間は若い男性層のみだ!これではまだまだ我らの野望には届かんのだよ!!」
世界征服は大志が普段より公言する彼の野望だが、和樹は一度同人の世界に身をおいて自分の道を探そうとしている身であり、大志の野望に手を貸した覚えはない。と言うか、同人活動で何がどーなれば世界征服なのか、和樹にはさっぱりわからなかった。
と言うか、わかったらヤバい。
「…で、とどのつまり何を言いたいのだお前は」
これ以上放っておくと何を口走るかわからない大志を止めるべく、和樹は質問した。
「うむ、良い質問だマイ同志。要するに、新たな支持層を取り込むためには新たなジャンルに踏み込まねばならんと言うことだ。そして、吾輩の見るところ、今度もっとも熱くなるジャンルはやおいだ!次のこみパはやおいでいくぞ!!」
「却下」
和樹は一言の元に大志の意見を葬り去った。
「ええ〜っ!?」
大声をあげたのは玲子だった。ちなみに、彼女はやおい大好き人間である。
「残念ながら俺にはそういう趣味はない」
和樹は断言した。念のため説明するが、やおいとは男同志の恋愛を扱うジャンルである。今までギャルゲーや美少女主役のアニメパロディで活動してきた和樹にとっては縁遠い分野である。
「なんでや?ええやないかやおい」
由宇が言った。ちなみに、彼女もやおいを描いた事がある。
「なんだよ由宇まで…そうは言うけどな、うちにも一応固定客と言うものがついてきて、その大半は男なんだぜ。今から急にやおいに転向なんてムチャ過ぎだよ」
和樹も反論する。できれば書きたくない、と言うのもあるが一応男性向けサークルとしての認知を受けつつある今、いきなりの方向転換は確かに冒険に過ぎよう。
「まぁ、マイ同志の言うことにも一理ある」
お?と和樹は驚いた目で大志を見た。「強引にマイウェイ」を地で行くこの男が、他人の言うことを聞くことはめったにない。
「とはいえ、お前にやおいを書いてもらおうという方針を曲げるつもりもないがな…ま、今日は祝いの席だ!とりあえずその話は明日に譲るとして、今は飲むが良い!!」
そう言って、大志は和樹にグラスを差し出した。
「あぁ…悪いな。なんだか変わった酒だな?」
和樹はグラスの中身を見た。不思議な虹色の液体がたたえられている。
「特製の酒だ。手にいれるのには苦労したぞ…まぁ飲んでみろ」
「ふぅん…」
好奇心に駆られ、和樹はグラスの中身を飲んだ。意外に旨い。
「お?けっこうイケるな…」
その不思議な味わいに、和樹は思わずグラスを一気に干してしまった。が、グラスをテーブルにおいた瞬間、今まで感じたことのない強烈なめまいが彼を襲った。
「うっ…!?な、なんだこりゃ…大志、お前この酒むちゃくちゃ強いんじゃ…」
そうする間にも急速に視界が回転しだし、和樹は床に倒れ伏した。その暗くなっていく視界の向こうで、確かに大志が邪悪な笑みを浮かべたのを、和樹は見たような気がした。
翌朝の目覚めは、意外にすっきりしたものだった。
「…ふわぁ…あれ?ここはどこだ?」
あたりを見回し、そこがビールの空き缶やお菓子の空き袋でいつもより散らかってはいるが、自分の部屋だと言うことに気がつく。
「そっか、昨日は打ち上げで…それにしても大志の酒は強烈だったなぁ」
あの奇妙な感覚を思い出し、身震いひとつすると、和樹は洗面所へ向かった。蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。
「ふぅ…すっきりした。って、あれ?」
妙な違和感を覚え、和樹は鏡を見た。
「…誰?」
鏡の中に、自分がいなかった。
いや、人が映っていないわけではない。しかし、そこには見知らぬ女性が立っていた。肩にかかる程度の長さの髪に、細表のなかなかの美人である。しかし、和樹の姿はどこにも映っていない。
「…はて、どちら様ですか?」
