緑成す森。遠目には美しいそれも、いざ中に入ってみれば、まるでこの世のものとも思えぬほどの険しき土地でした。大和の国の森……たとえば、あの結界に包まれた高野山の森でさえ、この自然の迷宮に比べれば如何ほどのものでしょうか。翼の民が長年、この森を抜けて、先の地を目指そうとしなかった理由がよく分かります。
 ですが、神奈さまを信じてこの森を抜け、新たな土地へ向かおうという人々は、千人を越えていました。暑さと湿気、這いずる異様な虫たちや、頭上から襲ってくる蛇。食べられるのかどうかすら分からない草や茸……こうした脅威に晒されながらも、わたくしたちは北へ進みました。 
 やがて、その苦労が報われる時が来ました。次第に木々の密度が低くなり、頭上を覆っていた緑の天蓋も、その隙間に空を覗かせるようになりました。そして、ついに森を抜けた先には、広大な草原が広がっていたのです。その遥か彼方には、白銀を抱く峰々。なんとも美しい光景でした。


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外伝 空の史劇

第五話 そして神話へ



 普請の場には、槌打つ響きが木霊していました。
 わたくしたちがこの地へ辿り着いてから、おおよそ半年。新たな町を築く仕事は、今まさに佳境にあります。
「おお、裏葉どの。見回りでござるか?」
 普請の棟梁が声をかけてきました。この方は地の龍からやって来た人ですが、先祖代々地の龍だったというわけではなく、喧嘩で刃傷沙汰に及び、追放されて荒野で行き倒れになっているところを救われ、地の龍に仲間入りした新参だという事です。それまでは大工をしていて、祖先が東大寺の造営に関わったというのが自慢だとか。
「はい。神奈さまは来ておられますか?」
 わたくしは尋ねました。神奈さまはちょくちょくと部屋を抜け出しては、普請の場や郊外の畑へ遊びに行ってしまうので、こうして連れ戻さなくてはなりません。
「神奈さま? 今日は来ておらぬなぁ。ところで裏葉どの、良い酒が手に入ったのだが、今夜はいかがか?」
「いえ、また今度で」
 わたくしは棟梁に頭を下げ、歩き出しました。

 早いもので、翼の民と地の龍の和解がなってから、まもなく一年ほどになります。
 地の龍たちは一度荒れ野へ帰り、その後、翼の民の長たちも交えて、双方で合議が幾度も行われました。そして、双方から希望者を募り、北の広大な森を抜けて、その先にある広い土地を目指す開拓団が編まれる事になったのです。
 もちろん、その長は神奈さまです。空からその広い土地を見つけたのは、神奈さまなのですから。当然、柳也さまとわたくしも同行します。
 あの戦の後、お二人の仲は以前にも増して睦まじくなられました。それまではお二人とも素直でない素振りを見せる事もあったのですが、今はもうそのような事はありません。
 その事を嬉しく思う反面、寂しいと思う気持ちもあります。いずれはお二人は祝言を挙げ、晴れて夫婦となる日が来るでしょう。その時には、もうわたくしが神奈さまの傍にお仕えする必要もなくなるでしょう。
 ですが、まだ街造りは続いており、森を切り開いて、南の地や荒れ野への街道を作ろうかという大事業の計画も出ていたりします。落ち着いて祝言を挙げたりする余裕はまだ無いでしょう。それまでは、わたくしも神奈さまの傍にいられます。
 そんな事を考えながら、わたくしは神奈さまの行きそうな場所を回っていきました。鍛冶屋の工場、水車小屋などです。地の龍は人数こそ少ないものの、実に巧みな職人たちでもあり、こうした暮らしを豊かにするための仕掛けを、あっという間に作り上げていました。
「いや、それは違いますよ、裏葉さま。こうしたものが無ければ、荒れ野では生きていけなかったんですよ」
 そう言うのは神尾どのです。まだ若いながら、鍛冶工房の差配を任されている職人で、地の龍でもそれなりに貫目のある家柄の者だそうです。
「暗い洞窟で、豊富にあるものといえば、鉄と燃える石だけ。それで何とかして暮らしを豊かにしようと頑張ってきたわけですから」
 地の龍の暮らし振りは、何度聞いても言葉を失うものがあります。一歩地上へ出れば、たちまち人を干殺しにしてしまうほどの苛烈な光。それを避けて地下へ潜り、岩の隙間から滴る水や、そこに育つ奇妙な苔や茸、水系に住む目のない魚などを食べて生き延びるしかない、そんな過酷な生活をしていたそうです。鉄を鍛える技や、様々な道具を工夫する技も、そうした洞穴の生活を少しでも良くする為に、命がけで磨かれたものだったのです。
 それだけに、地上で暮らす道を指し示してくれた神奈さまへの崇敬の念は、彼らの間ではとても強いもののようです。
 その神奈さまが、ふらふらと遊び回っていては、慕って集まった人々に申し訳が立ちません。わたくしはお姿を捜し求め、川から水を引いた洗い場の脇で、神奈さまを見つけました。ですが、どうも様子がおかしいようです。堀の横にうずくまり、しきりにえずいておられます。わたくしの身体から血の気が引きました。
「神奈さま!」
 わたくしが駆け寄ると、神奈さまは蒼白な顔で、わたくしを見上げました。
「う、裏葉……気分が悪い」
 わたくしは頷いて、神奈さまに肩を貸して立ち上がらせました。そして、すぐに柳也さまと薬師を呼ぶべく、人を走らせました。

