横を歩く純夏とまゆが声を掛けて来た。
「大変でしたね、鳴美先輩」
「でも、無事で良かったでござるよ」
「いやまったく……寿命が縮んだよ」
 鳴美は応じた。彼女が逃亡中の強盗に誘拐されてから二日が経ち、とりあえずの事情聴取も終わって、今はヒマな時間を過ごしている。店長が
「大変だったでしょう。落ち着くまで、しばらく仕事はお休みしていいですよ」
 と言って暮れたのである。それほどトラウマになるような心理的ショックがある訳では無かったが、お言葉に甘えて数日お休みを貰うことにした。
 そして、今は純夏と武の提案で、簡単な慰労会みたいな物に行く途中である。まぁ、そうは言っても気晴らしに遊ぼうという程度の集まりだが。
 そこでまずはバイト帰りの純夏とまゆと待ち合わせ、次いで武や尊人たちと待ち合わせて、それからどこか行こうという計画である。ちなみに、あゆも誘ったが、他に用事があるからと断られた。
「あ、タケルちゃんだ。おーい」
 待ち合わせの場所に近づくと、純夏が手を振った。駅前ロータリーの真ん中にある妙なモニュメント、そこに見覚えのある数人の人影が見え……咄嗟に鳴美とまゆ、純夏は三方に散った。
「無事で良かった妹よおおおおぉぉぉぉぉっ……ぶべっ!?」
 ロケットのように飛んで来た城二が、それまで鳴美のいた空間を擦り抜けて、後ろの放置自転車の列に突入した。轟音と共に自転車が薙ぎ倒され、砂ぼこりが上がる。それが収まると、城二はねじくれた人形のような妙な格好で、自転車に絡み合っていた。からからと回転するペダルが妙に物悲しくいとあはれ。
「おーい、生きてる?」
 鳴美が呼びかけると、城二は何事も無かったようにすくっと立ち上がった。が、自転車の残骸が絡み付いているその様は、人間と言うより怪人自転車男。
「ふ……最愛の妹が呼ぶ声が有る限り、この剛田城二、地獄の底からでも復活するぜ」
「おお、生きてた……まぁ死ぬはずないか」
 鳴美は感心したが、クギを刺すことは忘れない。
「それはともかく、その勢いでわたしに抱き着こうとしたの? 死んじゃうよ、わたし」
「そ、そうだな。あまりに嬉しかったのでつい我を忘れた……」
 殊勝に反省する城二に、鳴美が意外の感を覚えた時、他の面子が追いついてきた。
「鳴美先輩、大丈夫でしたか? 怪我は?」
「剛田君が当たりませんでしたか?」
 武と千鶴が口々に言う。
「うん、大丈夫だよ。それより、今日はわたしのためにありがとうね?」
 鳴美がにっこり笑って見せると、武は何故か顔を赤くした。それを見た純夏が、むっとした表情になるが、鳴美は気づかない。
「じゃあ、行きましょうか」
 気づいた尊人が話を進めようと提案し、全員が答えた。
「おー!」
「剛田君、自転車は外しなよ」


誰が望む永遠?

