鳴美が異世界にやって来てから、早くも一週間が経とうとしていた。
「それじゃあ、今度はこの辺の資料を読んでおいてね」
「はい、夕呼先生」
 分厚い資料の束を渡された鳴美は、それを抱えて出勤する夕呼を見送った。それらの資料は、この世界の歴史やBETAとの戦争に関するそれで、鳴美はこちらでの常識を身に付けるため、熱心に資料を読んでいた。
 読んでいて楽しい資料とはちょっと言えない。三十年に及ぶ戦争で人類は人口の七割近くを失い、ユーラシア大陸全域がほぼBETAの支配下に置かれている。日本も西日本一帯をBETAに占領され、関東地方で必死の防衛戦を展開している状態で、言うなればジリ貧状態だ。
 それでも、BETAを討つため、あるいは情報を手に入れるために決死の任務に挑んだ兵士たちの苦闘の記録は、鳴美を感動させる何かに満ちてはいた。
「とはいえ、さすがにちょっと飽きてきたかな……」
 近現代史の本を閉じて、鳴美はカーペットの上に寝転がった。何しろ、この一週間、彼女は夕呼の部屋からほとんど出ていない。
 それも当たり前な話で、ここは軍事機密でいっぱいの軍事基地。どこに行くにも個人認証が不可欠なのだ。部屋の出入りにも網膜パターン認証をしないと無理だし、ICカードが無いと買い物すら出来ない。
 おまけにこの世界でも当然鳴美には戸籍が無いため、カードを作ってもらうのも難しいと言う事だった。一応、夕呼は居住区くらいは自由に行き来できるカードを作ってもらうようにする、とは言っていたが。
 そんなわけで、部屋に閉じこもりっぱなしの鳴美である。資料を読むのにも疲れたし、何か他に暇つぶしは無いかな、と考えると、ふと彼女はあるものに気づいた。
 壁に五十センチ四方くらいの扉のようなものが付いているのだが、鳴美は今まで配電盤か何かだろうと思って気にしていなかった。しかし、今日はそれが開いていて、中に画面のようなものが見える。興味を覚えて近づいてみると、どうやらそれは壁に固定されたコンピュータの端末らしかった。
「あれ、こんなのがあったんだ。先生はいつもノートPCで仕事してたから、気づかなかったな」
 夕呼は帰ってくると、書斎に入ってそこで何かの研究をしている事が多い。たまに鳴美も平行世界である自分の生きていた世界の事を聞かれたりするので、コンピュータはあのノートだけだと思っていた。
 しかし、こんな固定式のコンピュータ端末が付いている。各部屋に標準装備なのかもしれない。鳴美は立ち上がると、扉を開けてその端末を引き出した。自動的に電源が入り、待機状態を示す画面に切り替わる。
「指紋認証を行ってください」
 画面にはそう表示されていた。コンソールを見ると、鳴美が「自分の世界」でも見た覚えのある、指先を押し付けて指紋を読み取らせる機械が付いていた。何の気なしに、鳴美はその機械に自分の指を置いた。
「なーんて、動くわけ無いよね」
 苦笑して、端末を戻そうと思った鳴美だったが、次の瞬間画面が切り替わった。軍のロゴらしいマークが表示され、一瞬英語のメッセージが流れる。
 
「U.N.PACFORCE TACTICAL INFOMATION SERVICE Welcome Lt,TAKAYUKI NARUMI」

「……えっ!?」
 メッセージはすぐ消えたが、鳴美は驚きの声を上げていた。今確かに自分の過去の名前が表示されていた。どういう事だと考える間に、画面が初期メニューに切り替わる。


誰が望む永遠?