「……ふむ、これは」
 床についた神奈さまを診ていた薬師が、わたくしたちの方を振り返ります。わたくしと柳也さま、それに主だった各部署の長たちが身を乗り出しました。
「薬師どの、神奈は……神奈は無事なのか!?」
 柳也さまが、戦の時ですら発した事のない、切羽詰った声で問い掛けられました。すると、薬師は莞爾と笑ってお答えになりました。
「おめでたにござります」
『……は?』
 わたくしを除く男衆全員が、間抜けな声をあげました。新たな国のしるしとも言うべきお方が倒れられたのに、おめでたとは何事か、という表情をしています。そこで、わたくしは事情に気付いた者の代表として聞きました。
「薬師どの、つまりそれは……」
「左様、やや子ができたのすな。おそらく三月というところでしょうかの」
 そこで、ようやく意味を悟った男衆たちが、おお、というどよめきと共に、柳也さまのほうを向きました。その柳也さまはというと、まだ良く分かっていないような、呆けたお顔をしていらっしゃいます。
「あー……その、なんだ。ややこが出来た、という事はつまりその」
「何を益体もないことを仰っているのですか。あなたさまと神奈さまのお子に決まっておりましょう」
 わたくしは、ことさら冷たい声で柳也さまに言いました。そのうえで、笑いながら頭を下げました。
「ほんとうに……ほんとうにおめでたい事です」
「おめでとうござる、柳也どの!」
「まことにめでたい! 今日はよき日じゃ! 早速宴の支度をせねばな!!」
 長たちがそう言いながら、柳也さまの肩をどやしつけていかれました。その場にわたくしたち三人だけが残った所で、柳也さまはようやく我を取り戻されると、神奈さまの枕頭ににじり寄られ、その手を取りました。
「神奈……」
「柳也どの。余は……」
「何も言うな。でかした。よくやった……」
 そう言いながら、柳也さまは神奈さまのお腹に手を当てられました。神奈さまもにこりと笑われると、そこに手を添えました。
「余が、柳也どののややを……」
「そうだ。俺と、お前の子だ」
 幸せな雰囲気が、寝所を満たしていました。わたくしは軽く咳払いをすると、お二人に向かって言いました。
「こうなったからには、急がねばなりませんね」
「ん? 何をじゃ?」
 きょとんとする神奈さまと、首を傾げる柳也さま。どうやら本気で分かっておられぬ様子。わたくしは溜息をつき、そしてはっきりと言いました。
「もちろん、お二人の華燭の典(結婚式)です」
 一瞬お二人は沈黙し……それから、まるで流星が落ちてきたように驚かれました。
「な、なにいぃぃぃぃぃぃ!?」
 文字通り飛び上がったお二人に、わたくしは先を続けました。
「これまでも実質夫婦であられましたが、こうなったからには名も伴った夫婦になられるべきでしょう。ふふ……さぞかしお美しいでしょうね、神奈さまの花嫁姿は」
 わたくしの言葉に、まだ眼を白黒させていたお二人でしたが、やがてようやく気持ちを決めたのか、頷かれました。
「そうだな……男として、責任は取らねばなるまい」
 柳也さまが言うと、神奈さまも頷かれました。
「余の心はもうとっくに決まっておる。一生添い遂げるつもりじゃ」
 わたくしは頷きました。そして、その時、ずっと心の中に巣食っていた、もやもやした気分が、どこかに霧散している事に気が付きました。
 決して口にはしなかった、その想い……それに、ようやく諦めが付いたと言う事なのでしょう。わたくしはそう納得し、そして二度とその事に想いは馳せないと心に誓ったのです。