第十三話:運命の変わる時



 ともあれ動き出した一行だが、どこに行くかという確たる目的はないので、とりあえず街をぶらつくことにした。
 ウィンドウショッピングをしたり、アイスを買って食べたり……と、本当に適当な事をして時間を過ごしていると、あるものが鳴美の目に止まった。
「あれ、バルジャーノンの新バージョンか……もう出てたんだ」
 それはゲーセンの店頭に置かれた大型ゲーム筺体だった。バルジャーノン、正式には「神攻電脳VALGERN-ON」と言うタイトルで、二足歩行型ロボット兵器を操って対戦するタイプのゲームである。ゲーセンの大型筺体はコクピットを模したもので、実際にロボットを操れる感覚が大人気だった。
「え、鳴美先輩、バルジャーノン知ってるんですか?」
 武が聞いてきたので、鳴美は薄い胸を張ってもちろん、と答えた。
「こう見えても自信あるよ。何ならやって見せようか?」
 これは根拠のない発言ではない。孝之だったころ、バルジャーノンは数少ない気晴らしで、良くやっていたので腕には自信がある。何しろ全国レベルのハイスコアを何度も叩き出した実力だ。
 最近はお金がないし忙しかったこともあってプレイしていないが、腕は今でも衰えていないと自負している。
 が、周囲の見る目は当然違う訳で。
「うーん……意外。是非見てみたいですね」
 武が言えば、尊人も興味津々だ。
「じゃあ、さっそく見せてください」
「よーし、見てなよ」
 鳴美は勇んでプレイ待ちの列に並んだ。待つこと十分。ようやく鳴美の順番が来た。さっそく筺体に乗る鳴美。ところが。
「あ、あれ……? 足が……届かない?」
 バルジャーノンの大型筺体では、機体の移動をフットペダルで制御するのだが、今の鳴美の小さな身体では、足がそれに届かなかったのだ。
「お客さん、まだですか?」
 なかなかプレイを始めない鳴美に、店員が筺体を覗き込み……状況に気づいた。そして一言。
「ダメだよ、お嬢ちゃんみたいなちっちゃい子がこういう所に遊びに来ちゃ」
「う……」
 言い返せず涙目になる鳴美。結局料金を返金して貰って、鳴美は筺体を降りた。周囲の視線が痛い。
「あのー……」
 かける言葉の見つからない武たちに、鳴美は涙目のまま手をブンブン振った。どう考えても、さっきの言葉はフカシだと思われている。
「ほ……本当だもん! 本当にできるんだからね!? 家庭用なら足関係ないし!」
 バルジャーノンには家庭用ゲーム機で遊べるものもあり、そっちなら足を使わず操作できる。すると、純夏が武に言った。
「ねぇタケルちゃん、タケルちゃん家にバルジャーノンってあったよね?」
「ああ、あるぞ。良く尊人と城二とやってるしな」
 そこで武は鳴美を見た。
「じゃあ、オレん家で遊びます?」
 武の提案に、鳴美は一も二も無く頷いた。
 
 電源が入れられ、テレビの画面にバルジャーノンのタイトルロゴが浮かび上がる。鳴美は喜び勇んでコントローラを手にした。
「じゃあ、対戦相手は……尊人、お前やれ」
「僕が? 武がやれば良いじゃない」
 武に名指しされた尊人が戸惑ったように答えるが、武はニヤっと笑った。
「まずは、鳴美先輩の腕を見たいんだ。お前の方がちょうど良いだろ」
「むー……それは、確かに武の方が上手いけどさ」
 尊人が膨れっ面でコントローラを手にとった。が、むっとしたのは鳴美も同様。
(まだ、わたしがバルジャーノンができるってのを疑ってるね? よーし、見せ付けてやる)
 そう考えると、鳴美は自分の機体を選んだ。スピードと機動性を重視した、しかし装甲の薄い上級者向けの機体である。それに扱いが難しいが威力の大きな武器を選んで装備していく。
「鳴美先輩、その組み合わせで大丈夫なんですか?」
 尊人が心配そうに聞いてくるが、鳴美は黙って頷いた。背後では武と城二がひそひそと話ている。
