「さて、今日は新しいフォーメーションでの小隊戦闘の実践ね」
鳴美が言う。助教として候補生たちにアドバイスをするようになってから二週間。今までは主に操縦や戦闘時の戦術機操作に関する事を教えてきた鳴美だが、今日は初めて戦術や連携に関することを教える。
「その事についてなんですが、助教殿」
「なに? 榊候補生」
真面目に聞いてくる千鶴に、鳴美も真面目な口調で返す。
「今までとかなり違ったフォーメーションなので、まだ理解し切れていないところがあるんですが……剛田君が後衛で大丈夫ですか?」
今回、新フォーメーションでは彼女と冥夜、慧が前衛、美琴と武が中堅、城二が後衛で、狙撃役のたまを守る形になっている。誰もが認める突撃大好き人間の城二を後衛に置く、という布陣は全員が不安なようだ。
もちろん、鳴美も城二を突撃役に回すほうが似合っているとは思う。が、適正がそうだとは限らない。
「わたしは、剛田候補生は誰かを守る役にしたほうがモチベーションが引き出せると思うんだよね。そうでなくても、あっさり弾を撃ち尽くして、後半空気になるのは困るの」
う、と城二が唸る。流石に自分の悪癖を自覚はしているらしい。まぁ、わかっていても止められないのが癖なのだから、鳴美は無理に是正するより、その癖を出せないような状況に追い込んでやろうと考えたのだった。
「不満かもしれないけど、こう考えて。珠瀬候補生が狙撃に専念できるように、しっかりガードするのが君の役目。お姫様を守る騎士……いや、日本だから侍かな?」
鳴美がそう言って城二を見ると、彼の顔にぱっと明るさが広がった。
「侍! 俺が!?」
「そう。君は立派に侍になれる?」
鳴美がダメ押しすると、城二はうおおお、と吼えながらガッツポーズをとる。
「侍……俺は侍! よし、任せろ! 俺が後衛にいる限り、珠瀬の邪魔はさせないぜ!」
上手くノってくれたか、と思いつつ、鳴美は今回の演習の条件を伝えた。
「さて、今回の敵の戦力評価指数は百二十。想定戦場はF−12、森が点在する丘陵地帯ね。各自健闘を祈ります」
「イエッサー!」
鳴美に見送られ、それぞれのシミュレータに乗り込む候補生たち。さて、上手くいくかなと鳴美は画面を見つめた。
誰が望む永遠?
第二十話:大侵攻
演習が終わった。結果から言うと、新フォーメーションはかなりの成功だった。射撃能力の高いたまと武が狙撃で敵戦力を減殺し、前衛三人がそれにとどめを刺す。奇襲しようと後ろから迫ってきた戦車級の群れは、喜び勇んで戦闘加入した城二によって殲滅され、たまは最後まで狙撃に専念できた。そして、手薄なところをフォローする美琴の的確な戦術眼。
以前苦戦した敵戦力に対し、今回は悪くても中破判定した機体が出たくらいで、見事な勝利だった。
勝利を祝ってハイタッチする一同を見ながら、鳴美は胸を張って叫んだ。
「気をつけ!」
まだ喜んでいる候補生たち。鳴美の細い声では中々騒いでいる彼らに届かないらしい。
「気をつけ! 気をつけってば!! 気をつけって言ってるでしょ!?」
手をぶんぶんと振り回して連呼する鳴美。傍目には子供が駄々をこねているようにしか見えないが、それでようやく候補生たちも鳴美に気づいたらしく、整列する。
「失礼しました、助教!」
千鶴が敬礼し、候補生たちがそれに倣ったのを見て、鳴美は答礼して頷いた。
「こほん。まぁ、いいけど……さて、今回の訓練に関してだけど、初めてのフォーメーションにしては連携が上手くいってたし、しばらくこのままで完熟するまで訓練を続けます。では解散。各自レポートを作成して、神宮寺教官宛に提出する事」
「はい!」
褒められた事で、笑顔になって返事をする候補生たち。その時、鳴美は武だけが笑顔ではない事に気がついた。視線を合わせると、武が頷いた。
(何か気がかりな事でもあったかな……?)
