浩之たち独立捜索剣虎兵第11大隊は持てる総てを駆使し、尋常ならざる遊撃戦を展開する。

対する〈帝國〉軍は異常な戦い方をする敵部隊の対応に苦慮する。そして・・・・・・・・




【葉ノ国の守護者】


第2話 



 撤退する葉ノ国軍によって爆砕された長瀬大橋の修復には意外に手間が掛かった。
現場の工兵指揮官は従来の方法では手に負えないと言って、筏を利用した浮き橋を敷設している。
その様子を北岸の高台から3人の女性の軍人が眺めていた。
3人のうち、2人は服装が同じなら双子と見間違いかねないほど良く似ている。2人とも艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、緑を基調とした制服を着ている。
やや背が低く、足首まであるフレアのロングスカートをはき、神秘的な瞳と澄んだ湖の如き物静かな雰囲気が印象的な女性は来栖川芹香。北領に侵攻した〈帝國〉東方辺境鎮定軍総司令官である。
スラックスをはいている方は名を来栖川綾香と言って、〔東方辺境領姫〕芹香の妹姫である。猫の目のような瞳と生き生きとした能動的な雰囲気を周りに漂わせており、また、名の知れた武術家でもある。まさに『静』と『動』、好対照の存在感を持つ姉妹である。
「・・・・・面白いやり方ですね・・・・・」
芹香が聞こえるかどうか微妙な声で呟く。
「そうね、確かに面白いやり方ね。姉さん」
綾香がそれを受けて答えた。
「興味深い光景でしょう、芹香様? 綾香様? この技法が実戦で用いられるのは初めてのはずです」
二人に影のように寄り添って立っていた、黒を基調とした制服を完璧に着こなし、長い黒髪を一房、右目の前に垂らした長身の女性が目の前の作業風景について述べる。
 このヒトは名を篠塚弥生大佐と言い、鎮定軍参謀代行を務めている。
「あと、どれくらいかかるの?」
綾香が訊ねる。
「そうですね。まず2日でしょうか?」
弥生が答えた。
「・・・・・風邪を引かないように気をつけてあげて下さい・・・・・・・」
「え? 風邪を引かないように気をつけてあげて下さい。て? ええ、そう伝えるわ・・・・・・弥生さん、工兵隊指揮官に伝言、兵が風邪を引かないよう気をつけるように」
「分かりました。」
「・・・・・・対岸の様子はどうですか?・・・・・・」
「は? 対岸の様子ですか? はい、すでに3個猟兵中隊が渡河していますが、今のところなにも。少なくとも10リーグは進んでいるはずです」
弥生も彼女たちとの付き合いが長いので芹香の声も聞き分けるようになっている。
「もしかして、あの川を泳いで渡ったの?」
「まさか、そんな事はありません。幸い敵軍が焼き忘れた船が3艘ほど見つかりまして、それに乗せて渡しました。ただ、半ば腐りかけていたのでもう使い物にはなりませんが」
綾香の問いを弥生は否定する。
それを横で聞いていた芹香はホッと安堵の息を吐く。彼女は本来ならこんな戦場には似つかわしく無いほどの優しい人なのである。ただ、ここにいるのは〈帝国〉来栖川家皇族としての義務と責任を果たすためである。
「敵は一部を除いて潰乱していて、半島南端の港町近くの海岸に集結、船に乗り込んでいます」
弥生が状況説明に入る。
「ここで2日ほど費やしても、敵の大多数は逃げられません。全軍が逃げ出すには最低でも7日は必要です。たとえ、余程の幸運に恵まれない限りは不可能でしょう」
「・・・・・・」
芹香が何かを言おうとする。その時、対岸から砲声が響き渡った。
「姉さん、危ない!」
弥生は芹香の楯になろうと動くが、それよりも早く綾香がほとんど覆い被さるような位置に立つ。
幸いにして砲撃はここでは無く、川に向けて対岸の丘の後方から打ってきていた。
それに気がついた綾香は姉を庇う姿勢を解くと、対岸を睨みつけこれ以上危険が無いのを確認すると姉の方に振り返った。
「姉さん、大丈夫?・・・・・・え? あ、ちょっと、姉さん! 恥ずかしいから、やめてってばぁ!」
ナデナデナデナデ・・・・・・
振り向いたところをいきなり芹香に頭を撫でられて、慌てる綾香。どうやら、庇ってくれた綾香へのお礼らしい。
そんな様子を微笑ましげに弥生は見ていたが、直ぐに状況把握の為の指示を出して回った。


