鼻がムズムズする感覚とともに、鳴美は目を覚ました。
「ふぇ……くしゅんっ!」
 くしゃみをすると、窓の隙間から差し込んでいる光に照らされて、まるで煙のように埃が舞うのが目に見えた。まるで何日も……いや、何週間も掃除をしていなかったような、そんな量の埃だ。
「わ、何これ……掃除しなきゃ……くしゅんっ!」
 息を吸うたびに鼻がムズムズするほどの猛烈な埃っぽさに、鳴美は慌てて床から起き上がったが、その動作がさらに埃を舞い上がらせ、しばらく部屋の中に彼女のくしゃみが鳴り響いた。
 その発作が少し落ち着いたところで、鳴美は埃以外の室内の異変に気がついた。
 部屋の中は荒れ放題だった。窓ガラスは割れ、カーテンはボロボロに裂けて汚れている。テレビも画面にひびが入り、床に転がっているリモコンは壊れた壁の破片に潰されてひしゃげていた。
「何だこれ……寝ている間に大地震でもあったの……?」
 壁に入った亀裂や、剥がれて半ば垂れ下がっている天井の板を見ながら、鳴美は呟いた。脳裏に、テレビニュースや新聞で見た、地震の被災地の惨状が思い浮かんだ。
(とりあえず、外に出よう) 
 鳴美はこの半壊した建物の中は危ないと感じ、床に散乱したものや瓦礫を避けながら玄関に向かった。ところが、玄関で彼女はまたも異変に気づく。そこに彼女の靴が無かったのだ。
(地震でどこかに行ったのかな……)
 鳴美は首を傾げつつ、サンダルをつっかけて、ドアを開けようとして……開かないことに気づいた。鍵は外れているが、壁が歪んで、ドアが変形している。
「うーん……困ったな」
 何度も押したり引いたりしてみたが、ドアは僅かに動くだけで、彼女が出るほどの隙間さえ出来ない。ふと横を見ると、台所の正面の窓は開いていて、本来ついているはずの防犯格子が外れていた。大人は無理だが、鳴美の体格なら潜り抜けられる大きさだ。
(あれなら……行けるかな)
 鳴美はキッチンシンクに登り、窓枠に身体を潜らせようとして、外を見た。そして絶句した。
 そこは廃墟だった。見渡す限りの街並みがすべて無残に破壊され、崩れ落ち、あるいは焼き払われている。道路には無数の亀裂が入り、そこから無数の雑草が膝丈くらいまで伸びていた。
 どうみても、一晩で起きた破壊の跡とは思えない。それより何より、鳴美の目を引いたのが、彼女のいるアパートにもたれ掛かっている「何か」だった。
 最初は近くの建物が崩れて圧し掛かってきたのかと思ったが、良く見るとそれは建物などではなかった。金属で出来た表面の奥に、複雑なメカが詰まっている。何やら破壊された車のようにも見えるそれは、初めて見るにも関わらず、鳴美には既視感があった。しばらく考え込んで。はたと手を打つ。
「バルジャーノン?」
 そう、それはゲームに登場する巨大な二足歩行兵器に酷似していた。まるで画面から抜け出してきたようにそっくりだ。
「いや、でも良く見ると違うか……第一、あんなロボットが実在するはず無い。夢でも見てるのかな……」
 鳴美は目の前の光景が信じられず、自分のほっぺたをつまんで捻ってみた。
「あいたたた! って、にゃあっ!!」
 痛かった。その拍子に彼女は窓から二階の廊下に転げ落ち、頭と背中を強打した。
「痛い……じゃあ、これは……」
 滲んできた涙を拭って、鳴美はロボットを見上げた。
「夢じゃ、ない?」


誰が望む永遠?

