夕呼に連れられて、鳴美と武は医務室の奥にある研究室にやってきていた。
「ごめんね、白銀君。背中貸してもらって」
「良いですよ。鳴美先輩軽いですし」
 足の骨折が治っていない鳴美は、武の背中におぶさっていた。一応三十キロ以上はある鳴美だが、武はそのくらいの重さの個人装備を身に付けての、十キロ〜五十キロの行軍訓練を軽くこなす。実際に何の負担にも思っていないようだった。
「さて、ここがあたしの城よ」
 夕呼が研究室の扉を開けると、そこには圧巻というべき光景があった。 
 壁はコンピュータで埋め尽くされており、その廃熱は馬鹿にならないはずだが、ひんやりと涼しい空気が漂っている。これだけでどのくらいの電気を使っているのだろうか、と鳴美は思った。
「さてと、霞、霞。新しい仲間を紹介するわ。出ていらっしゃい」
 入り口近くから夕呼が呼びかけると、部屋の奥からひょこっと顔を出した人物がいた。
「女の子……?」
 鳴美はその正体を見て怪訝な声を上げた。彼女と見た目が大して変わらなさそうな少女。頭にはウサミミのような飾り? を付け、纏っている軍服は普通のものと違い、円錐形のロングスカート。これで白いエプロンでもつけていれば、変形メイド服に見えるかもしれない。
「紹介するわ。あたしの下で計画スタッフをしている社霞よ」
 夕呼が言うと、霞は黙って、しかし折り目正しく会釈した。
「彼女はこれでもオルタネイティヴ4の最重要のキーパーソンなのよ。まぁ、白銀には不要な紹介かもしれないけど」
 夕呼の何気ない一言に、武がかすかに身じろぎしたのを、鳴美は感じた。
「先生、それはどういう?」
 意味ですか、と聞こうとしたのか声を上げた武だったが、それより早く、夕呼がポケットから出した録音装置から、声が流れ出した。
 
『俺は……もうこの世界に来てから十年になります』
『じゅうねん!?』
『正確に言うと、この四回目の世界に来てからは三ヶ月くらいです。 ああ、そんなに目を回さないでくださいよ。今詳しく説明しますから』



誰が望む永遠?

第二十二話:黄昏の帝都




「……これは!?」
 武は何時の間に、と言う表情で夕呼を見た。鳴美も同様だ。それは、武が自分も異世界から来た、と言う説明をした時の会話だ。あの時は誰にも聞かれていなかったはずなのに。しかし、夕呼はなんでもなさげな表情で答えた。
「鳴美ちゃんの軍服に盗聴器が仕込んであるのよ。おっと、そう怖い顔しないで。異世界人である鳴美ちゃんは、あたしの計画の第二キーパーソンなんだから、万が一のことがあっちゃ困るからね」
 そう言ってウインクすると、夕呼は武を見た。
「さて、白銀候補生。只者ではないとは思っていたけど、あんたも異世界人とはね。それももう何度も世界間移動を経験している……率直に聞くけど、前の世界ではあたしにいろいろ協力を頼んだんじゃないの?」
 武はしばし考え込んだが、観念したように答えた。
「ええ。最初の世界も、二番目の世界も……部隊の入隊から始まって、いろいろと夕呼先生に協力を頼みました。逆に協力を依頼されたこともあります」
 夕呼はやっぱりね、と頷いて、それからもう一つ質問した。
「今回、君はあたしに積極的に接触してこなかった。なぜ?」
「それは、前の世界の経験から来る判断です」
 武は答えた。
「最初の世界ではオルタネイティヴ計画は5に移行して失敗。次の世界とその次の世界でも、俺は真っ先にオルタネイティヴ4を推進すべく、夕呼先生に接触しました。が、どっちでも計画は発動こそしたものの、無残に失敗しています」
「それは何故? そして、失敗がどうしてあたしとの非接触に繋がるのかしら?」
 夕呼は質問を重ねる。
