カノンコンバットONE シャッタードエアー
クラナド大陸戦闘機概論 ――クラナドに住まう猛禽たち――
1999年、宇宙から地球に飛来した小惑星、コーヤサンは世界に大きな災厄をもたらしたが、その悲劇のクライマックスと言えるのが、太平洋の中央北寄りにあるクラナド大陸で2003年7月に勃発した「クラナド大陸戦争」である。
世界で最もコーヤサンの被害を受けた大陸最大の国家、Tactics連邦は災害復興と経済再生と難民問題、その他多々の問題を同時に抱え込んでいた。その解決策として、関係が悪化していた隣国、Air皇国やKanon国、そして大陸中央部の小国家・都市国家群に戦争を仕掛けたのだった。
現代戦においては、総力戦は滅多に起こり得ないと言われていた。
しかし、大陸戦争はまぎれもない総力戦だった。「戦争」という単語の頭に「大」の一言を冠するに相応しい戦争で、戦火は大陸全土を覆い尽くし、多くの人命と財産を飲み込んだ。そしてこの2年以上の戦いの間、各国は自らの存亡を賭け、持てる全ての力を戦争に集中したのだ。
ここではその戦争のさなかで、戦うために生まれた鋼鉄の鳥たちがいかにして大陸の住人となり、大陸の空で戦い、死に逝き、そして生き延びていったのかを述べたいと思う。
クラナド戦争の前に、大陸諸国のエア・パワーの変遷について言及する必要があるだろう。
第2次世界大戦を「大陸武装中立宣言」とその実行で回避したクラナド大陸諸国だが、戦後、世界にとりあえず平和が戻ると、その結束は緊張感と共に少し緩み、それは各国の軍備形態の変化という形で現れてきた。これまで各国は共通の兵器を調達していたのが、自国の地形・面積・経済力、そこから生じる国防ドクトリンに見合ったものを独自に手に入れ始めたのである。
第2次大戦後、軍用機のジェット化が急速に進んだ。その進化形態は大きく分けて、アメリカ合衆国、ソヴィエト連邦、そしてイギリス・フランスなど欧州諸国の3つに分類できるだろう。
大陸の国々の中で、最大の面積・人口・国力を持つTactics連邦は、ソヴィエト製の戦闘機を選び、空軍に導入した。その決定には、当時極東で発生していた冷戦の中の熱戦――朝鮮戦争が大きく関係していた。ミコヤン・グレヴィッチ設計局が生み出した初期ジェット戦闘機の傑作、Mig−15ファゴットが、一時的にせよ世界最強の空軍力を持つアメリカから朝鮮半島の制空権を奪っていた事実が、Tactics空軍をして、ソ連製機に食指を伸ばさせていたのだ。
もっとも、ソ連機にはアメリカ機にあるような信頼性の高さやレーダーなどソフト面での優位はなかったが、そこは自分たちの持つ技術力でカバーできるとTacticsは考えた。そしてそれは正しかった。Tacticsでライセンス生産されたソ連軍用機は、常に本家を上回る性能を有して実戦配備された。
一方、Kanon国は朝鮮戦争での結果を素直に受け止めた。彼らは最終的にMigに打ち勝ったF−86セイバーなど、アメリカ軍用機を導入することを選んだ。Kanonの技術力も高く、システム的に繊細な面があり、使う者を選ぶアメリカ製の機体を、Kanon国防空軍はほぼ完璧に使いこなした。
大陸の2大強国が、世界の2大超大国を縮小したような空軍備を進める中、その他の国々――特にAir皇国は、この2ヶ国とは異なる道を選んだ。Air空防隊は主に欧州製の戦闘機(Airの国防方針は専守防衛で、対地攻撃をあまり重視しなかったため、攻撃機の役割は戦闘機が担っていた)を好んで使ったのだ。Airや大陸の小国による欧州機の運用実績はかなり良く、これが後にTactics空軍の装備調達にも影響してくるのだが、この点に関しては後述する。
各国がこのように独自の方針で空軍力を整備した結果、70年代後半には以下のような戦う鳥たちがクラナド大陸に住むようになった。
Tactics空軍は、Mig−21フィッシュベッドとMig−23フロッガーが主力戦闘機となり、攻撃機としてMig−27フロッガー、Su−24フェンサー、そして爆撃機はTu−95ベア、Tu−26バックファイアの戦略爆撃機を配備した(当然、機体の信頼性と電子機器の性能はソ連で製造されたものを上回る)。こうしてTacticsは(特に量の面で)大陸最強の空軍力を確立するに至ったのである。