第十四話:変わり過ぎた世界



 しばらく呆然としていた鳴美だったが、身体の痛みが取れて来たところで、周囲の探索を再開した。一旦地面に降りて、ロボットに近寄る。それは何があったのか、酷く壊れていた。装甲には無数の穴が開き、亀裂も縦横に走って、そこからオイルや何かの液体が伝っている。腕は右側が根元から、左が肘のところでちぎれ、頭は半分潰れていた。
「ハリボテではないよね……」
 それだけで鳴美の身体の数倍も大きい足の部分をコンコン叩くと、硬く分厚い金属の手ごたえがする。そして、ほのかに温かかった。日陰部分なので、日差しのせいではない。どうやら壊れて動かなくなったのは、それほど遠い過去の話ではなさそうだ。せいぜい二〜三時間というところか?
 鳴美はしばらくロボットを見ていたが、肩部分に何か書いてあることに気がついた。オイルで汚れて判別しづらいが、「大日本帝国陸軍/IJA」と書いてあるようだ。どう見ても鳴美が知る科学技術の水準を超えたロボットと、過去の遺物のような「大日本帝国」という取り合わせが、妙にアンマッチだ。
(わからない……何なんだろう、これ)
 寝ている間に起きた街の崩壊、意味不明のロゴが描かれたロボット。どれも鳴美の理解を超えた出来事だった。
 誰かに話を聞きたい。そう思い、鳴美は誰かいないかと探しながら、雑草だらけの道を歩き始めた。
 崩れた街並みは、良く見れば確かに昨日までの面影を留めている部分もあるが、しかし、それでも細部には全く違う部分が幾つもあった。
 例えば、道端で何かに踏み潰されたかのようにひしゃげている車。デザインも見慣れないが、製造メーカーも鳴美の全く知らない会社だった。たまに門柱に表札が残っている家があると、そこに記されているのは、昨日までの住民と違う苗字だったりする。
 そして、それ以上に鳴美に違和感を抱かせていたのは、遠くの景色だった。
(山が無い……)
 そう、この街は横浜近郊で、丘陵地帯であり、あちこちに小高い丘や小さな山があったはずなのだが、それらは視界から消失していた。まるで削り取ったかのように。
 そして、さっきから全く人の気配が無い。仮に鳴美が昨夜寝ている間に、気づかないうちに大災害が起きて、街が崩壊したのだとしても、それならそれで避難民の一人や二人はいそうなものだが、全く姿が見えない。街の崩壊具合も、何年かは放置されていたように見える。
(どういう事……? いったい世の中に何が起きたの?)
 ともかく、人のいそうな方向に向かおうと考え、駅前に通じている道に通じる角を鳴美が曲がったその時。
(!?)
 鳴美は立ち止まった。目の前の瓦礫が動いたのだ。崩れたとか言うのではなく、中に埋まっていた「何か」が立ち上がったかのように盛り上がり、それからようやく崩壊する。土煙が吹き寄せ、鳴美は思わず目を閉じ、咳き込んだ。「ごほっ! けほっ!! な、なに!?」
 薄目を開けると、土煙の向こうに、うっすらと奇怪な影が見えた。やがてその細部がはっきりし始め……そして、鳴美は恐怖のあまり、その場に凍りついた。
「ば、化け物……」
 それは、体長三メートルはあろうかと言う、奇怪な生き物だった。見た目は昔の「これが宇宙人だ」というようなオカルト記事に出てくる、いわゆるグレイ型宇宙人に似ている。
 しかし、遥かに大きいし、落ち窪んだ眼窩の奥にある目には、何の表情も感じられない。ただ虚ろなだけだ。目の下にある口には、無数の巨大な歯が並んでいて、鳴美などは一呑みにしてしまいそうだ。
 そいつはじっと鳴美を見ていたが、やがて何を思ったのか、体格の割には滑稽なくらい小さな足を踏み出して、彼女に迫ってきた。どう見ても友好的な雰囲気ではない。