鳴美は考え、そして二人で例の休憩コーナーへと向かった。
「ええ、気がかりな事が一つできたんです」
鳴美に聞かれた武は頷いた。
「んー、と言うと?」
鳴美は聞き返す。この世界に関しては、武の方が詳しいのだ。鳴美には聞く事しかできない。
「俺も最近になって思い出したんですが……前の世界では起きたことが、今の世界ではまだ起きていないんですよ」
鳴美は背筋を伸ばした。微妙な差異はあるが、武が経験した三回のこの世界での出来事は、いずれも同じ日に起こった。その原則が破れた一つが、鳴美の出現だ。これはかなり大きな今までとの差異である。そうすると、その「まだ起きていない出来事」というのも、この世界の行方にかなり大きな影響を与えるものである可能性がある。
「で、その出来事って?」
真剣な表情で問う鳴美に、武は答えを言った。
「佐渡島からのBETA侵攻です。過去の三回では、旅団級の戦力を持つBETAが佐渡島ハイヴから出現して本土に上陸し、かなりの規模の戦闘が展開されました」
そのBETA旅団は最終目的地がこの横浜基地だったらしい。しかし、この旅団は結局横浜にはたどり着けず、越後山脈の山中で捕捉され、集中攻撃を受け殲滅されている。
「そういう事が……それは確かに結構な大事件だね。それがまだ起きていない、と」
鳴美は頷いた。戦闘など起きないに越した事はないのだから、歓迎すべき事じゃないのか、とは流石に彼女も思わない。
「旅団がダメなら、もっと大きな戦力で来る……という事もあり得るよね」
「俺もそこを危惧してます。何か対策ができるかどうかわかりませんが、一応この件は頭の中に入れておいて貰えますか?」
「ん、了解」
鳴美は頷いた。壁にかかっている日本地図を見つめる。日本の東西を分ける大断層、糸魚川―静岡構造線にほぼ沿う形で伸びている人類とBETAの勢力境界。その線が海上に伸び、本土と佐渡島の間を通っている。
武に聞いた話では、彼の過去では二回佐渡島ハイヴ攻略戦が行われていたが、一回は惨敗し、もう一回は敵増援のために戦線が維持できず、最終的にG弾を投下して佐渡島ごとハイヴを吹き飛ばすと言う散々な結果に終わったと聞いていた。それほどの強大な戦力が、海を隔ててとはいえ百キロと日本から離れていないあの島には潜んでいるのだ。
(はぁ……やだやだ。怖い話。でも、逃げる事はできないんだよね)
溜息をつくと、鳴美は武と別れ、逃げ続けているもう一人の自分が待つ部屋へと帰ることにした。
部屋に帰ると、テーブルの上には料理が置いてあった。鳴美が孝之のためにと昼食を作っておいたのだが、手をつけた様子が無い。また溜息をつく。
「鳴海中尉、開けますよ」
鳴美はそう断って孝之の部屋を開けた。途端に耳に飛び込んでくる電子音と、熱の篭った声。
「くぬっ、このっ! ふんっ……ああっ!?」
爆発音と「You Lose」の合成音声が流れる。
「ああ、畜生……」
自分が撃たれたように、背中から床に倒れこむ孝之。そこで、ようやく鳴美の存在に気がついたらしい。
「お? 帰ってたのか」
「帰ってたのか、じゃありません。もう夕方の六時ですよ」
孝之は壁にかかっている時計を見て、おお本当だ、とのんきな声を出す。朝八時ごろに鳴美が出かけたときも「バルジャーノン」をプレイしていたはずだから、もう十時間くらいぶっ続けでゲームをしていた事になる。
「せっかく昼食作っておいたのに、食べてくれてないじゃないですか。わたしの作ったものはお気に召しませんか!?」
「え? あ、いや……そのなんだ、悪い」
鳴美が珍しく怒ったためか、孝之が素直に謝る。鳴美としては、武からいろいろと容易ならざる話を聞いていて、この世界に対する危機感も強いだけに、ここでゲームに興じている孝之への怒りが募ったのだった。
「バルジャーノンが楽しいのはわかりますけど、ちゃんとご飯は食べてくださいね。今でこそ候補生の助教なんてしてますけど、わたし本来の仕事は中尉の従兵なんですから、身体でも壊されたら夕呼先生に叱られます」
「そうだな。悪かった」
その返事に、ちょっと気を削がれる鳴美。なんだか今日の孝之は妙に素直だ。何か良い事でもあったのだろうか?