「俺なりに分析しましたが、戦力不足が最大の原因ですね。計画が早く発動しすぎたため、本来作戦に必要な戦力が集まらないうちに、敵陣突入となってしまった。俺はそう考えています。だから、計画をあえて”程良く”遅延させるために、先生との接触を遅らせたんですよ」
 武はそう答え終わると、ポケットから何かを取り出した。鳴美は一瞬ゲームガイかと思ったが、どうやらそのそっくりさんである情報端末……”プレアディス”の方のようだった。
「こいつは、俺が前の世界で戦死する直前まで、俺なりに計画について分析していた結果や、向こうの世界で夕呼先生が纏めた研究がすべて収められています。仮に急を要する事態があっても、これがあればある程度遅れは吸収可能だと考えていましたし」
 武は夕呼にプレアディスを渡した。夕呼はそれを操作してしばらく画面を眺め、ふっと満足そうに笑みを浮かべた。
「見事ね……さすが異世界でも天才だわ、あたし。これならすぐにでも計画を発動できるほどよ」
 夕呼はそう言って、武にプレアディスを返した。
「まぁ、あんたの考えはわかったわ、白銀候補生。ただし、あたしを信用しなかったのはマイナスポイントね。そうやって自分だけで状況を動かそうとするほうが危険よ」
「すいません」
 武は謝った。
「それに、白銀と鳴美ちゃん……二人も異世界人が揃った。これも、そろそろ計画を進めるべき要素かもしれない。とりあえず……」
 夕呼はその辺にあった椅子に腰掛けた。
「十分な戦力を整えるには、斯衛のクーデター阻止が必須ね……白銀、首謀者は誰?」
「斯衛第一師団の狭霧大尉です」
 武の答えに、夕呼は溜息をついた。
「なるほどね……これだから国士様は厄介なのよ」
 わからない単語を聞いて、鳴美は首を傾げた。
「国士……様?」
「熱狂的な国粋主義者たちですよ。斯衛には結構多いタイプです。連中、国際協力体制が面白くなくて、日本人独自でBETAを倒すべし、と息巻いてまして」
 武が答えた。
 日本は現在国土の半分をBETAに支配されているが、BETAの本土上陸当初、米軍が日本防衛に非協力的だった事が、その敗北の原因だと考えている日本人は多い。中には合衆国は日本の防衛を合衆国の協力無しには出来ない状況に追い込むため、わざと非協力的な態度を取ったのだ、と言う陰謀論めいた意見まである。
 斯衛軍はそうした被害者意識に基づく反米・対外排斥派の牙城とも言うべき集団だ。外国の影響力を排し、皇帝を中心とした挙国一致体制を作る事が、BETAに対する真の反攻への第一歩。彼らはそう主張している。
 そうでなくとも、斯衛軍の衛士たちはエリート意識が強く、また実際腕も立つので、国連軍の言う事など鼻にもかけない、と言う態度の者は珍しくない。
「俺が経験した冬のクーデターは、まさにそういう歪んだ反外国意識の産物です。本当の敵はBETAだってのに、人間同士で諍いを起こそうって言う奴らの考え方は理解できませんよ」
 猛はそう苦々しげに言い切った。
「この前の大侵攻だって、国連軍も加わってどうにか撃退した……って感じなのに、なんでそんな風に考えるのかな」
 鳴美は言ったが、そう言った傍から斯衛の衛士たちの気持ちがわかる気がした。
 自分は、自分たちはこの程度の存在であるはずが無い。もっと優れていて、もっと強くあるべきなのに、そうなっていないのは、誰かが邪魔をしているからだ。
 それが、彼らの思いなのだろう。自分も引きこもっていた時期に、そんな風に自分を慰めた事があるから、良くわかる。同時に、それは全く建設的ではなく、意味の無い行為であると言う事も。「誰か」を国連やアメリカに見立てても、鬱憤を溜め込むだけで良い事は何も無い。
「目を覚まさせてやるべきなんだろうね」
 鳴美が言うと、武はええ、と頷いた。そんなやる気いっぱいの二人に、夕呼が声を掛けた。