 しかし、鳴美は動けなかった。「逃げなきゃ」とか、そういう事さえ考えられなかった。彼女はその時完全に思考停止していたのだった。そのままなら、彼女が次に意識を取り戻すのは、あの世に行ってからの話になっただろう。
 だが、化け物がくわっと口をあけたその瞬間、そこに何かが飛び込み、そして大爆発を起こした。化け物は後ろに吹き飛ばされ、さっき自分が崩した瓦礫の山に突っ込んで動かなくなる。その頭部は、口から上が完全に粉砕されていた。
 唖然として、倒れた化け物を見つめる鳴美の背後で、車の停止する音が聞こえた。バラバラと人が飛び降りる気配がして、振り向く暇も無く、十数人の兵士たちが彼女と化け物を包囲する。その中の、アラブ系かと思える大柄な男性が、銃を上げて鳴美に怒鳴った。
「君、民間人か!? こんな所で何をしている!! ここは立ち入り禁止区域だぞ!!」
「え? あ、あの……」
 何事か分からず戸惑うだけの鳴美を兵士がにらむ。そこへ声がかけられた。
「イブン軍曹、相手は小さな女の子よ。落ち着きなさい」
 聞き覚えのある、凛とした声。鳴美はそっちを向いた。
 そこには水月がいた。しかし、いつの間に伸ばしたのか、髪の毛は最近のようなショートカットではなく、学生時代と同じポニーテールにしている。服装も、スーツ姿ではなく、学生時代の制服に似た……しかし濃紺の制服を身に着けている。だが、容姿は紛れもなく最近の、大人の彼女だ。
「大丈夫? どこから来たの?」
 優しい微笑を浮かべて、そう言いながら近づいてくる水月に、鳴美は確認するように聞いた。
「み……水月……さん?」
 しかし、そう呼ばれた水月は、鳴美を見て首を傾げた。
「え? 確かに私は水月って名前だけど……あなた、誰? 私を知っているの? 何処かで会ったことがある?」
 その水月の言葉は、鳴美に強烈なショックを与えた。全身の力が抜け、その場に崩れるようにへたり込む。
「ちょっと、あなた!?」
 水月と、その後から出てきた兵士が慌てたように鳴美の傍に駆け寄ってきたが、その時には鳴美はうつろな目になり、全身をがたがた震わせていた。
「どうしたの、大丈夫!?」
 水月が呼びかけても、鳴美は返事をしなかった。怯えた目で、水月の顔を見上げて、震える声で言葉をつむいでいた。
「どうして……? 知らないなんて言わないで……わたしは、もう要らない人間になりたくない……」
 水月の態度は、一度は世界から見捨てられた鳴美のトラウマを、これ以上なく抉る言葉だったのだ。これはただ事ではない、と考えた水月は、ともかく鳴美をジープで基地へ運ばせた。

(誰、あなた)
(私は、あなたなんて知らない)
(うるさいわね。あっちいってよ)
 いやだ……
 見捨てないで。
 自分は、要らない人間なんかじゃない。
「やああぁぁぁぁぁぁっ!!」
 自分の絶叫で目が覚めた。
「はぁ……はぁ……あ、ゆ、夢……?」
 飛び起きた鳴美は、全身を嫌な汗が濡らしている事に気づいた。
「はぁ……な、なんて悪夢……」
 いきなり街が廃墟になってたり、怪物に襲われたり、挙句の果てに水月に「誰?」なんて言われたり……でも、夢で良かった。
 と思ったのだが、鳴美はすぐに異常に気がついた。
「って、どこ? ここ?」
 そこはアパートの部屋ではなく、見知らぬ部屋だった。白一色の内装に、カーテン型の衝立。どう見ても病室のような場所だ。
 それに、服も着替えさせられている。普段着のままで寝たはずなのに、白い患者衣に着せ替えられていた。
(ひょっとして、まだ夢の続き?)