 一月後、新しい街に来た者はもちろん、村に残った"夏空のオオワシ"さまを始めとする各地の長、さらには未だ神奈さまの元に参じていない周辺の諸勢力の長をも招き、盛大な華燭の典が催されました。
 同時に決まった事があります。神奈さまの元に参じた人々全てを束ねる新たな国として「神奈の国」の建国が宣言された事です。
 西方の槻の国、尾根の国のように、争いごとで周りを切り従え、力づくで押さえつける国ではなく、神奈さまを慕い、集まった人々が、自らの意思で建てた国。この「蓬莱ノ地」に、本当の意味での国が誕生した瞬間でした。
 祝い事はさらに続きます。半年後、神奈さまは玉のようなお子をお産みになられました。男のお子であったこともあり、人々は次代の主の誕生に、大いに湧き立ちました。
 お子は柳也さまが自らの一字を取り、「空也」と名付けられました。空也さまは、本当にお二人のいいところを集めて生まれたようなお方でした。顔立ちは柳也さまに似て凛々しく、そして、その背中にはまだ小さいですが、翼があったのです。
 新たな生き神として民を導かれるであろう空也様の元、神奈の国には何も心を惑わすような心配事はなく、このまま幸せのうちに発展していくと、誰もが思っていたのです。
 五年後の、その日までは……

 その年、春から雨が降らず、深刻な日照りが国を襲いました。わたくしは"河口のカモメ"さまと共に、幾度となく雨乞いの祈祷を繰り返しましたが、効果はありませんでした。
 作物は育たず、森も茶色く枯れて、不穏な空気が流れる中、水を巡る争いが各地で頻発していました。柳也さまはその解決に奔走していましたが、その裁きに不満を持つ者たちが集い、ついに大きな叛乱へと発展してしまったのです。
 あれほど心酔していたはずの神奈さまのお言葉を伝えても彼らは収まらず、ついに叛徒たちは都めがけて進軍を開始したとの物見の知らせが入り、柳也さまも無念の気持ちを呑んで、彼らの討伐を決断されたのです。
 