和樹は鏡に映る女性に問いかけた。首を傾げる。鏡の中の女性も小首を傾げた。なかなかに愛らしい姿ではある。
しばらく、和樹は鏡とにらめっこをしていた。が、その顔は青ざめ、体がふるふると震えだす。鏡の中の女性も顔を青ざめ、震えている。そう、意識がはっきりしてくるにつれて、和樹は理解したのだ。
鏡の中の女性が自分であることを。
「な、な、な、なんだこれはあああぁぁぁぁぁ!!」
和樹の絶叫が響き渡った。
「ふっ、可愛くなったではないかマイエターナルフレンド」
突然、背後から聞こえてきた声に、和樹は振り返った。そこには、大志が立っていた。その瞬間、和樹は直感的にこいつが全ての元凶であることを理解した。
「大志!これはどう言うことだ!?」
詰め寄る和樹に、大志が胸を張って言う。
「昨日言ったではないか、おまえにやおいを描かせる事を諦めはしないと」
「…は?」
いきなりの大志の発言の意味がわからず聞き返す和樹。
「お前が男であるが故にやおいを描く事に違和感を覚えるのなら、そう、お前を女にしてしまえば良いのだ」
びしっ
和樹の脳裏で、何かが砕けるような音がした。
「ま、まさか…昨日のあの妙な酒は」
あの酒自体がそうなのか、薬が混ぜてあったのかは不明だが、きっとあれが原因に違いない。そう思った和樹がおそるおそる尋ねると、大志はフッと鼻で笑った。
「さすがに察しが良いな、マイフレンド。今のお前なら、やおいを描く事に何の違和感もない!さぁ、進もうではないか我らのビクトリー・ロードに!!」
「ふざけるなぁ!!」
次の瞬間、和樹の全力をこめた一撃が大志の顔面を直撃していた。美術家志望というどちらかというと腕力に縁遠そうなイメージとは裏腹に、和樹はなかなか腕っ節が強い。大志をKOするくらいは造作もない、はずだったのだが…
「ふ、利かんな…」
顔面に一撃を受けた大志が平然と言いながら和樹の腕を掴む。
「ば、馬鹿なっ!?」
驚く和樹に大志は余裕の表情でずれた眼鏡を直しながら言った。
「ふ…今のお前は女の子なのだぞ。その細腕で吾輩が倒せるものか」
ニヤリと笑う大志。
「な…くそ、放せ!放せよっ!!」
空いている左手と足で大志に攻撃を仕掛ける和樹。しかし、大志には蚊が刺したほどのダメージも与えられない。それどころか、大志が無造作に右手を掴んでいる腕を振るっただけで、和樹の身体は半回転し、大志に身動きひとつ取れないよう押さえつけられていた。
「無駄なあがきだマイ同志。今のお前に吾輩は倒せやせんよ」
言いながら、和樹の手を見る。
「ほほぉ…この白魚のような手…あの薬を入手するのに大枚をはたいた甲斐があったと言うものだな」
その怪しげな視線に、和樹は背筋に言い知れない寒気が走るのを感じた。
「な、何をする気だ、大志!?」
大志は眼鏡を押し上げると邪悪な笑みを浮かべて言い放った。
「ふ…決まっているではないか。昔から聞き分けのない女子に言うことを聞かせる手段はひとつしかない」
和樹は大志が何をしようとしているのか、はっきりと理解した。彼(彼女)も、そういう話を書いたことがあるからだ。しかし、自分が犠牲者になると言うことになれば話は別だ。
「ば、ばかやろう!!放せよ!!放してくれないと舌をかんで死ぬぞっ!?」
「させるかっ!!」
とっさに大志が手近のタオルを掴み、和樹の口に押し込む。
「むむむ〜ぅっ!?」
息が詰まり、涙目になる和樹の身体を、大志は床に押し倒す。
「ふふふ…悪く思うなよ、マイ同志。これも世界征服のためだ」
「むむむぅ〜っ!!(ふざけるなー!!)」
叫んでも、む〜む〜としか言えないのでは意味がない。
「くく、安心しろ。この苦痛と体験と快楽がお前に新たなインスピレーションを与え、それは至高の同人誌作りにつながるだろう!!」
勝手なことを言いながら、大志が和樹のTシャツをまくりあげたその瞬間。
「何をやっとるかあんたわぁ!!」
めごすぅっ!!
