「ええええぇぇぇぇぇ!?」
連絡官としてここに残れ、と言うあゆの言葉に、思わず鳴美は悲鳴のような声をあげた。
「の、残れと言われても……わたしも都合がありますし」
何とか気持ちを落ち着けてそう答えたが、相手があゆだし聞き入れないだろうな、と鳴美は思った。ところが、あゆはそうね、と頷いた。
「一応、横浜基地での都合もあるだろうから、香月中佐に聞いてみて」
鳴美は武の顔を見た。何とか止めてくれ、と言うアイコンタクトを送る。武は頷くと、電話借ります、と言って壁際の電話に寄って行った。
「もしもし……白銀武候補生です。香月副司令に……はい。お願いします」
電話でのやりとりが始まった。
「あ、香月先生。俺です。ええ、大体のところは……ただ、向こうの要求が……」
武が事情を説明し、そして。
「はい……ええ? 良いんですかそれで? え、説得しろ? 本人の意思は……はい。あぁ、どうしても説得しろと。それが目的にかなうから? わかりました」
武が受話器を伏せて戻ってきた。まだ話し中らしい。
「ど、どうだった?」
聞く鳴美に、武は一瞬済まなさそうな表情を向け、その意味を彼女が悟るより早く、あゆに報告した。
「香月副司令としては、基地の日常業務もあるので、常駐は無理だが、週に二日程度は情報交換のため穂村軍属を送る、と言う事で同意して欲しいとの事です」
「そう、ならそれでも良いわ。とりあえず、最初の調査結果は明日にでも纏めさせるから、今日はこっちで預かっていきたいんだけど」
武はそれを聞いて、また電話を手にする。そしてまだ少し話して、今度は受話器を置いて戻ってきた。
「それで良いそうです」
「そんなあっ!?」
問答無用であゆの元に残留させられる事になった鳴美の悲鳴が、部屋に響き渡った。
誰が望む永遠?
第二十三話:意外な展開
武は一人で帰って行き、残された鳴美は杖を突きつつ、あゆの執務室に案内された。
(い、嫌な汗が出る……)
天敵と同じ部屋にいる事で、鳴美は身体のあちこちに脂汗が浮くのを感じていた。まるで蛇に睨まれたカエルだ。まだ、戦術機でBETAと向かい合う方が気が楽かもしれない。
「まぁ、そこに座んなさい」
あゆは部屋の隅にある応接セットを指した。うなずいて、鳴美はギクシャクとした動きでそこに座った。あゆはその間に机の上の電話を手に取っていた。
「まゆまゆ? あたしよ。ちょっとお茶よろしく。三人分。そう、あんたもよ」
何やらまゆを呼んでお茶を持ってくるよう命じると、あゆは鳴美の向かいに座った。
「別に取って食いやしないわよ。楽にしたら?」
妙に緊張している鳴美の様子に気がついたか、あゆがそんな事を言ってくる。が、もちろん安心できるわけがない。
「は、はい……ありがとうございます」
口ではそう答えたが、鳴美はあゆを正視する事も出来ず俯いていた。やがて、ノックの音がして、急須と湯のみ、それにお茶請けらしい煎餅を入れた皿を載せたワゴンを押して、まゆが入ってきた。
「お待たせしました。言いつけどおり、狭山の玉露持ってきましたよ」
まゆが言うと、あゆは満足そうな表情で鳴美に言った。
「国産の最高級品よ。しっかり味わいなさい」
「え? あ、ああ……ありがとうございます」
鳴美は驚いた。BETAの侵攻で京都や静岡といったお茶の名産地が壊滅した今、天然日本茶は貴重品だ。特に玉露ともなると、鳴美みたいな下っ端の口に入るものではない。普段飲んでいるのは、香料と人工調味料で作った合成茶である。
しかし、鳴美の前に出てきたのは、確かに高級玉露らしい香りを漂わせるお茶だった。飲んでみると、普段の合成茶が実に味気ないシロモノだと言う事を思い知らされる。
「美味しい?」
あゆの質問に鳴美は頷いた。その質問の声も、意外と優しい。はて、と鳴美は訝しく思った。あゆは何故自分をわざわざ呼び止めて厚遇するのだろう?