第十五話:鏡の向こう側



「認証できちゃった……」
 戸惑う鳴美。何かまずい事をしたような気がする。だが、好奇心が勝った。見た目が「自分の世界」のコンピュータと大して変わらないGUIを採用している事を確認し、インターネットに繋いで見る。デフォルトのサイトは検索サービスになっていた。しばし考え、キーワードに「戦術機」と打ち込んでリターンキーを押す。
 戦術機は、BETA戦争における人類側の主力兵器で、全高十五メートルを超える大型の二足歩行兵器だ。鳴美がこっちの世界に来た日に、アパートを半分押し潰していたのがその一機で、その日の朝の戦闘でBETAに撃破されたと、後で夕呼に聞いた。鳴美を助けた水月たちの部隊は、パイロットの捜索救難部隊だったそうである。
 バルジャーノンプレイヤーとして、鳴美は戦術機には並々ならぬ興味を抱いていた。
(ちょっと、自分で操縦してみたい……)
 いくらなんでも触らしてくれないだろうけど、と思いつつ、鳴美は検索結果を確認した。おそらくこっちの世界の軍事マニアが作ったであろう、「世界の戦術機」というサイトに繋いで見る。
「おお、かっこいい!」
 思わず言う鳴美。サイトのトップページに使われているのは、現在日本軍の主力になっていると言う機体「陽炎」だった。米軍ではF−15イーグル。こっちの世界では、自分の世界の戦闘機が戦術機に置き換わっているらしい。
 しばらく鳴美はそのサイトを楽しんだ。夕呼が渡してくれた資料にも戦術機関連のものはあったが、ざっくりした解説程度で、あまり詳しいものではなかったのだ。しかし、ここはさすがにマニア向けだけあって、情報は充実している。
 夢中になって見ていたせいか、鳴美はそれに気づかなかった。
 いきなりバタン、とドアが開き、夕呼が真っ赤な顔で部屋に入ってきたのである。
「こらっ!」
「にゃっ!? ご、ごめんなさい!!」
 いきなりの怒声に、わけも分からず謝る鳴美。すると、夕呼はあれ? と言うような表情になった。
「鳴美ちゃん、一人? 他に誰かいない?」
「だ、誰もいませんけど……どうしたんですか? 先生」
 鳴美の言葉に、夕呼は辺りを見回し、首を傾げた。
「おかしいわね。あたしの部屋の端末を鳴海中尉が勝手に使っているって電話が来たから、飛んできたんだけど……って、何で鳴美ちゃんが端末を使えてるの!?」
 言葉の途中でようやく鳴美が端末を使っている事に気づいて、夕呼は叫んだ。鳴美はしまったという表情になったが、勝手に使ってしまった事は確かなので、素直に謝った。
「ごめんなさい。まさか使えるとは思わなかったんですけど、やってみたら使えたもので」
 それを聞いて、夕呼はますます不思議そうな表情になる。
「使えた? 指紋認証があったはずよね?」
「はい。なんだかクリアできちゃいました」
 鳴美が答えると、夕呼はしばらく考え込んでいた。
「……鳴美ちゃん、ちょっと来てくれる?」
「……? はい」
 すぐにでも怒られると覚悟していた鳴美は、夕呼の思いがけない反応に当惑しつつ、彼女に付いていった。行き先は居住区のはずれの扉で、そこには
「これより軍管理区域 民間人の立ち入りを禁ずる」
 というプレートが張ってあって、網膜パターン認証装置が付いていた。
「鳴美ちゃん、ちょっとあれ試してくれる?」
 夕呼が認証装置を指差した。鳴美は頷いて装置の前に立ち、そして夕呼の方にを振り返った。
「先生、届きません」
 装置の高さは百五十センチくらいのところにあり、鳴美が背伸びをしても、目はその高さまで届かなかった。
「しょうがないわね」
 夕呼は鳴美を抱き上げた。そこでようやく目が届いたので、認証装置に目を押し当てる。すると、ピンポーンという電子音が響き、ドアが開いた。認証されたのだ。
「これは……」
 夕呼は開いたドアを驚きの表情で見ていたが、鳴美を床に降ろすと、携帯電話を取り出した。
「管制室? あたしよ。 ……ええ。第七セクターの入り口で今認証したのは誰って表示されてるか見てもらえる? ……そう。わかったわ、ありがとう」
 夕呼は電話を切ると、鳴美の全身を見回した。
「な、なんですか?」
 さすがにじろじろ見られるのは恥ずかしいと思う鳴美はそう聞いたが、夕呼は腕組みをして、何かを呟いていた。