(って、バルジャーノンの事しかないか……)
きっと、梃子摺っていた難関ステージでも突破したのだろう。たぶん夕飯時にその辺の話を延々聞かされるはずだ。
「まぁ、判ってくれれば良いですよ。じゃあ、これから晩御飯にしますから」
昼食を電子レンジで温めれば、手間が省けるだろうと鳴美は考え、三十分後にまた呼ぶと言うと、孝之は頷いてゲームを再開した。その背中を見て、鳴美はまた深い溜息をついた。
「と言うわけでな、ストームキャバリーの相手をする時は、背後に回れば良いと気がついたんだ。あいつスピードは速いけど、旋回性は遅いし火力も低いから」
「ですね」
食事をしながら、鳴美は孝之が見つけた強敵の攻略法を聞いている。今回の相手は、BETAで言えば突撃級に相当するホバー移動型の高速・重装甲の機体だった。昨日まで孝之はその相手に苦戦していたのだ。
「ただかわすんじゃなくて、ジャンプ中に身体を百八十度捻って、背後から滞空中に敵を撃てるようになれば、もっと良いと思いますよ」
鳴美が孝之の考えた攻略法に、自分の知っているそれを情報として提供すると、孝之はなるほどと唸った。そして、ふと不思議そうな表情で彼女を見る。
「お前……ひょっとして、あのゲームそこそこ上手いのか?」
今頃そういう話をしますか、と思いつつも鳴美は頷いた。
「ええ、そこそこには」
控えめな言い方をしたが、そのうちに潜む絶大な自信を孝之は感じ取ったらしく、面白そうな表情になる。
「じゃあ、ちょっとやって見せてくれないか?」
「いいですよ」
鳴美は首を縦に振る。孝之に、少しは自分が彼より優れた面を持つ事を見せ付けてやりたいと思った。食事が終わると、早速ゲームガイを受け取ってバルジャーノンを起動する。
「難易度は……VERY HARDっと」
コンフィグで一番難しい難易度にする。ちなみに孝之は「NORMAL」である。
「おいおい、無理すんなよ」
孝之が心配しているような、その実小馬鹿にしたような声で言うのを聞いて、鳴美は闘志を余計燃やし、自分好みに機体をカスタマイズした。最低限の装甲と、最高の火力と機動性を持たせたチューニングだ。最高難度では数発の命中弾で機体が粉微塵になる可能性があるが、鳴美は構わずゲームをスタートさせる。そして。
彼女はノーダメージで孝之がまだクリアしていないステージを突破し、膨大な砲弾をばら撒いてくる難関の対巨大戦艦戦もあっさりクリアしてみせる。
「どうですか?」
崩れ落ちる戦艦が映っているステージクリア画面をから目を離し、鳴美は孝之を見た。
「どうって……お前、すげえな。良くあんな軽装甲で……」
感心したような、呆れたような声の孝之に、鳴美は昔見た古いマンガの一節を借用して答える。
「当たらなければどうって事はないですよ」
鳴美としては軽い冗談のつもりだったのだが、次の瞬間孝之が血相を変えて怒鳴った。
「当たらなければ? 馬鹿を言うな! そんな過信を抱いていたら死ぬぞ!!」
「えっ……」
驚いたと言うか、唖然とした表情で孝之を見る鳴美。無気力だった顔に、本心からの憤りが漲っている。思わず鳴美は謝った。
「す、すみません……調子に乗りすぎました」
「……俺も、そんな過信を持っていた時期があった。馬鹿だよな。遥がいなくなって、初めて思い上がりに気がついたが、もう後の祭りだ……」
「中尉……」
鳴美は、自分の一言が孝之のトラウマを抉ってしまったことに気がついた。孝之はゲームガイを手に取ることもなく、部屋に戻ると扉を閉めた。がちゃり、と鍵を掛ける音が妙に大きく聞こえた。
「……失敗したな」
鳴美は溜息をついた。今日は妙に溜息の多い日だと思いながら。溜息をつくと幸せが逃げると言うけど、それなら今の自分に幸せは残っているのだろうか。
どうやら、残っていなかったらしい。
そう思ったのは、突如鳴り響いた非常警戒のサイレンを聞いた瞬間だった。
『総員に告ぐ、デフコン2発令。当基地はこれより全面戦闘警戒態勢に移行する。繰り返す。デフコン2発令。当基地はこれより全面戦闘警戒態勢に移行する。各参謀は司令室に集合。それ以下のものは上官命令に従い、臨戦態勢で待機せよ』
アナウンスを聞いて、鳴美は電話に飛びついた。武の部屋の番号を回す。
『はい、白銀です』
緊張した様子の声で武が出た。
「白銀君? 鳴美です。これって……!」
