世界東鳩名作童話劇場A 「鶴の恩返し」


 昔々のそのまた昔のお話です。雨月山の麓にある隆山の村に、次郎衛門という若者が住んでおりました。しかし、次郎衛門の家はたいそう貧しく、耕すべき畑も一つしか持っていないため、村の人々は彼のことを耕一と呼んでおりました。
「そ、そうだったのか。俺の名前にはそんな由来が…って、ちっがあ〜う!!」
 貧しさにるるる〜っと涙を流す次郎衛門、もとい耕一です。
「違うって言ってるのに…これもみんなビンボが悪いんや」
 そんな貧しい彼でしたが、働き者で、(女性に対しては)優しいと評判の立つ、なかなかの好青年でした。朝から夕まで畑の手入れをし、夜は内職のわらじやみの作りに精を出す…そんな日々を送っていたある日の事です。
 その日、隣の町までみのやわらじを売りに行った耕一は、雨月山を越える道を通って村に向って急いでおりました。なにしろ、雨月山は鬼が棲むという噂のある山で、そうでなくとも明かりのないこの時代、夜の山道歩きは自殺行為です。もう少しで村に着く、と言うところまで来たとき、耕一は森の中から不思議な声がするのに気がつきました。
(しくしくしくしく………)
(ま、まさか…鬼?)
 山にまつわる噂を思いだし、耕一の後頭部を大粒の汗がたら〜っと流れます。
(しくしくしくしく………)
 ですが、鬼にしてはなにやら可愛らしい、女の子が泣いているような声です。どうしても気になった耕一は、意を決して森の中に踏みこんでみました。しばらく歩いて見ると森の中に開けた場所があり、そこに人影があるのに気がつきました。
(女の子?)
 そこには、おかっぱ頭で黒髪の女の子がうずくまってしくしくと泣いておりました。よく見ると、足にトラバサミががっちりと食いこんで、それはそれは痛そうなありさまです。
「おい、大丈夫かい?」
 耕一が女の子に声をかけますと、女の子は一瞬びくっとして耕一の方を振り向きましたが、すぐにまた泣き始めます。
(バカか俺は。この状況で大丈夫な筈がない。とりあえず外さなくては)
 気を取りなおし、耕一はトラバサミに手をかけると、渾身の力を込めてそれをこじ開けました。女の子が足を引き抜くと、力尽きた耕一は慌ててトラバサミを投げ出します。
「あ、危ねえ…」
 耕一が肩で息をしておりますと、女の子はそっと耕一に近づいて「きゅっ」と抱きつきました。

 ずぎゃああぁぁんっ!

 その女の子の行為はどこからともなく聞こえてきた効果音と共に、耕一の「萌え」を直撃しました。
(い、いかん。俺はこの娘が好きになってしまったらしい…って俺は何を言ってるんだあ〜〜〜っ!?)
 耕一は自分の心境の変化について行けずに悶絶します。だから、彼は「ぼぐっ!」と言う、何か重いもので頭部を強打するような音ともに女の子が倒れた事も、その後「ずりずりずり………」となにかが引きずられて行くような音がしたのも、全く気がつきませんでした。
(ううう、俺はどうしたら良いんだ…って、あれ?)
 耕一が思考の迷宮から帰ってきますと、女の子はいなくなっており、日はすっかり暮れようとしていました。一瞬夢でも見ていたのかと思いましたが、地面に転がったトラバサミがあれが夢でなかったことを証明するように転がっていました。
(ん?………!)
 そのトラバサミの歯は、よく見ると、あの女の子の足が当たっていた部分がひんまがって、もはやウサギすら取れそうもない状態に成り果てていました。
「お、鬼だ。鬼が出たんだ。可愛いなりしてたけど鬼だったんだぁ〜〜〜っ!」
 再起不能になったトラバサミを投げだし、耕一は転がるようにして村へと逃げ帰りました。

