綾香による〈帝國〉軍の迂回機動を知った浩之は予備隊を率いて迎撃に出る。

浩之は綾香を止められるか? ここに第11大隊最後の戦いが始まる。

 

 

〖葉ノ国の守護者〗

 

第3話 

 

 

 

 220日午後に行動を開始した綾香率いる第3辺境胸甲騎兵連隊第1大隊基幹の戦闘団は日没前に辛うじて側道へたどり着く事が出来た。

側道脇で一晩を過ごした後、夜明けと共に側道に進入する。

「さてと、ここからが本番ね・・・・・・さあ、行くわよ!」

綾香は一人呟くと、部隊に号令を掛ける。

それを受けて、捜索騎兵を先頭に部隊は隊列を組み、移動を開始する。

側道は両側に原生樹林が迫るように生い茂っており、道幅は馬が3匹並べば一杯になるくらいの狭さで、2列縦隊で進むしかなく、除雪もされてないのでスピードも思うように出せない。

「ああッ!もう! イラつくわね。もっと速度を上げられないの?!

余りの遅さに綾香は苛立ちをあらわにする。

「・・・・・・あ」

横にいた幕僚の田沢圭子中尉がなだめようと顔を向けた時、先頭から人馬の悲鳴と重いものが落ちたような鈍い音が複数、響いた。

「全隊、行軍止め!・・・・・・いったい何があったの?」

綾香は部隊に停止を命じると先頭に何が起きたか圭子に尋ねる。

「・・・さあ? 敵襲ではないようですが、事故でも起きたのでしょうか?」

「もうっ、ラチが開かないわね。いいわ、見てくるから。」

「え? あっ、私も一緒に行きます」

綾香は馬を強引に進めて先頭に出ると、そこには道いっぱいに掘られた落し穴が口を開けており、先頭を進んでいた捜索騎兵6名が人馬ごと落ちて呻いている。

「何よ、これ・・・・・・早く引き上げて治療を。手遅れだったら、楽にしてあげて」

その凄惨な光景に一瞬戸惑うが、すぐに立ち直って指示を飛ばす。

ミシッ、ミシッ、ミシッ、バキッ、バキッ、バキッ、バキバキバキバキバキ・・・・・・

雪に覆われ、静かなはずの原生林に木が折れる音が響き渡る。ハッ、と綾香が周囲を見回したときにはすでに遅く、両側の原生林から幹の太さが1間半程の大木が3本ずつ側道上に倒れてきた。それも綾香の部隊がひしめく所に。轟音が響き渡る。再び、人馬の悲鳴。側道の雪は人馬から流れる血の色で真っ赤に染まっていく。

「なんてこと・・・・・・」

再び起こった目の前の惨劇に言葉を失い、呆然とする綾香。大木に体の一部を押し潰され、悲鳴を上げ、呻く兵たち。戦友を救わんと馬から下りて、駆け出す者、思わず、背を向けて胃の中のモノを吐き出す者などの怒号、悲鳴などが周囲に漂う。

「・・・綾香様、綾香様、しっかりして下さい! 早くご指示を!」

圭子に肩を揺すられ、ようやく正気に戻った綾香は頭を軽く振って意識をはっきりさせ、指示を出し始めた。

「工兵分隊に命令! 早急に障害物を除去し、負傷者を救助して! 障害物付近の者は周囲の警戒と工兵に協力するように・・・・・・無傷の者は何名いる?」

「綾香様、なにを?」

「渡河点まで側道の残りの部分を偵察させる。他にもこんな仕掛けがあったら、また、足止めを食うじゃない。こんなことで貴重な時間を無駄にしたくないわ」

「分かりました。直ぐに編成して行動します」

「お願い。あたしは被害を確認するわ」

「はい!」

圭子は綾香に敬礼すると走り出した。

「なんてこと。油断してたとはいえ、私がこんな仕掛けに引っ掛けられるなんて・・・・・・それにしても、こんな巧妙な仕掛けを思いつく猛獣使い≠チて、どんな奴なのかしら?・・・・・・」

綾香は被害現場に歩きながら呟いた。してやられた事のへ怒りより、恐れの方が先に立つ。同時に猛獣使いに対する興味も沸いてくる。

実際に戦ったらどんな手を打ってくるのか? いつの間にか恐れよりも強敵を前にしたような高揚感を感じながら、負傷者の救助と障害物の除去の指示をテキパキと部下に与えていった。

猛獣使いの仕掛けた罠による損害は圧死・失血死等17名、負傷者19名にのぼった。大隊としては少ない損害とは言えず、救助等にかかった時間も無視できない。綾香は部隊を再編すると先を急いだ。

 

 

 小苗渡河点では、翌21日になっても浩之の望むかたちのまま、防衛戦闘は続けられている。

〈帝國〉軍は夜明けと同時に砲兵の援護の下、最初の突撃渡河を仕掛けてきたが、大隊は火力の効率的な集中と運用で跳ね返すことに成功し、その後の第2波も同様に撃退している。

 現在、おこなわれているのは3度目の突撃だった。銃砲の弾幕を潜り抜けて、猟兵が100名ほど渡河に成功する。

陣地に配した兵だけで十分に撃退が可能だったが、浩之はさらなるに手を打ち出した。

「予備隊だ。予備隊を出せ! 徹底的に打ちのめすんだ」

「浩之ちゃん、でも・・・・・」

「いいから、急げ!」

あかりが何を言いたかったかは理解している。しかし、浩之には別の思惑があった。予備隊をわざと敵に見せることで敵の判断を惑わそうとしたのだ。

敵にしてみれば早すぎる予備隊の投入は2通りの効果に集約される。戦意あふれる指揮官なら、過小評価して強襲の継続を、慎重な指揮官なら、事前の情報を疑い、過大評価して攻撃を中止する。前者なら、敵に大損害を与え続けて疲弊させることが出来る。後者なら、何よりも貴重な時間を稼ぐことが出来る。どちらにしても浩之たちの損にはならない。

命令は直ちに伝達された。

丘の背後で待機していた予備隊が駆け足で川岸に迫り、そのまま突撃に移る。氷のような冷たい川を凍えつつもようやく渡った猟兵たちはひとたまりもない。

瞬く間に揉み潰されていくのが浩之の指揮所からも見えた。葵が先頭に立って敵を殲滅していく。どうやら完全に立ち直っている。浩之は安堵の息を吐いた。数少ない将校の1人が府抜けていられたら困るのである。

直ぐに予備隊を撤収させる。火砲との連携が上手くいき、損害はほとんど無い。

「今日も護りきれそうだな。」

「そうだね。はい、珈琲。あったまるよ」

「サンキュな、あかり」

あかりが淹れてくれた珈琲を受け取り、両手で包むようにして口をつける。

その横で琴音は退屈そうに欠伸をしていた。なにもやれることがないので暇を持て余しているらしい。

浩之はその様子を見て微笑むと琴音の額を撫でてやった。

確かに、このままいけば約束の時間は稼げるだろう。そう思えそうなほど防衛戦は順調に進んでいた。

浩之すらもそのことを、何もかも目論見どおりに行くかもしないということを、7割がた信じそうになりかけていた。

過信の報いは後に駆け足と共にやってきた。

 

 一方〈帝國〉軍陣営の指揮所では好恵が荒れ狂っていた。手当たり次第目につくモノに身に着けた空手の技を叩き込んでいる。机や椅子のみならず止めに入った幕僚すらぶちのめしている。しばらくしてようやく落ち着いたのか、瓦礫の山と化した指揮所内から、参謀長の瑞穂を呼ぶ声がした。

「瑞穂!」

「ハイハイ、今行きます。」

瑞穂は溜息を吐きつつ、指揮所内に足を運ぶ。

入り口の横ではノされた幕僚が手当てを受けていた。

「好恵さん、入りますよ。」

「・・・・・・瑞穂、本当に敵は大隊規模なの?」

「は? はい、事前の情報ではそうなっています。それがなにか?」

「じゃあ、あれだけ攻めているのにどうして抜けない!」

好恵は先ほどの予備隊投入の件から敵の規模に疑いを持ったようだ。

「・・・・・・・・・」

瑞穂も好恵に言われて考え込む。

彼女らは自分たちの正面にいる猛獣使い≠ノ対して過大な評価を与えつつある。浩之の指揮する部隊が戦力の減耗した大隊、実際〈帝國〉軍で言えば増強中隊ほどの戦力しかないとは信じられなくなってきたのだ。この北領で主要な戦闘、その全てに勝利してきた〈帝國〉軍をほとんど戦わずに苦境に追い込んだ敵なのだから無理もない。しかも、いざ、現実に戦ってみても野戦築城の効果があるとはいえ、8000もの大部隊の攻撃がことごとく跳ね返されているのである。