一方、Kanon国防空軍は、量よりも質を重視した。主力戦闘機はF−4ファントムUとF−5フリーダムファイター/タイガーUのハイ・ロー・ミックスで、退役しつつあるF−104スターファイターがそれらを補完した。攻撃機は戦闘機を兼ねるF−105サンダーチーフと軽攻撃機のA−4スカイホーク、Tacticsほど侵攻的性質を持たない空軍なので爆撃機は中型のB−66デストロイヤー。機体の装備数はTacticsに劣るが、個々の性能では決して負けてはいない、どちらかと言えば防御重視のバランスの取れた空軍となった。
そして、専守防衛という前提の下に成り立つAir空防隊は、まず第1に自国の制空権を維持するという目的から、自然と戦闘機偏重の編成になった。その要撃戦闘機は、スウェーデンが独自の国防方針の下で開発したJ−35ドラケンとJ−36ビゲン、フランス製のダッソー・ミラージュVやミラージュXなどが大多数を占め、敵陸上戦力と海上戦力の侵攻を阻止するための攻撃機は、SEPECATジャギュアが少数、そして爆撃機は皆無というものだった。
以上が70年代におけるクラナドの軍用機事情だったが、世界は東西冷戦体制の真っ只中。当然、各陣営の盟主たるアメリカもソ連も、敵に勝る新型機を開発しようとする努力を怠らなかった。
80年代初頭、まずKanon国防空軍にその影響が現れた。彼らはこれまでの主力、F−4とF−5に代わり、F−15イーグルとF−16ファイティング・ファルコンのアメリカ製最新鋭機を導入し始めたのだ。
こうしてKanonは一気に装備の近代化と戦力の強化を図ったが、TacticsもこのようなKanonの動きを、黙ったまま指を咥えて見ている訳にはいかなかった。Kanon国防空軍の新型機導入から数年遅れて、Tactics空軍はソ連がF−15とF−16の対抗馬として生み出したSu−27フランカー、Mig−29ファルクラムの新型2機種の配備を開始した。
両国はその新型機を積極的に運用し、またバージョンアップにも敏感だった。KanonはF−15Eストライクイーグルが現れると即座にそれを採用し、TacticsもSu−27やMig−29の改良型――Su−35とMig−29Mの導入には決して手を抜かなかった。
空軍が新たな成長を遂げているこの頃、Tactics海軍とKanon国防海軍の航空隊も大きく変化しようとしていた。これまでサイズの問題から、レシプロ機とヘリだけしか搭載できなかった中型空母(両軍とも2次大戦終結直後、未完成状態にあった日本の雲竜級を購入、自国で独自の艤装をして完成させる)を改装して、VSTOL空母化した。こうして艦載機もついに念願のジェット化を果たす。
その艦載機であるが、空母にある程度の海洋支配力を求めたKanonの機体は、82年のフォークランド紛争で思う存分働いたBAeシーハリアーとなった。それに対しTacticsは、空母に対地攻撃もさせようとしたため、シーハリアーよりも新しく汎用性に少し勝るAV−8BハリアーUを選んだ(ソ連がまともなVSTOL機を開発できなかった、という理由もある)。なお、AV−8Bは後にTactics陸軍航空隊が、近接対地支援兼限定空域防空機として採用することになる。
その後、90年代前半までには両国とも排水量7万トン以上の大型空母の保有国となった。この時の艦載機は、TacticsがSu−27の艦載タイプSu−33であり、Kanonがアメリカから払い下げられたF−14トムキャットやA−7コルセアUである。
こうしてTacticsとKanonが空軍強化にしのぎを削る中、軍備にあまり金を使いたがらないAirは在来機のアップデートで対応してきたが、90年代も半ばになると、それに限界が生じてきた。もういい加減に新型を導入しないと、大陸諸国の空軍力増強に取り残され、自国の防空力が陳腐化する一方だった。
そもそもAir空防隊は迎撃型の空軍である。しかし、他国と陸続きの国土を守るには、国境を越えて侵攻してくる陸上部隊も阻止しなければならない。同時に制空権を勝ち取れる空戦能力も求められる。