「こうまで違うなんて……あるいは特異……? 理論的には……」
 その顔は真剣で、怖いくらいだった。ちょっと逃げ出したくなるような思いに鳴美が駆られた時、夕呼が言った。
「鳴美ちゃん……君に会わせたい人がいるの。ちょっと着いてきて」
「は、はい」
 返事も待たずに歩き出した夕呼の後を追う鳴美。別のドアを通り、軍管理区域から戻った鳴美たちが着いたのは、夕呼たちがいる居住区とは別の区画にある、一般将兵用居住区だった。そのドアの一つで夕呼は足を止め、そして鳴美は絶句した。ドアの表札に記された名前。それは……
「鳴海孝之中尉、副司令の香月よ。入るわね」
 夕呼が部屋の主に声をかけ、やはり返事も待たずにドアを開ける。そのとたん。
「う……」
 鳴美は思わず鼻を覆った。部屋の中から流れ出してきたのは、アルコールと生ごみの臭い、それに風呂に数日間入っていない人間の放つ悪臭を混ぜた、饐えたような臭いだった。夕呼も顔をしかめているが、臆せず先に進む。
 鳴美は一瞬ためらったが、夕呼の「会わせたい人」という言葉と、なによりその人物を見定めたい、という気持ちから後に続いた。夕呼が電気をつけると、部屋の惨状が浮かび上がる。床に転がったビールの缶と酒瓶。それに積み上げられたゴミの山。
 そして、その真ん中に、ベッドにもたれるようにして俯いている男。
「鳴海中尉、相変わらずね。生きてる?」
 夕呼が呼びかけると、男はのろのろと顔を挙げ……鳴美は息を呑んだ。
 過去の自分――男の「鳴海孝之」がそこにいた。
「……副司令。何の用ですか? いまさらオレみたいな役立たずに構っていられるほど、暇な人じゃないでしょう」
 丁寧な、しかし荒んだ口調で孝之は言うと、傍のビール缶を取り上げ……舌打ちして放り出した。飲みきっていたらしい。
「そうね。本当なら、貴方みたいな最低の屑を構っている暇は無いわ。貴方が英雄じゃなければ……放り出しているところよ」
 夕呼が厳しい口調で言い、鳴美は自分に向けられた言葉のように胸を押さえた。鋭い痛みが走る。
 彼女にも……孝之だったころに、こんな風に荒れていた時代があった。ここまで酷くは無かったが、それでもまるで自分の嫌な部分を凝縮して見せられているようだった。
「放り出してくれて良い。オレなんてBETAに喰われても誰も悲しみませんよ」
 投げやりに言って、孝之は再び俯く。それを見て、溜息をつくと夕呼は鳴美を見た。
「あの、これは……」
「そうね。たぶん君の考えている通りよ」
 夕呼は鳴美の戸惑ったような言葉に答え、そして言った。
「鳴美ちゃん。いや、穂村鳴美さん。貴方を、副司令権限で二等兵待遇の軍属に任命します」
「え?」
 鳴美はいきなり改まった態度と口調になった夕呼の言葉に戸惑った。軍属という言葉を資料で得た知識から引っ張り出す。確か、正規の軍人ではないけど、軍人の階級に属する待遇を持つ、軍の職員だったか。
 いきなりそんなものに命じられたのも驚きだったが、続けて夕呼が発した言葉は、さらに鳴美を驚かせた。
「さらに、ここにいる鳴海孝之中尉の従兵の仕事を命じます。任務は明日からでかまいません」
「ええっ!?」
 驚く鳴美に、孝之が顔を上げて濁った目を向けてくる。そして、夕呼に言った。
「副司令、なんです? このチビっこいのは」
 自分に言われたからか、ものすごくムカついた。鳴美は何か言い返そうと息を吸ったが、悪臭を思い切り吸い込んでむせてしまう。
「うっ! けほっ! こほっ!!」
 苦しむ鳴美の背中をさすってやりながら、夕呼は答えた。
「最近保護した難民の女の子よ。行き場所が無くて、家族もいないから、あたしが行きがかり上保護者をしてたんだけど……タダメシを食べさせる余裕も無いから、貴方の従兵をしてもらうわ。貴方もこの子の保護者になってやってちょうだい」
 それを聞いた孝之は、めんどくさそうに何も答えず、また俯いてしまう。それを見届けて、夕呼はまだ咳き込んでいる鳴美を連れて外に出た。
「ふぅ、ふぅ……苦しかった……」
 涙目で言いながら、鳴美は夕呼を見た。
「先生……どういう事なんでしょうか?」
「詳しい事は、医務室に戻って話すわ」
 夕呼はそう言うと、鳴美を連れて、仕事場である医務室に戻った。
 