「情報を再検討してみます。その間、攻撃は控えた方がよろしいでしょう。このままですと戦力が消耗するだけです。」

「分かった。そうしよう」

瑞穂の発言に好恵が了承する。

好恵はまるで敗残者のように座り込むとポツリと呟く

「綾香の方は大丈夫かしら?」

「どうでしょう? あの後、追従させた輜重段列が追いついていればいいんですが・・・・・・」

「そうだな」

綾香が出撃して小1刻ほど後に先鋒集団に思わぬ増援が届いたのである。内容は2個猟兵大隊と糧秣であった。

届けられた糧秣には限りがあったが、好恵はそこから割けるだけの糧秣をまとめ、荷駄にした輜重段列を編成して綾香の後を追わせたのである。ただ、兵力に余裕が無いため、護衛はつけられなかった。増援の2個大隊も直ぐに前線に投入する必要があったからである。

2人はそれっきり黙りこむ。

これにより、小苗渡河点は小康状態になり、浩之たちもつかの間の休息を得た。

 

 

 綾香率いる大隊戦闘団が上苗渡河点に到着したのは午前第10刻過ぎであった。

結局、仕掛けられていた罠はあれ1つきりであり、その為に貴重な時間を浪費してしまったのである。

橋の橋脚の一部だけが残された上苗橋渡河点の水深は1間半以上もあり、騎乗していても腰の上まで濡れる深さである。川の流れも速い。

「これは・・・・・・かなりの覚悟が要りますね」

川の勢いに怖気づいたのか圭子が心底嫌そうな顔をして呟いた。

「ホント、気を抜くと痛い目に遭いそうね。でも、ここを越えなきゃ全てが無駄になるわ」

綾香も同意するが自分に言い聞かすように言葉を紡ぐ。

「部隊内で馬上水練の最も得意な者はいる?」

「はい、ええと・・・・・・城戸芳晴大尉です」

「城戸大尉? あの平凡そうな男?」

「はい、そうです。平凡そうに見えますが筋金入りの西方諸侯領貴族です。技量も確かですし」

「じゃあ、呼んで」

至って普通に見える男だった。

「連隊長殿、城戸芳晴大尉参りました」

綾香は意外に思った。動きに隙が見当たらない。

(フ〜ン、ホント、腕が立ちそうね。機会があったら手合わせしてみようかな)

「貴方に頼みたいことがあるの。渡河の先駆けをしてくれない? 馬なら渡れると思うんだけど、確かめたいのよ」

「了解しました。連隊長殿。渡ります」

芳晴は大きく息を吐くと、逡巡するそぶりも見せずあっさり答えた。

黒駒に跨った川岸で立ち止まり、流を観察した後、機を見て川に飛び込む。川の中ほどで流れに苦労するも渡り終える。

見ていた兵たちは歓声も挙げるのも忘れて彼の馬術の腕に驚き呆れている。

続いて、綾香も渡りだす。同様に中ほどでもたついたが、無事渡り終えた。対岸の小高い位置に移動すると部に渡河を命じる。

第1中隊から順に川に入る。川の半ばまでは順調だったがそこでアクシデントが起きた。上流から倒木が1本流れてきたのである。

それが渡っていた隊列に突っ込んだため、各自が回避しようとした事で一層混乱に拍車をかけてしまった。

馬が棹立ちになって川に落とされる者、人馬ともに倒れて流される者など被害が出た。

部隊がようやく渡り終えたときには1刻以上が経過していた。さすがに輜重段列の馬車が渡るのは不可能なので馬の背に直接糧秣を積んで渡る。

渡河によって部隊が被った損害は溺死等66名だった。これは大隊基幹の部隊としては先ほどの罠の損害と併せてやはり無視できない損害であった。

進撃の再開にはさらに2刻を要した。水に濡れた下半身と衣服等を乾かさなければ全員凍傷を負ってしまうからである。

好恵が送った輜重段列から先行した伝令が到着したのはその最中のことであった。

2刻後、部隊を整えた綾香は速度を稼ぐために部隊の輜重だけでなく、後続の輜重段列をも切り離し、戦闘部隊だけで進撃することに決めた。

 

 

 浩之は誰かに呼ばれた気がした。あかりではない。彼女には予備隊の状態を確かめに行かせている。振り返ると伝令が駆け寄ってきていた。

「大隊長殿。神岸曹長が予備隊におこし下さいとのことです」

浩之は頷いた。何か問題でも起きたのだろう。すぐに指揮所を出る。騎兵砲と擲射砲が砲撃を続けている斜面を滑るように駆け下りた。勿論、琴音も一緒である。彼の猫は飛ぶように斜面を駆け下りる。遊んでいるつもりらしい。

(いったい何が起きたんだ? 下士官兵の問題ならあかりだけで処理するはずだし、葵ちゃんに何かあったのか?)

浩之は考えをめぐらしながら予備隊へ急いだ。

予備隊は丘から半里ほど離れた雑木林のそばにいた。敵の砲、その射程外になっているここで円周警戒の態勢で待機していた。

(予備隊はやるべきことをちゃんとしているな。という事は葵ちゃんの問題でもないと・・・・・・じゃあ、なんだ?)

あかりは円周の中央付近に葵と一緒に立っていた。

「いったい、何が起きた?」

浩之は答礼もそこそこに訊ねる。

あかりの顔は強張っており、葵は脅えるような表情をしている。

「浩之ちゃん、導術から報告したいことがあるって」

そう言うとあかりは2間ほど離れたところにうずくまっている一人の導術兵を指し示す。

若い導術兵は苦労して立ち上がると敬礼をする。

浩之はかれに見覚えがあった。確か先ほど休むように命じたはずの者の一人だった。

「君には休むように命じたはずじゃなかったか?」

自分でも嫌になるほど権柄づくの声に聞こえ、本当に嫌になる。それを誤魔化すようにあかりに訊ねた。

「どうゆうことだ、あかり、オレは命令が滞りなく実行されているかどうか、一々確かめなきゃならんのか?」

「ごめんね、浩之ちゃん。怒るのは当然だと思うけど、彼の報告を聞いてほしいの」

浩之は怪訝な顔しつつも頷く。あかりは若い導術兵に報告するよう促した。

「はい。敵が上苗を渡河しました。約1個大隊。騎兵です。申し訳ありません。大隊長殿。どうしても気になったもので勝手に覗いておりました」

浩之は空を見上げるとしばし瞑目する。大きく溜息を吐いて向き直ると彼に尋ねた。

「糧秣については何か分かるか?

「そこまではわかりません。ですが、川向こうを動いている別の敵も察知しました」

(間違いない、輜重段列だ。)

浩之は恐れていた事態が現実となったことに一瞬、立ち眩みを覚えた。

「長瀬を叩き損ねたのでしょうか?」

葵が口を挟む。その声には心配と恐怖の響きが含まれていた。

その声に反応して浩之は背筋を伸ばす。

「転進支援隊本部と連絡はとれるか?」

「はい、難しくあります。すでに試みました。おそらく双方ともに疲れて力が落ちていると思われます」

「そうか」

浩之は短く答えると、大林と御堂を呼ぶよう命じる。幸いにして戦闘は小康状態になっており、呼んでも支障が無いはずである。

2人の少尉は直ぐに現われた。

「御堂少尉、君が大隊の指揮を取れ。オレは予備隊を率いて上苗橋渡河点を渡った敵の迎撃に向かう」

「「大隊長殿」」2人は同時に言いかけ、一瞬、お互いに譲り合った後、大林が代表して続ける。

「そちらは自分がやります」

当然の発言だった。軍事上の常識にも合致している。

しかし、浩之は首を振って答えた。

「海岸から遠ざかるから、撤退しづらくなる」

2人とも黙った。浩之が珍しく直接的な物言いをした理由に気づいたからだ。

浩之は続ける。

「オレは葵ちゃんと猫を連れて行く。それで何とかなる。君たちはこれから2日間、ここを守ってもらう。悪いが死守だ。その後は自由にしてくれ。撤退が可能なら一目散に海岸へ逃げろ。無理なら降伏してもいい。この命令は文書にして残しておく。いいか、あと2日だ。そのあとは兵と自分の命を第1に考えろ。オレに合流するなんて考えるなよ。いいな。他に質問は?」