大志の後頭部に、恐るべき速度を持った何かが叩きこまれた。女性化した和樹のへなちょこパンチは意に解さなかった大志もこの一撃には耐えられない。盛大に血しぶきをまきちらしつつ空を飛んだ大志は壁に叩きつけられ、ずるずると床に崩れ落ちた。
「ちょっと、あなた!大丈夫っ!?」
和樹はその声に思い切り聞き覚えがあった。いつも彼を心配して様子を見に来てくれる幼なじみの高瀬瑞希だった。ちなみに、大志を葬り去ったのは、彼女が振るったテニスラケットの一撃である。
「まったく…いつかは犯罪者の道に走ると思ってたけど、まさか女の子に乱暴しようとするとは…」
軽蔑のまなざしで大志の屍を睨み付けつつ、瑞希は和樹の口に押しこまれていたタオルを抜き取ってくれた。
「うっぷ…けほっ、けほっ!!」
せきこむ和樹の背中を、瑞希がやさしくさする。ようやく一息ついた和樹は、瑞希の手を握った。
「サンキュ、瑞希…助かったよ」
礼を言う和樹に、瑞希の目が丸くなる。
「…あれ?なんで私の名前知ってるの?それより、あなた何でここにいるの?どこかで見たような気もするけど…和樹の友達?」
次々と質問をぶつけてくる瑞希に、和樹は軽く手をあげて彼女の勢いを制した。
「いや…わかんないのも無理はないか。瑞希、よっく俺の顔を見てくれ」
「え?何よいったい…」
そう言いながらも、瑞希は和樹の顔をじっと見る。やがて、彼女はぽんっと手を打って言った。
「和樹の妹かお姉さん?」
「うわ、お約束だな」
言いながらも、和樹は瑞希の気持ちが痛いほどよくわかっていた。和樹に姉妹がいないことは瑞希ならよく知っているはず。つまり、今彼女は現実逃避の最中にあるのだった。
やがて、瑞希の身体が小刻みに振るえはじめ、真っ青な顔で彼女は言った。
「ま、ま、ま、まさか、本当に和樹なのっ!?」
沈痛な表情で和樹はうなずいた。
「…と言うわけなんだ」
和樹の事情説明が終わると、瑞希はため息をついて大志のなきがらを見た。
「…とんでもない奴だと言うのは知っていたけど、まさかここまで常識を超越したことができるとは思わなかったわ」
もちろん、例の虹色の薬酒のことを言っているのである。そんなものが世の中に存在していることを承知しており、なおかつ入手できるなど、普通の人間にできることではない。
「とにかく、一度生き返らせて、元に戻せるのかどうか聞いてみようよ」
瑞希が言うと、和樹は横に首を振った。
「いや…方法があったとして、こいつが素直に俺たちの言うことを聞くとは思えない」
その重苦しい口調に、瑞希も心当たりがありすぎるため、またため息をつきながらうなずく。
「そうね…どうする?」
「そうだな。気は進まないが、ここは素直にやおいを書いておくか。それさえ済めば元に戻してもらえるかもしれん」
和樹がそう言ったとき、背後から声がした。
「それは良い心がけだマイ同志」
「「うわっ!?生きてたっ!?」」
異口同音に驚く二人を見ながら、大志は自らが作った血溜まりの中から起き上がった。すでに傷はふさがっている。
「あの程度で吾輩をしとめられると思ったのかマイシスターよ。まぁ、それはともかくとしてだ。素直に書く気になったのはうれしいぞマイフレンド」
和樹はため息をつきながら大志に尋ねた。
「で、本さえ書けば元に戻してもらえるんだろうな?」
すると、大志は大いにうなずいた。
「良いだろう。少し惜しい気もするが、お前にはもっといろいろなジャンルを書いてもらわねばならんからな」