 医務室に着いたところで。夕呼は鳴美にお茶を出し、自分はコーヒーを淹れた。落ち着いたところで、彼女は話し始めた。
「大体想像がついていると思うけど、あの彼……鳴海孝之中尉は、たぶん“この世界の君”よ。性別も年齢も違うけど、指紋や網膜パターンが同じということは、まず間違いないわ」
 鳴美は頷いた。本当は性別も年齢も同じのはずだ。今もって原因不明な、この少女の姿になる前は。
「全く、君は本当に異例尽くめの存在ね。事情を聞く限りでは、速瀬中尉は向こうと大差ない存在のようだし、その他の人もたぶんそうだろうとは思うけど」
 この一週間で鳴美が知ったところでは、こっちの世界にも水月の他に愛美がいることは分かっている。まだ会ってはいないが、やはり看護の道を志したようで、この基地で看護兵として働いているそうだ。
 その他の人物もおいおい調べていくつもりではあったが、まず自分が明らかになるとは思わなかった。しかし、あの「もう一人の自分」は……
「あの……ちょっと聞きにくいんですけど、どういう人なんでしょうか、あの人は?」
 鳴美は思い切って聞いてみた。会話の端々から、ただ事で無い雰囲気は漂ってはいたが……
「そうね。彼は戦術機のパイロット……衛士と言われる、超エリート軍人だったわ。訓練校での成績は過去最高。任官後もその成績に恥じない戦果を無数に上げ続け、今までに三百体以上のBETAを撃破しているわ。これは未だに破られていない、人類側最高の戦績よ」
「ええっ!? そ、そんなに凄い人なんですか?」
 鳴美は驚いた。そういえば会話の中で、夕呼は孝之の事を「英雄」と呼んでいたが、それが本当なら、英雄と呼ばれるのも無理は無い。
「凄い人だった、というべきかしらね。三年前のあの事件までは」
 三年前という単語に、鳴美はどきりとする。三年前と言えば、自分の世界では遙が事故に逢った……そして、自分が世界から孤立していく契機となった、忌まわしい記憶のある年だ。
 世界が違っても、やはり似たような事がおきるのだろうか、と考える鳴美に、夕呼は話を続ける。
「その頃、人類軍はハイヴというBETAの“巣”の一つに大規模な攻勢作戦を仕掛けていて、鳴海中尉もそれに参加していたの。でも、作戦は失敗した。彼はバディ……まぁ、ペアを組んでいる戦友と思ってちょうだい。そのバディと一緒に味方の撤退を援護していたんだけど、一瞬の隙を付かれて、敵の攻撃をまともに食らってしまったの。彼は重傷を負って……」
「……戦えなくなった、とか?」
 鳴美が聞くと、夕呼は首を横に振った。
「そこまで酷くは無かったわ。問題はバディのほう。彼女は還らなかった。遺体が見つからなかったから行方不明扱いだけど、事実上生存は絶望視されているわ」
 ずきん、と鳴美の胸が痛む。バディ。彼女。還らなかった……それは……
「バディの人の名前は……ひょっとして、涼宮遙……と言いませんか?」
 夕呼の目が驚きに見開かれた。
「ええ……そうよ。知っていると言う事は、君の世界でも?」
「わたしの世界では、交通事故でした。昏睡状態になって……でも、最近目を覚まして、退院できたんですけど」
 鳴美が言うと、夕呼はあごに手を当てて考え込んだ。
「そう……世界は違っても、似たような状況は起こり得る……という事かしら。深刻さはかなり違うけど」
 そこまで言ってから、夕呼はふと思いついたように鳴美を見た。
「鳴美ちゃん、君はどうなの? 鳴海中尉みたいに落ち込んだりした事はあったの?」
 鳴美は首を縦に振った。
「はい……わたし、その時遙と待ち合わせをしてて、時間に遅れたんです。もし間に合ってたら、あの事故は無かったかもしれないんです。そう考えると、自分が遅れたせいで遙が事故にあったんだって、ものすごく自分を責めました。一時は荒れていた事もあります。あの人ほど酷くは無いですけど……」
 さすがに、こっちの世界の孝之ほど酒に溺れたりはしなかった。しかし、こっちの世界の孝之があんなに酷い理由は、鳴美には良くわかった。
 割と取得の無い平凡人だった自分と違い、こっちの孝之は英雄だった。きっと自分に自信も持っていただろう。それが砕けたときの反動は大きかったに違いない。自分の身に当てはめれば、想像はつく。
「そう。でも、鳴美ちゃんは立ち直ったのね?」
「わたしには……支えてくれる人がいましたから」
 鳴美は言った。姉の愛美、この姿になってから出来た友人たち、男だった頃は水月……彼らの顔が頭を過ぎった。
「彼にもいたのにね。でも、助けたり励ましたりする人々全てを振り払って、彼はああやって自分を責め続けているの。さっき彼の部屋で言ったけど、閉じこもっているだけで出撃もしなければ訓練にも出ない。そんな人間を養っていくほど、軍には余裕が無いわ」
 夕呼は苦い口調で言い、そしてさらに苦い口調になって続ける。
「でも、彼を放逐は出来ない。英雄だから。実情を知らない人たちにとって、鳴海孝之の名前は、絶望的なBETAとの戦いに勇気を与えてくれる存在なのよ。だから、彼がああしていても、あたしは放っておくしかない。名前だけでも利用できれば良いから。けれど」
 その先は、鳴美にも見当はついた。
「できれば、立ち直って欲しい。わたしをあの人の従兵……でしたっけ? にするのは、そういう事なんですね」
 鳴美が言うと、夕呼は頷いた。
「ええ。彼が出撃しなくなって三年。その間に、彼に匹敵するような衛士は未だに出てきていないわ。最近の新人には、有望な連中もいるけど……彼らの成長を待つだけでは戦えない。英雄にはどうあっても目覚めてもらわなきゃいけない」
 夕呼は鳴美の手を握った。
「だから、お願いするわ。彼の目を覚ましてやって。同じような苦しみから立ち直った、君の経験を役立てて欲しいのよ」
 さて、それはどうだろうと鳴美は思う。彼女の今があるのは、女の子になってしまったがために、過去の自分とは切り離された存在になったから、という面が大きいと思う。こっちの世界の孝之に応用できる手法では絶対にない。
(それでも……やらなきゃいけないのかな)
 この世界で鳴美が役立てる事はほとんど無い。兵士として戦えるわけもないし、技術や知識も持ってはいない。それを持っている人を立ち直らせる手助けが出来るなら、ある意味では彼女自身が戦っている事になるかもしれない。
 それに……やはり自分を見捨てる事は出来ないだろう。だから彼女は頷いた。
「どれだけお役に立てるか分かりませんけど、でもやってみます」
「ありがとう。どうか彼をよろしくね」
 夕呼は頭を下げた。
 