「じゃあ、その第一歩として、ちょっとおつかいに行ってきて貰おうかしら?」
「「え?」」
 声を揃えて夕呼の方を見た二人の目の前に、封筒が差し出される。その宛名を見て、鳴美は思わず大声を上げた。
「ええっ!? あいつ、こっちの世界じゃこんなに偉いの!?」
 その大声に驚いた武が、封筒の宛名を読み上げる。
「斯衛総軍参謀本部・高級参謀 大空寺あゆ少佐殿? そう言えば、先輩は元の世界では……」
「こいつの部下よ」
 鳴美は思い切り溜息をついた。この世界に来てから見かけなかったので、存在自体を忘れかかっていた。
「大空寺公爵家は、皇帝の下で関白をはじめとする要職を歴任する名門の家柄で、少佐は斯衛だけでなく、政界にも強い影響を持つ存在よ。それでいて、排外主義とは縁のない人材だから、会っておいて損は無いわ」
 夕呼が解説する。こっちの世界は日本が帝政を続けている点で既に元の世界とは全く違うわけだが、皇帝の下の政治機構も全く違う。元の世界では無くなった貴族制度もまた残っていて、有力貴族の中から政務を司る関白、軍務を司る征威大将軍が選ばれ、実際の政治を指導する仕組みだ。大臣クラスなら平民が任命される事もあるが、呼び方は省庁の名前に「卿」を付けて、財務卿とか外務卿と呼ばれている。その下の次官クラスは「奉行」や「納言」。平安時代と江戸時代と明治初期を足して割らないような、混沌とした制度だ。
 ちなみに、武が経験した過去の世界は、今の世界ともまた少しずつ違っていて、皇帝親政が続いている世界だったり、征威大将軍だけが皇帝の名代という世界もあったそうだ。
「ややこしい……でも、あゆの事はなんとなくわかるな。あいつの場合は、排外主義じゃないというより、自分だけが偉くて、後は平等に価値が無い、って感じの考え方なんだろうけど」
 その感想を聞いて、夕呼はくすりと笑いを浮かべた。
「まさにそんな感じね。皇族でも彼女よりは腰が低いわよ」
 はぁ、と言う感じで溜息をつく鳴美。天敵がこの世界でも健在とは、全く持ってついていない。
「まぁ、顔見知りなら……と言っても、鳴美ちゃんが一方的に知ってるだけになるけど……付き合い方もわかるでしょ。頼むわよ」
 そう夕呼に言われ、結局鳴美は武と連れ立って東京へ向かう事になったのだった。

「東京に行くのはずいぶん久しぶりだ」
 嬉しそうに言う武に鳴美は尋ねた。
「そういえば、どうやって行くの?」
 横浜基地は廃墟と化した横浜市の一角にあり、周辺は定期的な哨戒で掃討されてるとは言え、小型のBETAがかなり頻繁に出現する。もちろん、こんな所で運行している公共交通機関は存在しない。しかし、何でもない事のように武は答えた。
「そりゃ、地下鉄ですよ。ジープを借りてもいいんですが、検問が面倒くさいですし」
「地下鉄なんてあるんだ……」
 鳴美が言うと、武は笑った。
「まぁ、メインは物資搬入用なんですがね。竹芝の東京軍港まで続いてますから、そこからあとは普通に電車で行きますよ」
「なるほど……あ、待って白銀君。わたしそんなに早く歩けないんだから」
 松葉杖をつきつつ、鳴美は武の後を追いかける。武は立ち止まって聞いてきた。
「良かったら、またおんぶしましょうか?」
「あー……それは良いよ。悪いし、それに恥ずかしいよ」
 鳴美は首を横に振った。いくら武が鳴美くらい簡単に背負って歩けると言っても、その好意に甘えすぎるのは良くない。
「まぁ、疲れたらいつでも言ってくださいよ」
 武はそう言って、地下行きエレベーターのボタンを押した。乗り込んで駅のある地下貨物集配場に到着し、夕呼から預かってきた外出許可証を見せると、当直の兵士は敬礼して二人を通してくれた。
「出張任務、お疲れ様です!」
