午後の「すかいてんぷる」内で騒ぎが持ち上がったのは、例によってあゆのせいだった。
「あにイヤらしい目で見てんのさ、アンタ!」
 ただでさえ吊り目気味の目をさらに吊り上げて睨んでいる相手は、三十歳代と見られる男性で、あゆの剣幕にちょっとたじろいでいる。
「そ、そりゃ誤解だ。確かに見ていたことは認めるが決してイヤらしい気持ちでは」
 もちろん、その男性客が言った事は嘘ではなかっただろうが、相手が悪かった。
「結局見てたんじゃないのさぼけーっ!」
 他の店員が止めに入るより早く、男性客の喉笛にあゆの飛び蹴りが決まった。硬いローファーで急所を抉られた彼はものも言わずにぶっ倒れ、店内は大混乱になる。
「はぁ……まったく、大空寺には泣かされるよ」
 後始末に奔走した鳴美はそう言って溜息をついたが、彼女が嘆きの声を発するのは24時間ばかり早かった。


誰が望む永遠?

第十一話:他に人はいないんですか?



 あゆが客を蹴ったその翌日。鳴美は大きなビルの前に立っていた。
「えっと……マコール本社ビル。ここで良いんだよね……」
 水月に貰った地図を見比べながら確認するが、鳴美の足は一歩も前からそこへ進まない。まぁ、無理もない話だろう。今日、彼女はここへモデルになるために来たのだから。
 水月の勤め先、マコールは女性用下着の大手メーカーで、今度発売するローティーン向けの新作下着のモデルとして、水月が鳴美を推薦したのだった。
 できれば逃げてしまいたい所だが、既に愛美が報酬の半額を前金で受け取ってしまっているし、鳴美もなんとか水月に対する贖罪をしたいと思っていたから、逃げる事は許されなかった。
「はぁ……がんばれ鳴美。今は女の子だけど、元は男じゃないか」
 自分にそう言い聞かせ、鳴美は玄関ホールに踏み込んだ。ガラス張りで現代的美術館風のフロアになっており、社員たちが忙しそうに行きかっている。どうも自分の存在が物凄く場違いだと言う意識を拭えないまま、鳴美はホール奥の総合受付の前に立った。
「あら、どうしたのかな? 迷子?」
 受付の人が鳴美に笑顔を向けながら言った。まるっきり子ども扱いだ。
「ち、違います!」
 鳴美はぶんぶんと首を横に振って、メモを取り出した。
「ちゃんと約束があって来ました。企画営業第二課の速瀬さんをお願いします」
「え……ちょ、ちょっと待ってね」
 子供だと思った相手がしっかりした口調で言ったので、受付嬢はちょっと慌てた様子で水月の部署に電話をかけた。しばらくして、エレベータホールの方からびしっとしたスーツ姿の水月が颯爽と現れる。
「おはよう、鳴美ちゃん。今日はよろしくね」
「はい、お願いします……」
 二人が挨拶を交わしていると、受付嬢がとんでもない発言をかました。
「あの……速瀬さん、この娘は? まさか速瀬さんのお子さん?」
「なわけないでしょ!」
 水月のツッコミが受付嬢の頭に炸裂した。
「この娘は、新作のモデルとして来てくれたのよ。私にこんな大きな子供がいるわけないでしょう?」
「あははは……そうですね。では、これを」
 受付嬢ははたかれた頭をさすりつつ、鳴美にビジターパスを手渡してきた。これがないとビルの奥には進めない。
「それじゃ、行きましょうか」
「はい」
 水月に案内されて、鳴美はエレベータに乗った。このビルの一角に撮影室があって、そこでカタログに使う写真を撮るらしい。
「まだカメラマンの人は来てないみたいだけど……まぁ、すぐに来るでしょう。その前に段取りを説明するわね」
 水月の言葉に鳴美は頷いた。そのまま事情を聞く所では、今度発表する新作はかなりたくさんあるが、鳴美が試着するのは12〜13歳前後の女の子向けの製品らしい。
「それって、わたしが12〜3歳にしか見えないって事ですよね……」
「そうね」
