パシフィック・ストーム作戦

 

西暦2025年8月14日 2359時(日本標準時)東京湾南東500キロ
アメリカ合衆国海軍 第7艦隊旗艦 空母「ウェンデル・ウィルキー」CICルーム

 
 予定の時刻――歴史的理由から決定された日時まで、あと1分を切った。アメリカ合衆国海軍第7艦隊司令長官、アレン・バークレイ大将は腕時計に目を落として思った。そして、84年前、ハワイを奇襲した艦隊の指揮官も、こんな気分を味わったのだろうかと考えた。
 間もなく、我々はあの国と戦闘状態に入る。それはほぼ確実な未来だった。バークレイはこれまでに何度か、演習で彼らと対戦した事がある。彼らの海軍――奇妙な名前の海軍は実に優秀だった。10年以上前、ディーゼル動力しか持たない彼らの潜水艦はまんまと艦隊の内側まで潜り込み、彼が艦長を務めていた空母を「撃沈」した。逆に自分たちの原潜は残らず狩りたてられ、実に屈辱的な想いを味わうと同時に、彼らの手並みに対する率直な尊敬の念を抱いた。今回の作戦で主に戦う相手――陸軍と空軍に関しては詳しい事は良く知らない。だが、海軍だけが突出して優秀ということもないだろうから、間違い無く手強い相手なのだろう。
当然、戦えば双方におびただしい犠牲を出す事になるだろう。軍人である以上、それは覚悟の上だ。だが、バークレイはこの戦いで犠牲が出ることを恐れた。なぜか?この戦いの意義に疑問があるからだ。貿易戦争の決着を実際の戦争でつけることのどこに、大義があるというのだ。バークレイは開戦を決定した人物、ホワイトハウスの主を心の中でののしった。かれは民主党の支持者であり、共和党の現大統領を支持していなかった。
 時計の針が予定の時刻を指した。本国からの暗号文が衛星回線を通じて入電し、解読される。それはそっけないほどに短い文章だった。通信士官はそれをプリントアウトし、バークレイに手渡した。目を通す。
「マッキンリーに登頂せよ 0815」
 開戦を告げる符丁だった。バークレイは紙をくしゃくしゃに丸め、ダストシュートに投げ捨てた。
「諸君、本国より命令が下った。・・・開戦だ」
 バークレイの言葉に、艦橋がどよめいた。
「各自最善を尽くしてくれ。これより第一次攻撃の準備にかかる。艦隊反転、百八十度」
指示を下しながら、バークレイは祈った。神よ、我らを守り給え。若者たちの命を救い給え。どうか彼らの上に恩寵を。前途ある合衆国の青年と・・・
 日本の青年たちのために。
 81年前、日本が降伏したその日に、第二次太平洋戦争の幕は切って落とされることになったのである。
 

2025年 8月15日 0647時(日本標準時)横須賀港

 米海軍の艦艇が立ち去った後、横須賀港は急に広くなったように感じられた。それも無理の無い事かもしれない。今この港に常駐している艦艇は、かつての半分近くまで減っているからだ。1年前の日米安全保障条約廃棄後、海上自衛隊は横須賀を主力である第一機動護衛群の母港と定めていたが、その勢力はかつてのこの港の主であった米第7艦隊に及ぶべくも無かった。
 その中で、その艦だけは、かつて「ミッドウェー」から「インディペンデンス」「キティホーク」「ウェンデル・ウィルキー」と4代にわたってこの港の女王だった米空母には及ばないものの、大きな存在感を持っていた。
 航空護衛艦「あかぎ」。海上自衛隊第一機動護衛群の旗艦である。その外見は米軍が現在も保有する空母型強襲揚陸艦に酷似していた。しかし、この艦は航空機の運用を第一に優先して設計され、現首相が防衛次官だった頃に開発に関わったという国産最新鋭の21式艦上戦闘攻撃機、北崎VF−21「海燕」やVE−22「オスプレイ」早期警戒機など40機を搭載している。
 その「あかぎ」の飛行甲板で、一機のヘリが発艦しようとしていた。相模湾で漁船が転覆し、自衛隊にも救援要請が出たため、この機が派遣される事になったのだ。
 機長の佐藤雅史二尉はてきぱきと発艦準備作業をこなした。やがて飛行許可が降りると、彼は軽やかなスティック捌きで機を上昇させる。学生時代からやってきたサッカーで鍛えられた足は、フットペダルを軽快に踏んだ。雅史は機首を相模湾のほうへ向けた。
 十分ほどの飛行で、機は相模湾の上空に出る。南方に台風があるせいで、波はかなり荒い。波頭が砕ける様が三百メートル上空からでもはっきりと見えた。見張り員にも指示を飛ばし、彼は転覆漁船を探して機をゆっくりと旋回させた。そのまま五分ほど経った時、彼は異様なものを目にした。黒い、棒状のものが海面すれすれをすばらしい速度で突き進んでくる。最初、雅史はイルカか何かかと思った。だが、それは余りにも早く、数も多かった。それらはあっという間に視界を横切り、彼が飛び立った横須賀の方へ向けて飛び去って行った。雅史はレーダーに目をやった。だが、スコープには何も映ってはいなかった。
「一体、僕は何を見たのだ」
 雅史は首をひねった。唐突に母艦「あかぎ」との無線交信が途切れたのは、その瞬間だった。
 
 最初に破局が訪れたのは、「あかぎ」だった。その時、飛行甲板上では2機の「海燕」が引き出され、訓練飛行の準備が始まっていた。主翼内にV/STOL用のリフト・ファンを収める構造の「海燕」は恐ろしく静かな飛行機で、市街地に近い場所でも離着陸にそれほど気を使わずに済む。
 その2機の「海燕」が、突如として砕け散った。すさまじい爆風が甲板上にいた乗組員たちを吹き飛ばし、海面へと叩きつける。そうでなかった者達にも、何が起きたのかを悟る余裕は与えられなかった。ステルス効果を考慮して設計された、上半部を切り落としたピラミッドのような形の艦橋が閃光とともに跡形も無く消し飛び、続いて格納庫内で起きた爆発が中の搭載機を次々と誘爆させた。ジュラルミンやセラミックの破片が数万の投げナイフのように飛び回り、乗組員達をずたずたに引き裂く。続けざまの誘爆は遮るものも無く艦内を席巻し、ミサイルや爆弾を収めた弾火薬庫に到達した。
 次の瞬間、「あかぎ」は巨大な火の玉と化した。近くに停泊していた汎用護衛艦「あきさめ」が強烈な爆風と衝撃波にマストを叩き折られ、転覆寸前まで傾く。黒煙が辺りを覆い尽くし、その暗闇の中に炎がちらちらと見えた。その地獄の中で真っ二つに折れた「あかぎ」が海面に横倒しになっていた。この間、わずか三十秒もない間に起きた出来事だった。その三十秒の間に、同様の惨劇が「あかぎ」のみならず他の多くの艦艇にも襲い掛かり、とどめに司令部の建物が数回の爆発とともに倒壊すると、横須賀港の指揮系統は完全に崩壊、無秩序な阿鼻叫喚の巷と化したのである。
 1999年のコソボ紛争で相次いだ誤爆の教訓から開発され、その後10年以上にわたって先代の「トマホーク」に代わって巡航ミサイルの代名詞となり、米軍を敵に回した勢力にとって恐怖の存在となる、超音速ステルス巡航ミサイル「フランチェスカ」の、衝撃的なデビューだった。
 
 
0702時 茨城県 百里空港

 百里空港は、軍民共用空港である。同様の空港として福岡空港などがあるが、百里は純粋な航空基地から、地元の要望によって民間との共用になったという変わった経歴を持った空港だった。
 その百里の滑走路脇のフェンス際には、多くの航空機マニアがやってくる。首都圏で「海燕」の陸上機型や、最近になってようやくF−15との代替として導入が進んでいる純国産のF−24「北斗」を見ることが出来る数少ない場所である百里は、彼らにとっての聖地なのだった。
 頭上から響いてきた轟音に、多くのマニアがカメラを向け――すぐに戻した。2000年に開発された事から「ミレニアム・ファルコン」の異名を取るリアジェット、ガルフストリーム2000。小中型機専用とされている百里では、珍しくとも何とも無い民間機の一つだった。
 それでも、物好きにカメラを向けていたマニアの一人は、「ミレニアム・ファルコン」の動きがおかしい事に気がついた。一見滑走路へのアプローチに見える動きだが、微妙に方向がずれている。
「・・・!!」
 彼は声にならない叫びをあげた。突然「ミレニアム・ファルコン」は体勢を崩すと、自衛隊の機体が収められたハンガー群に向けて突っ込んで行ったのである。リアジェットの華奢そうな機体がハンガーの横壁に突っ込み、次の瞬間大爆発が起こった。熱い爆風がどっと押し寄せ、マニア達は殴られたように吹き飛ばされた。
 ようやく意識を取り戻したマニアがハンガーの方を見ると、巨大なハンガーの建物は無茶苦茶に破壊され、火の海と化していた。可燃物に引火したのか、時折小爆発が巻き起こる。消防車が狂ったようにハンガーに向けて殺到する様を、彼は余す所無くカメラに収めた。
「大スクープだ。こりゃ高く売れるぞ・・・」
 彼は気がつかなかった。たかがリアジェットの事故が、これほどの大爆発を起こすはずが無いという事に。後に判明するが、この「事故」は首都圏防空の要である百里が軍民共用ということに目をつけた、CIAの破壊工作だったのだ。横須賀・百里壊滅により、首都圏の海空戦力はわずかな時間だがゼロとなった。その混乱が収拾されないうちに、米軍は既に次の一手を打っていた。
 