 そんな声を背中に聞きつつ、二人は駅に到着した。しかし、そこで鳴美が見たのは、想像とはだいぶ違った乗り物だった。
「これで行くの?」
 そう言って彼女が指差したのは、角ばった軽自動車程度の大きさのワーゲンだった。地下鉄と言うイメージからは程遠い。
「ええ。まぁ、地下鉄ってのは愛称みたいなモンです。メインはあっちのコンテナ用ですしね」
 武が指差す先には、数十両編成の貨物列車が止っていて、天井を縦横に這うレールに取る点けられたクレーンが荷物を吊り上げては、そのままどこかへ運んでいく様子が見えた。基地に駐留する数千名の兵士と研究者、配備されている一個大隊級の戦術機が日々消費する膨大な物資をここで捌いているのだ。
「この基地は人の出入りはそんなに激しくないから、こういうので十分なんですよ……っと」
 武は鳴美を降ろして椅子に座らせ、自分も座りながら行き先を入力した。すぐにドアが閉まり、ワーゲンはトンネルに吸い込まれた。
「二十分もあれば竹芝につきます。着けば面白いものが見られますよ」
「面白いもの?」
 鳴美は聞き返したが、武はお楽しみに、と言うだけで詳しくは教えてくれなかった。諦めて話を変え、しばし二人で元の世界の思い出話などをしていると、急にワーゲンが外に出た。同時にスピードが落ち始める。
「お、もうすぐですね……先輩、アレを見てください」
「あれ? ……うわぁ……」
 鳴美は武が指差したものを見て驚いた。そこにあったのは、岸壁に接岸している巨大な戦艦だった。後部甲板に戦術機が立っているが、それと比較して見るに、全長三百メートル以上ありそうだ。そして、圧倒的な威力を秘めていそうな、巨大な砲身を三本突き出した砲塔が、前後に二基ずつ備えられている。
「帝国海軍の旗艦、戦艦〈近江〉。五十一センチ砲十二門搭載・十二万トン級の巨大戦艦ですよ。向こうに見えるちょっと小ぶりな奴が、俺たちの世界でも名前は有名な〈大和〉です。国連海軍の〈アイオワ〉〈ミズーリ〉〈ソヴィエツキー・ルーシ〉〈クイーン・ヴィクトリア〉も見えますね」
 鳴美は驚きの表情を貼り付けたまま、窓の外の海を埋め尽くしているかのような、巨大な戦艦の群れを見ていた。元の世界ではとっくに戦艦は絶滅しているが、こちらの世界では今でも現役らしい。
「BETAは海底を歩けるけど、泳げません。だから、ああいう巨大戦艦がこっちの世界じゃ海軍の主流なんです。海の上から大砲を撃ちまくれば、BETAは手も足も出せませんし、光線級ならレーザーを撃てますけど、戦艦なら何発か食らっても、分厚い装甲は十分持ちこたえられますしね」
「へぇ……ところ変われば品変わると言うけど、本当だねぇ」
 飽かずに戦艦を見つめる鳴美に、武が言った。
「しかし、こうして見ててもやっぱり意外ですよね」
「何が?」
 武の方を向いて答えた鳴美に、武は先輩の事ですよ、と答えた。
「先輩、見た目からは想像もつかないくらいミリタリー系好きですよね。戦術機も戦艦も興味深そうに見てますし」
「……外見からは、人形遊びやおままごとでもしてるのが似合いそうに見える?」
 鳴美がちょっと拗ねた様に言ってみせると、武は慌てた。
「いや、そうは言いませんけど」
「ふふっ、冗談だよ。別に怒ってるわけじゃないよ」
 鳴美は笑ってそう言うと、もう一度外を眺めた。
「好きではあるけど、そう詳しくは無いよ。今見てる戦艦も、細かい区別とかは付かないしね。ただ、ああ言うカッコイイ機械に対する憧れって言うのかな。そう言うのはあるよ」
「それも意外な気もしますけどねぇ。こっちの世界なら、女の子でも普通にミリタリズムに触れますけど、元の世界じゃそうでもないでしょう」
 武がそう言った時、ワーゲンはさらにスピードを落とし、駅に滑り込んでいった。