 鳴美の言葉に水月は何気なく答え、それから自分が何を言ったかに気づいて、慌ててフォローに入った。
「あ……い、今のなし! それは鳴美ちゃんが可愛いからで、けっして見た目がアレだとか、決してそんな事は」
 混乱する水月に、鳴美は苦笑しながら言った。
「良いですよ。気にしてもしょうがない事ですし。それで水月さんの役に立てるなら、わたしは嬉しいですから」
 孝之だったころに彼女に掛けた迷惑に比べれば、ちょっと下着モデルで恥ずかしい思いをするくらい耐えてみせる。そんな鳴美の言葉は物凄く健気に聞こえたらしく、水月は目を潤ませた。
「ありがとう、鳴美ちゃん。じゃあ、ここが撮影室よ」
 ようやく目的地に到着した。その部屋は一般的な写真スタジオとほぼ変わらない構造だが、横のハンガーに色とりどりのランジェリーが引っかかっている所がやはり違う。
「おお……」
 今は女の子とは言え、やはり眩しい光景だ。思わず溜息をつく鳴美の肩を、水月がちょんちょんとつつく。
「あ、そっちは今日は使わないわ。撮影用の新作はあっちの箱に入ってるから」
「はい」
 鳴美が頷くと、水月は飲み物を持ってきて、ちょっと緊張気味の鳴美にすすめてくれた。二人でお茶しつつ、カメラマンを待つ事しばし。ところが、1時間経っても来ない。
「遅いですね」
「変ね……道でも混んでるのかしら?」
 水月が首を傾げたとき、彼女の携帯電話が着信音を奏で始めた。
「はい、速瀬です。あ、勝山先生。はい……え、来られない?」
 水月の表情が曇る。その後もしばらく電話でやり取りしていたが、通話を切ると困った顔で鳴美の方を振り向いた。
「カメラマンの先生、首に怪我しちゃって来れないんですって……困ったわね」
「え、何があったんですか?」
 座っていたソファから身を乗り出した鳴美だったが、水月の答えにそのまま固まった。
「なんでも、レストランで店員に蹴られたんですって。怖い店もあるわねぇ……鳴美ちゃんのところに行けばよかったのに」
「……あはは……そうですね」
 鳴美は頷いたが、内心では「大空寺ぃぃぃぃぃぃっっ!!」と叫んでいた。
「で、どうしましょうか? 今日は中止します?」
 鳴美は気を取り直して聞いたが、水月は顎に手を当てて考え込んでいた。
「それも手だけど、できれば急いでカタログを作ってしまいたいから、今日中に撮影をしてしまいたかったのよね。誰か代わりのカメラマンがいないかしら」
 水月がそういった途端に、また彼女の携帯電話が鳴った。
「あら、カメラマンの先生からだわ。どうしたのかしら」
 水月は待ち受け画面を見て首を傾げつつ、通話モードに切り替えた。
「はい、速瀬です。……はい、はい……え、本当ですか? それは助かりますけど……はい……わかりました、ありがとうございます」
 水月は通話を切って、胸ポケットに携帯をしまいながら鳴美を見た。
「先生が代わりのカメラマンを手配してくれたんですって。女の子を撮る事に掛けては、自分よりも凄腕だって保障付きらしいわよ」
「へぇ……手際の良い人ですね」
 鳴美は感心したが、一時間後、代わりのカメラマンが来ると同時に、その感想を百万光年先まで投げ捨てた。
「か、勝山君から話を聞いてきました、代理の片山です」
 ぶし、と音を立てて鳴美は飲んでいたジュースを吹いた。そして、片山を指差して叫ぶ。
「あ、あ、あ、あんたは支店の変態店長!!」
「ん? お、おおっ!? 君は鳴美ちゃんじゃないか。も、モデルと言うのは君だったのかい。こりゃあ腕が鳴るなぁ」
 代理のカメラマンはそう言ってでへへ、と笑った。そう、鳴美がいろんな意味でさんざん世話になったあのロリコンの変態店長が代理だったのである。
「あ、あの、すいませんわたし帰ります」
 変態店長の舐めるような視線に、全身に悪寒が走った鳴美は、その場で回れ右して逃げ出そうとした。