この砲撃の正体は、浩之たちの大隊が智子から送り込まれた騎兵砲2個小隊を用いて行った擾乱射撃だった.
砲撃は半刻余りの間、浮橋付近を中心に無差別に打ち込まれ、工兵を含めて50名近い死傷者がで、橋にも若干の損傷が見られた。
それよりも、深刻だったのは作業のリズムが崩れたことだった。人間誰もが、何時砲弾が降ってくるか分からない不安な状態で、まともに作業が出来るはずもない。
「まったく、忌々しいわね」
綾香が吐き捨てるように呟く。
「・・・・・・早く、彼等を助けて、手当てしないと・・・・・・」
芹香は敵のことよりも死傷者の方を気にして呟く。
「はい、分かりました。直ちに救護班を送ります」
それを受けた弥生が各所に伝令を出す。いきり立っている綾香をなだめるように言葉を継いだ。
「砲声が近い、と言うことは、先行偵察させた猟兵中隊を排除して、かなり近いところから打ったようです。どうやら、敵軍にも度胸がある指揮官がいるようですね」
「だから、それを喜べとでもゆうの?」
綾香は振り返って弥生に食って掛かった。それを芹香が押しとどめる。
「・・・綾香ちゃん、落ち着いて。弥生さん、どうしてそんなことを?・・・」
「はい、まあ、言ってしまえば戦争とはこうゆうものですから。拙速を忘れてはなりませんが、悪戯に焦るばかりでは美容や健康に良くありません。ともかく今は、落ち着いてありとあらゆるものを見ておくのも手の一つです」
「で、邪魔をしてくれたのは、いったい誰?」
弥生は綾香が落ち着いたのを見て答える。
「我々の前には2つの敵部隊がいます。右翼の街道上は戦力の減耗した銃兵旅団で、連中の近衛です。指揮官は親王。左翼はあのわけのわからぬ猛獣使いたちです。」
「フ〜ン、じゃ、その猛獣使いの方ね。確か剣虎兵だったかしら? 今どき猛獣を使った敵に痛い目に遭うなんて情けないわ。で、その猛獣使いの指揮官は誰かしら」
「正規の指揮官は五日前、あの夜襲で戦死を確認しています。不確実な情報ですが、野戦昇進した大尉だとか。名前など詳しいことはまだ」
「・・・野戦昇進した大尉? その人がコレを?・・・」
芹香が悲しそうな表情で訊ねる。
「はい、そうなります」
「それにしても,始末に負えないわね。たかが野戦昇進の大尉が不利な状況下でこれほど気の利いた擾乱射撃を仕掛けてくるなんて、下級指揮官ほど有能なのかしら? 敵軍の上級指揮官、確かカシワギだったっけ? アレは結構扱いやすかったのに これじゃ、私たちの征途いまだ遥か、だわね」
「・・・・・・・・・・・・」
芹香はますます悲しそうな顔をする。
「姉さん、大丈夫よ。あたしにまかせて、その猛獣使いなんてケチョンケチョンしてやるから」
綾香は姉を優しく抱きしめるとあやすように話しかけた。
「・・・ありがとう、綾香ちゃん。じゃあ、私は川岸に下りて彼らを見舞ってきますね・・・」
芹香は優しい妹の心遣いに元気付けられて微笑むと、高台を下り始めた。
「まって、姉さん。あたしも行くわ」
綾香も一緒に行こうとする
「芹香様、綾香様、危険です!」
弥生がそれを押しとどめる。
「・・・大丈夫です・・・」
「そうよ、危険は無いわ、弥生さん。だって敵の指揮官、その野戦昇進の大尉はなかなかの猛獣使いで戦度胸のある人物だって言ってたじゃない」
「それは、確かに言いましたが・・・・・・」
「だからこそ、心配ないわ。だってそれほどの人物なら、今頃は、雲を霞と逃げ去っているわよ。次の仕掛けを準備するためにね」
「はい、そのとおりです」
そう言われたら、弥生も押しとどめることは出来ない。一つ溜め息を吐くと彼女たちに従って高台を下りていった。