「あれは……玄人好みの組み合わせだな。意外と侮れないか? 鳴美先輩」
「うむ、さすが我が妹。見事なチョイスだ」
 微妙に噛みあって無い気もする二人の会話を聞きながら、対戦準備が整った。戦場は何もない大平原。一番ベーシックな戦場だ。
「ROUND1 FIGHT!」
 ゲーム開始と同時に、鳴美は目にも止まらぬスピードでコントローラのキーを叩いた。尊人の期待と距離を置いて向かい合っていた鳴美の機体が、凄まじい速度で半円を描くように移動し、尊人の機体を真横から捕らえる位置に付ける。
「ええ!?」
「おおっ!?」
「こ、これは!?」
 部屋の中に驚きの声が満ちる中、鳴美は武器切替とトリガーのキーを続けざまに押した。肩のリニアキャノンと右手のアサルトライフル、胴部のミサイルランチャーとマシンガンが切れ目無く火を吐き、一瞬で尊人の機体を大破させた。
「うそ!?」
 尊人は驚きながらも上半身を回転させて、鳴美の機体に発砲する。が、鳴美はそれを回避し、あるいはシールドで弾いてダメージを最小限に押さえると、尊人機が砲弾を打ち尽くしてリロードする僅かの隙に懐へ飛び込み、密着状態からパイルバンカーを連続して叩き込んだ。それがトドメとなり、尊人機が爆発四散する。
「ROUND1 WINNER NARUMI!」
 画面に鳴美の勝利が宣言される。彼女の機体にはほんの僅かなダメージしかついていない。まさに圧勝。しかも秒殺だった。
「まぁ、尊人君はちょっと油断してたからね。ROUND2は本気で来なさい」
 鳴美の言葉に、ちょっと呆然としていた尊人が気を取り直す。
「言われるまでもありません! 次は負けませんよ!」
 しかし、ROUND2も先程より数秒時間がかかっただけで、鳴美が一方的に尊人を叩きのめして終わった。
「鳴美ちゃん、すごいでござるよ!」
「本当に上手かったんだ……」
 まゆと千鶴が口々に言う中、鳴美は「いやそれほどでも」と言いつつ、武を見た。
「なかなか上手いですね、鳴美先輩。そこまでの動きができるプレイヤーは滅多に見ませんよ」
 驚いてはいるのだろうが、まだまだ余裕の台詞だ。鳴美は聞いた。
「じゃあ、今度は白銀君が勝負してくれるのかな?」
「ええ、いいですよ……」
 そう答えて武が尊人と席を替わろうとするより早く、城二がすっと間に立ちはだかった。
「剛田君?」
「城二、何だ一体?」
 鳴美と武がその意図を尋ねると、城二は二カっと白い歯を見せて笑った。
「ふ。こう見えても白銀はオレの認めた好敵手。妹よ、こいつと戦うならば、まずはこの兄を超えて見せろ!」
 鳴美は首を傾げて武を見た。アイコンタクトで「強いの?」と聞いてみる。武は頷いた。
「ふ〜ん……じゃあ、勝負勝負」
 鳴美は尊人から受け取ったコントローラを城二に手渡した。見ると、城二の機体のセットアップは鳴美とは全く正反対で、頑丈な機体にさらに強力な追加装甲をつけ、大火力の武器をいっぱい取り付けて、ほとんど要塞のようにしている。機動性を最低限にして、打たれ強さと火力を追求したプレイスタイルのようだ。
「それだと攻撃避けられないよ?」
 鳴美が指摘すると、城二はふっと笑った。
「かまわん。回避などオレの性には合わないからな。攻撃あるのみ!」
「……知らないよ?」
 回避と一撃離脱を重視する鳴美から見れば、鈍重な敵などただの的だ。そう軽く見ていたのだが。
「ROUND1 FIGHT!」
 開戦と同時に、鳴美はすかさず城二機のバックを取ろうとした。しかし、すかさず誘導ミサイルが雨霰と飛んでくる。鳴美はそれはあっさり回避したが、その間に城二は機体を旋回させると、両肩と両腕に満載された火器を乱射し始めた。二門のガトリング砲とレールキャノン、グレネードランチャーの砲弾が横殴りの雨のように鳴美機を襲う。