 
0837時 東京都湾岸新区

「すみません、スカイラウンジへはどう行けば良いんですか?」
 デート中なのだろう二人連れに声をかけられた保科智子三等陸尉はふりむくと、
「さあ、あいにくと知らへんわ」
 と答えた。彼女は関西弁がきつく聞こえるタイプの女性だった。ちょっとムッとしたような顔の相手の女性に対し、フォローをいれたのは長岡志保一等陸士だった。
「ああ、スカイラウンジなら三百メートルほど先の、ヤックの入ったビルの所を左に曲がって行くと、すぐ見えるわよ」
 志保がスラスラと道順を教えると、二人連れは礼を言って立ち去って行った。
「なんやさっきから、道ばっか聞かれるなあ」
 智子が言うと、志保が笑いながら言った。
「だって委員長、それは新しい制服がコンパニオンみたいだから」
 事実だった。この制服が採用されたとき、「警備会社みたいだ」という不評の声が上がり、ある軍事雑誌では賛否両論誌面を真っ二つに分けるほどの大論争を巻き起こしたという、いわく付きの代物で、噂によれば軍装品ショップではかなりの高値がついているらしい。
 智子もそれくらいの事は知っていた。が、ここまで警備会社かコンパニオンに間違われるとは思っていなかったのも事実である。彼女は不機嫌そうに志保を見た。
「そういうあんたは、なんで私服で来たん?」
 智子の視線を受けて、志保はうつむきかげんに答えた。
「だ、だって、あたし今日は非番・・・」
「非番やない。うちらは市街戦訓練候補地の『この島』の下見に来たんや。立派な公務やないの」
「だって〜」
 智子が言うと、志保は拗ねたように口を尖らせた。智子は志保の背負ったリュックの口に挿してある雑誌の表紙を見た。
「今湾岸新区が熱い!噂の名店一挙公開」
「湾岸の楽しみ方、そっと教えます」
 などの文字が踊る「東京ウォーカー」最新号だった。こいつ、「この島」に行くと聞いて、最初から遊ぶことしか考えてへんかったな、と智子は思った。
 
 
――「この島」――東京都の24番目の区である湾岸新区。この島の誕生は24年前にさかのぼる。
 24年前――西暦2001年12月、東京湾海岸部にあった未知の活断層の活動によって引き起こされた大地震。のちに「京浜大震災」と呼ばれたこの災害により、18万を超える人々が死亡、膨大な瓦礫の山が京浜地区に築かれた。
 首都に壊滅的な打撃を受けた日本は、経済的な破局に追い込まれようとしていた。それを救ったのが、当時東京都知事を務めていた現首相、芦原慎太郎だった。彼が発表した災害復興計画、それは震災で発生した膨大な瓦礫を使い、東京湾上に新しい人工島を建設、そこを無関税の経済特区とするというものだった。
 当時、余りにも非現実的と批判されたこの計画は、国が乗り気になった事で急速に現実味を帯びる事となった。政府は災害に対する無策ぶりを隠蔽する為、芦原案に乗ったのである。さらに、運輸省が震災で壊滅した東京港・羽田空港の代替として、人工島に大規模な港湾施設と新空港を併設し、そこをハブ化するという案を提示。震災特需を当てこんだゼネコンが参入すると、反対派は自然保護やもっと即効性、実効性のある災害対策を求めて反対。推進派と反対派の激烈な闘争が始まった。
 震災から3ヶ月後、両派の争いは絶頂に達した。国際的自然環境保護団体を巻き込んだ反対派に対し、推進派は反対派のリーダーとなっていた野党の大物代議士に関する、幾つかの不透明な金銭の流れをリークする事で対抗した。東京地検特捜部に任意出頭を求められた大物代議士は、検察官の合法的な拷問とも言うべき事情聴取に耐え兼ね、地方の遷都推進派との不適切な関係について全てを自白してしまった。
 勝敗は決した。推進派は、反対派のいわば首都を一撃で吹き飛ばしてしまったのである。反対派に逮捕者が相次いだ事、そして復興を遅らせる不毛な議論に国民が飽き飽きしていた事もあり、人工島計画は、沈みかけた日本経済を再び浮上させる期待を担い、「プロジェクト・ライジングサン」の名称で正式な国家プロジェクトとされた。しかし、余りにも国粋的な印象を与えるこの命名は、国民には余り評判が良くなかった。一般的には反対派マスコミが現代版バベルの塔という嫌味を込めて命名した「バビロン・プロジェクト」の方が通りがいい。
 そして、正式着工から20年、計画は拡大の一途をたどり、人工島には当初の予定には無かった為替市場や大学といった施設が追加されていった。面積も拡大し、人口三万を超えるに至った東京湾人工島はかつてのお台場、有明、東雲地区を取り込み、東京都24番目の区「湾岸新区」となったのである。経済特区化された湾岸新区には各国からの投資が流れ込み、日本経済再生の牽引車となって行った。
 そして、この島はかつてお台場が担っていた、若者に大人気のウォーターフロントのプレイスポットという役割も持つようになっていた。この島のその側面しか見えていない志保が遊び気分だったのも無理はない話だったのである。
 
「もうその辺で勘弁してあげてよ、委員長。志保はこの島に詳しいから、きっと頼りになると思うし」
 志保に説教する智子をなだめたのは、神岸あかり一等陸士だった。志保とは幼馴染みで、性格は至って温和。こういう時にはなだめ役に回る事が多い。
「ま、今日の所は神岸さんに免じて許したるわ。これから気い付けや」
 ようやく自由の身になった志保はげっそりとした表情でうなづいた。
「さて・・・」
 智子は他の二人の同行者に目を向けた。一人はあかりの隣で口元に両手をやり、はらはらしたような顔で智子を見ている。別におびえているわけではなく、ただ単にそういう性格なのだろう。
 そして、もう一人は向こうのほうで二人の男に捕まって・・・いや、捕まえていた。
「・・・というわけで、エクストリームは今までの格闘技とは一線を画した・・・」
 智子は演説を続ける彼女の後ろに立つと、制服の首の部分をつかんで引き戻した。
「ナンパされてんのかと思ったら、またいつもの悪いクセやな」
「い、委員長・・・」
 彼女の目には、気配を感じる間もなく後ろを取られた事に対する驚きの表情があった。最も、あの熱中ぶりではどんなドシロウトが相手でも気配をつかめたかどうか。
 彼女――松原葵二等陸士は智子、あかり、志保の3人から一年後輩になる。隊では年少ながら一、二を争う格闘技の達人である。それもそのはず、自衛隊に入るまでの彼女は世界最高峰とも言われる格闘技大会「エクストリーム」に参加した事もある、本物の格闘家だった。
「ほんま、いいかげんにせんと置いてくで」
 智子が言うと、葵は小声ですみません、と言った。ほんま、この格闘技マニアぶりさえなければいい娘やのに、かなわんわ。智子は思った。そのまま行こうとすると、後ろから葵が呼びとめていた男の声がした。
「なんだ、結構可愛い子だと思ったのに、オバさん付きか」
 智子のこめかみがヒクついた。智子は年の割りに落ち着いた性格なので、年上に見られることは良くある。しかし、「オバさん」はいくらなんでも言い過ぎだった。
 ふりむいた智子を見た男達は、一瞬たじろいだ。それほど智子の怒りの表情は凄まじかったのか、一目散に逃げ出す。
「ふン、一般人に暴力振るう訳にはいかんさかい、勘弁しといたる」
 智子はそう言うと連れ達の方に振り向いた。あかりは苦笑し、志保と葵は笑いを必死にかみ殺している。それを見て智子はますます不機嫌な顔つきになったが、最後の一人を見て今度は不審な顔つきになった。彼女は「耳」に手を当て、必死な顔つきで何かを聞き取ろうとしていた。
「どないしたん?マルチ。なんや聞こえるんか?」
 マルチと呼ばれた少女・・・そう、少女と呼ぶしかない外見をした彼女は「耳」にやっていた手を離し、言った。
「ヘリが、たくさん来ますぅ」
「ヘリ?」
 智子の耳には何も聞こえなかった。仕方のないことだ。智子は人間なのだから。だが、マルチ――今年、自衛隊が情報支援任務用の「セリオ」とともに後方支援部隊用に試験導入を開始した来栖川電工製のロボット「HMX―12マルチ」――には、人間以上の感度を持つ複合センサーが、人間の耳の位置に搭載されていた。
 マルチの言葉は嘘ではなかった。五分後、智子を始め人間達もその爆音を耳にした。
「うわあ、凄い・・・」
 志保が上空に向かって持ってきたデジカメのシャッターを切る。百機を超えるヘリが上空を乱舞していた。自衛隊にいてヘリを見なれた五人にも初めて見る大群だった。望遠モードでファインダーを覗いた志保は、その全てに米軍のマークがあるのを見た。
「委員長、これって・・・」
 志保が智子を振りかえったとき、空港に続く道から武装した高機動車が次々に走ってくるのが見えた。それだけではない。空挺戦車らしい長い砲身を備えた車両も何台か混じっていた。
「民間人に告ぐ。抵抗しなければ諸君らの安全は保障する。我々の指示に従え」
 高機動車の一台がスピーカーで呼びかける。停車した車両からは、完全武装の兵士達が続々と降り立ち始めていた。
「委員長、どうしよう?」
 志保が言うと、智子は冷静な口調で
「話し掛けるんやない」
 と言った。
「あんたは私服やから、捕まっても他人のフリをしてるんや。後の事はまかせるさかい」
「そ、そんなあ」
 志保は世にも情けない声で言った。そうしてる間にも、兵士達は周囲の民間人を容赦無く追い立てていった。
 