幸運なことに、そんな空防隊のためにあつらえたような機体が生まれたばかりだった。JAS−39グリペン。スウェーデンがJ−37ビゲンの後継として開発した軽戦闘機で、近年流行しているマルチロールファイターである。空防隊はスウェーデン製機の運用経験が長いので、導入と運用には何の問題も生じないだろう。
かくして、この小型ながら便利な万能機は97年から配備が始まり、空防隊の質的向上に大きく貢献する。もっとも、クラナド戦争の初期においてAir皇国はTacticsに完全占領されてしまうので、努力が実を結ぶことはなかった。だがAir空防隊でのグリペンの運用実績はかなり良く、対Tactics連合軍としてAir崩壊直前に結成されたものの、戦闘機不足に悩むISAF(独立国家連合軍)がAirの戦訓を受けてグリペンを大量導入し、メーカーのサーブ社を狂喜させることになるのだが。
一方、量と質の両面での充実を目指してきたTacticsは、Airのグリペン導入と相前後して、これまでの方針に行き詰まった。目下、Su−27やSu−35で戦力強化をしてきたのだが、いくらロシア製の機体が比較的安価とは言え、このような大型高性能機をライセンス生産し、独自の電子機器を搭載していたのでは、限られた予算の中での大量配備は難しい。
しかも、94年に小惑星XF04(後に「コーヤサン」と名付けられる)が発見され、99年に大災害をもたらすだろうという恐るべき事実が判明した。Tacticsは戦略防空軍を新設してそれに対応したので、空軍の予算はさらに圧迫された(Tactics連邦そのものにあっては、コーヤサン迎撃用レールガン「ストーンヘンジ」の建造予算の一部を負担しなければならず、そのしわ寄せは国防費にも現れた。ただしこれは大陸のどの国も同じだった)。
そこで、Su−27シリーズよりも強いとはいわないまでも、そこそこ安くてそこそこ使える戦闘機を模索し始めた。やがて彼らが注目したのが、国際共同開発が主流になっているヨーロッパで、独自の軍用機にこだわるフランスが造ったダッソー・ミラージュ2000とダッソー・ラファールである。
フランス機はAir皇国で長いこと使われており、正面装備として何の不具合もないらしいとの情報部の分析結果も合わせて、このような結論が出たのである。
ミラージュ2000は旧式化著しいMig−21の後継として、ラファールは思うように数が揃えられないSu−35の代理として、1999年から調達を始める予定だった。しかし、コーヤサンはTacticsに多大な損害をもたらし、復興予算は装備調達費からも割かねばならなかった。しかも、災害難民の処遇を巡って隣国との関係が悪化し、紛争の危機が高まったので、フランスが機体の売却を中止した。これらのアクシデントでTactics空軍はミラージュ2000とラファールを少数しか手に入れられなかった。
このように成功と挫折が混在する中、各国空軍の主要装備は、2003年の初め(クラナド大陸戦争勃発直前)には以下のように変遷を遂げていた。70年代末とは驚くほど異なっている。10数年という歳月は、軍用機の世界においてはあまりにも短いようだ。
まずTactics空軍の主力戦闘機は、Su−27、Su−35、Mig−29Mに移行した。少数のミラージュ2000とラファール、そして「ある目的」のため生産と配備を進めているフランカーシリーズの最新バージョン、Su−37スーパーフランカーも空軍の一翼を担っていた。
攻撃機もMig−27とSu−24に加えてSu−34が配備され、爆撃機も驚くべきことに大型超音速爆撃機のTu−160ブラックジャックが12機存在していた。
ただし、元々機数の多かったTactics空軍なだけに、Mig−21、Mig−23、Tu−95、Tu−26など、70年代の主力機もかなりの数が第1線に留まり頑張っていたが。
Kanon国防空軍のハイ・ロー・ミックスはF−15(F−15Eを含む)、F−16のコンビへと進化を遂げ、F−4は攻撃機として運用されるようになり、F−5は予備機に、F−104とF−105は完全に退役した。A−5は未だに使われ続けている。全体的に見ると、明らかに質重視の贅沢な編成である。機体は変わっても、この方針そのものは堅持されていた。