「うわっとっと……やるね?」
 上手く射撃間隔をずらす事で、攻撃の切れ目をなくしている城二の操作を鳴美は誉めた。なかなか上級者でないと出来ない操作だ。
「ふふ。どうだ妹よ! 兄はそう簡単に超えられる壁ではないぞ!!」
 高笑いした城二だったが、次の瞬間、鳴美機のリニアキャノンとアサルトライフルの連続射撃が、城二機の腕を吹き飛ばした。
「のおっ!?」
「そりゃあ、一切回避しないんだから、そうなるわよね」
 驚愕する城二に、千鶴が白い目でツッコむ。主要火力の半分を失った城二は、それからも回避しながらピンポイントの攻撃を撃ち込んで来る鳴美の前に陥落した。それでも、鳴美機の装甲を半分近く削ったのだから、尊人よりはだいぶ善戦している。
 ROUND2では、城二の攻撃の癖に慣れてきた鳴美が、ROUND1の半分のダメージで勝利。妹に負けた城二は某ボクサーのように真っ白になっていた。
「ふ……強くなったな、妹よ」
 鳴美はそんな事をブツブツ呟いている城二の手からコントローラをもぎ取り、武に差し出した。
「それじゃ、今度こそ勝負だよ、白銀君」
 武は頷いてコントローラを手に取った。
「久々にいい勝負になりそうな予感だ……負けませんよ、先輩」
「望む所」
 武の言葉ににっこり笑って応える鳴美。緊張感が漂い、部屋の中の全員が画面に注目する。そして。
「ROUND1 FIGHT!」
 戦いが始まった。
 
 高速・高機動型の鳴美機に対して、武の機体は火力・防御力・機動力のバランスが取れた型だ。それでも城二機と比べて速いとは言え、鳴美機よりは遅いため、鳴美は素早く移動して有利なポジションを占めようとするが、武はしっかりレーダーを見ていたらしく、鳴美の動きについてきた。素早く上半身を旋回させて鳴美機に的確な射撃を浴びせ、かつ移動して鳴美の射撃を回避する。
「おっ、やるね?」
「先輩こそ!」
 お互いを誉めつつ、二人は激しい撃ちあいを演じる。命中弾は出ているものの、致命的な損傷に繋がらないまま膠着した局面が続き、埒があかないと見た鳴美は勝負に出た。ジグザグに移動しつつ、両腕の武器をレーザーブレードに持ち代えると、デコイを放出して武のレーダーを惑わす。武がデコイを撃ちぬいたその時、鳴美はジャンプして、上空から猛然と武に襲い掛かった。
「しまった!」
 武が思わず叫ぶ。鳴美の連続攻撃は、武機の頭部を叩き潰し、左足に深刻な打撃を与えていた。機動性が鈍ったところで、距離を置いた鳴美が射撃武器に変えて、猛烈な火力を浴びせ掛ける。
「こうなったら!」
 武は機体が戦闘力を失う前に、射撃に専念して鳴美機にミサイルとマシンガンを叩き込んだ。激しい射撃の応酬が一段落した時、そこに立っていたのは鳴美機だった。彼女が武機の装甲を全て削り取る方が先だったのである。
「武がやられた!?」
「むぅ……驚いたな」
 自分達もやられたとは言え、鳴美が武に勝てるとは思っていなかったのか、尊人と城二が驚きの声を上げる。
「どう、白銀君?」
 得意げに見上げる鳴美に、ちょっと呆然としていた武が首をぶんぶんと横に振った。
「な、なに。まだ一戦目です! 勝負はこれからですよ!」
 強がりつつも、やや動揺の見える武。この勝負、完全に貰ったと鳴美は思った。そして、その予感どおり、ROUND2では、動揺している武を鳴美は余裕を持って撃破。三人相手に完全勝利を成し遂げたのであった。
「……やられた。マジで参りました、先輩」
 武は鳴美に土下座した。
「参ったか。とは言うものの、そこまで恐縮されても困るんだけど……白銀君も強かったよ」
 鳴美は武の肩を叩いた。普段彼女は立場が弱いので、調子に乗ると言うことがあまり出来ない体質になっていた。