 渡河作業現場への砲撃実施から2日間、浩之とその大隊は活発に運動した。
先行渡河していた猟兵中隊をさらに叩き、敵司令部が入手する情報を徹底的に減少させた。
また、嫌がらせの砲撃も2回実施した。うち、1回は昼の観測を基に夜間に行ったものだった。
しかも、砲撃の間の時間も無駄にせず、敵の予想進路周辺の道や森にベトコンばりの様々な仕掛けや罠を設置させた。
現在、大隊は長瀬川から10里以上も後退し、側道を見下ろす丘の上と道の両側に陣を張っている。
導術を用いて友軍の状況も把握している。
主力の脱出は相変わらず遅れ気味だが、約束の時間さえ稼いでくれたら何とかなると、智子からは返事が来ていた。
街道を守る近衛衆兵旅団は頻繁に敵の接触を受けてかなり苦労しているようだ、とも伝えてきた。
おそらく陽動だろうと浩之は判断している。旅団と大隊、どちらが与し易いか子供でも分かる理屈である。
主攻正面とはいかないだろうが、結果的には猛攻の対象にされるだろう。
 そこに最大の問題があった。そこで、3名の少尉とあかりを集めた会議の席で彼は口を開いた。
「バカ正直に戦って目的を達成できるとは思えない。それとも,出来る自信があるものはいるか?」
浩之は今回の戦いで用いる構想が奇策・邪道の類であるため、軍隊式の命令下達法は採らず、全員が納得して行動する必要があった。
「・・・まともな敵と戦ったら、2刻と持たないでしょう」
しばらくして、松原葵少尉がおずおずと口を開く。
「そのとおりだな。つまり、目的は達成できない。この2日、随分と嫌がらせをしてきたが稼いだ時間は半日にも満たないだろう」
「このまま迎え撃っても、半日もてばいいところですか」
葵の隣に座っていた御堂少尉が答える。
「けど、あきらめることも・・・・・・」
げんなりとした顔で地図を見ていた大林少尉が言った。
「そう、とことん根性を悪くして戦うしかない、当然、手段も選ばない」
浩之は全員を見回した。こうした場合の彼には、まるで素晴らしい悪戯を思いついたワルガキのような雰囲気を漂わせている。
葵は唖然とした顔をした。大林は失笑を噛み殺した表情をした。御堂はあーあとした顔をした。あかりは小首をかしげただけだった。ともかく、全員の気分が変わった。
「大林少尉、〈帝國〉軍の特徴は何処にある?」
「はい、鉄の規律、優秀な将校団、勇猛な兵、です。まさに軍隊の理想ですね」
「それが生み出すものは?」
「大きな行軍能力、的確な戦場運動、堅固な陣形の維持、そしてその柔軟な運用です」
「その背景には、他に何もないのか?」
「はい、大きな要因があります。〈帝國〉軍は兵站を重視しません。それが行動を制約するからです。彼等は糧秣を現地徴発しようとします。輜重段列はその兵力に比べ貧弱です。そのため、各部隊は自活を基本としています。そうだからこそ、身が軽いのです。」
「そう、奴等は、カツアゲをしながら進んでいるのだ。ならば、簡単じゃないか、要は奴等がカツアゲを出来ないようにすればいい。輜重段列の能力、北府の糧秣庫の大きさからして、渡河して数日で問題が表れるはずだ。こちらと同じとするなら3日だろう。さて、兵に3日以上の食料を与えたらどうなる?」
御堂が答える。
「連中、それで酒を造りますね。おそらく〈帝國〉軍も同じでしょう。部下から聞いたんですが、パンからでも酒は出来るそうです。味の方はとんでもないそうですがね」
「ですが先輩、この先、友軍のいる海岸まで糧秣庫はありませんよ」
葵が訊ねた。
「葵ちゃん。大丈夫か? 現地徴発は糧秣庫だけが対象じゃない。街や村も連中にとっても同じだ。」
葵は虚を衝かれたような顔をした。そう、葉ノ国では基本的に現地徴発を禁止しているが、〈帝國〉軍は《大協約》の対象となる人口2000人以上の街を除いて全てが徴発の対象となる。葵のような真っ直ぐに育った将校だと、街や村から徴発するという行為が現実的なものと理解し難く、民衆から食料等を奪って戦うという戦争はほとんど理解の外にあった。
「大隊長、まさか・・・・・・」
大林も意外であったらしく、呆然としている。
「ああ、オレたちは敵とは直接戦わない。敵と後方の友軍の間にある使えそうなものは全て焼く。井戸には毒を投げ込む。毒についてはすでに手配済みだ。また、利用できるものは全て利用させてもらう」
「民衆はどうします?」
御堂が険しい声で訊ねる。
「美名津まで退避させる。そこなら大きな市有の糧秣庫がある。で、そこで面倒を見させる。拒否したら街を焼くと答えたらいい。本気ではないが、向こうはそうは取らないだろう」
「輸送手段が不足します」
大林が言った。彼女も反感をあらわにしている。
「後方からの補給は、あと3日は続く予定だ。それを全て徴発する。それに女子供や老人を乗せて逃がす。避難民の脚が1日10里としても敵に捕捉されることは無いだろう。それだけの時間はオレたちが稼ぐ。それに敵も渡河直後に猛追とはいかないはずだ。」
「でも先輩、敵が美名津を襲撃するかも・・・・・・」
「葵ちゃん、頼むよ。しっかりしてくれ、あの街は人口が2000人以上だから《大協約》の市邑保護条例の対象となる。避難民も市が受け入れれば市民扱いになる。いくら〈帝國〉軍でも《大協約は》守るぞ」
「北府は略奪されましたが?」
大林も重ねて言った。
「市内に我軍の施設があったからだ。その場合、軍が居なくならない限り市邑保護条例の対象にはならない。それじゃあどうにもならない。ところで、オレはいつまで《大協約》の補修講義をしなければならないんだ?」
それを聞いた皆は困ったようにいやそんなことは、と異口同音に答える。
「よし、それじゃあ、オレたちは民衆の疎散を誘発する。その後、全てを焼き払い、罠を仕掛ける。そこまではいいか?」
浩之は再確認をする。返事は無い。
「となれば、長瀬川から美名津までの50里、そのどこかで敵の糧秣は無くなり、行軍速度は落ちる。オレたちは後方の早苗川の小苗渡河点に布陣して、連中の息切れを待つ。」
「敵が側道側を迂回する可能性もありますが」
大林が訊ねた。
浩之は首を振りつつ答える。
「とりあえずは村の破壊と仕掛け、そして後退を優先する。一応、側道上の村も破壊の対象だ。それに、側道は大軍を通すに狭すぎるし、除雪もしていない。オレたちは小苗渡河点に野戦陣地を築城して、敵の攻勢に持久する。結構しんどいが、絶望的じゃない、うまく行けば脱出も可能だ」
「長瀬の町はどうします? 確かあそこにも大きな糧秣庫がありますし、《大協約》の対象外ですが」
葵が訊ねる。
「保科中佐に頼んだ。敵が長瀬の糧秣庫に気づいた時点で、巡洋艦で艦砲射撃する手筈になっている。当然〈帝國〉軍の旗を揚げて」
「ですけど、私たちが村を焼けば民衆は私たちを信用しなくなります」
葵はなおも言いつのった。
「誰が正直に野盗の真似をするって言った?・・・・・・あかり」
浩之は答えて、あかりを呼ぶ。
「はい、浩之ちゃん。用意は出来てるよ。〈帝國〉軍の制服と装備を20人分だったよね? あちこち解れていたから直しといたよ。でも、これをどうするの?」
「そう言う事。オレたちはこれを着て、夜、いくつかの村を襲う振りをする。そして、翌朝、服を着替えて現れ、〈帝國〉軍が迫っているから避難するよう指示する」
浩之は説明した。
「・・・・・・汚いですね。そこまでして戦わなければならないのですか?」
葵が顔をしかめて言った。他の少尉の同感らしい。あかりもあまり良い顔をしていない。 
「ああ、そうだ。なら、ありとあらゆる道徳を守って勇敢に戦い、半日後には皆そろって討死するのがいいのか? オレは嫌だね。無駄に死ぬよりは、最後まで生き残って戦う方がいい。どのみち地獄に落ちるにしても悔いを残していたくない」
誰も反論できなかった。浩之の顔には言葉とは裏腹に苦渋に満ちた陰が浮かんでいるのに気づいたからであった。
「近衛旅団はどうなんです? 連中にもやらせるんですか?」
大林が訊ねる。
「いや、させない。親王殿下は民草に優しいとの風評だから、逆に民衆の避難の手助けをするように仕向けたい。だから、偽装襲撃を本物の襲撃と思うように情報を流す。悪役はオレたちだけで十分だ。・・・・・・質問は?」
浩之は全員を見回した。
「無ければ、行動するぞ。葵ちゃん、〈帝國〉軍 の制服に着替えて準備してくれ、・・・・・・他には? 無ければ、行動開始だ」
しばらくして〈帝國〉軍の制服に着替え終えた葵が本部の天幕に入ってきた。
「先輩・・・・・・」
「葵ちゃ・・・・・・・ん?」
地図に見入っていた浩之が振り返るとそこには某少女歌劇団の主人公のような葵が立っていた。どことなく倒錯的な雰囲気が漂ってくる。
「・・・・・・すごいな。よく似合っているじゃないか。」(と言うか、似合いすぎ・・・・・・)
「葵ちゃん、ステキ・・・・・・・」
そばに居たあかりに至っては目を潤ませてボ〜と見つめている。浩之は内心の動揺を隠すように早口にまくし立てる。
「葵ちゃん、準備は出来たみたいだな。じゃあ、早速行動に移してくれ。偽装襲撃の実行は今夜からだ。少なくとも明朝までに2つの村を襲うこと。現場には帽子か何か〈帝國〉軍だったという証拠を残しておくこと。そして、襲撃後は速やかに合流してくれ、村長に話を信じさせるには将校の数は多いにこしたことはないからな」
「はい、わかりました。先輩」
こうして、偽装襲撃作戦は開始された。