「その言葉、忘れるなよ」
和樹は大志に念を押し、やおい本の執筆に取り掛かった。そして、一ヵ月後。
「喜べ、マイ同志!!お前の書いたやおい本は大好評だ!!2000部完売したぞ!!」
女の姿では会場に行けないため、自宅で待っていた和樹の元に大志がやってきた。
「それは良かったわね。で、大志。約束は覚えているんでしょうね?」
瑞希が言った。彼女はこの一ヶ月間、女性化した和樹の面倒を見るために彼(彼女)の部屋に泊まりこんでいたのである。
「や、約束か…」
大志はたじろいだように言った。この男にしては珍しい態度である。不審なものを感じた和樹は身を乗りだした。
「まさか、忘れたんじゃないだろうな!?」
「どうなの、大志。返答によってはただじゃ済まないわよ」
瑞希がそう言いながらテニスラケットを取り出す。和樹も得物を手に取った。ちなみに釘バットである。
「いや、覚えてはいる。しかし…」
大志は言いよどんだ。武器を手にした二人が詰め寄る。
「しかし、なんだよ…?」
和樹が言うと、大志はがばっと顔をあげ、和樹の手を握った。
「わっ!?」
驚く和樹に、大志は叫ぶように言った。
「だ、だめだ!やはり駄目だッ!!吾輩にはお前を元に戻すなどできんッ!!」
「なんですってぇ!?薬が手にはいらなかったとでも言うの!?」
いきり立つ瑞希に大志は否定するように手を振った。
「違う!!吾輩にもどうして良いのかわからんのだ!!この一ヶ月間、必死に原稿に向かうマイ同志を見て、吾輩はもう…この萌える気持ちをどうすれば良いのか…」
びしっ
和樹と瑞希は凍りついた。
「我らオタクにとって萌えは正義!萌えは至上!ひとたび萌えてしまった以上、マイ同志を男に戻すなど吾輩にはできん!!この萌える気持ちを受け取ってくれマイハニーぃぃぃっっ!!」
「「アホか貴様はあああぁぁぁぁ!!」」
解凍した二人の得物が嵐のように大志を乱打した。
そして、数分後。
もはや原型をとどめないまでに粉砕された大志の死骸(どうせ生きているだろうが…)を前に、和樹は途方にくれていた。
「やっぱりな…こんな予感はしてたんだよ。こいつが俺の期待通りに行動してくれるはずなんか始めっからなかったんだ」
るるる〜っと涙を流す和樹の肩を、瑞希がやさしく抱きしめた。
「元気を出してよ、和樹…」
とはいえ、さすがにこの状況で元気を出せと言うのも無理な話だ。
「なぁ、瑞希…俺はこれからどうしたら良いんだろう」
涙目で瑞希を見上げる和樹。その可愛らしさに同性の瑞希も思わずたじろぐ。
「そ、そうね…少なくとも、こいつの手の届かないところへは身を隠したほうが良いんじゃないかと思う」
瑞希は大志を指差して言った。
「身を隠す?」
和樹のおうむ返しの問いかけに、瑞希はうなずいた。
「うん。丁度良いと言うか、幸いに、と言うか…と言うと変なんだけど、あたしの親の知り合いが遠くの町で寮を経営してて、部屋が空いてるって聞いたことがあるんだ」
和樹は考え込んだ。どうせ、この姿ではこみパにも大学にも出られない。知り合いに見つかることを考えると、部屋からでさえ一歩も外に出られないと言うのが実情だ。それなら、遠くの町に一時非難したほうが無難かもしれない。
「…それも、悪くないかな」
和樹が言うと、瑞希はうなずいた。
「じゃあ…親を通して話をつけとくね」
そう言うと、瑞希はゴミ袋に大志の死骸を詰めて部屋を出ていった。
そして、5日後。
「ふえぇ…やっと着いたか」