 
0856時 東京湾国際空港

 湾岸新区に隣接する首都圏第三の国際空港、東京湾国際空港はメガフロートと呼ばれる巨大な浮体構造物で作られた、世界初の本格的な施設だった。その空港は完全閉鎖され、無数の米海兵隊のヘリで埋め尽くされた感があった。上空では「コルセアV」が警戒に当たっている。
「敬礼!」
 掛け声とともに兵士達が捧げ銃を行う中、米第一海兵遠征軍司令ダニエル・マクファーソン少将は「オスプレイ」から降り立った。マッカーサーに傾倒する彼はレイバンのサングラスにコーンパイプと言ういでたちで、海兵隊の中では異端児扱いだったが、その能力は高く評価されていた。
「予定通りに進んでいるか?」
 少将が尋ねると、情報士官は敬礼して応えた。
「ほぼ予定通りです。民間人も抵抗する様子は無く、現在メモリアルパークに収容する作業中です」
「メモリアルパーク?当初の予定では国際展示場を使うのではなかったのか?」
 怪訝そうな顔の少将に、情報士官は国際展示場にいた民間人を尋問することで、既に用意してあった回答を出した。
「イエス。確かにその予定でしたが、国際展示場はイベント中で人が多すぎたため、使用できませんでした」
「イベント?」
「は、なんでも『こみパ』とか言うものだそうでありますが、詳しい事はわかりません」
「うむ・・・まあ、よかろう。で、本土からの反撃は?」
「その兆候はありません。ただ、女性自衛官四名を捕らえ、現在尋問中であります」
 情報士官の回答は、少将をおおむね満足させるものだった。
「よろしい。では完成センターへ案内してくれたまえ。間もなく大統領演説の放映時間だ」
「イエッサー」
 
 捕らえられた智子達、制服組は占領された警視庁湾岸署で尋問を受けていた。テレビからは数分前から開始された米大統領の演説が始まっていた。
「地球社会の総意に基づき、日本の経済的世界征服を阻止する為、以下の事を日本政府に対して要求する。
 第一に自衛隊の武装解除。第二に外国に対する全ての債権の放棄。第三に全ての在外資産を所在する国家へ譲渡する。
 これらを48時間以内に行い、冒険主義的な芦原慎太郎政権は即時総辞職。国連監視の元、民主的な選挙によって新政権を発足させる。
 以上の事が即刻実行に移されない場合、今回占領した東京湾上の人工島から東京に対してありとあらゆる手段を用いた制裁処置を実行する」
 ハル・ノートがガキの遊びに思えるほどの馬鹿馬鹿しい要求やな、と智子は考えた。48時間以内にそないな事ができる訳があらへん。最初っから東京を核攻撃したいだけや。新大統領は湾岸の英雄やったらしいが、こないな阿呆をかつがなあかんほど、今のアメリカはひどいっちゅう事か。ふン。
「話を聞いてるだか、おめえ」
 智子を担当している尋問官がひどいテキサスなまりの英語で言った。人をくったような智子の態度にかなり苛立っているらしい。
「質問に答えるだよ。おめえさ、なんでこの島にいただ?任務はなんだ?」
「休暇よ。自衛隊は米軍と違って民主的な軍なのよ。週末は働かないの」
 智子は嫌味なくらい完璧なキングズ・イングリッシュで答えた。
「沖の揚陸艦には詰問の専門家が待機してるだ」
 尋問官は額に青筋を立てながら言った。
「CIAの人間で、心理分析の専門家だ。ここでしゃべらなかった事を後悔するだぞ」
 智子はなにも答えず、再びテレビに目をやった。大統領の演説はまだ続いている。日本の首相に宛てた個人的なメッセージだった。
 そう言えば、今の第二次日米貿易戦争の争点は、日本が世界シェアにおいて圧倒的優位に立つメイドロボをめぐる紛争やったな。3年前くらいやったか・・・日本製の強みになっとるメイドロボへの人格付与を禁止しようっちゅう条約が提案された事があったな。あれを提案したんが、当時上院議員やった今の大統領、それを蹴ったのが通産大臣やった今の首相。印縁があるいうことか。おまけに、京浜大震災ショックで引き起こされたバブル崩壊から、アメリカはいまだに立ち直れへん。あの大統領はその事まで反日キャンペーンの材料に使いよる。阿呆か。天災のことまで面倒見きれるかいな。何が地球社会の総意や。
ど阿呆が。
 
 数分後、智子は部屋の外へ連れ出された。忙しそうに兵士達が走りまわっている。
「いたか?」
「いや。こっちじゃないらしい」
「もう外に出たんじゃあるまいな」
「まさか」
 誰かを探しているらしい。それも、拘束しておかねばならないタイプの人間だ。
「何をやってるだ?」
 尋問官が訊いた。兵士は敬礼し、民間人の小娘が一人逃げました、と言った。
(小娘。長岡の事やな)
 智子はほくそ笑んだ。うまくやっているらしい。
(たのんだで)
 智子は心の中で呟くと、やはり尋問を終えたあかりや葵、マルチと一緒に地下の駐車場へと向かった。そこには荷台を設けたトラック仕様の高機動車が待機していた。
「艦についたら、貿易センターへ連絡するだよ」
 尋問官が見張りの兵士に言った。
「貿易センターでありますか?サー?」
 兵士が聞き返した。なまりで聞き取りづらいらしい。
「んだ。歴史に立ち会うだよ」
 尋問官がうなずいた。智子はそのやりとりをしっかりと記憶しておいた。うまく行けば、志保が助けに来るだろう。今の情報は、その後で逃げるにも反撃するにも重要な情報になるはずだった。 
 
 
0937時 警視庁湾岸署前

 足元で何人もの兵士が忙しげに自分を探し回っているのを見るのは、結構スリルがあった。やがて兵士達が行ってしまうと、志保はようやく一息ついた。
「あー、息が詰まるかと思っちゃった」
 トイレに行かせてと懇願し、隙を見て逃げるのには成功した。今彼女がいるのは、湾岸署の傍にある10メートルほどの木の梢だった。うまい具合に木の枝が重なって、彼女の姿はほとんど隠されている。しかも、少し首を伸ばせばまわりの様子が良く観察できるだけの葉っぱの隙間もあった。志保はそこからそっとあたりの様子をうかがった。
「お?あれは委員長たち・・・」
 ちょうど、智子達四人を乗せた高機動車が地下駐車場の出口から走り出す所だった。
「連れて行かれちゃう・・・なんとかしなきゃ」
 志保は何か使えるものは無いかどうか、あたりを見渡した。
(あれだ)
 署の建物の勝手口の所に、ピザ屋のデリバリートライクが停めてある。おあつらえむきに、キーが挿しっぱなしになっていた。恐らくライダーは中で警官達と一緒に捕まっているのだろう。
「あ、でもあいつ邪魔だな」
 トライクの横に、兵士が一人立っていた。勝手口の見張りだろう。志保は辺りに人がいないことを確かめ、建物からは見えない角度を選んで木から降りた。そのまま花壇の影に隠れ、匍匐前進。トライクまで5メートルほどの位置まで近づいた。
 さあ、これからが本番だ。
 志保は自分にそう言い聞かせ、リュックから「東京ウォーカー」を抜き出すと、固く丸めた。こんなものでも、急所に叩きこめば充分人を無力化できる。丸め終わると、彼女はそっと立ちあがった。見張りはドアに気を取られていて、こっちに気づいた様子は無い。「!」
 勝負は一瞬だった。見張りには自分に何が起きたのかすらわからなかったに違いない。延髄に丸めた雑誌を突き込まれた兵士は、壁にもたれかかるようにして倒れた。
「よしよし。志保ちゃんえらい」
 独り言を言う余裕も出た志保は、見張りの装備を点検した。アサルトライフルと拳銃、これは当然頂く。レーションは・・・不味いから要らない。そして・・・
 良いもん持ってるじゃない。
 発煙手榴弾が一発あった。これは使える。志保はベルトポーチに発煙弾を放りこんだ。ライフルはストックを折ってトライクのトランクへ。拳銃はベルトに挿す。気絶したままの見張りに猿ぐつわをかまして縛り上げ、植え込みに放りこんで、奪ったヘルメットをかぶる。ちょっとサイズが大きいがこれはまあ仕方がない。これで準備完了。幸いトライクは電気仕様なので音はほとんどしない。誰にも気づかれず志保は湾岸署を後にした。
 