 さて、その夜のことです。耕一が寝ておりますと、どんどんと扉を叩く音がします。
「何だ?こんな夜中に…」
 そう言いながら耕一が扉をあけると、そこには一人の女性が立っていました。この辺りではあまり見かけない様式の服を着ていて、どうやら旅の人のようです。ですが、見れば長い黒髪と清楚さを持ったたいへん美しい女性でした。耕一はその女性の放つ雰囲気に一瞬ふらっとなりましたが、どうにか持ちこたえて聞きました。
「どうかしたんですか?」
「夜分遅く申し訳ありません…私、旅の者でリズエ…いえ、千鶴と申します。道に迷ってしまって…一晩宿をお借りできないでしょうか…」
 千鶴と名乗ったその女性は消え入りそうな声で言いました。さて、耕一は困ってしまいました。彼は健康な男性であり、見知らぬ女性を家に上げてしまって良いものかどうか、ちょっと迷ったからです。ましてこんな美人が相手では、おのれの理性に自身が持てません。と思ったその時です。
「お願いします…こんな夜道…私…怖くって」
 千鶴の脅えたような声、そして儚げな様子に、耕一はくらくらです。
「うん…夜道は危ないな。こんなあばら家で良ければどうぞ」
 そう言うと、耕一は千鶴を家に招き入れました。
 千鶴を布団に寝かせ、自分はむしろに包まった耕一は、寒いのと、同じ部屋に女性がいるという緊張感でなかなか寝付けませんでしたが、何時の間にか眠っていました。
 ふと、窓から漏れる朝の光と、ぐつぐつ…と言う何かを煮こむ音で、耕一は目を覚ましました。
「あれ…?」
 耕一が起き上がると、千鶴がいろりで鍋をかきまわしていました。
「あら、お目覚めになりましたか?」
 千鶴はにっこりと笑いました。
「あの…何をしてるんですか?」
 寝起きでまだ頭の働いていない耕一が尋ねますと、千鶴はお鍋の中身をお椀によそいました。
「その…泊めていただいたお礼に、朝ご飯の方を…」
 湯気が立ち上り、何やらいい匂いがしてきます。耕一のお腹が「ぐうう」と音を立てました。耕一は囲炉裏端に座ると、お椀を覗きこみました。
(はうぅ!これはあっ!)
 そこには、とっても貴重な白米をはじめとして、耕一の1週間分以上の食材がふんだんに使われた雑炊が出来あがっていました。あまりの事に、耕一はるるる〜っと涙します。
「おかわりはいくらでもありますから、どんどん食べてくださいね(はぁと)」
「ありがとう…いただきますよ…」
 自分の涙で少しばかり塩分が多くなったであろうその雑炊を、耕一は口にしました。
「…………」

 ずっぎゃああぁぁんん!!がくっ、どさあっ……し〜〜ん………

 舌から脳天にかけて走った、その凄まじい衝撃に、耕一は白目をむくとその場に倒れて轟沈しました。口からは泡がこぼれ、ときどきぴくぴくと手足が震える光景には、なかなか怖いものがあります。
「あら?どうしたんですか?お食事中に寝るなんてお行儀が悪いですよ?」
 千鶴は耕一の体を揺さぶりますが、耕一は完全に沈黙しています。
「ふふっ…しょうがない人。きっと疲れていたのね」
 自分が創造したモノ(とても料理とは呼べません)の恐ろしさを知ってか知らずか、千鶴は耕一をずりずりと引きずると布団に寝かせました。

 ふと、窓から漏れる朝の光と、ぐつぐつ…と言う何かを煮こむ音で、耕一は目を覚ましました。
「……あれ?うう、どうも悪い夢を見ていたらしいな…って、ぐつぐつ煮こむ音ってなんだ――!!」
 耕一が絶叫しながら飛び起きますと、背後で涼しげな声が聞こえました。
「おはようございます。耕一さん」
「ち、千鶴さん…」
 いろり端でおなべをかき回す千鶴に、耕一の体は無意識のうちに後ずさります。
「悪い夢を見たんですか?こう見えても、私夢占いが出来るんですよ。1つやって差し上げましょうか?」
「いや、いいです……」
 悪夢(というか、そうとしか思えない現実)の原因は明らかだったので、耕一はもはや何もいわず、ただるるる〜っと涙を流しておりました。こうして、千鶴はどさくさにまぎれて耕一の家に居着く事になったのです。