 元の世界では小笠原や伊豆に向かう客船のターミナルとなっている竹芝も、この世界では浜松町駅に隣接する区域まで続く、巨大な軍港兼軍用貨物ヤードになっていた。巡回バスに便乗し、浜松町駅まで出た二人は、そこから何度か、これまた元の世界には無い都電……路面電車で九段下のこの斯衛軍参謀本部に向かった。こうして町並みを見ていると、結構古い感じだ。横浜基地や竹芝軍港の、二十二世紀の施設と言っても通じそうな超近代的な設備と比べると、東京の市街地はテレビで見た六十年代から七十年代くらいの雰囲気を湛えていた。
 さらに言えば、道行く人々や、車内の乗客も同じである。みんなファッションが元の世界では数十年前に流行ったような、古臭いデザインのものばかりだった。
 また、車の通行量もかなり少なく、やはり昭和レトロなデザインのものばかりである。
「街並みが古い、って感じませんか?」
 武に聞かれた鳴美は頷いた。
「そうだね。東京タワーとかも無かったし……霞ヶ関ビルも。新宿の方も、ぜんぜん高層ビルが見えないけど、どうなってるの?」
 見慣れた高層建築が無い東京の街は、鳴美にはまるで違う国の街に見えた。武は説明した。
「国のリソースの大半が、BETAとの戦いに投入されてますからね。車は贅沢品ですし、パソコンも同様です。高いビルは一歩間違うとBETAのレーザーで撃たれるから危険と言う事で建てられてません。軍事だけが突出して発達してる、歪な世界なんですよ。ここも」
 鳴美は黙って頷いた。「ここも」と言う事は、過去に武が渡り歩いてきたい世界も、みんなそうだったのだろう。確かに元の世界ではとても作れそうも無い、超ハイテク兵器の戦術機とこの街並みは、あまりにもギャップがありすぎる。
 話し合いすら出来ない、どっちかが絶滅しない限り終わらない相手との戦争……勝っても得るものが無い不毛な戦いが三十年以上続く社会が、どんなに停滞したものなのか、鳴美ははっきりと見たと思った。その時、車内アナウンスが流れた。
「次は九段下。九段下。神田・新宿方面へのお乗換え、靖国神社へお越しの方はこちらがご便利です」
「あ、降りましょう」
 武は立ち上がった。その手につかまるようにして鳴美も立ち上がる。バリアフリーなどと言う発想は無いらしい、きつい階段のあるプラットホームを降りると、濃紺に塗られた巨人……“不知火”二機が歩哨として睨みを利かせる、漆黒の九階建てビルがそびえていた。
 目的地、斯衛総軍参謀本部だった。見るからに威圧的なデザインは、一般市民を寄せ付けないオーラを全体から滲み出させている。実際、そのビルの前だけ人通りが無い。
「うわぁ……建物からして大空寺そっくりな」
 思わず言った鳴美に、武は苦笑した。
「まぁ、行きましょうか。ビルは取って食いやしませんよ」
 武はそう言って、鳴美を支えて歩き出した。玄関に近づくと、人間の歩哨が「止まれ」と命じてきた。
「所属、官姓名、用件を述べよ」
 武は堂々とした態度で答えた。
「国連軍横浜基地所属、白銀武士官候補生。並びに穂村鳴美軍属。横浜基地の香月副司令より、高級参謀の大空寺少佐への書簡を預かって来た。通されたい」
 そう言って身分証明書を見せる。歩哨は銃を降ろし敬礼した。
「失礼しました、白銀候補生殿。お通りください」
「うむ」
 武は答礼し、歩き出した。候補生は下っ端ぽくはあるが、それでも兵士よりは上の階級である。それに、今の武は身につけた歴戦の勇者としての風格を、それとなく漂わせて見せた。兵士たちがそれに圧倒されたのも無理は無い。
「今の白銀君、偉そうだったねぇ」
 鳴美が言うと、武は苦笑した。
「まぁ、前の世界では大佐まで行った事もありますしね。それくらいは芸のうちですよ」