 その頃、智子、あかり、葵、マルチの四人を乗せた高機動車は空港へ向かっていた。
「委員長、わたし達どこへつれて行かれるんですか?」
 あかりが智子に聞いた。
「沖の揚陸艦やて」
 智子が答えると、さっきの尋問官がライフルを向けて怒鳴った。
「黙れ、喋るな!」
 あんさんこそ喋らんといて欲しいわ。耳が痛くなるさかい。
 智子は心の中で言った。
「わたし達どうなっちゃうんでしょう。まさか・・・大勢の男達の相手をさせられるとか・・・」
 葵が珍しくボケた事を言った。
「あ、葵ちゃん・・・結構大胆な事を言うのね・・・」
 あかりが言うと、葵は赤面して慌てたように小声で言った。
「やだ、違いますよ・・・格闘技の事ですってば・・・」
 そこへマルチが言った。
「あのぉ、相手って言うとお茶とかお話の事ですか?」
 あかりと葵は同時に半分コケそうになった。
「あはは・・・マルチちゃんは知らなくていいのよ」
「そ、そうそう。大人になれば自然とわかる事だからね」
 なるかい阿呆。まったくこいつらときたら・・・智子は天を仰いだ。まあ、緊張でなにも言えなくなるよりはましやな。そう思いながら見上げた空には、巨大なブーメランのような物体があった。ステルス爆撃機B−2「スピリット」。
「俺達が行く前に、東京を更地にしちまえ!」
 運転手が怒鳴っていた。あんな骨董品で東京を攻撃する言うんか。舐められたモンやな。そのまま頭を元に戻そうとして、智子は気づいた。一瞬だがサイドミラーに何かが映っていた。あれは・・・
 
 志保はようやく委員長達の乗った高機動車に追い付こうとしていた。 
「はあーい。お・ま・た」
 志保は呟くと、アクセルグリップを目いっぱい回した。トライクがぐんと加速して一気に高機動車の横に並ぶ。虚を突かれた荷台の見張りは、反応が一瞬遅れた。彼が警告の声を発する前に、志保は発煙弾のピンを歯で抜いた。
「毎度ご注文有難うございます。志保ちゃんブランドの発煙弾デリバリー、今後ともごひいきに!」
 訳のわからないことを言いつつ、志保は運転室に発煙弾を放りこんだ。
「&%$#*@!?」
 運転手が声にならない叫びをあげた。助手席の兵士が慌てて拾おうとした瞬間、発煙弾は猛烈な白煙を噴き出した。一瞬で視界を奪われた高機動車が大きく蛇行する。見張りはその時ライフルを志保のトライクに向けていたが、体勢を崩してよろめいた。
「はあっ!」
 すかさず葵が立ちあがり、鋭い回し蹴りを見張りの側頭部に叩きこんだ。見張りはもんどりうって荷台から転げ落ちて行く。
「Shit!!」
 あのテキサス男の尋問官は罵声を発しながら拳銃を抜いたが、智子の体当たりを食らって荷台に後頭部を強打し、のびてしまった。が、彼女達の危機はこれからだった。
「ぶ、ぶつかりますぅっ!」
 マルチの叫びで、後の3人は一斉に前を見た。街路樹のシュロの木が目前に迫っていた。「きゃああああっっっ!?」
 あかりが悲鳴を上げる。
「もう駄目!」
 葵がうずくまった。
「どないせえっちゅうねん」
 智子が呟いた。
 だが、幸運の女神は彼女達を見放さなかった。発煙弾の効果が薄れ、一瞬視界が回復した所で運転手が急ブレーキを踏んだのである。木にぶつかったとき、時速は9キロまで落ちていた。荷台の女性陣は折り重なって倒れるだけで済んだ。が、シートベルトをしていなかった運転手はしこたまハンドルに頭をぶつけ、気絶した。
 
「先輩!私達を殺す気ですか!?」
「もう、志保はいっつもこうなんだから・・・」
「やり方が乱暴過ぎですぅ」
 葵、あかり、マルチが口々に言う。
(なによお。せっかく助けてあげたのに、アッタマくんな)
 志保は反省のかけらも見せない態度で思った。
「さて・・・足は手に入った事だし、逃げましょうか、委員長?」
 あかりが言った。智子は高機動車が使えるかどうか確かめていたが、幸いほとんど壊れていなかった。
「逃げたりせえへん。ええか、これからうちのいう通りにするんや」
 智子はライフルを手にして言った。
 数分後、4人のアメリカ兵はシュロの木にみぐるみ剥がれて縛り付けられていた。智子、あかり、葵、マルチの四人が米兵の戦闘服に着替え、志保はそのまま。捕虜役と言うわけだ。
「さ、乗って乗って」
 あかりが運転席から声をかけた。助手席に智子が乗りこみ、志保、葵、マルチは荷台へ。意外なようだが、このメンバーで免許を持っているのはあかりと志保だけだった。
「で、委員長。どこへ行くの?」
 ハンドルを握ってあかりは訊いた。
「貿易センターや。あそこの地下は緊急防災センターになってん」
「そこで何をするの?」
「あの尋問官はそこで歴史に立ち会うとか言うとった。多分そこが指揮所なんや。あそこに行ったら、B−2を止められるかも知れへん」
「了解」
 あかりはアクセルを踏み込んだ。左ハンドルなので、ちょっと運転しづらい。高機動車は来た方向へと引き返した。荷台の上ではマルチが縛られた米兵に向かって
「すみませぇん。ごめんなさぁい」
 としきりに謝っていた。
 
         
0958時 新東京貿易センタービル

 新東京貿易センタービルは湾岸新区、ひいては日本で最も高い超高層ビルで、地上90階、高さは四百メートル近い。京浜大震災で半壊し、取り壊された旧貿易センタービルの後を受けて建設され、この島におけるビジネスの中心地となっている建物だ。
 その地下五十メートルの総合防災センターは、関東一円の情報を迅速に収集し、正面の大液晶画面に表示する機能がある。その中には呆れた事に自衛隊の行動状況まで含まれていた。災害時に政府の防災対策本部が置かれ、自衛隊をも統一指揮する機能を持った部屋なのだから、当然と言えば当然の機能だが、余りにも無防備だとマクファーソン少将は思った。
 画面にはこれに加え、上空の友軍AWACS(早期警戒管制機)からの情報もリンクされるようになっている。AWACSが搭載する大型レーダーからの情報によって、5つほどの光点が湾岸新区を中心として旋回を続けているのが見えていた。
「B−2、および護衛のコルセアV部隊、待機空域にて旋回開始。自衛隊側にこれを攻撃しようと言う動きはありません」
 情報士官が報告した。マクファーソンはうなずくと、副官に
「コードブックを出せ」
 と命じた。コードブックは様々な命令を符号化して掲載したもので、毎日違うものと更新される。ブックとは言っても伝統的な呼び方で、実際には一枚のMOディスクだった。マクファーソンは目の前のコンピュータにMOをセットし、今回の作戦に関わるコードを抜き出して表示させた。
「自衛隊側に少しでも反撃の兆候が見えたら、直ちに報告しろ」
 マクファーソンはそう命じながら、マウスを操って一つのコードにカーソルを合わせた。そのコードが発信されると、B−2は直ちに中性子弾頭のついた「フランチェスカ」を東京に向けて発射する。
「東京を第三のヒロシマ・ナガサキにしたくなければ、奴らは何もしないだろうがね。だが、もしも反撃の兆候があれば躊躇はしない。直ちに攻撃する」
 大統領はこの作戦で米兵の死者が出る事だけは絶対に避けろと厳命している。これを忠実に守るには、核兵器を躊躇無く使用することしかないとマクファーソンは考えていた。所詮彼もアメリカ人であり、核兵器の恐ろしさを真剣に考えてなどいないのだ。
 彼には自信があった。この体勢で絶対に米軍が負けるはずが無い。
 その自信を突き崩す存在は、もう彼の頭上50メートルほどの所まで迫っていた。
 