 そう考えた鳴美は、自分の頬を摘もうとした。
「そんな事しなくても、夢じゃないわよ」
「にゃっ!?」
 いきなりかかった声に驚いて鳴美がそっちを向くと、何時の間にか白衣を着た女性が立っていた。年齢は二十代半ばと言うところか。格好から見て、おそらく医者だろう。
「目が覚めたようね。ここはもう安全地帯だから、安心していいわよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
 妙な仕草をしていたところを見られた恥ずかしさもあって、鳴美は顔を赤くしながら答えた。
「あ、自己紹介がまだだったわね。あたしは香月夕呼。ここの軍医兼副司令よ。君の名前は? 身元が分かるような持ち物が無かったから分からなかったんだけど」
「あ。わ、わたしは穂村鳴美と言います」
 名乗ってから、鳴美はしまった、名乗って大丈夫だったのかなと自問自答した。戸籍の無い身元不明の人間としては拙かったかもしれない。
「穂村……看護兵の穂村さんの親戚か何かかしら? 彼女の家族はみんな亡くなったはずだけど……」
 姉です、と思わず言いそうになったが、鳴美は自重した。これ以上失言したら事態がややこしくなる。それに、気になることが一つあった。夕呼が愛美の肩書きを「看護兵」と呼んだことだ。
(看護兵? 看護婦とか看護師でなく? そういえば、さっき先生自身も軍医とか副司令とか自称してたような)
 まるで軍隊だ。そこまで考えて、鳴美は気を失う寸前に見たものを思い出す。ジープとトラックに分乗した兵士たち。そして、その指揮を執っていた……
(……っ)
 胸にずきんとした痛みが走り、鳴美は思わず自分の身体を抱きしめていた。
「どうしたの? 何処か痛いの?」
 心配そうに言う夕呼に、鳴美は首を横に振って答えた。
「いえ……大丈夫です」
 鳴美はそう答えたが、自分でも大丈夫ではないと思った。水月が自分を知らない人を見る目で見た事を思い出すだけで、こんなに心が痛いとは思わなかった。
「辛かったら言って。目が覚めたばかりで無理はさせられないわ」
 夕呼が言ったが、鳴美は「大丈夫」を繰り返して、気持ちを落ち着けた。しばらくしてようやく動悸や胸の痛みが治まってくると、鳴美は夕呼の顔を見た。
「すいません、ご心配をおかけしました。ところで……ここは一体どこですか?」
 最初から気になっていたことを聞く。
「ここ? 基地の医務室よ」
 何でもない事のように言う夕呼。しかし、鳴美にはとてつもない違和感があった。
「その、基地ってどこですか? この辺だと横須賀とか厚木とかでしょうけど、何でそんなところに?」
 今度は夕呼がきょとんとした表情になった。
「どこって……横浜基地のことよ? 知らないはず無いでしょう?」
 もちろん鳴美は首を横に振った。
「知らないです……横浜に基地なんて、聞いた事ありません。何時の間にそんなものが?」
「ちょ、ちょっと待って。本当に知らないの?」
 夕呼は唖然としたような表情になり、続いて、不審なものを見る表情で鳴美を見た。
「君は一体……そもそも、立ち入り禁止の区域に入っていた事自体が不自然ね。一体どうやってあそこにいたの? 一体どこから来たの?」
 あからさまに怪しい人間を尋問するような口調になった夕呼に、鳴美もかちんとなった。もともとこのところ事件続きでストレスが溜まり、そこへ来て今朝からの異常事態。我慢も限界だった。彼女はまくしたてるように言った。
「そんなのわかりません! 朝起きたら、いきなり家はめちゃめちゃに壊れているし、街は廃墟みたいだし、変な怪物みたいのはいるし! わたしにも何がなんだか、わからないんです! こっちが教えてほしいくらいです!!」
 最後の方は涙目になっていた。あまりの勢いに、夕呼は面食らった表情になっている。
「あ、その……ごめんね。ちょっと性急に聞きすぎたわ。君を怖がらせたり嫌な気持ちにさせるつもりじゃなかったの」
 殊勝に頭を下げる夕呼を見て、今度は鳴美が慌てる。
「す、すいません。わたしの方こそ言い過ぎでした」
 お互い謝って、顔を上げる。普通なら面白い場面だが、二人は笑う気になれなかった。どうも、何か二人の間に認識や常識についての決定的なズレがあるように思える。
「えっと……鳴美ちゃん……って、呼んでいいかしら?」
「え? それは良いですけど」
 親しみを持たせるつもりか、夕呼が提案してきたので、鳴美は頷いた。
「ありがとう。あたしの事は夕呼って呼んでくれて良いわよ。それで質問なんだけど、目が覚めたら家がめちゃくちゃだったと言ったわよね? 家はどこ?」
 今度は優しく、威圧感の無い口調で夕呼は質問してきた。そこで、鳴美もそれらの質問に素直に答えて言った。途中から夕呼はノートパソコンを引っ張り出して、鳴美が答えるたびに、その答えと何かを照合しているようだった。
 そのノートPCに何か違和感を覚えた鳴美は、しばらくして、それが全く見覚えの無いメーカーの製品だと言うことに気づいた。
(知らないメーカーだな。それに、OSのロゴが窓じゃない……TRON?)