 さて、あの耕一が嫁(いつの間にそうなったのでしょうか?)を貰ったと言う噂は、たちまちのうちにして村中に広まり、千鶴はあっという間に村で知らない者のない人気者の地位を確保しました。
 と、同時に今まで朝から晩まで休むことなく働いていた耕一の仕事姿があまり見られなくなり、かわりにげっそりとやせた顔でふらふらと歩く耕一の姿が見られるようになりました。そんな耕一に、村の庄屋の長瀬さんが声をかけます。
「やあ、耕一君」
「あ…庄屋さん…」
「ふふふ……若いと言うのはいい事だね。しかし、仕事も手につかないほど励んではいかんぞ」
「はい?何の事です」
「ふふふ、照れるな照れるな」
「あの…庄屋さん?」
「まああれだな。あれだけ可愛い嫁さんなんだから、そっちの方にばかり夢中になるのも仕方がないかな。私が今の家内を貰ったときも毎晩凄くてね…ごふっごふっ。ともかく頑張れよ」
「…………?」
 長瀬さんが何を言いたかったのかは全くの謎ですが、彼がやつれているのは千鶴が1週間分の食料を駄目にしてしまったために、節食を心がけているせいでした。しかも、千鶴が食事だけでなく家事能力と言うものが全く持って壊滅的なため、彼女が来て以来耕一のこなす仕事、特に家事は以前の1.5倍(当社比)を越え、その増加率はとどまるところを知らなかったのです。

 さて、その日も耕一がくたくたになって畑仕事から帰ってきますと、いつもはにっこりと笑って彼を迎えてくれるはずの千鶴が、今日は何やら思いつめたような顔でおりました。
「どうしたんだい、千鶴さん」
 耕一が不思議に思って尋ねますと、千鶴は潤んだ瞳で、上目遣いに耕一を見つめながら言いました。
「耕一さん…ひょっとして、私がここにいて迷惑ではありませんか?」
 どきーん!!
 その儚げな千鶴の仕草に、耕一は思わず胸を撃たれたように何も言えなくなってしまいました。ここで「そんな事ないよ」と言えればこの後の悲喜劇は避けられたのでしょうが。
「そうですか…やっぱりそうなんですね」
 あわわ、何も言ってないのに、と耕一は思いましたが、どう言うわけか千鶴の迫力に押されて口を利くことが出来ません。
「でも…私は貴方のお役に立ちたいんです」
 殊勝な割に有無を言わせぬ何かを秘めたその発言に、耕一は顔中からだらだらと冷汗を流し、ただただ黙って首をこくこくと振るばかりです。すると、千鶴は奥の物置に続く扉をすうっと開き、中に入ると、そこから顔だけを出して言いました。
「耕一さん…けっして、この中を覗かないでくださいね」
「も、もし覗いたら…?」
 耕一が震える声で搾り出すように尋ねますと、千鶴は凍るような声で言いました。
「耕一さん…貴方を、殺します」
 耕一はなぜか「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………」という、奇妙な冒険に出かけたときに聞く地鳴りのような響きを千鶴の後ろに感じたような気がしました。真っ青な顔でこくこくこくと気分が悪くなるほど首を縦に振ると、千鶴はようやくにっこりと笑って言いました。
「約束ですよ、耕一さん。それではおやすみなさい」
 ぱたんっ、と扉は閉められました。耕一は恐ろしくて、その夜はさっさと寝てしまうことにしたのですが…