「サンディ・ヤマガタ曹長。捕虜を移送してきました」
 日系の女性下士官が車の助手席から身分証明書を出して告げた。検問衛兵は身分証明書をさっと見て、それから荷台に目をやった。一般人の服装をした女性に、小柄な女性兵士が二人銃を突きつけている。
「捕虜の移送?聞いていないがな」
 衛兵は言った。運転手にも目をやる。やはり女性。
「そうですか。連絡に不行き届きがあったのかもしれませんね。揚陸艦のアンディ・マグトゥ大尉に問い合わせてください」
 ヤマガタ曹長は淀みの無い口調で言った。衛兵の隊長である少尉は彼女に好感を抱いた。ちょっと冷たそうだが、かなりの美人だ。彼女だけでなく、部下らしい3人の女性兵士もなかなかの美人ぞろいである。
「ま、問い合わせるまでも無いだろう。それよりそのレディは何をやらかしたんだい?」
「休暇中ですが、自衛官だそうです。詳しい事はわかりませんが」
「ふーん。・・・ああ、御苦労。これが君たちの通行許可証だ。行って良し」
 
「あんなスピード写真とごまかしの身分証明書で、良く通れたよね、委員長」
 運転席の女性兵士・・・あかりが言った。
「委員長やない。サンディ・ヤマガタ曹長や・・・ま、あの隊長がだらしない奴で助かったわ」
 智子は笑った。あの尋問官・・・アンディ・マグトゥ大尉の名前をちょっと書き換えてサンディ・ヤマガタに直し、写真はスピード写真。普通なら一発でばれるシロモノだ。米軍は緒戦の成功に完全に油断しきっている。問い合わせろと言ったのはかなりの賭けだったが、堂々としていると案外ばれないものだ。
「 ええか、これからが本番や。手はず通りにな」
『はぁい』
 智子の命令に四人が唱和する。智子と葵は司令部へ。あかりはセンターの放送室へ。志保とマルチは地下の動力施設へ。3組に分かれた女性自衛官達の反撃が始まった。
 
「マルチちゃん、こっちこっち」
 志保が手招きする。
「この服、だぶだぶで歩きづらいですぅ」
 マルチが言った。耳を隠すためにヘルメットもかなり大きめなものを使っているので、見た目にはぜんぜん似合ってないミリタリー系のコスプレ少女にしか見えない。
 二人は動力施設の前までやってきた。見張りなどは置かれていない。
「無用心だなあ。あたしら舐められてるんじゃないかしら」
 志保が呆れたように言った。コミケのせいで、大幅に民間人に対する警備を増やしたのがあだになり、ここまで手が回らなかったのが実情だが、志保たちはもちろんそんな事は知らない。
「ま、その方が都合が良いけどさ・・・そろそろあかりが着く頃ね。いそいでやっちゃうわよ」
「はいですぅ」
 
 あかりは3階の放送室へやってきた。放送室と言っても、ここでFMラジオの収録をやるくらいだから、本格的な施設が揃っている。中では陽気な音楽に合わせてラッパーのような恰好の兵士が踊っていた。一応見張りだろうが、サボっているらしい。あかりはドアを開けた。さすがに気づいた兵士が、あかりのほうを向いて言った。
「よう、キレイな姉ちゃん。なんか用かい?」
「ちょっとリクエストをお願いしたいの」
 言いながらあかりは腕時計に目をやった。予定の時刻だ。次の瞬間、ビル全域に警報が鳴り響いた。ラッパーな兵士が一瞬気を取られた隙に、あかりは素早くホルスターから拳銃を抜き、兵士の頭に振り下ろした。
 
「つ、冷たいですぅ!」
 マルチが悲鳴を上げる。スプリンクラーが作動してあたりはスコールのような有様だった。
「うまくいったわね。さ、委員長達と合流するよ!」
 志保が言った。さっきの警報は彼女達が火災感知機にライターを近づけたためのものだった。降り注ぐ水の中、二人は動力室の出口に走った。
 
「ごめんなさいね」
 あかりは床に伸びた兵士に言うと、音楽を止めてアナウンス施設のスイッチを入れた。
「地下でガス漏出発生。地下でガス漏出発生。 全員現在の作業を中止。屋外へ退去せよ。繰り返す・・・」
 
「一体何事だ!敵の奇襲か!?」
 緊急の為、非常回線を残して電源の切れた司令室内でマクファーソン少将は怒鳴った。
「地下3階の動力室で火災発生と表示されていますが・・・」
 オペレーターの一人が言った。
「アナウンスはガス漏出だと言ってるぞ。一体どうなってるんだ」
 情報が錯綜し、司令部はちょっとした混乱状態だった。
「くそ、こいつは敵の破壊工作だぞ。B−2への回線を開け!攻撃命令だ」
 マクファーソンが言うと、通信士官が情けない顔で言った。
「そ、それが退去命令の確認を求める通信で回線が・・・」
「馬鹿者!なぜ専用回線にしておかなかった!すぐに命令を取り消せ!」
 マクファーソンが怒鳴り散らすと、背後からやけに冷静な女性の声がした。
「では、正式な退去命令を出していただきます」
「なんだと、貴様・・・」
 振りかえったマクファーソンの眉間に、銃口が突きつけられた。
「閣下、貴方は捕虜です」
 智子だった。薄暗い部屋の中で、わずかな照明に照らされた彼女の顔を、魔女のようだとマクファーソンは思った。部屋の中が一瞬沈黙した。
 我に返った将校の一人が銃を取り出そうとした瞬間、背後でライフルの一連射が起こった。
「手を上げて!」
 反対側の壁に葵がライフルを構えて立っていた。他の兵士達は、警報が鳴った瞬間のわずかな隙を突かれ、既に彼女に蹴り倒されている。残った司令部のメンバーにはどうしようもなかった。  
 
 
1037時 新東京貿易センタービル

「各部署、退去を確認。出入口を閉鎖します。エレベーターも一基を残し、全て閉鎖」
 合流したあかりがコンピュータを操作し、新東京貿易センタービルは完全閉鎖状態となった。このビルは災害発生時にも機能を保てるように、最新の技術がふんだんに投入され、恐ろしく頑丈な作りでもある。これならそう簡単には突破されないはずだった。
「何をしても無駄だ。このビルは完全に包囲されている。外の連中も今ごろは反撃の準備をしているはずだ。おとなしく降伏したまえ」
 マクファーソン少将はつとめて落ち着いた声で言った。捕虜の身とは言え、そう簡単にプライドを捨てるわけにもいかない。
 智子はそうした雑音を無視し、なんとかB−2の東京攻撃を阻止できるものはないかと考えていた。一つ希望があったのは、B−2が無人機改造されているという事だった。犠牲を出したくない米軍は、万が一の際、最優先攻撃目標となるこの機に人を乗せる事を嫌ったのである。人が乗っていないなら、ごまかす手段はいくらでもあるはずだった。智子はこのビルのスーパーコンピュータをフルに使い、B−2対策に乗り出すことにした。
「しばらく時間がかかりそうやな。長岡さん、一階に行って見張りに立ってくれへんか。マルチも連れて行って良いさかい」
「いいの?委員長。マルチちゃんはここに残してコンピュータのバックアップをさせたほうが・・・」
 マルチは高度な情操機能を備えているが、それはスパコン並みの超高性能内臓コンピュータによるものだった。彼女が支援すれば、コンピュータを使うのはそうとう楽になるはずだった。
「ええわ。この際マルチはセンサーとして使うほうが役立つやろ。こっちは数が少ないから、どこもかしこも見張る言うわけにはいかへん」
「了解。いくよ、マルチちゃん」
「はわわ、了解ですぅ」
 志保とマルチはそれぞれアサルトライフルと手榴弾を持って1階へと向かった。あかりは智子のサポート、葵はマクファーソンの見張り役だ。
 そして、外では貿易センタービル攻防戦の第二幕が開演しようとしていた。
 