 翌朝、浩之たちは葵少尉が襲撃した村を訪れた。村人は兵の到来に気づいて歓声を挙げた。
「おおっ、お助けくだされ。村に〈帝國〉軍が鉄砲を射掛けよりました。それで、それで・・・・・・」
村長は事の次第を浩之に説明する。
「この子を見てくだされ、うちの孫娘ですじゃ。それが〈帝國〉軍を見たあとおかしくなってしまいましたんじゃ」
その娘は、何故か虚ろな表情で頬を上気させて、ブツブツと何か呟いている。
「・・・・お姉さま・・・・ステキ・・・・・・」
浩之が聞こえて来た言葉に思わず頭をおさえる。が、気を取り直して村長に話しかけた。
「ぐっ、・・・大変な目に遭われたようだ。しかし、今は村のことを考えないと・・・・・・」
浩之は村長に美名津に避難するように指示して、他の村々にもこの事を伝えるように頼んだ。
村人たちが避難したあと、村の家々を破壊し、ワザと残した家屋には罠を仕掛ける。そして、井戸には浩之自身が毒を投げ入れた。
一段落して周りを見ると、葵がいないのに気づいた。
「あかり、葵ちゃんは?」
「えっ、葵ちゃん? あの子なら、村はずれにいたと思う・・・・・・なにか落ち込んでいたみたいだけど、呼んでこようか?」
「いや、いい、オレがいこう」
村外れに行くとそこに建つ社の縁で両膝を抱え込んだ葵がいた。
「葵ちゃん?」
浩之が声を掛けると、葵はビクッと背を震わせて顔を上げる。
「・・・・・・先輩?」
「葵ちゃん、君が責任を感じる必要はない。全ては命じたオレの責任だ。だから、葵ちゃんが落ち込むことは無いんだよ。」
「ですが、先輩、私、あの子のことが気になって仕方が無いんです。あたしが村を襲わなければこんな事に・・・・・・」
葵は涙を湛えた瞳を向けると喋りだす。そんな葵を浩之は優しく抱きしめて言った。
(よかった。葵ちゃんはあの娘が呆けていた本当の理由には気づいてないな)
「大丈夫、あの子は直ぐに元に戻るさ、オレが保証する。葵ちゃんのせいじゃない。だから、いつもの元気な葵ちゃんにもどってくれ、な」
「わかりました。先輩・・・・・けど・・・・・・」
葵は涙を拭って返事をするが、語尾を濁してしまう。
「けど・・・・・・なんだい?」
「先輩、もう少しこのままでいてくれませんか? 少しで良いですから・・・・・・お願いします」
葵は顔を赤く染めて小さな声で答えた。
浩之はその様子に気恥ずかしさを覚えながらも優しく抱きしめてあげた。
「いいよ、それで、葵ちゃんが元気になるなら」(可愛い! 可愛い過ぎるぜ! 葵ちゃん)
一方、浩之たちの様子が気になって跡を追ったあかりと琴音は近くの茂みからその様子を羨ましそうに覗いていた。
(いいなぁ〜、葵ちゃん。あたしも浩之ちゃんと・・・・・・・キャッ)
「にゃ、にゃあ〜」(うらやましい! 私もしてもらいたいなぁ〜)
二人はしばしの間、無言のまま抱き合っていた。