 不思議なマシンを使っているな、と思っているうちに、鳴美への質問は終了した。しばらくパソコンに何か打ち込んでいた夕呼だったが、それも終わったらしく、顔を上げて鳴美を見た。
「実に興味深いわね……最初はまさかと思ったけど、でも今なら君の経験を説明してあげられると思うわ」
「えっ、本当ですか!?」
 鳴美は期待に満ちた目で夕呼を見たが、その表情は複雑なものだった。なぜそんな顔をするのか、と鳴美が思うと、夕呼はその理由を語り始めた。
「まず、これから話す内容は、ちょっと君にはショッキングかもしれないけど、最後まで聞いて」
 鳴美は頷いた。それを確認し、夕呼はまた一つの質問を投げかけてきた。
「鳴美ちゃんは、平行世界って知っている?」
 問いながら、手帳に「平行世界」という字を書いて見せてくる。鳴美は頷いた。
「ええ。小説とかで見たことあります。自分たちが住んでいる世界とそっくりな、でも違う世界が幾つもあるって言う……」
 そこまで言って、鳴美は先生の言わんとすることに気がついた。
「ひょっとして、先生はここがわたしにとっての平行世界だ、と言いたいんですか?」
「頭の良い子は好きよ、あたしは」
 夕呼は微笑んだが、鳴美は声を上げて笑ってしまった。
「そんな……平行世界なんて、SFの中の話だけですよ。そんな突拍子も無い」
 しかし、その笑いは、夕呼の硬い雰囲気の前にしぼんでいった。彼女が余りにまじめな表情になっていたからだ。
「そうね、そう思うのは無理も無いわ。あたしが平行世界の存在を唱えたときも、ほとんどの学者は無関心だった。それなら良いほうで、あからさまに嘲笑する人もいたわ」
 その表情に絶対の確信を見て、鳴美は圧倒されたように黙り込んだ。すると、夕呼はふっと笑顔を取り戻した。
「まぁ、理論的には平行世界が存在する事を実証して、そういう頭のお堅い人たちは黙らせたけどね。あとは、実際にその理論を応用した機械を作るつもりだったんだけど、まさか君みたいなサンプルが見つかるとは思わなかったわ。
「あの、わたしが平行世界人というのは確定なんですか?」
 鳴美は聞いた。確かに、平行世界と言う仮説を導入すれば、今の困惑すべき事情をかなりの程度説明できるとは思う。しかし、肝心の平行世界理論が信じがたい。
 その辺の鳴美の考えを読んだのか、夕呼が言った。
「信じる信じないは自由よ。でも、街が寝ている間に年単位月単位で放置された廃墟になった事を、他にどう説明する? 普通ならそんな事はおきないわよ。何か超常現象の介在があったと思うなら、別にそれが平行世界でもいいじゃない」
「……それはまぁ、確かにそうですね」
 鳴美は頷く。平行世界でなければ、タイムスリップとか色々考えたのだが、どれも超常現象である事に変わりは無い。
「平行世界だという事は受け入れるとしても」
 鳴美はこの際夕呼の仮説に乗る事にして、話を続けた。
「わたしの知っている世界とここは、あまりに違いすぎます。何で街が廃墟なんですか? 横浜基地って、何のための基地なんでしょうか? それに……わたしの家を壊していたロボットには、大日本帝国って書いてありました。わたしが知っている限り、大日本帝国はわたしが生まれるずっと前に無くなってます」
「そう……そこまで違うものなのね。ちょっと驚きだわ」
 夕呼は頷きつつも、鳴美の質問に答え始めた。
「この世界では、日本は、いや、人類はずっと戦争を続けているの。街が廃墟なのはその戦争のせい。この横浜基地はその戦争の最前線の拠点として作られたのよ」
 ゲームは得意でも軍事には大して詳しくない鳴美だったが、最前線の意味くらいは知っている。つまり……