Air空防隊はJAS−39グリペンが加わった以外は特に変わりないが、在来機もレーダーやアヴィオニクスの改装などで性能は確実に向上している。もっとも、グリペンの配備が順調に進めば、最古参のドラケン、攻撃機として多少能力不足のジャギュアは順次予備へと分類されていくのだろうが。
1999年以降――コーヤサン飛来以後、大量に発生した災害難民の処遇や復興の費用分担などを巡って、国家間の緊張が日々高まっていたが、各国はその不安を軍備増強で少しでも拭い去ろうかと言わんばかりに、空軍機のリニューアルを積極的に行っていた。しかし、対立というロープは解けるどころかますます絡まってこんがらがり、ついに2003年7月を迎えた。この月、国の内外に抱える苦労に我慢しきれなくなったTactics連邦が全面的な軍事行動を開始し、クラナド大陸戦争の火蓋が切って落とされた。
Tactics陸軍の行動は、1939年9月のポーランド、40年5月の東フランス、そして41年6月のロシアにおけるドイツ軍を彷彿とさせるものだった。彼らの電撃戦は、開戦後僅か10日足らずで作戦初期の最重要目標だったストーンヘンジを奪取し、大陸中央部の小国家を瞬く間に蹂躙するという成功を収めた。
その素早い陸軍の頭の上には、常に空軍機が存在した。空軍は何よりもまず先に制空権を確保し、次に地上を攻撃し、陸軍の侵攻を円滑成らしめた。Tacticsが50年かけて作り育てた侵攻型空軍の強さは、こうして証明されたのである。
大陸の中央部を制圧したTacticsの次なる目的は、1000年の歴史を持つAir皇国の完全征服だった。典型的な迎撃型空軍であるAir空防隊は善戦を見せるが、所詮それは「蟷螂の斧」に過ぎなかった。8月30日、Air皇国無条件降伏。その時まで戦う力を残していた部隊の大部分は、編成されたばかりのISAFに義勇軍という形で参加し、北の島々ノースポイントへと脱出した。彼らISAF参加組の戦いは、祖国の奪還、いやISAF完全勝利のその時まで続くことになる。
このTacticsによるAir征服の過程で重要な役割を果たしたのが、手に入れたばかりの隕石迎撃砲ストーンヘンジである。空防隊の重要拠点であるヤオビクニ基地はこの超巨大レールガンの1斉射で瞬時に壊滅し、それがAir皇国の崩壊を早めた一要因となっている。
こんな物騒なものを放っておいたら、ISAFの必敗は明らか。どうにかしてストーンヘンジを黙らせなければならない。そこでISAFは特殊部隊を忍び込ませての破壊工作を試みたが、ことごとく失敗。そうしてついに空軍による強硬手段に訴えることになった。ストーンヘンジが整備中で撃てない隙を狙い、元はKanon国防空軍所属のF−15Cイーグル12機、F−15Eストライクイーグル12機、そして腕利きのパイロットを集めて編成された第1特務飛行隊がストーンヘンジ攻撃に飛び立ったのは、11月3日――ストーンヘンジが今回の戦争で初めて吼えてから約2ヵ月後のことだった。
ISAFは――とりわけ、Kanon国防空軍の関係者はこの作戦に絶対の自信を持っていた。自分たちがこれまで鍛え上げた質重視の空軍力は、Tacticsの侵略者どもには絶対に負けない。必ずや、ストーンヘンジを破壊して還ってくるだろう……。
しかし、その自信は脆くも木端微塵に打ち砕かれる。
第1特務飛行隊は、ストーンヘンジに達する前に全滅――文字通り1機残らず撃墜された。それもたった5機の敵機によって。
その悪夢のごとき現象を創出したのは、Tactics空軍第156戦術戦闘航空団。「ある目的」――ストーンヘンジを守るために、最新鋭のSu−37スーパーフランカーと最優秀のパイロットのみで編成されたこの戦闘機中隊は、翼端と機体下面を黄色く塗り潰していたことから、畏敬の念を込めていつしか「黄色中隊」と呼ばれ、中隊長の「黄色の13」、中隊副官の「黄色の4」たちと共に、クラナド戦争の伝説のひとつとなる。