2人とも無言だった。

「難しく考えるな。オレたちじゃなくて、君らの方が危険な目に遭うかも知れないんだから・・・・・・それと、例の封書は持ってるな?」

「「はい」」

「よし、じゃあ、予備隊が出撃した後に開封しろ。いくつか用意しておいたモノに関する説明がしてある。うまく使えよ。では、頼んだ」

浩之は紙を取り出し手早く文書を書き付けた。命令書と報告書を瞬く間に作成する。1通を御堂に渡し、もう1通は大隊で一番若い兵を呼んで伝令として後方へ送り出した。伝令を見送り、御堂たちの方へ振り返ると言った。

「何をしてる? 直ちに任務を遂行しろ!」

御堂と大林は色気のある見事な敬礼を浩之に送った。浩之は面倒くさそうに答礼を返す。

2人はすぐさま向きを変えて陣地の方へ駆け足で去る。

「葵ちゃん。予備隊の現状を報告してくれ」

「戦闘可能人員183名であります。弾薬は最大5交戦が可能。人員には軽傷者を含めてあります。先輩」

葵は背筋を伸ばしてよどみなく答える。何処と無く嬉しそうな感じがする。

浩之はその返答に満足げな表情で頷くと楽しそうに命じる。

「糧秣は3日分用意してくれ。それが済んだら、直ぐに行軍隊形をとる。さて、もう一度普通の戦争をしてみようじゃないか。なあ、葵ちゃん?」

「はい! 先輩!」

葵は顔を輝かせて答え、駆け出す。

「じゃあ、あたしは猫を連れている兵たちを集めてくるね」

あかりはそう言うと返事も聞かず駆け出していった。

浩之は改めて予備隊の兵たちを見回す。もともと、この大隊に所属していた兵の数は183名の2割にも満たない。残り8割は戦場を彷徨っていたところをかき集められた運の悪い連中だ。正直、戦力としては期待できない。つまり、オレが立派な指揮振りを示すしかない。

「ったく、しょうがねぇなあ。」

浩之は苦笑を浮かべながら言った。(とうとう追い詰められちまったか。さて、どうするかな・・・・・・待てよ、問題は糧秣なんだから、それにあわせた行動をとればいい。なんだ、簡単じゃないか。)

「よし、やるか」

浩之は現状を心のどこかで楽しんでいるのを感じながら呟く。

その間、じっと浩之を見つめていた琴音にも彼の気持ちが伝わったらしい。浩之が眺めていた地図を納めると同時に、すばやく周囲を眺め回し、安全を確認する。

いつもと変わらない状況だと感じた彼の猫はのんびりとした様子で大きく欠伸をする。そして、全てに挑むが如く一声大きく吼えた。

「があおう〜(最後の決戦ですぅ〜)

浩之は実に楽しげな顔をして傍らの愛猫を見つめた。

半刻後、浩之率いる予備隊は迂回してきた敵を迎撃するため出撃した。

 

 

 冬の風浪にもまれながら北領鎮台転進海岸の沖合に碇泊するその艦はひどく弱々しげだった。排水量は1千石もないだろう。天候がさらに厳しくなればこの内湾でさえも艦の保持に苦労するかもしれない。艦の名は『畝浜』という。葉ノ国において最初に実用熱水機関を搭載した最新鋭熱水乙型巡洋艦である。

「『畝浜』の艦長が気の利いた奴で助かったわ。まさか、30艘もの運荷艇をくくりつけてくるとは、艦の復元性が極端に悪化したしただろうに、よう転覆せんかったんやな。ホンマ良い腕しとる」

海岸を一望できる丘に立った保科智子水軍中佐はしきりに感心する。

「風見鈴香中佐は随分と評判のよい人だそうですよ」

隣に立つ垣本大尉が言った。どうした訳か左頬に湿布薬を貼っている。

「そいつはまさにご同慶の至りってやっちゃな。たとえどんな野郎でも、この状況で30艘もの運荷艇をくくりつけてくることを思いつく奴ならばかまへんわ。うちに妹が居たら妾にやってもエエくらいやわ」

「風見中佐は女性ですよ。この場合ならお婿さんじゃないですか? 確か、料理の出来る人がいいって聞いたことがあります」

垣本はまぜっかえすように答えた。

「そんなら、しゃぁないな。今のところは最新鋭熱水乙巡の艦長職で我慢してもらおやないか。まあ、風見はんが熱水機関を好いているかどうか知らへんけど」

智子は茶化して切り返す。が口調とは裏腹に苦いものでも飲み込んだような表情を浮かべている。

「司令、貴方も熱水機関に?」

「ちゃうちゃう、うちはこれでも新しもの好きやで」

智子は熱水巡のことを考えていたわけではなかった。転進作戦を成功させるために面倒を押し付けた男とその部下、そして猫のことを考えていたのである。

(アイツ、大丈夫やろか?『大瀬』が沈んでもて約束を果たせんかったからなあ。導術は通じへんし、かといって、上が行ったらあかんって命令して来よったから、この場を離れること出来へんし、うちのせいでアイツ、死んでしまうんやろか?・・・・・・なんか、嫌やわ。もう・・・・・・それに、もう戦わんでエエのにそのことを伝えられへんのは悔しいわ。もし、アイツが生きて帰ってきたとき、どんな顔で逢えばいいんや?)

後方の天幕から下士官が報告にやってきた。垣本がそれを受け取り、智子に伝える。

「海岸の残兵は2000以下に減りました。天候がよほど悪化しても明日中には終わるでしょう。」

「1000になるまでこのまま続ける。残りが1000名になったら、うちらも撤収準備を始めるでエエな。紙切れ1枚も残すな。あと、海岸に残った部隊の指揮官は誰や?」

「現在、現場の指揮官は・・・・・・・・近衛第5衆兵旅団の旅団長です」

垣本は小脇に抱えていた書類を調べて答える。

「ホンマか? それは」

智子は驚いて聞き返す。

「ええ、間違いありません」

垣本は頷いた。

智子は笑いを噛み殺した。(柏木大将はどうするんやろか。陸軍少将理奈殿下よりも先に逃げ出した将軍として生きていく積もりかいな。まぁ確かに理奈殿下は誇り高く、兵たち人気のあるアイドルのような人物で、おまけに皇位継承権第2位の皇族やから、比べられたらたまったもんじゃないのも事実や。身から出た錆ちゅうことでしゃぁないか。)

「どうされますか?」

垣本が訊ねる。

「かまへんよ。うちが出向くさかい。まさか殿下にこっちに来てもらうわけにいけへんし。うちがおらん間はおまえに任すわ。じゃ、行ってくるわ」

智子には撤退以外にもすべきことがあった。この海岸に大量に残された装備や物資を敵へ渡さないように処分することだった。そのために理奈殿下に協力を仰ぐつもりでいたのである。そのついでにあの陸軍大尉のことにも話題が及ぶと予想できた。理奈殿下は自分の旅団が無事に撤退できたことを誰かと話してみたいと思っているだろうと。

さて、どんな話がでるのやら。智子はなんとなく心が軽くなってることに気づいて苦笑した。

 

 早苗川に沿って移動していた藤田浩之大尉が直率する大隊予備隊が目標を捕捉したのは、2月23日午後第3刻だった。すでに日は傾こうとしている。

〈帝國〉軍輜重段列は約60頭の荷駄、その3倍近い輜重兵、そして1個小隊に満たない護衛の騎兵で成り立っていた。総勢は240名ほどになる。彼らは西方から川沿いの道を伝って東へ移動していた。先行した騎兵隊と合流するためだろう、そう浩之は判断していた。騎兵隊はここからさらに5里ほど東にいる。

浩之は予備隊の状況を確認する。浩之を含めて全員が白色の布を貫頭衣のようにして被っている。布は適当に薄汚して雪景色のなかで白さが目立たないようにしてある。前もってそこにいると知らされてない限り、まず分からないだろう。そして、すでに装填を済まして膝射の体勢で待ち構えている。

敵はさすが規律厳正な軍隊だけあって私語ひとつも聞こえない。ただ、雪を踏む音のみ響いている。伏撃の定石通り、開けた地形に面した森の樹木線の内側に展開した予備隊にはまだ気づいていない。

浩之は時期を待った。状況からして確実に殲滅する必要がある。そのためには至近距離から奇襲をかけるしかない撃で護衛を壊滅させ、続いて輜重段列を叩く。射撃は二度だけ、後は突撃で片をつける。というかそれしか敵を殲滅させる手立てが無い。

敵はさらに近づいてくる。浩之は鋭剣を鞘からそっと抜き放つ。先頭の騎兵との距離が20間を切った。

(あと少し、あと少しで攻撃開始だ)

しかし、先頭の護衛の一部、1個分隊ほどの騎兵が立ち止まり、森に馬を向けた。

(ヤバイ! 気づかれたか?!