「うーん、ああ答えはしたけど、どうしたものかな」
 部屋に戻った鳴美は考え込んでいた。相手が自分となれば対策も立ちそうなものだが、自分が落ち込んでいるときの壮絶なヘタレぶりは、自分が一番良く知っているわけで、それを立て直すのは容易ではない。
 しばらく考え込んで、鳴美は一つの結論にたどり着いた。正直そこまでするのは気が進まないが、相手は自分だ。少しは強引に事を進めたほうが、逆に反発する気を失うだろう。
「それにまぁ……自分ロリコンじゃないだろうし、そんな甲斐性ないと思うし……って、言ってて情けなくなってきた」
 溜息をつくと、鳴美は夕呼あてに手紙を書き、それを机の上に置いた。そして手早く荷物をまとめる。と言っても、夕呼に買ってもらった数日分の着替えや洗面道具などの最低限の身の回りの品しかないから、たいした量ではない。それを適当に紙袋に詰め込み、彼女は夕呼の部屋を後にした。
 
 数時間後、帰宅した夕呼は、鳴美の手紙を見て驚きの声を上げる事になる。
「ええええ? だ、大丈夫かしら……様子を見に行った方が良いかしら?」
 胆力にあふれる女傑の彼女を当惑させた置き手紙には、こう書いてあった。
 
「夕呼先生へ
 今夜から鳴海中尉の家に泊まります。一週間お世話になりました。
 しばらく傍に付きっ切りで彼の世話をするつもりです。何かあったら連絡をください。
 鳴美
 
 追伸 お部屋の消臭剤だけもらって行きますね。それくらいしないと、あの部屋では暮らせそうも無いですから!」
 
 手紙を読み終えた夕呼は、溜息をつきつつも、ふっと微笑を浮かべた。
「強引な行動力に、結構大胆な性格……良かった頃の中尉に似ているかもね、あの娘は……」
 鳴美の行動が吉と出る事を祈りつつ、夕呼は自分もフォローのために動かなければ、と考えていた。


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