ストーンヘンジの無力化に失敗したISAF空軍。その後、彼らはストーンヘンジの圧力に加え、Tactics空軍の圧倒的な戦力によって各地で追い詰められる。11月13日には、Kanon国スノーシティー上空の空中戦で作戦参加機数の4割を黄色中隊によって失うなど、その惨状は眼を覆わんばかりのものだった(ちなみに、このスノーシティー航空戦で黄色の13に撃墜された1機のISAF所属F−15が、とある場所に落下したことによって、もうひとつの伝説が生まれてくるのだが、これについては後述する)。
やがてISAFは大陸本土から追い出され、大陸の東北に浮かぶ諸島、ノースポイントでの篭城を余儀なくされる。そうなる過程において、ISAF空軍は多くの軍用機を失っていた。今後反撃に転じ、大陸へ帰還するためには、戦力を回復するだけでなく、Tacticsに勝てるだけ強化しなければならない。
一方、当面の勝利者となったTactics空軍も、敵の必死の抵抗により決して無視できない損害を受けていた。彼らも当然、ISAFの逆襲を予想していたから、その反撃の芽を摘み取るためノースポイントへの航空攻撃を意図すると同時に、これまでに受けた損害を埋める必要がある。結局、戦力回復は両陣営の共通課題だったのだ。
開戦以来、常に劣勢に立たされていたISAFだが、ここで初めてTacticsに対し優位に立った。世界世論は「侵略者」であるTacticsを非難し、「被害者」であるISAFの味方だったから、ISAFは国連などからの援助を期待できた。その効果は軍用機調達の面でも顕著に現れた。国連加盟各国から、旧式化した機体の無償援助を受けたり、または第3国に売却予定だった新品を供与してもらえたのだ。
前者はF/A−18Eスーパーホーネットの配備に伴い退役が進んでいたアメリカ海軍・海兵隊のF/A−18A〜Dホーネット、同じくラファールの登場でお役御免となったフランス海軍のF−8クルセイダーなど。後者のパターンの主な例には、サウジアラビアに引き渡されるはずだった約80機(後にISAF用に60機が追加発注される)のF−16ブロック60である。さらには、基本的に武器輸出を禁じている日本からE−767空中警戒管制機を譲り受けたとの噂まである(この時のE−767は、後にISAF空軍のヒロインとなる「スカイエンジェル」が搭乗したという説が残されている)。
また、資金援助で新型機の購入も可能になったが、そこで何を買うのかが問題となった。高性能機は高いし、戦争では数を揃えることも重視される。となると、安くて使える機体、コストパフォーマンスに優れたものが求められる。結局、ISAFは崩壊前のAirと同じ行動に出た。JAS−39グリペンの大量導入である。突然発注が殺到したグリペンの生みの親、スウェーデンのサーブ社は狂喜乱舞し、はりきって生産に勤しみ、2005年の4月までに注文を受けた250機全てをISAFに引き渡した。
しかもこうした中、各国の新鋭機がISAFに集って戦い出すと、各メーカーや空軍は、自分たちの最新鋭機が実戦でも本当に使えるのか、強いのかを知りたがるようになる。そこで彼らは、ISAFにその機を供与し、実戦テストをしようと意図した。こうしてまず始めにアメリカからF/A−18Eスーパーホーネットと日本との共同開発で誕生したF−2支援戦闘機(日本製ではなく、アメリカで試験用に製造された5機)、次にイギリスとドイツからユーロファイター2000タイフーン、そして最終的には、何とステルス戦闘機のF−22ラプターがISAFに提供された。
もっとも、ISAF空軍の強化は機体の供与売却だけで達成された訳ではない。後にアメリカ空軍などが部隊をISAFに参加させてから初めて、Tacticsに対して明らかに優勢となったことは認識しておかなければならないだろう。
このように、世界を味方につけて大幅な戦力アップを実現したISAF空軍に対して、Tactics空軍はそれをほとんど自力で成し遂げなければならなかった。彼らはまず、手っ取り早い方法として海外から期待を入手しようとしたが、戦争を引き起こして国際社会を敵に回した国に武器を売ってくれる国などない。だから彼らは不正規のルート――国際的なブラックマーケットからなりふりをかまわず、それこそアメリカ製だろうがロシア製だろうが、使えるものは片っ端から買い漁った。その中でも多かったのは、F−5EタイガーU、Mig−23フロッガー、ダッソー・ミラージュVなど、安価でかつ大量生産された機体だった。Tactics空軍はそれらの電子機器を載せ代え、性能をアップさせた上で前線に投入した。