※ばさばさばさばさ…
「ええいっ、覚悟を決めて大人しくなさい!」
 きゅううぅぅぅぅ〜〜〜〜…………
「ふっ、手こずらせてくれたわね。さて……」
 ぶちっ!ぶちぶちぶちっ!
 かたんかたんかたんかたん………
 ぎっこん、ばったん。ぎっこん、ばったん。ぎっ…こん…ばった……ん
「ああ〜〜〜ん、なかなか上手く出来ないぃ〜〜〜〜」
 ぎこばたぎこばたぎこばたぎこばたん!びりっ!
「……ふうぅ、やりなおしね…」
※ にもどる。

 と言うような、一晩中何をしているのか全くわからない恐ろしい物音と、断末魔の悲鳴が続く物置のありさまを想像すると、眠るどころの話ではありません。
「俺は聞いていない…何も聞いていないんだ。そうだ、何も聞いていないんだぁっ!」
 そうした自己催眠(現実逃避とも言います)も空しく、睡眠時間までを削られた耕一のやつれっぷりはますます進み、庄屋さんにからかわれる日は続いたのでした。

 数日後、急に物置が静かになり、眠れるようになった耕一が、目をこすりながら起き上がりますと、千鶴が枕もとに座っておりました。
「わあっ!?」
「どうかなさいましたか?耕一さん」
 にっこりと極上の笑顔を浮かべて尋ねる千鶴に、耕一は内心の動揺を覆い隠して答えます。
「い、いや、何でもないです…ところで、千鶴さんの方こそ、俺に何か用ですか?」
 そうしますと、千鶴は後ろ手に隠していた何かを耕一に差し出しました。
「こ、これは!?」
 それは、純白に輝くその布は、絹、いえ、見たこともないような素材で出来た、大変美しい反物でした。
「これを街に行って売れば、きっととても高い値段で売れると思います」
 千鶴は恥ずかしげに言いましたが、耕一の目から見てもそれは納得の行く話でした。驚いた耕一は、これをどうしたのか千鶴に尋ねました。
「少しでも耕一さんのお役に立とうと思いまして…夜中にこっそりと作っていたんです」
 千鶴が顔を赤らめて言ったその時、物置から、がたがたっと言う何かが転がるような音がしました。続いて、あんな騒音を立ててこっそりも何もないんじゃないかと思った耕一は額に大粒の汗を浮かべましたが、それは千鶴の前ではとても言い出せない事でした。それより、物音の方が気になり、耕一が腰を浮かせますと、何かざらついた重圧のようなものが耕一を襲いました。そう、それはまさに生物としての本能が感じ取らせたものだと言っても良いでしょうか。
 全身から冷汗を流す耕一が千鶴の方を見ますと、そこには相変わらず極上の笑顔を浮かべた千鶴が座っておりましたが、重圧、と言うか殺気の中心は、どう考えても千鶴でした。
「物置は決して見ないでくださいね(はぁと)」
 耕一は頷き、恐怖にるるる〜っと涙を流しながら座りなおしました。
「それより、今日の朝ご飯は私が作ったんですよ。是非召し上がれ(はぁと)」
 またしても物置から、がたがたっと言う物音がしましたが、耕一がそれに気付く余裕はありませんでした。そこには、千鶴の殺人料理が待ち構えていたからです。
(に、逃げたい!しかし逃げたらきっと殺される!)
 進むも地獄、退くも地獄とはまさにこういう事を言うのでしょう。耕一は覚悟を決め、お椀を手にとりました。とりあえず、匂いに問題はないようです。だからと言って油断は出来ないのですが。具の方は、何やら得体の知れない肉が使われている以外は、特に問題はなさそうです。怪しげなキノコや高そうな食材が使われていないことに、耕一はとりあえずほっとしました。
(あとは、食べるだけか…)
 ここが一番の悩みどころですが、耕一は思いきってそれを口にしました。その瞬間、今まで味わった事のない感覚を感じて、耕一はまるで石像のように固まります。
「………どうですか?耕一さん」
 石像のように固まっている耕一に千鶴が呼びかけます。
「……まい」
「え?」
「美味い。美味いよ千鶴さん!美味過ぎるうううううぅぅっ!」
 そう、それはまさに極上の味。耕一が今までに食べた事のない最高の料理でした。耕一は口から光線でも吐きそうな勢いで「美味い、美味しい」を連呼します。
「そうですか、良かった(はぁと)」
 千鶴もにっこり笑って耕一の喜びようを見守っていました。