「この辺には敵が上陸しているんですね。一体どこの国が相手なんですか?」
 すると、夕呼の顔には憂いの色が濃く浮かんだ。
「どこかの国が相手なら良かったんだけどね……そうじゃないの。相手はもう君も出会っているわ。君が助けられたときに撃破されたあれよ」
 その言葉に、鳴美は気を失う前に出会ったあの怪物を思い出した。見るからに嫌悪感をそそる、奇怪な……
「あれが……あれは一体なんですか?」
 思い出して全身に鳥肌を走らせる鳴美に、夕呼は答えた。
「あたし達は“BETA”と呼んでいるわ。“人類に敵対的な地球外起源種”の略よ。つまり」
「宇宙人……って事ですか?」
 鳴美の言葉に、夕呼はあいまいに頷いた。
「そういう人もいるわね。でも、BETAが高度な知性を持ち、優れた科学技術を使いこなす“らしい”事は分かっているんだけど、実際のところあいつらが何なのかは、全くと言って良いほど不明なのよ」
 夕呼は苛立たしげに足を組み替えた。
「連中との戦争が始まってからもう三十年近くになるけど、その間お互い殺し合いをするだけで、全くコミュニケーションは取れなかった。連中が何を考えているかすら、全く分からないの」
「三十年……!? そんなに長い間戦争を?」
 鳴美は絶句する。平和な日本に生まれ育った彼女から見れば、戦争は遥か遠い世界の出来事だった。それが三十年も身近なところで続いている世界など、想像すら出来ない。
「なんで、こんな所に来ちゃったんだろう……」
 俯く鳴美に、夕呼は言った。
「きっと、君の世界は平和なのね。うらやましいわ」
 そうかもしれない、と鳴美は思う。人間関係がどれだけめちゃくちゃでも、とりあえずあんな化け物と殺し合いをしなくて済むだけで、どれだけありがたい事だろう。
 そして、ある事に気づいた。鳴美が出会ったあの軍服姿の水月。彼女は「こっちの世界の水月」なのだ。だから、鳴美の事を知らなかったのだろう。嫌われてるとかではない事にホッとしつつも、彼女はさらに考えを進める。
(……ってことは、この世界には“わたし”は存在しない? 存在しないとしても……“鳴海孝之”はどうなんだろう)
 水月がいるなら、他の自分の知人たちも、この世界に存在しているかもしれない。そして、もしかしたら自分自身でさえも。
 考え込む鳴美に、夕呼が言う。
「それにしても、君は見た目の割には大人なのね。何歳なの?」
 鳴美は苦笑しながら答えた。苦笑のうちには答えた後の相手の態度に対する予測も入っている。
「大人っぽい……って事は無いと思いますけど、一応十八歳です」
「十八ね。もう少し上かと思ったけど」
 おや、と鳴美は意外に感じた。あっさり十八歳説を受け入れただけでなく、もう少し上かとまで言ったのは、夕呼が初めてだ。
「最初はみんな信じないのに……」
「あら、それは世間が失礼なのね」
 夕呼はそう言うと、改めて鳴美に向き直った。
「とりあえず、君の身柄はあたしが副司令権限でしばらく預かるわ。君がどうやってこの世界に来たのか、戻る事は可能なのか、検証する必要もあるしね」
「はい、お願いします」
 鳴美は頭を下げた。こんな自分の常識とはかけ離れた異世界に来てしまった事、向こうで警察に捕まっているだろう愛美の事は、ショックではあるが、自分ではどうにも出来ない。まずはここで暮らしていくために必要な事を、夕呼から吸収していくしかないだろう。いつか元の世界に戻る、その日のために。
 
 こうして、鳴美の異世界生活は始まったのだった。


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