「美味しいです……ありがとうございます。ところで少佐?」
思い切って、鳴美は聞いてみることにした。
「あに?」
湯飲みを置いて、あゆが鳴美の方を向いた。勇気を出して直視する。今のところ、襲ってきそうな雰囲気は無い。鳴美はまだ大丈夫、と判断して言葉を続けた。
「わたしに連絡官をしろ、との事ですが、それだけでは無く、わたし個人に何か用事があるのではありませんか?」
あゆはニヤリと笑った。
「まぁね」
そう答えてお茶をもう一口すすると、あゆは言葉を続けた。
「あんたの上司……香月中佐は、横浜の雌狐とか毒婦とか言われて嫌われてるけど、少なくともあたしは一つ評価してるところがあんのよ。中佐は家柄とかに関係なく、実力で相手を評価する」
あゆはそう言って鳴美の顔をじっと見た。
「その香月中佐が見込んだ相手となると、ただの軍属じゃないのは間違いないわ。そこに興味があるわね」
どうやら、いじめるつもりではないらしい。鳴美は少しほっとしたが、あゆの推測について、それはどうなんだろう、と考えてしまう。鳴美は多少戦術機に関して応用の効く知識はあるが、それよりも「異世界人である」と言う事のほうが、夕呼に認められている価値だろう。それは、彼女自身の才覚とは全く関係がない。
「どう……なんでしょうね。わたしにも良くわかりません」
結局、鳴美はそう答えた。異世界人だということは、武と夕呼以外の人には秘密であり、軽々しく言える事ではない。
「ふーん……? まぁ、いいけどさ」
あゆは特に突っ込んでこなかった。元の世界と違い、この世界の彼女は軍人だ。立場上言えない事がある、と言う軍人の常識を心得ている。鳴美にとっては幸いなことだった。
しかし、続くあゆの言葉に、鳴美はこの世界に来て以来、と言うくらいの驚きを受けることになる。
「まぁいいさ。あたしとしては、あんたみたいなちっこいのが軍隊社会で頑張ってる、って事を応援したいだけだからね」
「え……お、応援ですか!? わたしを!?」
思わず驚きの声を上げる鳴美に、あゆは頷いた。
「そうさ。あたしも苦労してるからね」
あゆはそう言って、湯飲みを置くと窓に近寄った。
「いやなもんだね。正当に実力を評価されないってのは。あたしは皇家以外に畏れるものなしの家に生まれたけど、その事実自体があたしを縛ってるのよ。どんなに実力を見せたくても、周りはそれをあたし自身の力とは思わない。家の力だと思ってる」
「少佐、そんな事は……」
ないでござる、とまゆが慰めるように声をかけたが、あゆは手を上げてそれを制した。
「まゆまゆの気持ちはうれしいけど、あたし自身家の威光がゼロとは言い切れない、と思ってるのよね」
へぇ、と鳴美はあゆの言葉に感心した。元の世界のあゆは、こんな殊勝なことを言ったりはしなかった。
鳴美は元の世界でのあゆの生い立ちを知らないので、ひょっとしたらこの世界同様の大金持ちのお嬢様なのかもしれない。だが、元の世界ではあゆが家柄を鼻にかけることは一度もなかった。それなら、あゆは意外と尊敬に値する人間なのかもしれない。
「ま、そんなわけで、同じ女として頑張っているあんたを気に入ったわけよ……」
あゆはそう言って窓の外にやっていた視線を鳴美に戻し、鳴美がぼろぼろと涙を流しているのを見て驚いた。
「って、ちょっと、何で泣くのさ?」
「どこか痛いのでござるか?」
まゆが心配そうに聞いてきたが、鳴美は首を横に振った。
「違います。ただ、その……嬉しくて。わたし、そういう風に人に評価されたことがないですから」
誰かに必要とされたい・褒められたい、というのは鳴美の拭いがたいトラウマで、それを刺激されるとどうしようもなく泣いてしまうのだった。相手が「あの」あゆとあっては、尚更である。
「大げさな奴ねー。まぁ、それだけ苦労してるんだろうけどさ」
あゆは笑うと、今夜は家に泊まっていくように、と言った。鳴美はお招きに応じることにした。いずれにせよ、断れる話ではない。
「ふえ……」
その妙な声が、鳴美があゆの自宅……大空寺家を見た感想だった。
日本皇国では皇室を除けば最大級の貴族であり、大空寺重工を中心とするこれまた皇国最大級のコングロマリットのオーナー一族でもある、というだけあり、大空寺邸は巨大と言うのも憚られるほどの屋敷だった。何しろ、正門が戦術機が余裕で出入りできるほどデカイ。左右の塀もそれに見合った高さで、視界の果てまで続いている。