 この日から、耕一の暮らしは一変しました。家には、急に家事が上達し、特に料理は最高になった千鶴が待っています。あの反物はとんでもなく高い値段で売れ、耕一はもう暮らしに困るような事はなくなりました。
 そんな耕一の唯一の悩みは、千鶴が夜になると物置で例の反物を作っているため、出来ない事があることでした。何が出来ないのかは全くの謎ですが、健康な男性である耕一にとって、千鶴のような美女と1つ屋根の下に暮らしているのに、それが出来ないと言うのは苦痛以外の何者でもありません。だから、傍目には天国にしか見えない耕一の暮らしぶりも、本人にとってはちょっと辛くなりつつありました。何と言うぜいたくな悩みなのでしょうか。
 そんな耕一にとって最大の関心事は、千鶴の反物の秘密でした。この反物は多くの客からその秘密を知りたいという声が上がっていたのですが、耕一はもちろん知らないので答えようがありません。耕一にとっては別段知りたくもない事であり、それ以前に知ろうとすれば命がないという現実がありましたが、欲求不満がたまってくれば、そう言う分別もなくなってきます。
 その日も、晩ご飯の後、千鶴は物置に入っていき、耕一は眠る準備をはじめました。しかし…
 ぎっこん、ばったん。ぎっこん、ばったん。ぎっこん、ばったん………
 単調な、普段なら眠気を誘う千鶴の機織り機の音が、その夜に限って耕一を目覚めさせたままにしています。
(ううむ、知りたい。どうしても知りたいぞ。千鶴さんの織物の秘密は一体何なんだ……)
 そこまで考え、行動を起こそうとすると、その途端に
(耕一さん……貴方を、殺します)
 という千鶴の声が脳裏によみがえり、金縛りになる耕一です。行動を起こそうとしては金縛り、行動を起こそうとしては金縛り、の繰り返しでしばらく経った時の事です。
 ぎっこん、ばったん。ぎっこ…………し〜〜〜ん…………
 機織りの音が止まりました。おや?と思って耕一が耳を澄ましますと、物置の中から声が聞こえてきました。
(リズエルお姉ちゃん…私もう嫌だよぅ。ごはんを作るのはアズエルお姉ちゃん、機を織るのはわたし。リズエルお姉ちゃんは何もしてないのに、どうして耕一お兄ちゃんを一人占めしてるの?)
 それは、明らかに千鶴以外の人物の声でありました。
(そうだよ、リネットの言う通りだよ。姉さんずるいよ。自分では何もしないで、あたしたちに全部仕事押し付けてさ。あたしもう鶴料理のレパートリーは尽きたよ)
 更にもう一人、別の声がします。いずれも女性……というより、少女の声でした。
(な、なによ突然……)
(それに姉さん、エディフェルはどうしたのさ。こないだから見ないけど、なんかあたしたちに隠してるだろ)
(え?そ、その…エディフェルの事は…私知らないわ(はぁと))
(そうやってごまかしても駄目だよ!姉さんはいっつもそうだ!そうやっても偽善者の本性は隠せな……はっ!?)
(アズエル…?今なんて言ったの……!?)
(ひゃうっ!?り、リズエルお姉ちゃん、落ちついてっ!!)
(ア〜ズ〜エ〜ル〜!!!)
(ひいいいっっっっ!?)
 どぐわんがしゃんごばんどげしっ!がすっぼかっぐわんどぎゃっ!
(い、一体何が起きているんだ……?)
 耕一が恐る恐る立ちあがりますと、いきなり物置の扉が轟音を上げて吹き飛び、中から一人の少女が飛び出してきました。
「あ……」
 その小柄な少女と思わず顔を見合わせる耕一。その時、耕一は気付いてはいけない事に気がついてしまいました。少女の頭に、小さな角が生えています。
(お、鬼ぃぃぃっっっ〜〜〜〜〜!?)
 耕一が顔を上げて物置の中を見ますと、そこでは半壊した機織り機を持ち上げている千鶴と、両手に出刃包丁と菜切り包丁で武装した活発そうな少女が、死闘を繰り広げていたその体勢のままに固まっていました。そして、やはり千鶴も、相手の少女も頭に短い角が生えていました。更に恐ろしいのは、織物や料理の材料になったのであろう鶴「だったもの」が物置の床に散乱していたことです。それは、まさに鬼の棲家にふさわしい光景でした。