「打てッ!」

迅速に兵は反応する。雪崩のような連続する射撃音、大気中に広がる発射煙、先頭にたつ護衛の騎兵隊は人も馬も悲鳴を上げる間もなく打ち倒される。直ぐに次発装填を急がせる。終わり次第、第2射を命じる。新たな銃声が響き、残りの護衛と輜重段列の一部が打ち倒された。

「目標、敵輜重段列! 総員、突撃にぃ、移れぇッ!」

突撃を命じると同時に浩之は右肩に軽く鋭剣を載せて森から飛び出す。琴音が後に続く。左右にはあかりと葵が駆けている。そして、5頭の剣牙虎と予備隊の全員が続いた。輜重段列と護衛の騎兵は1尺ほどの時間で壊滅した。〈帝國〉軍の抵抗は激しく予備隊は35名の損害をだした。戦闘可能な軽傷者は66名、重傷者はいない。

浩之は輜重品をひとところに集めるよう命じ、火をつける。馬はあさっての方角に追い払う。伏撃の開始から撤退までわずか半刻しかかからなかった。見事な手並みであった。が、戦況からすれば充分な早さではなかった。

 

 

早苗川を渡河し、迂回機動を行いつつある来栖川綾香率いる大隊戦闘団は小苗橋渡河点に陣取る葉ノ国軍まであと20里という距離に到達していた。そこで進撃を停止し、円陣を組んで防御体勢を取っていた。留まっている理由は後続してくるはずの輜重段列との合流が遅れているためだった。

要するに食い物が無くて二進も三進もいかなくなってしまったのである。

「それにしても、遅いわねぇ。」

綾香は本来ならとっくに合流していなければならないはずの輜重段列が来ないことに苛立っていた。

(やっぱり、輜重段列を切り離したのはマズかったかしら? いいえ、現状は時間との競争なのだから、間違いはないはず! でも、やっぱり、切り離したのは・・・・・・)

綾香が思考のループ状態になりかけていた頃、連絡に出していた伝令が戻ってきた。

「全滅?」

伝令の報告に綾香は訊ね返した。

「まさしく、全滅であります。綾香様。敵は輜重兵と護衛を殺戮し、輜重品をすべて焼いておりました」

伝令は答えた。

「私たちが知らない別の部隊がいるのでしょうか?」

幕僚の田沢圭子が言った。

「どうかしら?」(まさか、そんなはずはないわ・・・・・・)

綾香はやや引きつった表情で答え、伝令に重ねて訊ねる。

「現場で何か気づいたことは?」

「特には・・・・・・いえ、少数ですが人でも馬でもない足跡がありました。大きさは馬よりも大きかったと思います。」

「そう、ご苦労様。少し休んでなさい。」

「はい! 綾香様」

伝令が去った後で綾香は大きく息を吐く。

「綾香様?」

圭子が案ずるように言った。

「わからない? 圭子」

「なにが、でしょうか?」

「輜重を襲ったのは例の猛獣使い≠ノ間違いないわ。でなければ、戦場に馬より大きな動物の足跡が残るはず無いじゃない」

「まさか・・・・・・東方渡河点であれだけ叩かれているのに、別働隊を出せるなんて。それに、どうやって私たちの迂回機動に気づいたんでしょうか?」

「ここは戦場よ。どんなことが起きても不思議は無いわ。今すべきことは私たちの後方に潜り込んだ猛獣使い≠どうするかよ」

「そうですね、直ちに対応策を考えなくては、兎にも角にも、輜重段列と合流しないことには前進すら出来ないんですから」

「そうね、一番元気な中隊を選んで、残っている糧秣の半分を与えて。命令は・・・・・・分かってるわね」

「はい、『なんとしてでも輜重段列を護れ』ですね?」

「そう、こうなったら好恵が派遣した輜重段列と合流なしには身動きが取れないわ。彼らはすでに渡河を終えているからこのままでは危険よ」「部隊全力で守るという手もありますが・・・・・・」

「だめよ、ようやくここまで距離を稼いだのよ。それを失うなんて出来ないわ」

「では指揮官は誰にします? 並みの中隊長じゃ、不安があります。よほどの者でなければあの猛獣使い≠相手には出来ません」

「そうね・・・・・・城戸芳晴大尉はどう?」

「城戸大尉、そうですね。確かに彼ならやれるでしょう」

こうして、綾香は城戸大尉に後続する輜重段列の護衛を命じた。

 

 

 予備隊は伏撃現場から遠ざかるために再び森に分け入った。

「浩之ちゃん? あの輜重段列のことなんだけど・・・・・・」

あかりは浩之に話しかける。

「ああ、分かってる」

浩之は頷くと、言葉を継いだ。

「あれは、後方から送り込んだ輜重じゃない。渡河した連中の手持ちだ。頭数が少なすぎる。まあ、無茶というか、勇気のある奴と言えば良いのか分からんが・・・・・・少なくとも、オレより決断力に富んだ勇敢な奴ではあるみたいだな」

あかりはそれだけで全てを察した。このような場合、幼馴染として、『藤田浩之研究家』としての浩之に対する理解の深さは他の追従を許さない。つまり、目的を果たすためには、もう一度戦わなければならない、そのことに気づいているからだった。

「なんとかなるかと思ったんだがな。やはり甘かったか。さっきのはあの導術兵が捉え損ねたと言っていた連中か・・・・・・兵たちや葵ちゃん、あかりには済まないことになっちまったな」

珍しく弱気な口調で浩之が喋る。

「珍しいね、浩之ちゃんが弱音を吐くなんて」

「そうかあ? そんなことは無いと思うが」

「だって、あたしの知ってる浩之ちゃんは絶対に最後まで諦めたことは無かったもん。それにやり始めたことは必ずやり遂げてみせたじゃない」

あかりは自信を持って断言する。浩之はしばしあっけに取られてマジマジとあかりの顔を見つめた。

「よっぽど、自信があるんだな。」

「だって、あたしは『藤田浩之研究家』だもの」

あかりは笑った。浩之を全面的に信頼しているからこそ出来る笑顔だった。

浩之はあかりの言葉を聞いて呆れるような表情から、一転、笑い出す。

「あはははははッ・・・・・・・ったく、しょうがないなあ。負けたよ、あかりには」

ひとしきり笑った後、ニッコリと微笑んであかりの髪を撫でる。

「サンキュな、あかり。最初から諦めていちゃ出来ることも出来ないしな・・・・・・よし、小休止にしよう」

「それだけ?」

あかりが物足りなさそうに訊ねる。どうやら、もっと褒めてもらえると思っていたらしい。

「いや、このまま進む。敵が後方から出した輜重段列を叩く。戦争からそう簡単に足抜けできる訳じゃないだろう、あかり」

浩之はそれには気づかない振りをして、気のない声で答えた。

その後、浩之たちは休憩を挟みつつも夜通し移動し続けた。

 

 夜明けと共に視界は低下しはじめた。霧が立ち込めてきたのだった。その濃厚さは絞りたてのミルクに似ている。視界は20間も無い。

霧のせいでひどく歩きにくい。しかし、浩之はそれを喜んだ。

(この霧が半島一帯を覆っているのなら、主力の脱出はまず、成功だな。約束の期日は今日で最後だし)

そう、今日2月24日は浩之が稼ぐべき時間、その最終日であった。

だからといって、輜重段列への襲撃を中止する気はさらさら無かった。少しでも主力への追撃の可能性があるのなら、それを潰しておくのが浩之に課せられた任務の一部なのだから、最後まで手を抜かずにやり遂げるのが当たり前である。

出来ることを最後まで諦めずにやり遂げる。そう決心して浩之は目の前の目標以外のことは考えるのを止めることにした。

現在、浩之は予備隊に分隊単位で横列を組ませ、それを縦に並べた縦隊で前進していた。〈帝國〉軍が用いていた戦術を真似てみたのだ。実際、ひどく具合の良い手法であるとわかる。なにより、直ちに戦闘へ移行できるところが良かった。それだけでなく、剣虎兵の基本戦術である"虎の顎門„と呼ばれる戦闘捜索陣形をも組み合わせていた。これらの組み合わせは視界が効かない状況での不意の遭遇戦に向いた手法であり、現在、周囲を取り囲んでいる濃密な霧に対応した陣形であると同時に、霧そのものが格好の隠れ蓑であった。

 

その頃、城戸芳晴大尉を指揮官とした護衛隊は彼を先頭に輜重段列との会合点目指して霧の中を進んでいたが、この濃霧のため行軍速度は著しく低下している。状況がこれほど逼迫していなければ安全のため大休止を取っていた方がまし、と思えるほどだった。

しかし、噂に聞く猛獣使い≠ネらばこの霧を最大限に利用して、大胆な行動に出るだろうと容易に推測できた。その推測に対する不安がこの強行軍となって現われているのである。

(とりあえずはこの側道上を進んでいれば迷うことはないな。だが、間に合うか?)