 柳也さまが出陣して三日目の夜、わたくしは神奈さまのお傍に控えていました。この頃、神奈さまはお二人目となるお子を身ごもっておいででした。
「裏葉……柳也どのは大丈夫であろうか?」
 神奈さまの言葉に、わたくしは頷きました。
「もちろんです。あの柳也さまが、叛徒ずれに遅れをとるなど、有り得ない事です」
 わたくしは、神奈さまを励ますように言いました。普段なら、それで神奈さまも納得されるはずでした。ですが、この日の神奈さまは違いました。不安な表情を隠せずにいたのです。
「余もそう思う。が、なんとなく嫌な予感がしてならぬのだ……」
 その主の不安な気持ちは、わたくしにも伝染しました。黒い影のような物がわたくしの胸の中に湧き起こります。それを払おうとした時、外が騒がしくなりました。訝る神奈さまに、様子を見てまいります、と言って寝所の外に出ると、廊下をどかどかと走ってくる兵士がいました。
「静かになさい。何事ですか」
 わたくしが声を掛けますと、兵士は慌ててそこに直り、言上を述べ始めました。
「い、一大事にございます……柳也さまの軍勢、にわかに叛徒どもの奇襲を受け、我が方の死人手負いは多数。大半の兵は四散した由にござります!」
「なんですって・……!?」
 わたくしは足元から大地が崩れていくかのような感覚に襲われました。その場に倒れそうになるのを、必死にこらえ、兵士に尋ねました。
「柳也さまはどうなされたのですか」
「は、何とか残った兵を纏め、門街砦に退いたとの事。"柵間のカラス"さまが兵一千を率いて救援に向かわれましたが、叛徒の勢いはなはだ大にして、後詰も苦戦との由にございます」
 とりあえず柳也さまは生きておられる。安堵したわたくしですが、このような事を神奈さまのお耳に入れるわけには参りません。
「わかりました。とりあえず、あなたはこの事を長たちに伝え……」
 わたくしがそう言ったとき、後ろで気配がしました。はっとなって振り返ると、そこには青ざめた顔の神奈さまが立っておられました。
「……今の話はまことか?」
 聞かれていた。わたくしは少なからず動揺しました。なんと声を掛けようか、と思うより早く、神奈さまは庭の方へ歩き出しました。
「神奈さま、どちらへ行かれるのですか!」
 わたくしの言葉に、神奈さまは振り向きもせずに答えました。
「決まっておる! 柳也どのを助けに行くのじゃ。叛徒ども、余自ら鎮めてくれる!」
 その荒々しい言葉に、わたくしは慌てて神奈さまの後を追い、肩に手をかけました。
「なりませぬ! あぶのうございます、神奈さま!」
「放さぬか!」
 神奈さまはわたくしの手を振り解こうとして……とつぜん蹲りました。何事かと見ると、お腹を抑え、顔中に汗を浮かべています。そして、床に広がっていく水の流れ……
「神奈さま……! これは……!!」
 わたくしは青ざめました。陣痛が始まっている……そればかりでなく、破水まで起きています。いますぐお子が産まれてもおかしくない事態です。
「薬師を、早く!」
「ははっ!」
 先ほどの兵にそう言って、わたくしは神奈さまを寝所に戻そうとしました。ですが、神奈さまは激しく抵抗されます。
「離せ……裏葉……余は、柳也どのに……」
「なりません! 無理をして、お子が流れたら何とする気ですか!!」
 押し問答をしていると、突然寝所の方でまるで閃光のような輝きが生まれました。余りのまぶしさに思わずわたくしが目を押さえますと、めきめきと言う音を立てて、寝所の屋根が吹き飛び、そこら中に飛び散りました。
「こ、これは!?」
 わたくしが顔を上げますと、夜空を何か光り輝く物が飛んでいくのが見えました。あの光は、まさか……そう思ったとき、神奈さまが声をあげました。
「く、空也!? な、ならぬぞ! 行ってはならぬ!!」
 そう叫んで、神奈さまは力尽きたように倒れられました。慌てて抱き起こすところへ、薬師や産婆が駆けつけ、慌しく診立てがはじまりました。
 余りの事態に呆然となっていたわたくしは、地平線の向こうで、数度となく強い光が走るのを目にし、我に返りました。まるで稲妻のようなその光は地鳴りすら伴って輝きつづけ……やがて、その光を中心に、黒い雲が渦巻いて天の全てを覆い隠しました。その中心の下には……門街砦があるはずでした。