 この4日、すべては浩之の目論見どおりに進展していた。
村々は焼かれ、井戸には毒が入れられ、周辺の森には罠が仕掛けられ、民衆は南へ避難している。〈帝國〉軍の歩みは徐々にゆっくりとしたものになって行った。
浩之の大隊はすでに30里あまりも後退していた。もう半日もすれば最終防衛線に定めた早苗川渡河点の小苗橋に到達する。
浩之は隊列の中ほどを歩いていた。そんな彼に兵たちの話し声が聞こえて来た。
「井戸に毒を入れてどうにかなるんですか? 曹長殿」
話していたのはあかりと幼さの残る若い兵だった
「雪があるのに?」
「はい」
「君は雪を食べたことはあるの?」
「はい、少しは」
「それが答えだよ。雪はどれだけ食べても喉は潤せないから。せめて、鍋で溶かして水にしないとね。だからといって、いちいち水を作るのに火を焚いていたんじゃ手間がかかって面倒だよね、薪もいるし。井戸から水を汲んで持ち歩いたほうが楽でしょ」
「はあ・・・・・・」
どうも、理解しかねているようだ。
「よし、大隊長が教えてやろう」
浩之は口をだした。驚いている兵に話す。
「いいか、井戸が使えないという事は軍全部が三度三度の煮炊きの度に雪から水を作らなきゃならない。つまり、その度にいる薪の量は普段の倍以上必要となる。しかも水が必要なのは人だけじゃない馬にもいる。おい、毎日、いつもの倍以上の薪を森や藪へ拾いに行かされたら、貴様はどう思う?」
「きついです」
兵が答えた。
「毒を入れたのは敵をきつくするためなんだよ。わかったか?」
「はい」
兵はようやく納得したようだった。すると、今度はあかりが訊ねる。
「浩之ちゃん、じゃあ、もしかして森や道に罠を仕掛けたのはそれに関係があるの?」
「良く分かったな。えらいぞ、あかり。そうだ、ただでさえきついのに森に入るのが命がけになったらどうなる?」
「益々きつくなるね。人によったら嫌気がさすんじゃないかな。」
「そうだ、この場合は加えて死傷者も出る。怪我人は後送しなければならないから余計、兵站に負担がかかる。そこが狙いだ」
「ふ〜ん、そうなんだ。大変だね」
あかりはまるで他人事のように感心する。その様子を見た浩之はどうやら下士官の領分をおかさずにすんだと、内心ホッとしていた。
前方から4騎の騎影が近づいてくる。あのあと、元気になった葵に任せた尖兵たちだった。
「先輩、渡河点は確保しました。2個小隊残して築城の準備をさせています。それに、指示にあったように遺棄されていた各砲、弾薬も確保しました。あと、命令通り、馬鍬も手に入れましたが、こんなものどうするんですか?」
「ご苦労さん」
浩之は頷いた。そして、葵の問いには答えず、導術兵に敵の動き、特に主力の位置を中心に探るよう命じる。
「工兵と騎兵砲隊をつれて渡河点に戻ってくれ、到着したなら各砲の砲座を優先して作業を開始してほしい。」
「橋はどうします?」
「爆破準備は砲座の後でいい、出来る限り友軍の残兵を収容したい」
「大隊長殿、我々は敵の先鋒からは15里、主力から20里離れています。近衛衆兵は街道上を10里先行しています。先頭は小苗橋の近くです」
「ご苦労さん、しばらく休め」
導術兵から情報を受け取った浩之は殿下への手紙をしたためて葵に渡す。
「これを殿下にお渡ししてくれ。海岸から運び出せない物資と装備を可能な限り融通してくれるよう、書いてある。工兵たちは後で追及させるから、気にするな。急いでくれ」
手紙を受け取った葵は急いで渡河点に駆け戻った。
本隊は冬の早い日没が訪れる前に渡河点に到着した。川から1里ほど西にある林の周囲にはいくつもの大天幕が張られている。
築城作業を指揮していた葵が報告しに現れた。
「殿下よりの御返書です。先輩の要望はおおむね叶えられました。あの大天幕は殿下の御配慮により近衛衆兵がはってくれたものです」
葵から返書を受け取った浩之は目を通す。
それは予想していたような、装飾ばかりに満ちた文章でなく、簡潔で虚飾を廃した内容で、浩之の要望に可能な限り応える旨、綴られていた。
最後に貴官と大隊の幸運を願うと記されていた。
(この内容を見た限りじゃ、智子の言っていた通り、プロ意識の塊みたい人だな)
浩之は返書を懐にしまって野戦築城の指揮をとる為に歩き出した。