このままじゃ敵に先を越されるかもしれないという新たな不安が湧き上がってくる。自分の勘もそれを認めている。

「コリン軍曹」

「なに? 芳晴」

「・・・・・・コリン、何度も言ったが、勤務中は官姓名で呼べ」

「いいじゃない。あんたとあたいの仲なんだから」

「だめだ。『親しき仲にも礼儀あり』って言うだろ、もっと礼儀をわきまえてくれ」

Buuuuu〜」

「まったく・・・そのことはあとできっちり話し合おうな。コリン。」

「ハイハイ。」

「ハァ〜。こいつは・・・・・・おっと、言い合いをしてる場合じゃなかった。コリン。」

「なに?」

「小隊長たちに連絡、これより急行軍をおこなう。落伍する者には構うな。迷った場合はこの道を真直ぐに辿ること。以上」

「はぁ〜い」

芳晴は何か言いかけるが、口を噤むと愛馬に一鞭くれ、霧の中を疾走し始めた。

 

 琴音が小さく喉を鳴らせ、立ち止まった。浩之の方をちらりと見上げる。

その瞳は(何かいます。浩之さん、どうします?)と訴えかけてきた。どうやら何かを察知したらしい。

浩之は右手を高く掲げて、行軍停止を指示する。琴音の額を撫でて、伏せるように示す。琴音はそれに答えて雪面に伏せ、頭だけを高く上げて察知した方角に鼻面をむけた。

あかりと葵が駆け寄ってくる。

浩之は2人を交互に視線を向けながら話す。

「何かいる。結構近い。よって、接敵前進に切り替える。葵ちゃん、全員をオレの後ろで小隊横列に配置してくれ。配置が終わったら総員着剣。白兵だけで敵を叩くぞ。あと、敵の輜重品を見つけ次第、放火できるように各自準備。それが終わったら、命令あるまで姿勢を低くして待機する。絶対声を立てるな。突撃の際も同様だ」

「敵が輜重段列じゃなかったら?」

葵が心配げに問う。

「その時はその時だ。オレが判断する。だから、葵ちゃん、オレを信じてくれないかな?」

彼女を真っ直ぐに見つめながら浩之は答えた。

「はい、先輩」

葵は頬を薄く染めながら恥ずかしそうにして答えると、すぐに駆け出した。

浩之は怪訝な顔でその後ろ姿を見送る。そんな彼の姿をあかりは哀れむような視線で見つめていた。(意外と鈍いんだ、浩之ちゃん。葵ちゃん、可哀想)

「葵ちゃん、どうしたんだ?」

「さあ? 自分の胸に聞いてみたら?」

あかりは冷たく切り返した。

「・・・・・・う〜む。わからん。葵ちゃんになんかしたっけ?」

「ホントに分からないんだ?」

「ああ、あかり、なんか知ってるなら教えてくれ。頼む」

浩之はあかりに対して両手を合わせる。

「先輩、準備完了です・・・・・・何してるんですか?」

「ア、葵ちゃん。なにかな?」

「準備が完了しましたので報告に来ました」

「そ、そうか、じゃあ、待機してくれ」

「はい、先輩」

配置に戻る葵。

「とりあえず、そのことは置いといて・・・・・・あかり」

浩之はひとつ咳払いをして誤魔化すとあかりを見つめる。

「なに? 浩之ちゃん」

「もう一度、オレの戦争に付き合ってくれるかな?」

「いいよ。浩之ちゃんと一緒なら喜んで」

「サンキュな、あかり」

浩之は礼を言うと前方へ視線を向ける。何も見えず、何も聞こえない。琴音を見る。彼の愛猫は今にも飛び出して行きたそうな様子だった。

浩之は右手をあげ、小さく前へ振り、ゆっくりと歩き出す。全員が彼に続く。20間ほど進んだとき、馬の嘶きが聞こえた。

(近い!?

距離は50間・・・いや30間もない。そのまま、前方を凝視していると新たな影が視界に入る。馬を曳いた〈帝國〉兵の姿だった。

(馬を曳いている・・・・・・騎兵じゃない、輜重段列だ)

浩之は鋭剣を抜き放って背を肩に押し付ける。あいた片手で前方を指し示し、走り出す。

予備隊は指示通り無言のまま突撃を始めた。雪面を蹴る音だけがかすかに響き渡る。共に走っていた琴音が最初の獲物に向けて跳躍した。

霧の中で奇妙な、いや奇怪な戦闘が開始された。隊列の横合いから襲撃された〈帝國〉輜重段列は警告と悲鳴を上げている。対して襲った側は全くの静寂に包まれている。ただ、剣戟の音と駆ける足音のみ、響いていた。

浩之は素早く周囲を見回し、襲い掛かったのが隊列の前半分であることを確認して安堵する。

(よし、これで敵には輜重品は届かないな)

左手で火の手が上がり、激しい馬の嘶きも聞こえる。兵が輜重品への放火を始めたのだった。それを察した浩之は鋭剣を高く揚げて大きく振り回す。周囲の部下たちが注目したのを見計らって段列の後半部を切っ先で示し、自らも走り出す。兵と虎は彼に続いて突撃を仕掛けた。

この時、〈帝國〉軍の輜重品の大半は炎上していた。死傷者は100名をとっくに越えている。東方から新たな音響が生じたのはそんな頃合いだった。

 

不可思議な音が芳晴の耳に届いた。さすがに馬がへばりだしたため、小休止を命じようとした矢先のことだった。

それは明らかに人の悲鳴だった。馬の嘶きも聞こえてくる。しかし、戦闘ならあって然るべきもの、銃声が全くしていない。

「コリン。聞こえたか?

「うん、微かだけどね」

「何だと思う?

「う〜ん、劇の剣戟場面で似たようなのを聞いた気がする」

「剣戟場面?」

「戦場の一幕でね。兵士たちが剣で切りあってるの」

芳晴は唖然とした表情になり、次いで喉の奥で唸った。

「一声も出させずに兵士を戦わせることが出来るのかあの猛獣使い≠チて奴は・・・・・・余程の剛の者だな、そいつらは」

指揮下の護衛隊の状況を確認する。懸念したとおり、霧の中で半数以上の兵が脱落していた。おそらく100騎いるかどうか。

(この人数でやれるか? いや、迷っている暇はない!)