 しかし回り込まれた。
「な、何で逃げるのかな?」
 腕ががっしりと掴まれる。汗の感触がとても気持ち悪い。おまけに荒い息がかかる。
「ぎゃーっ! に、逃げないから離せこのへんたーいっ! っていうかハァハァするなって言ってるでしょ、このばかぁ!!」
 部屋に鳴美の悲鳴がこだました。

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「だから、あの人に撮影されるのだけは、絶対にヤですっ!」
 逃げるのは断念した鳴美だったが、そうやって水月に駄々をこねていた。こうなったら、責任者である水月に撮影延期を決断してもらうだけだ。
「うーん、気持ちはわからないでもないけど、でもそこを何とか」
 しかし、水月も折れない。彼女にも仕事の都合がある。この新作に関するプロジェクトにはとくに力を入れてきたのだから尚更だ。
「うぅ……でもぉ」
 鳴美は「片山」という名前である事が判明した変態店長の方を見た。
 彼に普通の写真を撮られるのは、まだ我慢できる。
 他の人に下着姿を撮られるのも、まぁなんとか許容できる。
 でも両方はダメだ。
 その気持ちは流石に水月にも理解できるものだったので、彼女は鳴美を安心させるようにぎゅっと抱きしめた。
「ひゃっ!? あ、あの、水月……さん?」
 驚く鳴美の耳元に、水月は囁くようにして言った。
「大丈夫。私が傍についてるから、鳴美ちゃんが怖い目に遭うようなことはないわ。写真もうちの会社で管理するし」
 その水月の優しい声と、抱きしめる腕の温かさが、鳴美に過去を思い出させる。遥の事故の後、自暴自棄になっていた自分を、何とか立ち直らせてくれようとしていた時も、水月はこうして抱きしめてくれていた。
(そうだ……何時までも甘えてばかりじゃ、何の反省もない人間になっちゃう)
 ヘタレていた自分に戻るわけには行かない。その方がよっぽど恥ずかしいじゃないか。鳴美はそう自分に言い聞かせると、水月の顔を見上げた。
「わかりました。わたし、やります。頑張ります」
「ありがとう、鳴美ちゃん」
 水月は鳴美を抱きしめたまま、良い子良い子するように頭を撫でる。普通の鳴美なら屈辱的扱いだと思うのだろうが、今は気にならなかった。
 そして、その横では、変態店長が頬を掻いていた。
「あ、あのね……僕もプロを自認するからには、被写体に変な事はしないよ……って聞いてないね?」
 結構傷ついていたらしい。まぁ、普段の言動がアレなので自業自得だろう。

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 さて、覚悟を決めた鳴美は、いよいよ最初のサンプルを身に付けようとしていた。普通のブラで、一見無地だが、よく見ると細かい水玉模様が入っている可愛いデザインのものだ。鳴美が家から着てきたのに比べると、かなり上等そうなものに見える。
「可愛いですね。これでいくらくらいにする予定なんですか?」
 ハンガーに固定されたそれを色んな角度から見ながら、鳴美は聞いた。
「うーん、これは五千円にする予定ね」
「五千円!? 結構しますね」
 驚く鳴美。ちなみに、今彼女が着ている服の総額はそれよりちょっと高いくらい。貧乏暮らしとは切ないものである。
「まぁ、それにはちょっと秘密があってね。まずこれから試着してみる?」
「あ、はい」
 鳴美は頷いて、上半身裸になった。水月に前教えてもらったやり方に忠実にしてブラを身に付ける。付けた感じは……上等の品らしく肌触りは良いが、特別凄いというわけでもない。
「うーん、着心地は良いですけど、何処に秘密が?」
 鳴美が首を傾げると、水月はその質問を待ってました、と言うような嬉しそうな顔をして、鳴美の首筋に手を回してきた。
「ひゃんっ!? み、水月……さん?」