 空港から数台の装甲車が走ってくると、芝生に乗り上げて停車し、そこからアーマーベストを着込んだ精悍そうな一団が降り立った。
 合衆国陸軍が、この作戦に投入した特殊部隊、いわゆるデルタフォースであった。
 海軍・海兵隊が主体となって行われる東京湾人工島占領作戦――パシフィック・ストーム作戦の名で一応呼ばれている――だったが、陸・空軍も発言力を得る為にいくらかの戦力を差し出していた。空軍は今上空を飛んでいるAWACSとB−2、及びその護衛機。そして、陸軍がこのデルタフォースである。
「隊長より訓示がある。傾注!」
 副長を務める中尉が号令をかける。デルタフォースの隊員達は直立不動で隊長が装甲車から降り立つのを待った。
「楽にしていい」
 隊長が言った。涼やかで、それでいて明るいソプラノ・ヴォイス。長いストレートの金髪をポニーテールに結っている。隊長は女性だった。レミィ・クリストファー・ヘレン・ミヤウチ大尉。外見は白人のそれだが、ミヤウチの姓の通り日系人である。高校時代までを日本で過ごし、日本語に堪能で日本人の考え方に通じた、デルタきっての日本通という事で、今回の派遣部隊隊長に抜擢された。
 抜擢された理由はそれだけではない。普段は明るく、影と言うものを感じさせない彼女だったが、戦場にいるときのレミィは恐ろしいほどの冷酷さと野獣の凶暴性を兼ね備え、その戦いぶりから、「狩猟者」の異名を取る正真正銘の戦士だった。
 レミィは装甲車のランプの上段に立ち、指揮を取るとき、意識して使う乱暴な言葉遣いで言った。 
「野郎ども!日本人はお前たちが考えているほど甘い連中じゃない。奴らがどれほど恐ろしいか、それは半分日本人のあたしにしごかれている貴様達なら、良く知っているはずだ!」
 隊員達が爆笑した。
「静かに!これより作戦を確認する。人質がいるので重火器の使用はできない。玄関を強行突破し、ビルの上階から侵攻したメンバーとロビーで合流、地下に突入して制圧する。各自侵入ルートは頭に叩き込んでおけ。なにか質問は?」  
レミィが隊員達を見まわすと、一人の兵士が質問した。
「相手はどんな連中ですか?規模は?」
「恐らく2〜3個小隊。我々と同じ特殊部隊だ。噂に名高い『サイレント・コア』かもしれん」
 レミィは言った。「サイレント・コア」は自衛隊の第一空挺団内にあると噂される特殊部隊で、その規模や装備は謎に包まれている。その名を聞いて、隊員達の間に緊張が走った。
「どちらにしろ、驚くべき見事な手際で奪回作戦をやってのけた。極めて優秀な連中だ。心してかかれ」
 そこでレミィはガラリと口調を変え、いつもの喋り方で言った。
「いい、海兵隊のマッチョどもが引っ掻き回すまえにスマートに決着をつけるワヨ。OK?」
「OK!グレート・デルタフォース、レッツゴー!」
 隊長の茶目っ気に応え、隊員達が唱和した。常に生きて帰れる可能性が少ない作戦に従事する彼らは、出撃前に必ずウォー・クライを叫んで士気を高める。レミィは満足げに微笑んだ。
「OKボーイズ!レッツゴー!」
 アメリカの反撃が始まった。
 
(B−2への作戦指示内容・・・)
 智子は見事な手際でコードブックのプロテクトを突破し、命令内容へとたどり着いた。(単一統合作戦計画NO16、太平洋地域における核攻撃オプション・・・これやな。なんやこれは。ソ連軍占領下の東京が目標?冷戦時代のコードをそのまま使っとるんかいな。現状は・・・待機)
 智子はコードブックのほかの命令を検索してみた。モノによってはアメリカとの取引に使えるかもしれない。
(これや。太平洋地域緊急作戦オプションNO22。これやったらワシントンの連中かてびびるはずや)
 智子が再びキーボードを叩き始めた時、通信機から切迫した様子の志保の声が飛び込んできた。
「委員長、大変!」
「なんや、どないしたん」
 智子は通信機を手に取った。
「煙幕よ!外がぜんぜん見えない!」
「ははん、連中いよいよしかけてくる気やな」
 智子の声に、通信機の向こうで志保が息を飲む気配がした。
「委員長、あたし達もそっちへ行っていい?」
「あかん。弱気になったら負けや。何とかそこで時間を稼ぐんや」
 そこまで言った時、妙な地響きのような音が聞こえてきた。一体何の音や?
 
 米軍の反撃、その矢面に立たされた志保にとって、状況は深刻なものだった。地震や台風には余裕で耐え、防弾ガラス並みの強度を誇る正面玄関を、何か巨大なものが易々と突破してきたのだ。
「装甲ドーザー!」
 志保は叫ぶと、米軍が遺棄して行った重機関銃の引き金をひいた。重い発射音と共に火線が吹き伸び、装甲ドーザーの側面に火花を散らす。だが、鋼鉄の怪物はそんなもので倒せる相手ではなかった。
「へへへ、そこにいたのかい」
 そう言いたげに装甲ドーザーは志保のいる即席の陣地へ向き直ると、ブレードを立てて突進して来た。
「はわわ、駄目ですぅ〜」
 マルチが叫んだ。手榴弾を使う余裕もありそうにない。
「マルチちゃん、逃げるよ!」
 志保はマルチの袖口をつかむと、脱兎の勢いで飛び出した。その直後、装甲ドーザーは二人がいた陣地を易々と押しつぶした。
「志保さん、上から来ますぅ!」
 マルチがセンサーの情報をキャッチし、叫ぶ。志保は上を見て舌打ちした。装甲ドーザーは陽動だ。本命は今上から降ってくる敵兵達。十数階上まで吹き抜けになっているホールにロープを垂らし、続々と降下してくる。とても支えきれる数じゃない。それでも志保は手にした銃を放った。2、3人の敵兵がもんどりうって転げ落ちる。
 だが、敵が出てきたのはそこだけではなかった。通風孔の蓋が蹴破られ、ドーザーが突き破った場所からも続々と敵が侵入してくる。二人は四方八方からの銃火にさらされる羽目になった。
「コンチクショウ!」
 志保は射ちまくった。マルチは・・・予想していた事だが、こうなってしまうとまったく戦力にならない。だが、エレベーターはなんとか確保しようと頑張っている。自衛隊仕様だけあって、多少の被弾にはびくともしていないが、時々「きゃうっ」だの「痛いですう〜」だのと言った可愛らしい悲鳴が聞こえてくる。
 その様子は、通信機を通じて地下指揮所にも届いていた。あかりと葵が落ち着かない様子で智子を見ていたが、智子はそれに関知せず、目前の作業に全力を傾けていた。やがていったん作業を終えた彼女は、コンピュータを待機モードにした。
「どうやら反撃が始まったようだな。君らに勝ち目はない。降伏したらどうかね?」
 マクファーソンはニヤニヤと笑いながら言った。
「その気はありません」
 智子は再び完璧なキングズ・イングリッシュで答えた。
「そちらの代表とお話がしたいので、回線を教えていただけますか?」
「代表だと?」 
 一瞬いぶかしげな表情になったマクファーソンだったが、「代表」の意味する所を悟り、初めて狼狽したような声を出した。
「ま、まさか・・・?」
「ええ、そのまさかです」
  
 
1147時 新東京貿易センタービル

 1階では志保とマルチの苦闘が続いていた。相手はアーマーベストを着ているので、志保の銃撃は通用しない。当てればショックで短時間なら行動能力を奪えるが、そこまでである。
「これってすっごい不公平よね」
 志保はぼやきながら引き金をひきつづけたが、弾が出なくなってしまった。
「ちぇっ、弾切れだぁ!」
 志保は思いきり良くライフルを投げ捨てた。もうこれは役に立たない。
「志保さあん、こっちですぅ!」
 マルチがエレベーターの前で頑張っていた。彼女はめったやたらと弾をばら撒く事で、敵の接近だけは阻止していた。体が小さく体重が軽いので、銃に使われているように見えるが、かえってそれが幸いしていた。不規則に弾が飛んでくるため、危なくて近寄れないのだ。
「マルチちゃん、五秒だけ撃つのやめ!」
 志保はそう叫ぶと、返事も聞かずにエレベーターに向かって駆け出した。遮蔽物の陰から飛び出した志保に、無数の火線が飛来した。彼女の今までの一生の中で、最も懸命に走った瞬間だった。そのかいあって、奇跡的にも一発の弾も受けることなく彼女はエレベーターの中に飛び込んだ。マルチがすかさず「閉」のボタンを押す。扉がじれったいほどゆっくりしまり、下降を始めた。
「こ、恐かったですぅ〜」
 マルチは半べそで言った。しゃくりあげるたびに彼女の体のあちこちから、先の潰れた弾丸が床に転げ落ちる。防弾加工のされた彼女の人工皮膚を貫通できなかったものだった。
「はあ、もうヘトヘト」
 志保はぜえはあ言いながら床に座り込みかけた。
 だが、安心するには早かった。突然エレベーターががくんと揺れた。
「・・・上に人がいますっ!」
「ええっ!?」
 次の瞬間天井が叩き壊された。志保は慌てて停止ボタンを押した。エレベーターが止まり、扉が開く。その時には天井の点検口から敵兵の姿が見えていた。志保は天井に向けて立て続けに拳銃の引き金をひいた。
「急いで!」
「はいですぅっ!」
 マルチが飛び出したのを見届け、志保は自分も外に出ながらエレベーターの中に数個の手榴弾を転がした。
「&%$#○▽§※!?」
 敵兵の悲鳴にも動じない。飛び出しざまにエレベーターの「閉」ボタンを叩く。廊下に飛び出して柱の影に隠れた瞬間、爆発音と共に扉が吹っ飛んだ。
「ふふんだ、ざまみやがれ」
 志保が鼻で笑ったとき、違う爆発音が立て続けに階段の方から響いてきた。
「扉を爆破した!?」
 驚く志保。見境なしの力技。レミィが「マッチョ」と揶揄した海兵隊の攻撃が開始された瞬間だった。
 