『先輩もそう思いますか。噂をすれば何とやらですね……』
二人はこれが何事かを直感していた。
鳴美が基地区の待機場所に行くと、既に武たち候補生が集まっていた。まりもが彼女の姿を認めて、言葉を掛けてくる。
「穂村軍属、君は正規の軍人ではない。特に集合の必要はないし、部屋で待機していて構わないが」
まりもは軍人モードに移行しており、プレッシャーさえ感じる鋭い気迫を発していたが、鳴美は首を横に振った。
「いえ、状況だけでも教えてください。邪魔はしませんから」
「そうか……まぁ良かろう。では、状況を伝える」
まりもは頷くと、壁のパネルに画像を展開した。新潟付近の地図が出たことで、鳴美は事態を確信する。遅れていたBETA旅団の侵攻が始まったのだ。
「本日二〇三六時、佐渡島から渡洋してきたと思われるBETAの大集団が新潟県直江津付近に上陸した。偵察部隊が接触したが、既に同部隊との通信は途絶。壊滅したと思われる。が、途絶直前にあった報告によれば、敵戦力は……」
まりもはそこで硬い表情になった。
「敵戦力は、推定三個師団級だ」
「三個師団!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる鳴美に、まりもが険しい声をかける。
「穂村軍属、邪魔はしないと言ったはずだが?」
「あ、す、すいません!」
鳴美は謝ったが、すぐに顔を上げて武を見る。その顔は硬くこわばっていた。
無理も無い。三個師団とは、旅団で言えば五〜六個に相当する規模。武が知る今までの世界を遥かに超える戦力が本土に上陸してきたことになる。
なお、BETAは軍隊ではなく、特に旅団とか師団と言った軍隊的な編成を持っているわけではない(彼らなりの基準がある可能性は否定できないが)ため、旅団級とか師団級と言うのは
「人類側がどれだけの戦力を持ってくれば対抗できる規模か」
と言う観点で分類されている。
「現在、新潟の第十二師団、第五機甲師団、長岡の第三独立機動旅団などが迎撃態勢を整えており、関東地方の各部隊も順次出撃命令を受けると思う。当基地の戦力は当面参戦を命じられることは無く、また候補生であるお前たちが戦場に出る事は無いと思うが、近年稀に見る規模の大がかりな侵攻であることは確かだ。そこで臨戦態勢を整えておく。戦場の空気を少しでも嗅ぎ取れ。それが明日に繋がる」
『はいっ!』
まりもの訓示に、候補生たちは緊張した顔で返事をすると、壁際の長椅子に並んで腰掛け、モニターを見つめた。鳴美は武の横に座ると、周りに聞こえないよう小声で話しかける。
「嫌な予感……当たったね」
「当たってほしくは無かったですが」
武は真剣な表情をしたまま答える。
「この後はどうなるの?」
鳴美の問いに、武はわかりません、と首を横に振る。
「今までなら、この後連中は南下して関東地方を目指し、越後山脈を越えようとするところで殲滅される……はずですが、この戦力だと、関東乱入に成功するかもしれませんね」
武の言葉に、鳴美は背筋がぞくっとするのを感じた。基地内で候補生たちを教えている限りは、ゲームの一環のような気持ちで考えられるが、もし本当にここが戦場になってしまったら、平静でいられるとは思えない。
「じゃあ、ここも戦場になる……?」
「最悪の場合は」
武は答えた。その顔には「元の世界」で一緒にゲームに興じていた少年の面影は無く、死線を潜り抜けた戦士としての顔が現れていた。その厳しい顔が、ふっと綻ぶ。
「でも、心配しないでください。俺は誰も死なせるつもりはありません。先輩の事も守って見せます」
「白銀君……」
力強く頼もしい笑顔に見つめられ、鳴美の胸のどこか奥深くで「きゅんっ」とするものが……
「って、今の感覚は何っ!?」
突然叫んだ鳴美に、周囲の視線が突き刺さる。
「あ……ご、ごめんなさい」
赤面して縮こまる鳴美。今顔が赤いのは、恥ずかしいからか。それとも……?
突き詰めていったら自滅しそうな思考を中断させたのは、警戒を告げるアナウンスだった。
『ニ一四八時、敵先鋒は新潟県魚沼郡方面へ進撃中。第十二師団の戦術機大隊が威力偵察を行ったが、大損害を受けて撤退中』
味方の損失を告げる報告に溜息が漏れる。地図では魚沼での会敵を予測して、戦術機の大集団である第三独立機動旅団や、北関東から北上中の第十九師団が集結しつつある。しかし、相手は三個師団級。大丈夫だろうか?