 くすぐったさに身をよじる鳴美の身体を押さえて、水月はブラのストラップとカップの繋ぎ目に付けられた花の形の飾りボタンに触れ、それをくるくると回し始める。
「ん?」
 その奇妙な行動を訝った鳴美だったが、あることに気が付いた。胸にかすかに圧迫感を覚えたのだ。それは水月がボタンを回すたびに強くなり、やがて……
「あっ、こ、これは!」
 何時しか、鳴美の胸はふくらんだカップに寄せて上げられて、しっかりとその存在を主張するようになっていた。
「このボタンがエアポンプになっていて、空気で大きさを調整できるのよ。どうかしら?」
「なるほど……こんな凝った機能をつけたら、高くもなりますよねぇ」
 鳴美はそう言いながらも、自分のちょっと大きくなった胸を嬉しそうに見ていた。これならさすがにあゆには負けるにしても、まゆと同じくらいはあるかもしれない――少なくとも見た目は。
(見た目だけ……)
 わかっていても、そう認識すればやはりヘコむものはヘコむ。
「あ、げ、元気出して鳴美ちゃん。お礼にこのブラあげるから」
「がんばります」
 そんな会話をしつつ、鳴美は試着室から出た。とたんに熱っぽい視線が彼女を貫く。
(う……)
 鳴美はたじろいだ。もちろん、視線の発生源は変態店長だ。しかし。
(あれ、あんまり嫌じゃない?)
 意外なことに気付く鳴美。変態店長を見ると、彼は何時になく真剣な表情で鳴美をじっと見ていた。
「ふむ、ちょっと大人っぽくなったね。僕はいつもの君が良いと思うけどね
「あ、ありがとうございます……」
 言っている事はアレだが、口調も変わって、真剣に聞こえるものになっていた。思わず礼を言った鳴美は、促されるままにスタジオの中央に立った。
「じゃあ、腕を後ろに組んでね」
「あ、はい。こうですか?」
 ポーズをとると、今度は笑顔を浮かべるよう指示され、ぎこちなく笑って見せると、フラッシュがバシバシと焚かれた。
「いいよいいよ、鳴美ちゃん。もっと笑って」
「は、はい!」
 変態店長に言われるまま、鳴美は色々な角度から写真を撮られた。写真を撮られるたびに、変態店長が大仰なまでに鳴美を褒めちぎるので、そのうち彼女も感覚が混乱してきた。恥ずかしいはずなのに、それが麻痺して、だんだん気持ちよくさえなってくる。
(うーん……変態の言う事なんだからあれなんだけど、でも可愛いとか連呼されるのはちょっと嬉しいかも?)
 そう考えると、ぎこちなかった笑顔もだんだん自然な笑顔に変わってきた。それを見てますます変態店長が誉め倒し、事前の予想とは大違いの良い雰囲気で、最初の撮影が終わった。
「それじゃあ、どんどん次の作品を行ってみようか」
「はい、わかりました」
 変態店長の言葉に、素直に応じて試着室に入っていく鳴美。後を追いながら、水月は感心の表情を浮かべていた。
(意外とノセるのが上手いわね、あの人……)
 しかし、それも当然かもしれない。あのキャラクターで店ではバイトをしている少女たちを上手く使っているのだから、彼女たちをその気にさせる技術が無ければ勤まらない。
 鳴美は貴之時代の店長との関係上、警戒心一杯で望んではいたが、下着姿という無防備状態にされた上で褒め倒されたことで、その警戒心が麻痺してしまったようだった。

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 エアポンプ付き補正ブラを柄違いの二種類着けて写真を撮ったあと、今度は普通のブラ&ショーツのペアを着けて写真を撮る事になった。パステルカラーで動物をデフォルメしたイラストが散りばめられているものや、無数の星やハートがプリントされたものなど、可愛らしいデザインのものが多い。
「これは一組1200円よ」
「わ、安いですねぇ。それならお小遣いでも買えるかな」