しかしそれだけでは所詮「烏合の衆」になってしまうので、大陸の占領地域を平定し、資源や電力が安定供給されるようになってから、国内の航空機工場をフル稼働させてSu−27シリーズやMig−29シリーズを量産、戦力回復を図った。それももちろん効果を発揮したが、基本的にISAFの増強ぶりとは比べようもない。そしてその差が、大陸戦争中盤からの戦況を決定づけたと言えよう。
戦争勃発から1年が経過し、大陸全土を勢力化に収めたTacticsの勝利はもはや疑いないと誰もが思っていた。ISAFはノースポイントというちっぽけな島々に押し込められ、圧倒的な敵の侵攻を待つだけ。そして2004年9月、戦力を開戦時以上まで回復したと判断したTactics空軍は、満を持してノースポイントへの空爆作戦を開始した。
その結果は、大方の予想を覆した。およそ10日間続いた熾烈な航空戦で、Tacticsは多数の戦闘機と爆撃機を失い、航空機だけによるISAF打倒を諦めざるを得なくなった。ISAFがノースポイントで供与機の整備とパイロットの訓練を地道に行い、迎撃のため戦力を集中した成果が現れ始めたのだ。
またここで、もうひとつ特筆すべきことがある。このバトル・オブ・ノースポイントで彗星のごとく現れたひとりのISAFパイロットがいる。そのコールサインは「メビウス1」。かつてスノーシティーで戦争の災禍により家族を傷つけられたひとりの青年は、戦争を終わらせる目的を抱いてISAFに参加し、戦闘機乗りになっていたのだ。彼は初陣から僅か1週間足らずのうちに5機撃墜のエースとなり、その後、ISAF空軍の代表的存在となる。クラナド戦争におけるもうひとつの伝説が始まったのである。
当面の危機を脱したISAFは、その安全をさらに保障すべく大陸本土への限定航空攻撃を繰り返し、かなりの成果を上げた。リグリー飛行場、石油化学コンビナートを破壊してTacticsの戦力を漸減し、アメリカから参戦したB−52Hストラトフォートレス、B−1Bランサーを加えて決行されたコンベース港奇襲では、Tactics海軍第1機動艦隊を撃滅することにすら成功したのだ。これでTacticsはノースポイントへ陸軍を送り込むためのシーパワーを永久に失った。
2005年の初頭になると、海軍力で勝るISAFは大陸南部から上陸し、陸軍を中央部へと進め始めた。この頃になると、戦争の天秤がISAF側に傾いていることを察知した米英仏など各国は、陸軍を大陸に投入する下準備として、空軍を徐々にISAFに参加させ始める。その動きが活性化するのはもう少し後になるが、この時点でクラナドの空にはパナピア・トーネードIDSやトーネードF3なども新たに加わる。
3月頃には、購入したF−16ブロック60とJAS−39グリペンが戦力化し、各国空軍の参戦と合わせて、ISAFは量と質の両面で急速に強化されていった。反面Tacticsは、大陸各地でレジスタンスの妨害工作が活発化した影響として、資源やエネルギーの供給量が減り、それは巡り巡って戦闘機の生産にプレッシャーを与えた。また勃発以来およそ2年を経過しようとする長い戦争は、Tacticsの財政に確実にダメージを与えていたから、生産数は伸び悩んだ。
そうしてついに、ISAF空軍のこれまでの戦力強化の努力が報われる時がやってきた。2005年4月2日、ストーンクラッシャー作戦発動。稼動機の大半を動員して決行されたこの作戦で、ISAFは念願のストーンヘンジ破壊を達成した。これまでISAFを散々悩ませ、数多くの地上部隊や航空機を消し去ってきた大陸の巨人が死んだことにより、世界各国もようやく地上部隊を大規模に投入する決意を固めることになる。
その現象は05年6月に実際の形となって現れる。大陸北部からISAFの新たな地上軍が上陸したのだ。今回はアメリカ軍、イギリス軍などを主力とする多国籍軍で、この地上部隊の侵攻により大陸の勢力図は急激にISAFの色に塗り替えられていった。