「接敵前進用意! 小隊縦列!」

たちまちの内に隊列が変更されていく。東方辺境胸甲騎兵の風評に恥じない早業だった。

当然、芳晴は先頭に立つ。コリンもその右後ろについた。

「銃はつかうの?」

コリンが訊ねる。

芳晴はそれには答えず、腰の鋭剣を抜き放ち、頭上へ突き上げるように掲げ、大声で命じた。

「総員抜刀!」

コリンが背後を振り返って確認する。

「みんな、抜刀したよ」

芳晴は頷くと命じた。

「胸甲騎兵前へ。速歩接敵前進開始!」

 

濃霧の中で繰り広げられていた静かな激戦、その新しい乱入者に気づいたのは浩之でも琴音でもなく、彼が率いる兵と猫でもなかった。

今まさに、殺そうとしていた敵兵だった。

その敵兵は殺される直前、絶望で彩られた表情を一転して異様なほど明るいものに切り替え、なにかを大声で叫んだ。

「・・・援軍だって?」

浩之は殺された敵兵の叫びを反芻した。

彼は将家の一般教養として〈帝國〉公用語を身につけていた。日常会話ぐらいなら、軽くこなせる程度だが。

東方から奇妙に調子の揃った馬の足音が響いてくる。

(逃げるか? いや、近すぎるな・・・・・・あと少しで見つかるか。畜生、奴らがもう少し遅れてれば、何とか逃げられたのに・・・・・・)

葵が駆け寄ってくる。切迫した表情だが、何も言わない。

浩之は頷いた。

「先輩! すぐに撤退しましょう」

「いや、距離が近すぎる。逃げれても途中でやられる。霧もそう何時までもないからな」

「でしたら、どうやって・・・?」

浩之は葵の言葉を手で制し、周りの状況をもう一度確認し、輜重段列がほぼ無力化できていることを把握する。

そして、葵に向き直るとはっきりした口調で命令を下す。

「葵ちゃん、全員に伝達。放棄されている銃器、弾薬を回収し、各自装填して集合せよ、だ」

「分かりました」

葵は、ハッと背筋を伸ばして駆け出す。

遅れてきたあかりにも同様のことを伝えさせる。

浩之は周囲を見回し、兵たちが近づいてくるのを認めると鋭剣を掲げて大声だす。

「第11大隊、集合!」

それを聞きつけて兵たちは駆け寄ってくる。時間はそれほどかからなかった。兵の数が明らかに減っている。剣牙虎も2頭減り、琴音を含めても4頭しかいない。集まった全員が〈帝國〉軍のも含めて2丁から3丁の銃を抱えている。

浩之は葵に訊ねる。

「これだけなのか?」

「そのようです。先輩」

葵の口調は固かった。

「総員98名だよ」

あかりが報告する。

兵たちは血や泥などで薄汚れ、疲れ果て、傷ついてはいるが戦意は衰えていない。

「そうか・・・状況を説明する。敵がそこまで来ている。おそらく胸甲騎兵だろう。現状はどう控えめに見ても地獄だ。しかし、いまさら引き返すことなんて出来ないし、まだ稼がなくちゃいけない時間も残っている。だから、最後まで諦めず出来ることをするだけだ。だけど、お前たちが無理してオレに付き合うことはない」

「浩之ちゃん。そんな他人行儀なことは言いっこ無しだよ。それに浩之ちゃんには最後までわたしたちの面倒を見る責任があるのを忘れたのかな?」

あかりがさらりと言ってのける。

「そうだったかな? それならしょうがない。もう少し付き合ってもらうとしよう。これもなかなか得難い経験かもしれないからな」

浩之は無邪気な笑顔を見せて言った。

「浩之ちゃん。どうするの?」

あかりが焦れたような声で答える。

「分隊縦列を組む。銃の装填は終わっているな?」

「はい。方陣を組むんですね?」

葵が代表して答えた。

「いいや、この人数じゃあ、組むだけ無駄だ」

「なら、なにを?」

「当然、撤退に決まってるだろ。葵ちゃん。敵騎兵の中央を突破してその後方へ脱出する。別に馬鹿正直に迎え撃つ必要なんて無いんだからな」

葵は何も答えられなかった。予想外だったらしい。

「浩之ちゃん。準備出来たよ」

「サンキュな、あかり」

浩之は答えると陣形の後方でなく、最前列のその左脇へ琴音と共につき、近くの兵から余りの銃を受け取った。他の剣牙虎を連れた兵にも自分の左につくように命じる。戦闘準備が出来上がった。

浩之は敵騎兵が突進してくる姿をあえて無視して兵たちに改めて指示を下す。
「射撃は2回だけ、回収した銃から打つ。打ったらすぐに別の銃に換えて続けて打つこと! その後は大隊長の命令に従い敵の中央突破を図れ!なお不必要な戦闘は禁止。敵への攻撃は戦友を助ける場合のみ、良しとする! 終わり!」

敵に向き直るとすでに間近に迫っている。浩之は銃を構え、引き金を絞る。

「打てェッ!」

 

雪上を突進する騎兵隊に対する敵の行動を見て芳晴は、勝ったと判断した。

(さすがの猛獣使い≠熬ヌい詰められたか。自棄になっているな。)

ほぼ同数の騎兵による突撃をあの程度の縦列の射撃で止められる訳が無い。

「突撃!〈帝國〉万歳(ウーランツァール)!」

約100騎の騎兵は指揮官の雄叫びを受けて一斉に唱和した。

敵の縦列が一斉に発砲した。

(フンッ、無駄なことを・・・・・・なに!)

敵は間を置かず、銃を取り替えると続けて発砲してきたのである。

 

射撃自体の効果にはたいして期待はしてなかった。むしろ、心理的な効果を狙って打ったのである。

1つは兵に恐怖を忘れさせること。もう1つは、続けて撃つ事で敵を驚かし、惑わすためである。

(よし!)

浩之は頷いて大声を上げる。

「目標、敵胸甲騎兵後方! 第11大隊前へ。剣虎兵、オレに続けェ!」

わずか98名に減った予備隊は一丸となって突進を開始した。

敵の動きに混乱が生じる。当然だ。突撃する騎兵に対して突撃で応ずる兵が何処にいるだろうか? 先ほどの連射といい、常識を全く無視している。

駆け出すと同時に浩之は自分の愛猫に呼びかけた。

「琴音!」

彼と共に駆け出していた剣牙虎は振り返らなかった。

「があぁおぉう〜!(滅ェ〜殺ッ〜!)」

琴音はただ猛烈に吼えることで答える。

それこそが浩之の望んでいたことだった。琴音の咆哮につられて残りの3頭も全ての生物を恐怖させるであろう叫声を轟かせた。

 

 「ウソだろ・・・」

芳晴は目の前の光景が信じられなかった。

(莫迦な。兵が突撃中の騎兵に逆襲するだと? 何を考えている?)

普通は方陣を作って騎兵の突撃に耐えるのが定石であり、この場合でも有効な策でもあった。

しかし、猛獣使い≠ヘそれをとらず、逆に自らも騎兵の如く突撃を仕掛けてきた。

だからといって、突撃中の方向転換や急停止は自殺行為に等しいので途中でやめることなどは不可能である。

(かまうもんか! ともかく奴らをこのまま突撃で蹂躙しよう。討ちもらした時は、追撃でかたをつける!)

芳晴はそう決意した。

そして、互いの最前列が接触しようとした時、芳晴の右前方から猛獣の咆哮が轟いた。

それにより、右翼側の騎兵、彼らの跨った馬たちが怯えた。何頭かが前脚を追って雪上につんのめり、騎兵を空中へ放り投げた。残りの馬たちは可能な限り進行方向を左にずらせようとした。

その結果、騎兵突撃は大混乱に陥った。馬と馬が交錯し、衝突し、騎兵を投げ出し、あるいは踏みにじった。全体の半数余りが戦闘ではなく、馬を宥めるのに懸命にならざるを得なかった。

 

浩之の予備隊は、その隙を突いて味方同士の衝突で死傷者を出している胸甲騎兵の右脇を全力で駆け抜けようとしていた。

霧は本格的に晴れだしていた。前方にある森が見えてくる。

(あそこだな。あそこに入り込みさえすれば、優位に立てる。もう騎兵の突撃に悩む必要がなくなる。少なくとも遮るものの無いひらけた雪原で無様に蹂躙されて皆殺しに遭うのは避けられる。問題は敵の指揮官がどう対応するかだな。有能なら、なんとしてでも阻止しようとするだろう。その時はオレも責任を取らなくちゃな)

 

中隊の半数以上はどうにもならないほどの混乱に陥っていた。馬が狂騒し、全力であさっての方向に駆けずり回っている。死傷者は少なく見積もっても20名以上。無論、騎兵としての特性・・・突撃衝力はすでに失われていた。

芳晴は罵声を飲み込むと、突撃の再興を図るために思考を攻撃的ものへと切り替えた。敵情を確認する。

猛獣使いたちは全く戦おうとせず、森に逃げ込もうと駆けているだけだった。

(やってくれる・・・・・・)

芳晴は感心する。このまま感心していられれば良かったのだが、彼にそんな自由はない。

「コリン!」

「ハイハイ、今行くよ」

コリンが駆け寄ってくる。

「何騎、動かせる?」

「う〜んと、20騎・・・30騎いけるよ」

周囲を見回してコリンが答える。

「すぐ集めろ! 突撃するぞ!」

こうなったら、絶対猛獣使いを逃がす訳にはいかない。

「全員! 私に続けェ!」

部下の騎兵が集まりだすのを見て鋭剣を頭上で振り回して叫ぶとそのまま突撃に移る。

「終らせてやる。ここで貴様の戦争を終わらせてやる。」

芳晴は駆けながら呟いた。

 

胸甲騎兵の一部が素早く混乱から回復し、移動を開始した。浩之たちの右手を迂回して追い抜き、森の手前で前方に回りこもうとしている。

浩之はそれを確認すると琴音と共に進路を敵に向け、走りながら再び呼びかけた。

「琴音!」

琴音はそれに応じ咆哮する。すると背後で複数の咆哮が響き渡った。そのお蔭で10騎余りが脱落する。予想外の事態に驚いて浩之が振り返ると剣牙虎をつれた兵たちが付き従っていた。

(バカ! ついてくるんじゃねぇ!)