 し〜〜〜〜ん…………

 重苦しい沈黙があたりに立ちこめました。しばらくその体制のまま固まっていた4人ですが、最初に沈黙を破ったのは千鶴でした。
「見てしまったんですね……耕一さん」
 その凍りついたような言葉に、(貴方を,殺します)というあの時の言葉を思い出してしまった耕一。
「は、ははは…その、なんだ。可愛い妹さんたちだね……」
 わざとらしい明るい声でごまかそうとしますが、ごまかされたのは顔を赤らめてうつむく妹たちだけで、千鶴はゆっくりと近寄ってきます。
「あれほど、見てはいけませんよと言ったのに……」
 その千鶴の言葉に、耕一は自分の運命を悟りました。
(し、死ぬ。殺される。ああ、親父…お袋…俺も今からそっちの世界へ逝く事になりそうだよ)
 と、涙をるるる〜っと流しながら、千鶴が近寄ってくるのを待っていました。というより、足がすくんで逃げられなかったのですが。
「私の正体を知ってしまったからには……」
 全員が凍りついたように動きを止めている中、千鶴はいきなり人間の姿に戻ると床に座り込み、三つ指をついて耕一の前でお辞儀をしました。
「責任をとって、夫婦になってくださいませ(はぁと)」

 ずるべたーん!!!(×3)

 耕一、リネット、アズエルの3人が同時にその場で豪快にこけました。
「……あら?」
 千鶴が可愛らしく小首を傾げて耕一を見ますと、耕一は
「これまでと変わらないじゃないか―――――!!!!!!」
 そう叫び、がっくりと力尽きました。
「ああっ!?耕一さん!しっかり!」
 千鶴が必死に耕一を介抱している横で、あまりのくだらないオチに、アズエルとリネットはそのダメージから立ち直れず轟沈して沈黙していました。
 こうして、結局家事無能力者である事がバレた千鶴こと、鬼のリズエルですが、どさくさにまぎれて耕一の妻としての立場を守る事に成功したのでした。このあと、アズエルこと梓と、リネットこと初音の二人の妹も家族に加わり、こうして5人家族になった耕一の家では、耕一が畑仕事をし、梓が家事をし、初音が織物を作り、千鶴が何をしていたのかは全くの謎ですが、とにかく末永く楽しく暮らしたと言うことです。

めでたしめでたし。



「めでたくなんてありません……私はこのあとどうなっちゃうんでしょうか……」
 雨月山の山中では、理由は全くの謎ですが、頭に大きなたんこぶを作ったおかっぱ頭の少女、エディフェルが大木にぐるぐるに縛り付けられ、るるる〜っと涙を流していました。思い出したリズエルが助けにくるまで、その泣き声は風に乗り、怨念のこもった唸り声のように雨月山の山中を流れ、「雨月山の鬼伝説」をますます確固たるものにしたのですが、それはまた別のお話です。

本当に終わり。



あとがき
 え〜、さて、「痕」より柏木(正確には前世の鬼)四姉妹総出演のこのお話ですが、最初に申し上げましょう。ちづら〜の皆さん、梓者の皆さん、初音リアンの皆さん、そして何より楓ストの皆さん。

 どうもすいませんでした。m(_ _;)m

 私は旅に出ます。捜さないでください。お願いです。もうすぐそこに追っ手が、4匹の戦鬼があっ!

2001年4月某日 さたびー拝
―――ずらかる荷物をまとめながら。


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