「しかし、何処でそれだけの腕を磨いたんですか? この辺で鳴美先輩ほど強い人は、そうはいないはずですけど。俺が知っている限りでは、鳴美先輩級の実力者は『NTK』とか、三人くらいしかいないはず……」
 武の口にした「NTK」という名前を聞いて、鳴美は思わず胸を押さえた。「NTK」というのは、孝之だった頃に使っていた、バルジャーノンプレイ時のハンドルネームである。
「わたしは……この街に来たのは最近だから」
「ああ、じゃあ前に住んでいた所で鍛えたんですね」
 鳴美がごまかすように答えると、武は勝手に納得していた。
「それにしても、結構面白そうなゲームでござるな。拙者にもやらせて」
 一通り鳴美と男子組の対決が終わったと見て、まゆが手を挙げた。
「あ、じゃあ私も」
 意外にも純夏が言い出し、それならと千鶴までが遊びたいと言い出し、鳴美の慰労会は何となくバルジャーノン教室へと変わったのだった。そして。
 
 夕陽がほとんど山の陰に沈みかけたころ、ようやくバルジャーノン教室は終わりを迎えていた。
「いやぁ、なかなか面白かったでござるな。このゲーム買っていこうかな」
「意外に熱中しますね」
 楽しげに話すまゆと千鶴。この二人はなかなか筋が良く、割と複雑な操作もすぐに覚えて、二人で良い勝負を繰り広げていた。逆に悲惨だったのは純夏である。
「うう……このゲームわたし向きじゃないよ〜」
 涙目でコントローラを置く。彼女の場合は操作を覚えるどころか、まともに前進すらしない有様で、鳴美は機体を転ばせた挙句その場で自爆するプレイヤーを初めて見た。
「うーむ、これは予想以上な……」
 武もそんなに上手ではないだろうと予測はしていたようだが、さすがに呆れ顔だ。すると、純夏はむくれた顔で武を見た。
「そんな言い方ってないよ〜、タケルちゃん」
「ああ、悪い。でもなぁ……さすがに一歩も動けずコケて自爆は……」
 武が謝りつつも余計な事を言うと、純夏はますますむくれた顔になり、鳴美のほうを見た。
「な、なに?」
 その迫力にちょっと気圧されて後ずさる鳴美に、純夏は頭を下げて頼み込んできた。
「先輩、今度わたしにバルジャーノンを教えてください!」
「え? ……白銀君に教わった方が早いんじゃ?」
 戸惑う鳴美に、純夏は真面目な顔で更に迫る。
「それじゃダメです! タケルちゃんにわからないところでこっそり上手くなって、見返すんです!」
 本人の前で目論見を話して、こっそりも何もないとは思うのだが、強くなりたい、上手になりたいと言う純夏の想いには共感できる。鳴美とて最初から上手かったわけではない。無数の強敵に遭遇し、敗北も無数に重ねてきた。その悔しさをバネにして今の実力を身につけたのだ。
「うん、良いよ。わたしで良ければ教えてあげる」
「よろしくお願いします、コーチ!」
 純夏の鳴美への呼びかけが先輩からコーチに変わり、二人は手を取り合って窓の向こうを見る。暗くなり始めた空に浮かぶのは、バルジャーノンの星だろうか。
 と、そこで終われば綺麗なのだが。
「あ、わたしの家にはゲーム機無いから、教える時は貸してね、白銀君」
「そう言うオチですか!?」
 鳴美の言葉に激しくツッコミを入れる武だった。
 
 
 ともかく、こうして慰労会は終わった。久々に良く遊んで、満足して家路についた鳴美は、途中でまゆたちとも別れ、一人で家に向かっていた。
「遅くなっちゃったなぁ……急いでご飯を作らないと、お姉ちゃんが帰ってきちゃうな」
 早足で家に向かい、階段を駆け上がる。ポシェットから鍵を取り出して二回の廊下に上がったところで、鳴美は部屋の前に一人の男性が立っているのを見た。
「……あれ?」
 鳴美はその人物に見覚えがあった。誘拐事件解決後、彼女の事情聴取に当たった刑事だった。彼は鳴美に気がつくと、ゆっくりと彼女の方に向かってきた。
「こんばんわ」
「あ、はい、こんばんわ……どうしたんですか? 刑事さん」