そう叫ぼうと浩之が口を開く前に別の叫び声が聞こえて来た。

「総員。大隊長を救え! 突撃!」

葵だった。あかりではなく、葵が叫んでいた。

(バカ野郎! オレを救えだって? 何バカなこと事を言い出すんだ。ったく、葵ちゃんめ、しっかり命令を守ってやがる。俺に続けば半数はやられるかもしれないのに、それを承知の上で命じやがった。ったく、しょ〜がね〜なぁ。これじゃ、どっかの戦記物語みたいじゃないか。気に入らねぇ、全く気に入らねえ。戦争とはもっと救いの無い、残酷なモノなはずなのに・・・こんな戦争なんて大嫌いだぁ〜)

浩之は内心、葵の行動は嬉しかったが、それが自分の行動を無駄にすることになるのに気づき、葛藤でキれてしまった。

そして、剣虎兵と騎兵は雪上で激突した。浩之はその後の記憶がなく、気が付けばあかりと葵に抱きとめられていた。

「もう止めて下さい! 充分です、だから止めて下さい、先輩!」

「浩之ちゃん、もう止めてお願いだから・・・・・」

「・・・・・・あかり? 葵? どうしたんだ? 敵は?」

浩之は我に返った。ぼんやりとして表情で周りを見る。あたりには主を失った10頭あまりの馬。雪原に倒れて動かない10体余りの騎兵。葉ノ国軍の制服を着た死体は20体近く見える。騎兵と兵でやりあったのだから当然の結果だった。

「敵は下がりました。再編しています。だから、今のうちに撤退しましょう」

葵が落ち着いたらしい浩之から離れると答えた。

「ああ、そうしよう」

浩之が答える。ちかくで〈帝國〉公用語の呻きが聞こえた。

そちらを見ると、将校らしい〈帝國〉軍人があり得ない方向に曲がった腕を押さえて呻いている。

「どうする? 浩之ちゃん」

ようやく背中から離れたあかりが訊ねる。

「彼は戦闘能力を失っている。ほっとく訳にはいかない。《大協約》に従って、捕虜として扱う」

彼は折れ曲がって用を足さない銃を捨てると答えた。

予備隊は森に分け入り、退却を開始した。樹木のお蔭で雪は少なく歩きやすかった。だが、兵の大部分が負傷しており、しかも重傷者や捕虜を連れていては、思うように進めない。この時、予備隊の生存者は浩之を含めて僅か48名、剣牙虎3頭に過ぎなかった。

彼らが〈帝國〉軍に完全に包囲されたのは森に入ってから5刻後、2月24日午後第2刻であった。

 

周囲に〈帝國〉公用語で渦巻いていた。騎兵だけではない、猟兵もいる。大隊主力の守る小苗渡河点が落ちたのか、後方からさらに増援が来たのか浩之には判断がつかなかった。

現在、予備隊は森の中の小高い丘の上に円陣を組み、雪を掘った雪濠で無いよりはましな塹壕代わりにしている。生き残った48名の内、戦闘可能要員は37名しかいない。

「来るね」

あかりが雪濠の縁から僅かに顔を出して周囲を確認していた。

「全周か。まさに死地だな」

浩之が頷き、揶揄する。

(どうにもならんな。逃げることも、突破することも、まあ、森の中なだけに砲が使えないのが救いか・・・・・・)

「来たよ。全周、距離100間。猟兵。中隊規模で分隊縦列を組んでる」

あかりが報告する。

「残弾はどれだけある?」

「先の戦闘で回収したのを含めて57発だよ」

「引きつけますか?」

葵が訊ねた。

「いや、それだと他方が間に合わない」

浩之は自分も顔を出して敵情を確認した。東側の敵が一番多い。

「よし、各方面に見張りを1人残して、こちらに集合。時間差で迎え撃つ」

東側から順に近づく敵を、時間差をおいて銃撃で牽制していく。だが、南側でついに白兵戦をする羽目になる。辛うじて撃退した途端、東側から敵が突っ込んできた。急いで、移動しそのまま白兵戦に移る。3頭の剣牙虎が30名余りの敵兵を瞬殺するも、敵は多過ぎた。彼らが後退していった時、戦闘可能な兵はわずか22名に減っていた。

「もう、だめかも知れないね」

あかりが寂しげに言った。

「もう1度ぐらいは、やれるだろう」

浩之は無感動に答える。

「あかり、おまえは参加するな。もう一合戦済んだら、負傷者を連れて降伏してくれ。青旗は持ってるよな?」

「持ってるけど・・・・・・浩之ちゃん、わたしを残して死ぬ気なの? そんなの嫌だよ!」

「悪いな、あかり。オレには他に責任の取り方を知らないんだ」

背後から声が聞こえた

「私も反対です。勝手に死なれるなんて嫌です」

振り返ると涙をためた葵がいた。

「降伏するくらいなら、どこか弱いところを突いて、脱出しましょう。先輩は言ったじゃないですか!『最後まで諦めず出来ることをする』って」

「葵ちゃん・・・・・・」

「だから、最後まで諦めないで頑張りましょう! 先輩」

葵は感情が高ぶったのか、声を大きくして詰め寄る。お互い腰を落としているので、顔が間近に迫る。

「葵ちゃん・・・・・・」

「先輩・・・・・・」

「にゃあ! にゃにゃにゃ〜!(だめ! それ以上はだめ〜)

ピンと張り詰めた雰囲気が漂う中、いきなり琴音が浩之たちに飛び掛った。

「キャッ」 「うわっ」

その直後に四方から銃声が響く。不用意に頭を出していた兵たちが血飛沫と白いものを撒き散らして倒れる。

2人は慌てて起き上がり、離れる。しばし、奇妙な静寂が生まれた。

「・・・葵ちゃん、良かったな。琴音が押し倒してくれなきゃ、死んでたとこだよ」

「・・・そうですね」

葵はどこか抜けたような表情で答える。張り詰めていた緊張が緩んだようである。

「琴音、サンキュな。助かったよ」

浩之は琴音の方を向くと、頭を撫でながら言った。

「うにゃ〜。うぅぅぅぅ〜(うう、複雑ですぅ〜)」

琴音は褒めてもらったのに嬉しそうでなく、低く唸っている。

あかりは、クスクス笑いながらその様子を見て揶揄する。

「浩之ちゃん。モテモテだね」

「ほっとけ・・・・・・」

浩之は和やかな雰囲気に耐え切れずそっぽを向く。

(もう、夕方か・・・・・・)

ふと、違和感を覚える。

(うん? なんだ?)

新たな銃声が四方から響いた。それに釣られるように思い出した。

懐から刻時器を取り出す。一気に緊張が解ける。

何度か深呼吸をした後、自分のすべきことを決めた。

先の戦闘で捕虜にした〈帝國〉軍将校に歩み寄る。

「やっと、私を殺す気になったのか?