 雲は嵐となり、まるでこの年の日照りを取り返すように、凄まじい雨と風が大地を打ちました。川は逆巻く怒涛となって荒れ狂い、家を押し流し、風は竜巻を呼んで建物を吹き飛ばしました。
 三日にわたって怪異が続き、やがて嵐が去った時、国は大変な有様になっていました。多くの家が壊れ、広大な土地が水漬けになり、多くの人々が呆然とした様子で変わり果てた土地を見詰めているだけでした。どれほどの人々が亡くなったのか、見当すらつきません。
 そして……そのさらに三日後、大地の向こうから、傷つき果てた軍勢がよろ這うようにして帰ってきました。柳也さまの軍勢でした。泥と血にまみれ、都の前に辿り着いた柳也さまを、わたくしは出迎えました。
「よく、ご無事で……」
 わたくしが声を掛けますと、柳也さまは沈痛な表情で頷きました。
「ああ……空也に助けられた」
 そう言って、柳也さまは抱えていた包みを差し出しました。それが何なのか、わたくしはわかっていました。わかっていましたが、わかりたくはありませんでした。
 それが……力を使い果たした空也さまの亡骸である、という事は。
 あの日、お父上を救うために飛び出された空也さまは、翼人の力を用い、叛徒たちを討ったのです。雷と嵐、竜巻が軍勢を薙ぎ払い、叛徒たちは残らず屍と成り果てました。
 ですが、まだ幼く、加減のわからぬ空也さまは……

 わたくしに続いて、空也さまを抱いた柳也さまが仮寝所に入ってきた時から、神奈さまは全てを悟っておいでのようでした。そして、柳也さまは初めてそこで膝を付き、男泣きに泣かれました。
「神奈……許せ。許してくれ。俺は、俺は空也を!」
 号泣する柳也さまの頭を、神奈さまは赤子をあやすように撫でられました。
「……わかっておる。じゃが、余り自分を責めるでない、柳也どの。母たる余とて……同罪よ」
 そう言うと、神奈さまも堰を切ったように泣き出されました。抱き合い、涙をこぼしあうお二人。それは、悲痛過ぎてとても見ていられない光景でした。
 すると、別の泣き声がそこに加わりました。わたくしは泣き声の主を抱き上げ、お二人の元に連れて行きました。
「神奈さま、柳也さま。お嘆きになる気持ちは良くわかります。ですが……こうして姫も心配しておいでです。どうか、どうか……!」
 柳也さまは、私の腕の中にいる姫君を見つめられました。そして、神奈さまのほうに向き直られました。
「そうか、この子が……」
 柳也さまが言うと、神奈さまは頷かれました。あの夜お生まれになった姫君です。まだ名を与えていない姫に向かい、柳也さまは眠っているかのように見える空也さまを差し出されました。
「見えるか、空也。お前の妹だぞ。姫よ、済まぬな。お前には、このように素晴らしい兄上がいたのになぁ……」
 柳也さまの言葉に、周囲からすすり泣きの声が漏れました。ですが、柳也さまは涙を振り払って立ち上がられました。
「此度の乱は、大きな痛手だった……しかし、失った物も多いが、こうして得た物もあった。この子に救われた未来を、姫に受け継がせるためにも、今度こそ揺るぎない国を作らねば。協力してくれ、神奈。裏葉。そして皆も」
『……はいっ!』
 悲しみに暮れながらも、わたくしも、そして皆も声を合わせました。

 嵐の乱、と名付けられたこの事変により、神奈の国の国づくりは大いに後退し、場所によってはそれまでの成果がほとんど無に帰した土地もありました。死んだ人々の数も数千にのぼり、人々は嘆きに包まれました。
 しかし、人々はそれを乗り越えて懸命に働きました。それを支えたのが、命(みこと)さま……あの時の姫君でした。命さまは羽根を持ちませんでしたが、神奈さま譲りのお美しさは、人々の励みになりました。命さまのご成長に応えるかのように国は発展していき、十年が経つ頃には、あの時の傷はほぼ癒えていました。
 そして、柳也さまと神奈さまの間には、三番目のお子が産まれていました。男の御子で、名前は鈴人(すずと)、と名付けられました。鈴人さまの背中には羽根が生えていました。
 後継ぎの誕生です。ですが、柳也さまと神奈さまは、嬉しさの中にも、どこか複雑な表情をされていました。その屈託が何なのか、わたくしがそれを知ったのは、ある日、お二人に呼ばれた時の事でした。