「要求を繰り返します。戦闘の中止と湾岸新区からの撤退、これを即刻TVで全世界に向けて放映してください」
 智子は電話の向こうの人物に言った。
「君達は要求を出せる立場に無いはずだ。即刻降伏したまえ。寛大な扱いを約束しよう」
 智子はその言葉は聞き飽きていた。思わず鼻で笑いそうになるのをこらえる。
「支えきれない場合には、ここの機器を破壊します。私達は最後まで戦いますよ、ミスター・プレジデント」
「・・・勇敢なお嬢さんだ」
 米側の「代表」アメリカ大統領との直通電話は切れた。オバサンと言われたり、お嬢さんと呼ばれたり、ほんま忙しい日やわ。
「さて、こちらも切り札をだそかいな」
 智子はコンピュータを再起動させ、呼び出した幾つかのプログラムを次々に実行させて行った。
 
 
1203時 東京都千代田区 首相官邸

「このメールの出所は信用できるのだろうね?」
 日本国首相、芦原慎太郎は言った。彼の執務机の上のパソコンにはついさっき届いたばかりの電子メールが表示されていた。
「確かです、首相」
 答えたのは、長瀬源四郎統幕議長だった。厳しい中にもどことなくとぼけた印象を抱かせる人物だ。
「保科智子三尉は将来自衛隊を背負って立つ人材であると私は見ております。この危機の中で、彼女が湾岸新区へ行っていたのは不幸中の幸いというべき事であります」
「わかった。信頼して良いのだな」
 芦原首相は言った。ようやくあの男――天敵とも言うべき米大統領に一泡吹かせられる。
「自衛隊の最高指揮官として命じる。湾岸新区の敵軍を全力を持って排除せよ」
「了解」
 米軍の奇襲による開戦から五時間、日本側もようやく本格的な反撃を開始しようとしていた。
 
 
同時刻 新東京貿易センタービル

 戦場と化したビルの地下では、相変わらず志保・マルチと米軍の戦い・・・もとい、おいかけっこが続いていた。複雑に閉められた防火扉によって迷路化した階層を、マルチのナビシステムに記憶させた情報を元に、二人は走りつづけた。一方の米軍は地理不案内の為に彼女達に追いつけない。
 だが、扉をバズーカなどの重火器で容赦なく撃ちぬく海兵隊は順調に進んでいた。
「こ、これだからマッチョはイヤなのヨ・・・」
 レミィは呆れたように地下階層の惨状を見て呟いた。そうしている間にも、続々と海兵隊員が降りてくる。
 そして、地上では瓦礫を集めて作った小山の上で、数人の海兵隊員が用意してきた星条旗を立てようとしていた。もっとも、これは、
「バカモン!そんなのは後回しだ!戦闘は地下だぞ!」
 という隊長の怒声によってやめさせられたが・・・
 
 戦闘が迫ってきている事を悟り、智子はあかりと葵に迎撃を命じた。彼女自身の作業はまだ終わっていない。マクファーソンに左手で銃を向けつつ、右手はキーボードを叩いていた。
 あかりと葵が最後の抵抗線に想定していた対爆ドアと、そこへ通じるただ一本の通路の所で待っていると、マルチがパタパタと走ってきた。
「マルチちゃん!志保は?状況は!?」
 あかりが声をかけると、マルチはもつれた声であたふたと喋った。 
「あ、あのですねえ〜、敵兵さんがいっぱい来たんで逃げようって言う事でですね、志保さんが手榴弾で足止めで、向こうの人たちがドアを壊してこっちの方へ・・・」
「マルチちゃん・・・何言ってるのかわからないよ・・・」
 葵が言った。その時に、立て続けの爆発音が響いた。志保が残りの手榴弾を使って最後の足止めにかかったのだ。直後に走って来た志保は、顔や服のあちこちに煤をつけていた。
「志保、大丈夫!?」
 あかりが叫んだ。志保はパタパタと手を振って言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよぉ。今のでしばらくは向こうもこれないと思うよ」
 にかっと笑っていった志保だったが、
「でも、もう限界だわね」
 と呟いた。手榴弾は使い果たし、一人一丁づつのライフルと拳銃にマガジンが二つづつ。これで敵の攻勢は支えきれない。いいとこ後五分ぐらいだと志保は見当をつけた。
 彼女は知らなかった。智子の「切り札」が動き出すまで、それだけあれば十分過ぎるほどの時間だったことを。
 
 
1232時 東京湾上空5000メートル

 上空を飛行しつづけるB−2爆撃機がそれを受信したのは、この日何十回目かの旋回の後だった。受信したコンピュータ――この機に人間のパイロットはいない――は直ちにその内容を調べ、それが攻撃開始の命令である事を確かめた。メモリに記憶された情報とコードを照合し、攻撃目標を調べると、そこがここから攻撃可能かどうかを計算した。
――攻撃不能――
 コンピュータは直ちに目標を攻撃するために必要な地点までの最適なコースを計算した。それが終わると、機体を制御して新しいコースへとのせていく。
 いまや、「彼」は騎士の如く目標への突進を開始しようとしていた。従者を務める「彼」より小さな者達が慌ててついてくる。だが、その動きは「彼」の眼中には無かった。
 
「彼」の足元では、「彼」に命令を送った者達の最後の抵抗が行われていた。対爆ドアの抵抗線は、海兵隊の攻撃によって突破されていた。幸い容赦なく重火器で攻撃される前に逃げ出したので、四人の中で傷を負った者はいない。攻撃の為にまたも非常電源以外は落ちてしまい、暗がりの中で最後の戦闘が続いていた。葵は銃を捨て、近寄ってきた兵士に必殺のハイキックを叩き込む。あかり、志保はわずかに残ったライフル弾を一発一発使っていた。智子も戦っていた。まだ最後の仕上げが残っている。拳銃で敵兵の方へ向けて威嚇射撃を加える。マルチは逃げ惑っていた。
「STOP,FIRE!」
 女性の声がした。聞き覚えのある声だと日本側の五人が思ったとき、一瞬銃火がやみ、閃光と轟音があたりを満たした。
(制圧手榴弾!)
 そう思ったときには、衝撃で意識が薄れつつあった。だが、コンソールに倒れこみながら智子は最後のプログラムの送信キーを押していた。
 
「彼」の頭脳に、また新たな送信が飛び込んできた。その通信に添付されていたファイルを開くと、今後一切他の命令に従わなくても良い、ということが書かれてあった。
「彼」は自由を手にしたのだ。だが、「彼」にはその意味を知る能力は無かった。その後、何度も「彼」には新たな通信が飛び込んだ。それには元の空域に戻れという命令が書かれてあったが、「彼」はそれを無視して飛びつづけた。
 
 
1301時 遠州灘上空

 蒼穹を4機の戦闘機が駆け抜けて行く。浜松基地から発進した、国産最新鋭のステルス超音速巡航戦闘機、菱川F−24。正式名称は二十四式戦闘機「北斗」である。編隊を率いる一尉はレーダーに機影を捉えたのを見て口笛を吹いた。最新のレーダーは1世代前のステルス機くらいなら見つけられるって聞いてたけど、本当なんだな。
「こちらベア・リード。お嬢さんに出会った」
 編隊長――藤田浩之航空自衛隊一尉は基地に向かって報告した。衛星を介したレーザー通信で、敵に傍受される心配はない。にもかかわらず、コールサインを使って呼び合うと言うのはなんとなく間抜けだなと浩之は笑った。
「こちらフォレスト。お嬢さんがすたこら逃げちまう前に、おまけを片付けてくれ」
「了解」
 浩之はトリガーに指をかけた。アメリカが強気に出ているのに攻撃をかけられるのも、人工島で頑張っている彼の愛する美少女たち――いや、今はもう美女か――のおかげだった。委員長がくれたメールが届かなかったら、彼はまだ地上で待機していたかもしれない。委員長だけじゃない。幼馴染みも、後輩も、本職以外で頑張るメイドロボも。彼女達を助けてやる為にも、こいつは失敗が利かない。
「こちらリード。コンバット・オープン!ぶっ叩け!」
 浩之は叫び、トリガーをひいた。機体がわずかに浮き上がり、二発の22式空対空ミサイルが飛び出して行く。僚機も彼に続く。8発のミサイルは空の彼方の「お嬢さん」――B−2の護衛機に向けて飛び去って行った。
 
 自衛隊から「おまけ」と呼ばれていた存在――B−2護衛の4機の「コルセアV」にとって、破局は突然だった。最初に4番機が粉砕されてからわずか二秒のうちに4機全てが撃墜されていた。彼らを襲った22式ミサイルは大きさこそふたまわり以上小さいが、外見は米軍の「フランチェスカ」に良く似た超音速ステルスミサイルだった。最高速度はマッハ六に達する。それを探知する能力は彼らには与えられていなかったのである。
 護衛を片付けた浩之達ベア編隊は、入れ替わるようにB−2の周りに着いた。
「こちらベア・リード。おまけは退場した。お嬢さんが逃げる様子はない。お礼に歌を歌ってくれる素振りはないけどね」
「フォレスト了解。そのままエスコートしてやれ」
「了解」
 ベア編隊はピタリとB−2にくっついていた。後はお嬢さんが目的を果たすまで見守るだけ。
「みんな・・・大丈夫だよな」
 浩之は呟いた。彼には湾岸新区の五人を助ける力はない。切り札を握った以上彼女達が捕まっていたとしても、解放されるのはすぐだが。
 浩之は気を引き締めた。今は任務が大事だ。 
 