早くも7月10日にはKanonの主要都市のひとつ、スノーシティー市が解放される。翌8月15日からはTacticsの首都、ファーバンティを守る最強の防衛線が張られたウィスキー回廊でISAF、Tactics両軍の機甲決戦が展開されるが、これも航空優勢を得たISAFの勝利に終わり、クラナド戦争はついに最終的な局面を迎えた。
2005年9月中旬、Tacticsは首都ファーバンティまで追い詰められ、19日にクラナド戦争の最終決戦、ファーバンティ攻防戦が幕を開く。市内や市の沖の海上、市の上空、陸海空で短時間ながらも極めて激しい戦いが繰り広げられた。
しかしここまで来ると、もはや両軍の戦力差は圧倒的なまでに広がっていた。黄色の13とメビウス1との因縁の決着、戦艦<ファーゴ>の奮戦、原潜<ベイオウルフ・Ω>の英雄的背信行為など、語るべき点は多々あるが、同日夜、Tactics政府は降伏を宣言。2年以上に渡った長く苛酷な戦争に、とうとう終止符が打たれたのである。
だが、その1週間後の9月26日に、敗北を潔しとしないTactics軍の将校たちが、トゥインクル諸島で極秘裏に建設された最終兵器「メガリス」を占拠、戦争継続を図るというテロ事件が発生する。ここでも空中戦が起こったが、F−22Aラプターとユーロファイター2000タイフーンの4機ずつで編成された8機のISAF空軍は、メガリスを守る15機のSu−37スーパーフランカーに対して完全なパーフェクトゲームを収めた。この一例が、機材、パイロット共に戦争末期のISAFがいかに充実した戦力を誇ったかを物語っているだろう。
さて、ともかくも大陸全土を覆い尽くした大戦争は終わり、破壊の傷痕を残しつつも平穏が訪れた。10月25日にISAFは解散し、大陸の外から助っ人としてやってきた各国の空軍は祖国へと帰ったが、それ以外――Kanon国防空軍やAir空防隊の再建、そしてほぼ壊滅したTactics空軍の処遇がどうなったか、最後にこれらの顛末について触れることにする。
勝者である旧ISAFにおいては、戦争中に供与されたり、購入した機体の行き場が問題となった。そのまま各国に分配すれば、手っ取り早く空軍の再建ができるのだが、事はそう単純には運ばなかった。彼らが疲弊したのは、空軍だけではなく国そのものなのだ。荒廃した国土をいかにして復興させるかという重大な課題は、大陸全てに共通する。
そのような状況で、金食い虫の空軍に予算と資源を思う存分投入するという贅沢は論外だった。小さい国の中には、自力での防空を諦めて、当面はISAFの解散と相前後してやってきた国連平和維持軍に頼る国もあった。
そんな中で注目を集めた機体が、ISAF空軍の勝利に大きく貢献したJSA−39グリペンである。数も揃い、新しく、小型軽量なため維持費も安い。それで性能も良い。これらの理由から、終戦時に約197機が稼動状態にあったグリペンは各国から引っ張り凧となり、取り分はAirが137機、その他の国々が60機となった。あわせて予備部品がサーブ社に発注されている。サーブこそ、クラナド戦争で最も利益を上げた軍用機メーカーとなった。
ただし、ISAFの中核であったKanonはグリペンに見向きもせず、114機が生き延びたF−16ブロック60などのアメリカ機にしか興味を示さなかった。彼らはたとえ空軍の復興ペースが遅くなっても、開戦前と同じ調達形態を維持した方が、長期的に見て得だと判断したのだ。ただしKanon国防空軍はこの時点で、アメリカ以外でF−22Aを運用する唯一の空軍ともなった(僅か4機だけだが)。
Kanon国防空軍は、F−22Aの追加導入は予定していないと明言しているが、この最強の戦闘機は価格の割には維持費が安く、運用状態は良好だという。今後、Kanonの復興が進み、国防費を増やす余裕が出てくれば、追加もあり得るかもしれない。その点では、ISAFに1機約400億クラナド円の機体を、惜しげもなく4機も提供したロッキード・マーチンとボーイングの営業戦略は今のところ成功していると言えなくもない。