 柳也さまの言葉に、わたくしは耳を疑いました。
「鈴人さまを養子に出す……!?」
 確認するように言ったわたくしに、神奈さまは頷かれました。
「うむ。これは、余と柳也どのが何度も話し合って決めた事じゃ。それゆえ、裏葉には鈴人の里親を探してもらいたいのじゃ」
「これは裏葉にしか頼めぬ。協力してくれないか?」
 口々に言うお二人に、わたくしは尋ねました。
「なぜ、そのような事を。大事なお世継ぎではないのですか? それでは鈴人さまが不憫です」
 実際、納得のいかないことでした。羽根を持つ鈴人さまは、翼人の力を継ぐお方です。男のお子でもあり、間違いなくお世継ぎになるはず。それなのに……
「言いたいことはよくわかる。だが、俺も神奈も、もう翼人の力はこの世には要らぬと考えたのだ」
 柳也さまの言葉に、わたくしは顔を上げました。
「翼人の力は神の力。嵐の乱の時のように、国をも滅ぼしかねぬ強き力じゃ。人々はこれに従うのを当然と思おう……しかし、余はそのように人々を力で押さえつけるような事があってはならぬと思うた」
 神奈さまが言葉を続けられました。
「余の母も、そのまた父祖の者も、この力ゆえに大和の国の貴族たちに狙われ、利用され、最後は殺されてしもうた。余はもうそのような事はやめにしたいのじゃ。幸い、余の代になって、力を幸いな形で使い、こうして国を建てる事が出来た。一つのけじめがついたと思うゆえな」
 今度は、柳也さまが続けられました。
「だから、俺たちは決めたのだ。力を持つ者、その兆しを持つ者は、この神奈の王位を継いではならぬ。そう仕来りを作ろうとな。そうすれば、いずれ長い時の流れの中に、翼人の力は埋没して消えていくだろう。だが、それで良いのだ。もう……二度と空也のような悲劇を繰り返したくはない」
 わたくしは、何も言えませんでした。その決意の強さ、重さに。そして、理解してもいました。これは引き受けざるをえないだろうと。
「……承知しました。お二人の想い、この裏葉、確かに受け止めました」
 そう言って、わたくしは頭を下げました。

……それが、わたくしにとってお二人への最後のご奉公となりました。
 鈴人さまを引き取ったのは、男の子のいない"立ち端のフクロウ"さまでした。鈴人さまは身分を隠した上で、"立ち端のフクロウ"さまの娘と夫婦となり、翼人の力を使う事無く幸せに暮らしていると聞きます。
 柳也さまは、それから程なくして病を得て、数年の後にお亡くなりになりました。神奈さまは一人で柳也さまの冥福を祈る、と言い残され、都を去り、北の山に庵を編んで暮らされました。わたくしは傍にお仕えしようと思ったのですが、断られました。神奈さまは仰いました。わたくしも、そろそろ人並みの幸せを求めてはどうか、と。
 そのような事を言われても、わたくしのような大年増に縁談など……と思ったのですが、思わぬ事から良縁を得ることになりました。相手は、"河口のカモメ"さまの孫に当たる方で、わたくしよりはかなり年下だったのですが、祖母に連れられて会ったわたくしを、どういうわけか気に入ってくださり、祝言を挙げることになったのです。幸い子宝にも恵まれ、よき夫を得て、わたくしの人生も豊かになりました。
 わたくしはそれから数年、二代目の皇主となられていた命さまにお仕えした後、神奈さまがお亡くなりになった事を知りました。それを機に、わたくしは暇をいただき、あの初めてこの地へ参った時の村……今は「夏空の町」と呼ばれている土地に移る事になりました。都には、柳也さまと神奈さまと過ごした思い出が多く、年老いたわたくしにはいるのが辛い事も多かったからです。
 その際、わたくしは命さまより、長年の務めに対し、もったいなくも姓をちょうだいしました。その姓は、"河口のカモメ"さまの家に嫁ぐ事にちなみ、「川口」とされました。川口裏葉。こう書くと、なんだか別人の事のように思えます。
 もう一つ、わたくしは許しを得て、夏空の町に社を建立しました。御祀りするのは、もちろん神奈さまと、柳也さま、空也さまの御三方です。神奈の国が発祥した土地とも言うべき、夏空の町。ここに御三方の御霊がある限り、この国が滅びる事は決してない。そう思ったからです。