傷の痛みに顔を歪めながら挑発的な言葉を吐く。

「悪いが、その気は無いし、殺したら《大協約》に反する」

浩之は答えた。上手くはないが、はっきりとした発音で聞き取りやすい〈帝國〉公用語だった。

「なぜだ?」

〈帝國〉軍将校は真意を測りかねて尋ねた。

「貴官とオレに関する限り、ここでの戦争は終ったんでね。それにこれは偽善と受け取られても仕方が無い言葉かも知れないが、貴官の勇戦に敬意を表したい。今しばらくは我慢してくれ。もう一度、衛生兵に手当てをさせる。運がよければ死ぬことは無いだろう。では、失礼する。」

「何をするつもりだ?」

〈帝國〉軍将校は訊ねた。

「現在時刻は、2月24日午後第4刻を過ぎた。友軍主力はこの北領からの脱出を終えてるはずだ。だから、君たちが追撃しても間に合うとは思えない。つまり、オレと部下に課せられた任務は完了したって訳だ。これ以上、戦闘を続ける意味はないからな」

浩之は世間話をするような口調で答えた。

「さぁ〜てと、これから両手を挙げる準備をしなきゃな。ところで、貴官の祖国はいまでも青旗を掲げることで降伏を表すのかな?」

「そうだが・・・貴官には青旗の持ち合わせないように見えるが」

「みくびってもらっちゃ困る。オレには何事につけても用意の良い下士官を部下に持っている。それは貴官も同様だろう?」

「そうならどんなに良かったか・・・・・・貴官の名は? 私は西方諸侯領デュラル〈帝國〉騎士城戸芳晴大尉」

芳晴は目を逸らして小さく呟くと、誤魔化すように浩之に訊ねた。

「オレは藤田浩之大尉」

「藤田大尉、私は貴官のような敵手にまみえたことを身に余る光栄とする」

芳晴は痛みに顔をしかめつつも敬礼し、言う。

「それはオレも同じだよ、〈帝國〉騎士大尉城戸芳晴。何しろ貴官のお蔭でオレの大隊は降伏する羽目になったのだから」

浩之は答礼した。

 

降伏交渉は極めて順調に進んだ。まず、銃の先に結ばれた青旗が振られると、〈帝國〉軍から歓声が上がる。

続いて軍使が派遣され、交渉が始まった。

浩之と対面したのは大佐の階級章を付けた長い黒髪を靡かせた凛とした雰囲気を持つ綺麗な女性将校だった。

浩之は敬礼し、名乗った。

「緑葉皇国陸軍独立捜索剣虎兵第11大隊指揮官、藤田浩之大尉であります」

「私は綾香、〈帝國〉陸軍大佐来栖川綾香よ。第3辺境領胸甲騎兵連隊指揮官を務めてるわ」

彼女は答礼をしつつ、答える。

浩之は頷き、綾香に言った。

「大佐殿、オレとオレの部下は、《大協約》に基づいた降伏をおこなう用意があります」

「貴方の決断に敬意を表します、大尉」

彼女は答えた。型どおりのやり取りを終える。

「藤田大尉。貴方、ホントによく戦ったわね」

綾香はやり取りが終わった途端、砕けた口調で話しかけて来た。

「それはどうも。しかしそれは、オレの兵や剣牙虎たちに言うべき言葉ですね」

「確かに、そうね。でも、猛獣は腕の良い猛獣使いよって調教されないと人には馴れないわ」

綾香はにこやかに頷いて、先を続ける。

「猛獣? 剣牙虎のことか?」

浩之は話の意図がつかめず、とまどって訊ねた。

「そうよ、だけど、貴方のことを私たちが何て呼んでいたか知ってる? 私たちはね、貴方を猛獣使い≠チて呼んでいたのよ。私たちにとって最も恐ろしかったのはあの猛獣じゃなくて、それを使いこなす貴方の方だったの」

「大佐殿・・・・・・」

浩之が言いかけるのを綾香は制した。

「綾香でいいわ。私も浩之って呼ぶから。堅苦しいのはもう止めましょ。ね?」

そう言って、彼女は片目をつぶる。

「それはかまわんが、ホントにいいのか?」

浩之は綾香に親近感を覚えつつも訊き返した。

「私がいいって言ってるのよ。それとも、私みたいな美人と話すのは嫌?」

「(美人って自分で言うかぁ?)まぁ、嫌じゃない。じゃあ、そう呼ばしてもらうとしよう」

浩之は内心あきれ返りつつも答えた。

「ところで浩之、1つ聞いてもいい?」

綾香が訊ねる。

「オレが答えられるものならな」

「貴方みたいな有能な指揮官が、これほどまで戦い続けたのは何故? お蔭で我軍の行動計画は大幅に遅延するし、私の部隊も予定通りに動けなかったわ。結局、姉さんとの約束を守れずに、ここで貴方と話している始末・・・・・・ねぇ、どうしてなの?」

「言っている意味が分からんのだが・・・・・・遅滞行動のどこがおかしかったんだ?」

浩之は不思議そうな顔つきをして訊き返す

綾香は、一瞬、呆れた表情をするが、何かに思い当たったのか彼に訊ねる。

「もしかして、知らないの?」

「何がだ?」

浩之が焦れたように訊くが、それを無視して一人、納得して頷く綾香。

「フ〜ン、それなら説明がつくわ」

「だから、なにがだ?!」

「貴方の行動についてよ。貴方の友軍はね、昨日のうちに全兵力がこの大きな島から脱出していたのよ。つまり、この2日間に貴方がしてきたことは、無駄な抵抗だったの。分かる?」

浩之は黙っていた。少ししてようやく口を開く。

「・・・綾香、1つ訊いてもいいか?」

「私が答えられるものならね」

綾香は先ほど浩之が使った言い回しで答える。

「オレが早苗川の下流の小苗橋渡河点に残してきた兵力についてなんだが」

「ああ、彼らね・・・あっ、そうだ浩之、もしかしてアレも貴方が教えたの?」

綾香はやや呆れた表情で訊ね返す。

「アレとは? 具体的に言ってくれ」

浩之は平然とした顔で聞き返した。(多分、あの事だな)

「川に液石を流して火を放ったり、大砲に銃の弾を詰め込んで至近距離で打ったりしたことよ」

「(やっぱり)ああ、それなら、オレが指示したことだ。で、あいつらはどうなったんだ?」

浩之は、些細な事のように答え、改めて部下たちの事を訊く。

「全く、よく考え付くわね。お蔭で大損害よ・・・・・・あっと、小苗のことね、彼らなら、今朝、私たちの総攻撃の第1波をさっきのアレで防いだ後、降伏したわ。ホント、貴方も貴方なら、部下も部下ね。全く、やってくれるわ」

綾香は髪をかきあげながら、どこか敬意を含んだ口調で答える。

「そうか、降伏したか」

浩之は心底安堵した表情で呟いた。それを最後に交渉は終わった。

 

浩之は丘に戻り、全員にそれを伝えた。誰もが無感動にそれを受けた。これまでに溜め込んでいた疲労が彼らを蝕んでいる。必死の包囲下から、俘虜としての生へ。落差が大きすぎた、誰も彼も気が抜けてしまっている。浩之がそうした態度を取らないのは指揮官としての役割を終えていないからである。

彼はあかりと葵に頷いてみせた。

「あかり、葵ちゃん、最後の仕事だ。兵たちを整列させてくれ。」

2人は背筋を伸ばして答える。

「「はい、分かりました」」

全員が整列し、重傷者も運ぶ準備が整う。当然、芳晴も例外ではない。

浩之は彼らの先頭に立った。琴音もその横に並ぶ。

「皆、良くオレに付き合ってくれた。感謝する。さて、最後の任務だ。堂々とこの丘を下りてゆこう・・・・・・第11大隊前へ。剣虎兵、前進!」

彼らはまるで勝者のように丘を下った。こうして、北領紛争はこの時をもって終結した。

 

 

捕虜となった浩之たちはつかの間の休息を得るが、意外な()人物とも再会する。

一方、皇都では相対する勢力の策謀が蠢き始め、事態は遠く北領にいる浩之をも巻き込んでいく。

意外な()人物たちの登場する第4話もドウゾヨロシク!

 

管理人のコメント


 今回で小苗川攻防戦も終わりのようです。さて、今回のハイライトは…

>好恵が荒れ狂っていた。

 落ち着けっ!

>「風見鈴香中佐は随分と評判のよい人だそうですよ」

 さすがは運送屋。やってくれます。

>「・・・・・・コリン、何度も言ったが、勤務中は官姓名で呼べ」

 原作でコリンにあたるロボフ軍曹はしっかりした人ですが、コリンではそうも行かないようです(笑)。何しろこの後…

>そうならどんなに良かったか・・・

 この一言に芳晴の真情が込められています(笑)。

 さて、捕虜になってしまった浩之たち一行ですが、次回ではいよいよ芹香との対面でしょうか。
 お互いの反応が楽しみです。


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