また、Kanonは将来的には、F−16の後継機であるJSF――F−35を導入するとの説もあるが、F−35ならF−22よりもオールマイティに使え、なおかつ安いという理由から、これは10年以内に実現する可能性が高い。
なお、ユーロファイター2000タイフーンは元の持ち主(イギリスとドイツ)に全機返還されている。高性能でそれなりに活躍はしたが、数の多いグリペンと圧倒的な強さのラプターの陰に隠れてしまったようだ。メーカーのユーロファイター社はマーケティングには失敗したことになる。だが、大陸上空で残した成果には満足したという(これはF−2も同様でアメリカに返還されたが、同機を数十機運用する日本の航空自衛隊に大きな自信を与えた)。
ゆっくりでも確実に回復しつつある旧ISAF諸国の一方、敗者となったTactics空軍の現状は厳しいものがあった。
まず、国連での取り決めにより、軍備を大幅に制限された。空軍も保有機数を戦前の半分以下とされ、爆撃機の保有は禁止された。大陸制覇の野望を抱いた報いである。また開戦以前の状態に戻された国境線の内側100キロは基本的に飛行禁止区域とされ、行動まで制約を受けることになる。
かなり厳しい措置であるが、この時のTacticsにはあまり関係なかっただろう。なぜなら、やはり戦争で大きな痛手を受けていたTacticsも国土と経済の復興を最優先に取り組まねばらならず、制限上の定数を満たすだけの配備など到底不可能だったのだ。
一時期は大陸の空全てを我が物とした、かつての強さは望むべくもない。開戦直前まで積極的に導入を進めていたフランス製戦闘機の新規配備は諦めざるを得なくなり、しばらくの間は幸運にも戦争で失われなかった既存の機体の中から、比較的状態の良いものを使っていくしかなかった。
そんな悲惨な現状から希望を見出すとすれば、それは2つある。1つ目は、航空機生産施設は戦争の惨禍を逃れたことである。したがって、財政再建が成り、国防費を上げるだけの余裕が出てくれば、新しい機体を生産・配備することが可能なのだ。そして2つ目は、「比較的状態の良い」機体に、Su−35、Su−37、Mig−29Mなどの新型高性能機が多かったことだ。開戦前に比べ、数そのものは激減しているが、旧式機の比率が減っているから、質は上昇していると言えるだろう。
栄えあるTactics連邦空軍の誇りだけは、失われていないのだ。
なおこれは余談になるが、黄色中隊と共にその名を世界中に知らしめたSu−37は、大陸戦争後にわかに注目され、インドや中国が近いうちに購入を始めるという。スホーイはサーブ、ロッキード・マーチンに続いて儲かったメーカーとなった。また最近ではSu−27シリーズに押されて凋落著しいミコヤン・グレヴィッチも、Mig−29Mが再評価されて注文が入り、息を吹き返せる状況が到来したらしい。さらに、ボーイングのF/A−18Eスーパーホーネットも、メビウス1の愛機として活躍したことから、導入を検討する国が現れたという話もある。
クラナド戦争が大陸以外の世界の空軍、軍用機メーカーに与えた影響というのも、また非常に大きかったのである。
簡単に述べてきたが、以上がクラナド大陸におけるおよそ50年間のエア・パワーの変化と、その行き着いた先である。
クラナド大陸を巣とした猛禽たちは、時代の流れに沿って順当な成長や進化を遂げてきた。そんな戦闘機と、強い機体をより多く集め、空軍力の拡充にあらゆる努力を払った関係者たちを待ち受けていたのは未曾有の大戦争で、彼らの尽力は報われたり、また報われなかったりと、悲喜が複雑に混じりながら進み、そして終わった。
軍用機は戦争の炎の只中に飛び込んだ結果として、一旦は絶滅するのではないかと思われるほどに減少した。だが現在ではその生息数を着実に増やしつつある。
ただ、誰もが共通して願っていることがある。
それは、この戦うために造られた美しく強い鳥たちが、もう2度とその強さを発揮することなく、平穏無事に生涯を終えてくれることだ。
大陸の人々は、それの実現を切実に望み、そのための努力を続けている。もしも戦闘機たちが人間のように感情を持っているとしたら、彼らは人間と全く同じことを思っているに違いない。
戦わずして勝ち、平和を守る。それが兵器にとっての最大の幸福だからである。
戻る