朝靄の向こうから現れた〈帝國〉軍は整然、堂々としたものだった。まるで閲兵式のよう見事な隊列を組んでやってくる。
小苗川南岸の街道脇にある標高15間ほどの丘の上に設けられた戦闘指揮所からは、それが手に取るようによく見えた。
「なんとまぁ、圧倒的じゃないか、敵軍は? 一度でいいからあんな立派な軍隊を指揮してみたいもんだな。なあ、あかり」
望遠鏡で覗いていた浩之は呆れたように呟いた。
「結構たくさんいるね。8千ぐらいかな? ねぇ、浩之ちゃん、あの人たち、食事には困ってないのかな?」
「困っているさ。オレはそうなるように戦争しているんだからな。多分、追撃を容易にするために先鋒集団に優先的に補給したんだろ。まあ、後方はとんでもないことになっているはずだ。元気なのはあの連中だけだよ」
「どうするの?」
「どうもこうもない。ここで戦う。たった一個大隊で。さて、前に葵ちゃんが言ってたことを覚えているか? まともな敵とぶつかれば」
「確か、2刻ともたない、だったかな?」
あかりが小首を傾げて答える。
「そうだ。じゃあ、野戦築城でどれだけ延ばせるか、確かめてみようじゃないか。あと、最低4日は何とかしなきゃならんのだから」
浩之は大隊のほぼ全力を豪や遮蔽物に潜ませており、丘の反対斜面側には斜面を利用して強引に抑角を上げた騎兵砲16門と回収した擲射砲9門を掩体壕に入れて配置してある。橋を中心に左右に設けた防衛線には同様に回収した平射砲をそれぞれ8門と一個中隊相当の兵を預けた大林、御堂の両少尉が任についている。本来、火砲はもっとあったのだが扱える兵に限度がありこのような配置となった。しかし、その分弾薬に余裕があるため残弾を気にせず全力射撃が可能となった。