「まぁ、一族郎党三万人がここで暮らしてるからね。これでも手狭なもんよ」
あゆはそう言ったが、鳴美には信じられないスケールの話である。それではほとんど屋敷全体が一つの街のようなものだろう。
中に入ってみると、その印象はさらに強くなった。左右に郎党の家や集合住宅が広がり、道端では子供たちが遊んでいたりする。そして、数百メートル向こうには同じくらいの巨大な門が聳え立っているのが見えた。
「あたしの……当主一族の住んでいる区画は、あの向こうよ」
「はぁ……」
鳴美は感心するばかりだ。本当にここは日本なのか。いくら異世界でも限度と言うものがないか、などと思うが……考えてみればBETAの方がよほど理不尽か、と思い直す。
「玉野さ……少尉も、家はここに?」
試しにまゆに聞いてみると、彼女はそうでござるよ、と頷いた。
「もっとも、拙者は少佐の傍仕えなので、特別に屋敷に部屋を用意してもらっているでござるが」
彼女の家系は代々大空寺家に仕える侍だったそうで、まゆも子供の頃から武士として恥じない教育をいろいろ受けているのだと言う。見掛けによらず剣術なども得意らしい。喋り方がアレなのはその影響なのだろう。
(むこうの玉野さんは時代劇マニアでこうなったと言ってたけど、こういう所も似てくるものなんだ。まさか、こっちの世界の影響が向こうにも出てるんだったりしてね?)
などと考え、それは無いか、と打ち消す鳴美。そうこうしている間に車は内門も潜り、広大な森の中を抜けて、屋敷の前に止まった。意外にも純和風……と言うか、平安貴族の屋敷の典型例として知られる寝殿造りの邸宅だった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ドアが開けられ、執事らしき初老の男性がうやうやしく腰を曲げて出迎える。この人も和装だ。
「ん、今帰ったわよ。今日は客がいるから、厨房には一人分多く食事を作るように伝えておいてくれる?」
あゆは車から出ながら執事に命じた。
「お客様でございますか?」
執事は軽く顔を上げ、鳴美と目が合った。
「あ……こ、こんにちわ。よろしくお願いします」
思わずぴょこんと頭を下げると、執事は微笑ましげな表情を浮かべて答えた。
「いえいえ、こちらこそ。それでは、そのように伝えておきましょう……他には?」
後半に付け加えられた質問にあゆは答えた。
「お父様は?」
「旦那様からは朝議のため今宵は帰らぬ、と言伝を預かっております」
執事の答えにそう、と頷き、あゆは歩き出した。続いてまゆと鳴美。
「お父様は今日も留守か。ま、ちょうど良いわ。いるといろいろ面倒だし」
少し前を歩きながら言うあゆ。鳴美はなんか酷い事言ってるなぁ、と思いつつまゆに小声で尋ねた。
「大空寺少佐のお父さんってどういう人ですか?」
「お館様? 厳格な人でござるよ。ここだけの話ですが、少佐が平民と付き合うような事は絶対に歓迎しない方ですから、今日いないのはラッキーでござる」
「はあ……」
鳴美はため息をつく。この世界の日本は貴族制度が存在する厳然とした階級社会であり、貴族と平民の垣根は予想以上に高い。貴族の子弟も多く従軍している斯衛軍将兵の気位の高さを見ればそれが良くわかる。実力があれば身分や階級を気にしないあゆと、誰にでも人当たりの良いまゆは貴重な例外だろう。
この二人……メインはあゆの方だが……に目をつけた夕呼は流石と言うべきか。確かに見る目のある人だな、と鳴美が考えていると、あゆはとある部屋に入った。
「ここは……着物がいっぱいですが……?」
鳴美は続けて部屋に入って首を傾げた。そこは大量の着物が飾られた部屋だった。数十着、いや、百着以上あるかもしれない。
「衣裳部屋よ。家ではあたしの私服は着物なの」
あゆはそう言うと、来ていた軍服を脱ぎ始めた。こっちの世界でも背丈はそれほど変わらないくせに、出る所はそれなりに出ている体型なのが憎い、と思っているとあゆが言った。
「なるなる、どれでも好きなのを貸してあげるから、着なさい」
「え?」
思いがけない言葉に目を白黒させる鳴美に、あゆは現状を再確認させるように言葉を続けた。