 わたくしの長い昔話は、これで終わりです。思えば、長い夢の続きのような人生でした。
 わたくしが神奈さまと柳也さまにとって、よき侍従である事が出来たかどうかは、良くわかりません。ですが、お二人の思いを込めた国の始まりに立会い、その歴史を見つめる事ができた事は、わたくしにとって誇りに思う所です。
 願わくば、わたくしの血筋も遠き未来まで残り、歩み始めたこの国を守る礎になって欲しい。それが叶うなら、もう思い残す事はありません。
 どうか、この国の未来に幸いを……

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外伝 空の史劇

終劇


後書き

 という事で、KCO外伝にしてAIR皇国建国秘話「空の史劇」、いかがでしたでしょうか?
 最後がちょっと駆け足気味になりましたが、六話に分けるにはちょっと話が間延びしすぎると思い、敢えてこうしました。ご了承ください。
 とりあえず、AIR皇国を巡る一連の謎について、書ける事は書き込めたと思います。AIR最高のエース、川口茂美大尉の家系の秘密とか、往人君が皇室に生まれながら民籍降下していた理由とか。
 それにしても、裏葉さん語りは書いていて楽しかったです。最初は難しかったんですが、だんだん慣れてくると、他の文章もこう書きたくなったりして(笑)。一人称で文章を書くいい練習になりました。
 心残りと言えば、霧島家、遠野家についても祖先に付いて触れたかったんですが、ちょっと無理でした。あ、ひょっとしたら最終話に出てくる薬師は霧島家の祖先かも。と言う事は、遠野家もどこかに? それらしいキャラを探してこじつけるのも面白いかもしれません。
 最後に、また外伝を書くことを快く許可していただいた原作者のU−2Kさんと、読んでくださった皆さんに最大限の感謝を捧げて締めにしたいと思います。
 ありがとうございました。

 2005年11月吉日 さたびー拝
 
 
原作者のコメント

 いやはや……もう何と申しましょうか……。お話の壮大さに引き込まれ、奥深さにただただ感銘を受けるばかりです。
 ここで私が下手なコメントをつけると、お話の余韻を台無しにしかねないので、今回はこの一文をもってコメント代わりとさせていただきます。

 さたびーさん。「空の史劇」全5話の完結、おめでとうございます。そして拙作KCOにこのような大輪の花を添えていただいたことに、大変感謝いたします。ありがとうございました。
 裏葉さんのひとり語りという形式で始まったこのシリーズ、実に奥が深く、目から鱗の連続でした。
 特に、往人がなぜAir皇室から離れていたのか、の点については、作者自身が合理的なアイデアが浮かばずに曖昧なまま放置していました(苦笑)。しかし、今回のお話で自分の胸のつかえがようやく治まったような思いを抱いています。
 それ以外にも、神奈さまと柳也、裏葉さんの微妙な関係とその顛末などの人間ドラマにも大いに惹かれました。単なる家族、主従を超えた情愛には心を打たれ、せつなくも将来に希望を抱かせる結末にはただただ納得する次第です。
 また、クラナド大陸が太平洋の中央にある移民大陸、という元々の設定を生かした展開に、原作者として改めてこの世界の特異性に気づかされました。
 そして原作で活躍する人々の祖先……往人と観鈴の遠い先祖が同じ血筋で、1000年の時を経て再びひとつになり、さらに裏葉さんの子孫が、神奈さまと柳也の子孫に仕えることを思うと、感慨で胸がいっぱいになります。

 最後に繰り返しとなりますが、このように素晴らしい作品をKCOの外伝として拝読できたことを光栄に思うと共に、深くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。



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