「騎兵砲打ち方はじめ」
〈帝國〉軍中隊縦列が火制地帯に侵入したのを見て、浩之は命令を下す。
1拍遅れて背後から砲声が響いてくる。しばらくして敵の最前列背後付近に一斉に着弾が生じた。16個の爆発、うち8個が空中で弾け、弾片と子弾を撒き散らす。少なくとも40名以上の兵が一斉に粉砕された。
「なかなか、いいじゃないか」
浩之は笑みを浮かべて陽気な声を上げる。
「がお〜(滅殺ですぅ〜)」
その声を聞いたのか、横でおとなしくしていた琴音が起き上がって咆哮を上げた。


 東方の蛮族はまったく小癪であった。〈帝國〉軍砲術教範に載せたいような見事な統制射撃を浴びせかけてきたのである。
前線から伝令が駆け戻ってきた。
「第18猟兵連隊第37大隊、第1及び第3中隊壊乱」
「撤退したいとでも言うの?」
坂下好恵少将は答えた。
引き締まった体つきに短く刈りそろえた髪、鷹のような鋭い目つきが現すように彼女は東方辺境領軍有数の猛将と知られていた。
いまの彼女は約8千名からなる先鋒集団の指揮を任されている。
命令は簡単明瞭、出くわすすべてをなぎ倒して敵主力のいる海岸へ到達すること、まさに猛将の面目躍如の任務である。
「砲兵の布陣を急がせて」
「敵の対砲迫射撃を受けてしまいます」
参謀長の藍原瑞穂中佐が心配そうに答える。
「それがどうしたって言うの?」
瑞穂は肩をすくめてそれに答える。
「沢木大佐に伝えて、貴官の第18連隊は委細かまわず攻撃を続行。橋が爆砕されたら突撃渡渉を敢行、必ず橋頭堡を確保しなさい。全砲兵はこれを支援する。以上」
「損害が増えます」
「分かってる! 他に方法があればやっているわ! 全く、兵站が無茶苦茶よ。井戸すらも使えないなんて! 私たちは良いけど、主力は食事にすら不自由してるのよ。だから、何としてでも、殿下の期待に応えなきゃ」
好恵は背筋をのばし対岸を睨みつける。
「ねえ、あそこにいるのが例の猛獣使いで間違いないの?」
「それは、まだ・・・・・・」
瑞穂が答えようとした時、銃声と砲声の向こうから剣牙虎の咆哮が聞こえて来た。
「・・・・・・どうやら、そのようですね」
「全く、たいしたものだわ.伏撃、夜襲、遅滞戦闘、今度は野戦応急築城まで、随分と器用じゃないの」
「自国領の村を焼き払い、罠を仕掛け、井戸にまで毒を投げ入れるなんて、ホント、よくやりますね」
「もうやめましょう、消極的な話は。この泥沼から抜ける方法はないの?」
「独力では、他にありません」
「いいえ、1つだけあるわよ」
唐突に第3者の声が響く。
「誰?・・・綾香!」
「綾香様?!」
二人が振り向くとそこには綾香がにこやかに手を振っていた。
「ハァ〜イ、久しぶりね、好恵。元気してた?」
「ア、綾香、殿下のそばにいるはずのあんたがどうしてここに? 」
「ああ、それなら大丈夫よ、弥生さんがいるから。あたしは姉さんとの約束を果たしにきたの」
「「約束?」」
二人は鸚鵡のように聞き返す。
「そ、あの猛獣使いをコテンパンにやっつけにね。だからここに来たの」
「だからと言って・・・・・・」
「綾香様、1つだけある方法とはなんですか?」
好恵はなおも言い募ろうとするが、途中で瑞穂に遮られる。
「迂回機動よ。西方の渡河点まで騎兵で迂回して敵の背後に潜り込むのよ」
「それは・・・・・・確かにこの状況を打破できます。が」
「そうなの。1つだけ問題があるのよね。」
「糧秣が足りない。ですね」
「それじゃ、意味が無いじゃないの!」
3人が議論していると前方で一斉に爆発が発生した。布陣しつつあった砲列に砲撃が加えられたのだった。先ほどの砲撃よりも被害が大きい。
どうやら敵は騎兵砲だけでなく、擲射砲も所持しているようだ。
敵の砲撃の合間を縫って橋にまでたどり着いた猟兵中隊が隊列を崩して橋をわたり始める。と、同時にそこは赤く染まった。対岸に隠蔽されていた10門余り平射砲がそこに霞弾を打ち込んだのである。しかし、猟兵たちは怯まず、第2波が渡り始める。するとどうしたわけか反撃がない。勢いに乗って半数ほどが渡り終えた。途端、白煙と黒煙、そして轟音、橋の上にいた100名近くの兵が空中へ吹き飛ばされる。敵が橋を爆砕したのだった。すでに対岸に渡り終えていた猟兵たちは背後の惨劇に驚いて動きが鈍る。そこへ再び砲声と銃声、対岸は猟兵たちの墓場と化した。
好恵は歯が軋むほど噛み締めた。兵站の悪化から、これ以上の増援は望めない。しかし、攻撃を止める訳にはいかない。
「綾香、先ほどの案、やるしかないわね。けど、糧秣は手持ちでやってもらうわよ」
好恵は悔しそうに言った。
「いいわよ。現状じゃ、他に手はないしね。じゃっ、行ってくるわ」
綾香は散歩にでも行くかのように歩き出す。
「頼むわよ」「お気をつけて」
好恵と瑞穂が声を掛ける。
彼女は背を向けたまま、手を振ることでそれに答えた。
 綾香は引き連れてきた第3辺境胸甲騎兵連隊から、第1大隊を基幹とした戦闘団を編成、上苗渡河点に向けて出撃した。