「なるなる、泊まりの用意してないでしょ。制服で過ごす気?」
「あ、そういえば……でも、わたし着物の着方なんて知りませんよ?」
鳴美が答えると、あゆはため息をついた。
「しょうがないわね。まゆまゆ、手伝ってやんなさい」
「御意」
まゆが頷いて、鳴美の制服を脱がそうとする。
「ひゃっ!? ぬ、脱ぐのは自分で出来ますよ! 着るのだけ手伝ってくれれば……」
「あ、そうか」
そのやり取りにあゆはくすりと笑い、手早く着替え終える。五分ほど遅れて、鳴美も選んだ着物を着付けてもらった。晴れ着のような派手なものではなく、小紋と呼ばれる普段着としての着物だ。鳴美が選んだのは桜の花びら模様を散らした、淡いピンクの着物である。
「あら、なかなか似合うじゃないのさ」
振り返ったあゆが微笑む。彼女は流水に漂う笹の葉模様の、薄い緑色の小紋である。
「はぁ……ありがとうございます」
鳴美はとりあえず頭を下げた。褒めてくれるのは嬉しいが、着慣れないのでどうも落ち着かない。
「さて、そろそろ調査結果が届く頃ね。まゆまゆ、まとめお願い。あたしは部屋で待ってるから」
「わかりました」
まゆが頷いて衣裳部屋を出て行く。あゆは鳴美を誘って、部屋の別の扉……というか障子を開けた。
「ここがあたしの部屋よ」
あゆに続いて部屋に入った鳴美は、純和風テイストの部屋におお、と声を上げた。普段着が着物だったり、外観が寝殿造りだったりする時点で和室なのは想像がついていたが、庭に面した窓からの光景は想像以上に素晴らしいものだった。
すぐに目に付くのは対岸まで数百メートルはありそうな、小さな湖に近い規模の池で、浮かぶ島々を赤い欄干の橋が繋いでいる。その向こうはさっき抜けてきた森。池の島には、いくつかの築山が作られていて、一つが富士山を象っているところを見ると、島は日本の形なのかもしれない。
いずれにせよ、個人邸であるとは信じがたい規模の大庭園だった。
「いい眺めですねぇ……横浜基地は殺風景だからなぁ」
周囲は廃墟である事に加え、G弾の炸裂した影響でほとんどの植物が死滅した横浜は、海以外は灰色に染まった、あまり目に優しくない土地だった。鳴美の家があった周囲は爆心地から離れている事もあり、雑草くらいは生えていたが、目に潤いをもたらすほどの緑はない。
もっとも、BETAの完全制圧下に入った土地よりはマシかもしれない。BETAは何を目的としてかは不明だが、支配した土地の起伏を掘り返し、平らに均すと共に、従来の生態系を根絶やしに破壊してしまう。彼らの領土となったユーラシア大陸はヒマラヤ山脈やカスピ海といった巨大な地理的構造物さえ完全に消失した、ただひたすら平坦な不毛の荒野と化してしまい、とても地球の光景とは思えない有様である。
ここ日本でも、BETA占領下にある佐渡島や西日本は同じ状況だという。一時占領地域にあった富士山は、今では二千メートルもない平凡な山になってしまった。
そんな風にして緑なす土地が失われつつあるこの時代、例え人工でもこれほどの緑を眺めて暮らせる、と言うのは対BETA最前線の国においては、驚くほど贅沢な事と言って良い。
「毎日見てると飽きるけどね。ま、少しは目の保養にしていきなさい」
あゆはそう言うと、鳴美が庭を眺めるのをそのままにしておいた。が、それも私服に着替えたまゆが来るまでだった。
「失礼します」
そう言って書類ケースを小脇に抱えてやってきたまゆの私服は、やはり着物だった……が、刀こそ差していないものの、若侍っぽい格好だった。
「お、来たわね。どう?」
あゆは鳴美も呼び寄せ、三人は部屋の中央の座卓を囲んで座った。鳴美は足がたためないので、座椅子を借りて、足を伸ばした姿勢で座ろうとする。その間にまゆは書類を配り、お茶とお茶請けの準備まで済ませて、会議の準備は整った。
「よし、じゃあ、第一次の調査結果について言ってもらえる?」
お茶をすすりながらあゆが言うと、まゆは頷いて自分の分の書類を手に取った。
「はい。まず、狭霧大尉ですが、ここ二週間程の動向と、今後二週間程の予定をネットワークにもぐって調べさせました。その結果ですが、確かにかなり頻繁に『勉強会』と称して会合を開いていますね」
「はん、相手は?」
せんべいを齧りながらあゆは先を促した。