鳴美の心配は的中した。敵の群れは味方の集結よりも早く魚沼を突破し、関東へ向けて方向を転換した。第三独立機動旅団はその早さに追いつけず、第十九師団は慌てて後退し、周辺の部隊との合流を図り始める。
「予想外に速いな……敵の動きは。でも、あの速さならのろい光線級や重光線級は混じっていないはずだ」
武が言うと、まりもが手を打った。
「なるほど……奴等が随伴していないのであれば、巡航ミサイルなどで叩けるな。良い所に気がついたぞ、白銀」
まりもがそう褒める。もっとも、武が気づいたような事は他の誰かも気づいたらしく、相模湾や東京湾に展開している艦艇が巡航ミサイルの発射を開始した。それは二十分ほどで敵の先鋒部隊に命中し、僅かにその進撃速度を遅らせた。
それでも十分で、その間に北関東に展開している敵部隊が、水上の手前でBETAを迎撃する態勢を整えた。新潟の部隊はBETA群を追撃しており、上手くいけば水上で敵を包囲殲滅させる事ができるだろう。しかし――
『新潟付近に敵第二波上陸。規模は推定一個師団ないし二個師団級!』
「な、増援ですって……?」
思わず素に戻ったまりもが唖然とした口調で言う。
「嘘だろ……? 佐渡島ハイヴはそこまで大きくないはずだ」
武も言った。二波合わせて四〜五個師団が来たと言う事は、ハイヴ内にはそれと同等の戦力が残っているはず。佐渡島ハイヴはそこまで巨大な戦力を格納できるほど大規模ではない。
第二波の上陸に、第一波を追撃していた部隊が取って返す。第一波を包囲殲滅する絶好の機会は失われてしまった。こうなると、北関東で迎え撃つ戦力を増やすしかない。
「練馬の第一師団に……嘘、第一斯衛機甲師団まで出るの? 総力戦になってきたわ」
千鶴がパネルを見ながら言った。斯衛とは皇帝の直轄部隊で、要するに近衛部隊である。読み方も同じだが微妙に字が違うのが、鳴美にはなんだか変な感じだった。
敵上陸から四時間。日付が変わり、各地で上陸したBETA群との戦闘が開始された。水上でも敵三個師団級に対し、味方の一個師団+二個旅団が果敢な迎撃戦闘を展開しており、そこへ東京周辺から出撃した三個師団が増援に急行している。
新潟でも一進一退の攻防が繰り広げられているようだった。候補生たちは言葉も発せずに、ひたすら食い入るようにパネルを見つめている。パネルには電子化した情報しか表示されないが、それでもなんとかそこから戦場の雰囲気を察しようとしているのだろう。
武もじっとパネルを見つめているが、やはり他の候補生たちとは目の付け所が違うらしい。何やら不審そうな表情になると、鳴美に囁きかけてきた。
「先輩、どうも変です」
「何が?」
鳴美も小声で聞き返すと、武はパネルをもう一度見て答えた。
「戦局が互角なんですよ。同数兵力ならBETAの方が強いのが普通なんですが、あいつらは自分たちより戦力に乏しいこちらと同等にしか戦えていない……」
「味方がものすごく頑張っている……って事は?」
鳴美が聞くと、武はもちろんそれも考えられますが、と前置きしてから自分の考えを続けた。
「今回の連中の動きは巧妙です。互角の戦闘も、何かの罠の様な気がしてなりません。俺たちは何か大きな見落としをしてるんじゃないでしょうか」
その言葉に考え込む鳴美。確かに、BETAは絶好のタイミングで第二波を送り込んだりしている。彼らにも作戦を考える知能があることはわかっている。そうすると……
(あれ?)
鳴美はある事を思い出した。夕方、訓練後に武と話した時に、彼はなんと言っていた?
この戦いのBETAは、横浜基地を目指しているらしい。そう言っていなかったか?