 そんな会話をしながら二人は受付でまた用件を伝え、あゆを呼び出す事に成功した。応接室に通されて待つ事数分。あゆが乱暴にドアを蹴り開けて入ってきた。後ろにはまゆも控えている。
(うわぁ……ますますエラソーだ。でも、ちょっと懐かしいな)
 天敵に再会したと言うのに、鳴美の胸をよぎったのは、意外にも安心感にも似た懐かしさだった。すると武がさっと立ち上がったので、鳴美も慌てて起立した。そこで武が敬礼する。
「横浜基地所属・白銀武士官候補生であります」
「お、同じく。穂村鳴美軍属です」
 あゆはぞんざいに答礼した。
「斯衛総軍参謀本部・高級参謀の大空寺よ。こっちは副官のまゆまゆ」
「玉野まゆ少尉です。よろしくお願いします」
 まゆは彼女らしく、目下の鳴美と武にも丁寧にお辞儀をした。一方あゆは武を見て一瞬何かを感じ取ったのか首を傾げたが何も言わず、鳴美の方を向いた。
「あんたみたいなちみっこいのが軍属? 横浜基地も相変わらず妙な事してんのね。で、用件は何さ?」
 そう言いながらソファにどっかと腰掛ける。武は黙ってブリーフケースから例の書簡を取り出すと、あゆに差し出した。
「当基地の香月副司令より、書簡を預かって参りました。ご確認ください」
「ふん……横浜の雌狐がね。あたしに何の用だってんのかしら」
 あゆはまゆからペーパーナイフを受け取ると、書簡を開封して中身を読み始めた。読み進めるうちに、次第にあゆの表情が険しくなっていく。やがて読み終えたあゆは、書簡を封筒に戻して、まゆに渡した。
「……用向きはわかったさ。で、どこでこの情報を手に入れたわけ? あたしとしても一応部下であるところの連中を疑うには、それなりに裏付けが欲しいんだけど」
 ジト目で言うあゆに、武はさらりと答えた。
「情報源を簡単に明かす訳には行かないのは、少佐もご存知でしょう。詳しくはいえませんが、国防筋と国連筋のどこか、と言っておきましょうか」
 あゆは一瞬ムッとした表情になったが、そう言えば、と何かを思い出したように言った。
「横浜基地で候補生……あんた、あの訳アリの213訓練小隊?」
 武が無言で頷くと、あゆはふうと溜息をついて姿勢を直した。
「了解さ。あんたの……香月中佐からの情報確度は高いと判断する。まゆ、第一師団の狭霧大尉を洗いなさい。その他の要調査対象は後で指示するわ」
「畏まってござる」
 まゆはこっちの世界でも時代がかった言い回しを好むらしく、そう答えると部屋を出て行った。あゆはそれを確認し、二人に向き直った。
「これで、香月中佐の依頼は聞いたわよ」
「ありがとうございます」
 武は頭を下げた。どうやら交渉は上手く行ったようだ、とほっとした鳴美だったが、ふと気がついた。こんな用事なら、わざわざ足を怪我している自分も来る事はない。武一人で用事が済んだはず。なぜ、夕呼はわざわざ自分にもここへ来るよう命じたのだろう?
「さて、交渉はギブアンドテイク。あたしたちがそちらの調査依頼を呑んだからには、その代価が必要さ。わかってるわね?」
 鳴美が疑問に囚われている間に、あゆがそう話を切り出した。
「ええ、わかってます。で、何を代価として求めますか?」
 武が言った。鳴美はいったん考えるのをやめて、そのやり取りに集中しようとする。こういうハードボイルドな会話はなかなか聞けるものではない。しかし、次の瞬間彼女はぶっ飛ぶ事になった。
「そのちみっこいの。鳴美……って言ったっけ? アンタ、そうね、連絡員としてしばらくこっちに残しなさい」
「……え? ええーっ!?」
 いきなりの要求に鳴美は驚きの声を上げて固まる。そんな彼女を、あゆは獲物を見つけた猫のような笑みを浮かべて見ていた。
 
(続く)


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