 水月の言葉に鳴美が驚くと、水月はその通り、とばかりに頷いた。
「ええ。対象年齢層の娘たちがお小遣いで買えて、それでいて安っぽくは見えない、と言うのがコンセプトね。ちょっと1000円台には見えないでしょ?」
 なるほど、と頷きながら、鳴美は最初の一組を身に付けた。途端に寂しくなる胸の辺りがいとあはれ。
(……気にしたら負け)
 鳴美は鼻の奥がツンとなるのを我慢しながら、更衣室の外へ出た。すると、さっきよりも変態店長の視線が熱っぽい。
「うん、素晴らしいよ鳴美ちゃん。さっきより全然良い。少女の青い魅力が津波のように押し寄せてくる」
 やはり変態度が上昇していた。
「……喜んで良いのかなぁ、今のは」
「誉められてはいると思うんだけど、複雑よね」
 そんな会話をしつつ、鳴美は位置につく。またしても眩しいフラッシュの閃光が、彼女の意識を白くしていった。
 そうやって、鳴美は5組ほどのペアを順番に身につけて写真を撮った。ここまではまぁ、問題はなかったのだが、事件は次のキャミソールやベビードール系の品を着た時に起きた。
「こ、これは……!?」
 鳴美が摘み上げた一枚のベビードール。それは彼女を凝固させるに充分なインパクトを秘めた逸品だった。
「あ、それね。このへんはちょっと大人っぽく冒険してみようというコンセプトの……」
「冒険しすぎですっ!」
 水月の言葉を遮って鳴美が叫ぶ。無理もない。そのベビードールは、ほとんどシースルーの……というより、ビニールのように透明な生地でできた、とても子供向けとは思えないセクシーな代物だったのだ。
 もし、鳴美が男のままで、水月や遥がこれを着て出てきたら、かなり嬉しいだろう……というか理性がすっ飛ぶと思うが、今の鳴美がこれを着てもセクシー……にはとても見えないというか、背伸びしすぎて微笑ましいだろう。
 しかし、それはあくまでも見る人の反応。着る鳴美にとって見れば、見えてはいけない部分まで見えてしまうようなこのベビードールを着るのは問題がありすぎである。
「そうかな? 可愛いと思うんだけど……あ、大丈夫よ。胸のところはレース編みで見えないようにしてるから」
 水月が答えている途中で、鳴美の懸念に気付いてフォローした。さすがに胸の部分までシースルー素材にするほど無謀ではない。
「それなら、まぁ……」
 納得して、鳴美はベビードールに頭を通した。しかし、ブラ+ショーツより恥ずかしい感じがするのは、妙に凝ったこのデザインのせいだろう。
(子供がこんなの着ても、似合わないと思うんだけどなぁ)
 とりあえず、身近の自分以外の小さい女の子がこれを着ている所を想像してみる。自分とほぼ同じサイズの天川さんには多分似合わないだろう。まゆもギリギリのような気がする。
 あゆは……あゆは似合いそうだ。ただ、着せてみて子供用だと明かしたら殴られそうだが。
(まぁ、大空寺はもっと高そうなブランド物の奴とか買ってるんだろうけど)
 何度か更衣室で一緒に着替えた時には、いかにも高価そうなシルクのインナーを自慢していたのを思い出す。そんな事を考えながら、鳴美はベビードールを着終わった。
「これでよしと……うわぁ」
 鳴美は鏡に映った自分の姿を見て、頬を赤らめた。ひざ丈のベビードールはおとぎ話に出てくる天女の羽衣を連想させる薄さで、下のショーツもはっきり見えている。普通にブラとショーツだけの格好よりも恥ずかしい。なにしろ、胸がはっきり見えて……
「って、ええええええ!?」
 鳴美は思わず絶叫した。胸の部分にはレースが入っていて隠れるんじゃなかったの!? と混乱する。
「あ……鳴美ちゃん、それ後ろ前逆よ」
 水月が指摘する。鳴美はこう言う下着は着慣れていないので、豪快に間違えたのだった。
「う、後ろ前!? な、直さなきゃ」