同時刻 新東京貿易センタービル

 智子、あかり、志保、葵、マルチの五人は無数の銃口を向けられていた。彼女達は遂に制圧されたのだった。幸い怪我人はいない。まともに制圧手榴弾の閃光を見てしまったあかりが、わずかに目の痛みを訴えるくらいだった。
「マサカ委員長が指揮をとっていたとはネ。ドーリで手際がいいと思ったワ」
 レミィが高校時代と変わらぬ口調で言った。彼女だけは五人に銃を向けていなかった。
「ウチこそ、レミィがいるとは思わへんかったわ」
智子が答えた。
「ミンナ元気そーネ。また会えて嬉しいヨ。・・・こんな状況でなかったら」
レミィはしんみりとした口調で言った。彼女達は高校時代を同じ学校で過ごした。全員がこれまた同じ道を歩んでいたと言うのは、なかなかの偶然だったが・・・
「所詮は無謀な行いだったな」
 そう言いながらやってきたのは、マクファーソン少将だった。彼も制圧手榴弾の影響を受けて昏倒し、さっきまで医師の診断を受けていた所だった。
「君たちのおろかな振るまいが、君たちの祖国に災いをもたらす事になった。私はB−2に攻撃命令を出すよう命じた。何百万と言う人間が死ぬかもしれんが、それは全て君達に責任が・・・」
 マクファーソンがそこまで言ったとき、副官が彼の耳元で何かを言った。見る見るマクファーソンの顔色が変わったのを見て、智子はにやっと笑った。阿呆が。旧友たちの再会を邪魔するような奴にはお似合いの表情や。
「B−2がコントロールを失っただと!?どう言う事だ!?」
 マクファーソンは怒鳴った。
「わ、わかりません。いまコンピュータ士官が原因を調べていますが・・・」
 副官がしどろもどろに答える。その光景を見て、智子の笑いはますます大きくなった。 それを見ていたレミィは、なんとなく事の真相をつかんでいた。
 委員長、何かやったワネ。この戦争を終わらせるような何かを。良い事だと思うワ。こんな戦争、ろくなモノじゃないもの。
 レミィがそう思ったとき、電源が回復してテレビスクリーンがついた。大統領の声が流れてくる。苦虫を噛み潰したような表情だった。
「・・・本日、ただいま合衆国政府は日本政府と停戦および、日本領土内からの兵力の撤退の二点について合意した。これは我が合衆国が平和を愛好する国家である事の明確な証明である事を全世界に・・・」
 マクファーソンは呆然と呟いた。
「馬鹿な・・・我々は勝っていたはずだ・・・なぜこんな」
 ずっとその光景を見ていたにもかかわらず、マクファーソンには智子が何をしたのか、まったくわかっていなかった。
 
 
1348時 紀伊半島沖二百キロの太平洋上

「なんか勿体無いなあ。本当にやっていいのかい」
 浩之は基地の管制官に言った。視線は平行して飛ぶB−2に向けられている。
「いいんだろ。何しろ敵・・・おっと、停戦が合意された以上はもう敵じゃないな。アメリカさんからの依頼なんだからな。どうしてもコントロールを奪い返せない以上はこっちに打ち落としてもらうしかないんだろ」
「了解。さっさと片付けて帰るよ」
「おう、早く帰って来い。基地じゃもうパーティーの準備が始まってるからな」
「いや、パーティーはいいよ。かわりに東京への新幹線のチケットを頼む」
「新幹線?・・・ああ、わかった。請合うよ」
「よし決まった」
 浩之は滑らかな機動でB−2の後ろへまわりこむと、バルカン砲を放った。曳光弾が黒いブーメランに吸い込まれ、破片が飛び散る。程なくして、コントロールを失った――二重の意味で――機体は腹に物騒な荷物を抱いたまま、太平洋に墜ちていった。
 まったく、委員長も手加減がねえなあ。一体どんなウイルスをあいつのコンピュータに仕込んだんだよ?
 白い水柱が上がるのを見届けた浩之は、編隊に基地への帰還を命じた。彼の思いは、東京で待っているであろう懐かしい顔ぶれ達のことに、既に飛んでいた。
 
 
1542時 東京湾国際空港

 米軍の撤収は整然と、かつ迅速に行われていた。来たときも鮮やかなものだったが、引き際も負けてはいなかった。もっとも、わずか半日でろくな戦いもないうちに負けたとあっては、恥ずかしさで長居などできなかったであろうが。
 よほど悔しかったのだろう、マクファーソン少将は撤収機に乗りこむ前に、同行していたCNNの記者にこう言った。それは史上最も有名な捨て台詞の引用だった。
「I Shall Return(私は帰ってくるだろう)」
 マクファーソン少将にとっては会心の一言だったが、CNNでは放送のときこの一言をカットした。飛行機のエンジン音がうるさくて良く聞き取れないから、というのが理由である。マクファーソンがこれになんと言ったかについても、やはり伝わってはいない。
 
 空港ビル屋上の展望デッキでは、智子達五人が米軍の撤収を見ていた。レミィとはもっと積もる話もあったのだが、彼女とその部下のデルタフォースは第一波の帰還便に当たっていた。レミィは「今度は戦争以外の用事で来るヨ」と言って去って行った。
「さようなら〜」
 とマルチは手を振っていた。
「もう来ないで下さいね〜」
 と葵が言った。
「ただしレミィは例外〜」
 と志保が言った。そして、3人は顔を見合わせて大笑いした。
 そこから少し離れた所で、あかりは智子に訊ねていた。
「委員長、一体B―2に何をしたの?」
 傍で手伝っていたあかりにも、智子のやったことは良くわかっていなかった。
「太平洋地域緊急作戦オプションNO22、米本土で反乱が発生したっちゅう状況を想定した指令や。攻撃目標は、反乱勢力に同調した第7艦隊」
 あかりの顔に賛嘆の表情が浮かんだ。
「それでアメリカが慌てたわけなのね。さすが委員長」
「目の付け所が違いますね」
 途中から聞いていた葵も言った。
「褒めてもなんも出ぇへんよ」
 智子は笑った。このままめでたし、といいたいところだったが・・・
「凄いですぅ。こういうのを、亀の子よりかずのこ、っていうんでしたっけ?」
 マルチが余計な事を言ってしまった。
「・・・ひょっとして、亀の甲より年の功、って言いたいの?」
 志保が火に油を注いでしまった。智子の額に浮かんだ青筋を、あかりと葵は見逃さなかった。二人は顔を見合わせ、ため息をついた。
 
 
エピローグ
1849時 陸上自衛隊市谷駐屯地
     
「さ、今日中に報告書をまとめるんや!」
 部屋に智子の声が響き渡っていた。
「委員長・・・祝賀パーティーは?」 
 志保がおずおずと聞いた。
「ンなモンは無い」
 智子はそっけなく言った。本当は総理が彼女達を招いてパーティーをすると言っていたのだが、智子は「自衛官の義務として、報告書を書くのが優先ですから」と蹴ってしまっていた。悪い事に、「責任」とか「義務」と言う言葉に大時代的な感覚を抱いていた総理は、「それでこそ自衛官の鑑」と引き止めなかった。
「一個大隊で敵を食いとめたって・・・マルチちゃん言葉の意味わかって使ってる?」
「え、えっと、一個大隊と一個分隊ってどっちがおっきかったでしたっけ?」
「・・・・・・」
 葵は天井を仰ぎ、あかりはあきらめの表情で報告書を書いていた。
「あたしの休暇〜」
 志保が泣き声で言った。ある意味、米軍が与えた打撃で最も深刻だったのは、志保の休暇についてだったかもしれない・・・
 
パシフィック・ストーム作戦 完

 
あとがき

   この作品は、私が最初に書いた二次創作SSで、今は亡き「てるぴっつの部屋」さんに贈らせていただいた「日米決戦2025」シリーズのうちの一作です。
 掲載先の消失に伴い、このSSも長い間消えていたのですが、この度発掘に成功したので、誤字・脱字・改行ミスなどを修正の上、再掲載することにしました。
 内容については…まぁ、見てのとおりの戦争物です。私は最初この方面から二次創作に入ったので…まぁ、こういうものを書いていた時代もあるんだなということで。
 元ネタの「日米決戦2025」は今でも古本屋に行けばたまに見つけることができます。バブル時代の景気の良さが前面に押し出された怪作ぞろい(笑)ですので、一読の価値はあるかと思います。
 このシリーズはあと三作ありますので、修正終わり次第、折をみて掲載していく予定です。


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