 挨拶をされたので、それに答えつつ質問する鳴美に、刑事は沈痛そうな表情を見せていた。事情聴取のときは明るそうな人だったのに、どうしたんだろうと鳴美が首を傾げると、彼は重々しく口を開いた。
「あの事件の事とは別に、君に話を聞きたいことがあるんです。穂村鳴美さん」
「え? あ、はい……なんでしょうか?」
 真面目な話と察して背筋を伸ばす鳴美に、刑事は言った。
「君は……君は一体誰なんですか? 穂村鳴美なんて人は、この世に存在しないのに」
「……!!」
 その言葉を聞いた瞬間、鳴美は硬直した。
 そう……彼女は本来存在しないはずの人物。何処にも行く宛てのないところを、愛美に拾われ、彼女の妹と言う仮初の身分を与えられただけの存在。その事を、鳴美自身が忘れていた。忘れたまま、刑事に自分は穂村鳴美であると言ってしまっていた。
「あ……わ、わたしは……」
 身動き一つ出来ない彼女に、刑事は言った。
「話を……聞かせてもらえますね」
 鳴美に拒否と言う選択肢は無かった。
 
 
 真っ暗な部屋の中で、鳴美は天井を見つめていた。
 彼女が見た目子供なためか、「取り調べ」はそれほど厳しい物ではなかった。しかし、鳴美はどうして良いのかわからない恐怖で、ほとんど何も話すことが出来なかった。すると、刑事は震えている鳴美の頭を撫でながら言った。
「無理に君から何か聞き出そうとするつもりはありません。ですが……お姉さんからは話を聞くことになるでしょう」
 その言葉に、鳴美は顔を上げた。
「あ、あのっ……!」
 鳴美の声に、刑事は彼女の方を向いた。
「何かな?」
「お姉ちゃんは……お姉ちゃんは悪くありません……」
 鳴海は言ったが、彼女が知らないだけで、本当は諸悪の根源は愛美である。しかし、そう知っていたとしても、今の姿である事を受け入れた鳴美は、同じ事を言っただろう。
「それを決めるのは君ではなく、我々警察です」
 刑事はそう言うと、鳴美に今日は帰って良いよ、と言った。警官に連れられて取調室を出ると、廊下の向こうから愛美が歩いてくるのが見えた。やはり警官に連れられている。
「お姉ちゃん……!」
「鳴美ちゃん!」
 二人はお互いに駆け寄ろうとしたが、警官に止められた。
「離して! 離してよっ!! お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!!」
「こら、暴れるんじゃない! 今は駄目だ!」
 ジタバタする鳴美だったが、簡単に警官に抱え上げられ、警察署の裏口に連れて行かれると、そのまま車で家まで送られた。
「明日も事情を聞かせてもらうから、家にいるように」
 警官はそう言い残すと、車で去って行った。鳴美はそこでしばらく呆然としていたが、そのうち涙が溢れてきた。
「お姉ちゃん……」
 無理やり引き離された愛美の事が心配だった。あの刑事の事だから、手荒な事はしないと思うが、それでもやはり気になる。
 愛美はどうしようもない自分に居場所をくれた、大事な人だ。もし、愛美がそのことで罪に問われるようなことがあれば……
「なんとかして、お姉ちゃんを助けないと。でも、どうやって……?」
 部屋の中に入っても、鳴美はずっと考え込んでいた。
「もし、わたしが自分の戸籍を手に入れられたら……」
 そうなれば、一気に問題は解決できるだろう。しかし、そんなのは夢物語だ。よほどの金と権力がある者でも、簡単に戸籍はいじれない。そのどちらも鳴美には無い。
「それでも、なんとかしなきゃ……」
 そう一心に考えているうちに、何時の間にか鳴美は眠りに引き込まれていた。
 
 そして……
 それが、鳴美が愛美の家で眠る最後の夜になったのだった。


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