「斯衛内部にかなり広く。国軍にも参加者がいますね。人数は三十人を越えています。どれもかなり過激な尊王攘夷派。なお、会合の内容については、東日本が戦場化した場合の戦略方針研究となっています」
「曖昧ね。どうとでも取れる内容だわ」
あゆは小馬鹿にしたような口調で言った。そこで鳴美が手を上げる。
「あの、少佐」
「あに?」
「狭霧大尉って、どういう人なんですか?」
鳴美は質問した。特に理由はないが、叛乱軍を率いようかと言う人物がどんな個性の持ち主なのか、と言うことには興味がある。
「ん? そうさねぇ……優秀な奴なのは確かよ。あたしとは直接の上下関係はないから、接点はないけど。衛士としてもトップクラスの腕の持ち主で、対BETA戦はもちろん、対戦術機戦でも圧倒的な戦績を残してるわね。あんたのいる横浜基地では、A−01の伊隅大尉と、鳴海中尉くらいが匹敵する腕なんじゃないの」
「へぇ、あの二人と……」
横浜の双璧(片方はかなり錆びているが)の名を挙げられて、鳴美はなるほどそれは強いわ、と納得したが、ふと今の発言に気になるところを見つけた。
「って……対戦術機戦? 戦術機同士で戦う事ってあるんですか?」
鳴美はこの世界に来てから対BETA戦しか見た事がないので、そういう事例を見た事も聞いた事もなかった。それで質問したのだが、どうやら自分がマズイ事を言ってしまったらしいのは、あゆの視線が訝しげなものに変わってからだった。
「……当たり前でしょ?」
あゆは呆れたように答えた。シミュレーションではBETAを相手にするのが普通だが、実機訓練では戦術機同士で模擬戦を行う事は、当たり前に行われている。BETAを除けば戦術機に対抗できる戦力は戦術機しか存在せず、BETA相手に模擬戦など出来ないからだ。
加えて言うなら、どれほど現在の戦況が不利なものであれ、どの国も「将来」と言うものを見据えている。いずれ地球上からBETAを完全に駆逐しえたとして、その次に待っているのは平和などではなく、生き残った人類国家同士による戦争が、必ず起こると考えられている。そうなれば、戦術機同士の戦いは必ず発生する。「その時」に備えて戦術機対戦術機の戦闘経験を積む事は無駄ではない。
「そう……ですか。わたしはBETA相手の戦闘しか考えた事がないです……」
そう言った事情をあゆまゆから聞かされ、鳴美は項垂れた。考えてみればそうだ。武は過去に狭霧大尉の起こしたクーデターに遭い、それとの交戦を経験している。戦術機同士、つまり人類同士の戦いと言うのは起こりうるのだ。
「人間同士で戦う事なんて、今は考えなくてもいいのに」
鳴美がそう言うと、あゆは苦笑気味の表情を向けていた。
「……大甘ね。でも気持ちはわかるわ。参謀としては、目の前の敵だけに全てのリソースを集中したいしね」
「参謀か……」
鳴美はふと思った。自分は技能は持っていても、衛士にはなれそうもない体格だ。でも、参謀なら……作戦を立て、指示を出し、味方をフォローする役割なら……
「わたしにもできるでしょうか? 参謀」
「あんたが?」
あゆは鳴美を見て、意地悪そうに笑った。
「今のままじゃ無理ね」
「え」
きっぱり言われて絶句する鳴美に、あゆは言葉の続きを言った。
「できるでしょうか? じゃないわよ。なりたいんだったら、そうはっきり言いなさい」
「……はい!」
鳴美は頷いた。本来年下の、それも決して仲の良い相手ではなかったあゆに、こんな事を諭されるように言われるのは、本当はムカつくことかもしれない。しかし、今の鳴美には、あゆの言葉は素直に身に染みた。
「でも……」
「あん?」
まだ鳴美が煮え切らない事を言うのか、と思ったあゆだったが、次の質問に固まってしまった。
「参謀って、どうやってなるんですか?」
まずはそこからかい……と内心ツッコミを入れるあゆ。その時、座卓の上においてあった電話が鳴った。
「あたしよ……ん、わかった」
あゆは受話器を置いて立ち上がった。
「夕食ができたようよ。まずは食べながら基本を教えてあげるわ。来なさい」
「はい」
鳴美はまゆに助けられながら立ち上がり、あゆに続いた。現実の世界では無かったあゆとの関係が、ここから始まろうとしていた。
(続く)
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