〈帝國〉軍が迂回機動を開始したころ、浩之たち第11大隊は、ようやく砲列の展開を終えた〈帝國〉軍砲兵からの攻撃を受けていた。
「総員退避!!」
〈帝國〉軍の後方で砲煙が生じるのを見た浩之は部下たちに退避を命じる。
一目散に駆け込みたいのを我慢して周囲を見回し、全員が退避したのを確認してから掩体壕に向かった。琴音も後に続く。
「浩之ちゃん、はやく! はやく!」
一足先に退避していたあかりが大声を上げて腕を振り回している。それに急かされるように浩之と琴音は壕に飛び込んだ。
 その直後、弾着の轟音が響いた。壕内のあちこちから埃がたち、土くれが落ちる。予想通り、指揮所を狙っている。が、意外なことに通常の丸弾だった。これなら直撃でもない限り、たいした損害は受けない。
敵は砲兵の掩護の下、猟兵を川に飛び込ませ渡河させようとしたが、平射砲の霞弾と濃厚な弾幕によって撃退に成功する。
「何とかやれそうだね」
あかりが明るい声で言った。
「そう上手くいけばいいが・・・・・・やっぱ、4〜5日は大丈夫だろう。少なくとも友軍は無事に撤退できるか」
浩之はまるで、自分に言い聞かせるよう答える。
「浩之ちゃん?」
浩之の言動がおかしいのに気づき、訊ねる。
「あ、いや、なんでもない。ちょっと、考え事してただけだ。気にするな」
「フ〜ン、そう・・・・・・まあ、浩之ちゃんがそう言うのなら」
あかりは心配げな表情をしたまま頷いた。
実際、浩之は〈帝國〉軍が現状打破を狙って上流の上苗橋あたりの渡河を試みた場合の事を考えていた。
一応、時間稼ぎの罠を施してあるが、それらを越えてきた場合は、導術で動静を確かめてから対応するしかない。つまり、打つ手はもう無い。
(考え込んでも仕方がない。今は出来ることに全力を尽くそう)
結局、日没までに〈帝國〉軍は4波に渡る渡河攻撃を仕掛けてきたが、浩之たちは辛うじて撃退に成功した。
(第2話・第2版 決定稿)


綾香による〈帝國〉軍の迂回機動を知った浩之は予備隊を率いて迎撃に出る。

浩之は綾香を止められるか? ここに第11大隊最後の戦いが始まる。
原作とは似て非なる展開の第3話、期待せずにまて!



管理人のコメント


 む…侵攻軍の司令官は来栖川姉妹ですか。確かに、千鶴を粉砕できそうなキャラはこの二人しかいませんね。

>「姉さん、大丈夫?・・・・・・え? あ、ちょっと、姉さん! 恥ずかしいから、やめてってばぁ!」

 弥生ならずとも微笑ましい光景ですね(笑)。

>葵の隣に座っていた御堂少尉が答える。

 あ、何気に「誰彼」のキャラが(笑)。

>「この子を見てくだされ、うちの孫娘ですじゃ。それが〈帝國〉軍を見たあとおかしくなってしまいましたんじゃ」
>「・・・・お姉さま・・・・ステキ・・・・・・」


 原作では悲劇的なシーンなんですが、思わず爆笑しました。

>「がお〜(滅殺ですぅ〜)」

 全体的に琴音可愛すぎです(爆)。

 いよいよ橋を巡る激戦の始まり。原作を知る立場としては、今後どのくらい変わっていくのか、そしてあのキャラはどんな風に登場するのか…と興味は尽きません。


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