「思ったより遠かったわねー」
和樹と瑞希は東京から鈍行列車で2日のその寮があると言う街に着いていた。直通列車も飛行機の便もなく、途中で一泊するという今時珍しいくらい東京との連絡が悪い街だが、それなりに大きな街だった。
「で、場所はどこだっけ?」
「えっと…駅から20分くらいらしいな」
和樹は、瑞希の知り合いから送られてきた入寮案内書に着いてきた地図を広げた。「しおさい寮」という名前が付けられている。
「結構歩くわね…」
「田舎だから仕方ないさ。さ、行こう」
すでに荷物は送ってあり、二人とも手ぶらに近い気軽な格好だが、都会人にとっては20分以上歩くと言う経験自体が少ない。そして、問題の寮はかなり小高い丘の上にあった。
「…ふぅ…あ、ここだ」
丘の斜面にそって折れ曲がった道を行くこと30分。不慣れな道であるために思ったより時間がかかったが、ようやく二人はしおさい寮の前にたどり着いた。
ぴんぽーん ぴんぽーん…
インターフォンを鳴らし、しばらく待つ。と、寮の中からぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきて、中学生くらいに見える小柄な少女が出てきた。
「はい、どちら様ですか?」
少女が言う。管理人さんの娘さんだろうかと和樹は思った。
「えっと、今日からこちらでお世話になる千堂と言う者ですが…」
和樹が言うと、少女はぽんっと手を打ってにっこりと笑った。
「あ、聞いていますよ。それじゃあ、上がってください」
少女に案内され、和樹と瑞希は管理人室に通された。
「千堂さんでしたね。ボクがこのしおさい寮の管理人、相川真奈です。どうぞよろしく」
お茶とお菓子を出した後、ぺこりと頭を下げる少女に、二人は驚いて声を挙げた。
「「ええっ!?君が管理人っ!?」」
失礼な言い様だったが、慣れているのか真奈はぜんぜん気にしていない。
「ええ、皆さんそうおっしゃいます」
「そ、そう。ごめんね」
和樹が言うと、真奈はぱたぱたと手を振って気にしないでください、と言った。
「それじゃあ、部屋にご案内しますね。千堂さんのお部屋は208号室になります」
一休みした後、真奈は二人を部屋に案内した。途中でこっちがお風呂場、こっちがトイレで…と設備も案内されながら、三人は二階の階段に一番近い部屋に通された。
「こっちです。荷物はもう運び込んでありますよ」
真奈はドアを開けた。かなりの量の荷物が運び込まれていたのだが、部屋にはまだ余裕が感じられた。八畳と聞いていたのだが、都会サイズの畳を基準にして測った八畳ではなく、本当の八畳なのでかなり広く感じた。
「それじゃあ、ボクは食事の準備がありますから、台所に行ってますね。何かあったら呼んでください。内線3番で台所に通じますから」
そう言うと、真奈は部屋を出ていった。瑞希はかなり大きく空いた窓を開けた。かすかに潮の香りが混じったさわやかな風が吹きぬける。
「わぁ、良い眺めねぇ」
瑞希が感嘆したように言う。寮の周りには家がなく、海や遠くの山が一望できた。
「あたしもここに住んでみたいなぁ」
笑う瑞希に、和樹もつられて笑う。
「それは駄目だろ。瑞希には学校もあるし…」
その和樹の一言に、瑞希は寂しげな表情になる。
「そうね…和希のことが心配だし、できればそばに付いて置いてあげたかったけど」
瑞希は今日ここへ付き添いに来ただけで、とんぼ帰りに東京へ戻ることになっている。彼女には和樹の居場所に関する秘密を守り、かつ彼(彼女)の書いた原稿を代理として由宇や玲子に渡すと言う任務が待っている。