 スケスケなのと、初歩的な間違いを犯したことと、二重の恥ずかしさから、鳴美は急いでベビードールを直そうとするが、慌てているせいでうまく行かない。それどころか、腕に生地がからんで、バランスを崩した。
「え……わ、ひゃ、にゃっ!?」
「な、鳴美ちゃん!」
 水月の助けも間に合わず、鳴美は更衣室から文字通り転げ出た。幸い床には絨毯が敷いてあったのでそれほどの衝撃はなかったが、二度三度と転がって、やっと止まる。
「あいたたた……」
 鳴美は唸ったが、どうやら何処も怪我はしていないらしい。転げた弾みで自由になった手を床について、ぺったんこ座りの姿勢になる。
「鳴美ちゃん、大丈夫かい?」
「あ、大丈夫です……って、え?」
 問いかけに頷いて、鳴美ははっとなった。今彼女に呼びかけたのは……鳴美は声のした方向を向いた。
「そうか、そりゃ良かった」
 声の主……変態店長が安心した笑顔を見せる。それを確認して、鳴美は自分の身体を見た。後ろ前逆のベビードールはまだ直されていないので、当然の事ながらほとんど無防備状態の胸が彼の目に晒されて……
「あ……あ……」
 鳴美の顔が一瞬で真っ赤になった。そして、店長も彼女の状態に気付いた。
「おお……」
 鼻の下を伸ばしながら、思わずカメラを構えようとする。
「いやーっ!? 見るな構えるな撮るなばかぁーっ!?」
 鳴美はとっさに手に当たったものを掴み、片っ端から投げつける。その中に、結構大きな照明のリモコンスイッチがあった。
「わ!? あ、危ないよ鳴美ちゃん……のおっ!?」
 流石の変態店長も慌ててそれを避けようとして……避け切れずに直撃を食らう。ショックで彼の手からカメラが零れ落ち、床に落っこちた。その弾みにふたが外れ、そこから黒いリボン状の物が弾き出される。
「ああああ!? ふ、フィルムが!」
 変態店長が叫ぶ。そのあまりに取り乱した声に、逆に鳴美が正気に返った。
「え、フィルムがって……ああっ!」
 水月が惨状に気付いて大声をあげた。言うまでもないことだが、こうしたフィルムは現像するまでは光を当てるのはご法度である。カメラから転げ出たフィルムは、見事なまでに光に晒されていた。
「え……じゃあ、撮影は……」
 鳴美が自分のしたことに気付き、顔色が赤から青に変わる。それを見て、水月は溜息をついた。
「最初からやり直し……ね」
「そんなあぁぁぁぁぁぁっっ!?」
 スタジオに鳴美の悲痛な叫びがこだました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・―‖:


 その後、何とか撮影をやり直して、無事に大役を務めた鳴美は、約束通り水月に撮影に使った下着を全部貰った。これとは別にちゃんとバイト代も出たのだから、素人モデルにしては破格の扱いだろう。
「売れ行きが良かったら、ボーナスも出るからお楽しみにね♪」
「はい。今日はありがとうございました」
 恥ずかしい目にはあったけど、懐はかなり潤ったし、写真も全部水月の会社で管理される事になったので、まずは文句無しの結果だった。変態店長は残念そうだったが。
 そして、翌日。
「おお〜……鳴美ちゃん、今日はカッコいいでござるなぁ」
 例の補正ブラをつけて来た鳴美を見て、まゆが感嘆の声を上げた。
「えへへ……良いでしょう? 今度新製品として出るらしいから、玉野さんも買ってみます?」
「それはぜひ試してみたく」
 二人で盛り上がっていると、後ろであゆが余裕たっぷりの表情で言った。
「ふっ……所詮は偽物じゃない」
 鳴美とまゆは凍りついた。
「鳴美ちゃん……目指せ下克上っ!」
「はい、玉野さん!」
 ひしと抱き合う鳴美とまゆ。こうして、友情の深まった二人だった。


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