でも、それは変だ。人類側が大軍をそろえて待ち構えている中を数百キロも突破して横浜に向かおうと思えるほど、BETAは無謀なのか? もし本当に横浜基地が目的地だとしたら、今戦闘中の敵は……
「もしかして、囮なんじゃ?」
「囮? はっ!!」
鳴美の言葉を聞いて、ガタン、と椅子を蹴るような勢いで立ち上がる武。何事だと注目するまりもや候補生たちの前で、武はそんな視線を感じていないかのように頭をかきむしり、叫んだ。
「くそ、そんな単純な事を見落としていた……! 連中の狙いがここなら、奴等の本命は南から来る!!」
「南から? 何を言っているのだ、白銀」
冥夜が焦慮に身を焦がす武を不審そうな目で見る。武は見るからに苛立った様子で何かを言おうとして……
鳴り響いた非常ベルに、それを遮られた。
「何事!?」
叫んで立ち上がったまりもに答えるように、アナウンスが始まった。
『緊急事態発生! 繰り返す、緊急事態発生!! 湘南海岸にBETA上陸部隊が出現した!! 敵推定戦力は一個旅団級! 当基地はこれより全面戦闘態勢に入る。デフコン1発令!』
『全衛士はハンガーへ集合! 戦闘装備で待機し次の指示を待て!!』
続け様の緊急放送に、まりもの顔が青ざめる。
「なんて事……北陸に来た敵は囮? 湘南への奇襲が本命だとでも?」
敵大規模侵攻への対処のため、関東のめぼしい部隊は全て水上へ釣り上げられている。今ここで湘南に上陸した敵に立ちはだかれるのは、この横浜基地以外に無い。もしここが陥落すれば、帝都東京が、ひいては日本が累卵の危機に晒される。
「教官」
鳴り響く非常ベルと、基地全体から聞こえてくる戦闘態勢移行の喧騒の中、妙に良く響く声で武がまりもを呼んだ。
「は……何か? 白銀候補生」
それで落ち着きを取り戻したまりもに、武は再びそれを失わせるような事を言った。
「この時期なら、俺たち候補生用の戦術機も搬入されていましたよね? 起動準備を願います」
「何……? ば、馬鹿な事を言うな! 戦場に出るつもりか!? そんな事は認められん! 足手まといだ!」
激怒するまりも。それはそうだろう。彼らはまだシミュレーターでしか戦術機を動かした事がないのだ。武だけは例外だが、そんな事をまりもが知っているわけもない。
しかし、激情を吐き出したまりもに、武は静かに答えた。
「そんな事を言ってる場合じゃないだろ、まりもちゃん。この基地が落ちたら人類はおしまいなんだ。使えようが使えまいが、戦う術を知っている奴は全て戦場に出ても、ここを守らなきゃならないんだ。まりもちゃんがダメって言っても、俺は夕呼先生に話を通してでも出るぜ」
彼が纏う、十年に及ぶ戦いを潜り抜けた戦士の風格とでも言うべき何かが、まりもの口を封じさせる。他の候補生も、鳴美も圧倒されて何も言えない中、空気を読めないバカだけが立ち上がった。
「おう、その通りだぜ白銀! 俺も出るぞ!!」
城二が熱血ポーズで宣言すると、それに触発されたように千鶴が、冥夜が、美琴が、たまが、慧が立ち上がる。
「教官、我々は未熟です。ですが、戦う気概はあります!」
「お願いします。出撃許可を!」
「戦わせてください!!」
口々に叫ぶ候補生たちに、まりもは頭を抱えるようなポーズで溜息をついた。
「……ダメよ。あたしの権限ではうんとは言えないわ」
「じゃあ、権限のある人間がうんと言いましょうか」
まりもに答えるように続けた人物に、全員の目が集中する。いつの間に来たのか、待機室の入り口に夕呼が立っていた。
「横浜基地副司令として、第二〇七小隊に命じる。直ちに衛士装備を着用し、第三ハンガーへ集合する事。なお、本命令は基地司令の承認済みよ」
歓声が上がった。候補生たちが口々に夕呼への礼を言いながら、部屋を飛び出していく。
「夕呼! あの子達は!!」
まりもが夕呼にくってかかろうとするが、夕呼は軽く首を振った。
「やれるわよ。まりもだって判っているはず。あの子達は、まりもの期待以上に腕を上げているわ。小さな助っ人のおかげでね」
夕呼が鳴美を見る。
「え、わたしですか?」
鳴美はまだ彼らの訓練に一週間ちょっとしか付き合っていない。
「そうよ。君もあの子達ならやれると思うでしょう?」
鳴美は考え込んだ。技術的には……たぶん。冷静さを失わなければ、多少の敵には苦戦しないはず。
「いける……と思います。でも」
何かが足りない。
「でも?」
夕呼が怪訝そうな表情になった時、鳴美は走り出していた。
「どこへ行くの!?」
「わたしにできる事をします!」
夕呼の言葉に答える。答えになっていない気もするが、説明している暇は無い。
彼らに足りない何かを補う事。それは鳴美自身にはできない。でも、その手がかりは作れる。作ってみせる!
決意を抱いて鳴美は廊下を走っていった。
(続く)
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