当初、和樹が同人活動をすることには反対していた瑞希だったが、こんな境遇になってしまった和樹の心のよりどころになればと、活動を継続していくことには賛成したのだった。
「悪いな…瑞希。いろいろ苦労をかけちゃって」
和樹が言うと、瑞希はううん、と首を横に振った。
「あたしは気にしてないよ。和樹のためだもん」
「そっか…ありがとう、瑞希」
和樹は瑞希の手を握った。
その日は荷物の片付けに追われ、二人は真奈の作った夕食(かなりの美味だった)の後、同じ布団で眠った。そして、翌日。
「じゃ、ね…和樹…いや、今日から和希…だっけ」
東京へ帰る瑞希が言った。「和希」は入寮にあたって瑞希が考えてくれた女の子としての名前だった。自分の名前から一文字持ってきているところに、瑞希の和樹への想いが表れている。
「あぁ…大事にするよ、この名前」
和樹、いや、和希は答えた。いつか、大志の馬鹿が元に戻してくれる日まで、この名前と、なにより慣れない女の身体と付きあっていかなくてはならない。
「…と、まぁそう言うわけで、ここに来てからもう2年になるかなぁ」
和希は言った。その間に彼女は同人作家から本職の漫画家になり、つい先日単行本も出版された。同人作家から漫画家を目指す少女のどたばたな毎日を描く作品で、結構人気がある。
「はい拍手〜」
ショートカットの快活そうな少女、折原美沙緒が聴衆に拍手を求める。ぱらぱらと拍手が沸きあがった。
「いろいろ大変だったんですね、千堂先輩」
長い髪を大きなリボンでくくった背の高い少女―長瀬ひろのが和希の体験談にうんうんと肯く。普通なら一笑に伏すような信じがたい話だったが、どうやらこの少女を含めて聴衆として集まっている少女たち…いずれも極上の美少女ぞろいだ…は、まるで和希の話を疑っていないらしい。
「あぁ、本当大変だったよ。ひろのちゃん。大志の馬鹿がもう少しでここを嗅ぎ付けかけたこともあったしね。瑞希が奴を倒してどうにかしたらしいけど」
和希はひろのに言った。ひろのはこの寮では管理人の真奈と同じ歳の最年少組だが、一番落ち着きのある性格だ。
「それでは張り切って次の人の告白タイム行って見ましょう〜!誰だっけ?」
美沙緒が言った。今回のイベント、「第一回チキチキ私がこの寮へ来た理由大告白大会」は、この寮どころか街きってのお祭り好き娘である彼女の企画・立案による。
「あ、一応…あたしかな?」
光の加減で青く見えるロング・ヘアの少女、相沢祐香が手を挙げた。
「OK、それでは行ってみましょう。告白スタート!」
美沙緒が号令をかける中、祐香が話をはじめる。
「しおさい女子寮」…それぞれの事情により、性別が変わってしまった少女たち(全員元男)が住んでいる、この世の神秘な場所。
夏休み最後の日のイベントとして、そこで唐突に始まった告白大会は夜が更けてもなお続くのだった。
(つづく)
あとがき
と言うわけで、記念ヒット企画連作「りばーしぶるハート」シリーズ第一回は和希/和樹の事情をお送りしました。和希がしおさい女子寮行きを選ばず、あくまで東京で同人活動を続ける別バージョンも連載作品として企画中です。
次回は25000ヒット記念企画として祐香/祐一遍をお送りします。お楽しみに〜(爆死)。
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